自分の身体が死に絶えていく事が、はっきりとわかった。
当たり前のように動かせていた右手が、左手が、右足が、左足が、殆ど思うように動いてくれない。
指を動かす為に込めた力は、肘にすら届かず。
背中に痒みを覚えても、喉の奥に違和感を抱いても、それを正常な状態に戻したいという意識すら、働かない。
それはつまり、健康を放棄したという事。
身体は悟っている。
もう、元に戻りはしないのだと。
そう教えてくれる。
結局のところ――――ここまでという事だった。
幼い頃に思い描いた夢は、実はそういう形の幻だったと知り。
それでも、絶望する暇もなく生きて来た人生。
そして、数多の挫折の果てに辿り着いた、今日。
ここがその終着点というのは、皮肉でもあり、本望でもある。
ただ、納得は出来なかった。
納得して、諦観して、そしてこれまでの事を振り返る。
そうする事も必要なのかもしれない。
そうする事で、報われる何かがあるのかもしれない。
けれど、そこまで悟る事は出来なかった。
思い通りに身体が動かない事。
それが歯痒い。
目の前にある危機を解決する為の一助となれない。
それが歯痒い。
未来へ向けて語り合う事が出来ない。
それが歯痒い。
――――それでも夢は叶うと、嘯く事が出来ない。
それが、口惜しい。
まだ志半ば。
いや、その意識すら、実は薄いのかもしれない。
自分がいなくなる。
それが恐ろしい。
それこそが本心だった。
自分がこの世から消えるという事には、二つの意味がある。
一つは、自分が世界を感知出来なくなるという事。
つまり。
見て、嗅いで、味わって、聞いて、触れるという事が出来なくなるという事。
起きて、食べて、喋って、寛いで、寝るという事が出来なくなるという事。
笑って、泣いて、怒って、拗ねて、照れるという事が出来なくなるという事。
恋して、恋患って、恋焦がれて、恋慕って、恋病む事が出来なくなる――――という事。
もう一つは、世界から自分が感知されなくなる、という事だ。
自分がいない世界でも、当たり前のように日は昇り、そして楽しい事や下らない出来事が毎日のように勃発し続ける。
その中で、周囲の人間は、自分を忘れていく。
認識はあれど、心に在らず。
数多の"今"に塗り替えられ、いずれ形を失っていく。
どれだけ大事な人の心からも。
果たして、どちらが怖い事なのかと問われれば――――迷いなく前者と答えられた。
一年前までならば。
今は、ただ。
自分の終わりが。
動かなくなる身体が。
薄れ行く意識が。
死が。
あなたに苦痛と心労を与える事が、何より――――
「大丈夫」
不意に聞こえた声は幻聴か、それとも最期の最後に自分自身が救われる為の願望か。
「心配は要らない」
心地良い声。
男の声なのか女声なのか、それさえもわからない。
聴覚ではなく意識で聞いている。
「もう、大丈夫だから」
魂が、揺られている。
安寧の懐の中、穏やかに消えゆくのか。
それとも、創造と再生の渦の中に運ばれてゆくのか。
答えは、身を委ねたその先にある。
やがて誰もが辿り着く、その先へ――――――――