夜の海は例え海原の酸いも甘いも熟知した人間であっても、常に寒心に堪えない。
吸い込まれるような深く広い闇の塊は、何処かこの世界とは違う異質さすら覚える。
特に、月明かりも星空もない曇りの日の夜は、恐怖心を抱かない人間など皆無だろう。
そんな、ある種『魔界』とさえ形容できそうな海の上を、一隻の旅客船が走っている。
漆黒に包まれたその身体は、数日前に海賊の襲来によって損傷した箇所が粗く修繕されていた。
この船は紛れもなくスキーズブラズニル。
だが、今は旅客船ではない。
正式名称は――――
「22の遺産の中のひとつ、闇船スキーズブラズニル」
その事実を告げる背後からの声に驚きの表情を浮かべ、操舵室で前方を眺めていたパール=チャロアイトは振り向いた。
声の主は、一目でわかるほどの有名人。
帝国ヴィエルコウッドを統べる若き皇帝、ノーヴェ=シーザーその人だった。
「まさか船その物が22の遺産だとは、誰も思わないゼ。事前に知識としてシュッと持ってなければな」
「あなたは知っていたのですね。一応、偽の情報を流していたんですけど……」
「港町の万博会場は囮で、22の遺産なんて本当はない……ってヤツか? 確かにヴィエルコウッドではその情報を事前に掴んでたがな、俺様は国に縛られたくない性質なんでな。自分だけのスタイリッシュな情報網ってのを持ってるんだゼ」
帝国に入ってくる情報より、更に精度の高い情報を収集するのは並大抵のことではない。
ノーヴェが若くして帝国を統べることができているのは、彼自身の力と自ら開拓してきた環境の質に拠るところが大きい。
「船そのものが遺産とわかった時点で、万博を中止に追い込み護衛がいなくなった時点で船ともども逃走……これくらいは誰にでも想像できる安易なシナリオだゼ。まして、この海域は海賊の多いシーマンの領海からシュッと近い。誰を疑うべきかは明白ってなモンだゼ」
「最初から私を……? だから、だから、だから海賊が襲ってきた時に姿を見せなかったのですか」
同じ言葉を続けるのは、焦っているからではなく口癖のようなもの。
落ち着いた口調で問うパールに対し、ノーヴェは静かに首肯した。
「スタイリッシュ。ま、持ち場が船内だったってのもあるがな。これでも一応、護衛係なんだゼ」
「非常識ですよう。王族が護衛なんて……逆に守られる立場なのに」
「カッカッカ。ユグドも同じこと言ってたゼ。それに……」
軽快に笑う一方で、ノーヴェの目は据わったまま。
そして次の瞬間、その目に表情の方を合わせた。
「……直接動いてるって意味じゃ、お前さんもシュッと同じだゼ? まさか王族が他人の船を盗もうなんてな」
「盗んでなんていません」
「おいおい、今更無駄な抵抗はよしな。この闇船スキーズブラズニルは武器万博の主催者が買い取ったモノだゼ? シーマンに所有権はないだろ?」
「いえ。これは、これは、これはシーマンの所有物です」
パールはそう断言し、舵輪を愛おしげに撫でた。
彼女独特の服装と相俟って、まるで悪魔を召喚する際の儀式のように見えてしまう。
「情報収集がお得意なあなたなら、既にご存知ですよね? この船が、シーマンの造船技術によって開発されたこと」
「当然、耳にはシュッと入ってるゼ。だが、それがどうした? 作ったから自分達のモノ、なんて理屈が通ったら商売なんて成立しないゼ? 商人国家の王女サン」
「勿論、勿論、勿論そうです。でも、この船は特別なんです」
普段のほんわかした雰囲気は影をひそめ、パールは何処か寂しげに首を左右へと振った。
「闇船。この由来がなんなのか、わかりますか?」
「さあな。つっても、22の遺産の一つだ。スタイリッシュな呪いがかかってるのは間違いないだろうよ」
「その通りです。この船は……闇の中、闇の中、闇の中でしか本来の性能を発揮できません。そして、発揮した時は――――」
その瞬間、操舵室から覗く景色が一変した。
それまで見えていた水平線が消え、幾つもの泡が映る。
泡が映るということは――――
「――――究極の船となるのです」
そこが海の中である証。
闇船スキーズブラズニルは、夜の海へとその身を沈めていった。
「……おいおい。旅客船が沈没するなんて、シャレにならないゼ?」
明らかな異常事態でありながら、ノーヴェの顔に焦りや驚きはない。
その様子をパールは怪訝そうに見ていた。
「これすらも、これすらも、これすらも情報漏れしていたというの……?」
「生憎、そこまではわからないゼ。ただ、何が起こっても不思議じゃないのがこの世の中だ。俺様を一瞬で倒しちまう化物だっているかもしれないしな。カッカッカ」
若き皇帝の胆力に気圧され、パールは一歩後退った。
とはいえ、ノーヴェの方にも余裕などない。
どのような逆境だろうと弱味は見せない、弱音は吐かないという帝王学に従っているだけだ。
「ところで、お前さんがこの船を操縦してるとは思えないが……自動操縦技術ってのはシュッと確立してるのかい?」
「まさか、まさか、まさか。そのような技術があれば、シーマンは今頃帝国以上の大国です」
「間違っちゃいないゼ。ならどうしてこの船はシュッと動いてシュッと潜ってる?」
半ば答えを確信しつつ、ノーヴェは問う。
そして――――
「呪いです」
パールの口から出た答えは、その確信を支持するものだった。
「22の遺産は、ドラウプニル教団が強い呪いをかけたことで完成したもの。この船も当然、当然、当然例外ではないのです」
「だとしたら……幽霊船と同じ理屈で、怨念にでもシュッと操られてるのか?」
「そうです。ある意味この船は幽霊船です。何故なら、何故なら何故ならこの闇船スキーズブラズニルは……墓地であり、墓標なのですから」
刹那、パールの目が見開く。
まるで、誰かが乗り移ったかのように。
「私達シーマンの礎を築いた技術者達がドラウプニル教団によって拉致され、命を削ってまで造らされた船。それがこのスキーズブラズニル」
「成程……壮絶な歴史だゼ」
流石のノーヴェも、冷や汗を禁じ得ない。
墓地というパールの表現は、決して過剰ではなかった。
この船を造る為に多くの犠牲者が出たのなら、確かにこれは呪いの船。
そして、シーマンが奪回を試みるのも当然だった。
同胞の鎮魂を願うのなら、それは紛れもなく正義だ。
「ですが、ですが、ですが、あなたの先程の言葉は間違ってます。この船を操縦しているのは、私です」
「……なんだと?」
「私自身が、呪われた存在なのです。だから、だから、だから呪い同士惹かれ合い、スキーズブラズニルは私の意思に従ってくれるのです」
そうパールが明かした直後、ノーヴェはパールの服装を凝視し、その意味を理解した。
「忌み子……なのか? お前さん」
「はい。この赤と黒の布はその証。血が闇に染まっている証。忌み子は皆、皆、皆、この服装で呪われていることを示唆するのです」
悲しげに、そして諦観したような顔で、パールは栗色の髪を揺らした。
「シーマンには元々、元々、元々、先住民として暮らしていた人々がいました。彼らを追い出し建国したため、王族には彼らの呪いが降りかかっているのです。その業を、呪いを背負っているのが……私」
「そいつはスタイリッシュじゃないな。時代錯誤も甚だしい」
そうは言いつつも、ノーヴェは内心納得していた。
どれだけ時代が進もうと、過去に犯した過ちに対する罪悪感は消え去らない。
シーマンの場合、先住民を追い出し建国した事実が罪に該当する。
先住民の末裔に復讐する力などなく、恐れる必要はない。
だが、この歴史を引きずって『シーマンは略奪国家だ』と声高に叫ぶ者もいる。
そのような者たちに対し、有効なのは『見せしめ』だ。
ただしそれは、彼らを捕えて非国民だ反逆者だといったレッテルを貼り、見せしめとして処罰する――――という意味ではない。
逆に、シーマンの方に『見せしめ』とすべき人間を作ることで、その存在そのものを過去の過ちの責任とする方策だ。
パールは詳細まで語っていないが、彼女はその『見せしめ』に抜擢された可能性が高い。
例えば、生まれつき変わった形のアザがある王族の一人に対し、『そのアザは先住民の呪いだ』と教え、奇抜な色の封印布を巻かせる。
そうすることで忌み子を作り、先住民の呪いを演出しておけば、シーマン建国時の過ちを非難する者は『それみたことか』と王族を罵倒するだろう。
だが、その呪いへの罵倒が捌け口となり、それ以上の過激な行動を抑制する。
つまり、過去の過ちへの避難や復讐心を単なる見せかけの呪いへの罵倒だけに集中させることができる。
先進諸国の歴史や裏事情を知るノーヴェは、パールの背負っている業がただの政策に過ぎないと見抜いていた。
とはいえ、パールの呪いが政策のための演出だとしたら、このスキーズブラズニルを彼女が操作しているという理屈が通らない。
この船が動き始めた際に乗っていた人間自体、ノーヴェ以外にはパールしかいなかった。
仮に自動操縦でないのなら、動かしているのは彼女だ。
考えられるのは、呪いとは関係なく、彼女がこの船を操縦できる何らかの条件を持っているということ。
しかし今のところ、ノーヴェにそれを知る術はない。
「ノーヴェさん。あなたが、あなたが、あなたが22の遺産を欲しているのは知っています」
「そうかい。ま、隠しちゃいないがな」
「それでも、ここは見逃して欲しいのです。でなければ、あなたをこの海の中から出しません」
それは――――既にノーヴェも把握している事態。
潜水の目的は、ノーヴェを閉じ込める為だ。
仮にここでノーヴェがパールを斬ってしまえば、ノーヴェも陸地へ帰ることができず、海の藻屑と化す。
そういう状況を作った時点で、パールが船を操っているのは明白だ。
同時に、ノーヴェに残された選択肢がないことも。
「生憎だが、できない相談だゼ。世界の脅威たる22の遺産は、俺様が全て管理する。それが皇帝の仕事だ」
「悪用はしません。私が私が私が保証します」
「残念だが嬢ちゃん、交渉は決裂だ。歩み寄る意思がそっちにないのならな」
それでも、ノーヴェは強気なまま折れようとしない。
彼は知っている。
このまま海の中に潜り続けたところで、パールに、シーマンに何の得もないことを。
よって、どちらが先に折れるかは本人の胆力次第。
どちらもまだ若者だが、人生経験の豊富さ、思考力、判断力など全てにおいてノーヴェに分がある。
持久戦となれば、自分が勝つ――――そんな絶対的な自信がノーヴェにはあった。
「申し訳ないんですけど、決裂されるのは困ります」
――――そんな声が聞こえてくるまでは。
操舵室の二人が驚いた顔で扉の方に目をやる。
既に開いている扉の先には、本来この場にいる筈がない二人の姿があった。
「俺らまで閉じ込められたままになっちゃいますからね」
「うむ。妾もそれは本意ではないのじゃ。まだまだ人生を満喫し足りないのでな」
ユグド=ジェメローラン。
ラシル=リントヴルム。
その姿に、パールは驚いた表情で、ノーヴェは瞼を落とし、それぞれの感情を示した。
「ユグドか……どうしてお前がここにいる? シュッと理解できないゼ」
自分の描いていた青写真を破られたノーヴェが、腹立たしげな口調で問い質してくる。
とはいて、その表情に鬼気迫るものはない。
寧ろ、ユグドの回答を楽しみにしているような節さえある。
それに対し、ユグドは――――
「貴方のせいですよ、貴方の」
半眼でノーヴェを睨み返した。
「海賊に襲われた時から貴方の姿が見えなかったから、探してたんですよ。襲撃に遭ってる間に居眠りでもしてて、バツが悪くなって夜にこっそり出ていくかもと思って夜にも見張ってたんですよ? そしたらいきなり船が動き出すんですから、ビックリしましたよ」
「で、そこの龍騎士に頼んで空からシュッと船を追った訳か?」
「ええ。甲板に降りて、さあどんな言い訳しやがるかなと思って船の中に入ったら、急に沈み出すんですからね。焦りましたよ」
ため息混じりにそう吐き捨てるユグドの顔には、大粒の汗が滲んでいる。
発言が真実である証だ。
「そいつはシュッと災難だったな。だがそれは俺様のせいじゃないゼ」
「いえ。貴方のせいです。この陸地から隔離された状況は」
「おいおい。この船を操ってるのはこっちのお嬢ちゃんだゼ? 俺様の責任にされてもな」
肩を竦めるノーヴェの隣で、パールはユグドと目を合わせず萎縮していた。
ノーヴェを脅すところまでは、或いは想定の範囲内だったのかもしれない。
だが、22の遺産に関して無関係なユグドやラシルを巻き込んだのは不本意だったようだ。
「そうは言っても、貴方がちゃんと護衛の仕事をしてくれてれば、俺は貴方を見つけ出そうとは思わなかったんですよ。俺とラシルさんがここに閉じ込められたのは、貴方のせいです」
「シュッと見つけようとしたのはそっちの勝手だゼ? それに、護衛の仕事ならスタイリッシュにやったさ。展示品は俺様がちゃんと死守しただろ? 一歩も中に入れてねーゼ」
「守れていませんよ。少なくとも22の遺産は」
ユグドの指摘に、ノーヴェは思わず息を呑んだ。
「貴方は、この船が22の遺産の一つだと知っていた。つまり、この船が守るべき対象だとわかっていた。なのに、海賊にあちこち壊されたのを放置していた訳ですから、これは緩慢な仕事だと言わざるを得ません。責任者として抗議する必要がある」
「だから、俺様を見つけようとしたのも正当な行為であり、責任は俺様にある……か。スタイリッシュ! どうやら反論の余地はないゼ」
仕事は仕事。
例え皇帝でも、引き受けたからには全うしなければならない。
ノーヴェはそれを怠った。
重大な過失だ。
ユグドの指摘は、責任の所在を正確に示すものだった。
「責任は取って貰いますよ。船はパールさんに譲り、この件に関して貴方は一旦引いて下さい」
皇帝ともあろうものが、責任を自覚しておいて責任を取らなければ、それは末代までの恥。
ユグドの目はそう語っていた。
だが、ノーヴェは首を縦に振らない。
それは、22の遺産に対しての異常なまでの固執。
そして――――もう一つ。
「シュッと条件を提示してもいいか?」
「一応、聞きますけど」
「そうかい。だが、聞いて欲しいのはお前さんじゃなく、その隣で具合悪そうにしている女なんだがな」
「……?」
船酔いなのか、やけに無口で顔色の悪いラシルに対し、ノーヴェは腰に下げた剣を抜き、剣先を向けた。
「俺様と、そこの龍騎士との決闘だ。俺様が負ければそっちの要求を呑む。俺様が勝てばこの船はシュッと俺様の物。どうだ?」
この上なく好戦的な目。
ノーヴェの顔は、飢えた獣のように昂ぶっていた。
22の遺産への執着すら凌駕しそうなほどに。
「いいでしょう。それで貴方の気が済むのなら」
そんなノーヴェの重圧を軽く受け流し、ユグドは飄々と答えた。
「……こら。闘うのは妾だろうが。なんで貴様が即答するのじゃ」
「元々、貴女と闘う気満々だったんですよ、この人。だったらここで受けておいた方が、後々面倒がなくていいですよ」
「……ほう」
ユグドの説明を受けたラシルが、瞼を落としてノーヴェを睨む。
まるで、獲物を捉えたドラゴンのような眼差しで。
「この妾を龍騎士ラシル=リントヴルムと知ってのことか?」
「当然だゼ。随分と派手に飛び回ってるようだから、シュッとしたその鼻筋をペチャンコにしてやろうと思ってな」
「それは奇遇なのじゃ。妾もかねてより、思い上がった若造が世界の中心にいると聞いて、その鼻をへし折りたいと思っておった」
交渉は――――成立。
二人の間に、暴風にも似た強い敵意が生まれる。
余りの迫力に、当事者でありながらすっかり影が薄くなってしまったパールが気圧され、小動物のように小さくなっていた。
「パールさん、でしたよね。この船、今すぐ浮上させて貰っていいですか?」
そのパールにユグドが優しく声を掛ける。
「今……今、今ですか?」
「ノーヴェさんが条件を呑んでくれましたから、もう彼を海の中に隔離する理由はないでしょう。二人の闘いの場を提供してあげてください。船の中じゃ狭すぎる」
「あ……はい、はい、はいっ」
三度頷き、パールは慌てて舵輪を両手で握る。
当然、普通の操縦方法で船を浮沈させることはできない。
それに、ノーヴェの憶測が正しければ彼女には本物の呪いはかかっていない。
「私は、私は、私は忌み子です。だからこの船を動かすことができます。直ぐに浮上させます」
「忌み子? 本当に?」
そう問いかけるユグドに、パールはコクリと頷いた。
「私の私の私の身体には欠陥があるのです。ですから間違いありません」
「どの部分が?」
「……それは言えません。恥ずべきことですから」
無神経な質問だと抗議するかのように、パールの顔は少し険しくなった。
だが、その表情は次の瞬間、一変する。
ユグドが両の手をかざし、『4本』の指を見せた瞬間に。
「なら俺も、呪われてるってことになりますね」
「あ……」
パールは絶句し、表情を強張らせたまま動かなくなった。
予想もしていなかったのだろう。
自分を卑下する言葉が、目の前の少年を侮辱するものになるとは。
「言っておきますけど、俺は呪われてるとは思っていないし、恥じてもいません。気持ち悪がられるのは無理ないですけどね」
「わ、私、私、私……」
「卑怯な手段をとってしまいましたが、貴女にしてもそうなんですよ。欠陥があるから呪われている、なんてのは不合理な話です。大方、欠陥を理由に呪われていることにした方が都合がいい人達によるでっち上げでしょう」
「カッカッカ。やっぱりお前さん、俺様と同じ価値観してやがるゼ」
全くの同意見だったノーヴェは、とても愉快そうに笑った。
「先に言われちまったけどな、シーマンの王女さん。自分が呪われているなんて思い込むことはないゼ。少なくともな、生まれてくる子供が呪われているなんてスタイリッシュじゃない考えは、この世の理には記されちゃいないからな」
「人生の途中で呪いに遭遇してしまった不幸な人間はここにおるがの」
まさに自分がその呪いの被害者であるラシルが、嘆息混じりに述懐する。
そして、そのままパールの傍まで近付き、顎に手を当ててジッとパールの身体を視姦し始めた。
「あ、あの、あの、あの……」
「ふむ。どうやらパールちゃんは違うようじゃ」
「そ、そうなんですか? ラシル様は一目で呪いかどうかわかるのですか?」
「妾を誰と心得る。この世界に何人も存在しない龍騎士の中でも随一の腕を持つ、灰色の昇り龍騎士ラシルじゃぞ」
当然、そのような活眼がラシルにあるはずもない。
嘘も方便。
ユグドもノーヴェも、敢えて口は挟まなかった。
昇り龍騎士はどうかと思いながらも。
「とはいえ、この件を他言するのはお薦めできんの。周囲には適当に話を合わせておく方が得策じゃ。呪いというのは乙女心と同じように繊細じゃからの」
「わかりました。でも、でも、でも……だったらどうして、私はこの船を動かせるのでしょうか?」
「それは……」
腕組みしながら瞑目した後、ラシルはユグドに視線を向け『説明係、仕事せんか』という意思表示を見せた。
耳の後ろをポリポリ掻きつつ、ユグドもパールに近づく。
「恐らく……その赤と黒の布が、スキーズブラズニルを作った船大工のものなんじゃないですかね。憶測ですけど」
「そういえば、聞いたことがあるのじゃ。造船業は怪我が多い仕事で、船大工は血が滲んでもわかり難いよう赤や黒の包帯を巻いて作業するそうじゃの」
「成程。ラシルさんの言う通りだとしたら、それを巻いているパールさんを関係者だと船自身が認識してるのかもしれませんね」
ユグドとラシルのやり取りに説得力を感じたのか――――パールは次第に表情を崩し、その場でさめざめと泣き始めた。
呪われた姫君。
彼女が生まれながらにそう言われ続けてきたのは想像に難くない。
忌み子などという理不尽な人生から解放されたことで、彼女がどれほど救われるか。
「やれやれ。決闘前にシュッと湿っぽくなっちまったゼ」
そう呟きながらも、ノーヴェは操舵室の壁に寄りかかり、優しげな眼差しでパールを眺めていた。
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