相変わらず月も見えない、つれない夜空の下、闇船スキーズブラズニルは海の上へと浮上する。
驚いたことに、甲板は全く濡れていない。
潜水の際に何らかの膜で覆っているのか、それとも一瞬で海水が消え去ったのか――――中にいたユグド達にはわからない。
「この事実一つをとっても、22の遺産の価値がわかる。この技術は到底、放置する訳にはいかないゼ。世界の均衡がシュッと崩れちまう」
「ほう。ならば……妾と闘いたいというのも、その均衡とやらを守るためじゃな?」
甲板上で対峙し合うノーヴェとラシル。
共に自分の得物を手に、しばらく語り合っている。
ユグドとパールはその様子を船内への扉の傍で眺めていた。
「さてな。ところで龍騎士さんよ、一つ賭けをしないか?」
「既にしておろう。貴様が負けて、この船をパールちゃんに譲るという」
パールちゃんという呼び名に引っかかるものがありつつも、ノーヴェはチッチッチ、と舌を鳴らし人差し指を左右に振った。
「あれはあくまで、俺様とユグドの賭けだゼ。お前さんと賭けたいのは、お互いの武器さ」
「……ほう。やはり目当てはゲイ・ボルグか」
予想していたことなのか、ラシルは特に驚きもせず微笑など浮かべている。
尤も、その裏にかなりの怒りが潜んでいることをユグドは遠巻きに見抜いていた。
「正直なところ、それが22の遺産の一つなのかどうか、俺様はシュッと図りかねててな。曖昧な段階で皇帝の権力を行使して強制的に没収するのは、どうにもスタイリッシュじゃない」
「確信があれば、没収するつもりなのじゃな?」
「当然そうするゼ。俺様は帝国に縛られちゃいないが、利用できるものはシュッと利用する覚悟がある。カッコつけても22の遺産は回収できないからな」
そう言い放ち、ノーヴェは愛剣をかざした。
明らかに、通常の騎士剣とは異なる形状。
剣身の幅が広く厚みもあり、光沢を帯びた紋様が刻まれている。
両手で使用する大きさだが、ノーヴェは片手で易々と操ることができるようだ。
「王剣アロンダイト。確か、斬れば斬るほど肥大化、強化する覇王の剣じゃったか。22の遺産の一つじゃの」
「御名答。もし遺産同士での決闘なら、この上なくスタイリッシュな闘いだゼ」
「どうだかの」
脱力した様子で、ラシルはゲイ・ボルグの穂先をノーヴェに向けた。
すなわち――――
「賭けは成立、ってことでいいんだな?」
「その剣ならば、妾の愛槍にかろうじて釣り合っていると判断しようぞ」
「スタイリッシュ! 残る興味は……お前さんの強さだけだゼ――――」
交渉成立と同時に、闘いの火蓋は切って落とされた。
先に動いたのは、ラシル。
「存分に見せてやるのじゃ」
一瞬でノーヴェとの距離を潰し、ゲイ・ボルグでその喉を貫く――――
「むっ」
――――算段だったが、皮一枚のところでノーヴェが身体を捻り、回避。
微かに触れた血管から血飛沫が舞う。
「おいおい、俺様が避けきれない攻撃なんて久々だゼ」
そんな言葉が漏れるのは、まだ余裕がある証拠。
ノーヴェは捻った勢いを利用し、左脚で回し蹴りを試みた。
攻撃態勢のままのラシルに躱す術はない――――
「ノロいの」
――――そう確信して頭部を狙った蹴りが空を切る。
ラシルはギリギリのところでしゃがみ、あっさりと回避した。
「そうかい?」
しかし、その蹴りはフェイク。
ラシルの左肩の真上でピタリと止まり、そのまま踵を落とす!
「うむ。やはりノロマじゃ」
それでも、ラシルには当たらない。
一瞬で真後ろに飛び、目標を失ったノーヴェの左脚はそのまま床へと叩き付けられる。
ただし、地団駄を踏む程度の緩やかな速度で。
最初から、避けられるのを覚悟しての攻撃だった。
「龍騎士ってのは空中戦が得意だとばかり思ってたが……随分地上でもシュッとしてるじゃないか。陸地好きの龍騎士か?」
「そういう貴様こそ、帝国のお高い椅子の上でふんぞり返っているだけあって、足癖が悪いの。教育がなっておらん」
お互いに笑い合い、得物を握る手に力が籠もる。
次に動いたのは――――ノーヴェ。
剣を担ぎ、そのままの体勢でラシルへ向かって一直線。
「ふんぞり変えるってのは……こうかい?」
その途中、剣を担いだ右腕を極限まで背中の方に反らし、弓形の状態で――――跳んだ。
「フン。そんな大振り、誰が……」
呆れた様子でラシルは剣の届かない後方まで跳び、ノーヴェの着地に合わせるように突きの構えを取る。
だが、そんなラシルの行動を完全無視し、ノーヴェは全身全霊を込め剣を振った。
「……うぬっ」
その瞬間、剣圧が風となり、ラシルを襲う。
突如発生した風の塊はラシルの両目を強く刺激し、ラシルは反射的に瞼を落とした。
一瞬、視界が閉ざされる。
「ノロマにはノロマのやり方があるんだゼ?」
その一瞬で、ノーヴェはラシルの傍まで距離を詰め、且つ既に剣を振り下ろしていた。
刺激を受けた眼球が涙で覆われ、視界の回復が遅れたラシルは――――
「今のは中々面白かったのじゃ。褒めてつかわす!」
自身の身に迫る王剣アロンダイトを無視し、ためらいなくゲイ・ボルグで突きを放つ!
「……!」
一瞬、ラシルの右腕はこの世から消え失せた。
それほどの速度。
しかしノーヴェは危機を感じるどころか、歓喜の表情で剣をそのまま振り下ろした!
結果――――
「ぐっ……!」
「むうっ……!」
アロンダイトの柄とゲイ・ボルグの穂先が衝突。
両者はその衝撃によって後方へ弾かれ、背中から甲板の床板へ倒れ込んだ。
「スタイリッシュな突きかましてきやがるゼ……」
「貴様こそ、よくぞ防いだ。ノロマは取り消そうぞ」
そして双方とも笑みを浮かべ、同時に立ち上がる。
戦闘狂――――そんな言葉が何より似合っていた。
「……先日の海賊の襲撃、パールさんが扇動したんですか?」
ラシルとノーヴェが歓喜に満ちた顔で闘いを繰り広げるなか、ユグドは欠伸をしながらパールへと問う。
突然の質問に驚きながらも、パールは控えめに頷いた。
「海賊に襲われれば、武器万博は中止になると思ったんです。そうなれば、この、この、このスキーズブラズニルから人払いができると」
「俺たちが海賊相手に全滅しちゃったら、そうはならないですよね。トゥエンティが元海賊で、ヤツらの仲間だったって知ってたんですね?」
ユグドの当然といえば当然の指摘に、パールは先程と同じように頷く。
ユグドは思わず天を仰いだ。
「なんで俺たちが知らない仲間の素性を、一国の王女が知ってるんですかね……」
「それは、それは、それは……今回の作戦のために国内外を問わずくまなく調査したんです。私、必死だったですから」
「ああ、やっぱりそういうことですか」
ユグドは一人で勝手に納得し、天を仰いだまま眉間を親指で抑えた。
やっぱり――――というのは、『やっぱり今回の仕事を得られたのはパールのおかげだった』ということ。
トゥエンティの素性を知ったパールが、海賊たちとトゥエンティを鉢合わせにするため、アクシス・ムンディを抜擢するよう武器万博の主催者に通告したようだ。
そうすれば、現実にそうなったように、流れる血の量は最小限で済む。
パールなりに被害をなるべく出さないよう尽力した証だったが、その結果ユグドは自力での成功でないにも拘わらず、会心の交渉だったとご満悦するハメになった。
アクシス・ムンディの知名度も全く向上せず、結論としては『黒歴史』となる。
「……」
黒歴史が確定したことで、ユグドは完全に気持ちを切らした。
フラフラとした足取りで船尾の方へ向かい、右手親指と人差し指を口に含み、口笛を鳴らす。
その頭上ではラシルの愛龍リュートが翼を羽ばたかせ、ホバリングしていた。
「リュートさーん。俺を陸地まで連れてって下さーい」
「え、え、え!? ユグド様、もしかしてお帰りに!?」
何故かユグドを様付けしつつ、パールは狼狽えながらパタパタ走ってきた。
ユグドはグルリと首を回し、死んだ目でカクンと頷く。
「俺がここにいても、もう何の意味もないですから」
「そ、そ、そういう問題でしょうか……? と、と、とにかく貴方がお帰りになるのは色々ダメなのでは……」
「この船を浮上して貰った時点で、交渉は終了。俺の役目は終わりです。闘いとか興味ないですし。あなたはラシルさんを応援してあげて下さい。彼女が勝たないことには、この船あなたの物になりませんから」
「それはそうですけど……え、え、え、あの、あの、あの」
混乱するパールを尻目に、リュートはゆっくりとユグドの傍に降りてくる。
どうやら意思の疎通が出来ているらしい。
しかしそれに喜ぶより何より、ユグドは実りのない仕事と数日前の自分の浮かれっぷりをひたすら後悔し、落ち込んだままリュートの背中に乗った。
「本当に、本当に、本当にお帰りになられるんでしょうか……?」
「パールさん」
「は、はい。あの、あの、あの、思い直して頂けたの……」
「海賊をけしかけた貴女の行動自体は責めませんけど、それはそれとして、慰謝料、迷惑料、弁償金、見舞金、示談金、和解金はしっかり請求しますんで。国家予算で足りなかったら、この船売ってでもお金作っておいて下さい」
「……へっ?」
余りに突然の宣告に、パールが目を丸くしたまま固まる。
だがそれに構うことなく、リュートはユグドだけを乗せ、暗澹とした大空へと舞った。
「……嘘、嘘、嘘……うそーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?」
はじめて四度繰り返したパールの絶叫と、22の遺産同士がぶつかり合う鋭い音が響きわたるなか、美しき翼龍と巨大な船はみるみる内に離ればなれとなっていった――――
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