三日後――――ルンメニゲ大陸上空。
「それにしても、無謀な訴えじゃのう。団員10名の護衛団に1,000人分の武具を買えというのは、ふっかけるにしても余りに非現実的じゃろうに」
ラシルがそう呟いたところで、ユグドの身体を再び強風が覆う。
リュートの背中の上で行われていた回想は、いつの間にか後方へ吹き飛んでいた。
現在地は不明。
地上とは違い、看板もなければ目印となる建物もない。
下を見れば地形くらいはわかるだろうが、そのようなリスクを冒してまで現在地を知るメリットを見出せず、ユグドは引き続きラシルの背中を眺めていた。
「ええ、非現実的です。当然それがわかってての請求です。要はオレに泣きついて欲しいんですよ。『すいません、あの時は態度が悪かったです。もう二度と貴方様に不快な思いをさせるような言動はしませんから、どうか注文数を抑えて下さい』って」
「……恐らくその通りなのだろう。ゲルミル=ゴーインという男、以前から良き噂は聞かぬ」
古株故にユグド以上にご近所の噂をよく知るクワトロも、ユグドの意見を支持した。
「ふーむ。ならば散々コケにした上で適正な人数分に減らし、『それなら……』という気にさせて買わせる寸法なのじゃな?」
「まさか。恐らく最終的には100人分程度まで落として、それでも無理とオレが言えば、知り合いの貸金業者を紹介するつもりなんでしょう」
そうすれば仲介料も手に入れられるし、紹介力も誇示出来る。
一定の立場と権力を手に入れた人間がよく行う、とても易しい錬金術だ。
「なので当然、あんなブタクチビルに泣きつく選択肢は最初からありません。当然、買い取る選択肢もなし。別の対抗手段を講じる必要があります」
「その手段を得るべく、マニセへと向かっているのじゃな」
マニシェの発音は兎も角として――――内容そのものは正しいラシルの言葉にコクリと頷きながら、ユグドは三日前にチトルへと行った解説を頭の中で反芻した。
職人国家マニシェ。
ルンメニゲ大陸の最西端に位置するその地は遥か古来より、様々な職種の職人が集う事で知られている。
特に有名なのは、鍛冶師。
ルンメニゲ大陸に流通する全武具の三割程度がマニシェで製造された武具だと言われている。
一方、中立国家であるマニャンは武具の流通をかなり制限しており、鍛冶師が一年に使用する金属の量までも限度を設けている。
なので、マニャン産の武器というのは極めて少なく、その殆どは完全生産限定品。
余剰在庫となるケースはまずない。
また、帝国ヴィエルコウッド、要塞国家ロクヴェンツ、侵略国家エッフェンベルグといった軍事国家は他国への武具の輸出をかなり抑えている。
他国の戦力増強に貢献する事になりかねないからだ。
こういった理由から、ゲルミルの取引相手がマニシェに搾られる事は想像に難くない。
ただし、複数の国で作られた武具を押しつけられていた可能性もあり、その場合は取引相手が行商や隊商であるケースも想定される。
なのでユグドは『全て同じ国で作られた』と判明した時点で、マニシェ産だと確信した。
――――と、これを100字以内で説明するのは極めて困難だった為、最終的には補足が本筋の十倍ほどになってしまったのだが、それはまた別の話。
「〈ゴーイン〉の周辺を調べてみたんですけど、どうやら外国からの輸入品を取り扱う貿易協会と懇意にしてるみたいなんですよね。となると、考えられるストーリーは『その貿易協会が卸した武具を強引にマニャン保全連盟の会員に購入させ、仲介手数料をせしめている』といったところです」
「うーむ……実にわかり易い悪徳商社じゃな」
「とはいえ、その悪が経済の一端を担うのも世界の実状なんですよね」
綺麗な金だけで世の中が回れば、さぞかしキラキラした世界なのだろう。
だが空でさえ時に曇り、紺碧や星のきらめきを隠すのが常。
綺麗なだけの景色など、この世には存在しない。
「ならば今度こそ正解じゃな。そのクズ共が仲良くしているというキナ臭い貿易協会を叩くのじゃな? よかろう、妾の槍のサビにしてくれよう」
ラシルの愛用する龍槍ゲイ・ボルグの装飾がキラリと光る。
「いや、違いますよ? それを実行するには証拠集めから始めないといけないですから。そんなチマチマした事やってる余裕はないです」
ゲルミルから送られてきた注文書には、支払い期限は一ヶ月以内と記されていた。
もしそれを破れば、保連から脱退させると。
立派な脅迫状であり、法的根拠はない。
とはいえ、アクシス・ムンディは決して大きな団体ではないし、国内外における影響力もまだまだ弱い。
ゲルミルが全力で潰しにくれば、保連から切り捨てられる恐れもある。
よって、最もアクシス・ムンディが傷付かずに済む方法は――――期間内にゲルミル本人に注文を撤回させる事。
だが、単に違法行為であるという指摘では無意味。
ゲルミルに対抗出来る後ろ盾が必要だ。
ユグドは一応、その候補者に数名ほど心当たりがある。
例えば、帝国ヴィエルコウッドの若き皇帝ノーヴェ=シーザー。
或いは美術国家ローバの王女でアクシス・ムンディの一員、フェム=リンセス。
商人国家シーマンの女王、エメラ=チャロアイトとその娘パールとも知り合いだ。
だが、もしゲルミルが『他国の王族から商売を邪魔された』とマニャン政府に訴えれば、国際問題に発展しかねない。
他国間交流に敏感な中立国家であれば尚更だ。
よって、王族の力を借りる訳にはいかない。
そこでユグドが目を付けたのは――――
「マニシェにある工匠ギルドの本部に向かいます」
工匠ギルド。
石工、大工、鍛冶師など、材料を加工し物を生み出す職業全般のギルドだ。
傭兵ギルドや魔術士ギルド同様、特定の職種による協同組合の一つであり、職人がギルド員の大半を占める性質上、ギルドで最も『お堅い』事でも知られている。
また、他のギルドと違い、固有名を持たない事でも知られている。
工匠ギルドは世界各国にあるが、その全てが『工匠ギルド本部』と『工匠ギルド支部』であり、同系列の組織。
他のギルドは皆、それぞれに枝分かれし、違う理念と志の元に異なる看板を掲げ派生してきた歴史を持つが、工匠ギルドだけは未だに一枚岩であり続けている。
これもまた、職人気質故の事と言われている。
よって、単一のギルドとしては間違いなく世界最大規模。
その本部が、職人国家マニシェにある。
「工匠ギルドの本丸なら、自国で生産している武具が無駄になるような取り扱いを受けていると知れば、何かしらの対応をしてくれるかもしれません」
10人しかいない護衛団に、1,000人分の武具を購入するよう迫る行為は、その大半の武具を倉庫に眠らせるのを前提としたやり口。
それでも売れればいい、儲かればいいという姿勢ならば打つ手はないが、工匠ギルドならば或いは――――とユグドは期待していた。
「ふむ、武器屋の倅らしい発想なのじゃ。鍛冶師と接する機会も少なからずあったのじゃな?」
「ええ。鍛冶師ってみんなツンデレなんで、根気よく付き合えば大抵親しくして貰えるんです」
「……それは違うと思うのじゃが」
武具を生成する過程は、しばしば儀式に例えられる。
金属や革に魂を込め、情熱を注ぎ、そして命を吹きかける。
常に炎と向き合う鍛冶師の多くは目を痛め、手を痛め、その人生の大半を鍛冶場に捧げる為、文字通り命懸けの作業だ。
だからこそ、武器屋、防具屋は商品に対し常に敬意を忘れない。
実際に使用する戦士、騎士もまた同様だ。
そして、その想いに応えるべく、職人達はあくる日もあくる日も槌を振りかざし、火花を散らせる。
よって、職人の魂への敬意を忘れた人間は武具を扱う資格なし――――そんな価値観が鍛冶師側にも芽生えている。
ユグドはそう睨んでいた。
「それはそうと、今回の件にあのオナゴは関わっとらんのか?」
「あのオナゴ?」
「ドラゴンキラーを装備しておる、物騒なオナゴの事じゃ。名前は確か……ノワじゃったか?」
「……」
「なんじゃその『500年も生きていれば物忘れが激しくなるのも仕方ない、下手に正解を言って刺激するより温かい目で頷いておこう』という顔は!」
「そんなバカな。これが温かい目に見えますか?」
「よりによって否定するのはそこかっ!? おのれユグドめ、最近大人しくしておると思えば突然毒を吐きおって! リュートの餌にしてくれるわ!」
当のリュートは背中で暴れられて迷惑そうだった。
尚、揉め事は五分で収まった。
「……ともあれ、今回ノア殿は不参加であるな。そもそも、ロクヴェンツ遠征より帰還後は顔を見せておらぬ故」
「おお、そうじゃ。ノアじゃったな。ノアノアノアノア……うむ、覚えた」
クワトロから正解を得たラシルは何度も復唱し、納得した様子でようやく槍と怒りを収めた。
「それで、ノア嬢は何故顔を見せておらぬのじゃ。心当たりはあるのか?」
「えらくノアさんを気にしてますね。そんなに親しかったですか?」
「何。以前、リュートの背中の上で貴様を挟んで会話をした事があったじゃろう? あの時の事をふと思い出しただけの事じゃ」
それは、六つの依頼を同時に抱えるというアクシス・ムンディにとって珍事としか言いようのない時期に起こった、小さな修羅場。
尤も、ユグドは修羅場と認識した訳ではないが。
「あのオナゴが貴様から離れたのであれば、実に正しい選択をしたと一言褒めてやらねばと思うのじゃが。そこのところはどうなのじゃ?」
「さあ……彼女の場合、22の遺産っていう目的がありますからね。オレ達の近くにいても遺産が手に入りそうにないとわかれば、自然と離れて行くんじゃないですか?」
それだけではない。
彼女は路銀を稼ぐ為にマニャンに留まっていた。
なので、ロクヴェンツ遠征で十分な報酬を得た時点でマニャンに留まる必要はなくなったのかもしれない。
「ふむ。ユグドはそれでいいのじゃな?」
「いいも悪いも、彼女の人生ですから。オレがどうこう言う権利はないでしょ。ま、彼女があの武器の山を見たら、また遺産があーだこーだと大騒ぎしてたでしょうから、その点では少し物足りなかったというか……」
一抹の寂しさを覚えている自分がいる。
ユグドは口にこそ出さなかったが、そう自覚していた。
そんなユグドの複雑な表情に、ラシルは何処か物憂げな顔をして視線を逸らす。
微妙な空気が風の流れを無視して漂う中――――
「ところでユグドよ。何故我を同行者に選んだのか、教えて貰ってもよいか?」
話題を変えるべく、クワトロが問う。
その言葉通り、マニシェへ向かうのはユグドとラシル以外ではクワトロ一人。
今回の遠征はあくまで交渉が主なので、武力は然程必要ではない。
それでもクワトロを選んだ理由は――――
「クワトロさんなら、職人の方々と話が合うんじゃないかと。性格的にも、職業的にも。マニシェ語だって話せるでしょ?」
「む……何故それを?」
「武器に詳しい人は大抵、マニシェ語は話せますからね。殆どの傭兵がメンディエタ語を話せるのと同じですし、そもそもこの二つの言語はかなり近い。確か、かつては一つの同じ国だった筈ですから、その関係でしょう」
職人国家マニシェの東に隣接する傭兵国家メンディエタは、世界各国に傭兵団を派遣している。
また、元傭兵の肩書きで用心棒を請け負う個人事業者も少なくない。
その為、戦場に身を置く者の多くが、何らかの形でメンディエタ語を耳にする。
それと同じように、多くの鍛冶師が話すマニシェ語もまた、戦士にとっては馴染みのある言葉の一つだ。
更にリュートの背中に乗れるのは三人まで、というラシルの意見もあり、ユグドは今回の出張にクワトロのみを指名した。
「ま、そうはいっても今回の件はオレの仕事ですから。クワトロさんは観光気分でのんびりしていて下さい。ロクヴェンツへの出張の時にはかなり無理をさせてしまいましたし」
実のところ、その慰安の意味も込めていた。
「ほう、中々男気を見せるではないか。ならば妾も余計な事はせず、見守るとしようぞ」
「いや、ラシルさんは手伝って下さいよ。貴女もマニシェ語話せますよね?」
「無論、この妾に習得出来ぬ言語など存在せん。龍騎士たるもの、あらゆる国へ馳せ参じる責務があるのでな。才色兼備とは妾の為にある言葉じゃ」
「そりゃ、500年も生きてれば……」
「年齢の事を口に出すでないわ! 突き落とすぞ貴様!」
割と本気で殺気を放ったラシルに怯えつつも、ユグドは苦笑を漏らした。
その後ろでクワトロもこっそり顔を綻ばせる。
「ではユグドよ。ヌシの交渉士としての腕、とくと見せて貰うとしよう」
「ええ。久々の見せ場ですから、キッチリやりますよ。リーダーみたくグダグダにならないよう」
リュートが微かに高度を下げ、視界が傾く。
そこに収まる景色は既に、職人国家マニシェの一部だった。
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