「この場所にあった物、って訳じゃなさそうですね。琥珀色でもないし」
「ご名答だゼ。こいつは水晶で作られた匙、その名も【水晶匙ザストゥン】。俺様が所持する22の遺産の一つで、遺産管理の為の遺産と言われているシロモノだゼ」
遺産管理の為の遺産――――ノーヴェは虚空を掬うようにその匙を掲げる。
「近くに22の遺産があれば、この匙が見ての通りシュッと半透明になる。普段は白いんだゼ」
占いの道具に使用される事も多いように、水晶は神秘の力が宿っていると言われている。
そこにドラウプニル教団の呪いが加わったとなれば、そういった不可思議な変化が起こる事自体は驚きには値しない。
ただ、ユグドには一つ解せない事があった。
「前にラシルさんのゲイ・ボルグが22の遺産かどうかわからない、って言ってませんでした?」
「あの槍にひっついてやがるカーバンクルが原因だゼ。あれは宝石の潜在力を引き出す力があって、この水晶がスタイリッシュな反応を示しちまうんだ」
「……具体的には?」
「あの槍の近くにいると、紫色に変色しちまう」
つまり、通常の判定が不可能な状態にされてしまうらしい。
水晶も宝石と見なされ、心ならずも力が引き出されてしまうという訳だ。
「そんな訳で、ここに他の22の遺産があるのは確実だ。"お前さんとここに来る以前"から、透明化するのはシュッと確認してある」
「この空間の中に、遺産が隠されてるって訳ですか」
「そういうこったゼ。だが徹夜で探してみたが、何にも見つかりやしなかった。少なくとも、今この場で目に見えてる物は全て22の遺産じゃなかったゼ」
肩を竦めるノーヴェには、何処か疲労感が滲んでいる。
この琥珀の間は決して広大な空間ではなく、例え一人であっても一日あれば隅々まで探索可能。
それでも見つからないとなると、隠し部屋や仕掛けがある可能性も考慮しなければならない。
「だが、ここに22の遺産がある事は確実だゼ。そこでお前さんにスタイリッシュな質問だ。この琥珀の間と22の遺産、関連性はあると思うか?」
「普通に考えれば、遺産を隠す為に作ったと考えるのが妥当ですね」
「木を隠すには森……って訳か」
つまり、琥珀、若しくは琥珀色の遺産という事だ。
けれどその程度の擬態で見つけられない筈はなく、隠すにしても余りに幼稚な方法。
事実、ノーヴェがどれだけ探しても遺産を見つけられない事が、その可能性を否定している。
「でも、それならさっさと捜し物を見つける専門家に依頼するのが確実かつ唯一の方法ですよね」
「ああ。本来ならシュッとそうするところだ」
つまり、それが出来ない事情がある。
皇帝という立場にありながら、捜し物に苦労しなければならない理由が。
「ついでに、帝国の皇帝が中立国家の護衛団所属のオレに依頼する理由も知りたいですね。それも普通に考えたらあり得ない事ですし」
「いいゼ、シュッと答えてやる。お前さんなら、この一つのヒントだけでわかるだろうゼ」
戦闘力だけでなく洞察力にも長けているノーヴェは、ユグドが具体的に質問する前に、先回りして返答を寄越した。
「ここはな、『トリアンゴロ山脈』って所だ」
トリアンゴロ山脈――――その地名にユグドは心当たりがあった。
帝国ヴィエルコウッド、音楽国家ホッファー、迷宮国家シェスターク。
その三国を隔てる為の国境として選ばれた場所だ。
国境は当然、隣接する国家間同士の話し合いによって定められるが、基本的には侵攻し辛い地形の場所が好まれる。
また、領土面積は少しでも広い方が好ましいが、資源が関与しない区域においてはその限りではない。
このトリアンゴロ山脈は調査の結果、価値のある鉱石や地下資源が"全く"採掘されない事で知られており、地形も申し分なく、それなら国境としてその山々を利用しよう、という事になり、それぞれの国家が納得する形で国境として制定した――――と言われている。
実際、要塞国家ロクヴェンツと侵略国家エッフェンベルグとの国境のような、要塞に近い壁を設置するとなると、相当な費用が必要となる。
ただし、そういった防壁を作らないとなると、今度は安全面の不安がどうしても出てくる。
ならば自然の地形を利用しようと考えるのは妥当な判断だ。
そのような事情もあり、トリアンゴロ山脈は三つの国家を隔てる国境として制定されている。
当事国では言うまでもなく、それ以外の国においても有名なスポットだ。
「……もしかして、所有権の問題ですか?」
「スタイリッシュ。話が早くて済むのはお前さんの美点だゼ」
褒められたものの、ユグドはそれより自分が関わろうとしている問題の根深さに辟易し、思わず顔を手で覆った。
「この【水晶匙ザストゥン】が俺様の手元にある限り、偽物を掴まされる心配はないゼ。でもな、幾ら本物を見分けられても、手を出せない場所にあるんじゃスタイリッシュ」
「要するに、お手上げだと」
「明らかに、俺様から遺産を護る為の隠し場所だと思うだろ?」
否定する理由はなく、ユグドは即座に頷いた。
このような、侵入すら容易ではない山々の隧道の奥に物を隠す動機など、ここが『トリアンゴロ山脈』である事以外に理由付けは存在し得ない。
何故ならこの場所は、帝国ヴィエルコウッドを含む国境沿いの三国にとって非常に厄介な領域だからだ。
例えば、この場所に『財宝』が眠っていたとする。
その場合、財宝はどの国が所有権を持つのか。
答えはどの国の法律にもない。
ルンメニゲ大陸を律するルンメニゲ法にのみ、答えは掲載されている。
所有権は――――両国に等しく存在する。
それが答えだ。
よって、この場所に隠された22の遺産もまた、帝国ヴィエルコウッドの物であり、音楽国家ホッファーの物であり、迷宮国家シェスタークの物でもある。
特定の国が強く所有権を主張する事は許されていない。
つまり、一方的に保持する、いずれの国の所有物とする、といった主張はルンメニゲ法に反する違法行為だ。
世界各国のお宝の発見、未踏の地の探索を目的として生まれた冒険者ギルドの所属者のみ、例外的に入手が認められているが、それ以外の人物はおいそれと手にする事は出来ない。
その冒険者も、手に入れた物は直ぐには自分の物に出来ず、一度ギルド預かりとなるのだが。
「ここにある限り、帝国の皇帝である貴方が自分の所有物とする事は違法。それどころか、調査する事自体が悪。専門家に調査を依頼した時点でよからぬ目論見と見なされ国際問題……そんなところですか」
「中々、考えてやがるゼ。誰の仕業かは知らないがな。カッカッカ」
明らかに厄介な状況にも拘わらず、ノーヴェは笑う。
逆境を楽しんでいるのか、或いは隠した人間に心当たりがあるのか――――ユグドは然程興味もなかった為、質問は控えた。
「22の遺産は有形文化財だゼ。他国の所有権を含有する有形文化財を独り占めすれば、そいつはシュッと重罪だ。皇帝が実刑食らうなんて末代までの恥だゼ」
実際には、周囲が意地でもそのような事にはならないよう手配するだろうが、ノーヴェは割と真面目な眼で虚空を眺める。
どうやら、楽しんでいるだけではないらしい。
「つまり、この状況は貴方を陥れる為の罠……?」
所有権の共有という環境を利用してこの場に22の遺産を保管しているのなら、隠す必要はない。
よって、カムフラージュ用にこんな琥珀色の部屋をわざわざこしらえる理由もない。
そもそも、それ以前の問題として、坑道入り口からこの部屋に至るまでの琥珀色の光は、寧ろ『見つけてくれ』と言わんばかりだ。
それを何者かが意図的に用意しているのなら、敢えて国境巡査隊に発見して貰い、皇帝の耳に入れる事を狙っていると推察出来る。
「それが妥当だろうゼ。俺様にはどうも監視が付いてやがるようだから、証拠を押さえる自信もシュッとあるんだろうさ」
あの急なドラゴンの登場も、人気のない場所への唐突な移動も、その監視を考慮しての行動だったらしい。
そこまでノーヴェが神経を使っている以上、罠の可能性は非常に高い――――ユグドはそう判断した。
もしノーヴェが何らかの手段で強引にこの『琥珀の間』に隠された遺産を手に入れたとする。
その行動を監視していた人物が、ホッファーとシェスタークに『帝国が貴方たちも所有権を持つ筈の遺産を独り占めした』と訴えれば、国際問題になる事は必至だ。
偶々落ちてあった物を拾ったのならまだしも、隠してあった物を調査して発見したとなれば、言い逃れは難しい。
皇帝とはいえ、ルンメニゲ法を犯せば強い批判は免れない。
ましてノーヴェはルンメニゲ連合でも重要な立場に就いている。
蹴落としたいと考えている人間は恐らく一人や二人ではない。
そこまで見越して、罠を張ったと考えるべきだろう。
「ま、そういう訳なんで、色々と厄介な状況だ。ちっとばかし知恵を貸してくれや」
「……いや、その手の解決法は帝国の有識者に聞いてくださいよ。いるでしょ? 有識者。王宮の内外問わず幾らでも」
「生憎、今回の件に首を突っ込んでるのは俺様とお前さんの二人だけだゼ。巡査隊の連中もこの部屋がある事までは知ってるが、遺産絡みだとは知らせていない」
「は……?」
ノーヴェの述懐は異常だった。
自分の周囲に信用出来る人間がいないと言っているのも同然だ。
確かに敵が多い役職だろう。
だが、信じられる者が近くに一人もいないというのは、独裁者でもない限りあり得ない。
そしてノーヴェがそのような人物ではない事を、ユグドはよく知っている。
自信家ではあっても、自分一人で国を動かせるといった甘い考えは持っていない。
なら――――
「内通者か何か、その手の存在が身内の中にいると?」
「スタイリッシュ」
正解、という事らしい。
「俺様が22の遺産を探してるのは公然の事実だが、この【水晶匙ザストゥン】の所持を知ってる奴は俺様の身の回りにしかいない。だが、今回のこの罠は『22の遺産がここにあると察知出来る能力』を俺様が持っている事が大前提だ。つまり――――」
「貴方の周囲の誰かが、情報を漏らしている」
「ま、そういうこったゼ」
そう言いながら、ノーヴェの表情はやはり笑みを含んでいる。
そしてユグドは、その顔から彼の現状を悟った。
「相当参ってますね」
苦しい時にこそ笑い、己を奮い立たせる。
そういう責任感を持っている人物だけに、想像以上に悲観すべき現状なのだと。
「参っちゃいないが、疲れてるのは事実だゼ。皇帝ってのは休憩時間が一秒もないからな。寝入る瞬間まで野望と睨めっこだゼ、カッカッカ」
口調は軽いが、ノーヴェのそれはある種の弱音でもあった。
ますますユグドは疑念を膨らます。
確かに友人ではあるのだろう。
気の置けない間柄と言えば、そうかもしれない。
しかし――――頼り頼られる関係ではなかった筈だ
少なくとも、役職に関して深入りするような立場では決してない。
「実のところ、ちーっとばかし苦労しててな。手助けして貰えないか打診したくて、お前さんにここまでスタイリッシュに話したってワケだゼ」
そのノーヴェが、明確に助力を求めてきた。
それは余りに不可解な行動と言わざるを得なかった。
「……幾ら四面楚歌で疑心暗鬼の状況だとしても、手を借りる相手を間違えてますよ。オレは護衛組織で交渉士をやってるだけの一般人ですよ? 他にいるでしょ、皇帝のツテを使えば幾らでも有能な人材は」
「こと22の遺産に関しては、そうでもないゼ。お前さんは結構、深い所にまでシュッと足を突っ込んでるだろ?」
「それはそうですけど……最近関わったのは【幻笛ギャラルホルン】でしたっけ、あれくらいですよ。その笛も実物は結局見かけませんでしたから、どんな形してるのかも知りません」
魔曲を奏でるという22の遺産。
もしそれがあれば、魔曲の効果によって複数の人間に対し混乱や体調不良、幻覚や幻聴などを引き起こす事が出来るという。
そんな、幻笛ギャラルホルンをはじめ、ユグドは確かにこれまで遺産に関わった案件を幾つかこなしてきた。
その経験上、22の遺産に関する造詣も多少は備わっている。
加えて旧知の仲であるユグドをノーヴェが頼る理由は十分にあると言える。
「……わかりましたよ。オレの他に友達がいない、って解釈で引き受ける事にします」
全てを了解し、ユグドは観念したように受理した。
友人が困っている。
なら助けよう。
それだけの事でいいのなら、これほど楽な事はない。
「スタイリッシュ。が、それはシュッと否定しておくゼ」
屈託のない笑みが、ユグドの視界を包む。
こうして――――ユグドは遺産収集の手伝いをする事になった。
【trick of emperor ; IMPROMPTU】