――――――――――――
  4月20日(金) 23:54
 ――――――――――――

 月がゴキゲンに輝く雄大な星空が一瞬、暗闇と化す。
 更に、次の瞬間、呼吸が出来なくなる。
 僕はその瞬間、本気で自分の死を懸念した。

 大げさなんて、言わないで欲しい。
 今、僕がいるのは、露天風呂の中。
 この時間に風呂に浸かってて、突然視界が暗くなって、尚且つ強制的に
 湯の中に顔を押し込まれるなんて、何か重大な事件にでも巻き込まれたか、
 自分の頭の上に流星でも落ちてきたんじゃないか、としか思えない。
 だけど、一瞬が過ぎれば、あっと言う間に種は明かされる。

「……いった〜い」

 それは、女の子の声。
 しかも、聞き覚えの全くない女声。
 僕の頭の直ぐ上から聞こえて来た。
 つまり――――彼女が、僕の視界を遮ったと言う事になる。
 けれど、それが物理的にあり得ない事も、同時に悟る。
 僕が眺めてたのは、空。
 ここは露天風呂だからね。

 で、視界が暗転したと言う事は、その女の子が真上から降ってきたか、
 背後から飛びかかって来たか、の二通りしかあり得ない。
 僕は今、だだっ広い露天風呂の中央にいる。
 そんな僕に、気付かれる事なく近付き、奇襲して来る見知らぬ女性――――
 くのいちでもない限り、あり得ない。
 よって、自然と答えは前者って事になる……けど、こっちだって現実にはあり得ない。
 空から、女の子が降ってくるなんて。

「ったくもう……だからイヤなのよ。なんで着地点が安定しないの? このテレポート」

 親切にも――――その女性は、独り言で補足説明をしてくれた。
 ご都合主義な展開は、今はさておき。

 テレポート……?

 そりゃ、テレポートで突然、僕の真上に現れたってんなら、この状況の説明としちゃ
 合理的なのかも知れない。
 でもな、テレポート自体が不合理なんだから、本末転倒だ。
 とは言え……この状況で、テレポート以外の答えを出すとなると、そっちの方が
 嘘臭いと言う現実も、ここにはある。

『見知らぬ女性が、深夜1時過ぎに突然、露天風呂に現れて、僕の気付かないように
 接近し、後ろから乗っかかって来て、非科学的な嘘を独白する』

 これこそ、あり得ない。
 テレポートの存在以上に。
 つまりは――――そう言う事になる。

「って……あれ?」

 そこで、女性は、ようやく気付く。
 自分が濡れている事。
 そこがお湯の溜まり場だって事。
 そして――――裸の男が真下にいる、って事に。
 
「……へ?」

 そんな間の抜けた声を合図に、僕は思いっきり顔を上げた。
 流石に息が持たない。

「へぶっ!」

 結果、僕の後頭部が女性のアゴにヒット。
 不可抗力とは言え、気の毒な事をした――――なんて思えはしない。
 殺されかけてたんだから。

「な、何すんのよ! いった〜っ!」

 目の中に入った湯と酸欠で、視界がチラチラする中、僕はようやく
 自分を襲撃(?)して来た女性の全体像を、視界に収める事が出来た。
 と言っても、湯気とか水滴の所為で、ハッキリとは見えない。
 恐らく、向こうも同じだろう。

「アンタねぇっ! 女の子のアゴを何だと思ってんのよ!」

 そんなぼやけた視界から、刺すような非難が飛んで来た。
 その意味する所も良くわからないけど、なによりこんな深夜に突然現れて、
 逆ギレする時点で、人として色々と残念な女子だった。
 ま……錯乱してるんだろう。
 何にしても――――

「ちょっと、聞いてんの!?」
「煩いなあ……」

 声を出さない事には、始まらない。
 僕は少し不機嫌さを演出すべく、務めて低い声を出した。
 その瞬間――――湯気が風によって吹き飛んで行く。
 神サマのイタズラなのか、何なのか。
 湯に肩まで浸かっているその女性は、ツインテールの濡れた髪を振り乱しながら、
 僕の方を睨み付けていた。
 気の強そうな表情とは裏腹に、迫力は微塵もない、そんな顔。
 その顔が、徐々に――――驚愕へと変わって行く。

「……おと、こ?」

 男。
 確かに、僕は男だ。
 ただ、それを驚かれる謂われはない。
 女顔って訳でもないんだから。
 でも……一つだけ、そう疑われる要素があるとすれば、それは身長。
 僕の背丈は160cmしかない。
 身体の線も細い。
 だから、湯気などでシルエットしか見えない状況で、彼女は僕を女と判断していた。
 
 でも、実際には男。
 ここは風呂なんだから、当然裸。 
 と、なれば――――

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 散々な目に遭うのは、必然だった。







 !!!








 ――――――――――――
  4月20日(金) 16:58
 ――――――――――――

 
 思い起こせば、この日は朝から受難続きだった。

 目覚めと同時に、耳の穴に名前も知らない虫が飛び込んで来たり。
 登校中に、血走った目の野良猫から頭突き喰らったり。
 昼休みに突然窓から鷲が入り込んで、昼食のメロンパンを強奪されたり。
 下校中、子供の集団に絡まれて、草野球の審判させられたり。

 けど、これらは『今日は不運な日ですよ』って言う、単なる前フリに過ぎなかった。
 本番は、家に帰ってから。

 と――――その回想をする前に、その家について語っとこう。
 僕の家は、温泉施設だったりする。
 この『共命町』という場所は、温泉街という訳じゃなく、観光名所がある訳でもない
 ごく普通の地区。
 だから、温泉施設となると結構珍しい。
 元々は、『共命温泉』と言う名前の老舗温泉宿だったんだけど、
 経営が上手く行かなかったらしく、破産寸前だった所を、ウチの両親が
 格安で買い取った。
 脱サラしてまで、この温泉施設を買取り、新調したのは、何でも
 その『共命温泉』が二人の出会いの場所だったから、らしい。
 とは言え、そのままの形で残しても、経営破綻は目に見えてる。
 そこで、新調。

「温泉宿はもう古い! 今の時代はスパ! スパリゾート施設だ!」

 ――――とは、僕の父親、有馬卓哉の言。
『共命温泉』は、スパリゾート施設『CSPA』へと生まれ変わった。

 ちなみに、『CSPA』は『Cosmopolitan SPALAND』の略。
 Cosmopolitan(コスモポリタン)ってのは、国籍や民族の枠を超えて、
 全世界を同一と見なす思想や人の事。
ONE FOR ALL , ALL FOR ONE』や『It's a small world』と同じようなモノだ。
 背景はでっかく、名前はクールでキャッチー。
 そう言う意図の元、近年のスパ施設よろしく、単なる温泉宿って訳じゃなく、
 ジェットバスやサウナ、リラクゼーションルーム、カラオケなどを設置し
 若者受けを目論んだ結果、大成功。
 一時は『共命町』の名物スポットと呼ばれるにまでになった。
 
 が、栄光は長くは続かない。
 時代が更に進み、割と近場に本格的な近代スパ施設が誕生すると、
 観光客はこぞって、そっちへと流れて行った。
 そう言う大手との差別化を図れれば良いんだけど、古くからの温泉宿っていう
 老舗の面影は既になく、中途半端に近代的なのが返ってマイナスになり、
 売り上げは激減。
 現在、スパリゾート施設『CSPA』は破産の危機にある。

 そんな中でも、なんとか一年、二年と持ちこたえてはいたんだけど――――

「……湯哉、大事な話がある」

 その日、相変わらず一人の客もいない夕日の差し込むロビーで、
 父は珍しく真剣なトーンの声を発した。
 いよいよか、と僕も身構える。
 あ、湯哉ってのは僕の名前です。
 高校に通いがてら、この『CSPA』の従業員の手伝いやってます。
 バイト雇う余裕もないから、一人息子たる僕が接客全般をこなしてるのです。
 
「何? 潰れるの?」
「うむ。潰れるかどうかと言われれば、着実にその方向へと進んでいる」

 父は威厳のある声で、情けない返答を寄越してきた。

「だが、大事な話とは、そう言う事ではない。お前の接客に関してだ」
「まさか説教する気? 賃金もなく、貴重な10代の放課後を潰して
 手伝いに勤しんでいる今時あり得ないくらいの親孝行息子を、説教するって言うの?」
「はっはっは、そんな訳ないだろう。だからそんなDVな目で見るな。
 近頃のキレやすい若者、超苦手だから、俺」

 別にそんなに凄んだ訳でもないが、父は怯えていた。
 ちなみに僕、空手やボクシングをやってる訳でもなけりゃ、不良って訳でもない。
 顔に至っては、ガッツリ童顔。
 凄んだところでタカが知れてる。

 それでも、ここまで怯えるのは――――ヘタレな父だから、と言う訳じゃない。
 単なる『予防線』。
 自分を卑下したり、情けなく見せたりして、相手を怒らせずにやり過ごす。
 息子に対しても。
 父は常に、そうやって生きている。
 そんな父に同情して、未だに人の良い近所の住人が、割と定期的に
 通ってくれているからこそ、ギリギリのところでこの施設は存続している。

 正直、複雑だ。
 父親のそんな情けなさ、狡猾さなんて見たくはない。
 でも、この施設が存続してなければ、僕がここまで取り敢えず食うに困らずに
 育つ事もなかった。
 ……複雑だ。

「で、大事な事って何」
「うむ。実はだな、お前の接客には重大な問題がある、と言う事が判明した」
「え……?」
 
 こう言っちゃなんだが、僕の接客は至ってまともだ。
 クレームなんて貰った事もない。
 問題があるとは思えない。
 
「お前の接客には、遊びがない!」

 ビシッ! と指を差す父の顔は、何故か半笑いだった。
 本気でイラッとする。

「……遊びって、何なんだよ」
「フッ、そんな事もわかっていないとはな……良いか、湯哉。ここへやってくる
 お客様は、何を目的にやって来ると思っている?」
「そりゃ……癒やし、だろ? スパなんて、それ以外ない」
「笑止千万! お前は何にもわかっていない! スパというモノを全くわかっていない!」

 サッパリとした顔のクセに、父はクワッと目を見開いて、熱血を演出していた。

「良く聞け息子。スパというのはな、温泉とは違うんだ。温泉とスパの
 決定的な違いは……」
「違いは?」
チャラさだッッッ!」

 父は、断言した。
 この世の全てのスパ施設に、ケンカを売るような言葉を。

「何故、スパが若者に受けたのか。理由は一つ。チャラいからだ。軽薄な装飾、
 何種類も用意された奇抜な温泉、気取ったレストランやエステ……
 どうだ、この上なくチャラいだろう。スパに来るお客様は皆、チャラさを
 体験する為に、訪れるんだ!」
「そんな偏った意見を断言するなよ……高級感とか上品さとか、そう言うのもあるだろ」
「それなら由緒ある温泉旅館を選ぶ。スパに来るお客様が求めているのは、そう言う事ではない。
『海外!』とか『横文字!』とか、そう言うモノにエクスタシーを感じる方が
 足を運ぶ施設なんだ。お前はそれを全く理解していない!」

 理解したくもない御高説を、僕は右から左へ聞き流し、持ち場へと戻った。
 
「コラ待て湯哉。話は終わっていないぞ。お前にはチャラさが足りない。
 圧倒的に足りない。まだ若いのに、無難な対応ばかりしおって。それでは
 スパの雰囲気が出ない、と言ってるんだ」
「そんな事ない。僕の接客はこれで良いんだよ。変なクレーム付けるな」
「ならば、これを見るが良い」
 
 ズイッと、父は僕の目の前に開いたノートを掲げて来た。
 それは、この施設を訪れたお客様が、スタッフに対して感想やリクエスト、
 或いは苦情を書く、いわゆる『目安箱』的なノート。
 僕は普段、それを見る事はない。
 特に必要性を感じていなかったから。
 そのノートには――――

『従業員の態度が事務的すぎる。雰囲気も微妙』
『若いスタッフの人、愛想悪すぎ』
『あのちっこいスタッフ、なんかモサい』

 等と言った、明らかに僕に対するクレームがビッシリと書かれていた。
 ……嘘だろ?
 って言うか、モサいって何なんだ……?
 怖い、なんか現実って怖い!

「ようやく現実を把握したようだな」
「ぐっ……こんな風に思われてたなんて……」

 確かに――――僕は正直、ここでの仕事に対して情熱を傾けてはいない。
 だって、仕方ないだろ?
 やりたくてやってる訳でもないし、お金も貰ってないし。
 正直、とっとと辞めたいくらいだ。
 現在、僕は高校二年生。
 来年には受験を控えている。
 そこで希望の大学に合格すれば、ここを出て行って、一人暮らしをする予定だ。
 
 僕は、一刻も早い自立を望んでいた。
 目標は、この街にある『はざま探偵事務所』。
 別に探偵になりたい訳じゃない。
 その生き様を見習いたいだけだ。
 この探偵事務所を仕切っているのは、高校生って噂。
 高校生で自立している人が、同じ街にいるって事に、刺激を受ける。

 親には感謝してるけど、いつまでも親の下で生きるのは、本意じゃない。
 まして、温泉施設の経営なんて全く興味がない。
 僕は僕の道を、自分で開拓したい。
 それが何処へ通じているのかは、未だにわからないけど。

「と言う訳で、お前にはこれから、もっとチャラい接客を心掛けて貰う。
 見本はホストだ。彼等を師と仰ぎ、精進するように」
「嫌だよ! 何でスパの接客でホストが見本なのさ!?」
「ホストを甘く見るなよ? 彼等の接客は超一流だ。あの、チャラさと献身性の
 融合は、最早芸術の域だ。それこそが、この『CSPA』に欠けているモノだと思い知れ」
 
 かっかっか、と謎の高笑いを残し、父は事務所へ引っ込んだ。
 ……別に、ホストを甘く見ちゃいないけど、目指すべきトコでもないだろうに。
  が、僕のそんな意思とは無関係に、その日の夜にはホストを主役とした
 ドキュメント映像DVDが、僕の部屋に積まれていた。

 自分の人生の中で、これ以上ないくらい無駄な時間を費やし――――
 この不幸な一日は終わる筈だった。
 けれど、世の中って割と甘くない。
 

 

 ――――――――――――
  4月20日(金) 23:58
 ――――――――――――

「……本当に、申し訳ありません」

 全身ズブ濡れの女子に、神妙な顔で謝られている今の僕は、
 間違いなく今日一の不幸に見舞われていた。
 不意に喰らったビンタと、長らく温泉に浸かっていた事で、僕の脳は震盪状態。
 幸い、辛うじて意識を繋いだ事で、大事には至らなかったけど。
 
「この子も、気が動転していたんです。どうか、寛大な心で……お願いします」
 
 そう深々と頭を下げるその女子は、さっき僕の頭上に突然訪れた女子――――
 じゃない。
 全く別の女子だ。
 
 そう。
 あの時、突然現れたのは、あの娘だけじゃなかった。
 ツインテールのあの娘は今、温泉内の隅っこの方で、身体を両手で
 隠すようにして、こっちを睨んでいる。
 今、お湯に浸かって僕と話しているのは、黒髪ロングの清楚な感じの女子。
 如何にも育ちが良さそうな美人さんだ。
 
 更に、もう一人いる。
 こっちはもっと驚きで、なんと車椅子に乗車したまま、湯の中に
 落っこちて来たらしい。
 幸いにも、怪我はなし。
 ただ、電動車椅子だったらしく、着地の衝撃か、それともお湯の所為か、
 故障してしまったみたいで、その娘は湯に浸かった車椅子をずっと弄っている。
 こっちは黒髪セミショート。
 ちょっとボブが入ってる、可愛らしい感じの女子。
 ただ、車椅子の故障の所為か、表情は常に暗い。
 
 と、それはさておき。
 何故、こんな状況が生まれたのか――――

「くしょん! う〜……このままじゃ風邪引きそ。ちょっと、悪いけど
 一旦出てくれない? あと、着替えとか用意して貰えると助かるんだけど」
「なんて厚かましい……」

 ツインテールの女子の身勝手極まりないリクエストに、思わず血管が浮き出る。
 この場合、僕が短気って訳ではない筈だ。

「す、すいません。ちょっと水歌! 貴女はどうしてそうガサツなの!
 いっつもいっつも、私に恥をかかせて……」
「だ、だって、このままじゃあたし、風邪引いちゃうし……」
「だってじゃありません! 良い? そもそも今回の原因は、貴女の無計画、
 無配慮なテレポートの所為なのよ? 璃栖ちゃんの車椅子まで壊れちゃうし……
 ちゃんと反省しなさい! もう、バカ!」

 黒髪ロングの女子は、早口で怒りを露わにした。
 最初の印象からは想像もつかない激高。
 ツインテールの娘――――水歌、と呼ばれた女子は、かなり堪えたのか、
 身体を小さくして俯いてしまった。
 ああなると、僕もこれ以上の非難は出来ない。
 それを見越しての説教だとしたら、大した人だ。

「あの、それは取り敢えず置いておきましょう。確かにこの状況だと風邪、
 引きかねないし。ちょっとお湯に浸かって待ってて下さい。着替え三人分、
 調達してくるんで」
「そ、そんな。そこまでお世話をお掛けする訳には」
「その代わり、後でちゃんと話して貰いますから。こうなった経緯とか原因、全部」

 一応、僕はそう念を押し、身体を湯から出して――――
 あ。

「……キャーーーーーーーーーーーーーーーーッ!?」

 気付いた頃には、時既に遅し。
 本日二度目、そして二人目のビンタが、僕のテンプルを襲った。

 


 ――――――――――――
  4月21日(土) 00:34
 ――――――――――――

「……本当にこの度は、何とお詫びして良いか」

 両頬が腫れ上がり、おたふく風邪みたいになっちゃったのは、この際良いとして。
 我等がスパ施設『CSPA』に突然現れた三名は、全員浴衣姿になり、それぞれの表情で
 応接室にて横並びし、深々と頭を下げていた。
 ちなみに、車椅子の娘はツインテールの娘に背負われ、ここまで移動し、
 今はソファに腰掛けている。
 完全に故障してしまったらしい。

「はっはっは。気にする事はない。どうせこのジュブナイルな倅が
 いかにもジュブナイルな行為をしてしまっただけだろう」

 それに対し、寛容な態度を示す父を色んな意味でブッ飛ばしたい衝動に駆られつつ、
 首を二、三度回す。
 幸い、痛めてはいないらしい。
 どっちも結構な衝撃だったからな……

「それじゃ申し訳ないが、ここへ無断侵入した理由を話して貰おう。
 場合によっちゃ、住居侵入罪のみならず窃盗罪、文書等毀棄罪の可能性もあるし」
「コラコラ息子、そんな物騒なことを言うモンじゃありません。見ろ、こんな可憐な
 御嬢様がたが、そんな事するワケないじゃないか」

 父は、若い女の子にはトコトン甘い性格だった。
 それで何度、母の怒りを買った事か。
 夫婦ゲンカは犬も食わないと言うけど、そのとばっちりは夕食のメニューに
 色濃く反映されたりするんで、いい加減に矯正してやりたい性格の一つだ。

「ま、とは言え……理由くらいは聞いても良いよね? どうしてこんな深夜に
 突然、温泉場に現れたんだい?」
「それは……」

 柔らかい口調で問う父に対し――――口を開いたのは、ツインテールの娘だった。
 しかし直ぐに、黒髪ロングの女子がそれを制する。
 余計なコトを言わせない、と言う鋭い視線が一瞬覗いていた。
 
「その理由に関しては、重要機密となっています。ですから、最低限の事しか
 お話し出来ません。それでも宜しいでしょうか……?」
「おいおい、こっちは負傷者まで出てんだぞ? そんな理屈が通用するワケ……」

 頬を指差しながら、やや強めの口調で異議を呈する僕を、今度は父が制した。

「それなら、警察へ通報するだけです」

 これまで通りの口調と表情。
 父は、普段はちゃらんぽらんとしているが、こう言うトラブルの時の対応には
 正直感心させられる。
 常に冷静、常に非情。
 僕の事を事務的だと批判しているが、それは確実に血だ。
 母が惚れたのも、そんなギャップに対して、らしい。
 両親の馴れ初めなんて、聞きたくもなかったんだが。

「文奈さん、け、警察はマズいって」

 文奈――――とツインテ女子に呼ばれた黒ロン女子は、こちらも顔色一つ変えず、
 父の方に向き直った。
 そう言う雰囲気はあったが、どうやら彼女が年長者、兼まとめ役らしい。

「……わかりました。ただし、警告……と言うと大変失礼ですが、忠告のような事を
 二つほどお許し下さい」
「どうぞ」

 父の言葉に、文奈と言う女子は小さく頷いた。

「まず、一つ。これからお話しする事は、とある国際条約で保護されている機密事項です。
 口外しないようにお願い致します」
「遵守しよう」
「ありがとうございます。そして、もう一つ……お話しする内容に関して、
 必ずしも、貴方がたの常識の範疇にあるとは限らない部分があります。
 それに関しても、ご了承下さい」
「常識外の内容……?」

 訝しがる僕に、コクリと文奈さんは頷いた。
 やっぱり、テレポートって説明をするつもりなのか。
 確かにそれが、一番理には適っている。
 でも、そんな事が本当にあり得るのか……?

「では、お約束通り、お話しします。まず私達についてですが……私達は、
 遺伝子改変によって、生まれながらに特殊な能力を植え付けられた存在、
genetically doll』です。略して『ジェネド』と言われています」

 ……は?

「その遺伝子改変によって、私、湯布院文奈は『サイコメトリング』を、こちらの
 城崎水歌は『サーチ・テレポート』、そして鳴子璃栖は『タイム・レーザー』
 と言う能力を宿しました。ここへ来たのは、水歌の『サーチ・テレポート』が原因です」
「ちょっと待って、まだ話について行けてない……」
「私達のような、特殊な能力を植え付けられた子は他にも数十名います。
 そして、その全員が例外なく実験対象であり、副作用持ちです。私達はモルモットなんです」

 こっちの制止を聞き入れず、湯布院文奈さんはグイグイ話を進めて行く。
 って言うか……これ、受け入れなきゃなんないの?
 なんか、思ってたのよりずっと、キナ臭い話になってきてるんだけど。

「現状、私達が抱えている副作用は、社会に出て生活する上で致命的な欠陥ばかり。
 ですが、副作用と特殊能力は表裏一体。どちらかを消す事は出来ず、私達が
 真っ当な人生を送るには、特殊能力自体を消し去らなければなりません。
 そこで、三人で脱走計画を企てたのが、半年前の事です」

 ……まだ続くの?

「その後……色々あって、能力の消去方法の手掛かりを探している最中、その過程に
 おいて、偶々ここへテレポートしてしまいました。以上が、嘘偽りない
 正式な理由となります。ご清聴、ありがとうございました」

 拍手でもすりゃいいのか、ってくらいに事務的な説明を終えた文奈さんは、
 ほうっ、と一息吐いて、また一礼した。
 
 さて。
 ここで僕は、彼女達になんて言葉を掛ければ良いんだろう。
 当然、こんな与太話、信じられない。
 ただ、どうしても引っ掛かる点がある。
 あの出現の瞬間、確かに彼女達は、湯の中にダイレクトで飛び込んで来た。
 忍び足で、あそこまで忍び込んで来て、僕目掛けてダイブ――――なんて事、
 常識的に考えて、する筈がない。
 全く無意味な行動だ。
 行動理念の観点で言うと、今の説明が寧ろ一番、理路整然としている。
 この上なく非科学的だけど。
 
 ただ、一つだけ、テレポート以外で可能性のある理由がある。
 それは――――ドッキリ。
 僕を陥れる為、或いは諭す為に、こんなしょうもない寸劇を企てそうな人物が、
 この場にいる。

「成程、そう言う事情だったのか。偶々なら仕方ないな。うん、実に仕方ない」

 案の定、その男――――父は何の疑問も挟まず、すんなりと説明を受け入れていた。
 どうやら、間違いなさそうだ。
 幾ら、ちゃらんぽらんな父でも、こんな話を真に受ける程、ボケてはいないだろう。
 となると――――やっぱり、『従業員ホスト化計画』の一環と考えるべきか。
 確かに、お客様の中には、奇妙な言動を繰り返す方も偶にいらっしゃる。
 このおかしな主張をする女の子3人を、どうやって諭すか。
 見事にエスコートしてみろ、って言うワケだな。
 上等ですよ、父。
 この挑戦状、確かに受け取った。

「あの……」

 文奈さんが、おずおずとこっちに視線を向ける。
 一方、テレポート使いと言う設定らしい、城崎水歌と言うツインテの女子は、
 ムスッとした顔で僕の動向を窺っている。
 そして、これまで一度も言葉を発していない、車椅子の女の子――――
 鳴子璃栖と言う子も、睨むような目つきで睨んでいた。
 注目が集まる中――――

「了解しました。そう言う事情であれば、やむを得ませんね。通報はしません」

 僕は自分でも引くくらい、普段見せないような営業スマイルを浮かべた。
 その結果――――城崎水歌の顔が、パアッと明るくなる。
 初めてそこで、笑顔になった。

「ホント!? なんだ、良いトコあるじゃない! ずっと仏頂面だったから、
 イヤなヤツだって思ってたー」
「仏頂面……?」

 全くそんな自覚なかったんだが……
 って言うか、地味に今の、接客のダメ出しだよな。
 成程ね、そう言う事か。
 彼女等の行動だけじゃなく、言動にも注意が必要って事らしい。
 良いぜ、父。
 これまでの僕なら、金にもならない、将来にも役立たない接客術なんて
 どーでもいいの一言で片付けて来たけど、ここまで大がかりな矯正手段に
 打って出られたとあれば、話は別。
 トコトン乗ってやろうじゃないの。

「そーよ。自覚なかったの?」
「それは、全然なかったな。わかった、以後気を付けるよ」
「へー。意外と素直なんだ。なんか、思ったより話のわかりそうな男子みたいね。
 それじゃ、ついでに一つ頼みたいんだけど……」

 そら来た。
 更なる接客講習の追加。
 受けて立ちますよ。
 そう決めたばっかなんだから。

「実は、諸々の事情があって、暫くテレポート使えないのよね。ちょっとの間、
 ここでお世話してくれない? 見たところ、宿泊施設みたいだし」
「ちょっと、水歌! そんな不躾な事……」
「だって、あたし達がこんなにすんなり受け入れられたの、初めてじゃない?
 それなら、いっそここで暫く身を潜めましょうよ。お金はあるから……」

 文奈さんの困り顔に、城崎と言う名前の女子がカラカラと笑い――――
 そこでピタッ、と止まった。

「……財布、服の中だっ……たーーーーーーーーーーーーっ!」

 かと思えば、突然のダッシュ。
 どうやら、服の中に財布を入れていた事を忘れて、そのまま洗濯機の中に
 入れてしまったらしい。
 今頃、フル稼働でゴウンゴウンって回ってる。
 結果――――

「う、う、う……」

 財布は超綺麗に。
 お札は濡れ濡れに。
 カードは少しひん曲がった状態で発見された。

「お札は乾かせばどうにかなるとして……カードはちょっと厳しいですね、コレ」
「全く……水歌! どうしてアンタはそう、いつもいつも注意力のない……!」
「うわーん! ゴメンなさーいっ!」

 父がティッシュでお札の水分を抜く中、城崎って言う女子は文奈さんに
 思いっきり説教を受けていた。
 結構、怖い人なんだな。
 おっとりしてるかと思ったけど。
 なんて――――僕が、そんな感想を心の中に浮かべる中。

「水歌を責めないであげて下さい」

 冷たい、それでいて柔らかい――――そんな声が、初めて室内に響き渡る。
 鳴子璃栖の声だった。
 なんだ、普通に喋れるじゃん。
 無口キャラかと思った。

「やむを得ない状況でしたから」
「まあ、確かにあれは、緊急避難せざるを得ない状況でしたけど……」
「そーよ。寧ろあたしのナイスジャッジって、褒めて貰う方が嬉しいんだけど、あたし的には」

 サクラ三人組は、こっちを無視して仲間内だけで話し始めた。
 ドッキリ食らってる方を放置しないで貰いたいんだが……
 ま、これも接客の一環ってか。

「まあ、取り敢えず今晩だけは、泊まっていって貰って構いません。
 明日には、お札も乾いてるでしょうし、それから今後の事を話し合われては如何でしょう」

 ホストっぽくはないが、僕は僕なりに誠意を込めて、女性達に尽くした。

「良いの?」
「はい。部屋はこちらで用意しますので、どうぞ寛いで行って下さい」

 胸に手を当て、恭しく一礼。
 その結果、鳴子璃栖を除く二人の顔が、再び明るくなった。
 ん……良く見ると、璃栖と言う女子も、微かに口元を緩めている。
 緊張してるのか、責任を感じてるのか、強張ってただけだった――――
 そんな体の演技なのかもしれない。
 ま、それは良いとして。

「それで良いですよね? 支配人」
「うむ。驚いたな、湯哉。お前がそこまで柔軟性のある接客が出来るとは。
 父さんの言いたい事が、少しはわかってくれたのか。父さん嬉しい」

 父は臆面もなく、泣き真似なんてしていた。
 間違いなく、この中で一番大根なのはコイツだ。

「あらあら、何の騒ぎ?」

 女性陣が喜んでいる声が、寝室にまで聞こえたのか。
 就寝していた母が起きてきた。
 普通、温泉施設で働く母親のポジションって、女将みたいな感じで
 最後まで起きて接客するのが当たり前だと思うんだけど、我が母は対人対応に
 著しく難アリなんで、客前に出る事は殆どない。
 裏方に徹し、経理全般を担当している。
 尚、商才がないのは、言うまでもない。

「ふわ……お兄さん、誰か来てるの?」

 そんな母の袖を掴みながら、欠伸混じりにやって来たもう一人の女の子。
 彼女は、僕の妹――――じゃない。
 従妹の芦原彩莉。
 2年くらい前だったか、両親がいっぺんに行方不明になっちゃって、
 それ以降はこの施設で寝食を共にしている。
 僕より6つ年下の、10歳。
 小学5年生だ。
 その割にはしっかりもので、結構経営にも口を出したりもする。
 けど、基本的には純真無垢な可愛い女の子。
 嫁にはやらん。
 絶対にやらん。

「あ……」

 そんな彩莉は、結構な人見知り。
 見知らぬ女子三名を前に、固まってしまった。
 その一方で――――母はその顔を徐々に引きつらせていった。

「こんな深夜に、チェックインしてない筈の若い子が、三人……」

 普段はおっとりしてて、この上なくお人好しな母だが、異常に嫉妬深い一面を
 持っているんで、こう言う場面になると、般若みたいな顔になる。
 それが出たら、もうおしまい。
 その日は、このスパ施設全体が修羅場と化す。

「ま、待て花菜、いや花菜さん。違うんだよ。これはそうじゃない、そうじゃないんだ」
「フフ、卓哉さんったら、またこんなコトして……イケない人。殺さなきゃ」
「殺……!?」

 母のそんな物騒な一言に、父じゃなく自称異能力者の三人娘が青褪める。
 まあ、そりゃそうだよな。

「こう言う時の為に常備してるハンティングナイフが役に立ってよかったわぁ」

 革製の鞘からスルリと、サメの牙みたいなギザギザが付いたナイフが姿を現す。
 普通に毒とか塗ってそうな形状だ。
 無感情キャラっぽかった鳴子璃栖ですら、思いっきり怯えている。
 って言うか、泣きそうになってる。
 
「待て花菜。お前は俺のコトが信用できないのか? この俺を信用できないのか?」
「あれは、二年前だったかしら……同じ事を、ホテルの前で聞いたの、昨日の事のように
 覚えてるの」
「そ、そんなコトあったっけ? って言うか、あれも誤解なんだよ花菜。花菜?」

 母はユラリと身体をくねらせ、不気味な角度を作った。

「私……貴女に会えて本当に良かった。だから死んで」
「言ってるコトがムチャクチャだぞ花菜! おい湯哉! 父を助けてくれ!
 このままじゃ、ここが凄惨な殺人現場になるぞ!」
「そうなったら、街の探偵さんに依頼するから大丈夫!」
「何で嬉しそうなんだよお前は! わーっ待て花菜! 話せばわかるんだってばーっ!」

 無造作にゴツいナイフを振り回す母から、父は全力で逃げ出した。
 母も早歩きでそれを追う。
 その歩き方がホラー映画みたいだと思うのは僕だけじゃないらしく、
 その後姿が見えなくなるまで、三人娘は終始震えていた。

「……な……何なのよ今のは!?」
「このスパ施設では良くある風景です。お気になさらずに」
「無茶言わないでよ! 怖っ! やっぱりキャンセル! こんなトコ、
 泊まれるワケないじゃない!」

 城崎が取り乱すその最中――――彩莉がトコトコと僕の方にやって来た。
 こう言った場面は見慣れているんで、特に怯える様子もなく。
 
「お兄さん……えと、その人達」
「ああ。紹介しようと思ってたけど、なんか出て行くみたいだ。だから……」

 特に紹介や説明の必要もない、と言おうとしたその時。

「……」

 足音一つ立てず、文奈さんが僕の傍――――って言うか、彩莉の傍に近付いていた。
 気の所為か、その目はさっきの母に酷似しているような……

「彩莉ちゃん、って言うの?」
「は、はい。彩莉って言います」
「きゅーん」

 明らかに怯えている彩莉に対し、文奈さんは目に見えてキュンキュンしていた。
 って言うか、怖いんだけど。

「はぁ……またこの病気が出た」
「……厄介ですね」

 怯える僕や、目をハートマークにしている文奈さんを尻目に、自称異能力者共は
 二人して頭を抱えていた。

「一体何なんだ。説明してくれよ」
「実は……文奈さん、極度の少女偏愛者なの」

 ……は?
 
「そ、そう言うのあるの? 男の幼女趣味とか、女の少年趣味なら聞いた事あるけど……」
「私達も困ってるんですよ。可愛い子を見る度に、そこに何日も留まって……全く」

 狼狽する僕に、璃栖ちゃん(多分年下)が初めて絡んできた。
 それはもう、心の底から疲れた顔で。
 こう言う場面が、一度や二度じゃない事がアリアリと出ていた。

 って……演技じゃなかったのか、コレ。
 それにしちゃ、色々ムチャクチャな設定だな。
 父も大概ヘンテコな性格だけど、ここまでイッちゃってはいないような……

「こうなった以上は、ここに泊まるしかありませんね」
「はぁ……もう施設に帰ろうかな」

 二人が幾度となく嘆息を繰り返す最中も、文奈さんは溶けそうな顔で、
 何度も何度も彩莉の頭を撫でたり、頬をプニプニしたりしていた。

「んむーあー。お兄さん、助けて……」
「どうしたものやら」

 彩莉が困ってる中、僕は現状の把握を放棄したいくらいの疲労感に襲われ、
 眉間の辺りをピクピクと痙攣させていた。








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