薄暗い、閑散とした冷たい部屋。
 遠くからは、間断なく鳴り響く音が、鼓膜を延々と揺らしている。
 ここは何処?

 ――――わからない。

 これは何の音?

 ――――水の音。

 水がずっと流れている……そんな音。
 それ以上の事は、幼い僕にはわからなかった。
 ただ、はっきりしてる感情が一つあるとすれば――――僕はここが嫌いだって事。
 少し息苦しくて、何よりも雰囲気が好きじゃない。
 出来れば、出て行きたい。
 そう思っていた。
 ずっと。

「それなら、出て行こうか」

 果たしてそれが、誰の言葉だったのか。
 今となっては、思い出せそうにない。
 遠くに聞こえる、水の音に紛れてしまって。
 だから僕は、いつも曖昧なまま、目を覚ます。
 これは夢なのか。
 それとも、過去の記憶なのか。
 それすらもわからないまま、目を開ける。
 
 ふと見上げた天井は、見慣れた自分の部屋のそれだった。

 


 ――――――――――――
  4月21日(土) 06:30
 ――――――――――――

 色々あった一日が終わって――――翌日。
 土曜って事で、学校は休みなんだけど、平日より早起きしなくちゃならない
 この侘びしさよ。

 娯楽施設たる我が『CSPA』は、土日がかき入れ時。
 って言うか、平日はあんまりお客様は来ない。
 まあ、幾ら日帰りも出来る温泉施設とは言っても、学校や仕事の帰りに
 フラッと寄るような場所でもない。
 せいぜい、サウナ目的に近所のマッチョな方々が足繁く通ってくれるくらいだ。
 
 そんな訳で、勝負の土曜日。
 僕の一日は、身嗜みを整える事から始まる。
 仲居さんのように、着物を身につける必要はないものの、こう言う場所で
 働く人間は、清潔感を第一に考えなくちゃならない。
 その為、頭髪は程よい長さの短髪。
 ササッと整え、念入りに歯を磨く。
 薄いグレーの半袖シャツと、紺色のズボンって言う無難な制服に身を包み、
 まずは宿泊しているお客様に向けて朝食の配膳を行う。
 作るのは、父。
 母は料理が苦手だし、シェフを雇う余裕もない。
 プロじゃない割に、意外と美味しかったりするから、困ったもんだ。
 
「おう、湯哉おはよう。ホスト接客術は身に付けたか?」
「……もう忘れてたよ、そんな話」

 そう言えば、そんな事を言われてた気もするし、DVDも全巻2倍速で
 見た記憶があるけど、その後色々あった所為で、全く頭には入ってない。

「記憶力のないヤツめ。仕方ない。なら、せめて英国紳士風の接客を心掛けろ」
「英国紳士風!」

 ホストとは打って変わって、良い感じの接客術。
 これは将来、何かしら役立つかもしれない。

「それなら、試してみたい気もするけど……どうすれば良い?」
「簡単だ。常に紅茶を持ち歩き、『ダージリンは軟水に限る』と言っていれば良い。
 あと、ここにカイゼル型の付け髭と、片っぽの目だけに付けるチェーン付きの
 奇っ怪なメガネがあるから、これ等を付ければ万事OK」
「ステレオタイプ過ぎるだろ! 『日本人=チョンマゲ』レベルじゃん!」
「息子よ。何にでも反抗したがる年頃なのはわかるが、そう頭ごなしに否定するでない。
 やってみろ。そうすれば、イヤでもわかる。英国紳士の何たるかを」

 絶対、わからないと思うが……これ以上話を拗らせても仕方ない。
 父の言う事を聞き入れ、渋々お客様の眠る寝室にモーニングコールをする。
 英国紳士風のモーニングコールか。
 良くわからないけど、やってみよう。

「おはようございます。御嬢様、お目覚めは如何でしょうか? 本日は実に
 清々しく、希望と安寧に満ち溢れた朝でございますよ」
「へ……?」
「宜しければ、ゆっくりと深呼吸して、窓を開けて下さいませ。そこに広がるのは、
 貴女様が本日、この瞬間だけに目にする事の出来る光景でございます。
 そこにある街路樹のざわめき、雑踏、信号機の色、酸素濃度……全てが今、
 今だけの物。願わくば、その一瞬が、貴女様の心の一頁にならん事を」
「ちょっ……何言ってんの? 頭大丈夫?」

 結果、脳の病気と診断された。

「それは兎も角、朝です。とっとと起きて、朝食摂りに一階のカフェルームに
 お集まり下さい」

 イラッと来たんで、一方的に事務的な説明をして、切る。
 当然、こんな接客を一般のお客様にしたら、大問題も良いトコだが、
 昨日宿泊したお客様は、例の異能力者3人娘のみ。
 電話に出たのは、その中の『城崎水歌』だった。
 アイツに関しては、お客様扱いする必要なし。
 未だに頬がヒリヒリしてるくらいだからな……

 そんな訳で、本日の朝食を囲み、改めて僕は3人娘と向き合い――――

「……湯布院さんは?」

 1人少ないのに気付く。
 昨日、一番話したあの黒髪ロングの女子がいない。
 って言うか、昨日は殆どあの人を介してのコミュニケーションだったから、
 彼女がいないと若干困る。
 案の定、僕の問いにどちらが答えるか、向こうも決めかねていた。

「文奈さんは寝てる」

 結局、ツインテールの女子、城崎水歌が返答して来る。
 寝ぼけ眼で。

「起こして来てくれよ……今から本格的に事情徴収するんだから」
「事情徴収って、何であたし達が犯罪者みたいになってんのよ!」
「住居侵入罪は犯罪じゃないのか?」
「そ……それは昨日、通報しないって言ったでしょ!?」

 どうやら目が覚めたみたいだ。
 にしても……文奈さん、意外と寝坊助なんだな。
 しっかり者に見えたのに。

「文奈は、一日に4時間しか起きられないんですよ」

 それは――――唐突だった。
 鳴子璃栖が話し始めた事も。
 その内容も。

「……何それ? 三年寝太郎のインスタントバージョン?」
「良くわからないけど、違います」

 冷静に否定されると、辛い。

「昨日も文奈が説明しましたけど、私達ジェネドには、異能力と引き替えに
 副作用が植え付けられているんです。文奈の副作用が、それです」

 つまり――――20時間睡眠……って事か?
 毎日、4時間しか活動できない?
 なんか、父らしくない設定だな。
 
「私の場合は、言うまでもないと思いますが、この足です」
「んー……あ、そう言えば、あの車椅子って故障したまま?」
「はい。恐らく、専門店にでも持って行かないと直せないんじゃないでしょうか」

 仏頂面で、璃栖ちゃんが答える。
 一切僕に視線を合わせずに。
 ……嫌われてる?
 あんまり第一印象で悪く思われるタイプじゃない、と自負してたんだけど……ショックだ。

「じゃ、その専門店に連絡を入れておきましょう。後でメーカー名を教えて下さい。
 で、そっちの城崎さん。何でそんな嫌そうな顔してるんですか」
「納豆、苦手なのよ……臭いんだもん」

 本日の朝食は、ごはん、味噌汁、納豆、鮭の塩焼き、昆布の佃煮。
 いかに米を美味く食べるかと言う一点に特化した、日本人ならではの朝を演出。
 それが仇となったらしいが、心の底からどうでも良い。

「アボカドってない? あたし、アボカドが大好物なんだけど。アボカド」
「生憎、本店のメニューにはありません」
「ちぇーっ、しけてんのね」

 ケンカ売ってんのか、アボカド好きアピールがしたいのか、判断に迷うな。
 ま、どっちでも良いか。
 どうせ、今日くらいにいなくなる人達だ。
 流石に父も、この変な寸劇を明日まで引っ張る事はない……と思いたい。
 ま、そこまでは付き合ってやるけど。

「ところで、貴女の副作用は何ですか? 粗相がないよう、参考までに聞かせて下さい」
「別に粗相される事でもないけど……隠す程の事でもないし、いっか」

 妙に勿体振った物言いと共に、城崎は口の端を釣り上げた。

「あたし、記憶力がないの」
「わかります」
「何でわかんのよ! 何その頭悪い子を見るみたいな目!」
 
 初対面で殺されかけた相手への視線としては、割と妥当な気もするが……
 ま、こんなんでもお客様。
 侮辱はすまい。

「副作用で、記憶力が低下してるんですか?」
「ま、そんなトコ」
「正確には、記憶障害の一種です。彼女は、自分の年齢の1,000分の1の期間しか
 記憶を保持できません」

 ……へ?

「今、私は15歳と11ヶ月だから、日数に換算すると大体6,000日くらい。
 つまり、6日間の事しか覚えられない、って事よ」
「6……日?」

 その副作用とやらに、僕は大きな違和感を覚えた。
 こんな設定、あのちゃらんぽらんな父が考えたとは到底思えない。
 ……違うのか?
 僕にホスト的接客術を教え込む為のサクラじゃない……のか?

 いや、待て待て。
 そうなってくると、彼女達の『異能力』とやらを信じなくちゃならなくなる。
 流石にそれは、難しい。
 UFOとかUMAとか、もっと言えば神様とか魔法とか、そう言う類と同列のモノを
 信じろという方が酷だろう?
 そりゃ、そう言う創作物への憧れにも似た感情は、一度くらい抱いた事があるさ。
 子供の頃に見たアニメやマンガに、想像の翼を広げた事くらいは、誰だってあるだろう。
 でも、僕はもう16。
 許されるなら、直ぐにでも自立したいと思ってる、大人寸前の年齢だ。
 幾ら、状況的に『その可能性が否定できない』となっても、すんなり
 受け入れられる訳がない。

「何? 同情でもしてるの?」
「いや、そう言うんじゃないけど……」

 妙な方向に解釈された今の僕の顔は、きっと相当な困惑に満ちているんだろう。
 人間、長い年数をかけて築いて来たものは、そうそう手放せない。
 インターネットを取り上げられたら取り乱す、今時の中高生のように。
 落ちぶれても生活水準を落とせない、かつての人気芸能人のように。
 僕もまた、常識って言う社会にとって都合の良い概念を、捨てられずにいた。

「困惑しているんじゃないですか? 私達への同情と言うよりは、
 昨日まで殆ど信じていなかった異能力に対して、少しだけ真実味が生まれた事で
 迷っているように見えます」

 ……鋭い。
 璃栖ちゃん、もしかして外見の印象より年上?
 そう言えばさっき、湯布院さんの事、呼び捨てにしてたし。
 となると、心の中での呼称も変えないといけないか。

「え? 昨日の時点で受け入れられてたんじゃなかったの?」
「そう思ってたのは水歌だけですよ」

 ジト目で嘆息する鳴子さんの指摘に、城崎の目が吊り上がる。
 両脇のツインテールが逆上がりそうな勢いだ。

「だっ……ま、そんなモンよね」

 けど、直ぐに鎮火。
 慣れてる、と言わんばかりに。

「いや、そりゃそうでしょ。普通、テレポートとか言われても、素直には
 信じないでしょ。誰だって。実際にその異能力を見せてくれれば……」

 刹那。
 僕の顔の右側を擦るように、衝撃が突き抜けた。
 誰かが、何かを投げた――――そんな認識が脳裏を過ぎる。
 けど、それは正確な描写じゃなかった。
 物理的な干渉は、何一つなかったんだから。
 実際、僕の真後ろでは、物が壁に当たった音も何一つ聞こえてこない。

「見せましたけど、何か?」

 そう冷淡に告げたのは――――鳴子さんだった。
 彼女が一体、何をしたのか、僕には全くわからない。
 ヒントになりそうなのは、右手人差し指を僕に向けて伸ばしている事。
 そこから、何かを出した……?
 待てよ。
 昨日、文奈さんは確か――――

『鳴子璃栖は「タイム・レーザー」』

 そう言っていた気がする。
 タイム・レーザー……それが、彼女の能力だとしたら、その指から
 レーザーが射出されたって事、か?
 ただ、その前に付いている『タイム』ってのが、良くわからない。
 当然、『TIME=時間』だとは思うけど、時間のレーザーってなんのこっちゃ。

「ちょっと、璃栖! いきなり攻撃なんて……アンタ何でそう何時も
 しれっと暴走すんのよ! それで私達がどれだけ冷や汗掻いてきたか……」
「必要な事だから、やりました。実際に見せるのが一番手っ取り早いですから」

 確かに効果は覿面だった。
 何をされたのかは未だに不明瞭だけど、彼女等が只者じゃない、って事は
 なんとなく実感したから。
 どうやら――――昨日からの一連の騒動は、父の企てた『ホスト接客術刷り込み
 大作戦』と言う訳じゃないらしい。
 ここ2日の自分の思考全てを消し去りたい程、小っ恥ずかしい誇大妄想だったみたいだ。

「これで、少しはお話をし易くなった、と思っても宜しいですか?」
「ああ……取り敢えず、頭ごなしに否定するコトはなくなったよ」

 僕のその返事に満足したのか、鳴子さんはカフェの身体機能障害者用椅子に
 腰掛けたまま、小さく頷いた。
 ちなみに、彼女はここまで城崎に抱えられてやって来た。
 車椅子がないと、自力での移動は出来ないらしい。

「それじゃ、改めて聞くけど……って、ガツガツ朝食食ってんじゃねーよ!
 大事な話してるトコだろ!」
「だって、お腹空いてんだもん。あ、璃栖。納豆と昆布交換して」
「絶対に嫌です」

 食い意地の張った城崎がスゴい勢いで食を進める中、僕は納豆の不人気さを
 こっそり嘆き、右手で左頬を掻いた。 

「ま、食べながらでも良いけどさ……で、貴女達3人が異能力者だとして、
 ここへ来たのは必然か偶然か、まずそれを聞きたいんだけど」
「良い質問ね」

 ニヒルに微笑んだ城崎が、ピッ、と箸でこっちを指してくる。
 僕はそれに対し、テーブル上の胡椒を思いっきり振りかけたい衝動に駆られたが、
 大人一歩手前を自称している手前、自重した。
 これくらいでカッとなっちゃダメだ。

「結論から言えば、必然よ。ただし、この施設に用があったワケじゃないけどね」
「『サーチ・テレポート』だったっけ。アンタの能力っての」
「アンタぁ……? んー、ま、いっか。そうよ。それがあたしの特別な力」

 余り深く考えない性格なのか、直ぐに軌道を自分の話へと変えた。
 まあ、こう言う人の方が話はしやすい。
 僕は左頬を右手で掻きながら、話の続きに耳を傾けた。

「あたしの『サーチ・テレポート』は、簡単に言うと『検索エンジン』搭載の
 テレポート。ホラ、携帯とかパソコンとかで、検索した事あるでしょ?
 あれと同じ要領よ。行き先を入力して、そこへ飛ぶ。わかりやすいでしょ?」
「それだけだと、『サーチ・テレポート』の半分も説明できてません」

 鳴子さんのダメ出しが炸裂。
 城崎はぐぬぬ顔になった!

「ぐぬぬ……じゃ、アンタが説明してみなさいよ」
「実存したんだ、そのセリフ実際に言うヤツ」
「天然記念物並に貴重です」

 それは異能力者としての希少性なのか、ぐぬぬに対する見解なのか、
 微妙に判断に迷う事を言い放ちつつ、鳴子さんは閉じた口を若干横に広げた。
 説明の予備動作らしい。

「基本的な部分は、この子が説明した通りです。ただ、『サーチ・テレポート』には
 少々厄介なところがあります。その難点も、携帯などで行う検索と同じです」
「具体的には?」
「検索結果が、必ずしも自分の想定通りとは限りません。例えば、検索エンジンに
『ホテル山本』と入力したとします。でも、こんなありきたりの名前のホテル、
 何処にでもありますよね。そうなると、自分の意図したホテルが一番目に
 出てくるとは限りません。ですが、『サーチ・テレポート』の場合、有無を言わさず
 一番目の検索結果に飛びます」
「ちなみに、入力はコレでやるの。携帯端末。ちなみに防水完備ね」

 鳴子さんのフォローの添え物的なタイミングで、城崎は僕に小さい機器を見せた。
 大きさは携帯音楽プレーヤーと同じくらい。
 そこには、細長いモニターや、操作用の十字ボタン等も付いている。

「この十字ボタン使って、行き先を入力して、中央の決定ボタンを押したら
 テレポート成立。ただし、璃栖の言った通り、この機械独自の検索エンジンで
 出た結果の一番目に強制的に飛ぶから、実際に飛んでみないと、目的地かどうか
 わからない、って事よ。わかった?」

 要するに、行き先を指定してテレポートする事が出来るけど、100発100中じゃない
 って事、らしい。
 何気に不便だな。

「ま、テレポートに関しては大体わかったけど、そっちは?」
「何、その言い草。あたしには一切興味ナシ?」

 何故か城崎は拗ねていた。
 目立ちたいタイプなのか?

「私の『タイム・レーザー』はもっと単純です。時間を前借りして、高密度の
 光エネルギーに変換し、それを射出すると言う能力です」
「時間を前借り……って?」
「貯金みたいなものです。自分自身の時間を貯蓄します。貯蓄した分、私の中の
 時間は失われます」

 それが何を意味するのか――――僕には想像すら出来なかった。
 そもそも、時間ってのは人間の中のモノじゃなくて、不可逆性の仮象だ。
 当然、貯蓄なんて出来る筈がないし、まして前借りなんて出来はしない。
 例え異能力者でも、その大前提は覆らないだろう。

「時間というのは、秩序であると同時に、物質や空間に相互作用が存在する
 可変性を秘めた系です。そうである以上は、エネルギーへの変換も可能であり、
 それを個人が保持する事も可能なのです」
「ゴメン、ちょっと何言ってるか全然わからない」
「時間は固有のモノでもある、と言う事です」

 正直、全く納得行く説明は得られなかったけど――――そう言う事らしい。
 
「でも、それで貯蓄した分の時間の空白は、どうなっちゃうの?」
「いなくなっちゃうのよ」

 それを答えたのは、鳴子さんじゃなく城崎だった。
 疎外感を覚えていたのかもしれない。

「貯蓄した分は、何時でも補充できるんですけど、その補充してる間は私、
 この世にいないような状態です。だから、そこの水歌も含めて、誰も
『鳴子璃栖』と言う人間がいる事を認識してない状態になります」
「急に存在しなくなる、って事か……? でも、記憶には残ってるんでしょ?」
「はい。ですが、記憶はしていても、『そこにいない事が当然』と言う認識になります。
 いない訳ですから。なので、誰も私が突然いなくなったとは思いません」

 そう言えば――――それと似たような事を何処かで聞いた事がある気がする。
 ドラえもんだったっけ。
 それを被ると、道端の石ころと同じような存在になって、誰も気に留めなくなる
 とか言う道具。
 あの状態と同じ、って事か。

「成程ね。で、そのレーザーって何の役に立つの?」
「用途は割と柔軟です。それこそ、アニメのレーザービームみたいに、
 殺傷力を有する事も可能です。最大で頬を張る程度の威力にも出来ます」
 
 何……ッ!?
 それはちょっと羨ましいぞ!
 レーザーとビームサーベルは男のロマンだからなあ……
 
「って訳で、こっちの能力の説明は以上よ。文奈さんは本人不在だから、
 聞きたかったら起きてる時に本人に聞いて」
「何時起きるんだ? 20時間も寝てるんだろ?」
「大体、昼1時間、夕方1時間、夜2時間って感じ。ご飯はちゃんと3回食べてるし」

 休み時間みたいなスケジュールだな……
 それで、生きてる実感はあるんだろうか。
 能力より、そっちを聞いてみたい気もする。

「取り敢えず、アンタ等の事はわかった。で、そんな異能力者のアンタ等が
 何でここに飛んで来たんだ?」

 既に異能力を受け入れている自分に少し驚きつつ、僕は改めて、
 サーチ・テレポートとやらでココを選んだ理由を聞いた。
 さっきの説明通りなら、彼女等はこの『CSPA』に関連するキーワードで
 検索した事になる。
 ただ……悲しい哉、例えば『スパリゾート施設』等の具体性を欠く
 検索ワードで、この施設が一番手になる可能性は皆無。
 全国の中でも、かなりマイナーな方に入るだろう。
 よっぽど範囲を絞らないと、出てこない検索結果の筈だ。

「それは企業秘密。悪いけど、教えられないの」
「……ここまで話しておいて?」
「そ。って言うか、話したら文奈さんに何されるかわかんないし……」
「凄惨な現場になる事は想像に難くないですね」

 城崎はブルブルと震え出し、鳴子さんも仏頂面からしかめっ面にシフトする。
 あんま変わらんけど。
 って言うか、あの人そんなに怖いのか。
 ま……無理に聞き出す理由もない。
 こっちとしては、昨日の宿泊料金を払って貰えれば、文句はなし。
 住居侵入罪でどうこう、と言う気はサラサラないし、お客様となってくれたんなら
 殺されかけた事も無罪放免だ。
 お客様は絶対。
 これは、接客業の基本中の基本だから。

「了解。それじゃ、今後はお客様として接するんで、ここで療養するなり、
 出て行くなり自由にしてくれ。ただし、昨日分の宿泊料は貰うからな」
「この朝食代は?」
「込み」

 我が『CSPA』は、庶民的な施設なんで、料金もスパの中では格安。
 宿泊は、朝食付きのダブルルーム二人様ご利用で10,000円。
 トリプルルームや和室なんて気の利いた部屋はないんで、デカいベッドで
 三人寝て貰った。
 二人分の価格なのは、特別サービス。
 女性に甘い父の提案だった。
 ちなみに、父は昨日、母に捕まってしまった模様。
 今日は仕事以外何も出来ない半廃人状態だろう。
 それでも、仕事に支障を来さない所は、まあ……尊敬しなくもない。

「おっけ。それじゃ……どうする? 車椅子の事もあるし」
「私としては、ここで直して欲しいですが。移動の度に水歌の背中の
 お世話になるのは、気が引けると言うか、あんまり借りを作りたくありませんし」
「……なんかトゲがあるのよね、アンタの話って」
「性分です」

 しれっと告げる鳴子さんの態度は、不遜さこそ多分にあれ、足が不自由で
 ある事に対する劣等感や悲観は微塵も見えない。
 こう言う事を感心するのは良い事じゃないかもしれないが、僕はなんとなく
 好印象を抱いていた。
 初対面の心象最悪な城崎も、話してみれば気さくなだけで、悪い印象はない。
 お金さえ払ってくれれば、真っ当な客だ。

「それじゃ、料金はあの濡れたお札が乾いてから払うって事で、暫く
 ここにお世話になるけど、良い?」
「ありがとうございます。私ども『CSPA』の従業員一同、精一杯のもてなしを
 させて頂きます」

 仕事モードに切り替えた僕は、深々と二人へ頭を下げた。

 


 ――――――――――――
  4月21日(土) 10:14
 ――――――――――――

 宿泊客の見送りがない日の午前中は基本、暇だ。
 スパ目的に来る客も、この時間帯には滅多にいない。
 だから、平日は両親だけでもやっていけるんだけど、その労働環境は
 土日祝日でもそれほど変わらない。
 勿論、開店している以上、来客に備えて常にカウンターにいなきゃ
 いけないんで、暇なのは何のプラスにもならない。
 ただじーっと、そこにいる。
 賃金も発生しない。
 この上ない精神的重労働だ。
 
「お兄さん」

 そんな置物状態の僕をこう呼ぶのは、世界でただ一人。

「彩莉。どうした?」
「あのですね、彩莉、手伝います」

 小学生でありながら、彩莉はそんな健気な申し出をしてきた。
 普通なら、週末は友達と遊びに行きたいお年頃。
 でも彩莉は、常にこのスパランドの事を気にかけ、余り家を離れようとしない。
 しかも、小学生でありながら、一通りの仕事を覚え、十分戦力になるほど
 段取りよくこなせるスキルも身に付けている。
 
 この子が、この施設へ来た日の事は、今でも覚えている。
 突然、両親がいなくなった8歳の女の子。
 泣きじゃくったり、精神が病んだりしても何らおかしくない。
 それなのに、この子は違った。
 努めて明るく振る舞っていた。
『無神経な子供』にすら見えるくらいに。
 だから僕は当初、困惑した。
 親がいなくなって、親戚の家に来ていると言う現実を逃避してるのか、
 とさえ思った。

 でも――――違った。

 当たり前の話だけど、まだまだ人格形成も出来ていない年齢。
 何より、彩莉は人一倍、親思いの子供だった。
 それを知るのに、僕は一月の時間を要した。
 ただ、その期間があったから、僕はこの子の事をある程度、深く知る事が出来た。
 こんな良い子はいない。
 だから嫁にはやらん。
 どんな良い男でもな。
 
「ダメですか?」

 僕の沈黙に、彩莉は不安そうな眼差しを向ける。
 勿論、手伝うと言われて断る理由もない。
 とは言え――――手伝って貰うような要件もないくらい、暇なのも事実。

「ダメじゃないけど……」
「あ、いたいた」

 どう断ろうか思案し始めた刹那、バタバタと近付いて来たのは――――城崎か。
 鳴子さんはいない。
 まあ、常時背負って移動って訳にもいかないだろう。

「あら、えっと……」
「芦原彩莉です。お客様、おはようございます」

 ペコリ、と彩莉は大きく一礼した。
 その様子に、城崎は何故か冷や汗を流す。

「おはようございます。彩莉ちゃん、って呼んで良い?」
「はい」
「ん、じゃ彩莉ちゃん。あなたやっぱり、文奈さんには近付かない方が良いわ。
 愛で殺されるかもしれない」
「……目で殺される?」

 あの人は目からビームでも出すのか?
 
「ホラ、動物って好きなオモチャで遊んで遊んで遊び倒して、最後には壊すでしょ?
 あれと同じ感じ。悪い事言わないから、文奈さんには極力近付かないように
 しといた方がいいわ」
「は、はう」

 彩莉は困惑していた。
 って言うか文奈さん、動物扱いか。
 なんか色々ヒドい言われようだな、あの人。

「それは兎も角。ちょっと、そっちの……」
「有馬と申します。どう言った御用件でしょうか?」
「……取り敢えず、その事務的な話し方止めない? 最初からそれなら良いけど、
 なんか途中からだと、突き放されたみたいで感じ悪いんだけど」

 ジト目の視線が突き刺さってくる。
 とは言え、こっちにも立場ってものがある。

「申し訳ありませんが、他のお客様の目もありますので」
「あたしだって、お客様でしょ? お客様の言う事が聞けないって言うの?」
「申し訳ありません」

 平謝り――――のセリフと同時に、威嚇の意味を込めて睨む。
 お客様は皆、平等に扱う。
 それが接客業の基本だ。
 常連とだけ親しげに話す、なんて言う昔ながらの寿司屋みたいなやり方は
 個人的にも、礼儀の観点からも、宜しくない。

「わかったわよ。ったく……融通の利かない店員ね」
「恐れ入ります。それで、御用件は?」
「璃栖の車椅子、修理できそうかなって」
「ああ。それなら福祉機器の専門店に出張を依頼しています。午後からお越しに
 なるとの事なので、暫くお待ち下さい」

 僕のそんな回答に、城崎の顔が曇る。

「……そこ、お高い?」
「良心的だと思いますが。取り敢えず見積もりだけ作るにしても、
 実物を見ない事には難しいとの事だったので」
「そ。なら仕方ないか。あ、それと、案内とかして欲しいんだけど。
 折角スパランドに泊まるんだし、それなりに楽しみたいじゃない?」

 案内……か。
 僕は持ち場を離れる訳にはいかないし……

「彩莉」
「わかりましたっ。彩莉がご案内します」

 水を得た魚のように、仕事を得た彩莉は目を輝かせて挙手した。
 が、城崎は首を真横にブンブン振って拒否。
 この女、彩莉になんの不足があるってんだ、と思わず怒鳴りそうになるのを
 プロ根性で抑える。
 報酬ないからプロじゃないけど。

「彩莉じゃ力不足でしょうか……」
「や、そうじゃないの。ホラ、いつ文奈さんが眠りから覚めるかわからないし」
「さっき聞いた話じゃ、午前中は起きないみたいだったが」
「余計な事言わなくて良いのよ! あーもう、なんて言うか……」

 意気消沈する彩莉に戸惑う城崎は、頭を抱えて唸り出した。
 リアクションが派手な女子だな。
 と――――そんな微笑ましい目で眺めていた俺に、城崎の刺すような視線が
 向けられる。
 ……何だ?
 
「……あたしは、貴方に案内して欲しいの」
「は?」
「だから! 貴方が案内して、っつってんの! わかるでしょ!?」

 余りに突然のご指名。
 しかも、赤面しながら叫び出した。
 これは――――何のつもりだ?
 彩莉が子供だから、案内する能力に欠けている、と言う感じじゃない。
 明らかに、僕への執着だ。
 考えられるのは、二つ。
 
 僕の裸を見て、恋が芽生えた。
 僕に異能力の秘密を知られたんで、消すつもり。

 ……圧倒的に後者のパターンだよな。
 そもそも、裸を見て好きになるとか、どこの御伽噺だ。
 僕を亡き者にする腹づもりだと解釈する方がよっぽど妥当だ。
 これは決して予防線じゃないぞ。
 こう見えて僕、女子に告白された事が過去に3回ある。
 そのウチ1回はOKして、実際に付き合った事もあった。
 ま……なーんもないまま終わったけどね。
 具体的に言うと、向こうが別の男子とくっついた。
 僕に何の報告もなく。
 自然消滅――――と言うには、余りに悲惨な結末だった。
 付き合ったって言う実感もなければ、失恋したと言う実感もない。
 恋愛をしたって言う自覚すらない。
 あれ以来、僕は女子……と言うより、他人との距離感がわからなくなった。
 だから、ブツブツ文句を言いながらも、こうして働いてるのかもしれない。
 事務的な接客だと、距離感がとてもハッキリしてるから。
 僕にとってそれは、居心地の良い空間だった。

「聞いてるの?」

 なのに、このツインテールの女子は、僕の弱い所を何度も突っついてくる。
 どうすべきか。
 いや、答えは決まってるんだけど。
 お客様のご要望には、出来る限り応える。
 これもスタッフの基本姿勢だ。

「わかりました。彩莉、今から30分だけ、母さんに来て貰ってて」

 普段は(主に猟奇的な理由で)表には立たない母さんだけど、有事の際には
 対応するよう、常に制服姿で経理の仕事をやっている。
 ま、30分くらいなら大丈夫だろう。
 幾ら土曜日でも、そうそうお客様、来ないし。

「彩莉が接客やります。できますっ」
「いや、それは流石に……」
「良いんじゃない? 事務的な男より、明るい女の子の方が喜ばれるでしょ」

 核心を突くその攻撃に、僕は思わず胸を押えた。
 そりゃ……僕より彩莉の方が、接客には向いてるだろう。
 この子には華がある。
 もし、こどもスタッフとして仕事をさせれば、あっと言う間にテレビ局が
 押しかけて、たちまちスターになる事は明白だ。
 だが、それがこの子の幸せに繋がるとは思えない。
 
「と言う訳で、却下だ」
「むー。わかりました。花菜さんを呼んできます」

 彩莉は拗ねていたが、これもあの子の為。
 僕がここを出るまでは、我慢して貰おう。

「そういう事で、私が案内をさせて頂きます。お一人様で宜しいでしょうか?」

 一人は睡眠中、一人は車椅子が故障中だから、他に選択肢はない。
 さっきの彩莉への言葉は、断る為の口実だろう。

「ええ。じゃ、まずは温泉を紹介してよ」
「承りました」

 と言う訳で――――城崎を連れ、この『CSPA』を一通り回る事になった。

 


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  4月21日(土) 10:36
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 スパリゾート施設『CSPA』には、全部で5種類の温泉が存在する。
 その内、大浴場となる『大間の湯』、昨日僕が浸かっていた外湯『星風の湯』、
 プール感覚で入れる『娯楽の湯』の3つが、天然温泉だ。
 残り2つは、ジェットバスと内風呂。
 それ以外にも、地味に管理が大変な黄土サウナなど、2種類のサウナがある。
 この他、卓球台やフルーツ牛乳を置いてあるレジャースペース、
 リクライニングチェアとテレビを完備したリラクゼーションルーム等を
 擁している。
 ただ、本来必要なレストランや土産品コーナー、最近のスパには必須の
 ビューティールーム等はない。
 そう言う意味では、中途半端な施設だ。
 後発のスパ施設にお客様が流れるのは、必然かもしれない。
 
「へー……結構豪華なトコだったのね」

 ただ、こう言う所へ来た事がないのか、城崎には妙に好評だった。
 最後に訪れた、他にお客様もいないリラクゼーションルームで、
 目を線にして寛いでいる。
 
「と、以上が『CSPA』の全コーナーとなります。宿泊して頂いているお客様は
 全ての温泉を何時でも入って頂けますので、どうぞ御自由にお寛ぎ下さい。
 では、この辺で失礼します」

 ようやく一仕事終わった僕は、そそくさと退散――――

「待って。まだ本題にも入ってないんだから」

 しようとしたところ、上衿を掴まれた。

「おいコラ、何を……何をしやがりますでしょうか」
「その敬語、間違ってるでしょ」
「……まだ何か」
 
 目の周囲の筋肉が引きつるのを感じつつ、僕は及び腰で訊ねる。
 このまま、何事もなければ良かったんだけど、どうやらそう言う訳には
 いかないらしい。
 そりゃ、わざわざ僕を指名してきて、これだけで終わる筈がない……か。

「聞きたい事……って言うか、言いたい事があるのよ」
「承ります。何でしょう」
「今度は、お客様じゃなくて、あたし個人、城崎水歌として訊ねるから、
 そっちも敬語はナシでお願い。って言うか、なんかホントに肩凝るから、
 アンタのその話し方って」

 ヒドい言われようだった。
 僕の接客って、そんなに堅苦しいか……?
 父にも『ホストになれ』とか言われるし……普通だと思うんだけどな。

「わかったよ。じゃ、とっとと用件言え」
「今度は崩し過ぎじゃない……? ま、良いけど別に」

 その辺の調整は苦手分野だった。
 
「それじゃ、単刀直入に言うけど……」
「はい、何でしょう」
「そ、そのっ……」

 ちっとも単刀直入じゃなかった。
 寧ろ、振りかざした刀がプルプル震えてる。

「えっと、その……あの……う……」

 心なしか、顔も赤い。
 赤面症なのか?
 何にしても、気味が悪い。
 まさか、この隙に横からレーザーが飛んできたり……とか、ないよな?
 そう思いつつ、割と本気で周囲が気になり出した、その刹那。

「……………………アンタの遺伝子をちょうだい!」

 僕は生まれて初めて、目が点になると言う体験をした。











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