ちりん、ちりん。
 ちりん、ちりん。

 

 それは何の音?
 鈴の音?
 風鈴?
 それとも――――クリスマスのベルの音?

 


 ちりん、ちりん。
 ちりん、ちりん。

 


 それが何なのか、とうとう思い出す事は出来なかった。
 でも、仕方がない。
 人間には、忘却機能がある。
 どんな優れた発明品や優秀なコンピューターにも搭載されていない
 この機能は、人が人として生きて行く為には必須のモノだ。
 人が正常である事を保つ為には、忘れなければならない。
 曖昧でなければならない。
 見聞きしてきた全てを鮮明に覚えていると、人はどうしてもイヤな事、
 恥ずかしい事、悲しい事、辛い事……そんな暗澹とした記憶ばかりに
 回想が費やされてしまう。
 結果、心を乱してしまう。
 そして、壊れて行く。
 それを防ぐ為の機能。
 だから、その音を覚えていないのは、必然であり、後ろめたさを
 感じる事じゃないのかもしれない。
 それでも、心の何処かにポッカリと穴が空いたようなこの虚無感は、
 きっとその所為なんだろうな……と思うと、その穴の周囲は炎症を
 起こしたように、じんじんと痛む。

 じんじん。
 じんじん。

 鼓動のリズムに合わせて、鈍痛が時を刻む。
 それは、実感。
 生きている事の実感であり、生き続ける事の実感。
 でも、思い出せない。
 思い出そうとする事すら、忘れてしまう。
 そのあたりで、自覚する。
 ああ、これは夢なんだと。
 そう思った瞬間、魔法が解けるかのように、意識は速やかに覚醒する。
 それが起床のメカニズムであるかのように。
 今日もまた、ルーティンに支配された、穏やかな一日が始まる。

 


 欠伸を噛み殺しながら登校する風景に、果たして何色もの色が使われているのか。
 そんな事を考えながら、探し当てた色は全部で19色。
 意外と少ない。
 というか、それくらいしか色の種類を知らない知識不足が原因だ。
 実際には、もっとカラフル。
 そして、もっと複雑な筈だった。
 けれど、高校生の経験値では、それを全て理解する事は出来ない。
 例えば、右側に長く伸びているガードレール。
 少し前方に放置されている枯れた花束だって、もしかしたら
 何か大きな意味があるのかもしれない。 
 普通は、そういう場所に花束があれば、そこで事故でもあって、誰か亡くなったと
 想像するだろう。
 でも、実際には全然そうじゃなくて、恋人にプロポーズする為に用意した花束が
 無駄になって、泣きながらそれをここへ捨てたのかもしれない。
 もしかしたら、転校する事になった小学生が、この場所で友達とお別れして、
 ここでの再会を約束し、目印としてお別れ会で受け取った花束を置いたのかもしれない。
 世の中には、色んなエピソードが、星の数ほど存在し、その一部が付箋のように
 あちらこちらに点在している。
 勿論、その全てを知る事は、一生をかけても到底できっこない。
 だから今日も、花束を無視して歩いて行く。
 誰に気にされるでもなく、素通りされて良く。
 ただ、それだけの日常。
 それだけの風景だった。

 


 校舎に入ると、いつも通りの喧噪が、いつも通りのボリュームで聞こえてくる。
 でも、この喧噪だって、実際には昨日とは違ってるんだろう。
 それがたわいのない雑談でも、同じ会話を毎日繰り返してる訳じゃない。
 だけど、それがどうしても違うモノには聞こえない。
 興味の無いミュージシャンの曲が、全部同じに聞こえてしまうような、あの感覚とも少し違う。
 きっと――――音は、幾つも重ねていくと、いずれ同じような音になってしまうんだろう。
 色がそうであるように。
 何色もの絵の具をかき混ぜると、結局は黒に限りなく近付くように。
 そして、現実もまた、そうであるように。
 そんな事を何気なく考えながら、廊下を歩く。
 早朝の廊下は、まるで光のトンネルのように、朝陽の輝きに包まれていた。
 例えそれが毎日のありふれた光景でも、何処か心が澄んでいく。
 安らぎを感じながら、そのトンネルを潜り、辿り着いた教室は――――
 まるでお花畑のように、たわいのない話に花を咲かせるいつもの面々が
 笑顔を振りまいていた。
 その全員と知り合いって訳でもない。
 クラスメートとは言っても、大半は赤の他人。
 モラトリアムの中ですれ違うだけの、ただの通行人。
 実際、教室に入っても、振り向く奴は一人もいない。
 当然だ。
 仮に、髪の毛を赤く染めてたり、右腕に包帯を巻いてたりしていれば
 少しの間は注目を集めるかもしれないけど、今は目を惹く要素が何処にもない。
 それでも、ここで突然『おはようございます!』と大声でがなれば、
 一斉にこっちに目を向ける事だろう。
 それは、いつでも行使できる。
 でも、しない。
 注目を集める事に、意味があるとも思えない。
 そういう事にして、自分の席に座る。
 そこから見える景色は、やっぱりいつものまま。
 黒板の大きさも。
 教卓の位置も。
 風の吹き付ける角度も。
 まるで静止画のよう。
 そこに教師が割り込んで来ても、時間は止まったまま。
 垂れ流されるフィルムを、漫然と眺め続ける。
 念仏のような教師の声を、耳に入れるでも、心に留めるでもなく、
 音として認識し続ける。
 授業中は、自分が自分じゃないように、いつも思う。
 本当の自分は、上の方にいて、下でじっとしている自分を見下ろしているような、
 そんな感覚。
 脳天を中心としたフォルムは、まるでスペードの記号のように見える。
 滑稽だけど、何処か懐かしい形。
 それをじっと、じっと眺めながら、午前中を過ごして行った。

 


 そして、お昼。
 昼休みを告げるチャイムは、同じ音でも少し違って聞こえる。
 きっと、殆どのクラスメートは、それが祝福のゴスペルのように
 聞こえている事だろう。
 昼休みはただの宿題消化タイム。
 家で勉強机に向かう気にはなれないから、ここで午前中の宿題を
 全て片付けてしまう。
 遊ぼうと思えば、いつだって遊べる。
 でも、それをしない。
 無駄に時間を浪費したくないから。
 休み時間に勉強するという行為は、少しだけ罪を犯しているような、
 禁忌に足を踏み入れているような高揚感がある。
 だから、普段より集中できる。
 合理的だ。
 昼休みだからといって、遊ぶ必要なんてない。
 自由なんだから。
 だからこの日も、宿題に励む。
 それに何の疑問もない。
 午後の授業は、午前の半分しかないから、楽だ。
 そう思うだけで、気分はとてもハイになる。

 


 そして、待望の放課後。
 学生は勉強が仕事と言うけれど、仕事を終えた時の社会人はみんな、
 この開放感を得られるのだろうか。
 それを知るのは、少し先の事になるだろう。
 今はそれを想像するだけ。
 学生というトンネルを抜けた自分の姿は、どんなモノなのか。
 最近はよく、帰り道でそんな事を空想する。
 色んな可能性が潜んでいる筈だ。
 勿論、何にだってなれる、とは思っちゃいない。
 部活にも入ってないのに、ヤンキースのクリーンナップやバルセロナの中盤に
 混じれる訳がないし、神の手と呼ばれるような外科医や、やり手の弁護士に
 なれるとも考えていない。
 何より、この世の中にごまんとある職業の中に、自分がやり甲斐を感じられる
 モノが、果たしてどれくらいあるのか――――と思うと、自ずと可能性は
 狭まっていく。
 やりたくない仕事なんて、やる必要はない。
 お金を稼がないと生きていけないっていうのは、この上ない正論。
 でも、一日の大半を占める『仕事』という時間を苦痛で埋めるのは、
 正直納得できない。
 そんな未来を想像すると、萎える。

『甘えるな』
『自分の好きな事ばっかりやれるほど、今の世の中は甘くないぞ』

 きっと、親父ならそう言うだろう。
 社会人を何年も経験してきた人間なら、誰もが思うだろう。
 でも、納得できないね。
 貴方達は確かに立派だ。
 身を粉にして働いて、そこで得たお給料で、家族を養う。
 それは大変な事なのかもしれない。
 けど、本当にそれで良かったの?
 最初からそこを目指してたの?
 本当は、もっと違う場所を目指して、そこへ辿り着けなかったから、
 そんな自分の人生を正当化する為に、自分の日常を過大評価、誇大表現してる
 だけなんじゃないの?
 もし、同じ道を辿ったら、きっと同じように、『毎日あくせく働いて愛する家族を
 養ってるんだよ。甘っちょろい学生に非難される筋合いはないね』と言うだろう。
 でも、それはあくまで、そうなったら――――の話だ。
 まだ、理想や、理想に近い場所を目指す羽は生えている。
 貴方達の仲間入りはしないつもりだ。
 まあ、見ててよ。
 まだ時間は沢山ある。
 何になりたいか、吟味する時間が山ほど残されている。
 夢と呼べる道を見つけて、そこをひたすら目指す。
 叶えた夢の現場で、沢山の名声を得て、自らを熟成させていく。
 それはきっと、珍しい人生じゃない筈だ。
 例えば――――今、真上で電信柱に登って作業をしている人。
 その技術を身に付け、それで生計を立てている事は、大人の証。
 とても立派だし、ちょっと憧れたりもする。
 けど、彼が最初からここを目指していたとは思えない。
 そして、この作業を出来るのは、彼だけじゃない。
 全く同じ事を、何人もの人がやれる。
 そこは、目指すべき道じゃない。
 そう考えると、何かしらのクリエイターを目指すべきなんじゃないだろうか。
 音楽でもいい。
 小説家でもいい。
 マンガでも、料理でもいい。
 これらは、自分にしか出来ない事を表現する職業。
 仕事そのものが、自分が自分である事の証明になる。
 まだ具体的に目指す職業を特定する段階じゃないが、方向性は既に見えていた。
 だからこの帰り道を、その空想で満たす。
 例えば――――ミュージシャンを目指すとする。
 大学受験を控えた中で、その勉強の合間を縫って、毎日少しずつ曲を書き進めていく。
 何か別の事をしなくちゃならない時に、違う事をやると、ちょっとした高揚感が生まれて
 集中できる。
 昼休みに実践してる事そのもの。
 効率的、合理的な方法だ。
 それをそのまま利用し、高校在学中に、誰もが驚く作品を作る。
 その作品を、インターネット上に投稿。
 結果、爆発的な閲覧数を記録。
 大学に通いながら、俺はネットミュージシャンとしての人生を歩む事になる。
 取材を受けたら、作品を生み出したプロセスを簡潔に紹介しよう。
 きっと、みんな感心する筈だ。
 デビューしないか、という誘いが殺到するだろう。
 でも、しない。
 インディーズでずっとやっていく。
 そして、インタビューでも『天才じゃないんですよ』と必ず言う。
 今の時代、謙遜する事が必要だ。
 見えない敵は作らない。
 先入観は大事だ。
 作曲家が嫌なヤツだから、そいつの作品を聴かない――――そう思われる事の
 ナンセンスさは、途方もない。
 それをよしとしない。
 音楽家は自営業。
 自分の見られ方もプロデュースしないといけない。
 そんな自戒を常に抱きながら、ストイックに作品を生み出していく。
 でも、世の中そうそう甘くはない。
 きっと、スランプはやってくる。
 自信作が全く売れなかったり、メロディが振ってこなかったり。
 暫くの間、『終わったミュージシャン』として、インターネット上で
 嘲笑される存在となるだろう。
 でも、愚直に作品と向き合い、書き続けていく。
 その結果――――それまでと全く違う作風で再び注目を集める。
 不死鳥の如く蘇った人間は、無条件で賛美される。
『一度落ちて這い上がったヤツは本物』と、勝手な先入観を持たれる。
 そうなれば、しめたモノ。
 波はあれど、音楽家としての地位は一生、揺るがないモノになるだろう。
 ――――と。
 そこまで空想を広げた所で、家に着いた。
 今日は良い感じだった。
 明日はどんな未来の自分を想像しようか。
 そう思うだけで、帰り道が楽しくなってくる。
 学校は、特に面白くはない。
 義務教育じゃないから、いつでも辞められる。
 でも、辞めない。
 大学へ行く事は必須だし、その為に面白くない事を我慢するのは
 仕方のない事だ。
 どんな道を目指すにしても、大学へ行く事は必要。
 4年間の猶予は、未来をより厳選する上で、大事な期間になるだろう。
 

 

 学校から帰ってきた後の自室は、学校へ行く前の自室とは別物。
 今のここは、究極のリラックスルームだ。
 特に、テーブルの上に置かれているクリスタル製の花瓶に生けた
 小さくて青い花は、心を落ち着かせてくれる。
 勿忘草、と言う名前だったか。
 別に花が好きって訳じゃないけど、この花は気持ちを穏やかにしてくれる。
 その隣にある、少しスペードのマークに似た黄金色の置物も良い。
 スカートのように、下に広がった釣鐘型。
 そこから、真上に伸びた棒状の物が、趣深いフォルムを生み出している。
 それが何なのかは、よく知らない。
 気付けば、そこにあった。
 ま、オブジェに意味を求めても仕方ないし、それをずっと眺めてても
 そこから生まれるモノは何もない。
 ベッドに腰掛け、そのまま上半身を壁に預ける。
 目の前には、真っ黒の液晶テレビ。
 この時間は、面白い番組はやってないけど、昨日録画したサッカーの試合が
 HDD内に入っている。
 時間的にも、ちょうど良い。
 暫し、スポーツ観戦と洒落込もう。

 


 試合を見終え、その番組を消去したら、次はインターネット。
 携帯を弄り、いつもの巡回コースを辿る。
 相変わらず、世の中は罵詈雑言に溢れている。
 掲示板も、ブログも、ツイッターも、フェイスブックも。
 きっと、誰もが不満なんだろう。
 今に始まった事じゃない。
 戦国時代も、明治維新の頃も、戦争中も、高度経済成長期も、バブル期も、
 みんな同じ事だ。
 不満のない時代なんて、絶対にない。
 その不満の捌け口が、家庭や居酒屋から、自室になっただけの事。
 本当に、それだけの事だ。
 だから、遠慮なく毒を吐く。
 それは紛れもなく、自分の発信した情報。
 その証拠も、しっかり残っている。
 でも、そんな実感はない。
 殺人予告をしたところで、どうせ警察がここにやって来る事もない。
 だから、今日も周りに合わせて、批判や汚い言葉をガンガン書き込む。
 そうすれば、同意は貰えなくても、責められる事はない。
 こうして今日も、処世術を学ぶ。
 どうすれば、人から怨まれないように生きられるか。
 無用な敵を作らずに過ごせるか。
 今日も沢山、学習した。

 


 ふと携帯を見ると、日付が変わっていた。
 そろそろ寝る時間だ。
 携帯を閉じ、テーブルの上に置く。
 寝るのに、時間は掛からない。
 電気を消して、寝っ転がって、枕の上に頭を乗せるだけ。
 ただ――――この時間は、少しだけ嫌な事がある。
 目を瞑ると、耳鳴りがする。
 延々と、ブーンという音が、頭の奥で鳴り続ける。
 耳を塞いでも、その音が小さくなる事はない。
 暫く、我慢が必要だ。
 その音が途絶えると、眠りに就く事が出来る。
 きっとその瞬間は、意識がないんだろうけど、それでも
 何とも言いようのない多幸感が、全身を包んでくれる。
 この瞬間を味わうだけでも、一日を送る価値がある。
 ゆっくりと。
 沈む意識を微かに感じながら、この日の終わりを実感した。

 


 ちりん、ちりん。
 ちりん、ちりん。

 


 それは、風の音。
 光の音。
 キラキラ輝く、光のベル。
 花瓶の上の勿忘草が、小さく揺れる。
 窓から入り込む風は、少しだけ生温い。

 


 ちりん、ちりん。
 ちりん、ちりん。

 


 その優しい音を乗せて、風は伝う。
 半開きになっていた扉を潜り抜けて、階段を下りる。
 二人分の食事の匂いをちょっとだけ味見。
 その匂いと共に、入り口のドアが開くのを、少し待つ。
 風は、滞らない。
 目には見えなくても、そこにいて、廻り続ける。
 もうすぐ出勤時間。
 いつものぶっきらぼうな声と同時に、スライド式のドアは開く。
 そこからは、自由。
 何処へでも行ける。
 何処へでも飛べる。
 民家を抜け、地面を這い、ガードレールを沿って、
 既に枯れてしまった花束を、カサカサと揺らす。
 それに背中を押されるように、登校中の学生達は、
 躍動感にも似た高揚感と共に、歩を進める。
 風は色もなく、形もなく、ただ音だけを従えて、
 多くの生徒の隙間を縫って、校門を潜る。
 校内の廊下は、沢山の窓を全て開放し、風の通り道を作っている。
 歓迎された事で気をよくしたのか、より甲高い音と共に、
 風はその中へと入る。
 廊下を歩く生徒達の顔は、明るくもあり、暗くもあり。
 悲喜こもごもの一日の始まりを告げていた。
 そんな彼等の行き着く先は、各々の教室。
 そこは、夢の始まり。
 毎日、繰り返し行われる授業に、具体的な未来は見えない。
 でも、その中で学ぶ事は、確かに未来を切り開く上で必要な知識。
 数多の学生が、毎年そこに同じような不満を抱き、同じような悩みを抱き、
 そして違った価値を見出す。
 そこにあるのは、確かな出発点。
 例えそれを自覚しなくても。
 風はそれを、見守り続ける。
 流れながら。
 揺らしながら。
 沢山の机に向かって、穏やかに吹き付ける。
 平等に。
 その席に誰がいようとも。

 その席に、誰もいなくても。
 
 風は今日も吹き付ける。
 夢を語り、夢を追い、現実を歩み続ける彼等に。
 何処にだって行ける筈なのに、ここにやって来る。
 毎日、同じ光景のその教室を、見守り続けている。

 
 今日もまた、ここで――――

 








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