――――――――――――
5月20日(日) 6:30
――――――――――――
携帯の目覚まし機能がうなりを上げる中、まだ覚束ない意識を
必死でかき集めるようにしながら、音を止める。
続いて、目覚まし時計のベルが鳴る前に、そっちもOFFに。
万が一寝坊しても、父がフライパンとお玉で起こしに来るんだけど、
甘えるのは癪なんで、一応二重の防衛ラインを設けている。
さて……今日も忙しくなりそうだし、気合い入れんと。
あ、そういえば、求人の事も両親に伝えておかないとな。
昨日、鳴子さんに聞いた事、メモ帳に書き留めておいたんだっけ。
メモ帳、メモ帳……おっ、あった。
よし、そんじゃ着替えて行きますか。
――――――――――――
5月20日(日) 6:44
――――――――――――
朝食をとりにカフェルームへと向かう途中、城崎と遭遇。
かなり眠そうな目をこっちに向けてきた。
「……おふぁう」
「今のは挨拶なのか、欠伸なのか」
「どっちでふぁう」
今のも、『どっちでしょう』なのか、『どっちでも』なのか、わからなかった。
基本、城崎は朝が弱い。
低血圧なのか、寝坊する事もままある。
その度に鉄拳制裁を食らわしているものの、改善の気配はない。
ま、今日はちゃんと起きてきてるから良いけど。
……って。
「お前、その髪型で良いのか?」
「ふぇ? 何が?」
「尻尾が4つあるぞ」
左右だけでなく、前後にもテールが出来ている。
ツインテールどころか、エグゼクティブツインテールになっていた。
「……」
寝ぼけ眼の城崎は、まだ自分の状態が把握できてないのか、
ボーッと頭を触り始めた。
そして、しばし触診した後――――
「ま、いっか」
そういう結論に至ったらしく、スタスタと進んでいく。
まあ……髪型は本人の自由だしな。
お客様も、あんな髪の従業員みたら、物珍しさで逆に喜ぶかもしれないし。
多分、寝ぼけてて思考回路が働いてないだけなんだろうけど、放っておくか。
――――――――――――
5月20日(日) 7:12
――――――――――――
「湯哉、昨日の件だが……」
食事をちゃちゃっと済ませて、開店準備をしているところに、
フラッと父が現れる。
昨日の件ってーと、求人の事か。
「ああ。それなら、鳴子さんが詳しく知ってたから、聞いてきた。
メモしてるから、それに目を通しといてよ」
「おお、そうか。なんだかんだで、あの子等も貢献してくれてるなあ。
やはりこの俺の目に狂いはなかったか。ぐっぐっぐ」
最後の鳴き声は、笑い声と『Good』の融合のつもりなんだろうが、
いちいちツッコむ気にはなれなかったんで、さっさとメモ帳を手渡して
確認を求めた。
さて……中は一通りチェックし終わったし、外の掃除でもしておくか。
天気は晴天。
今日も、お客様が押しかける事になりそうだ。
目的は温泉じゃなく、埋蔵金だけど。
ま、別に温泉に拘りがある訳じゃないし、構いはしない。
大学まで行かせて貰える環境さえ持続してくれれば。
でも……大学まで行って、僕は一体、何になれるんだろう。
一度この【CSPA】がダメになりそうになった時、将来の事が急に
リアルに感じられるようになってきた。
早く自立したい。
このスパランドの経営状況に、未来が左右されないように。
でも、自分の中のどんなスキルを使って自立すればいいのか、わからない。
そもそも、僕の中に、社会に通用するようなスキルが存在するのか。
ただの歯車として、誰でも世に出られるような時代じゃなくなった今、
若人に求められるのは、熱意や気力だけじゃなくなった。
自分に何が出来るかを、堂々と宣言できる自信。
今の僕には、それがない。
だから、街の探偵さんに憧れてるってところもある。
これから、何を武器にして戦っていけば良いのか……わからない。
果たして僕は、これからの人生で、それを見つける事が出来るのだろうか――――
「おい、湯哉」
「どわっ!」
「ぐがっ!?」
真面目な事を考えている最中、突然背後から肩を叩かれたんで、
思わず裏拳を出してしまった。
「うぐ……良いパンチだ。が、実の父に拳を向けるとは何事だ」
「いや、後ろに立たれると、つい……」
城崎のテレポート襲撃の所為で、どうにも過敏になってしまっている。
別にゴルゴを目指している訳じゃないんだけどな。
「まあ、それは良いとして……このメモ帳、求人の事なんぞ書いとらんぞ。
なんか訳のわからん書き物とか、箇条書きとかばっかりで」
「あ」
その父の指摘の瞬間、僕は顔が真っ青になって行くのを実感した。
このメモ帳……僕のじゃない。
昨日、自販機の取り出し口で拾ったヤツだ。
恐らく、鳴子さんの。
やっちまった!
僕も思いっきり寝ぼけてた!
これじゃ城崎のことをバカに出来ない!
「それにしても、湯哉にこんな趣味があったとはなあ。将来は小説家を
目指しているのか?」
「いや、それは……そうだ、アレだ。お客様の落とし物を昨日拾ってて、
それと間違えたんだ」
「はっはっは、そんな見え透いた嘘は吐かんで良い。そうか、小説家か……
俺も昔、憧れたりしたもんだ。学生時分には、色んな可能性を試すものだしな。
いいんだぞ、俺や母さんに気を使わなくても。お前はお前の好きなように
生きれば良い。俺は決して、このスパランド【CSPA】を継いで欲しい、とは
言わない。俺はそういう男だ。こんな絶好調な、こんな素晴らしいスパ施設を
一代で終わらせるなんて、とてもバカげた事だと、俺は決して言わない男だ」
饒舌なプレッシャーは、時として無言のプレッシャーよりキツい。
父の顔は終始綻んでいたけど、目は笑っていなかった。
参ったな……そんなに継がせたかったのか。
どうやって逃げようと思案する間もなく、父はメモ帳を返して
とっとと店舗の中に入っていった。
なんか……いろいろやっちゃったな。
地雷を二個、いっぺんに踏んだ気分。
ま、僕の将来は一先ず置いておくとして、問題はこのメモ帳だ。
……小説家?
鳴子さん、小説家を目指してたのか?
とは言え、ただ単に手記みたいな記述で記録を取ってるだけかもしれない。
申し訳ないとは思ったが、中身を確認させて貰う事にした。
そこには――――確かに、父の見解通りの内容が広がっていた。
小説に使えそうなネタを箇条書きで書き留めた、プロットっぽい記述。
そして、物語。
タイトルは『光のベル』。
手書きでビッシリと書かれた文章は、かなり汚い字だったが、
それがなんらかの物語だという事はわかった。
わかったけど――――
これは酷い。
一体何を表現したいのか、一切見えてこない。
ストーリーも何もないし、気持ち悪い独白が大半を占めているだけの、只の作文。
まるで、詩や日記を物語調にムリヤリ引き延ばしたみたいだ。
何処を面白く思えば良いのかすら、全然わからないぞ……
「……見ましたね」
「うわっ!?」
思わず裏拳が唸る。
が、今度は空を切った。
つまり、低い位置に頭がある訳で――――
「な、鳴子……さん?」
「見てしまいましたね。私の……決して見られてはいけない秘密を」
「え、あ、いや、これは」
「……」
鳴子さんの顔は、終始真っ赤っか。
そりゃ、無理もないか。
確かにコレは、見られると恥ずかしい。
僕なら絶対、見られたくない。
「あのさ、これにはちょっと、色々あって」
「貴方の時間を奪います」
「へ?」
「未来永劫、この事を思い出せないよう、貴方の時間を奪うと、そう言ったんです」
な、なんか鳴子さんの様子が変だ。
殺気に満ちている。
こんな子じゃなかった筈だ。
これまでになく身の危険を感じるぞ……
「そ、そんなに恥ずかしがる事ないと思うよ。父も、小説家大いに結構って
言ってたし。若い時ってそういうモノだって」
「親御さんにも見せたんですか!?」
あ、藪蛇った。
「いやいやいや、これにも深い深い訳が……」
「……もう一刻の猶予も許されませんね。貴方の時間を全て奪います」
「ちょ、ちょっと待った! 目が、目が据わってる!」
「元々座ってます!」
誰がこんな時に上手いこと言えと!
「私のタイム・レーザーは、過去の時間は奪えません。過去にあった事は
なかった事には出来ません。でも……未来の時間は奪えます。貴方が
これから送る筈だった人生、60年か70年かはわかりませんが、それを
全て奪います。私の一生分の時間を使って、貴方の存在をこの世から消し去ります!」
「それってもはや無理心中だろ!? そんな思い詰めなくても!」
「私にとっては、それくらいの大事故です! 貴方を消して私も消えます!
それで全てを終わりにします!」
鳴子さんの全身が、発光し始める。
特に右手の指の辺りは、太陽くらい眩しく。
完全にテンパっていた。
普段の落ちついた彼女からは想像できないくらいに。
そこまで――――見られたくなかったのか。
気の毒な事をしてしまった。
……って、そんな反省に浸ってる場合じゃない!
このままじゃ、僕の残りの人生、全部の時間が奪われる!
何かないか、何か……
「一度、授賞式に出席して、チヤホヤされてみたかった……」
あ、なんか人生のシメの言葉言い始めやがった。
それと同時に、鳴子さんから光が発射される。
あー……これは、もうダメだ。
何も打つ手がない。
僕、こんなとある日の早朝に、人生を終えるのか。
結局、何にもなれないままだったな……
「お兄さん、おはようございまふ」
あ、彩莉。
いつの間にか、彩莉が後ろから近付いて来ていた。
彩莉……お前にも忘れられるんだろうな。
お前のお兄さんはもういなくなるけど、元気でな。
悪い男には捕まるなよ。
髪とか肌とか爪とか、変な色に染めるなよ。
一生、そのままの彩莉でいるんだぞ……
「お兄さん?」
……あれ?
確かにレーザーは発射されたのに、僕の意識はそのまま。
彩莉も僕を認識しているみたいだ。
もしかして……ブラフ?
でも、冗談にしては、切羽詰まりすぎだったような。
「お兄さん、お兄さん」
「ああ、ゴメン彩莉。おはよう」
「良かったです……無視されてるのかと」
安堵する彩莉の頭を撫で、僕は視線を鳴子さんの方に戻した。
鳴子さんは――――呆然としていた。
でも直ぐに、いつもの生気ある顔に戻る。
「もしかして……」
「え? 何?」
「いえ。何でもありません。何でも……いえ、何でもあります」
どっちだよ。
ってか、小説家目指してるんなら、正しい日本語を使いましょう。
「あ、鳴子さん。おはようござまいます」
「はい、おはようございます」
鳴子さんはキュルキュルと近付いて来て、彩莉に小さく微笑んだ。
余り感情を出さない彼女だけに、その顔は結構珍しい。
まあ、さっきの取り乱した姿の方がよっぽど――――
「夜に、カフェルームに。お話があります」
ボソッと僕にそう告げ、鳴子さんはそのまま言ってしまった。
メモ帳、返してないんだけど……ま、それは後回しだ。
そろそろ開店時間。
あんまり仕事が手につきそうにない精神状態の僕は、思わず大きな溜息を吐いた。
――――――――――――
5月20日(日) 23:31
――――――――――――
仕事が一段落し、従業員が自由となった時間。
僕は指定された通り、カフェルームへと足を運んだ。
またレーザーを撃たれるかも、という怖さもあるけど、
同じ屋根の下にいる以上、放置しても意味がない。
「……来ましたか」
「ああ。来たけど」
深夜のカフェルームは、明かりを付けても何処か薄気味悪い。
何より、目の前の鳴子さんの様子が、尚更そう感じさせた。
「時間も時間ですし、率直に伺います」
「え? 何を?」
「……どう、思いました?」
いきなりの質問。
想定外だ。
しかも、やけに曖昧。
何が『どう思った』なんだ?
小説家を目指しているらしき事実?
メモ帳の中身の物語について?
前者は、朝にちょこっと触れた気もしたし、後者か。
うーーーーーーーーーーーーーーん……
こういう時は素直に言った方が良いのかな?
お世辞言っても、この人には直ぐにバレそうだし。
「それじゃ、率直に言わせて貰うけど……正直、何が何だかわからなかった」
「そうでしょうね。普通に考えれば、そういう感想になります」
「ああ。ピンとこなかった」
僕のそんな意見に対し、鳴子さんは真顔で受け止めていた。
自覚もあるんだろう。
ぶっちゃけ、何が面白いのか、何を訴えたいのか、全然わからなかったし。
「貴方は、あれを見て『消えてる』と思いましたか?」
「え? あ、ああ……そうだね。それはなんとなくわかった」
あの小説の主人公は最後、確かに『消えていた』。
でも、何でそうなったのか、全く説明されていない。
死んだのか。
元々死んでたのか。
存在を失ったのか。
そもそも、人間じゃなかったのか。
それすらもわからない。
だから、それ以上どう答えて良いかもわからない。
「……やっぱり、そうですよね。と、なると……」
鳴子さんは、車椅子の上で、思案に耽る。
思ったほど、落ち込んではいないみたいだ。
「貴方ではなかったのかもしれません。私が探していたのは」
「え……? どういう事?」
「私は、貴方が中心人物だと思っていました」
それってつまり――――僕があの主人公だって事?
僕をモデルにした、って事?
あの、勘違い甚だしい、鼻持ちならない男が、僕?
でも、実際に書いてみたら、なんか違ってた……そう言いたいのか?
「おいおい、幾らなんでも、それはないだろ。無断でやっといて、
いきなり難癖つけられてもな」
「すいません。でも、私もあの時は我を失ってて……ただ、これでハッキリしました」
「何がだよ?」
「中心になるのは、貴方ではなく、彩莉ちゃんだという事です」
はい?
それってつまり――――
「……彩莉を主人公にする、って事か?」
「変わった表現ですが、その通りです」
この女……彩莉を主人公に小説を書く気だ。
なんてあざといんだ!
小学生の女子が主人公なんて、あざとすぎるぞ!
どんな内容にする気だ?
まさか……彩莉にあんな事やこんな事をさせる気か!?
フィクションでも断固許さんぞ!
「残念だけど、それは認められない」
「いえ。絶対にそうです。そうとしか考えられません」
「いーや、ダメ。それが原因で彩莉に妙な連中がつきまとったら
どうすんだ。絶対ダメ」
「確かに、その危険はありますが、それは、私達が全力でフォローします。
だから、一度試させて下さい。お願いします」
「不許可!」
僕は両腕で全力の『×』を作った。
それでも、鳴子さんは怯まない。
彼女も彼女で、必死だ。
そこまで……彩莉をモデルにしたいのか。
これだけの熱意を目の当たりにすると、少し気持ちが揺らぐ。
変な小説じゃなけりゃ、別にいいか……?
「一応聞いておくけど、内容はどんな感じのを想定してるんだ?」
「直接的ではありますが……彼女に発射します」
発射だとッ!?
なんたる、なんたる暴挙!
けしからん!
「ぜーーーーーーったいダメだ! っていうか、鳴子さん見損なった!
そんな人だったのかよ! 最低だな!」
「そう言われても、仕方ないかも知れません。自分の利益の為に、
あんな小さい子を試すのですから。非常識と言われれば、否定できません」
「当然だ! 絶対ダメだからな! 彩莉に近付くのも禁止!
守れないなら、出て行って貰うぞ」
「それは出来ません。私はこのままで終わる訳には行きません」
「知るか! そっちの都合ばっかり押しつけやがって!
いいか、彩莉に害を成すヤツは、誰だろうと僕が全力で阻止するからな」
「交渉、決裂ですか」
「そういう事だ」
鳴子さん……なんて呼び方も、もうヤメだヤメ。
鳴子は影をまとった顔で、僕の方を睨み付けていた。
当然、僕も睨み返す。
火花が散りそうなくらい。
「なら……仕方ありません。貴方には少しの間、消えて貰います」
つまりは、実力行使。
タイム・レーザーで僕の時間を奪う気だ。
……でも、待てよ?
「タイム・レーザーって、自分の時間をコストにするんだろ?
だったら、僕の時間を奪っても意味ないじゃん。自分もその間、
この世から消えてるんだろ?」
「はい。でも、その間に水歌か文奈に試して貰います」
「ブラフだな。そんなの、出来る筈がない」
僕の指摘に、鳴子の顔色が変わる。
図星だったみたいだ。
当然だ。
他の二人が、彩莉を主人公にした物語を書くなんて、おかしな話だ。
……おかしな話だよな。
おかし過ぎるブラフだ。
こんな支離滅裂な事、この人が言うだろうか。
そこまで追い詰められてる、って事か?
「……見抜かれていましたか。確かに私はまだ、この事をあの二人には話してません」
「カミングアウトしてないのか」
「はい。まだ確証を得ていませんし」
確証?
将来、小説家になれる確証って事か。
まあ、気持ちはわからなくもない。
僕だって、自分の将来が決まってないのに、『あれを目指す!』とは言えない。
「だから、私一人で……と思っていたんですが……難しいみたいですね」
「おいおい。自分の夢なんだから、そこは自分だけで頑張らないと、だろ?」
「……夢ですか。確かに、夢かもしれません。私にとっては、かけがえのない事です」
そう呟く鳴子さんは、何処か悲しげだった。
……くそっ。
気持ちがわかる。
わかってしまう。
それだけに、辛い。
彼女の全てを否定するのは、僕自身を否定するようなもの。
僕だって、何者かになりたい。
彼女は『小説家』っていう、より具体的な夢を追っている。
僕の道を、僕より一歩前にいる。
口惜しくもあり、共感もしたり、色々な感情がゴチャゴチャに混ぜ合わさっている。
「……なあ。他に幾らでも方法はあるだろ? なにも彩莉でなくても」
「彩莉ちゃん以外、該当者はいません。断言できます」
「なんでそこまで……?」
そこまで、まだ会って間もない彩莉に執着するんだ。
そんな僕の疑問に、鳴子は一旦歯を食いしばったような顔を見せ、
そして――――答えた。
「賭けているんです。今回に……全てを。彼女には、その価値があります」
それは、答えにはなっていない。
でも、わかる気がした。
彩莉は余りに可愛い。
そして余りに無垢だ。
そんなモデル、そうそう巡り会えないだろう。
彩莉に執着する理由としては、十分かもしれない。
「……わかった」
「わかって頂けましたか?」
「ああ。でも、発射はダメだ。真面目に、ちゃんと書いてくれ。それなら、許可する」
僕のこの言葉で、場は収束する筈だった。
けれど――――鳴子は頷くどころか、キョトンとしていた。
「……書いてくれ、とは?」
「だから、小説。普通の小説なら許可するって事。児童ポルノとか、そういうのは絶対不許可」
「……………………はい?」
「いや、だから、小説の話を……」
「私はずっと、異能力の話をしていたんですが。異能力を消すと言う」
僕と鳴子の間に、沈黙が漂う。
……ん?
もしかして……
「……噛み合ってなかった?」
「どうやら、そうみたいです」
向こうも違和感を覚えていたのかもしれない。
どうやら、僕の解釈と鳴子、もとい鳴子さんの解釈は、全く噛み合っていなかった。
なんだ……小説じゃなくて、異能力の話だったのか。
なんて紛らわしい。
そもそも、冷静に考えたら、ここに来て直ぐに失くしたんであれば
僕をモデルにした物語を描ける筈がないんだ。
こっちも色々迂闊だった。
「って事は、なんだ? 僕じゃなくて、彩莉が異能力を消すチカラを
持ってるかもしれない、ってコトになるのか?」
「はい。今朝、彼女が貴方の傍にいたから、私のタイム・レーザーが無力化
されたと考えれば、そういう事になります」
ああ、そういうコトか。
確かに、あの時は深く考えなかったけど、その可能性は否定できない。
ってコトは、――――彼女は本当に彩莉が『異能力除去』のチカラを
持っているかを試す為に、彩莉に向けてレーザーを発射する、って言ってた訳だ。
……無用な地雷を踏んでしまった。
「あー、わかったわかった。そういうコトね。了解、考えておくよ。
僕も何度か食らったけど、特に実害はなかったし、最小限の時間なら
大丈夫そうだしね。じゃ、そういうコトで」
「待って下さい」
せめて傷口を広げないよう、そそくさとその場を去ろうとした僕を、鳴子さんが阻止する。
スゴく、切実な顔で。
「私のメモ帳……」
「あー、忘れてた! はい、返す返す! 返すよー」
「はい。それで……そこまでピンとこなかったですか? あのお話」
「じゃ、おやすみ。また明日」
「待って下さい。本当の事を言って下さい。面白くなかったですか?
訴えたい事が表現できてませんでしたか? 物語として成立していませんでしたか?」
自覚してるんなら、傷に塩を塗りつけるのは野暮。
と言う訳で、僕は無言で深夜のカフェルームを後にした。
「何か答えて下さい! 私のお話、そんなにつまらなかったです……か……?」
取り敢えず――――この一件で、僕の鳴子さんに対する認識は、大きく変わった。
色んな意味で。
――――――――――――
5月21日(月) 7:07
――――――――――――
「それじゃ、行ってきます」
昨日の疲労を引きずりながら、僕は【CSPA】の玄関へ向かう。
今日からは、求人も開始しなくちゃならないから、学校どころじゃない。
張り紙も書かないと。
ホント、ここ最近は気の休まる暇が無い。
過労で倒れないか、自分で自分が心配だ。
「……」
その玄関前に、車椅子の女性が一人。
鳴子さんは、朝早いと言うのに、シャキっとした顔でそこにいた。
「えっと……彩莉の件は、学校から帰ってきてからって事で」
「違います」
そして、起用に例のメモ帳を服から取り出し、差し出してくる。
「一度見られるのも、何度読み返されるのも同じです。昨日、徹夜で
書き直しました。もう一度読んで下さい。格段に良くなっている筈です。
きっと、今度はちゃんとわかって貰える筈です。言いたい事とか、面白さとか、全部」
「いや……遠慮しとく」
「読んで下さい! そして感想を下さい! 私が嬉しくなるような、やる気が出るような
優しい感想をお願いします!」
「無理だってば! あんな訳わかんない話じゃ……あ」
思わず出た本音に、鳴子さんの顔が崩れる。
「……え、えっと。それじゃ、学校あるんで」
「まだ話は終わってません! あれは私の本当の力じゃ……有馬さん! もう一回読んで下さい!」
車椅子でありながら、レーザーのような速度で追ってくるその姿に恐怖を抱きつつ。
僕はこの日も、更に疲労を蓄積させた。
前へ 次話へ