何か不思議な事が起きた時、よく人は『妖精の仕業』と言う。
 これは、言ってみればお約束みたいなもんだ。
 要するに、何が原因かわからない状況になった時、余り深くそれについて
 考えようとさせない為に、より不明瞭な存在を使って問題から切り離すと言う、
 ある意味、大人の卑怯な逃げ道。
 老人になると、それが天狗になる事もある。
 でもまあ、そう言いたくなる気持ちも、わからなくもない。
 現に今、俺はそう思っていた。
「……妖精の仕業?」
 思わず口に出したのは、周囲に誰もいなかったからだろう。
 こんなメルヘンチックな物言いを誰かに聞かれたら、一生モノの大チョンボだ。
 でも、本心としてはそう思わざるを得なかった。
 ここは、俺の部屋。
 木造住宅の二階にある、ごく普通の四畳半の部屋だ。
 それ自体に何か変化がある訳じゃない。
 変わっていたのは――――それ以外の全て、だ。
 まず、ベッド。
 毎日疲れた体を受け止めてくれる折り畳み式のパイプベッド――――だった。
 昨日までは。
 でも、目を覚まして何気なく眺めてみると、そのベッドはチェストベッドになっていた。
 勿論、部屋を間違える訳がない。
 ここは自分の家だ。
 間違えたとしたら、その部屋には誰かしらがいる。
 そして、変化したのはベッドだけじゃない。
 テレビも、少し縮んでいる。
 絨毯の色が、薄い青からベージュになっている。
 パソコンも、ノートからデスクトップになっている。
 目覚まし時計も。
 テーブルも。
 タンスも。
 そして、ポスターや小物類、日用品まで。
 あらゆる物が、ちょっとずつ変わっていた。
「……」
 この時点で疑うのは、これは夢じゃないか、って言う事。
 普通ならそうだ。
 夢なら、十分あり得る。
 でも、大抵の場合は、夢を見ている時点でそれが夢であると言う事を
 自覚する事は出来ない。
 まして、今俺は幾度となく頬をつねっている。
 現実だ。
 現実に、俺の部屋のあらゆる物が、ちょっとずつ変わっていた。
 厄介なのは――――テレビとパソコンだ。
 画面が縮んだ所為で、明らかにショボク見える。
 パソコンも、ノートの方が使い勝手がよかった。
 由々しき事態だ。
 ただ、この状況を他人に話すべきかどうか、と言うのも大きな問題だ。
『今日起きたら、部屋の物が全部取り替えられていた』
 こう親に話したら、親に泣かれる気がする。
 なんとなく。
 そしてその後、精神科に付き添われる気がする。
 実際、現時点で俺は俺自身の認識力を100%信頼出来ない。
 もしかしたら、記憶を操作されて、或いは自身で支障をきたして、
 部屋の中が変わったと『思い込んでいる』可能性だってある。
 そう言う精神疾患が、確かあった筈。
 それを疑わざるを得ないくらい、異常な状況だ。
 親には相談できない。
 かと言って、年が6つも離れた小学生の妹に話すのも問題だ。
 生意気盛りのあいつにこんな事言えば、かなり馬鹿にされるだろう。
 って言うか、罵倒されるだろう。
 それは避けたい。
 となると、選択肢としては友達、教師、精神保健福祉センターの窓口
 の三択ってことになる。
 友達は……まともに取り合ってはくれまい。
 教師も同様。
 最後のは、9時からしか受け付けていない。
 手詰まりだ。
 ど、どうしたら……
「……」
「……」
 何かと目が合った!
 今、確かにテレビの後ろから何かが出てきた。
 小さい何か。
 顔があった。
 ま、まさか本当に妖精?
「お、おい」
 俺は控えめに声を上げる。
 もし何もいなかったら、精神異常が確定だ。
 そうなったら潔く自分の足で精神科へ行こう。
 何か犯罪を起こして自首するみたいな気分だけど、それも仕方ない。
「誰かいるなら、速やかに出て来い。出てこないと、このアースジェットで
 お前を倒す」
 覚悟を決めて、脅迫まがいの言葉を提示する。
 ただ、昨日までアースジェットだった筈のそれは、フマキラーになっていた。
 一体何なんだ、この変化は。
 何か自分が騙し絵の中に迷い込んだみたいな気分だ。
 まあ、それはこの際置いておくとしよう。
「訂正だ。このフマキラーでお前を倒す。5秒以内に出て来い。5、4……」
 隣の妹の部屋に聞こえない音量で宣言し、カウントダウン開始。
 すると――――
「フ……フフフ……」
 突然、笑い声がテレビの向こうから聞こえてきた。
 これが幻聴じゃなけりゃ、俺はまともな精神状況だった、って事になる。
 そして同時に、何かがこの部屋にいる証明でもあった。
 どっちも嫌だけど、この現実の方がまだマシだな。
「そんな殺虫剤なんてこ、怖くはないけど? で、でもそこまで言うんだったら
 出てきてやろうじゃない。ありがたく思うのね。このラミナが他人の言う事を素直に
 聞くなんて、そそそうある事じゃないんだから」
 明らかに声を震わせ、そいつはテレビの裏からスーッと姿を現した。
 飛んで。
「……」
 そいつには、羽が生えていた。
 鳥やトンボのような羽じゃない。
 モンシロチョウみたいに、丸みを帯びた白い羽だ。
 ただ、その中央にある身体は、蝶々とは全く別。
 人間の女の子のそれだった。
 サイズは、掌に乗るくらい。
 身長20cmと言ったところか――――
「で、出てきたんだから、その物騒な物を仕舞ってよ!」
「まだ信用出来ないから却下だ。お前は何者だ? 俺の想像の産物か何かじゃないよな?」
「はあ? 何言ってんのよ。何で私がアンタの腐れた羊羹みたいな頭の中の
 病んだ世界の住民でなくちゃなんないのよ。この可憐な姿見ればわかるでしょ? 妖精よ妖精」
 ラミナ、と名乗った妖精はこの上なく口が悪かった。
「そうか。それなら遠慮なく駆除しても良いな」
 噴射。
「みうーーーーーーーーーっ!? 」
 意味不明な悲鳴が部屋中にこだまする。
 と言っても、所詮は小動物の声。
 大した音量になる事もなく、フマキラーの成分によってポトリと床に落ちた。
 やれやれ、嫌な気分だ。
 人型の生き物を駆除しなくちゃならないってのは……
「なんてことすんの!? なんてことすんの!? 死ぬから! 初対面の妖精を殺すなんて
 ガッツだってそうそうはしないっての!」
「何で妖精がベルセルクを知ってるんだ」
「フン。妖精の情報収集能力を甘く見てるようね。私くらいになると、ワンピースから
 フェアリーテールまで、色んなマンガを網羅済みよ」
 凄く狭い範囲のように思えるのは気の所為か。
「それより、何で私を殺そうとすんのよ! これって殺妖未遂よ!? 立派な犯罪よ!?」
「そんな法律日本にゃねーよ。そもそも、この部屋の有様はお前の仕業なんだろ?
 それくらいやられても文句は言えない筈だ」
「言えるわっ! って言うか、もう少し驚きなさいよ! 自分の部屋が知らない間に
 ちょっとずつ変化してるって、これ凄い非日常っていうか、一生で一番のサプライズでしょ!?
 なんだってそんな淡々としてんのよ!」
 妖精風情にリアクションにダメ出しをされてしまった。
 不愉快だ。
「ライター何処に仕舞ったかな……」
「や、焼く気?! その殺虫剤の前にライターの火を点して、【必殺 火炎放射器!】みたいなノリで
 私を焼き殺す気?!」
「心配するな。羽だけ燃え残ったら、魚拓っぽく半紙に形だけでも残してやるから」
「フザケんなっ! 殆どデスマスクじゃない!」
 しかし、ライターはこの部屋にはなかった。
 まあ、タバコも吸わないしな……高校生だし。
「はあっ、はあっ……あーもうっ、なんでこんな変なヤツの部屋なんかに来ちゃったのか……」
「妖精にだけは言われたくないな。妖しい精って書いて妖精の癖に」
「失礼過ぎるでしょ! そもそも妖精って言葉はアンタら人間が考えたものよっ!」
 そうなのか。
 まあ、日本語だしな。
「それはまあ良いとして、だ。そろそろ登校時間なんで、俺は学校へ行きたいんだけど」
「この状況で登校熱望!? どう言う神経してんのよ!」
「遅刻出来ない理由があるんだよ。メルヘンなノリに付き合う時間はもうない」
「もうちょっと驚きなさいよ! 注目しなさいよ! 妖精なのよ!? 見なさいよこのちっちゃい感じ!
 見た事ないでしょ!? アンタ、今まで一度も見た事がない生き物を見て感動するとか恐怖するとか
 そう言う健全な精神はないの!?」
 妖精さんはピーチクパーチク煩かった。
 流石にここまで騒ぐと、妹が不審に思って乗り込んでくると思ったんだが、全然出て来ない。
 これは、アレだ。
 テレビの音と思われてる感じだな。
 後で騒音被害の賠償金の請求書が届きそうで嫌だ。
「ふーっ、ふーっ……ああっ、頭がクラクラ……」
 そして、妖精は大声の出しすぎで酸欠か貧血かになっていた。
「ま、殺されたくなかったら、早急に俺の部屋を出て行くんだな。ただし、ちゃんと
 イタズラした物は全部元に戻しておけよ。あと、妹には絶対見つかるな。ナニカの儀式の材料に
 されて、硫酸とかで溶かされても知らんぞ」
「どう言う妹!? って言うか、本当に私をこのまま放置する気!? ホラ、良く見て! 妖精!
 アンタの部屋の色んな物をちょっと違う感じに替えるって言う、人間には絶対出来ない事を
 やってのけたUMA! U・M・A!」
「知らん。言った事はちゃんと守れよ。じゃ」
 面倒事に関わる気はないし、遅刻は絶対に出来ない。
 確かに驚くべき事態ではあったけど、実際に全く現実感のない非日常に遭遇した場合、
 案外誰でもこんなリアクションになるもんじゃないかと思う。
 なんて言うか、スポーツの試合やドラマなんかで、余りに劇的な展開が訪れると
 逆に冷める人、結構いると思うんだ。
 それと同じ感じだ。
 タネがあるかどうか、に関係なく、なんかピンとこない。
「ま、待ちなさいよ! ホラ、ちっちゃな私がどうやって魔法みたいに
 アンタの部屋を様変わりさせたか気にならない? なるでしょ? え、ならない?
 じゃ、じゃあホラ、アメあげるから! いちご味! メロンもあるけど、どうなのよ!」
 時間なんで、登校する事にした。

 

 


 私立御剣学園の登校風景は、基本的に他の高校と何ら変わりはない。
 制服は男女ともブレザー。
 進学校なんで、極端に着崩している輩も皆無。
 まあ、自分の責任の下でそう言うファッションをするならば問題はない
 と思うんだけど、そうじゃないなら足並みを崩す必要はない。
 制服で自己主張しなくても、私服で十分出来るしな。
 俺の登校までの道のりは簡素で、学校に着くまで一度も道を曲がらない。
 ひたすら真っ直ぐ20分歩いた先に、学び舎がある。
「おはようございます、藤沢先輩!」
 途中、後輩から声をかけられ、軽く手を上げる。
 こう見えても結構、学園では有名人だったりするの、俺。
 部活には入っていないけど、一年時から生徒会で活動してたからな。
 去年の六月に書記となって一年。
 今、俺は生徒会長に立候補している。
 現在、選挙活動の真っ最中だ。
 遅刻出来ない理由は、これ。
 一回の遅刻が大きなイメージダウンに繋がる。
 まあ、生徒会長候補と言っても、自分自身そこまで堅苦しい人間だとは
 思ってない。
 多少はフランクなところがあると自覚してる。
 だからこそ、遅刻みたいなだらしない部分を見せる訳には行かない、とも
 言えるんだけどね。
「……ねえってば」
 そんな俺の真上に、蝿のように飛んでる羽虫が一匹。
 どうも、俺にしか見えていないらしい。
 声も聞こえていない様子。
 やっぱり、精神病の一種なんじゃないかと疑わずにはいられないが、
 妖精ってのはそもそも人に見えないものって気もするんで、取り敢えず
 自分を疑うのは止めておこう。
「ねえ! なんで無視すんのよ! 耳の中に小石入れられたいの!?」
「……」
 いい加減煩い。
 とは言え、こいつに話しかけると言う事はつまり、第三者から見れば
 虚空に向かって声をあげていると言う事になる訳で、安易に応える訳には行かない。
 そこで、文明の利器、携帯電話の出番。
 メモ機能を利用し、言葉を綴る。
「?」
 それを察した妖精は、スーッと飛んできて画面に顔を近づけた。
『耳に小石を入れたら、
 その瞬間即頭部で
 頭突きだボケ』
「う……」
 分が悪い事を悟ったのか、妖精は怯んでいた。
「って言うかっ。さっきの話だけど、私がどうやってイタズラしたか興味ないの?
 なんであんな事したのか関心ないの? ねー、ねーってば」
 ウザッたいな……
 最近流行のウザ可愛いポジションを狙っているのだろうか。
 取り敢えず、その旨を携帯画面に綴る。
「誰がそんなポジションで満足するかってのよ!」
 何故か向上心を主張して来た。
 まあ、このまま授業中まで耳元で飛び回られても困る。
 一応聞いてやる事にした。
 興味がない事も……ない。
「だったら最初からそう言えばいいのよ、全く。そう言う無駄な強がりって言うか
 意地っ張りな気質は女の子なら受けるけど、男がやっても時間の無駄なのよ」
 この妖精、呪いの類か何かなんだろうか……口開く度にイライラさせやがるな。
 一通り聞いたらどこかに捨てよう。
 と言う訳で、俺がすまし顔で登校する中、妖精は延々と自分の能力自慢を始めた。
 この妖精、名前は忘れたけど、何でも錬金術師の末裔だとかなんとか。
 錬金術師って人間じゃなかったのかと聞きたくなったけど、したり顔で
 説明されるのも癪だったんで、スルーした。
 で、俺の部屋が妙な事になってたのは、その錬金術による物だそうな。
 錬金術と言えば、等価交換。
 ハガレンでおなじみだな。
 無から有を生み出すのは出来ないが、現存する物質を返還して別の物質にする、
 と言うのが錬金術の基礎であり、ある意味全てだとか。
 で、その等価交換ってのは、実際に価値が同じくらいの物にしか変換出来ないらしい。
 後、この妖精が実際に触れた事のある物じゃないとダメ。
 構成情報を読み取って、それを複写するとか何とか。
 まあ、その辺の原理は当人も良くわかってないらしく、説明はかなり省かれていた。
 つまり、俺の部屋の有様は、こいつが等価交換で色々別の物に変えた事によって
 生まれた惨状だ。
 ただ、その錬金術ってのは結構難しいらしく、失敗すると同価値の法則を離れ、
 格落ちする物が練成される事もあるらしい。
「ま、私の華麗な技術を持ってすれば、そんな事にはならないんだけど♪
 くふふー……ふぎゃっ!」
 と――――自慢げに胸を張る妖精を、俺は伸びをするふりをして裏拳で沈めた。
「あにすんのよ! 鼻が曲がったらどう責任取るつもりよ! 鼻が曲がっていいのは
 悪役顔の魔女だけでしょーがよ!」
『うるさいボケ。テメーの錬金術
 とやらで俺の部屋のテレビと
 パソコンは思いっきり格落ち
 してたぞコラ』
「え、嘘」
 アレは練成ミスだったらしい。
 パソコン内のデータが消えてたり、地デジ放送が見れなくなってたりってのは
 なかったから良かったものの、携帯性と画面サイズのランクダウンは痛い。
 どうにかして戻せと脅したが、等価交換が基礎となる錬金術において、
 一度失敗した場合はその失敗作のグレードでしか交換が出来ないそうだ。
 で、なんでそんな役立たずの妖精が俺の部屋でイタズラに興じたのか。
 これに関しては、少々意外な、そして俺にとってとても重要な事実が
 要因となっていたようだ。
「私等妖精はね、要請があって初めて術を使うの。じゃないと、この世界が
 メチャクチャになっちゃうからね。で、その要請ってのは、基本的に儀式って言うか、
 魔方陣ってあるでしょ? あれが契約の合図になるのよ」
『随分ステレオタイプな合図だな』
「うるっさいな! 昔からそう言う決まりなんだからステレオタイプになるのは
 当たり前でしょ。で、アンタに嫌がらせをするようにって魔方陣で呼び出した
 ヤツがいんのよ。ま、そいつは妖精を呼び出す魔法陣って知らなくて、
 何か死神とかモンスターみたいなのを想像してたみたいだけどね」
 そう。
 つまり、俺に対しての嫌がらせを敢行した誰かがいる、って事だ。
 幸か不幸か、心当たりはある。
 それは――――
「やあ、藤沢君。おはよう。今日もいい天気だね」
 心無い言葉で挨拶をして来た、その男に他ならない。
 桐谷正也。
 生徒会長立候補者の一人だ。
 現時点で、立候補者は俺とこの桐谷の二人。
 俺に嫌がらせをするとすれば、こいつ若しくはこいつの陣営、取り巻きしかいない。
 まあ、どこかで逆恨みを買っている可能性を否定する事は出来ないけど……
「ああ、いい天気だな。絵の具で塗ったみたいな空だ」
「相変わらず、君は面白い事を言うね。君を支持する人間がいるのも頷けるよ。
 君はとても魅力的な人材だ。今度の選挙で君と闘えるのは、とても光栄だね」
 軽く笑い、馴れ馴れしく肩に手を置く。
 その指で、露骨に肩甲骨をグリっと刺激しながら。
「……」
「そう睨まないでくれよ。確かに立場上は敵同士になるけど、僕は出来れば
 君とはずっと仲良くやって行きたいと思っている。お互い、悔いのない闘いを
 して、その後の結果に関係なく……ね」
 そして、もう一度グリっと力を込めた後、爽やかな笑顔で俺より前へと
 歩いて行った。
 周囲の取り巻きは、あからさまに俺に対して冷ややかな視線を向ける。
 この桐谷って男、一年時には生徒会には入っていない。
 今年の春、転校してきたばかりだからだ。
 まあ、典型的なお坊ちゃんって言うか、この学校の理事長の親類らしい。
 取り巻きがいるのは、大抵そう言うお偉方、金持ちの子供って相場は決まってる。
 あいつもまた、ステレオタイプの人間だ。
『今通って行った連中の中に
 お前をマホージンで呼び出した
 ってヤツはいたか?』
「守秘義務があるから黙秘権を行使する。ってかアイツ何? 感じ悪。
 短気なアンタがよくキレなかったもんよね」
 何故か俺は短気キャラとして認識されてしまったらしい。
 遺憾だがまあいい。
 どうせ後ちょっとの付き合いだ。
 直ぐ捨てるし。
「って言うか、選挙って……もしかして、生徒会長選挙の事? アンタが
 生徒会長の立候補って事? どう言う事? アンタの学校、もしかして
 学校全体がマゾのマゾヒスト学園とか、そう言う所なの?」
『どう言う意味かな?』
「だって、ねえ。人格破綻者が生徒会長になった日には、どー考えても
 自ら破滅の道を進んで突っ走ってるとしか」
 会って十数分の妖精にそんな事を言われてしまった。
 遺憾だ。
 つーか、人格破綻してるのは寧ろそっちだろう。
 俺は純粋な被害者じゃないか。
 嫌がらせを受けたから反撃しただけだ。
「ま、どーでもいーんだけどね、アンタが生徒会長になろーがなるまいが。
 私としては、アンタに嫌がらせをするって言う召喚者との契約を全うするだけだし。
 契約期間はあと3日だから、暫く宜しくね♪ ちなみに私は金平糖が大好物だから、
 カラフルなのを買っといてね」
 言いたい事を言って、妖精はぴゅーっと何処かへ飛んで行った。
 捨てるまでもなく離れて行ったけど、今の物言いからして、一時的な離脱みたいだ。
 つーか、3日だと?
 その間、ずっと俺はあの妖精から嫌がらせを受け続けるって事になるのか?
 勘弁してくれ……ただでさえ、選挙の事で頭が一杯なのに。
 ったく、誰だよあんなのと契約したヤツは。
 正体が判明したら、外殻のない携帯ファンをON状態で口の中に放り込んでやろう。
「おはようございます! せんぱい!」
 イライラする俺の後ろから、また挨拶の声が届く。
 ただ、今度はちゃんと返事をする必要があった。
 知り合い、と言うか生徒会の後輩だからだ。
 今年から生徒会に入った新入生、内海。
 背中を覆うように伸びた長い髪の毛と、小動物のように小首を傾げる
 ところが特徴的な一年女子だ。
 生徒会では主にゴミ拾いと書類整理を担当している。
 まあ、雑務だ。
 一応『庶務』と言う役職名はついてるけど。
「おう。昨日のボランティア活動はどうだった?」
「海岸線のゴミ拾いですね。はい、順調でした。ただ、注射針が沢山入ったビンとか
 無色透明のドロっとした液体が入ったビンとか、やたらビンが多かったですけど」
「……後者のビン、まさか開けてないよな?」
「開けようとしたんですけど、しっかり閉まっててダメでした」
 安堵。
 こいつの細腕に参加者全員感謝だな。
 まあ、開けてたらこいつもこの場にはいなかっただろうし……
「せんぱい、もう直ぐですね、選挙」
「ああ。後3日か」
 そう。
 会長選は3日後だ。
 泣いても笑っても、あと3日。
 既に、各教室を回って演説をするとか、ビラを張るとか、色々地道な
 選挙戦を繰り広げてきたが、それも後3日で終わる。
 生徒会に属している俺は、基本的に生徒会のこれまでの方針を継承する
 穏健派、と言う立場にある。
 一方、桐谷は鳴り物入りの革新派。
 マニフェストに『授業時間の短縮』や『部費の値上げ』、『全部室エアコン設置』、
『修学旅行の質向上』など、やたら生徒に都合のいい内容を盛り込んでる。
 金とコネ、両方を持ってるから出来ることなんだろう。
 当然、多くの支持者が桐谷の方に集まる事が予想される。
 ただ、俺にも有利な点は幾つかある。
 生徒会に属してるから、生徒会役員及びその友人は、俺に入れてくれると思う。
 多分。
 それ以外にも、理事長の親族と言うだけで持て囃されている桐谷へ反感を
 抱いている生徒も少なからずいるんで、一概に俺が不利って訳でもないらしい。
「私は、当然せんぱいに入れますから」
「ありがとな。お前はいい子だ。ホントいい子だ」
 頭を撫でる。
「きゃうー」
 目を細めて喜んでいた。
 この内海、生徒会内でもマスコット的な人気を誇っている。
 俺が生徒会長になった暁には、会計でもやらせようか。
 予算の振り分け、間違えないか心配だけど。
「ところで、せんぱい。今日、生徒会室で決起集会をするって副会長が
 言ってましたけど……出席、しますよね?」
「んー……出来れば校内放送の演説をしたかったんだけど、まあ明日で良いか。
 ってか、当事者がいないと決起も何もないしな」
「ういっ! お待ちしておりますですよ!」
 敬礼のポーズをとって、元気良く内海はかけて行った。
 うむ、愛いヤツ。
 にしても、決起集会ね……勿論ありがたいと言えばありがたい事なんだけど。
 残り3日と言う時間のなさを考えると、マニフェストももう一度見直したいし、
 本番用の演説原稿も完成させたいし、もう一回一年の教室を回りたいし、
 と言う感じでやりたい事は山ほどあるんだけど、まあ仕方ない。
 副会長には逆らえないしな――――


「それでは……会長戦に出馬する藤沢君の当選を目指し、残り三日、悔いのないよう
 精一杯の活動を行いましょう。皆さん、宜しく頼みます」
 昼休み。
 物静かな口調で、それでも普段より多少声を張って、副会長はアップルジュースの入った
 コップを掲げた。
「はいっ。ガンバりましょう!」
 元気良くそれに応える内海の隣で、俺は少々照れ臭い心持ちになりつつも、
 感謝の心で乾杯をした。
 放課後に訪れたこの生徒会室は、普段の様相とは少し異なっていて、
 雰囲気も和やか。
 それが全て自分の為と思うと、些か緊張してくる。
 そんな中で、一通り集まってくれた生徒会の面々に挨拶を済ませ、最後に
 副会長――――東雲紫苑に近付く。
 生徒会長の補佐として一年間、女性ながら粉骨砕身してきた彼女の活動を、
 俺は一年間ずっと見てきた。
 決して見栄えのする派手な容姿ではない。
 寧ろ地味な印象。
 そして、行動はそれ以上に控えめだった。
 生徒会長の演説は、いつも彼女が殆ど考えていたように思う。
 生徒総会の際も、各イベントの時も、中心にいたのは生徒会長の如月先輩だったけど、
 それを支え、実質取り仕切っていたのは、東雲先輩だった。
 俺が生徒会に入った理由――――それはまあ、大した事じゃない。
 殆どなし崩しだった。
 ただ、入ってからはずっと、この人の背中を見てきた気がする。
 生徒会長に立候補したのも。 
 その努力を見てきた俺が――――とまあ、そんなところだ。
「東雲先輩、今日はありがとうございます」
「お礼なんて良いんですよ。藤沢君」
 東雲先輩は、言葉少なに俺を激励してくれた。
 勇気が湧いてくる。
 自分が今、何かをしようとしている時、そのモチベーションとなっている人から
 励まされるって言うのは、何よりも幸せな事かもしれない。
「会長も、貴方が後を引き継いでくれる事を望んでいる筈ですから……
 頑張りましょうね」
「はい! 頑張りますよ、俺!」
「うん」
 ニコッ、と。
 天使のように笑う。
 天使と言うのは言い過ぎかもしれないけど。
「せんぱいせんぱい」
「何だ」
 やる気を漲らせている俺の制服を、内海がぐいぐいと引っ張ってくる。
「今日用意したジュースは、東雲せんぱいと私が折半して出しました」
「そうなのか」
「褒めて下さい」
 ……子供か。
 いや、勿論褒めない理由はないけど。
「ありがとうな。お前は本当に優しい後輩だ」
「えへへ」
 嬉しそうに目を細める。
 こいつは何気に学年の違う俺の周りでも人気があるんだけど、
 それも納得の愛らしい笑顔だ。
「ところで、せんぱい。今日はこれからどうするんですか?」
「ああ……そうだな。放課後に最後の教室訪問をしとこうと思う。
 それ以外の事は、夜に一人で出来るしな」
「であれば、お供しますです」
 ぐっ、と拳を握り、内海は忠犬のような仕草を見せる。
 断る理由はない。
 と言うわけで――――放課後。
「ありがとーございます。ありがとーございます。藤沢、藤沢洋でございます。
 藤沢洋が最後のお願いにやってまいりましたー」
 内海がウグイス嬢を勤めてくれる中、俺は下級生達と握手を交わしながら
 廊下を闊歩して行く。
 生徒会長の選挙戦と言うのは、基本的には余り校内の関心を集めない。
 生徒会の重要性と言うものを実感していない人が多いからだ。
 一応、部費の割り当てなどと言う重要な仕事を行っているんだけど、
 かと言って誰が生徒会長になったところで、その予算の割り当てが
 大きく変動する訳じゃない。
 財源に変化がない限り、殆ど昨年の額を引き継ぐ形だ。
 部員が少なくなれ部費も少なくなる可能性はあるが、それも余りないのが現状。
 それ以外の各種イベントに関しても、誰が生徒会長になっても同じ
 と言うのが、多くの生徒の共通認識だろう。
 しかしながら――――それは、ある意味とても健全だとも言える。
 不満がない状態なんだから。
 問題があれば、その旨を生徒会に伝えるクラブが幾つもある筈。
 俺が生徒会に入って1年、今のところそんな話は聞かない。
 つまり、目立たないと言うだけで、現状の運営はとても健常だって言う事だ。
 なのに――――桐谷の野郎は、それを根本から覆すような政策を幾つも打ち出した。
 親戚に当たる理事長の存在を良い事に、甘い言葉で環境の改善を訴えている。
 あいつが何故生徒会長に立候補したか――――その理由は、俺は知らない。
 恐らくは、自分のステータスアップなんだろう。
 生徒会長ともなれば、内申書には相当な加点になる。
 また、学校を牛耳ると言う自己顕示欲の充足もあるのかもしれない。
 そんなヤツに、この一年間やって来た事を否定され、東雲先輩の献身を
 踏みにじられるのは、我慢ならない。
 だから、俺はこの選挙にはどんな事があっても、何をやっても勝つつもりでいる。
「一年三組の皆さん、すいませんが少しだけお時間を下さいー。藤沢が
 最後のお願いにやって参りましたー」
 だから、まるで本物の選挙みたいな形で、俺はこの会長戦に望んでいる。
 ポスターも、普通とは少し違う物にして、興味を誘った。
 演説も劇場型。
「皆さん! 現在体制は今までの先人の様々な積み重ねの元、色々とバランスを
 考えた結果、成り立たせたものです! 僕はその最高の状態を崩さず、
 安定した、そして誰も不満のない学園生活を保障します!」
 一人称も変え、保守派ならではの安定をアピール。
 今の時代、安定、安心、安全が思いの外好評だったりする訳で、俺の演説は
 結構評判が良い。
 この一年三組でも、喝采を貰った。
「手応えバッチリでしたね!」
「ああ。お前のウグイスっぷりも良かったぞ」
「えへー。せんぱいのお役に立てて良かったです」
 可愛い後輩を撫で撫でして、本日の演説回遊は終了。
 生徒会の面々も、既に本日の務めを終え、家路へとついている事だろう。
 俺は内海と別れ、一人生徒会室の窓際で腰を据えていた。
 残り三日。
 俺は、ここに残れるのだろうか――――
「何? あの変なポスター。キャッチコピーが『しょうが焼きのような安定感』って……
 センスの欠片も感じないんだけど。良くこれで支持者が集まるもんよねー」
 パタパタと、いきなり耳元に羽音が聞こえ出す。
「そんな事はない。しょうが焼きの安定感を嘗めるなよ」
「……少しは突然出てきた事に驚いて欲しいものだけど」
 嘆息交じりに、その妖精は頭を掻き毟っていた。
 他人には見えないこの妖精――――
「名前なんて言ったか忘れたけど、お前、まだ俺に嫌がらせするつもりか」
「ラミナってのよ! 一回で覚えなさいよこの低脳!」
 低脳……遺憾だ。
 そもそも、妖精って方のインパクトが強すぎて、名前なんてとても覚えられる 
 状況じゃなかったんだけどな。
「良く聞きなさい。妖精ってのは、契約を遵守する種族なの。国の長が
 簡単に言った事を守らない人間と一緒にしないで欲しいものね」
「サラッとマズイ事を言うな」
「事実だし? そんな訳だから、覚悟しなさい! 私の華麗なる錬金術を使って
 ボロボロにしてやる!」
 ラミナと言う妖精は、叫ぶだけ叫んだ後、俺の制服にタッチし始めた。
「何!? まさかお前、制服を変化させて使い物にならなくさせる気か!」
「ふっふー、御名答! 制服は制服だから意味のある物! これを
 同価値内の別の物に変化させれば、価値は同じでも使い物にならなくなるってな
 もんよ! どーよこの頭の切れ! さあ、泣き喚きなさい!」
 斯くして――――俺の制服は、女子の制服になった。
「あーはっはっは! これでアンタは家に帰る事もできな……うえっ、
 男がチェックのスカート履いてる姿って、気持ちワル……」
「勝手に変化させて勝手に気持ち悪がるなよ」
「うあー、もう何……この強烈な違和感。初めてくさやを食べた時の、あの臭いと
 味のギャップみたいな、この違和感。あー、凄くスッキリしない! もう!」
 散々一人で勝手に喚いた挙句、何が気に入らなかったのか、俺の制服を
 元に戻した。
「って言うか、くさやなんて良く食べる気になれるな、妖精が」
「無理矢理食べさせられたのよ、師匠に。本当あのバカは……って、私の師匠の話は
 どーでもいーのよ。ったく、興醒めよ興醒め。今日はもう終わり。店じまい。
 嫌がらせなんてそもそも趣味じゃないのよ。陰険だし」
「明らかにお似合いと言うか、天職としか思えないんだけど」
「どこがよっ! 見なさいよこの激プリチーな姿! アニメ化だって十分
 狙えるマスコットぶりじゃない! 瞳だってきゅるるん、ってしてるし!」
 良くわからない叫びと共に、ラミナは俺の目の前にパタパタとその全身が
 収まるようにホバリングを始めた。
 それは兎も角、そろそろ帰らないといけない時間だな。
 出来れば、夕食前にもう一度最終演説の原稿を見直したい。
「見なさいよ! ちゃんと見てこの愛らしさを表現しなさい!」
 妖精はワガママだった。
「まあ、マスコットキャラって言えば確かにそうだけど、何となく
 しゅごキャラの……」
「しゃーらっぷ!」
 強制的に言論の自由を取り上げられてしまった。
「はぁ……何でこんなのに関わらなきゃなんないの、私」
「その台詞はそっくりそのままお返ししたい」
 嘆息しつつ、生徒会室を出る。
 そして、玄関にて――――
「……」
 俺の行動は、ピタリと留まった。
「どったの?」
「……ははは」
 ラミナがくるくる回りながら覗き込んでくる。
 そこは、俺の下駄箱。
 本来、俺の靴が置いてある場所だ。
 そして、そこにあったのは――――確かに俺の靴ではあった。
 マジックで落書きがされているけど。
 何者かの嫌がらせ。
 勘違い野郎、立候補取り消せ、調子に乗るな、死ね、ゴミ、カス、クズ、ハゲ……
「ハゲてねーよ!」
「私にキレないでよ!」
 兎に角、見るに耐えない罵詈雑言が寄せ書きみたいに書き殴られている。
「あ、こっちのポスターも」
 玄関近くの壁へと飛んだラミナは、目聡く落書き満載のポスターを発見していた。
 まあ、何と言うか……
「なんつー幼稚な」
「全くよね。品性の欠片もない。嫌がらせって言うのは、こう言う事じゃないのに。
 わかってないねー、わかってない」
 妖精は嫌がらせの品定めをする生き物らしい。
 これは、実はとんでもない新発見なんじゃないだろうか。
「にしても、相手が悪いよねー。こんな性格の悪いクズにこの程度の事を
 やったところで、堪える訳ないでしょうに」
「お前、俺の人格を完全に誤解してるぞ」
「いやいや。まだ出会って半日だけど、お前さんの性格は把握したからね、もう。
 私の錬金術を持ってしても微動だにしないその不動心は、まともな精神構造じゃ
 あり得ないものよね、実際」
 どっちかって言うと、不動心って良い方に使う言葉だよな……
 ま、それは兎も角。
「やられちまったもんは仕方ない。不本意だが報復をしよう」
「ホラ見なさい。何処の世界にこう言う嫌がらせを受けて瞬時に報復って言葉を使う
 高校生がいるってのよ。どう考えてもインテリヤクザの発想じゃない」
「……訂正。仕返しをしよう」
「言葉だけ変えてもね」
「うるさいぞ羽虫。お前が俺にやった事も忘れてないからな」
 睨む。
 尤も、俺の人の良い顔で睨んだところで、大して効果はないんだけど。
「はうーーーーっ!? す、すいません! 今までの事、なんかもうすいませんーっ!」
 凄い勢いで謝られた。
 遺憾だ。
 インテリヤクザに対する対応じゃあるまいし……大げさなヤツだ。
「怖い顔だった……私、お仕事の性質上今まで何人もの陰険な腐れ外道を見てきたけど、
 まるで別次元だった……」
「おい、本気で言ってるみたいなその『……』って間は止めろ。誤解されるだろ。
 俺の顔はどっちかって言うとプリティな方だ」
 プルプル震える妖精は、断固として首を縦に振らなかった。
「ったく……それはそうと、妖精」
「名前で呼びなさいよ、人間」
「わかったよ。ラミナ、この靴ってお前の錬金術で元に戻せないか?」
 嘆息交じりに、俺は落書きされた靴を取り出して、掲げてみせる。
 まあ、そこまで高価な靴じゃないんだけど、それでも10000円くらいはした記憶がある。
 苦労なく元に戻せるならそれに越した事はない。
「リームー。落書きされた時点で価値が変動してるし」
 何故か業界用語を使い出した謎な妖精は、首をブンブン横に振った。
「じゃあ、その価値内で別の靴に変えるってのは? ってか、そもそも中古だから
 価値は相当低い気もするけど」
「それは大丈夫。中古品ってのは、あくまでもアンタが使用している範囲のもので、
 誰か別の人にあげる目的でもない限りは同価値観内の変換が可能。勿論、使用感は
 継続されて発現するんだけどね」
 つまり、俺が使う事前提なら、既に同じくらい使い込んだ状態で練成されるらしい。
「まあ、ダメ元でやってみてくれよ。後で金平糖買ってやるから」
「やる!」
 簡単なヤツだった。
 斯くして、錬金術発動。
 特に光るとか靄が掛かるとかいう演出もなく、靴は変化し――――
「……おい」
 鉄下駄になった。
「同価値観内の練成の結果だけど、何か?」
 ふー、と一息吐き、一仕事やってのけた顔でラミナはキラキラ汗を輝かせていたので
 殴ってやった。
「ぷぎゃっ! 何すんのよ!」
「テメーはこんな修行アイテム何処で触ったんだよ! 触ったモンじゃないと
 練成出来ないんじゃなかったのか! ああ!?」
「さ、触った事があるから仕方ないじゃない! って言うか、さっき触ったばっかよ!
 ここの柔道部!」
「あー……顧問が確か熱血系のアニメ好きな人だったっけ」
 脱力。
 世の中、二次元を三次元に持ち込む人が結構多い。
「まあ、いい。戻せ」
「くっくっく、ダンナ、実はそれが出来ませぬ」
「はあ!? 何でだよ! さっき直ぐ戻しただろ!」
「いや、それが……パワーが尽きたって言うか、錬金術に使う連金ポイントの
 ゲージがゼロになったもので」
 ガソリンが切れた車が走らないように。
 バッテリーが切れた携帯が動かないように。
 錬金術にも、そう言うエネルギーってのがあるらしい。
 まあ、際限なくって訳には行かないってのは仕方ないけど。
「回復には一晩掛かるから、今日は打ち止め。残念でした」
「つまり、俺の帰宅はこの鉄下駄か裸足かの二択で、って事か……
 東雲先輩に見られたら泣くぞ、俺」
 それだけじゃない。
 もし、鉄下駄で帰ってるところを下級生に見られてみろ。
 どう考えても変人認定だ。
 選挙に影響出るぞ、絶対。
「この際、職員用のスリッパを履いたままウッカリ出ちゃったよ的な感じで帰るとか」
「うっかりさんの方が変人よりマシ、か。悪くないアイディアだけど、
 流石に備品をそんな手に使う生徒会長候補って自分自身が嫌だ」
 結局、この日俺は鉄下駄で帰る事にした。
 途中、お約束のように東雲先輩と内海にバッタリ会った。
「せんぱい、スゴイです! 生徒会長になる為の特訓ですよね?」
「……が、頑張って」
 内海はポジティブに捉えてくれたけど、東雲先輩は引いていた。
 最悪だ……くっ、この妖精、ここに来て一番の嫌がらせをしやがった!
「性格が悪いと運も悪くなるんだねー。いや、勉強になったよホント」
 当人にはそんな自覚はなさそうだった。
 そして、ガシンガシンと言う擬音と共に、下校。
 家に付く頃には、日が暮れていた。
 そりゃそうだ。
 普通の靴より10倍くらい重い。
「……兄貴?」
 玄関の直ぐ前で、小学生の妹に見つかった。
 こいつは、口数こそ少ないけど、この妖精より遥かに言葉が汚い。
 最悪なやつに見つかってしまった……
「ゲロみたいなセンスね」
 それだけ言って、家の中に入る。
 だ、ダメージ半端ない……
「アンタの性格が歪む理由がわかった気がする……って言うか、血?」
「知らねえよ」
 肉体的な疲労も相当なのに、精神的なクラクラ感がそれを大きく上回る中、
 よく覚えていない夕食時間を終えて、自室へ。
 予定が大分狂ったんで、演説分の清書は明日にしよう。
 マニフェストの見直しだけでもしておくか。
 生徒会長の選挙で最も重要なのは、やっぱりマニフェスト。
 会長になった場合にこんな事をしますよ、と言う宣言だ。
 政治家じゃないんで、そこまで大胆な事は言う必要はない。
 また、守れなくても特にその後の生活に支障が出てくる事もない。
 生徒会長とて、所詮は一介の生徒。
 まだ出来ない事は出来ないで通じる段階だ。
 ただ、俺の敵となっている桐谷は、そんな常識を覆すような、甘いニンジンを
 放り込んできた。
 対抗するには、生半可なマニフェストじゃダメだ。
 かと言って、同じように甘々な政策を打ち出しても、向こうに理事長と言う
 後ろ盾がある分、説得力で劣る。
 全く違う方向で勝負しないといけない。
 俺の強みは、一年間の生徒会での経験。
 そして、先陣の積み重ねてきた土台。
 これしかない。
「熱心ねー。何でそこまでして生徒会長になりたいの? そんな器でもないでしょーに」
 頭の周りをくるくる回るラミナがウザッたいたらない。
「頑張って来た事が無駄になるからだよ。そんなのはゴメンだ」
「フーン。てっきり生徒会室を喜び組にしたいとか、そんな動機だと思ってたけど」
「お前の発想は最悪だ」
 妖精って、もっと神聖と言うか、綺麗なイメージを持ってたんだけどな……
 フェアリーって言葉も綺麗だし。
「あー、おなかすいた。金平糖これっきりじゃ足りないー」
 ボリボリ背中をかきながらホバリングするその姿は、最早幻想的な要素ゼロだった。
「……お前さ、何で人間の嫌がらせ要請なんて受けてんだ? それでお前に
 メリットでもあるの?」
 好奇心以外のものは特になかったけど、マニフェストで行き詰っていた
 気分転換も兼ねて、俺はそんな事を聞いてみた。
 実際、妖精なんて存在がいる事にも驚きだが、何でまた呪いで生まれた
 召喚獣みたいなことをやってんだろう、と気になってはいた。
「元々、私達妖精はイタズラ好きなのよ。まあ、イタズラって言うとアンタ等
 陰険な人間は低俗な想像しかしないでしょうけどね。元々、悪戯って言うのは
 無益な戯れ、って意味なのよ。つまり、利益を生まない遊び。それって
 凄く純粋で、楽しい事なのよ。本当はね。でも、それが曲解されて、一部の人間と
 一部の妖精がケッタクソの悪い結託を始めてね……その名残が今も続いてんのよ」
 つまり、元々の目的とは大分変わってきていると言う事らしい。
 純粋な遊びだったものが、互いの利潤を満たす為のビジネスになった、と。
 なら、報酬はあって然るべきだ。
「見返りは? まさか悪戯できればそれでいい、って訳でもないんだろ?」
「リンゴ。牛肉。コンデンスミルク。パン。バター。くるみ。ワイン。ラズベリー」
 つまり、食料って事らしい。
「私は金平糖だけどね。この要請を無事に済ませたら、金平糖三ヶ月分が貰えるの。
 ちなみに、契約しておいて報酬を払わなかったら、等価交換で命が差し出されるの。
 怖いねー、ははは」
 それは要するに――――別種族間の契約は、契約者の命と同等の重さがあると言う事。
 あっけらかんとラミナは話したけど、その事を依頼者は知ってんのかねえ。
 ま、金平糖三ヶ月分なんて、普通に用意できるだろうけど……
「なあ、金平糖の一日分ってどれくらいなんだ?」
「一食につき二つだから、計六つよ。この身体でそれ以上食べらんないし」
 そんなもんか。
 一袋に30粒くらい入って200円とすると、せいぜい3500円くらいかな。
 大した出費でもない。
「それを、私の実家のスウェーデンの森に送ってもらうんだけどね」
「交通費ヤバ過ぎるだろ! ってかスウェーデンって、どんな冗談だよ!」
「そりゃ、私スウェーデンの妖精だもの。冗談もクソもないっての。
 ホラ、この気品溢れる顔ってスウェーデン顔でしょ?」
 全然わからない。
 つーか妖精に国籍なんてあっていいのか。
「ちなみに、郵送は無理だから実際に森まで足を運んでもらうんだけどね」
「それ、厳し過ぎるな……」
 相当寒いよな、北欧って。
 ご愁傷様としか言いようがない。
 ま、俺を呪おうって人間に同情するつもりはないけど。
 寧ろ、落書き同様犯人が特定され次第、裏で報復するつもりだし。
 選挙活動なんて、健全なものばかりじゃない。
 こう見えても、俺も結構色々やってはきている。
 明日はその集大成をお見せしよう。
「じゃ、そろそろ寝るか。お前、三日いるって言ってたな。
 何処で寝るんだ?」
「勿論、ここよ。決まってるでしょ。妖精に場末のカプセルホテルに泊まれって言うの?」
「いや、そんな限定する気はないけど……寧ろ木の枝の上とか草むらで寝ればいいじゃん。
 妖精なんて蝶々とか鳥とかバッタとか、そんな連中と寝てるイメージあるし」
「外で寝てたら、カラスに襲われるのよ。アイツラ、見えてない癖に勘が鋭いから。
 ったく、滅びればいいのに」
 妖精は異種族の殲滅を希望していた。
 ま、そんな物騒な話は兎も角、こんなちっこいのを一つ部屋に泊めるくらいは
 特に問題はない。
 いびきをかいたり、歯軋りをしなけりゃな。
「そんな下品な事、する訳ないじゃない。見なさいよこの愛くるしい顔。
 寝息はどう考えても『すやすやー』の一点買いよ」
「あっそ。ってか、妖精ってカラスにも見えないのか。俺と契約者以外に
 見えるやついるのか?」
「天気次第かな。雨の日は結構見える事もあんのよね。光の屈折で偶々。
 そう言う時は、無関係の人間にもちょこっと見えたりするかもね」
 と、言う事らしい。
 明日は雨。
 天気予報の降水確率は80%だ。
 降雨はほぼ間違いないだろう。
 さて、選挙共々どうなる事やら……







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