「お父さーーーん! お母さーーーーーんっ!」
 その日――――最大風力55mの巨大台風が、その街を襲った。
 中心気圧は920hpa。
 上陸時点の勢力としては、戦後指折りの規模だ。
 ニュースとして全国に配信され、『異常気象の予兆かもしれませんね』と、お決まりの科白を専門家が言い放つような、そんな規模の台風だった。
 負傷者、54名。
 行方不明者、1名。
 死者――――4名。
「由香……由香ーーーーーーーっ!」
「ダメだ! 入っちゃダメだ! 見ちゃ……見ちゃいけねぇ」
 死者は全て、同じ家屋にいた人間。全員が家族だった。何処にでもある幸せを噛み締めながら、時に笑い合い、時にふざけ合い、柔らかな時間を過ごす――――何処にでもある家族。
「どうしてだよっ!? どうして見ちゃダメなんだよっ! お父さんに、お母さんに会わせてよっ! 由香に、由香に……!」
「ダメなんだよ……我慢しろ。我慢するんだ。今はもう、それしかねぇ……」
 その団欒の光景を見る事は、もう叶わない。次第に、誰もがそれを理解していった。
 しかし、誰もそれを言い出せず、ただ漫然と佇む。ただただ、空しい時間は空しいままに過ぎていった。
「……ここまでにしよう。皆、ご苦労だったな」
 その空気を感じた一人が、静かに告げる。搾り出すような、苦しい声。殆どの人達が頷き項垂れる中、一人の女性だけは、首を何度も横へと振った。
「私はもう少し探します。絶対に見つかります! 見つけます!」
「先生……後はもう、消防に任せよう。な、わかってくれ」
 崩れ落ちる、力ない姿。それを気に、束縛する力は消失し、ただの腕に戻った。その腕を離れ、静寂に染まったその場所で、空を仰ぐ。でも、そこに見えるのは、光の散乱した姿であって、何も投影される事はない。ただ、呆然と見上げるだけ。漠然と、現実から目を逸らしたに過ぎない。
 なにしろ、無力だった。
 大自然の脅威どころか、自分の家族と対面する事すら叶わない。何処までも無力だった。
 ふと視線を下げると、そこにはもう、誰もいなかった。瓦解した家屋は、まるでゴミの山。
 部屋の片づけをせず、怒られていた時の事を、ふと思い出す。煩わしくも、そこには愛があった。頭じゃなく心で理解していたからこそ、覚えている。忙殺されていく筈の日常の一頁に、実は見えない付箋が幾つもあった。捲る度、涙が溢れてくる。胸が締め付けられる。嗚咽が漏れる。
 それでも。
 それでも、その場所を動けなかったのは、瓦礫となったその家の下に、家族があるから。
 今尚――――家族が居るから。
「待ってろ……待ってろよ、由香」
 誓いを立てる。でもそれは、もしかしたら、盟約や決意なんかじゃなくて、自分自身を保つ為の防衛手段だったのかもしれない。
 それでも良い。
「必ず、そこから出してやるからな。絶対……掘り起こしてみせるから。待ってろ」
 大事なのは、それだけ。
 それだけだった。
 その後、少し時が流れ。
 台風による被害をニュースや紙面が告げていた。
 死者、4名。
 行方不明者1名。

 今、尚――――行方不明者、1名。




 
ハカホリ



 その昔――――日本では、複数の埋葬方法が混在していた。
 主軸になっていたのは、火葬と土葬。火葬は、遺体を焼き、遺骨を骨壷に入れ、埋葬する。一方の土葬は、遺体をそのままの姿で、土に埋める。ただ、違いはそれだけじゃなく、単なる風習や文化、或いは環境やコストの差だけでもなく、更に大きな壁が存在する。
 それは、宗教。
 遺体を焼却する火葬は、元々仏教によって伝来された、と言われている。最初に火葬が行われたのは、西暦七〇〇年。今から一三〇〇年以上前の事だ。ただ、長らく日本の埋葬の代表的な方法として普及していた火葬は、一時日本で姿を消す事になる。一八七三年に明治政府が打ち出した、火葬禁止令。これが原因だ。この時期、多数の海外から伝承された宗教が混在していた事を善しとしなかった政府は、日本における古くからの信仰体系である『神道』に宗教を一本化すべく、仏教の広めた火葬を廃止しようとした。
 しかし――――その試みはたった二年で潰える。結果、火葬は復活し、近年における火葬技術の進歩や火葬場の増加、規模拡大に伴い、日本における埋葬はほぼ一〇〇%の水準で、火葬が占める事になった。
 だが、完全に土葬がなくなったと言う訳でもない。やはり宗教絡みの理由を中心として、今尚土葬を希望する者は日本にもいる。そして、まだ火葬が今ほど普及してなかった時代には、土葬によって埋葬された例が多数存在し、その仏様がそのまま土の中に眠っているケースも、沢山残っている。
 土葬による埋葬がなされた場合、人が一人寝転ぶだけのスペースが必要となるので、当然ながら、火葬以上に広い土地を使って埋葬されてる事になる。そして、その中には、敷地すらわからない、野ざらしな状態で墓石だけ立っているような墓地や、墓石すらなく、石を積み上げているだけの墓、更には周りを丸石で囲み、木製の墓標のみで故人の眠る場所を示すような墓も多数、存在している。
 前置きが長くなってしまったが――――俺は、そんな現代において、かなり少数になってはいるものの、まだ現存している、土葬によって埋葬された墓を掘り起こす仕事をしている。
 言わば『墓掘り』だ。
 高校生の身空で仕事をするのは、けっこう大変。通学してる高校はアルバイトを禁止してるから、校則違反って言う事になるし、何より学業と仕事の両立は実に辛い。それに、この仕事は他者から理解を得られる事が少ないから、余り進んで仕事の内容を説明する事も出来ない。実際、墓を掘り起こす仕事をしている、なんて言われたら、俺だって瞼を半分落として身構えるだろうと思う。正直言って、万人受けしないどころか、殆どの人に胡散臭いと思われる仕事だ。
 ただ、これは必要な事。何故なら、それを必要としている人がいるからだ。
 墓を掘り起こすと言う行為は、往々にして死者への冒涜と取られがちだけど、実はそんなにネガティブな理由ばかりじゃない。例えば、これまでご先祖様の墓を土葬のまま放置していた子孫が、ある程度まとまったお金が入ったからと、そこに立派な墓を建てようとする場合。この際、土葬によって土の中に眠っている遺体を掘り起こし、改めて火葬して、骨壷に入れ、墓の中に納骨する事になる。当然、墓を掘り起こす必要がある訳だ。
 俺が行う仕事は、それ。だから決して、ヘンな仕事じゃない。中には犯罪の片棒を担ぐ仕事なんて誤解している人もいるみたいだけど、そんな事は断じてない。殆どは、墓を刷新する、若しくは一から建てると言う場合に、元々あった墓や土葬されている場所を掘り起こす、と言う、とっても希望溢れる仕事。だからこそ、まだ一六歳の何の変哲もない高校生の俺が、普通にこなせてるって訳だ。
 誤解なきようと、切に願う。
「……何やってんだ? 鎮」
 鎮(マモル)と言うのは、俺の名前。石神鎮、って言うのがフルネームだ。
 そして、それを呼んだのは、俺の仕事仲間の一人で、【光吉石材店】の代表者、光吉又兵衛さん。名前から連想されるように、かなりご年配の人だ。
 そんな爺さんが代表を勤めている【光吉石材店】は、従業員二名。
 基本、石材店って言うのは、それほど大きな規模のところは少なく、身内でひっそりやっている店が大半を占めている。けど、二名は少な過ぎ。その内の一人は、この又兵衛さんの奥さんだ。お子さんはいるらしいが、跡を継いではくれなかったらしく、今は某大手家電メーカーに就職しているらしい。だから、この人材不足の石材店は、土葬の墓を掘り起こす場合等、外部から労働者を雇う必要があって、俺がその役割を担っている。これは【光吉石材店】に限らず、多くの個人経営の石材店に共通する労働形態で、俺みたいな雇われ労働者は、複数の石材店と懇意にしておく必要がある。
 ただ、この又兵衛さんに関しては、ちょっと別枠。仕事への姿勢、考え方、或いは生き様も含めて、色々な事を学ばせて貰っている、紛れもない恩人だ。
「いや、別に何も。ちょっと一休みしようかな、って思ってただけ」
 炎天下の中、シャベルを片手に溜息を吐いた俺に、又兵衛さんは人を食ったような笑い顔を覘かせた。
「若けぇモンが、なーにが一休みだ。まだ掘り始めたばっかじゃねぇか」
 又兵衛さんは、昔ながらの気質の持ち主。
 仕事が遅ければ怒号が飛ぶし、丁寧さを欠けばゲンコツが飛んで来る。本人の前では言えないけど、そんなんだから跡継ぎがいなくなるんだろう。俺としては、そんな又兵衛さんの気性はキライじゃない。何より、仕事には誠実な職人気質なところが良い。
「これだけ暑いと、ちょっと動いただけでも疲れるんだよ。これでも結構、神経使うんだからさ、この仕事」
「当然だろーが、今更何言ってんだ。その仕事はな、御遺体をちこっとでも傷付けたら、もうおまんまの食いっぱぐれだ。ちゃんとわかってんだろうな?」
「わかってるから疲れてるんだよ」
「だらしねぇガキだな。オレがお前の年の頃は、寝る間も惜しんで石を削ってだな……」
 そんな又兵衛さんにも、昔話が長いと言う欠点がある。これも、跡継ぎに逃げられた理由の一つなのかもしれない。
 炎天下の中、そんな長話を聞く気にはなれなかったから、俺は作業を再開した。
 ちなみに、その又兵衛さんがここ――――俺の職場の一つ、【市営南部墓地】にいる理由は、新たに作る墓の基礎を作る為。とは言っても、今日の仕事は、俺の掘採作業を待って、出て来た遺体を焼却して骨壷に収めるだけだ。
 何十年も前に土葬された遺体ってのは、まず頭髪と骨しか残ってない。稀に例外もあるけど、目視に耐えないような状態って事はなくて、ちょっとだけ『ありゃ、残ってたか』と感じる程度のものだから、おぞましさはない。
 そんな中で、少しビックリする遺留物が――――入れ歯。
 結構昔から入れ歯ってあったらしくて、割とそれがそのまま埋まってるケースは多い。だから、最初それを掘り起こした時には、軽くパニクったりもした。
「……あ、出て来た」
 一メートル弱ほど掘り起こした時点で、骨を発見。案の定、今回も非常に綺麗な遺骨だった。頭髪すら残っていない。土葬してから30年も経てば、そうなっているのが当たり前。それでも、心の何処かに安堵する自分がいたりする。
「どれどれ? おう、良い状態じゃねぇか。んじゃ、とっとと全部掘り起こしちまいな」
 又兵衛さんは俺のシャベルに乗った骨を掴み、それを丁寧に、敷地内に敷いたブルーシートに乗せていた。
 程なくして、全ての遺骨を掘り起こす。墓を掘るって仕事は、大体半日〜一日を要する作業。
 まず、今やってる掘り起こし作業に三時間くらいを要する。ただ、これも土の状態や、遺体をどの地点に埋めているかで、かなり変わる。自分の身長より深く掘る場合も少なくない。それに加えて、土が固い場合は、掘るだけで半日掛かる。その後、骨を集めて、必要ならば火葬場へ持っていく。土葬の場合は、改めて骨を焼く必要があるからだ。ただし、骨がそれほど多くない場合や、状態が良い場合は、火葬場には持って行かずに、その場でバーナーを使って焼く。しっかり焼いた後は、ご家族に連絡を入れて、骨壷へ入れて貰い、その後に掘った土を捨てに行く。ちなみに、俺の仕事には、その土を捨てる作業は含まれない。車を運転出来ないから、土運びは石材店の人にお任せだ。
「んじゃ、焼くぞ。ヨネさんだったか。奇麗にしてやっからな」
 掘った墓の土を踏み固めて、そこに耐火性の強い大きめの容器を入れ、その上に骨を並べ、焼く。骨を焼く臭いってのは、結構ツンと来る。ただ、鼻を摘む程でもない。慣れたからって訳じゃなく、最初からそう。身内の火葬を経験した人なら、わかるだろう。
「……ん? 誰か来てるな」
 ふと、バーナーを構えた又兵衛さんが手を止め、隣の墓に顔を向けた。俺もそれに続く。
 そこには――――女性が立っていた。
 私服姿だが、俺と同い年……の筈。見覚えのある顔だった。面識がある訳じゃない。クラスメートでもない。単に、その女子が有名人と言うだけの事。苗字は、確か……標葉。これで『しねは』と読むらしい。かなり珍しいこの苗字にインパクトがあるのと、あまりに有名人なんで、全く接点がないのに知ってはいる。
 この標葉と言う女子、近くにある私立【秀英大学】のミス秀英に選ばれる程の美形だ。高校生なのに、大学のミスコンで優勝――――そんな意味不明な経歴には、当然理由がある。彼女の友人が、悪ふざけでミスコンの書類選考に私服姿の写真を送ったらしい。普通、仮にそこで通っても、最終審査に姿を現さなければ終わり。にも拘らず――――彼女の美貌は、それを許さなかった。特例中の特例として、最終審査に現れなかった彼女が優勝してしまった……そうだ。以降、学校一の有名人になったのは言うまでもない。
「墓参り……だとしたら、焼くのは待っとくか」
 一旦バーナーの元栓を締め、又兵衛さんは墓を取り囲むブロック塀に腰を下ろした。年もあって、体力はかなり落ちてるらしく、疲労感が滲み出てる。一方俺は、まだ若いんで活力十分。そんな状態で、バテた爺さんの姿を凝視するのは本意じゃないんで、視線を標葉の方に移した。
 最近は、ゆる巻きのウェーブが掛かった茶髪が流行……とか聞いた事あるけど、標葉の髪型は、シンプルなロング。色も自然なままの黒で、時代に逆行していると言えなくもない。とは言え、それは寧ろ男にとっては好印象。加えて、睫毛の長さや、適度にクリッとした目、綺麗に通りつつ余り長過ぎない鼻筋等、万人受けする事請合いな容姿とあれば、ミス秀英が眉唾じゃない事は直ぐわかる。けど、それはまあ、どうでも良い。俺の興味は、こんな昼下がりの時間に彼女がここへ――――墓地へ来た理由の方にあった。お盆やお彼岸でもない時期、女子高生をこんな場所で、しかも単身で見かける事は、経験上殆どない。
「……」
 標葉は、隣の墓の敷地内でしゃがみ込み、地面を手で触れていた。その後、ゆっくり立ち上がり、墓石をじっと眺めている。手を合わせるでもなく、祈るでもなく、まるで観察するかのように。その様子は、何処か異常な程に絵になっていた。
 ただ――――墓地を訪れる人の持つ独特の悲壮感や寂寞感は、微塵もない。奇妙だと、見ながらに感じていた。
「なんだぁ? 見蕩れてるのか?」
「……このクソジジイ」
 隣なんだから、当然距離はかなり近い。案の定、又兵衛さんの声に反応し、標葉はこっちに視線だけを向けた。横顔の彼女は、正面から見るより若干大人びて見える。ったく……目が合った以上は挨拶せざるを得ないじゃねえか。
「こんにちは」
 無難に、頭を下げる。
 標葉は――――無愛想な表情のまま小さく会釈した。余り社交的じゃないのか、不謹慎な発言に怒り心頭なのか。いずれにしても、心象はよろしくないだろうなと、嘆息せざるを得ない。
 ま、こんな美人と今後、親しくなる事もないだろう。住む場所が違う、高嶺の花――――なんて良く言うけど、まさにそんな感じだ。気に病む事もないか。
「……何をしていらっしゃるのですか?」
 と、区切りをつけた途端、話しかけられた。つーか、話すつもりがあるなら『こんにちは』くらい言い返せよ。
「あー、えっとですね。この墓地の所有者の方が新しいお墓を作るんで、その下準備です」
「……」
 無難な俺の回答に対し、標葉は何処かつまらなそうな、或いは不本意そうな、微妙な表情を向けてきた。
 そして――――口を開く。
「そうですか。なら、その所有者の方に、もっとお墓参りに来るように言ってあげて下さい」
 不躾に、標葉はそんな事をサラッと言って、踵を返した。墓石に背を向けた形で、相変わらず横顔のままでこっちを見ている。
「……不幸な事が起こる前に」
 そして、それだけ言い残し、歩を進める。当然、俺としては怪訝の念を禁じえない。
「どう言う……事?」
 俺の問いに、標葉は立ち止まる。振り返る事はせず。
「恐らく、殆どお参りに来ていない。良くない事が起こる前に、そうしてあげるよう言っておいて下さい。もう遅いかもしれませんが……」
 前半は強い口調だったけど、最後の言葉は妙に歯切れの悪いものだった。特に言い返す理由も見出せず、俺はその後姿を視線で追う。
 標葉は、ラフなサイズのグレーのチュニックを小さく棚引かせながら、墓地を後にした。
「……たまーに、いるんだよ。ああ言う 『自称』霊能力者が、墓には」
 苦笑しながら、又兵衛さんが言う言葉の内容は、俺の頭の中でも既に一度浮かんだものだった。こう言う仕事をしていると、嫌でも遭遇する人々。『自分は霊が見える』、『ここには霊がいる』、『霊が怒っている』等々……腐るほど聞いてきたその胡散臭い言葉は、案の定、一つとして俺に害を及ぼすには到らなかった。墓を掘り起こすのは死者への冒涜だ、と言う考えは、かなり根強い。実際、社会的にはそっちの方が正論かもしれない。とは言え、それを希望する人がいる。もっと良い場所で、もっと良い方法で弔えると、自分の蓄えを消費してまで死者に敬意を払う人達がいる。ならば、俺は彼等を手伝いたい。
 そう思うようになったのは、俺がまだこの仕事に就くより、かなり前の話。
 家族を失った時だ。
 俺の家族は――――俺を除き全員が、一度にこの世を去った。
 台風による土砂崩れ。深夜だった。
 ちょうど、正月で親父の実家に帰っている時の事。俺は一人、近所の従兄の家に泊まっていた。遊び疲れて眠って、その日はそのままお泊りする、と言う、良くある流れ。それが結果的に、俺だけ生き残る要因となった。
 親父の実家は、昔ながらの縁側の広い平屋で、木造トタン張りの和風の家だった。崖地の傍にあるから、土砂崩れが起きたら『あっ』と言う間に潰れるな、なんて親父とその両親が良く軽口を言っていた。それが現実のものになるなんて、思いもしなかっただろう。
 結果として、父さん、母さん、祖父、祖母、妹。その五人が生き埋めとなった。まだ幼かった俺は、その現場にすら行かせて貰えず、泣きじゃくりながら、瓦礫の山を眺めていた。
 そして今、彼等はその全壊した家屋の近くにある墓地で、全員寄り添って静かに眠っている――――事になっている。立派な墓の下で。
 下りた保険金で建てた訳じゃない。当然、当時小学生の俺が買える筈もない。祖父や祖母の友人、或いは両親の知人や親戚が、お金を出し合って建ててくれた。保険金には手をつけていない。その金は、俺の名義の口座に、今も殆ど変わらない金額で保管されている。
 そこには、俺の知らない、それぞれの思惑があるのかもしれない。でも、素直にこう思う。ありがとう――――と。俺の家族を弔ってくれてありがとう、と。心からそう思う。
 そして、俺はいつしか、そういう人達の力になりたいと思うようになった。この仕事が、果たしてその思いを表現出来ているかどうかは……わからないけど。
「さて。そんじゃ、焼くぞ」
 その又兵衛さんの言葉で、現実に引き戻された。墓に来ると、やっぱり感傷的になってしまう。あの土砂崩れから10年。今尚、昇華出来ない思いがある。骨の焼かれる独特の臭いが立ち込める中、俺はそんな事を考えていた。

 ――――15分後。

「こんなトコか。それじゃ、家族に連絡入れてくれや」
 しっかりと燃やし尽くし、一仕事終えた又兵衛さんの言葉に従い、ご家族に連絡を入れる。こう言う時、携帯電話は便利だ。日中であっても高確率で繋がるってのは、かなり助かる。
 古い型の黒い携帯電話で、予め聞いていた連絡先に電話を入れた。
「……は?」
 その結果、脱力モノの返答が鼓膜の傍を右往左往した。その内容はと言うと……色々と言い訳をした挙句、最終的には『そちらで骨壷に入れておいて下さい』との事。
 それなら、最初からそう言っとけばいいのに。
 骨壷への納骨は、必ずしも身内がする必要はない。あくまで、心情的な問題だ。だから、業者――――つまるところ、俺と又兵衛さんに納骨まで依頼しておけば、それで済む問題だ。後は、骨壷をこっちで保管しておくか、ご家族の家に運ぶかすれば良い。たかが電話一本で済む事を、こっちが連絡するまで渋っていたのは、全くこの件――――墓を建て替える事を重要視していないか、世間知らずかのどちらかなんだろう。
「最近の若いのは、そんなんばっかだな。呆れちまうわ」
 電話の内容を又兵衛さんに告げると、呆れると言うより、心底下らなそうに笑みなく漏らしていた。俺も、その『若いの』に含まれてるのかと思うと、なんだか切なくなる。
「んじゃ、ちゃっちゃとやっか。大した手間じゃねえが、気が乗らねえな、ったく」
「同感」
 嘆息一つ墓地に落とし、焼いた骨をトングで拾う。人間の骨は意外と大きく、幾ら土の中である程度分解されていても、普通に入れるとなると、かなり大きな壷が必要となる。けど、めいいっぱい焼いた骨は軽く突くだけで崩れるから、かなり小さく出来る。
 骨壷に入れる場合は、まず足の部分を入れ、入らないようなら突いて小さくし、それを詰め込む。その後、身体の下の方から順に入れて行き、頭蓋骨を入れ、最後に喉仏の部分となる第二頚椎を入れ、蓋をする。全部入らない場合は、残りを業者に引き取って貰う。勝手に処理したり、散骨したりはしない。面倒が一つ増えると言う理由で、ムリヤリ骨壷にねじ込むケースも多いらしいが、一応俺が見てきたケースでは、それほど強引にしなくても収まっている。
 今回も、問題なく全ての骨が収まった。
 尚、この骨壷は家族が暫く家で保管する、との事。最低限の常識は持っているらしい。
 持って来る時間帯は日中を指定しているので、又兵衛さんがこれから届ける予定だ。
「じゃ、トラックに土を入れてくれや」
「了解しました」
 骨壷を丁寧に布で包んだ又兵衛さんの言に従い、最後の一仕事。ブルーシートの上に乗った土を、トラックの荷台に運ぶ。墓の中までトラックでは乗り付けられないから、これが何気に結構キツい。手押し車を使い、数回に分けて運び出した頃には、おやつの時間になっていた。
「ご苦労さん。じゃ、俺はバカ家族にお骨を運んでくっけど、お前は……今日も行くのか?」
「はい。日課なんで」
「日課、な。ま、他人のやる事に口出しはしねぇけどよ、程ほどにしとけ」
 又兵衛さんはニッと笑い、トラックを走らせ公道へ向かった。相変わらず、運転がぎこちない。それ以上に、ご家族への対応が心配だけど。今時の若い人達は、怒鳴られる事に慣れてない。ビックリして警察呼ばないと良いけど。
 さて、これで仕事は終わりだけど、今日が終わった訳じゃない。俺は作業着のまま、乗り付けていた自転車に乗って、墓地からかなり離れた『あの場所』へと向かった。
 そこは、親父の実家――――跡地。
 ここで俺は、一瞬にして全てを失った。奥にある崖地は今尚、崖崩れがあった面影を残している。そんな場所を、俺は日に一度、訪れていた。お参り――――と言う名目もある。ただ、それ以外に大きな理由が一つあった。
 ここにはまだ、眠っている奴がいる。たった一人、寂しく。
 妹の由香。
 体裁上、全員が今ある墓で眠っている事になっているけど、実際には由香だけ、その小さい身体が発見される事はなかった。理由はわからない。理屈上、家の瓦礫の下をくまなく探せば、見つかる筈なのに。けど、土の中まで探しても、一向に発見には到らない。
 その結果、その名前だけ墓標に刻まれているものの、お骨も、恐らくは魂も、そこには存在しないと言う状況が続いている。
 俺は、それが堪らなく辛かった。
 由香――――何も兄貴らしい事すら出来ないまま失った妹を、両親のいる場所に連れて行きたい。それが、俺がこの仕事をしている最大の理由。掘る事を生業としている理由だ。
 最初は、砂場で使う子供用スコップ。今は――――業務用のシャベル。道具と図体はでかくなったけど、今尚、妹を見つける事は出来ない。何処に、どれだけの深さに埋まっているのか、想像も付かない。頭より先に、行動。いつものように、地面を削り、土を掘り起こす。その作業に暫く没頭した。そして――――日が暮れる。
「……ふぅ」
 結局、この日も妹を見つける事は出来なかった。とは言え、もう日課だから、悲壮感なんて微塵もない。明日に引きずらない事。それが、学業と仕事を両立させる一番の秘訣だ。
 今日もまた、熟睡するには十分な疲労を得た。そう思う事にして、帰宅の途についた。


 翌日。俺は仕事の疲労が完全に抜けない身体を引きずるように、重い足取りで登校を果たす。
 高校二年生と言う時期は、悠長でいられる最後の一年。来年は、嫌でも受験や就職と言う難問に立ち向かわなくちゃならない。ただ、俺は既に手に職を持っている。まあ、バイトと言えばそれまでだけど、一応は今の稼ぎで食っていたりする。墓を掘るこの仕事、割かし普通の肉体労働より報酬単価はいい。ま、これで一生……って訳には行かないかもしれないけど。
「うぃーっす」
「あろー」
 鞄を机に置いたところで、二人の男が崩れた日本語とフランス訛りの英語で挨拶をしてくる。
 名前は、三宅と左京。特筆すべき点は何もない、ただの高校生男子だ。ちなみに、俺が仕事をしてる事も、一人暮らしをしてる事も知らない。なにしろ、この学校はバイト禁止。口の軽いこの二人に、それを告げるのは自殺行為だ。とは言え、他愛のない話をして精神的充足を得る相手としては、何ら不足はない。平たく言えば、友達、って事になる。
 俺の学校での日課は、こいつ等と適当な雑談をして、適当に学業をこなす事。仕事は毎日ある訳じゃなく、予め仕事の日をメールか電話で直接、石材店の皆様方から指定して貰い、その日と時間に赴くって形を取っている。基本となる作業は墓堀りだけど、それ以外にも雑用や力仕事を任される事は少なくない。そう言う仕事を含めると、大体週に三〜四日は働いてる。
 雨の日は休みだったり、決行だったり、まちまち。期日も、あったりなかったり。割とアバウトな仕事なんだ。だから、今日みたいな晴れの日は、学校で全ての体力を使う訳には行かない。適当に力を抜きつつ過ごす。そう言う意味でも、こいつ等の存在は俺にとって割と貴重だ。実のない話は、知識としては残らなくても、それなりに精神を落ち着かせてくれる。
「なー、聞いたか? 標葉サンの事」
 ところが――――この日に限って、三宅が突然、実のある話を始めた。昨日の今日。まさか、俺の仕事の事を言いふらしてるんじゃないだろな……って、あり得ないか。彼女、俺が同級生って事もわかってないだろうし。
「また玉砕したんだってよ。今度はバスケ部の一場だってさ」
「イケメンなのにねぇ。アイツでもダメじゃ、もう全滅なんじゃないかな、この学校の男子」
 懸念していた事とは全く無関係の、ゴシップ記事が科白欄に並ぶ。要するに、標葉に告白してNOを突きつけられた哀れな男子の話、らしい。まあ、イケメンなら哀れって訳でもないか。
「で、それがどうしたってんだ?」
「リアクション薄ぃな。お前、女子に興味ないの? ホモなの? 掘るの? 掘られるの?」
 特に面白い話題でもないんで、冷めた目で見据える俺に対し、三宅は微妙に仕事とリンクする嫌な軽口を向けてきた。
「こう言う話題、あんま興味ないよね。石神」
「自分の身近な女子なら兎も角、他のクラスだとな。芸能人と似たような感じしかしない」
 左京に視線を移し、そんな言葉を吐きつつも、俺は昨日見た標葉の何処か冷然とした姿を思い返していた。確かに、告白してきた相手を振る姿が様になってる。
「つーか、ホモ疑惑の方を否定してくれよ。サラッと流されると、なんか俺怖ぇーよ。今後お前にケツ見せられねぇよ」
「だったら、貞操帯でも買って後ろに付けてろよ」
 嘆息しつつの俺の言葉に、三宅がしかめっ面を、左京が笑い顔を浮かべる。いつもの光景。本当、気楽だ。
 ちなみに、当然だけどホモじゃない。同年代の女子が好きです。
 ただ、仕事があるから、合コンとかそれに近い集いとか、そう言うのは一切経験なし。今時、健全過ぎるくらい健全な高校生だ。優等生って訳でもないんだけど。
「つーか、三人いて一人も彼女持ちじゃないって、どうなんだろな……俺等」
 三宅の呟きには、多少同意せざるを得なかったけど、今のところ俺は、特に彼女だの恋人だのがいて欲しいとは思っていない。人間、明確な目的があると、それ以外の事には関心が薄くなるのか、どうにもこいつ等ほどガツガツ出来ない。結果、朴念仁だの紳士ぶってるだの、不本意な言われ方をしていたりする。女子に話しかけられる事も、まずない。
 灰色の青春。そう思うと、やっぱり高校生らしく、覇気のある生活を送らないとなー、と思わなくもない。と言うか、仕事で爺さん婆さんばっかり相手にしてるから、自然と同世代とは合わない、妙に達観した空気が身に付いてるのかもしれない。『枯れた雰囲気あるよな、お前』なんて事を三宅に言われた事あるし。
「大体、お前が枯れた空気出してるから、俺までモテねえんだよ」
 また言われたし。
「それは責任転嫁だ。三宅がモテないのは、モテない三宅だからだ」
「そうだよねぇ。三宅がモテないのは、三宅がモテないように出来てるからだと思うよ」
「うるせえよ! 俺をモテない男の代名詞みたいに言うな!」
 と言うか、俺と左京の間ではそれが共通認識だった。
 さて、一通りバカ話をしたところで、そろそろHRのお時間――――
「あ、標葉さんだ」
 背伸びをしたところで、左京のそんな声が聞こえて来た。その視線をなぞるように追うと、廊下の方に昨日見た女子がいるのを発見。今日は当然、学生服だ。友達と思しき女子と、何かを話している。
「すげえなあ。美人だなあ。ああ言うの、イケジョって言うんだよな」
「ミス秀英だもんねぇ。高校生なのに。前代未聞だよねぇ。こっち向かないかなぁ」
 友人二名が、高嶺の花に群がる蜂のように、ブンブンとうるさい。
 でもま、確かにスゴい美人だ。テレビの中にも、あそこまでの顔はそうそうない。あれにフられたんじゃ、バスケ部のイケメン様も悔いはないだろうよ。俺には縁のない人種。そう思うと、興味も失せる。
 ただ、昨日の発言はやっぱりちょっと気になっていた。
 又兵衛さんが言ってた『自称霊能力者』って訳じゃないんだろうけど、ちょっと電波入った感じだったよな。案外、ああ言う一般人とかけ離れた外見の持ち主の方が、精神的にもちょっと別の方向に尖がってるケースは多いのかもしれない。
 そんな事を思っていた所為なのか――――
 ふと、標葉の視線がこっちに向く。と言っても、意識的に向けた訳じゃなく、偶々話をしていた女子が動いて、それを目で追った過程でこっちが視界に収まった、ってだけだろう。そう言う動きだった。でも、それでも嬉しいらしく、三宅と左京は舞い上がっている。
「おっ、こっち見てるぞ! どうする、手でも振ってみるか?」
「言いだしっぺがやってみてよ。続くから」
「続く気ねえだろ? 俺一人ピエロにする気だろ? おい石神、偶にはお前が……」
 俺に矛先が向いた瞬間、不意に三宅の言葉が止まる。と言うのも――――こっちを向いていた標葉の顔が、あからさまに驚いたものに変わっていたからだ。少し目を見開いて、暫し固まっている。
「マズっ、なんか気分害したっぽい」
「巻き添えは止めてよ……もしかしたら、って妄想すら出来なくなるじゃん」
 自分等の軽薄なリアクションがその表情を生み出した、と思い込んでいる二人の傍で、俺は標葉の驚きの原因が自分にあると確信し、祈るような心境で視線を逸らした。


 その日の放課後。
 俺は又兵衛さんに呼び出され、昨日の墓地を訪れていた。
「それがよぉ、今日になって、家族全員体調が悪いっつってよ。ありゃインフルエンザだな。バチが当たったんだ」
 基礎作りをしながら、又兵衛さんは例の家族の事をクドクドと語り、豪快に笑っている。
 にしても、インフルエンザねえ。流行ってる時期じゃないのに、一日で全員とは。ホントにバチなのかもしれない。或いは――――標葉の言葉が、現実のものとなった可能性も……ある?
『良くない事が起こる前に、そうしてあげるよう言っておいて下さい。もう遅いかもしれませんが……』
 確か、そんな事を言ってた。今、この墓にあったお骨は、家族の元にある。もし、その霊が何かしたとしたら……いやいや、止めとこう。仮にも、こう言う仕事をしてる人間が、霊の事を本気で考えてしまうと、今後の作業に支障が出る。墓を掘り起こすなんて、霊がいると信じた時点でとても出来ない――――
「……貴方、同級生だったのね」
 そんな、一度隅に追いやった俺の懸念をムリヤリ引きずり出すかのように。昨日は違った格好で、標葉が突然、俺の目の前に現れた。
 突然ではあるが――――俺の中では、少し予感があった。もしかしたら、また今日もここに来るんじゃないか、と。そうなれば、また話しかけてくるんじゃないか、とも。
「お? 昨日の嬢ちゃんか。墓参りか?」
 電波扱いした又兵衛さんは、それを微塵も出さず、社交的に話しかける。齢70ともなると、それくらいの技術は標準装備なんだろう。
「……いえ。彼に会いに」
 そんな又兵衛さんの問いに、標葉は言葉と視線で答える。
 まあ、俺が目的なのは明白だけど……一体何を言うつもりなんだろう。
「お、そうかい。それじゃ年寄りは退散するとすっか。いやあ、若いってな、いいもんだねえ」
 又兵衛さんは又兵衛さんで、何か誤解してるらしく、大衆演劇風の物言いを残し、トラックのある方へ手を振りながら歩いて行った。
 ……いてくれた方が良いんだけどな、こっちとしては。なにしろ、相手は高校生にして大学のミスコンを制した女子。しかも、俺の秘密(バイト)を知っている同級生。分が悪すぎる。緊張を禁じえないぞ。
「……何か用?」
 とは言え、話を聞かない事には始まらない。俺は妙な事態にならない事を願いつつ、目的を促す言葉を告げた。
「ええ。用があって、ここに来たから」
 標葉は、昨日とは違って、敬語じゃなくタメ口で話してくる。ま、同級生だから当然なんだけど……昨日の今日だから、少し違和感がある。
そんな小首を傾げたい心境の俺に対し、標葉はニコリともせず、用件に関して語り始めた。
「このお墓を埋め直して」
 それは――――見事なまでに意図のわからない、無理難題だった。


 日常では味わう事のない、異質な緊張感が身体を覆う中、見慣れない景色が勢い良く後ろへと流れていく。視界を軽やかに走る普段の見慣れた速度と違って、少し鈍重。それには、それなりの理由がある。
「……」
 学校で、と言うより、この界隈で最も綺麗な女が、俺の自転車の後ろに乗っているからだ。二人乗りするようには出来ていない、ごく普通の自転車なんで、腰掛ける事も出来ず、ハブと呼ばれるところに足を掛け、立った状態で俺の肩に手を乗っけている。警官に遭遇する事への憂慮より、その事実の方がよっぽど緊張感を煽っていた。なにせ、自慢じゃないけど、こう言う風に女子に触られた事自体、殆どない。皆無と言っても差し支えない。その上、制服での二人乗りは、やたら目立つ。ついでに、二人乗りすると自転車の後輪に掛かる負荷が尋常じゃないから、車輪の痛み具合も半端ない。
 そんな、心と後輪への負担を余儀なくされるこのシチュエーションに到ったのには、当然ながら特別な理由がある。ついさっきの話になるが――――この標葉、俺の仕事にケチを付けてきやがった。掘った穴を埋めろ、と。当然、俺は拒否の構えを示す。丸一日使って掘った穴を埋めると言う、時間と労力の問題――――じゃない。責任を持って行った仕事を台無しにするのは、我慢ならない。そうハッキリ告げると、標葉は初めて感情を表情に乗せた。最初は無表情な女なのかと思ってたけど、そうじゃないみたいだ。拒否される事を想定してなかった訳でもないだろうに、露骨に困った顔で、黙り込んでしまった。
 そして、30秒ほど無言の対峙が続いた結果――――今度はこう切り出した。
「私を、このお墓の持ち主の家に連れて行って」
 その結果、こう言う事になっている。勿論、俺はその理由を聞いたんだが、『行けばわかる』の一点張り。で、仕方なく又兵衛さんに車で乗せて行って貰おうとしたんだけど……仕事が入ったとか言って拒否しやがった。そんな事情もあって、自転車での送迎になった訳だけど、これが意外とキツい。二人乗りなんて、した事なかったからな……
「まだ着かないの? 結構辛いんだけど、この態勢」
 そして、かなり意外な事に――――標葉は良く言えばフレンドリーな、悪く言えば馴れ馴れしい発言を、さっきから俺の背中で繰り返している。昨日、初対面を果たしたばかりの男子に向かって、結構ズケズケと物を言うその態度は、その清楚な外見から想像してた人物像とは、笑えるくらいにかけ離れていた。
「もうちょっとだから、黙って乗っかってろ。結構疲れるんだよ、二人乗りは」
「意外と体力ないのね。筋肉はあるのに」
「……黙ってろ、っつったろーが」
 肩を揉むような動作に、思わず心臓が高鳴る。これは、アレか……巷で言うところの小悪魔、ってヤツか。まずいな……こっちは全く女慣れしてないってのに。最終的にパシリにされそうな勢いだ。つーか今、既にそうなのかもしれないけど。
 そんな不毛なネガティブ思考に陥っている中、気付けば依頼主の家の直ぐ傍まで来ていた。
 今回、墓の掘り起こしを依頼してきたのは、『水谷』という姓のご家族。余り詳しい事は知らないけど、俺と同い年の子供がいるらしい。確か、女子だった筈。その子と、父親、母親の三人家族。まだ大黒柱の退職金が出るには程遠いこの家族が、何故新しい墓を作る事になったのか――――それに関しては、俺が知る筈もないし、無用な詮索をする気もない。
 ただ、気になる点が一つある。
 墓を建て直すっていうのは、簡単な事じゃない。仮に泡銭が入ったとしても、大抵は家のリフォームや車など、生きている人間が有効に活用できる使い道を選択する。死んだ人間は、後回し。それは別に間違っちゃいない。だから、わざわざ墓を建て直すというのは、少なからず死者に対して思うところのある家族なんじゃないかと邪推できる。それなのに、この家族は掘り起こす日にも一切姿を見せず、電話一つ寄越さなかった。今の時代、『そう言うもの』と言えばそうなのかもしれない。実際、今までにもそんな事は何度かあった。
 昔は、墓を建てる時には、家を建てる時と同じように、作業をする職人達に毎日十時と十五時にお茶出しをしていたらしい。けど最近は、家を建てたり、リフォームしたりする時ですら、それをしない家庭も増えている。少子化が進み、近所付き合いの減った今の世の中では、当然の流れなのかもしれない。ただ、流石に初日くらいは姿を見せたり、電話で連絡してきたりする家族の方が多い。それは、やっぱり墓に対して思い入れがあるからだと思う。丁寧に、優しく掘り起こして、立派な墓を作ってくれ、という願いだ。墓を作る、作り直すという人達には、大抵その願いが現れている。それなのに、この水谷さん達には、それがまるで見えない。
 ちぐはぐ。そこが、少し気になってはいた。
「……で、まだ着かないの?」
 ふと、我に返る。標葉の痺れを切らした言葉は、目的地を少しだけ通り過ぎていた事を的確に指摘するかのようなタイミングだった。
「悪い。考え事してた」
 謝罪しつつ、引き返す。幸い、それ以上の文句や露骨な溜息などはなく、いたずらに精神を傷つける事もなく、依頼主の家に到着した。
 小さいながらも門があり、隣近所の家とは少し孤立している一戸建ての家屋は、周囲を塀で囲まれていて、寂寞感を演出している。とは言え、それはあくまでも外観。そこに賑やかな家族が住んでいれば、孤独とは縁遠い、温かい家庭が形成されているだろう。
 でも、現在この水谷家は、又兵衛さん曰く、インフルエンザで全員ダウン中。そんな空気は微塵もない。一応マスクを100円ショップで購入してきたが、心許ない。それでも、二重にして装着しておけば、多少は防御出来るだろう。
「マスクは要らない。必要ないから」
 そんな俺の心情を先読みし――――標葉はそんな大胆な提案をして来た。
「え?」
「必要ないって言ってるの。彼らが苦しんでいるのは、病気の所為じゃないから」
 そして、断言。これは……やっぱりそう言う事なのか?
「霊の仕業、とでも言いたいのか?」
 恐る恐る聞いてみる。
 霊能力者と自称する人間の対処法として有効なのは――――無理に否定も肯定もしない事。否定すれば、頑なに反論してくるし、必要以上に肯定すれば、気を良くし、やっぱり自論を延々と展開して行くからだ。こう言う人達は、曖昧な返事をする人を一番嫌がる。ただし、霊感商法をチラつかせてきたら、毅然とNOを突きつける必要がある。その辺の対応は、一通り身に付けているつもりだ。
「いえ。全然違う」
 でも、俺の経験則を嘲笑うかのように、標葉はしれっと否定してくれた。
「昨日も言ったけど、この家族は長い間、あの墓を訪れていないのよ。体調を崩しているのは、それが一番の原因」
「いや、だからそれって、霊が恨んでるとか、その手の話じゃないのかよ」
「死者は何もしない。もういないんだから」
 昨日から感じていた事だけど――――どうにもこの標葉って女の話は、論点が見えてこない。
 普通、『墓参りに来てないから問題が生じた』と言うならば、それは霊の仕業と言うのが筋と言うか、王道みたいなものじゃないか?
「確かお前、昨日『殆どお参りに来ていない』ってほぼ断言してたな。どうしてそれがわかった? 一般人の俺にわかるように説明してくれよ。ここまで連れて来たんだから、それくらい別に良いだろ?」
 言いながら、頭を抱えたい心境に陥る。ああ……つい勢いで『お前』なんて言っちゃったよ。なんて馴れ馴れしい。俺も人の事言えないじゃないか。同世代の中でも、一足早く社会人に足を突っ込んだ手前、礼儀だけは自分なりにちゃんとしてるつもりだったのに……
「説明する事に支障はないけど、自分の狭量なものさしで頑なに否定するのは止めてね。面倒臭いのは嫌いだから」
 えらく口悪いな! なんかイメージが完全崩壊したぞ。この姿見たらウチの学校の男子の多くが幻滅するんじゃないのか? ま、三宅は逆に喜びそうだけど。アイツ、Mっぽいからなあ。
 ちなみに、俺は口の悪いヤツは嫌いだ。近親憎悪と言えばそれまでだけど。
「墓について、どう言う風な解釈してる?」
 そんな俺のイライラなんて知る由もない標葉は、説明もせず、唐突に質問を投げ込んで来た。話の流れ的に必要な事なのかもしれないけど……なんか釈然としないな。
「……死者を弔う場所」
「シンプルだけど、良い回答ね。それで正解。墓は、故人が眠る場所でもあるけど、それ以上に、故人を『生きている人間』が偲び、弔う性質の強い場所よ」
 異論はない。中には、自分が生きている内に墓を作って、そこで眠る事を公言している人もいるけど、あくまでも墓は生きている人間に向けて作られる空間だと、俺は思っている。
 俺が妹を墓に入れたいと願っているのも、結局は俺のエゴ。俺が、そうしたいってだけだ。妹が家族の待つ墓に入る事を願っているかどうかなんて、俺にはわからないんだから。
「だから、死者が墓をどうこうする事はないの。問題なのは……生きている人間」
 刹那――――標葉の表情が、変わった。
 元々温和さはなく、どこか殺伐とした雰囲気を持ってはいたけど、それが一気に濃くなったような顔つきに。
「墓は死者を弔う場所。その通りよ。つまり、死者を弔わなければ、その場所は墓ではなくなる。墓じゃなくなるのよ。そこに、意味の消失が生まれる」
「……別にそんなの、日常の中で幾らでも起こり得る事象じゃないか」
 就寝に使わない寝室。住む人のいない家。生徒も教師もいない学校。誰も乗らないバス。
 そんな空間、都会でも田舎でも、幾らでも転がっている。墓だって同じ事だろう?
「ええ。でも、墓はそうはいかない。例えば、本を置かなくなった書庫は、書庫と言う名前を残し、ただの空き部屋になる。それは何ら不思議な事じゃない。何故なら、そこを書庫と名付けたのは、その家を作った人か、住んでいる人だから。でも、墓は違う。墓は墓である事を、その所有者や墓地の管理者が決めている訳じゃないもの」
 捲くし立てるように、標葉は声を積み上げる。そして、今度は少し緩めた口元を指で一瞬触れ、俺の目に視線を合わせた。
「誰だと思う?」
 シンプルな質問。ただ、既に模範解答は潰されている。
 墓を墓と決めた人物――――それは、墓の所有者でも、墓地の管理者でもない。その流れで言えば、市でも国でもないんだろう。
 となると……
「墓を作った人間、とか」
 他に回答を持ち得なかった俺は、そう答えた。
「いえ。でも、悪くない回答よ。気は合いそうね、私達」
 いきなり、そんな事を言い出しやがった。当然、これほどの美人にそんな事を言われれば、胸は高鳴る。でも、ときめいたり嬉しく思ったり、そんな感情は余り湧いてこない。俺の中で、この標葉と言う女性が『得体の知れない口の悪い女』という位置付けになってしまっているから、なのかもしれない。
 社会人に片足を突っ込むと、人間関係で悩む事が実に多い。俺はまだ、その辺は恵まれている方なんだろうけど、それでも石材店の中には、嫌味ばっかり言う中年の紳士や、人の悪口を日常的に吐く淑女もいたりして、不愉快な心持ちになる時もある。そんな時、一番簡単に心を鎮める方法は、心のシャットダウン。外部からの刺激を、心まで届かないようにすると言う、ある意味現代っ子ならではの防衛策だ。
 そして今まさに、俺の心は、この女に対し限りなく閉じかかっている状態になっている。
 それを見越しているのか、いないのか――――標葉はこっちの目の色を気にも留めず、淡々と解答を述べ始めた。
「墓を墓とするのは、墓を訪れる人全員。その一人ひとりが、墓である事を認めていくのよ。敷地を区切って、墓石を建てて、それを奉ってみても、それはただの空間と石。役所がそこを墓と認めても、それは変わらない。変わるのは、墓を参った人それぞれが、そこを墓と認めた時。その数が一定量に達して、初めて墓は墓となり得るのよ」
 言っている意味は――――なんとなくわかる。要は、観測者の理論だ。
 宇宙があるのは、観測する人間がいるから。そんなトンデモ理論は、今や何処彼処でも使われるくらいに、メジャーなものとなっている。恐らくそれと同じ事なんだろう。
「ちなみに、観測問題とはまた別の話だから。量子力学は得意じゃないから、解説は出来ないけど、猫が生きてるとか死んでるとか、そう言う事とは違うの」
 見事に全否定された。
「じゃあ、どう言う事だよ」
「墓には、記録が残るのよ」
 今度は更にわからない事を言い出した。
 記録? 参列者が帳簿でもつけてるってことか?
「いつ、誰が訪れたかって言う事を、墓は記憶しているの。そしてそれは、記録として残る。墓石にじゃなくて、その場所に彫り込まれるのよ。私は、その記録を視る人間。視認者、とでも言うのかしらね」
 つらつらと、標葉はこっちの思惑を無視し、言葉を並べ立てる。
「だからわかったの。ここには人が参っていない、とね」
「……」
 圧倒され、俺はつい、黙り込んでしまった。
 言っている言葉の意味が全くわからない、って訳じゃない。
 平たく言えば――――電波発言。でも、全く説得力がないとも言い切れない。ただ、常識と言うものが俺に備わっている以上、否定的にならざるを得ない。
 墓に記録される……それはつまり、墓にハードディスクみたいな機能がある、って言う事なんだろうか? そんなの、あり得ないだろう。
「余り人様の家の前で長話するものじゃないから、そっちが納得するかしないかはさておいて、私の行動理由を言っておきましょうか」
 こっちの事などお構いなく、標葉は言葉を急ぐ。
「墓は、墓に来る人がいて、初めて墓となる。もし、一度墓となった空間が墓である事を認められなくなったら、そこは『ハカナシ』となるの」
「ハカナシ……?」
「そう。ハカナシ。漢字で『人の夢』と書く『儚し』、『果てがない』と書いて『果無し』としても良いでしょうね。いずれにしても、墓でなくなると言う事は、そこに眠る死者を失くす事になるのよ」
 死者を失くす。それはつまり――――
「……どう言う事なんだ?」
「その家系に矛盾が生じる。祖先が存在しなかった事になるんだから。結果……存在律が解を無くし、消える」
 消える――――標葉は、そう断言した。
と言うか、あまりに途方もないと言うか、超然とした理論だった。
 人が消える。神隠しとか、その手の話なのか。何にしても、常識を逸脱している事は間違いない。つまるところ――――この標葉という女子は、この水谷家の連中が墓参りを怠った為に存在が消える……そんな自論を展開していると言う事。
 ……なんて無茶な話だ。
 墓参りをしなかったくらいで人が消えるんなら、この世は神隠しだらけだ。
「言いたい事はなんとなくわかるけど、最初に言った通り、そっちの常識で私を否定するのは止めてね。面倒だから」
「……それが、ここまで運んで来てやった人間に対して言う事かよ」
「説明責任は果たしたから、文句言われる筋合いはないと思うけど?」
 標葉の態度は一貫している。
 俺は……からかわれてるんだろうか。或いは、電波な女の世迷言に付き合わされているだけなんだろうか。一つハッキリしてるのは――――俺には理解出来ない、って事だ。理解出来ない以上、共鳴も共感も出来ない。でも、同時に……ムリヤリ止める事も出来ない。少なくとも、この女はちゃんと俺に説明した。口調は気に入らないけど、礼は示した。それは確かだ。
「そっか。ま、好きにしてくれ」
「……」
 嘆息交じりの俺の言葉に、標葉は露骨に顔色を変えた。怒ってる訳でも、呆れている訳でもない。嘲笑――――でもない。それらとは全く違う感情。
 標葉は、驚いていた。
「良いの? 好きにしても」
「俺の仕事の邪魔になるような事は止めてくれよ。その場合は業務妨害罪で訴えるぞ」
 投げやりな俺の発言に、標葉は再び驚いていた。
「……ヘンなヤツ」
 そして、あろう事か、俺にそんな感想を浴びせてきた。
 いや、それは絶対お前には言われたくない。それだけの美貌を持っていて、こんな妙な主張をして、『自分は墓を参った人間の記録を視る事の出来る人間だ』なんて言ってる女に。
 そんな俺の苦悩を知ってか知らずか――――標葉はそれ以上言葉を発せず、水谷家の玄関のチャイムを鳴らした。
 リアクションは――――ない。
 10秒ほど待って、もう一度チャイムを押す標葉の顔に、徐々に険が増す。
 この家の玄関は引き戸になっていて、中央に鍵穴があるタイプ。おもむろに、その引き戸がガチャガチャと音を立てて揺れ出した。一瞬心霊現象かと疑うほどのその揺れは、何の事はない、目の前の標葉が強引に引き戸を開けようとしているだけの事。いや、それでも十分な衝撃映像なんだけど。
「おい、何やってんだよ。借金の取立てじゃないんだから」
「冗談を言ってる状況じゃないみたいよ」
 別に笑わせようとか、皮肉を込めようと思って言った訳じゃないんだが、そんな俺の言葉に耳しか貸さず、標葉は尚、家への侵入口を開こうとする。まるで、家の中で緊急事態が起こっている事を確信しているかのように。
「よくわからないけど、家に入りたいなら、そんな非建設的な事しないで窓が開いてないか確認すりゃいいだろ」
「……」
 俺のごく当たり前の指摘に、ようやく揺れが止まる。
「そんな空き巣みたいな発想、良く思いつくものね」
 借金取り発言を根に持ってたらしい。それでも、標葉は玄関から離れ、家屋と塀の間にある空間に侵入し、一つ一つ窓が開いていないか確認を始めた。その行動には、一切の躊躇がない。なんつーか、怖いぞ。発言とか、この行動とかだけを切り取って分析すると、カルト宗教にハマってる重度の依存症の人みたいだ。
 だけど、実際にそんな人を何人か見てきた俺の経験が、その分析を根本から否定していた。
 標葉は、至って正常だ。正常に、必死になってる。行動力はあるが、暴力的じゃない。玄関口をムリヤリ開けようとしたのも、蹴破ったりせず、家に入ろうとしていると言う意思を、中の人間に伝えようとしているだけだった。異常性を感じるギリギリのラインで踏み止まっているその理由は、必死さを理性で制御しているからに他ならない。変なヤツだし、この家に何らかの問題が発生してる保証もないけど……俺の心象は、標葉の行動を肯定した。
「勝手口を見てくる」
 結果、協力を申告。標葉は――――またも驚いた顔をした。俺が協力的になった事が、余程想定外だったのか。
 とは言え、今はそんな事はどうでもいい。台所のある裏口へ周り、勝手口のドアノブを回す。
 案の定――――扉は開いていた。留守にでもしない限り、ここは閉めない。
「おーい! 入れるぞ!」
 叫んだ直ぐ後に、標葉は姿を見せた。それを待つ間、俺はマスクを二枚して、扉を開く。
 そこは、当然ながら台所だった。そう大きくないが、家族三人分の食糧を蓄えるには十分な大きさの冷蔵庫が置かれていた。流し台には、洗っていない皿や箸が詰まった洗い桶が見える。
「どなたか、いらっしゃいませんか?」
 そんな妙な観察癖を披露する俺を他所に、標葉は若干張った声で奥に呼びかけた。
 返事はない。流石に、もし誰かいれば、例え病気で寝込んでても、家の中からの声だと気付き、慌てて駆けつけてくるだろう。そして、俺らは不法侵入で訴えられる――――って事にはならない筈。インフルエンザと聞いて様子を見に来たけど、鍵が掛かってて心配になったんで、裏口から呼んでみた……とでも言えば、どうにかなるだろう。
 ただ――――返事はない。つまり、留守って事になる。
「病院に行ったんじゃないのか?」
 この状況で最も可能性の高いと思われる答えを発した俺に対し、標葉は首を横に振った。
「インフルエンザって言うのは、誰が言ったの?」
 そして、そう問う。
「仕事仲間の爺さんだよ。昨日見たろ?」
「だったら、そのお爺さんが電話か何かで本人達から直接聞いたか、独自に判断したんでしょうね。そこで問題。それは果たして、本当なのかしら?」
 ここに来て、Q&Aかよ。
 とは言え……確かに、妙だ。今、特にインフルエンザが流行ってる訳じゃない。本人らがそう判断して又兵衛さんに告げたのだとしたら、病院へ行って『インフルエンザです』と診断された場合しかないだろう。
 なら――――何故今ここにいない?
 病院でインフルエンザだと診察されたなら、今日外出してる筈がないんだ。そんな頻繁に病院へ出かける筈もない。
 もし、又兵衛さんが勝手に判断したんなら――――それも、妙だ。普通、一家が一日で一度に体調を崩した場合……食中毒辺りを疑う。どうして又兵衛さんは、インフルエンザだって思ったんだ?
 いや……今は、それはどうでも良い。
 問題は、水谷家の家族が全員、自宅にいないと言う事実。そもそも、留守にするなら、勝手口だって閉める筈だ。
 一瞬、背筋がゾッとした。
 この状況で考えられるのは、もう――――
「本当に……神隠しだってのか?」
 非科学的な事を口にしたのは、子供の頃以来かもしれない。
 子供の頃は、魔法が使えると言っても、幽霊がいると言っても許された。でも今は、そんな発言をすれば、電波扱いされる。だから、俺も言わないし、大多数の人間が口にしない。
 言論の自由なんて、本当はない。人間、ある程度の年齢に差し掛かったら、言葉は封鎖される。言って良い事が限定されてしまう。
 俺は今――――その枷を外したのかもしれない。
「隠したのは、神じゃなくて別のものよ。それを探しましょう」
 もう、これは十分な異常事態。躊躇なく、標葉に続いて俺も奥へと向かう。
 台所を抜けると、居間と思しき空間が出てきた。 家全体が和室の作りになっていて、畳の上に大きめのテーブルがどっしりと置かれている。
 標葉が探しているのは、恐らく――――
「こっちに家庭用祭壇があるぞ。骨壷も」
 俺の指摘に、標葉がすばやい反応を示す。
 そう。又兵衛さんが届けたと言う、骨壷だ。白い布に包まれたそれは、祭壇に飾られていた。これが、水谷家の消失に関係している――――少なくとも、標葉はそう思ってるんだろう。
「で、これからどうするんだ?」
 俺に出来るのは、ここまで。そもそも、これからコイツは何をしようとしているのかもわからない。水谷家の人々が、どんな状態に陥っているのかも、その解決法も。
「……どうして、ここの家の人が消えたのか、知りたい?」
 そんな俺の心を読んだのか、或いは表情に出てたのか、標葉は視線を俺に向け、そんな事を聞いてきた。少なくとも、それを俺に話すだけの時間的余裕はあるらしい。否定する理由はないんで、頷いておく。
「良いでしょう。特別に解説してあげる。意外と飲み込みが良いみたいだし、ね」
 前置きをしながら、標葉は仏壇の前に歩を進め――――骨壷を包む布に手を掛けた。
「さっきも言ったけど、墓が墓である事を認められなくなると、『ハカナシ』となって子孫の存在律を脅かす。結果、子孫は存在を消されてしまう。でも、そんな例は実際には滅多にないの。何故なら、墓が墓でなくなる条件って言うのは、無数にあるから。墓参りに人が来なくなると言うのは、その中の有力な一つではあるけど、絶対的な条件でもないのよ」
 つまり、墓やその墓にまつわる人間が消える程の大惨事には、色んな悪条件が重なって、初めて発展するって事か。 
「その中でも、『ハカナシ』となった家系が高確率で消滅するケースがある。それは、墓参りが長らくされていない上に……」
 標葉は、話しながら布を解いている。立場上、止めなくてはいけない筈だったが、俺はそれを黙って見ていた。
「……墓標や墓石、そして骨壷に、何も記していない場合」
 むき出しになった骨壷は――――まるで普通の何処にでもある壷のように、何も記さず、何も示さずに、ただそこに在った。
 通常、骨壷には、そこに収める人物の名前や戒名、命日を記す。ただ、記さずとも問題はない。実際、そう言うケースを俺は何度か見ている。
「それが、どうして消失理由になるんだ?」
「墓石や墓標に名前を刻んでいれば、そこに眠る骨壷に表記がなくても問題はないんだけど。今、誰かさんの手で、墓標はなくなってしまったでしょう? その上、骨壷にまで名がない。ただでさえ『ハカナシ』状態なのに、この世での存在の証でもある自分の名前すら刻まれていない、なんて事になれば……」
 標葉は、険しい顔で答える。要するに、それって……
「つまり、墓を参る人がいなくて、墓が墓でなくなった状況で、更に墓を取り壊して、名前を記していない骨壷に骨を入れた事で、事態が悪化した……?」
 俺の言葉に、標葉は満足げに頷く。
 なんてこった。別に、骨壷に名前等を記載するサービスなんて元々やってはいない。ただ、それが原因の一つになったんであれば、責任の一端は俺や又兵衛さんにもあるって事だ。
「ど、どうすりゃ良いんだ? このまま、消えていなくなったまま……じゃ、ないんだろ? 何か元に戻す方法があるから、ここに来たんだよな?」
 俺の焦った様子が面白いのか、標葉が笑う。こいつ、本気で性格悪いぞ……
「ない、って言ったらどうする? 私の言葉を全て妄言で片付けて、自分が関わった事を完全否定する……ってところかしら?」
 俺の心を見透かすような発言は、今に始まった事じゃない。ただ、今回はその精度を明らかに欠いていた。
「……悔いが残る」
 もし――――本当に、何も手立てがないんなら、俺はまた何も出来ない。恐らくこの後、この一家は原因不明の蒸発、失踪事件として、ニュースで取り上げられるくらいの大事に発展するだろう。そして、その原因が俺にも少しある、と言う事が証明される事は……きっとない。
 でも、そんなのは問題じゃない。問題なのは――――俺の関わった件で、人が数名消えたかもしれない、と言う事。墓を新しく作ろうとした家族が、いなくなってしまった事。このままじゃ、本当に悔いが残る。 これじゃまるで、俺から家族を奪った、あの台風と同じじゃないか。俺は、自分が力になりたいと思っていた人達を、悪い方向に導いてしまったのか――――
「……ふーん」
 標葉は、ポツリと何らかの感情を呟いた。それが何なのかは、わからない。俺はいつの間にか、下を向いていたから。
「ま、方法はないんだけどね」
「本当にないのかよ!」
 思わず叫んでしまった。つーか、俺の反応を楽しんでるだけだろ、この女。ホント性格悪いな……ここまで来ると、もう顔が飛び抜けて良いってのも、大したアドバンテージに思えなくなってくるぞ。
「ええ。正直言って、全く思いつかないのよ。現場に来れば、何か思いつくかな、って思ってたんだけど、とんだ期待外れね」
 標葉は、肩を竦めて嘆息する。つーか、真剣なのか他人事なのか、スタンスをハッキリさせろよ。キャラの掴み難い女だな。
 それにしても、だ。
 実際問題として、全く方法がない、って訳じゃないだろう。仮に、消えてしまった後に何の対処法もないんなら、標葉は『思いつかない』なんて言葉は使わない。
 何かがあるんだ。墓が意味を消失し、その影響で墓に眠る故人の子孫まで消失するって言う、悪夢のような負の連鎖を断ち切る方法が――――
「……なあ」
「あによ」 
 標葉は、拗ねたような返事をした。もしかして、何気に何も思いつかない事を気にしてるんだろうか。宇宙の膨張を見ているかのように、断続的に外見と実際の中身のギャップが膨らんでいくが、それはもう気にすまい。
「要は、死者が墓に眠っていれば良いんだよな? 例えば、身内の人達や、故人を知る人達、その知り合い、血を分けた人達が見守る墓に」
「ええ。でも、その墓はもうないって、さっき言ったでしょ? あそこにあるのはもう、墓であって墓じゃないのよ。ここまで進行した以上、今更お骨を戻して墓の体裁を整えても、無意味。偶然、このタイミングで親類がお参りに来るとも思えないし」
「なら、つまり……そう言う環境を今直ぐ整えれば、消えた水谷家の連中が戻ってくる可能性はある、って事か?」
 俺の疑問に、標葉は鼻で笑った。
「今から、この家と縁のある人に『墓参りに行ってくれ』って頼むの? 出来るのなら、協力は惜しまないけど、難しいでしょうね。この状況を説明して、『わかりました、じゃあお参りに行きます』なんて、素直に応じる人間がいると思う?」
 正論だ。それでなくても、墓って言う場所は敷居が高い。仮に、俺がこの家の親類の電話番号を調べて、片っ端からお願いの電話を入れても、全員『気持ちの悪い電話が掛かってきた』と親しい人へのネタ話にするだけだろう。
 ただ、俺が考えていたのは、標葉が予想した案じゃなかった。
 もっと単純。そして、理論的――――この場合はあくまで標葉の言う説明内での理論だけど、もっと建設的な案だった。文字通りに。
「俺が言いたいのは、墓はあの墓地だけじゃない、って事だ」
 そう言い放ち、不敵に微笑んでみせる。そんな俺の顔を見ていた標葉は、一瞬怪訝な表情をして、その後目を丸くした。なんつーか、深窓の令嬢って感じの容姿をしてる割に、表情はいちいち俗物的なヤツだ。
「……ここに新しく建てればいい、ってコト? この家の敷地に」
 そんな標葉に、俺はしたり顔で頷いてみせた。


 それは、実に幸運だった。もしこの家が、他の家と隣接していて、且つ敷地が家屋で埋まっていたら、達成は困難だっただろう。ただ、幸いにも、水谷家の土地には、墓を作るだけの空間が残されていた。その好条件を利用し、俺と標葉は骨壷から骨の一部を取り出し、敷地の土中に埋め――――そこに墓標を建てた。
【水谷ヨネ ここに眠る】と記して。
 墓標と言っても、ホームセンターで購入した木製の板。ありがたみなんて皆無だけど、重要なのはそこじゃないらしい。
「この敷地には、家族がいるでしょう? 今は消えているけど、墓が消えなければ、彼等が消える事もなく、墓である条件は整う。一見、卵が先か鶏が先かの『因果性のジレンマ』のようだけど、優先されるのは『生きている人』。これが墓の絶対原則。だから、これで『ハカナシ』ではなくなる筈よ」
 そう言い残し、とても質素かつ安上がりな墓を作り終えた標葉は、満足そうに去って行った。俺の案を、まるで自分の手柄のように語っていたのは、少々気になるが……ま、良いか。
 俺としては、これで万事解決――――なんて確信はとても持てなかったんだけど、実際、翌日になって改めて水谷家を訪れたら、何事もなかったかのように、そこには父と母、娘の三人がいた。最悪、刑事事件として届け出る必要があると思っていた俺にとって、それは驚きと同時に安堵を生む結果となった。
 これにて、一件落着。ただ、仕事はまだ終わらない。
 既に墓を掘り起こした俺に出来る事は手伝いくらいだけど、幾つかの疑問が残っていた事もあって、水谷家に足を運び、その疑問を聞いてみた。
 訪ねた際に対応してくれたのは、母親一人。父親は仕事、娘は学校で部活中らしい。そして、その母親は俺の疑問に快く答えてくれた。
 まず、最初に疑問に感じていたのは――――どうしてインフルエンザだったのか、って事。これに関しては、水谷母は少し申し訳なさそうに答えていた。
 簡単に言えば――――仮病だったらしい。
 又兵衛さんに、墓参りに来るように散々せっつかれた結果、暫く外出できない理由として、そんな嘘を吐いたそうだ。一時期『ハカナシ』になっていた事で体調が悪くなったんじゃないか、って懸念もあったけど、どうやら違ったらしい。
 ただ、その回答はもう一つの疑問を更に不思議なものにした。
 墓を建て直すと言う、中々出来ない事をしておきながら、どうしてその墓が出来上がる過程に殆ど関与していないのか。仮病まで使って、墓に来ない理由は、何なのか。
 世間体を気にして建て直しただけで、本意ではなかったから。墓を見に行くのが億劫だった――――と言うのが予想の本命だった俺にとって、実際の理由はかなり意外なものだった。
 母親曰く、墓を建て直すと言うのは――――母と娘だけの意思。父親は関与していなかった。そしてそれは、夫、若しくは父へのサプライズ・プレゼントだった。
 更にその理由を説明するには、水谷家の大黒柱の生い立ちを語らなければならない。
 その男の両親は、父が幼い頃に離婚し、母ヨネさんに育てられたらしい。貧しいながら、一生懸命一人息子を育て、そして――――孫が生まれる前に息を引き取った。ただ、その当時はまだ貧乏だったらしく、墓石を建てる事は出来ず、当時の方式に倣い、土葬によって埋葬されたそうだ。で、そんな義理の母および祖母の墓に対し、母と娘は墓石を作ってあげたくて、毎年貯金をしていた。その貯金が今年、墓を購入できる金額に到達した。だから、このタイミングで墓を建て直す事になった。
 でも、出来れば完成するまで父には秘密にし、完成してから見せて、驚かせたい。その為、俺ら業者への接触を最小限にして、バレないようにしていたそうだ。
 ただ、そうなってくると、そんな温かい家族が長い間墓参りに来ていなかった事に、新たな疑念が湧く。
 結論としては――――それも、難しい話じゃなかった。
 土葬の墓を見るのが忍びなかったから。
 墓に対しての思い入れがあるからこそ、隣の、そして他所の立派な墓と比べて明らかに見劣りする、粗雑で質素な墓を見るのが、辛かったみたいだ。
 経験上、立派な墓ほど、そこに飾られる花が頻繁に取り替えられている。逆に、土葬のままの墓は、多くの場合、放置されている。
 墓は生きている人間の為のもの――――標葉はそう言った。その通りだ。墓石のない墓を見て惨めな思いをするのは、他ならぬ参拝者であり、身内の人間。生きている人間だ。だからこそ、辛い。結果、足が墓地へ向かない。墓に思いを持つ人間ほど。水谷家は、まさにその状態だった。特に父親は、自分の母親の墓石がない事、火葬していない事に対し、相当なコンプレックスを抱いていた事だろう。
 それを聞いた俺は、心の底から墓石の建設を祝い、良い墓になるようにと祈った。
 墓石が完成するのは、二週間後。かなりの重量を誇る墓石は、出来上がったらトラックで墓地へ運び、クレーン車を使って敷地内まで持ち上げ、入れる。何気に大作業だ。その時に、父親を連れて行くらしい。さぞビックリする事だろう。
 さて。
 水谷家への疑問は解決したけど、他にも気になる点は幾つかある。そして、その存在自体が疑問と言って差し支えないあの女が、三度仕事現場へ訪れたのは――――例の騒動の数日後の週末だった。
 この日は又兵衛さんの都合で、仕事は早々に上がり。墓地には、俺と標葉の二人しかいない。
「なんで、俺に最初に会った時、理由を話さなかったんだ? あの時なら、まだ手遅れじゃなかったんだろ?」
 そんな中で、俺は疑問の中の一つをぶつけてみた。
 標葉は特に感情を出すでもなく、建設途中の石塀に腰掛けながら、空を仰いでいる。
「貴方にそれを信じる器量があるとは思えなかったからよ」
「……信じない方が正常だろ」
 半眼で呟く俺に、標葉は邪悪な笑みを見せた。今日も今日とて性格が悪い。
「で。それはわかったけど……結局お前、何者なんだよ? 俺が一昨日体験したのは、超常現象か何かなのか?」
 標葉は以前、自分の事を『視認者』と表現した。その墓を参った人の記録が見えると言う。当然、常人にはそんなモノは視えない。世迷言のようなその言葉だが、今となっては信じるしかない。
 つまり――――標葉は常人じゃない、って事になる。
「失礼な想像をしているようだけど、私は到って普通の人間。何処にでもいる凡庸な、ね」
「高校生の分際でミス秀英になった人間が、何言ってんだ」
 呆れつつ足を組む俺に、標葉は俺以上に瞼を落とし、苦虫を噛み潰した。
「そんな、容姿だけで決めるような下世話な格付け、知ったこっちゃないってのよ。アホらしい。しかも、その評判の所為で、やけにケーハクな大学生から声かけられるようになったし。百害あって一利なしよ」
 心底下らないと言った面持ちで、標葉は吐き捨てた。美人は美人なりに苦労してるらしい。
「ま、それは良いとして、だ。百歩譲って容姿面を除外しても、お前のその墓の記録が視えるって言う特殊能力。アレがある以上、一般人とは言えんだろ」
「言えるのよ。何よ、たかが墓の記録が見えるくらい。偶々視力が8.0だったとか、それと同じようなもんじゃない」
「視力8.0は常人じゃねえぞ」
「目に限った話じゃないのよ。誰にだって一つくらい、ちょっと変わった特技があるでしょ? イエロースポッドサイドネックタートルの形態模写が出来るとか」
「そんな特技を持つ人間とは、この先一生出会わない自信があるんだが……」
 ま、その例えは兎も角。
 この女は、自分を特別視されることをかなり嫌がってる、って事は良くわかった。わかったと言っても、それでどうなる訳でもないんだけど。
「んじゃ、百万歩譲って、お前が普通の性悪女だとして、だ」
「……今、そこはかとなく看過し難い発言があったようだけど」
「お前は、その特殊能力を使って、一体何をしてるんだ?」
 標葉の言葉を無視し、俺が口にしたのは――――核心。
 こいつが何者なのかと言う疑問は、結局の所、持ってる能力とか容姿なんかじゃなく、そこに集約される。俺が、別に試験を受けて資格を得たり、世襲したりはせず、墓掘りをしているから『墓掘り』と名乗るように。
 一体、お前は何をしているんだ――――
「ハカホリ」
 淀みなく。
 標葉は、そう答えた。
「って言っても、そっちの墓掘りとは違うけど。私は、墓捕吏。墓が墓であるように、墓にとっての罪悪を捕らえ続ける。要するに、『ハカナシ』を防ぐ為、温かい目で墓地を見守ってるの」
「……それだけ?」
「敢えて具体的に説明するなら、一昨日のようなトラブルが起こりそうな墓をチェックして、可能ならばそれを未然に防ぎ、墓が墓であり続けるようにする、ってトコね。今回は、その……偶々、偶々だけど上手くいかなかったって言うか、その……助けられたと言うか」
 眼前の女子は、照れている――――様子はなく、悔しそうに言い淀んでいた。どうやら結構な負けず嫌いらしい。
 そして、こいつもまた、ハカホリだと言う。
 墓が墓でなくなる罪悪を召し取るから、墓捕吏……か。また、下らぬ事を知ってしまった。
「つまり、一昨日みたいな事を日常的にやってる、って事か」
「あんな例はそう多くはないけど」
 そう多くはない――――つまり、それなりの頻度で起こってる、って事。だとしたら、また接点を持つ日が来るかもしれない。嫌な予感ばかりが脳裏に渦巻く。
 正直、俺はこの女にあまり係わり合いになりたくはなかった。なにせ性格が悪い。悪過ぎる。俺は、汗水垂らして働く傍で、そっと自分の袖で俺の汗を拭ってくれるような心優しい女性が好みなんで、ハッキリ言って苦手なタイプだ。
「そう言う訳だから、そっちがこの辺りの墓地で墓を掘る仕事を続けるのなら、また似たようなトラブルに巻き込む事があるかもね。その時は、どうぞ宜しく」
「勘弁してくれ……」
 本気で頭痛がして、頭を抱える俺の姿を、標葉は実に愉快そうに眺めていた。


 水谷家失踪事件――――その歴史に残る事のない出来事から、半月が経過した。
 水谷家の墓は、先日無事に完成。【光吉石材店】と言う、腕の良い職人がいる石材店が作っただけあって、良い仕上がり具合だった。
 例のサプライズの瞬間には、俺も立ち会った。人間、本気で感動すると、あんな顔をするんだな……と、実に有意義な知識を得た。こう言う造詣は、どんどん膨らまして行きたい。
 暗躍の部分を知る由もない水谷家だが、それでも俺は結構、感謝されたりした。それも、良い墓石が、そして良い墓が出来たからだろう。
 と言う訳で、この件はこれで一区切り。
 そして今、俺はと言うと――――放課後、新たな仕事を依頼されている。また、土葬によって埋葬された墓の掘り起こし作業だ。またキツい日々が始まる。でも、気力は充実していた。
「あーっ、マジ疲れた。月曜ってマジきっついよなー。もうキツ曜で良くね?」
「それなら、鬱曜の方がいいよ。ホント、月曜って鬱だよねぇ」
 そんな、気力が掠め取られていくような三宅と左京の会話を漠然と聞き流しつつ、俺は教科書を鞄に詰め込んでいた。
「こんな日はさ、やっぱパーッとゲーセンで筐体揺らそうぜ筐体。知ってっか? あのパイロット部分のトコ、筐体ってゆーんだぜ筐体」
「えー、それよりラッコ見に行こうよラッコ。今ラッコ来てるってハナシだしさぁ」
 放課後はレジャー三昧なコイツ等と違い、俺には仕事がある。と言う訳で、毅然とNOをつきつけようと口を開く――――
「あ、標葉さんだ」
 寸前、左京が間の抜けた声を発した。その視線の先には、以前と同じように、廊下で女子と話す標葉の姿がある。
「そう言や、また沈没したらしいぞ。しかも今度は二隻。サッカー部とソフト部のキャプテンだってさ」
 ゴシップ好きの三宅が、ベラベラといらん話をしてくる。
って言うか、サッカー部はわかるけど――――
「おい、ソフト部のキャプテンって……そう言う事だよな」
「ああ。ま、魔性の女、ってこったな。あの美貌は性別を選ばないんだろ。でもまあ、断られても幸せだって話だぜ。あの標葉が済まなそうに俯いて、『ごめんなさい』って言う姿、マジでグッと来るってよ。くーっ、俺も言われてーっ! 完全に天使じゃん!」
 百合も似合う女――――そんな異名が生まれそうだ。とは言え、俺には関係ない話。教科書も仕舞い終えたし、そろそろ仕事に出かけ――――
「あれぇ、こっち来るよ」
「うわっ、マジだよ! 今度こそ気分を害しちゃったか!? 左京、お前謝れって! 視姦してスイマセンって、土下座しろって! あ、待て! 土下座は俺がする!」
「あっ、謝るフリしてスカートの下覗こうって魂胆だろぉ! それは僕がやるっ!」
 世にもアホな会話が鼓膜を蹂躙する中――――そんな二人を尻目に、標葉はズカズカと教室に入って来て、俺の目の前までやってきた。学校一の美人の突然の入室に、教室が異様な雰囲気を醸し出す。
 これは、この二週間で耳にした話だが……この標葉、校内での性格に関する評判は『大人しくて小動物みたいな女子』との事らしい。どんだけ猫被ってんだって話だけど、その性格が余計に男どもを狂わせているとの事。だから、周囲が驚くのは当然だろう。そんな標葉が、事もあろうに、特にモテた記憶もない俺の目の前まで一直線で歩を進め、ニッコリと微笑んだんだから。
「新しい重大懸案が確認されたの」
「……で?」
 張り詰める空気。
 余りの出来事に震え出す三宅と左京。
それら全てを置き去りにして――――
「一緒に来てくれる?」
「嫌だね」
「……来て」
「用事があるんだよ」
「…………来い、っつってんでしょ!?」
「誰が行くかーーーーーーーーーーっ!」
 標葉がスゴい形相で迫り来る中。
 俺は、生まれて初めて、全力で学校内の廊下を走破した。

 
 





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