時間の流れと言うのは、何があった時でも同じ。苦しい時も、楽しい時も、辛い時も、恥ずかしい時も、何気ない時も、変わる事なく次の一瞬を紡いでいく。
「お前の所為で、俺の高校生活メチャクチャだぞ……なんだよ、高校生になって皆にやっと付けて貰ったニックネームが『M宅』って。俺今もうマザコンじゃねぇよ! Mでもねぇよ! 畜生……畜生! 訴えてやるからな! 絶対訴えてやるからなあああああわあああああああん」
それを実感したのは、そんな三宅の怨み説を左京と二人で大笑いする時――――じゃなくて、倒壊した墓石が散乱する【レクイエムガーデン 紫苑の森】を見た日から、一週間が経過した頃の事だった。
あれだけ、悲惨な状況が広がっていたその霊園には今、数多くの重機が入り、復興へ向けてどんどん稼動している。流石に、これだけの機器をボランティアで投入する事は出来ない。つまり、ある程度のお金をかけてでも、墓を直したい、元に戻したいと言う人が多い事の表れだ。
その光景は、見る人にとっては、無骨で荒々しく、ちょっと怖いと感じるかもしれない。でも――――実際にそこにあるのは、墓に眠る人達を思う心。優しさに溢れた、心温まる光景だ。
「それじゃ、今日はあがりまーす!」
「はいよ! ご苦労さん!」
「また明日な!」
俺の挨拶に、同じ立場の労働者数名が応えてくれる。その中には、今回の件で初めて目にした人達もいた。
多くのものを奪い去って行く、自然の脅威。でも、俺達はその中からでも、新しい出会いや教訓、若しくは強い心を見出して行かなきゃならない。きっと、今はもうこの世にいない先人達の多くは、そうして今に至る道を築いて来たんだろう。だから、俺もそれに倣って、ちょっとだけ頑張ってる。ここ一週間、学校から各墓地へと直行し、日が完全に暮れるまで復興作業に参加している所為で、身体のあちこちが痛い。でも、そんな事は言ってられなかった、
「……ん?」
その帰り道。
一台のトラックが、俺の歩く路面の直ぐ前に止まる。一瞬又兵衛さんかと思ったけど、窓から顔を出したのは――――意外にも、ニット帽を被った不良神父だった。
「格好だけじゃなくて、乗り物まで神父らしくないんですね」
「別に、これが愛車って訳じゃないんだけどねー。ま、取り敢えず乗って」
サングラスをかけて、小型トラックを運転する標葉兄の姿は、色々混ざり過ぎて訳のわからなくなった子供の描く絵にちょっと似ていた。
「で、何処に行くんですか?」
「勿論、君の家だよん。ちゃんと道案内してね」
家まで乗せて行ってくれる、と言う事なんだろうか。多少の不安はあるものの、歩く速度より遥かに短時間で前へと突き進むトラックの機動力に気分を良くしつつ、道を指示して行く。
その途中――――
「永井さん、だったかな。あのやつれた感じの女性。永代所有権の所有者に問い合わせをしたらしいね」
「そうなんですか?」
「あれ、知らなかったんだ。ま、世間体ってのも大きいだろうけど、彼女なりに色々考えたんじゃないかな?」
一瞬、彼女の疲れきった微笑が頭の中に蘇る。別に、悪い事をしていた訳じゃない。素行の悪い父親を、それでも自腹を切って病院へ入れ、お見舞いへ行き、そして――――看取った。そう言う何処にでもある物語を、彼女は少しだけ波風を立てて、それでも最後まで演じきっただけの事だ。だから、俺もこれ以上は何も考えない事にした。
「ところで、これは知ってっかな?」
そんな俺の空気を察したのか、標葉兄は話題転換に勤める。どうでも良いけど、運転が荒い。酔いそうだ。
「近い内、親父が帰ってくんだよね。メールで『百合に恋人が出来たみたいだぜ』って送ったら、そう言う話になっちゃってさ。ま、覚悟しておいてよ。ウチの親父、相当溺愛してっから、百合のコト」
「悪質なデマを流すな!」
しかも最悪の相手に……考古学者って、なんか得体の知れない呪いとか本気で知ってそうじゃねーか。
「あれ? まだくっついてないの? あれだけ必死になってるって事は、てっきり……あ、この道どっち?」
「右。突き当たりを左で到着です」
頭を抱える俺を、標葉兄は目尻の下がった横目で眺めていた。
そして、程なく到着。
「一応、礼は言っておきます」
「ん? 何言ってんの。まだ乗って貰わなきゃ。あと、自転車。荷台に乗っけて」
「……はい?」
「その為のトラックなんだからさー。ホラホラ、急いで」
良くわからないまま、強引に促され、俺は愛車『精霊馬1号』を荷台に乗せ、再度トラックの助手席に乗るハメになった。
「……一体、何処に拉致する気なんですか」
「人聞きが悪いなあ。俺、これでも神父よ? 変なトコには連れてかないよ」
「その前フリが一番怖いんですけど……」
とは言え、動く車から離脱する事は不可能。抵抗する気力もなく、流されるままに時速40キロで移動する。
この街の地理に関しては、大体頭に入ってるから、自分の居場所がわからないって事はない。程なく、表通りを外れて、古い住宅の並ぶ住宅街の細い道へと入って行った。
この通りは、確か――――
「お、見えて来た」
標葉兄が呟いた視線の先には、可愛らしい動物の絵が並んだフェンスと、幾つかの遊具を設置した敷地が見える。入口の前には、『ひがしだようちえん』と平仮名で書かれた看板も見えた。
忘れる筈もない。俺がかつて通った幼稚園だ。
そして――――由香も通っていた幼稚園。そこは、東田幼稚園と言う名前の施設だった。
もう日が暮れている事もあって、子供達の姿はない。
「さ、早く下りて。このトラック、今日中に返さないと文句言われるんだからね」
訳もわからないまま、自転車ごと放り出される。特に何を告げるでもなく、この界隈の未来を担う若神父は、トラックを転がし幼稚園を後にした。
……何なんだ、本当に。自転車は、帰りはこれでって事なんだろうけど、そもそもここに連れて来られた意味がわからない。
「おう。お疲れ」
そんな混乱の最中――――幼稚園の入り口から突然、人影が現れる。
「又兵衛さん……?」
およそ、幼稚園とは縁のない人物。孫がいるって話も聞かないし……
「悪ぃが、ちっとばかし付き合ってくれや。時間は取らせねぇからよ」
「構いはしないですけど……用件は何なんですか?」
「直ぐわかっから」
それだけ言い残し、又兵衛さんは踵を返す。
数多くの、出入り可能なガラス窓は、もう一つも開いていない。全てカーテンが閉まっている。又兵衛さんは正規の入り口から、無造作な足取りで建物内へ入って行った。
園長先生と仕事の話でもするんだろうか。
昔通っていた俺がいた方が、話が通し易い――――なんて事はないだろうしなあ。本当に理由がわからない。とは言え、又兵衛さん絡みである以上、特に怪しむ必要もない。その背中に黙って付いて行くのみ。
玄関からホールを通り、直ぐの所にある扉。ここも平仮名で『せんせいのおへや』と書いてある。職員室のような部屋なんだろう。
「失礼しますよ」
年寄りらしい、ちょっと惚けた感じで入室する又兵衛さんに続き、俺も会釈しながら入ったその部屋には――――
「お待ちしていました。石神君」
永井さんや標葉兄より少し年上くらいの、上品な感じの女性がいた。
その女性に見覚えは――――ない。少なくとも、記憶には。
「あの、えっと……」
「いいんですよ。覚えていないのは当たり前。貴方と最後に会ったのは、もう十年も前の事ですから。私も歳を取りました」
十年前。その時にはもう、俺は幼稚園を卒業している。その後に会ったと言う事は――――
「佐々木と言います。石上君、本当に大きくなって……」
あの時――――十年前の台風直後、必死になって由香を探してくれた先生。由香と俺、両方を受け持ってくれていた先生だ。
正直、名前を聞いても、改めて顔を見ても、幼稚園当時の記憶は蘇らない。
けれど……あの日の事は、鮮明じゃないけど、朧げに浮かび上がってきた。
「あの時は、最後まで妹を探してくれて、ありがとうございました」
「……当時の事は、今もずっと忘れられません。もし、私があの時、もっと長く探していたら……いつも、そう思っています」
一礼して顔を上げた俺を、佐々木先生は心底済まなそうに見つめている。
「バカ言っちゃいけねぇよ。止めたのは俺だ。責められるのは俺だろよ」
ただ無力を嘆いていた俺と違って、二人は十年間ずっと、俺とは違う苦しみを抱いていた。色々な事がわかって、色々な事が出来たから――――その苦しみは、もしかしたら俺よりもずっと、大きかったのかもしれない。
「バカ言ってるのはそっちだろ。又兵衛さんが止めなきゃ、二次被害の可能性だってあったんだ。止めない方が問題だ」
俺はこの時初めて、当時の又兵衛さんの行動に言及した。長い間一緒に仕事をして、初めてこの件に触れた。触れる事が、やっと出来た。
「……そうかい」
又兵衛さんはいつも、多くを語らない。でも、その声は、長年背負った荷物を少しだけ降ろして、一息吐いたような――――そんな風に聞こえた。
「お前をここに連れて来て貰ったのは、ちょっとした催しをする為だ。時期外れだし、時間も時間だけどよ、まあ贅沢は言うなや」
「催し?」
訪ねる俺に、又兵衛さんは顎で佐々木先生の方を差す。その先生はと言うと、机に置いていた包みを手に持ち、丁寧に包装を解いていた。
「由香ちゃんをずっと、探していたそうですね」
「それは……」
「そして、それが一区切り付いたと、とても綺麗な貴方の同級生の女の子から聞きました」
同級生の女の子――――多分、標葉だ。でも、あいつがどうして佐々木先生に……?
「ここを訪ねて来たんだとよ。心当たり、あんだろ?」
ない、事もない。標葉には、由香が幼稚園に通っている時に被災した事を話している。
でも、何処の幼稚園なんて言ってないし、当然その場所なんてわからない筈――――
『あれだけ必死になってるって事は、てっきり……』
ふと、標葉兄のさっきの言葉が脳裏を過ぎる。
まさか、あいつ……わざわざ調べたってのか? 由香が通ってた幼稚園を。
でも、何でそんな事を……
「その子に、言われたんですよ。『どうか由香ちゃんを卒園させてあげて欲しい』って。今が一番良いって。深い理由はわかりませんが、彼女の想いはハッキリと伝わってきました。だから、今日貴方をお招きしたんです」
卒……園?
『……卒園する事も叶わない、短い一生だった』
標葉、お前は……あの時の、俺の何気ない一言をずっと覚えてたのか?
自分が、由香と家族を一緒にするって言う俺の目標に終止符を打ったから、代わりにそっちを実現させようとした……のか?
どうして、そんな事を。
そんな事までして、俺に……
『好きだからに決まってるじゃない。前にも言ったでしょ?』
我ながら、愚問だった。そんなの、標葉はとっくに言ってたじゃないか。
ったく……なんだってあいつは、あんなに捻くれてて、こんなに真っ直ぐなんだ。
こんな事されたら、俺は……
「おう、しゃんとしろ。由香ちゃんの一世一代の晴れ舞台だ」
又兵衛さんの言葉が、俺を現実に引き戻した。
目の前に、再び佐々木先生が現れる。その手に――――一枚の紙を持った。
「卒園証書。石神由香ちゃん」
俺は、その紙を掲げた佐々木先生の言葉を、じっと聞く。
「十年間、本園の園児として、いっしょうけんめいがんばりましたね。大きくは……なれなかったけど……」
その声が、不意に滲んだ。
「……けど、本当に、本当にいいお墓を作ってもらって、よかったですね。そこで、お兄ちゃんをずっと、見守ってあげてください。家族のみんなとはちょっと離れてるけど、自由に遊びに行って、いいですからね。みんな、待ってますから……」
楽しかった記憶。それはきっと、酷く曖昧なもの。俺の中にいる由香は、きっと俺の中で色々と姿を変えて、本当の由香じゃなくなってしまっているんだろう。
でも、俺の後ろを付いてくる由香は、ちょっと拗ねてたけど、とても楽しそうにしていた。いつも、楽しそうに笑っていたんだ。それだけは――――確かだ。
「ご卒園、おめでとうございます」
「……ありがとうございます」
だから俺は、由香ならきっとこうするだろうと思って、笑いながらその証書を受け取った。
全力の笑顔で。
震える唇とか、熱い目頭に、なんとか耐えて。
でもやっぱり、耐え切れなくて――――泣いて、笑った。
「ありがとう……ございました」
その卒園証書は、きっと――――俺にとっての卒業の証でもあった。
由香。
卒園おめでとう。
そして……お兄ちゃんも、やっと、お前から卒業出来たよ。
お前がもういない事を、ちゃんと正面から受け止められたんだ。
だから、これからは……墓参りに行くよ。見つけるんじゃなくて、そこにいる事を、見に。
「……良かったなぁ……由香ちゃん」
又兵衛さんも、声を震わせていた。
この人にも、本当に感謝しないといけない。
俺が今こうして、道を踏み外さずに生きてこれたのも、きっとこの人がいたからだ。
「又兵衛さん。ありがとう」
「……ケッ」
俺に対しては、いつもの態度。らしいなと、そう思って、ようやく俺は本当に笑えた。
「嬢ちゃん、外で待ってるぜ。行って、ちゃんと礼を言って来い」
「嬢ちゃん……ああ」
標葉、来てたのか。だったらこの場にいれば良いのに。
これだけ段取りしといて、自分が部外者だとでも思ってんのか。ったく……
「石神君。私も墓参りに行っても、いいでしょうか?」
佐々木先生が、目を拭いながら俺に問い掛けてくる。
「勿論ですよ。由香も喜んでくれます」
「ありがとうございます」
俺はもう一度、深く深く一礼し、その部屋を後にした。
墓参り。
そう、墓参りだ。
実は、あれから――――由香の墓を作った。
誰でも作れる、簡易な墓。
御影石なんて使っちゃいない。
ただ、名前だけを記した小さな木材が、十字架状に立てられている。
今はそれで良い。
そこはもう、墓なんだから。
標葉が言うんだ、間違いないだろう。
俺はこれから、その墓へ行くつもりだ。
【紫苑の森】にも寄らないとな。
この卒園証書を、由香と両親に見せないと。
標葉も連れて行こう。
二人乗りはキツいけど。
もう日も暮れて真っ暗だけど。
一刻も早く、届けたい。
みんなの『おめでとう』と『よかったね』を、届けたい。
「標葉!」
門に寄りかかって、空を見ていた標葉を、俺は大きな声で呼ぶ。
標葉の顔は、ここからじゃ確認出来ないけど――――もう少し近付けば、わかる。
ちょっと楽しみだ。
「俺、お前の口の悪いところとか、平気で人を振り回すところとかは嫌いだけど」
どんな顔を見せてくれるのか。
「それ以外のところは大抵、大好きみたいだ」
どんな声を聞かせてくれるのか。
「――――」
俺の、嫌いで好きな女は――――期待以上の反応を見せてくれた。
それが、どんな顔と声だったのか。
多分、今度はずっと覚えているだろう。
そんな事を思いながら。
俺と標葉、二人のハカホリは――――墓へと続く道を一緒に走り出した。
- END -
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