ここ市営南部墓地には、数多くの墓石が建てられている。
 そしてその数より遥かに多い数の死者が、墓石に守られ眠りについている。
 宮野家の墓も、その数ある墓石の一つだ。
 建てられたのは50年以上前。
 他の墓石と比べても古く、所々痛んでいる上に材質も余りよくない。
 だが、墓は墓石の質や状態で価値が決まる訳ではない。
 そこに眠る死者と、墓を守るべき家族との関係こそが重要だ。
「標葉」
 宮野家の墓石の前でしゃがみ込んでいた標葉百合に、とある青年が声をかける。
 年齢は百合と同じくらい。
 身体付きは、その年代の青年としては筋肉質な部類に入るが、
 服を着ている上からも分厚さがわかるほどではない。
「ここが、昨日お前が身体を貸した霊魂の墓か」
「ええ。妬けた?」
「……妬ける理由はないと思う」
 そういいつつもそっぽを向く青年に、百合はどこか嬉しげにしながら立ち上がる。
 地面に付けていた手も放して。
「でも、可哀想にな。俺らと殆ど歳変わらないんだろ?」
「ええ……」
 この青年には、小学校入学前に亡くなった妹がいた。
 だからこそ、若くしてこの世を去ることの意味をよく知っている。
 青年――――石神鎮は宮野家の墓石の前に立ち、およそ関わりのない
 その墓へ向かって黙祷した。
 もっとも、関わりのないと言い切ることはできない。
 彼にとって、この墓地すべては職場であり、ある種の顧客だ。
「けれど、短命だからといって不幸とは限らないのよ。
 短いながらも太い人生を立派に歩んで、家族やたくさんの友達に愛され続けている
 死者だっているの。あの墓で眠っている子みたいにね」
 そう説明しながら百合が指差した先には、やたらキラキラと光っている
 異様に昼光照度の高い墓があった。
『浅尾家之墓』と刻まれたその墓石の前にはたくさんの花、瓶、缶などが並んでおり、
 墓地には似つかわしくないほど明るく賑やか。
 生前の故人の対人関係の良好さが窺える。
「一方、ここに眠るのは惨めに部屋に引きこもって、家族に散々後ろめたい思いを
 させて、交通事故で勝手に死んで、自分の人生のふがいなさをどうにか
 家族の責任にしたいと思っていた無様な男よ」
「……死者をそこまで悪し様に言える神経を疑う」
「一応、ハッピーエンドまで見届けた当事者だから許されるってのもあるのよ」
 クスリと微笑み、百合は肩をすくめた。
「ただ、あのハッピーエンドはあくまでもあの場面だけ。彼はあくまでも
 私の神経を借りて現世の一部を体感したに過ぎないのだから……
 昨日の記憶はすべて、霊魂に戻った今は失われているのよね。
 保存すべき脳がないから当然なんだけれど」
「そうなのか……? だったら現世一日体験の意味ないんじゃ……」
 脱力気味に半眼で呟く鎮に対し、百合は静かに首を振った。

 ――――横に。

「彼は昨日、大いなる失望と希望を同時に得た。そしてそれらは確かに消えた。
 でもね、彼は決意したのよ。自分の評価は変わらなくても、これから家族を
 迎えるであろうこの墓を守り続けると。その決意は消えない。
 その証拠に……随分といい状態になってるのよ? この宮野家の墓」
「それを確かめに来たのか。ゼミ抜け出してまで」
「いいのよ。私は優秀だから。教授も事後承諾で許可を出すし」
 そういうのは許可とは言わない――――そんな指摘は不毛だと悟っている
 鎮は何も言い返さず、小さなため息をコッソリ喉元で飲み込んだ。
 それを横目で眺めた後、百合は周囲に数多ある墓石に視線を移す。
「引きこもりって、似てると思わない? 死んだ後、この墓地に眠ることと」
「いきなり何だよ。引きこもってる連中は死んだも同然って言いたいのか?」 
「つい昨日までそう確信していたのだけれど」
 歯に衣着せぬ物言いが当たり前の彼女は、不敵に微笑みながら――――
「彼らは彼らなりに、死んでいる自分を守る為に生きているのでしょうね。
 その苦痛を少しでも和らげる為に、防衛反応が生まれる。
 特定の何か……例えば数字に固執して、それ以外を忘却しやすいように脳が
 勝手に作動する、とか。人間ほど複雑で面倒な生き物は他にいないでしょうね」
「……小難しいこと言うなよ。全く意味がわからん」
「貴方には関係ないことよ。当然、私にも」
 そこで話はおしまい、と言わんばかりに、百合は宮野家の墓石に背を向けた。
 後を追おうと、鎮も慌てて宮野家の墓の敷地を出る。
「ところで、貴方はいつになったら私を名前で呼ぶのかしら?
 そこまで苗字にこだわるのは何? 家名で呼ぶのが貴方にとってクールなの?
 それとも婿養子になりたいっていうアピール?」
「ンな訳あるか! 習慣になってることを変えるのは難しいんだよ!
 そもそも、お前なんて俺のこと苗字でも名前でも呼ばないだろうが!」
「そうだったかしら? なら、今日から『鎮ちゃん』って呼んであげる、鎮ちゃん」
「やめろっ! なんか異様に似合うからリアリティあってイヤすぎる!」
 和気藹々、というには少々過激な言い合いをしながら、二人の背中は
 徐々に小さくなっていく。
 宮野家の墓石から見える景色は次第に、いつもの風景へと戻っていった。
 まるで静止画のように、変わり映えのない景色。
 5年前も、10年前も。
『彼』が最後にここを訪れた、あの頃のまま。
 その時、この墓を彼が訪れたのは、ほんの気まぐれだった。
 近くを通ったから来ただけで、お盆でも正月でもお彼岸でもなかった。
 まして誰かの命日だったわけでもないし、49日も無関係。
 たまたま近くを通りかかって、ふと立ち寄った――――それだけのこと。
 人影ひとつない、他に誰もいない墓の前で、彼はポツリと呟いた。
 
「なんか……寂しいな」

 当人の記憶にも残らないような、ただの思いつき。
 けれど、墓はそれを覚えていた。
 彼がいつ来たかを克明に記憶し、その日時を、数字を記録として残した。
 尤も――――その数字が最新の記録ではないが。
 数字は常に上書きされる。
 更新され、過去の数字は消える定めにある。
 そして、今も。
「ほら、早くしなさい陽菜。お父さんも」
「へいへい。つーかさ、飲み物お茶とかがよくない? そのチョコレートの
 お菓子もすぐ溶けるっしょ。見た目も赤くて血っぽいし」
 消失は、残酷だ。
 だが時として、とても優しくもある。
 そのすべてを、墓は覚えている。
 例えそこにいても、決して見ることのできない死者の代わりに――――
 

 

「いいのよ。あの子が好きだったんだから」

 


 ――――今日も無機質な姿で、訪れた家族を迎えている。










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