その後――――久野さんの言う通り、少しずつ会話に参加してくる霊魂が増えた。
 確かに高齢者ばっかりだ。
 若い人はほとんどいない。
 まあ、平均寿命80歳の世の中だし、当然か。
 そして浅尾の言う通り、高齢者といってもいろんな性格がある。
 久野さんのような、優しくて上品な人もいれば、すぐ調子に乗る
 いかにも酒が好きそうな爺さんもいるし、キレやすいジジイもいる。
 ヒステリックなババアもいるし、無口だけど存在感のある声のおばあさんもいる。
 ここにあるのは、声。
 ただ声だけだ。
 魂があるといえばそうなんだろうけど、俺には魂について語れる知識はない。
 景色は変わらず固定されたまま。
 頭に直接聞こえてくるかのような声だけが、今の俺に感知できるすべてだ。
 俺はふと――――生前の生活を思い出した。
 そういえば、どこか似ている。
 インターネット上で文字だけでやり取りするのと。
 俺はtwitterやfacebookのアカウントは持ってなかったけど、
 例のソーシャルゲーム『King sing Song』のコミュニティを利用して
 よく他のユーザーの会話に参加していた。
 一対一の会話ってより、一つのテーマに対していろんな人が書き込む
 掲示板スタイルだ。
 気になる書込みがあればレスを返し、逆に返された場合はそれに反論なり
 なんなりを返す。
 もちろん匿名じゃないし、誹謗中傷も禁止。
 言いたいことが全部言えるわけじゃない。
 でも、ゲーム内でそれなりの地位を得た俺は、劣等感に満たされた現実とは
 違って、とてもスムーズにコミュニケーションをとれていた。
 もちろんゲームそのものを楽しんでいたつもりだけど、もしかしたら俺は
 そのコミュニケーションの為にゲームに熱中していたのかもしれない。
『King sing Song』では、単に曲を生み出せばエラくなれる訳じゃない。
 曲そのものにセールス力があっても、上手く売らないと結果は出ない。
 宣伝、戦略、時勢……いろんな要素が絡み合っている。
 タイアップだけでも、いろんな種類があって、その効果も時勢で変化する。
『今ならアニメタイアップが強い、CMタイアップだと配信にしか効果がない』とか。
 今にして思えば、妙にリアルなシミュレーションゲームだった。

 ――――ここで、どうして俺がこのゲームにハマっていたのかを語ろう。
 理由は割と単純だ。
 俺は子供の頃から、世の中が決めた数字を受け入れることができないという
 奇妙な性質があった。
 例えば、2,980円で売っている扇風機が家にあるとする。
 この扇風機は、果たして2,980円という数字の価値があるのか?
 そのメーカーが最も妥当だと判断してつけたこの価格は、本当に正しい価格なのか?
 俺の頭の中には常に、そういう疑問が勝手に浮かんでいた。
 自生思考、っていうらしい。
 一度調べたことがあるけど、なんかの病気の症状って書いてるのを見て
 それ以上調べるのを止めた。
 なんにせよ――――俺はそういう、ちょっとヘンな子供だった。
 CDの売上げとか視聴率とか、『数字』がたくさんデータとして
 蓄積されているモノにやたら惹かれていた。
 そして、その数字を見ながら常に『この数字は正しいのか?』と問いかける。
 誰に問いかけているのかは、俺自身にもわからない。
 何しろ、勝手に浮かんでくる疑問であり考えだったからだ。
 ただ、この自生思考が浮かびやすい環境をあえて好んでいた自分は自覚していた。
 勝手に浮かんでくる考えは、俺にとって苦痛であり、快楽でもあったんだと思う。
 この感覚は、正直よくわからない。
 ただ、友達といる時や楽しく話をしている時には、勝手に考えが浮かぶことはなかった。
 だから、高校までは問題なく普通に生きてこれた。
 大学に入って、友達が周りからいなくなってから――――俺のヘンな部分が
 少しずつ俺を侵食し始めたのかもしれない。
 そういう時期に、このゲームと出会った。
 既に『何万枚売れた』とか『何万ダウンロードされた』とか、数字によって
 価値を決められた楽曲を、ゲームという媒体を使ってもう一度新たに数値化できる。
 本当に正しい数字かどうかを確認できる。
 当然、ゲーム内の『セールス力』はバーチャルであり、こっちが正しいどころか
 むしろテキトーに決められた間違いの数字なんだけど、俺はどうしても
 後出しの方のこの数字が正しいと思うようになっていた。
 妄想的というか、ちょっとおかしかったのかもしれない。

 ――――と、まあこんな感じだ。
 そんな、ちょこっと異常だった俺は、その異常性を武器に『King sing Song』という
 ゲームに誰よりのめり込んだ。
 だから、誰より豊富なデータを持っていたし、そこに優越感を抱いていた。
 結果、楽しいコミュニケーションを満喫できた。
 王様みたいな感覚だったんだろうか。 
 けれど所詮、そこにあるのは現実から分断された『文字』だけ。
 ゲームの中で構築した自分だけの世界だ。
 だからこそ、気軽に胸の内をさらけ出せるってのもある。
 現代を生きる多くの人が利用している『お気軽さ』だと思う。
 ここは――――それとよく似てる。
 死んでしまったことで、俺はリセットされた。
 恐怖や劣等感はもうない。
 同時に優越感もないけど、だからこそ自然さを少し含有した健康的な、
 心地いい会話ができるのかもしれない。
 前にあった閉塞感や劣等感、後ろめたさもない。
 俺は、ご老人たちの声だけと接する時間が、妙に楽しく感じていた。
 時折割り込んでくる浅尾や花輪くん、ロリコン野郎などもいいアクセントに
 なっていた。
 俺は調子に乗って、寝ても覚めても(実際に寝てみたら、ホントに寝られた)
 自分のことを話した。
 ただし、数字に関する妙な自生思考のことは抜きに。
 それでも、こんなに自分語りをしたのは初めてだった。
 小学生の頃に行った遠足で、かなり大きな白い蛇と睨み合ったこと。
 中学生の時に行った修学旅行先の宿で友達と抜け出して、
 近くのゲーセンで脱衣麻雀に熱中したこと。
 高校受験を控えた高3の夏に過労で倒れて、三日三晩うなされ続けたこと。
 そして。
 半引きこもり状態で、死んだも同然の生活をしていたこと。
 家族と何年も話すらしていなかったこと。
 夢も希望もなく、心を通わせる相手すら一人もいなかったこと……
「俺が死んで、家族は喜んでますよ。将来性も社交性もないクズでしたから」
 包み隠さず、素直に吐露した。相手が声だけの存在だからこそ話せたのかもしれない。
 そんな俺の告白に対し――――
「そんなことはありませんよ。きっと御両親は貴方のことを大事に思っていたと思います」
「子が死んで喜ぶ親がどこにいるってんだ、バーロー!」
 多くの声から慰めの言葉をもらった。
 口の悪い石山のクソジジイも、言葉遣いとは裏腹に涙もろいところがあるのか、
 一番同情的な反応をくれた。
 まあ、モウロク入ってる声も少なくないし、会話にならなかったり
 トンチンカンな答えが返ってくることもままあるけど……
 それらも含めて、俺にとっては久々の充実期だった。
 高校生の頃まで当たり前に感じていた『声』でのコミュニケーションが
『字面』だけのやり取りとはこうも違うとは思わなかった。
 死んで初めて、俺は生きている実感を得たような気がした。
 

 

 果たして、どれだけの間喋っていただろうか――――
「宮野君、おめでとう。ノルマ達成だよ」
 ある日、花輪くんのそんな声が俺に届いた。
 正直、ノルマのことはすっかり忘れていた。
 それくらい俺は自分語りに夢中になっていた。
「あ、ありがとうございます。それで、御褒美って一体……」
「一日だけ、現世に戻ることができるんだよ」
 ……え?
「そんなことが……可能なんですか?」
「それが、できるのですよ!」
 突然、浅尾の声が割り込んでくる。
 彼女の乱入は珍しくもないと判明したんで、驚きもしないが。
「浅尾もノルマ達成した時に経験したのですよ」
「そ、そうなんだ。どんな感じだった?」
「浅尾おバカなので、まるで覚えていないのです! てへ!」
 そんな堂々と……!
 死んだ後に現世に戻るってかなりインパクトある経験だろうに。
「なんでも【ハカホリ】って呼ばれてる現世の人が協力してくれてるそーです」
「墓掘り? なんで墓を掘る人が……?」
「墓掘りじゃなくて、墓捕吏……まあ、その辺の説明は必要ないんじゃないかな。
 とにかく、協力者がいるということだけは伝えておくよ」
 曖昧な説明に首を傾げつつも、俺は現世に戻れるという御褒美に心を動かされていた。
 半信半疑ではある。
 けど、俺が死んだあとの世界がどうなっているかは純粋に気になる。
 特に家族。
 俺が死んだことで、恐らくは安堵しているであろう家族。
 一体どう変わったのか、変わっていないのかを確かめてみたい。
 遺影にどんな写真が使われてるのか、ってのも気になる。

 それに――――俺は期待してしまっている。

 自分が死んだことを、悲しんでいる家族に。
 そんなモノ、ありはしないとわかりきってるのに。
 老人たちの慰めを真に受けるなんて、バカげてるのに。
 それでも俺は、遺影の前で涙ぐんで故人の俺を偲んでいる
 両親や妹の姿に、微かな期待を抱いていた。
「それじゃ、御褒美を行使するってことでいいかい?」
「あ、はい。どうすれば……」
「少し待っていてよ。もうハカホリとは連絡がついているから、あとはこっちから――――」
 花輪くんの声が途中で途切れた。
 刹那。
 俺は――――自分ンチの墓の前にいた。
 正確には、ずっと静止画になっていた景色が急に動画になった。
 いきなり風の音が耳に飛び込んで来た。
 これは――――現世。
 間違いなく、生きていた頃の世界だ。
 ただ、俺の身体じゃない。
 今、俺の意識を包み込んでいる頭部は、どうやら俺のじゃない。
 そりゃそうだ。
 俺の肉体はもう焼かれて骨だけになってるんだから。
 じゃ、一体この身体は誰の……?
「標葉百合。変わった苗字だから覚えやすいでしょう?」
 不意に――――頭の中にそんな言葉が浮かんできた。
 自生思考だと一瞬思ったが、女言葉の自生思考は流石に経験がない。
 潜在的にオカマだったことが判明した……!?
「あら、貴方オカマだったの? でも安心して。私は先入観を持たない主義だから、
 例えオカマだったとしても、私は貴方を全否定はしない。極めて特殊な人物と
 接する心構えで会話してあげる。ところで、下着を履いている時の気持ちを
 詳しく具体的に述べなさい」
「全否定された方がマシな追い込まれ方!?」
 ……あれ。
 今気づいたけど、自生思考と思った女言葉、声も女だ。
 当然、俺の声とは全く違う。
 浅尾でもない。
 だ、誰だ……?
「だから、標葉百合と名乗ったでしょう? 貴方の頭の中はピーナッツ味噌で出来てるの?」
「いや、そんな甘いの頭に入ってたら臭いだけでアリが湧くだろ……」
 思わずツッコんでしまったけど、確かに彼女はさっき名乗ってはいた。
 でも……名乗られたからといって、彼女が何者なのかはわからない訳だし。
「それとも【ハカホリ】と名乗らないとわからないのかしら?」
 ……ああ、そういうことか。
「えっと、御褒美の協力……?」
「ええ。貴方に私の身体を貸してあげるの。ありがたく思いなさい」
 つまり……アレだ。
 取り憑くってヤツだ。
 俺は今、この標葉とかいう何か怖い女性に取り憑くことで、現世に帰ってこれたらしい。
 どんな理屈でこういう状態になったのかはわからないけど……
「私たちハカホリは代々、墓の解析をしてるの。それによって、墓の内部で起こっていることを
 日々研究しているのだけれど、ここ数年でようやく『霊魂』との直接的なコンタクトが
 可能になったのよ。だから、こういうことができる」
 ……どうやら、俺の思考はこの人にダダ漏れらしい。
 頭の中がリンクしてる、ってことなんだろうか。
「そう解釈してもらって結構よ。正確には、私の神経を貴方にレンタルしてる状態。
 だから、貴方は私の視神経を通してこの世の風景を見ているし、内耳神経を使って
 音を聞いている。わかった?」
「……なんとなく」
 どうやら、最初の解釈――――取り憑いている、ってのとは違うらしい。
 向こうが好意で身体を貸している、ってことか。
 いや、正確には一部の神経だけ、らしい。
 手を動かそうとしても動かない。
 見たり聞いたりはできても、頭を掻いたり走ったりはできないみたいだ。
「中々飲み込みが早いのは立派ね。1746点あげる」
 何点満点なんでしょうか……
 そもそも何基準の点数なんだ。
 ダメだ、気になる。
 数字はどうしても気になってしまうんだ。
 それは本当に意味のある数字なのか?
 正しい価値を表しているのか?
 その数字は……
「さて。時間も限られていることだし、リクエストを聞いてあげる。何処に行きたい?」
 標葉と名乗る女性は、急かすようにそう聞いてきた。
 強迫的な自生思考すら吹き飛んでいく強引さだ。
 年齢をはじめ、彼女の情報もかなり乏しい中で、どんなふうに会話すればいいのか
 これまでの俺なら悩んでしまうところだけど――――
「それじゃ、まず墓地を出てもらえますか」
 俺はすんなりと自分の考えを言葉に出来た。
 あの老人たちの『声』との会話が、俺を高校生までの俺に引き戻してくれた。
 今の俺は、普通に会話が出来る。
 人見知りは完全に克服できてないけど、そんなに気にはならない。
 俺は死して進歩したらしい。
「……そういうのは進歩とは言わない」
 呆れられてしまった。
「なお、貴方の享年よりは私が若干年上なので、敬語を継続なさい」
 命令までされてしまった。
 仕方ない……年上以前に、この状況で従わないって選択肢は不可能だ。
「了解しました。暫くの間、よろしくお願いします」
「悪くないじゃない。その調子でいれば、こっちも時間を割いて神経を貸す甲斐が
 あるってモノよね」
 不敵に笑う――――という表情を想起させる声で呟いた標葉サンは、
 足早に墓地の入り口まで移動してくれた。
 さてと……問題はここからだ。
 墓地の中の光景は覚えていたけど、移動は車だったから実家までの道のりは
 あんまりハッキリとは覚えていない。
「あの、移動ってタクシーはダメなんですかね」
「貴方の骨壺を売ってタクシー代を払うというのならいいけれど」
「売れないでしょうねえ……それじゃ、取り敢えず右に」
 あやふやな記憶を頼りに、俺は実家を目指すことにした。
 一日限定、と花輪くんは言っていた。
 出来る事は限られている。
 急がないと。
「ちなみに、一日というのは日が暮れるまで。だから、正確にはあと二時間」
「……え?」
 み、短っ!
 なんでそんなに短いんだ!?
「仕方ないじゃない。こっちだって朝から暇な訳ないんだから。
 これでも最短時間でやってきたのだから、非難される筋合いはないのよ。わかる?」
「は、はあ……」
 もしかしてこの人、学生なんだろうか?
 俺より少しだけ年上って言ってたし、大学生かもしれない。
 だとしたら、大学四年か院生か……いずれにしても、日が暮れる二時間前ってことは、
 午後五時くらいだろうから、その時間にわざわざゼミから抜け出してきてくれた
 ってことになる。
 確かに感謝しないといけないのかも。
「19万2472点」
 よくわからないけど、相当デカい点をもらった。
 これは、俺の感謝の気持ちへの評価?
 それとも標葉サンから見た俺への相対的価値?
 次から次に、勝手な思考が浮かんでは投げかけてくる疑問。
 数字は……恐ろしい。
 標葉サンは俺のこんな奇妙な思考をわかっているはず。
 俺の考えは彼女にダダ漏れなんだから。
 けど、彼女は全くそれに驚いたり不気味がったりする気配はない。
 俺も、気にする必要はないんだろうか。
「ところで、ここに地図のソフトが入った携帯があるのだけれど」
「あ……そっか。そんな便利な世の中だったんだ」
 ずっと一人で部屋の中にいると、つい忘れがちになる。
 今の世の中、ケータイやスマホがあれば道に迷うことはないんだ。
 そんな文明の利器に頼り切って、俺(というか標葉サン)は無事に実家まで辿り着いた。
 宮野家の標識は以前のまま。
 家も当然、変わってない。
「あの、俺が死んで何日が経過したんでしょうか」
「約一ヶ月ね。49日まではもう少しってところ。貴方の家はカトリックだから、
 49日は関係ないけれど」
 そういえば、仏壇っぽい所に十字架とか小さいマリア像があったなあ。
 仏壇、って呼び名もキリスト教だと違うんだっけ。
「で、どうするの? 私が貴方の生前の友人役でもやればいいのかしら?」
 来ることに夢中で、その後の行動を考えていなかった俺は、
 標葉サンの案に乗っかることにした。
 彼女に俺の旧友を演じてもらって、俺の死後の様子を彼女の口から聞いてもらう。
 俺が死んで、家族はどう思っているのか。
 いつの間にか、俺はそれを知りたくなっていた。
 ジイさんバアさんの声たちに、色々言われたからかもしれない。
 とはいえ、どうせ死んで喜ばれてるって予想は変わってない。
 せいせいした、なんてことはさすがに死者の友人(役)には言わないだろうけど、
 言葉の節々にそういう感情は表れるモンだ。
 でも……それを確認して、俺はどうしたいんだろう。
 傷つくだけじゃないか?
 それなのに、止めようって気になれないのは……どうしてだろう。
 これも強迫症状の一つなんだろうか?
 自生思考なんだろうか?
 自分の考えなのか、それとも違うのか――――わからない。
「あと30分」
 標葉サンが気を利かせて、リミットを教えてくれた。
 移動だけで一時間半もかかってしまったせいで、もうそんな時間しか残っていない。
 家の前でウジウジ悩んでる時間はない。
 俺は――――
「お願いします」
 GOサインを出した。
「……ええ」
 複雑な声色で返事をした標葉サンが呼び鈴を鳴らす。
 引きこもっていた時期、この音が異様に怖く聞こえたものだ。
 ほどなくして、実家の扉が開いた。
 出て来たのは――――三つ下の妹、陽菜。
 俺とは正反対のやたら社交的なヤツで、LINEで友達作りまくってる
 今時の女子高生だ。
 明らかに10代向けファッション誌のシロートモデル(昔は読モと言われてたアレ)
 のモノマネファッションって感じの、ケバい茶髪のアヒル口が特徴的な外見で
 まあ……割とモテてると思う。
 今年大学受験を控えてる身だから、夕刻のこの時間帯は学校で勉強中
 かと思ったんだけど……今日は休日なのか。
「なんスか。誰スか」
 で、初対面の相手(標葉サン)にこんな喋り方。
 俺はこの妹がやたら怖かった。
 なんとなく、10代社会の象徴みたいな存在だったから。
「初めまして。宮野涼太さんのお宅はこちらでよろしかったでしょうか?
 わたくし、宮野さんの友人で、標葉百合と言います。生前大変親しくさせて
 頂いていましたので、御焼香をあげさせて頂けないかと思い伺いました」
 それに引き換え、この標葉サンの変わりよう。
 こっちはザ・社会人って感じだ。
 高三と大学生(本人が否定しないんで正解だと思う)でここまで違うか。
「あ……えーと、ちょい待って。おかーさーん、来てー」
 陽菜が母親を呼びに奥へ引っ込むと、標葉サンは大げさにため息をついた。
「妹のしつけがなってないようね。減点。87点」
「ハデに落ちましたね……いや、本当すいません」
 しつけ以前に、会話したの何年前だ。
 大学入学直後だから……2年ちょい前か。
「そんな状況で、よく家族に会いたいと思えたものね」
 ここに来るまでに、標葉サンには家族関係のことや、俺が家族との
 面会(つっても身体はないけど)を希望していることは伝えている。
 だから、そうツッコまれるのも仕方ない。
 俺自身、誰よりわかっている。
 俺が死んで、家族はせいせいしてるってことくらいは。
 別に両親や陽菜が薄情って訳じゃない。
 ごく普通の一般的な家庭だと思う。
 だからこそ、俺みたいなニート学生への対応も一般的。
 ゲンコツやビンタを駆使してムリヤリ部屋から引きずり出すでもなく、
 完全に関係を断つでもなく。
 小遣いと食事と住む場所を提供するだけの関係になってしまった。
「成程ね」
 不意に、標葉サンが納得した様子でそんな声をあげる。
「貴方はどうやら、引きこもった責任を家族に求めたかったのね」
「……え?」
 その言葉は俺にとって寝耳に水、っていうか熱湯だった。
 俺は――――そんなことを求めてたのか?
 いや、違うだろ……?
 引きこもったのは、俺が堕落したからであって、家族の責任じゃないのは
 わかりきってる事実だ。
「ええ。誰が考えてもそうでしょうね」
 けど……確かに。
 心当たりがないかと言われれば、即否定できない自分がいる。
 俺がこうして霊魂になってるのは、別に心残りがあるからって訳じゃないと
 花輪くんは言っていた。
 でもそれとは無関係に、俺は家族に対して心残りがあった。
 だから、この貴重な『御褒美タイム』を家族との再会に使ったんだ。
 けど、その心残りがなんなのか、俺は自分のことなのにハッキリと
 わかっていなかった。
「自覚したくなかったのね」
 そうだ。
 標葉サンに言われたことで、自覚せざるを得なくなった今、猛烈な
 自己嫌悪に襲われた。
 俺は……引きこもりになって、クソみたいな人生のまま死んでいった
 自分を、自分じゃない誰かのせいにしたかったんだ。
 家族に会いに来たのも、それを示唆する何かを得たかったから。
「遺影が見てみたいとか、俺が死んで悲しんでいるかもって期待してるとか、
 そんなのは嘘。自分自身に嘘をついて、醜い自分を誤魔化していたんでしょう?
 死んでまで見栄を張りたい自分を。誰に対しての見栄なのかもわからないのに」
 標葉サンの言葉はどこまでも辛辣だった。
 傷口に塩を塗るっていうけど、この場合死人に塩を撒くって感じだ。
 羞恥の余り、俺はこの場から逃げ出したくて仕方なかった。
 でも……これは俺の身体じゃない。
 標葉サンの身体。
 手も足も俺が自分で動かすことはできない。
「あらあら、どうも」
 そうこうしている内に、母ちゃんがやって来た。
 特に容姿の面で特徴はない、地味な人。
 歩んできた人生も、きっと平凡だろう。
 そして、引きこもった俺に毎日食事を届けてくれた人。
 俺にとっては、この世で一番感謝すべき人であるのと同時に、
 一番迷惑をかけてしまった人でもある。
「涼太のお友達? 大学……ってことはないから、小中高のよね?」
「はい。中学時代に同じクラスで、先日同窓会がありまして……」
 標葉サンはスラスラと、俺との接点を語った。
 もちろん、全部嘘。
 俺の嘘とは全く質が違う――――優しくて賢い嘘。
「どうぞ。お線香をあげてやって」
 そんな彼女に対し、母ちゃんはニッコリと微笑み家にあげた。
 その後――――家族との対面は、滞りなく進んだ。
 そう、滞りなく。
 言い方を変えれば、呆気なく。
 本当に呆気なかった。
 標葉サンが俺の遺影に線香をあげ、居間で5分ばかり嘘の思い出話を語って――――
 それで終わり。
 父ちゃんは会社から帰ってないし、陽菜はあれっきり姿すら現わさず。
 母ちゃんの方から標葉サンに何かを聞くわけでもなく、ほとんど頷くだけ。
 まるでダイジェストだ。
 遺影も高校時代に友達が携帯で撮った、無難な写真が使われていた。
「遠い所はるばるとありがとうございました。涼太も喜んでいると思います。
 同級生のみなさんによろしくお伝え下さいね」
 玄関先でそう告げた母ちゃんの表情は、普通の外来客を見送るそれ。
 俺は標葉サンが玄関の戸を閉めた後も、しばらく言葉が出なかった。

 一体これは――――なんだったんだろう。

 俺は確かに死んだはずだ。
 遺影もあったし、家族は遺族として対応していた。
 間違いなく、俺は若くしてこの世を去った。
 なのに……どうしてこうも呆気ないんだ?
 もう自分に嘘をつく意味はない。
 俺は期待していた。
 標葉サンという、俺の生前の友人(という設定)が訪れたことに
 感激して涙する母ちゃんを。
 まだ俺の死から立ち直れず、やつれきった姿を。
 俺の死をきっかけに、どこか喪失感のようなモノをわかりやすく
 外面に出している陽菜を。
 息子が死に、会社に行く気がせず有休をとっている父ちゃんを。
 俺は、スゴく期待していた。
 同時に、それがあり得ないこともわかっていた。
 だけど、俺の死が何らかの形で能動的に語られるって確信はあった。
 例えば、標葉サン相手に引きこもりになった俺への対応のマズさとか
 養育過程での不備とか、自分を責める言葉が出てくるだろうと。
 だって俺、死んでるんだぞ?
 息子が若くして引きこもりになって死ねば、例え交通事故だろうと
 自分たち家族の接し方が悪くて精神的に不安定になってたから
 注意力が落ちていたとか、そういう自責の念が生まれても不思議じゃないだろ?
 それをもって、俺は自分の引きこもりの原因の一部が親にもあった、
 と思いたかった。
 標葉サンがさっき指摘したように。
 だから俺は、家族に会いたかったんだ。
 だけど――――現実は厳しかった。
 俺が死んでも、家族は……彼らは何一つ変わっていなかった。
 標葉サンは家を出た今も、玄関の前に立っている。
 家の中の母ちゃんと陽菜が、標葉サンの来訪に対してどんな感想を持っているのか、
 その会話を聞き取ろうとしてくれている。
 でも――――聞こえてこない。
 死んだ息子の友人が訪れたという事実に関心がないかのように、会話は聞こえない。
 陽菜のキンキンした声は、壁越しでもよく聞こえるというのに。
 俺は、理解した。
 わかっていたはずだけど、本当の意味でようやく実感した。
 俺は……誰からも愛されていなかった。
 死ですら、彼らの心を動かすことができなかった。
 そんな存在だったんだ。
「行きましょうか」
 そう促す標葉サンの声は、それまでと違って穏やかだった。
 同情してくれているんだろう。
「いいえ。同情するに値しないから」
 次に聞こえて来た声も、内容とは裏腹に柔らかかった。
 神経を共有しているから、それがよくわかる。
「貴方は生前、堕落した。学費や食事はもちろん、小遣いまでもらっておきながら
 大学への登校を拒否し、ゲームに興じるなど楽な生活を選んだ。同情に値すると思う?」
「……」
 何も言い返せない。
 本当に、本当にその通りだ。
「貴方に、あの家族の対応を非難する権利はない」
 それもその通りだ。
 俺が悪いんだ。
 息子が死んで、その死にすら心を大きく動かせない――――そういう家族に
 させてしまったのは、俺なんだから。
 彼らに、俺がこうなった責任なんてあるはずがないんだ。
 俺が勝手に一人で孤立しただけなんだから。
 劇的な原因もやむを得ない理由も何一つないのに、ちょっとした環境の変化や挫折を
 乗り越えられず、いとも簡単に生産性や存在意義や将来性を手放してしまい、
 目の前の楽な時間に身を委ねたのは……俺が弱かったからだ。
「俺は……なんだったのかな」
 震える。
 声が。
 余りにも情けなく惨めな自分を恥じて。
「高校までは、上手くやれてたんだ。悪くなかった。それなのに、大学の二年ちょっと
 引きこもっただけで、ここまで心が離れるような、そんなクソみたいな存在だったのかな。
 そういうヤツって今、いっぱいいるだろ?」
 それでも、何処かに自分だけが悪くないと思いたがる自分を恥じて。
「貴方だけが引きこもりでないことは確かね。でもそれが、貴方が引きこもりであった
 事実に妥当性を植え付ける理由にならないことも確かよ」
 標葉サンの言葉は辛辣だった。
 とても――――優しい辛辣だった。
 赤信号、みんなで渡れば怖くない。
 でも……怖くないことと、事故に遭う可能性に因果関係なんてないんだ。
「そうですよね……」
 俺は納得を得た。
 自分が予想していた、期待していた納得とは全然違うけど。
 ようやく俺は、自分の人生に総括を得た。
 クソみたいな人生だった、という総括を。
 そして、もうやり直しはできないという実感も。
「俺……どうしてもっと、ちゃんと生きられなかったんでしょうね」
 答えはわかってる。
 向き合えなかったんだ。
 現実とも、家族とも、そして命とも。
 心の中に、あの堕落した引きこもり生活が何年も続くって甘い考えがあった。
 だからそこへ逃げ込んだまま、出てこれなかった。
 命は有限だというのに。
 俺も、俺を食べさせてくれていた両親の命も。
 バチが当たったんだな。
「そういう結論にもってこれただけマシね。3億2197万6439点」
 標葉サンの声は、最初の頃の刺々しい感じに戻っていた。
「貴方はもうこの世にはいない。悔い改めることも、挽回することも不可能。
 家族は今後一生、貴方というどうしようもないダメ息子、ダメ兄がいたという
 認識を変えないまま過ごしていくでしょう」
「……そうですね」
「けれども貴方は、これから自分の家の墓を守っていくことができる」
「え?」
「他の霊魂たちに説明を聞いたと思うけど、墓は眠れる者に意味を持たせる場所。
 この世にいる家族は墓に、そして墓に眠る死者に存在を与えなければならない。
 その墓地に墓があり、墓の中に家族がいるということを認めさせなければ」
 認めさせる……?
 閻魔様にでも認めてもらうのか?
「でも、中には墓に無関心な家族もいる。貴方の家系はそうなのかもしれないし、
 違うかもしれない。調べれば一応わかるけれど。ただ、今までは墓に訪れて
 いても、今後もそうだという保証はない。もし無関心になれば、いずれ墓は消える」
「消える……? 風化して墓石が崩れる、ってこと?」
「消失よ。この世からの」
 ……そういうこと、あり得るんだろうか?
 別に家族が無関心だろうと、墓は墓。
 そこにあり続けるんじゃないのか?
「死者の肉体が朽ちていくように、墓もまた朽ちて消失するのよ。存在律が解を無くて。
 そうなった墓は『ハカナシ』と呼ばれて、過去に存在した事実すら消える」
「……信じられない話だけど」
「死んだ人間がこうして生きた人間と会話していることより
 信じられないことがあるのなら、それは優れた発見と言えそうね」
 皮肉たっぷりに返された俺は、ぐうの音も出ず押し黙ってしまう。
 そうだ。
 俺自身がすでに『信じられない』存在なんだ。
「けれど最近、死者の側から墓を守ることができるとわかったのよ。
 そして死者同士がネットワークを構築して、墓地を守るシステムを自発的に
 作っていることもね。霊魂と墓地の関係は、ある意味クラウドみたいなものだから
 いかにも現代っぽい方法ね」 
 ……それって、とりあえず喋って墓地を明るく楽しく温かくしようって、アレのことか?
「それでも、大抵の死者は家族が無関心になった時点で消えるほうを選ぶんだけれど。
 貴方はどう? 家族にとって貴方は負担でしかなく、その死は負担の消失でしかなかった。
 そんな家族がこれから眠るであろう墓を、守ろうって気になれる?」
 挑発するような物言い。
 やっぱり……この人は温かい人だと思った。
 もし引きこもり時代にこの人と会えていれば……いや、それも意味のない言い訳だ。
 なら意味ある言い訳を。
「家族を失望させて、負担になっていた罪を償えるのなら、そうしたいです」
「そうしたところで、家族の貴方に対する評価や思い出は何一つ変わらないのに?」
「……結局は自己満足でしかないとしても、そうする責任があると思います」
 そもそも、他にやることも、できることもない。
 死んだ俺にゲームはできないし、将来の夢や希望を語ることも不可能。
 だから結局、どれだけ言葉を飾ってカッコつけても、俺がここで『やる』って
 言うことに大きな意義はない。
 強くなれる訳でもないんだろう。
 でも――――やる!
 ただ喋るだけ……とは限らない。
 あの『声』たちが今のシステムを構築したのなら、俺にだってより優れた
 ハカナシにしない為のシステムを作れるかもしれない。
 当面は、先人の作った方法に従うにしても、霊魂の自分と死後の世界に慣れていけば、
 新しい何かが生み出せるかもしれない。
 俺はずっと、生産性を失ったゴミのような存在だった。
 それを払拭してやる!
 俺は――――死してようやく、目標を持つことができた。
 家族のことは残念だし悲しいし空しかったけど、俺はどこか満ち足りた自分を感じていた。
 現金な性格だ。
「……本当に」
 気の所為か、標葉サンが笑ったような気がした。
「そろそろお別れの時間よ」
 いつの間にか、オレンジ色の綺麗な空が漂う雲を捕食していた。
 ここから完全に日暮れを迎えるまでは、驚くほど早い。
 夕日を見なくなって、どれくらい経っただろう。
 小学生の時は、外で友達と遊んでいたから毎日のように見ていた気がする。
 中学、高校では……どうだっただろう。
 大学生活では、まず目にしたことはない。
 久々の夕日だ。
 俺は……本当にバカだった。
 大マヌケのクソ野郎だった。
 こんな綺麗な空があるのに、どうして見もしなかったんだろう。
 お金をとられる訳でもないのに。
 少し勇気を持てば、毎日仰ぎ見ることができたはずなのに。
「ち……っくしょ……」
 震えた声で、俺はそんな自分を恥じた。
 生前散々恥じてきたんだ。
 これで最後にしたい。
 少しずつ、明るみが消えていく。
 久々のこの世とも、もうお別れだ。
「またノルマを果たしたら、この身体を貸してあげる。
 今度は何処に行くか決めておきなさい」
「はい!」
「いい返事ね。1京点をあげる」
 それが満点なのかどうか――――今の俺にはどうでもいい。
 気づけば、数字への異様な執着心が嘘みたいに消えていた。
「それじゃ、またいつか」
 標葉サンの優しさと、薄れ行く赤い輝きに包まれ。
 俺は――――在るべき処へと戻っていった。











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