それから――――
「どうだ……?」
「……」
約一ヶ月かけて、何度も描き直して、何度も何度も手直しして、ようやく完成させた一六ページ。
その原稿を読むジャンの目は、みるみる輝きを増していった。
「一枚の紙の中に絵がこんなふうに収まるなんて……なんて、なんて斬新なんだ!」
そう感心するジャンの手にしている原稿は、一枚の中に二〜四つの場面の絵をそれぞれ異なる大きさで描いたイラストが点在していた。
コマ割りをするでもなく、それこそ自由帳に幾つかの絵をテキトーに描いたかのように配置しており、余白も多い。
ただ、一応通常の報告書を読むのと同じ感覚で見られるよう、左から右、上から下に時系列順で並べてはいる。
また、下に行くほど絵を大きくして、立体感を出してみた。
その結果、イラスト感覚で描く事が出来た。
「それに、僕のリクエスト通り、絵だけで物語が次々に展開して行く……スゴいよユーリ!」
絵だけで物語が紡がれる――――それは"サイレント漫画"とも呼ばれ独立したジャンルになっているけど、俺にとってはスポーツマンガやバトルアクションでたまにある、一話まるごとセリフ抜きの回の方が馴染み深い。
大抵はクライマックスシーンで見られる手法。
セリフやナレーションがない事で、読者が停滞せず一気に読み切れるのがメリットだ。
シチュエーションで補正される臨場感や迫力を言葉で邪魔しない……そういう意図がある。
当然、コマ割りや構図、構成のセンス、画力が問われる高等技術であり、本来は俺みたいなマンガ家崩れのイラストレーターが手を出すべきじゃない。
まして、俺が描いたのはバトルシーンやクライマックスの感動やカタルシスのない、日常の中で雑務に励む冒険者たち。
普通はミスマッチの手法だ。
そこで俺は、敢えてキャラクターの表情を豊かに、そしてポージングをより諧謔的に描いて、少しでもハリのある場面になるよう試みた。
クライマックスシーンほどの緊張感はないけど、陽の光が燦々と照らす中で汗を滴らせ荷物を運ぶ冒険者の絵を"リアルに"ではなく"あざとく"描いてみた。
元いた世界の一六歳女子から消失した、エミリオちゃんの感情の豊かさや純粋な感じをよりデフォルメして絵にした……そんな感じだ。
デフォルメってのは、何も視覚的情報の簡易化、萌え化だけが全てじゃない。
こういう内面のデフォルメも時には必要なんだ。
俺は今回、それを学んだ。
「ユーリ、これで行こう。やっぱり君はスゴいよ。天才だね」
「て、天才……!?」
俺には全く縁のない評価がここに来て!
いや、元いた世界の他人の技術を使っただけだから自慢にはならないけれども!
ならないけれどもホクホクするぞ!
「早速、冒険者のみんなにも見せないとね。最近あんまり来てくれない人もいるけど」
「ってか、男連中の姿をとんと見なくなったな。エミリオちゃんの人気に嫉妬してるのか?」
「はは、そうかもね。でもこの絵を見れば感動して、またしっかり働いてくれるよ、きっと」
いや、寧ろエミリオちゃんとの扱いの差を嘆きそうな気がする。
それはともかく――――俺にはもう一つ、冒険者が減った理由に付いて心当たりがあった。
「ところでジャン。このギルド、幽霊とか出たりしないよな?」
「あれ? 君も見たのかい?」
……やっぱりか!
頭を抱えつつ、先日のエミリオちゃんの除霊の件について大まかに説明した結果――――
「ああ……もしかしたら冒険者の霊かもしれないね。余り思い出したくないけど、かつてハイドランジアが栄えていた頃は登録している冒険者も多くて、中には冒険中や亜獣との戦いで亡くなった人もいるから……」
割と生々しい話を聞くハメになった。
やっぱ、冒険者って危険な仕事なんだな。
「それにしても、エミリオ君の除霊は本物だったんだね。今後は除霊の仕事も募集してみようかな。除霊する姿を絵に出来る?」
「それは問題ないけど……エミリオちゃんがどう言うか」
「特技に明記してたくらいだから大丈夫だと思うよ。僕が直接頼んでみる」
翌日、ハイドランジアの業務内容に除霊が加わったのは言うまでもない。
とまあ、そんなこんなで――――〈絵付き報告書〉あらため〈絵だけ報告書〉の構想は具体化した。
あとは本の名前を決めて印刷するのみだ。
とはいえ、ネーミングはおろそかに出来ない。
ラノベやゲームだって、タイトルでかなり売れ行きが変わると言われていたしな。
この世界に二つとない本を売り出すんだから、名前もそれを前面に出したモノがいい。
脳内会議を重ねた結果、本の名はカメリア語で――――
《絵だけで描いてみた冒険者ギルドの報告書》
――――を意味する文章に決定。
略して《絵ギルド》だ。
好評を博せばシリーズ化していくつもりでいる。
「本のタイトルを説明文にするなんて……斬新過ぎる、斬新過ぎるよユーリ!」
「フッ……」
最早、何も言うまい。
その二ヶ月後、ランタナ印刷工房で印刷の準備が終了し、いよいよ製本作業開始。
初版の発行部数は四〇部に決定した。
四〇冊っていうのは、ルカが先行出資と称して資金を前払いしてくれた額で刷れる最大数。
もし売れなければ、ルカが被害を被る事になるが――――
「その点は……心配していない……。売れ残ったら……知り合いに五倍の値段で売るから……。その知り合い……お金持ちだし……この感じの絵は絶対好き……大丈夫……大丈夫……」
――――との事なので、素直に甘える事にした。
そして肝心のお値段。
この国の通貨単位はルビア(一ルビア=一〇〇円くらい)っていうんだけど、一冊の価格は三〇〇ルビアに設定。
金持ち相手に商売する訳じゃないんだから、もっと安くしてもいいと思うんだけど、ジャンいわく『リコリス・ラジアータで売られている本としては決して高くはない』らしい。
紙の値段が一六ページ分で二〇ルビア程度。
インクや表紙用の木の板、カバー用の革、製本時に折丁としてまとめた紙を縫い付ける紐など、あらゆる材料費を足すと五〇ルピアくらいになる。
印刷コストをここに加えると、製本にかかる費用は一冊は合計一〇〇ルピア程度。
こう考えると、三〇〇ルピアは確かに高くはないかもしれない。
とはいえ、俺が一年前まで住んでいた日本の感覚だと、マンガ……というよりミニイラスト集に近いこの本に三万円払うなんて到底考えられない。
こんな強気な値段設定、日本だったら総スカンだ。
うう、怖い……!
もしこれが売れなかったら、俺の絵はこの世界でもダメだったって事になる。
自分で決断したとはいえ、この〈絵だけ報告書〉改め《絵だけで描いてみた冒険者ギルドの報告書》は俺の絵の比重が余りに大きい。
ラノベが売れなかった場合は、原作者の人には申し訳ないけど、本当に申し訳ないんだけど、『話がつまらなかったからだ!』と自分で自分に言い訳が出来る。
でもこの本は『失敗=絵に魅力がなかったから』という単純明快な公式が成り立つ。
「な、なあジャン。やっぱり二〇〇ルピアくらいに……」
「いいや、この値段で行くね」
いつになくジャンが強気だ!
自分があんまり関わってないからか、やたら強気だ!
「大丈夫。君の絵は君が思っている以上に革新的なんだ。この絵なら、必ず成功するよ」
「……万が一失敗したら?」
「問題ない。墓地の下見は済ませてある」
「無理心中の様相!?」
や、やばい……ジャンの目が据わってる。
これって取り乱しちゃいないけど、ある意味例の発作と同質の暴走なんじゃ……?
「ユーリ。僕の君への信頼は揺るがない。だから君も、君を信じた僕を信じて欲しい。君の絵でコケたのなら、僕は悔いなく墓に入れるよ」
ジャン……そこまで言ってくれるのか。
俺は墓に入るのはゴメンなんだが、それを口にするのは止めておこう。
「……わかった。この値段で行こう。ルカ、刷ってくれ!」
「了解……うーいギッチョン……うーいギッチョン……」
緊張感のないルカの掛け声と共に、レバーが下ろされる。
手動の印刷機で印刷するのは初めて見るけど……ほとんどスタンプだな、こりゃ。
「この世界……もとい、この国の印刷には〈万能樹脂〉と呼ばれる世界樹の樹脂を使うんだよ。この樹脂に幾つかの天然素材を混ぜた混合樹脂で原本の絵を塗り固めると、インクに樹脂が反応して、インクの部分だけ勃起するんだ」
カメリア語では微妙な表現がまだわからないから、ジャンが日本語でわかりやすく解説してくれる……のはいいんだけど、ここで勃起って言葉を使うのはどうなんだ。
「そのインク部分だけ勃起した樹脂の塊が、君の世界で言う『凸版』になるんだ。あとはその凸版の勃起した部分にインクを塗って押しつけるだけさ。勃起した部分にタップリと、ね」
「……お前、わかってて言ってるんじゃないだろな」
なんにせよ、原理はわかった。
今説明があった〈万能樹脂〉ってのは、この世界におけるかなり重要な資源で、一言で言えば『万能性の油』らしい。
印刷だけじゃなく、普通に食用油としても使えるし、銃剣の弾丸や絵の具などの材料にもなっている。
動力としても利用されていて、元の世界でいうところの原油に近い。
確かここより大規模なウィステリア印刷所で使用されている印刷機では、万能樹脂を動力にしてるって話だった。
まさに万能の資源だ。
「うーいギッチョン……うーいギッチョン……うーい」
そうこうしている間にも、ルカによる印刷が進んでいる。
結構な腕力が必要な作業らしいけど、流石印刷を生業にしているだけあって特に問題なく刷れてるみたいだ。
にしても、こんな作業を何度も続けてたら手がすり切れそうなものだけど、ルカの手はやたら綺麗だ。
そして斯く言う俺も、イラストレーターとは思えないほど手の皮膚は滑らか。
ペンだこ一つ出来やしない。
単に体質の問題なんだろうけど、まるで一切努力してないみたいで、ちょっとだけ歯痒い。
「ひああ……この絵、わたしなんですよね……かわいく描き過ぎじゃないでしょうか? 恥ずかしいです……」
印刷が終わった紙を見ながら、エミリオちゃん照れ照れ。
男子校出身の俺には眩し過ぎる。
「これで……最後……ギッチョーン」
いつの間にか時間がかなり経っていたらしく、一六枚×四〇冊分の印刷が完了した。
あとは製本して、完成した本を売るだけだ。
……どこで売るんだ?
「当然ハイドランジアでも売るけど、それだけじゃ広がらないからね。ルカの知り合いの行商人に見本を数冊預けて、注文を受けたら〈馬車運輸〉を介してこっちに注文書を送って貰うよう手筈は整ってる」
リコリス・ラジアータには自動車やバスがなく、主要都市間の移動には蒸気機関車が利用出来るけど、一般人の交通手段は基本、街中での移動だと徒歩か辻馬車(タクシー的な馬車)、乗合馬車(バス的な馬車)に限られる。
その中の乗合馬車を利用して、荷物の運搬や手紙の送付を有料で行っている国営の組織が馬車運輸だ。
郵便局みたいなものだな。
で、その馬車運輸を利用すれば、遠征した行商人から注文の連絡を受けて、注文者へ直接送る事も可能。
「多少値は張るけど、より広範囲で《絵ギルド》が評判になれば、ハイドランジアの存続を求める声にも厚みが生まれるだろうからね」
「送料はどうなるんだ? 注文書の送料はこっち持ちで、《絵ギルド》の送料はお客持ち?」
「いや。全部こっちが負担するよう手配済み」
送料無料サービスか……ま、あくまで本職は冒険者ギルドであり、目的はハイドランジアの存続なんだから、それでいいのかもしれない。
ギルドの運営資金さえ稼げればいいんだし。
なんとなく、初めて自分が挿絵を手がけたラノベが発売される日の前日を思い出すな。
自分の描いた絵を、沢山の人に見て欲しい――――
あの時は、不安もあったけどそれ以上にワクワクしていた。
今は正直、不安の方が大きいかもしれない。
コケたら終わり、っていう切実な事情もある。
「よーう。ランタナ印刷工房さん。随分と忙しそうにしてるねぇ」
――――その直接的な原因ではないものの、ある意味象徴的な存在。
市長の息子、リチャード=ジョルジョーネの嫌味ったらしい声が、印刷所内に響きわたる。
冒険者ギルド以外も視察しているのか、ジャンをストーキングしているのか……何にしても、嫌なヤツがやって来た。
「リチャード……何しに来たの……?」
「フン、ルカか。相変わらず辛気臭そうなツラで迎えやがって。こっちは仕事でわざわざ来てやってんだぜ? 街の施設の現状を正しく知っておくのも、次期市長の大事な仕事だからな。大手と違って、いつ潰れるかわからない所は特にだ」
「……」
露骨な中傷を受けても、ルカはリチャードに目を向けようともしない。
相手にするだけ時間のムダ、と言わんばかりに。
「ま、そこの落ちぶれた元英雄の仕事を受けるくらい追い詰められてる時点で潰れてるも同然だけどな。対外向けのパンフレットや資料からもここの表記を省略してもよさそうだなぁ。ヒャッハハハ!」
「……リチャード。僕の事はいい。でもランタナ印刷工房を僕への感情だけで締め出そうとするのは、間違ってる」
「あぁ?」
毅然とした態度でジャンがそう訴えた瞬間、リチャードの顔色が変わった。
顔面を引きつらせ、ジャンを睨みつける。
「誰がお前への感情だって? まるで俺が、お前を妬んで嫌がらせしてるみてぇに聞こえるんだけど? 次期市長の俺が、過去の栄光頼りのお先真っ暗なお前に?」
「……親の七光りがよく言うよな、ったく」
思わずポツリと漏らした俺に、リチャードの瞼がピクリと動く。
日本語だから内容はわからないだろうが、悪口を言われている自覚はあるらしい。
「お前も、オレの忠告を無視してジャンのヤツとつるんでるらしいな。いい機会だ、お前にも教えてやるよ。どれだけ自分の乗ってる船が泥舟か」
「何?」
「お前らのギルドに登録してる常連の冒険者、三人。ランディとエリオットとダエンだったか。昨日付で俺たちの総合ギルドに移籍する事が決まったぜ。明日、人数分の退会届がそっちに届くだろうよ」
……な。
「そんなバカな!」
「だから明日、自分の目で確かめればいいだろ? ジャン。お前に人徳がないって事をさぁ。ヒャッハハハ! ヒャッハハハハハハ!」
ヘッドハンティング……ってヤツか?
いや、ただの嫌がらせとしか思えない。
例えそう断定しても、俺も、ジャンも、そしてルカも馬鹿笑いするリチャードをただ黙って見ているしかなかった。
もしこの男に殴りかかって市長の怒りを買えば、直ぐにでもハイドランジアは閉鎖に追い込まれてしまうだろう。
今はガマンだ。
金色の頭をしたサルが笑ってるとでも思っていればいい。
……それはそれでムカつくけど。
「それくらいにしたらどうですか? 品性に欠けるように思います」
そんな俺達の忍耐を飛び越え、中々的を射た指摘の声が飛んでくる。
印刷所の外からだ。
「あぁ? ……あ、な、なんだ。アンタか」
「出来れば、早くギルドに案内して欲しいのですが……」
「わ、わかったよ。おいジャン、コソコソ動き回ったところでお前の人生は詰んでんだ。終わったヤツがいつまでも見苦しく蠢くんじゃねぇぞ?」
早口でそう捲し立て、リチャードはそそくさと印刷所を出て行った。
しばらく呆然としていた俺は、慌ててその背中を追う。
この金髪坊主あらため金ザルの嫌味を止めてくれた人を見る為だ。
女の声だったけど……これからギルドに向かうって事は、傭兵か?
「あの……!」
印刷所を出るのと同時に、声をかけようと試みた――――が、既に二人の姿はなかった。
もう近くの路地に曲がって行ったらしい。
流石にそこまで追いかける気力はない。
仕方がない、戻るとしよう。
「……おのれ……おのれ……呪……呪……」
「うっうわああああああああああああああああああああああああああああ! 僕が人徳ないばかりにまた迷惑を! 僕はもう害虫だ! いや病原菌だ! ヘドロだ! もおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ」
印刷所の中では、ルカとジャンが大体予想通りに怨念と錯乱を撒布していた。
「二人とも気にするなよ。結果で見返してやりゃいいんだ」
周りがこう騒いでいると、冷静になれる。
自分一人だとこうはいかなかった。
そういう意味でも、昔挫折した時よりは恵まれてる。
「もし売れなかったら……貴方が責任をもって……あの金ハゲ野郎を殺して……差し違えてでも……」
……多分。
とにかく、人事は尽くした。
あとは――――天命を待つのみだ。
俺はそう自分に言い聞かせ、祈るように両手の五指を胸の前で絡めた。
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