「……それで、結局呪われていたのは《絵ギルド》じゃなくて、別の絵画だったんだ」
――――と。
そんな疲れ切った声でジャンが事の顛末を説明を開始したのは、それから丸一日後の事だった。
まさか日を跨ぐとは思わなかったんで、徹夜で待ってたこっちもいい加減しんどい。
ちなみに、エミリオちゃんはジャン以上に消耗したらしく、ギルドの奥でうーうーとうなされながら眠っている。
「要するに、濡れ衣だったのか」
「うん。まあ……それはいいんだけど、問題はその呪われた絵画でさ。何も描かれていない、真っ白な絵。白紙だったんだ」
……それは絵と呼んでいいのか?
美術の夏休みの課題で、白紙に〈雪〉ってタイトル付けて提出するヤツ、いたけどさ。
「どうもその絵を見ると、頭の中まで真っ白になるみたいなんだ。それで、主人のロード氏が廃人状態になっててね」
うーわ、マジモンですやん!
麻薬の絵画版って感じだな、オイ。
まさかこんな日常にいきなりファンタジックなホラー展開が待ってるとは。
あらためて、リコリス・ラジアータって異世界なんだなあと実感する話だ。
「彼の家には娘さんが同居してるんだけど、彼女がその親の様子を見て幽霊だと思ったらしくて」
「その話が街中に流れたって訳か。真相はわかったけど、お前らはどうして一晩拘束されてたんだ?」
「……僕らも見たんだよ、その絵を。いやユーリ、気持ちはわかるけど伝染する訳じゃないんだからいきなり離れないでよ。傷付くから」
「うるせー! 呪いの絵画を見たヤツと近くで話せるか!」
「大丈夫だよ。幸い、呪いは弱かったみたいだ。ロード氏の娘さんが気付けにと見せてくれた絵画で直ぐに意識は戻ったし」
一時は意識なかったのかよ……恐ろしい。
「にしても、呪いを一発で吹っ飛ばすショック療法的な絵画って、どんな絵なんだ? ちょっと興味あるな」
「……」
なんか思い出したくないらしい。
表情が一瞬、完全に無になった。
一晩かかったのも、その絵で受けたショックが大きいのかもしれない……けど、目が死に過ぎてて怖いんで、これ以上聞くのは止めておこう。
「幸い、ロード氏はとっくに回復してて、《絵ギルド》の事もベタ褒めだったよ」
「それは嬉しいけどさ……だったらなんで、その状況でお前らが呪われた絵を目撃するハメになったんだ?」
「本当に呪いの絵かどうか、自分以外で試してみたかったそうだよ。ステラリア王国からの輸入品で、半信半疑の代物だったらしい。帰り際、コレクションに相応しいって喜んでいた」
珍しくジャンが顔をしかめてそう吐き捨てた。
コレクターとか珍しい物好きって、結構そういう非常識なトコあるよな。
まあ、異世界人イラストレーターの俺が言うのも何だけどさ。
にしても……
「この手の話って、リコリス・ラジアータでは多いのか? 魔法も存在するって言ってたし……あ、まさかあのナントカ教ってのが元凶じゃないだろな」
「タゲテス教の事かい? それはわからないけど、一応国教なんだから悪く言わない方が賢明だよ。開かれた宗教ではあるけど、何処に狂信者がいるかわからないし」
そんなジャンの意地悪な脅しに、俺は思わず周りを見渡した。
俺の知るタゲテス教信者はエミリオちゃんぐらいだけど、彼女はそれほど熱心な信者って感じでもない。
「ちなみに、彼らによるとカメリア王国は聖母神マリーによって"描かれた"世界だそうだよ。美術大国なのも、神様が美術をこよなく愛しているから」
「なんか、スゲー後付け臭い理由だな……」
「またそうやって……あ」
ジャンが俺の背後に視線を向け、少し目を見開く。
ま、まさか本当に狂信者が来ちゃったのか?
今の話を聞いて、俺を魔女裁判よろしく火あぶりにする気か?
嫌だ!
火だるまになるのは嫌だ!
「いや、やっぱり後付け臭くはないかな! うん、この世界は描かれてるよ! 絵画の世界、美術大国バンザイ!」
大声でそう叫びながら振り向いた俺を待っていたのは――――
「あの、愛国心があるのは良い事だと思います……」
リエルさんの、困惑気味な笑顔だった。
うわあ……やっちまった。
「リエル様、おはようございます。今日はどんな用事でここへ?」
「はい、実は……」
可憐な女性騎士にドン引きされ放心状態の俺を尻目に、ジャンがリエルさんと話をしている。
ああ、これだから現実は嫌なんだ。
絵なら消しゴムかけるか、『元に戻す』をクリックするか、紙を変えるかすれば、全部なかった事に出来るのに。
「今日のお昼にルカも交えて皆さんで一緒にお食事を出来ればと思ったんですけど……お二人ともお疲れみたいですね」
「近場でよければ僕は大丈夫です。ユーリは?」
「何ら問題はありません」
俺、復活。
よかった、お疲れモードと解釈してくれたみたいだ……本当によかった。
「よかったです。ルカに聞いたんですけど、この直ぐ近くに〈ペレグリナ〉っていう美味しいレストランがあるそうで。そこで如何でしょう?」
〈ペレグリナ〉は、ここから歩いて五分の所にある大衆レストラン。
何が良いって、元いた世界の料理に近いメニューが多い事。
例えば肉料理も、フルーツを混ぜて焼くとか、消し炭寸前まで焼いているとか、そういう奇っ怪な調理法じゃなく普通に焼いて塩っ気利かせるだけのシンプルなメニューがちゃんとある。
食事面でそれほど不満がないのは、近場にこんなレストランがあってくれたのが大きい。
「では、後ほど。失礼します」
俺とジャンが了承の意を伝えると、リエルさんは深々と頭を下げ、ハイドランジアを後にした。
「気を付けた方がいいよ、ユーリ。彼女はあくまでも国家の命でここへ来てるんだから」
その姿が見えなくなってから、ジャンがポツリと嫌な事を言う。
わかってるよ。
国策で冒険者ギルドを潰そうとしてるんだから、当然彼女はその為の使者だ。
でも、閉鎖勧告は時期尚早とも言ってたし……
「ああ、そういえばまだ言ってなかったな」
「?」
俺は昼までの間、ジャンに昨日のリエルさんとの会話内容を話しながら時間を潰した。
で――――昼食のお時間がやって参りました。
「ひああ……きんにくときんにくが……ひああ……」
まだ呪いの絵画を引きずっているらしく、寝起きのエミリオちゃんは意味不明な内容を呟きながら、時折ビクッと身体を震わせていたが、他は問題なし。
店の前でリエルさん、ルカと合流し、五人で〈ペレグリナ〉へと入る。
すると、その中には――――
「……ん? 随分と奇妙な組み合わせだな」
鋭い眼光を食事処でありながら隠そうともしない、独特な雰囲気を持ったあの男がいた。
「パオロ……」
真っ先にジャンがその名を呟き、顔をしかめる。
パオロ=シュナーベル。
冒険者として陽性亜獣と戦っていた頃のジャンの仲間であり、今は総合ギルドの次期代表に内定している敵。
ジャンにとっては複雑な間柄の男性だ。
「あのう、あの人も同席なのでしょうか?」
パオロの迫力にすっかり目が覚めたのか、エミリオちゃんが不安げにリエルさんへ問う。
もしそうなら、総合ギルドの代表との話し合いの場を無理強いされた形になるけど……
「ただの偶然だ。仕事で近くに来たから、ここで昼食を済ませただけの事。もう出るところだ」
どうやら違うらしい。
俺は何故かその事実に胸を撫で下ろした。
どうも、俺の本心はリエルさんを敵と見なしたくないらしい。
「リエル様。リチャードから話があるそうですから、食事後ナルシサスへお戻り下さい」
「承知しました。直ぐに行きます」
パオロは軽く会釈し、直ぐに踵を返した。
ジャンの方は見もしない。
逆に言えば、それだけ意識してるって事なのかもしれないけど。
「……」
ジャンも声を掛ける事はなく、パオロの背中をただ見送るのみ。
二人の関係は俺が思っているよりも複雑なのかもしれない。
以前、ジャンは"罪"って言葉を使ってたけど――――
「かつてこの国を救った〈ハイドランジアの四英雄〉……その面々がお互いに距離を置いているのは、一国民として残念に思います」
空いたテーブルに向かい各々が着席する中、リエルさんは顔と声を曇らせ、そう漏らす。
四英雄……久々にその言葉を聞いた気がする。
四って事は、あと二人いるんだよな。
どっちも今のジャンとは疎遠になってそうだけど……
「私がルピナスへ来た理由は三つあります。その一つはジャン殿、貴方の素行調査の為でもあるんです」
……何?
ハイドランジアの調査じゃなく、ジャンの?
「かつて四英雄の中心的存在だった貴方が、ここ数年で横領、詐欺、闇組織との癒着、その他悪質な商業活動に荷担している、或いは主導しているという噂が絶えない。その真相を確かめに」
「め、面目ないです」
女性騎士にお説教を受け、俯くジャン。
隣のエミリオちゃんはぐぬぬ顔だ。
憧れの人を庇うべきか、騎士様に逆らうのは控えるべきか――――
「あ、あのう……じゃ、ジャン様をいじめないで下さい」
おお、前者が勝った!
偉いぞエミリオちゃん、やっぱり君は純粋だった!
迷いがある時点で純粋じゃない、なんて野暮な事は言うまい。
「責めている訳じゃないんです。パオロさんのお話を聞く限りでは、ジャン殿は寧ろ被害者のようですし」
「え……?」
驚いた様子でジャンが顔を上げる。
「市長の御子息は貴方を罵倒していましたが、彼は立場的にも人間的にも余り信頼に値する人物とは思えません。パオロさんの証言を鵜呑みにする気はありませんが、濡れ衣だとすれば晴らして差し上げたいと思っています。あくまでも私見ですが……」
外見や話し方の印象通り、どうやらリエルさんはハイドランジアやジャンに悪感情は持っていないらしい。
となると、これは好機じゃないか?
《絵ギルド》が売れて、ハイドランジアの必要性が認知されれば、ジャンの株も上がって名誉回復出来る――――そう目してたけど、騎士がフォローしてくれるのならそこまで待つ必要もない。
……でもなあ、幾ら中立的な振る舞いをしていても、彼女は国家の僕たる騎士。
そう簡単に信用する訳には――――
「ご配慮には感謝します。でも、その必要はありません。全て僕の身から出たサビですから」
「でも、貴方の実績は正当に評価されるべきです。それに私は王宮から派遣された騎士として、真実の解明を使命としています。殿下もそれを望んでおられます。ですから……」
「いえ。僕にはその資格はありません」
ジャンにしては珍しい、謙遜しながらも明確な拒絶。
恐らくハイドランジアを潰そうとしている国家への不信感もあるんだと思う。
ただ、今のジャンにはそれとは少し違う感情も見える。
俺の目にはそう映った。
「なあ、ジャン――――」
「た、大変だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
恐る恐るそれを確かめようとした俺を遮るかのように、レストラン内にすさまじい大声が響きわたる。
「亜獣が……亜獣が街の中に入ってきた! 有翼種亜獣だ!」
その声は、事の深刻さを表すかのように震えていた。
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