亜獣――――その存在は何度となく聞かされていたけど、実際に目にした事は殆どない。
 というのも、亜獣ってのは基本、人里には現れないらしい。

 一度ハイドランジアの冒険者の人達から詳しく教えて貰った事があるけど、亜獣というのは割とここ十年の間に出現した異形の生物の総称で、他の動物とは明確に区分されているらしい。
 猛獣のように鋭い爪や牙を持ち、中には火を吹くタイプもいるという。 

 また、亜獣には積極的に人間を襲うタイプとそうでないタイプがいるそうで、前者は『陽性亜獣』、後者は『陰性亜獣』もしくは単に『亜獣』と呼ばれ、区別されている。

 その内の陽性亜獣は知能も高く、リーダー格の亜獣を中心に各地で徒党を組み、勢力を拡大するのと同時に人間の住む街や集落を襲い、食糧を奪っていく事件が頻発するようになった。

 そこで、傭兵ギルドが亜獣討伐隊を結成。
 それを支援する形で冒険者ギルドも討伐に参加し、ハイドランジアに所属するジャンらの活躍もあって、無事に陽性亜獣を殲滅する事が出来た。

 だから今、このカメリア王国にいる亜獣は街を襲ってくるほどのアグレッシブさはない陽性亜獣だけだと思ってたけど……違うのか?

 その真偽は不明だけど、今の叫び声が真実なら混乱は必至だ。
 レストラン内も既に多くの客がどうしていいかわからず叫び、嘆き、怯え、混沌とした状況と化している。

 俺だってそれは同じ。
 戦う力もなければ逃げる体力もない、しがないイラストレーターがモンスター的存在の亜獣に襲われたら一瞬で死ねる自信がある。
 亜獣とのバトルシーンになれば俺なんてモブもいいトコだぞ。

 どうしよう……どうすれば――――

「みなさん! 落ち着いて下さい!」

 そんな俺の当惑を吹き飛ばすような凛とした声が、室内を疾走した。

「私は白の騎士会所属、リエル=ジェンティーレです」

 リエルさんがそう自己紹介するのと同時に、周囲の喧噪も収まる。

「みなさん、心配は要りません。これから傭兵ギルドの方々と連携し、亜獣討伐を遂行します。みなさんはこの建物内で待機をお願いします。決して外に出ないようにして下さい」

 やや早口で出される指示に、客や店員がカクカクとした動きで頷く。
 それを確認した後、リエルさんの険しい顔が俺達の方へ向いた。

「貴方がたもここにいて下さい。決して外に出ないように。いいですね?」

 そして返事を待たず リエルさんは行ってしまった。
 これだけの混乱が一人の人間の発言だけで鎮まるんだから、騎士って身分はやっぱり相当偉いんだと実感する一幕だった。

 けど――――

「……大丈夫だと思う?」

 思わず俺は第一声、そうジャンに問いかけていた。
 本来、騎士の心配なんてする立場でもないのに。

「厳しいと思う」

 案の定、ジャンの返事は懸念を示すものだった。

「不思議に思わなかったかい? どうして傭兵ギルドという戦いの専門家集団がありながら、冒険者ギルド所属の僕たちが英雄となり得たのか」

「そういえば……」

「彼らは対人間の専門家なんだ。人から人を守り、人を倒す。そういう仕事をしてきた人達だからね。片や冒険者は昔から人里を離れ、未踏の地に足を踏み入れてきた。そして、そこで猛獣にでも襲われれば、身を守る為に戦ってきた。亜獣と他の動物が同じって訳じゃないけど、近い部分はあるから、応用は利くんだ」

「……亜獣対策のノウハウが傭兵ギルドにはない?」

 俺の言葉にジャンが小さく頷く。

「そしてそれは、騎士も同じ。リエルさんの様子がそれを物語ってる」

 そう、それだ。
 リエルさん、心なしか不安げだった気がする。
 指示は声、内容共にしっかりしていたけど、妙に早口だったし表情が強張っていたように見えた。

 新米騎士、とリエルさんは自分を指してそう言ってたっけ。
 もしかしたら、亜獣と戦った経験はないのかも。

「あ、あのう……わたしもお手伝いに行くべきでしょうか?」

 ずっと不安げにソワソワしていたエミリオちゃんがおずおずとそう尋ねる。
 彼女は除霊には長けているけど、まだランク1の冒険者。
 俺から見ても、亜獣退治は荷が重い。

「いや……それより、その背負ってる銃剣を貸してくれないかい? 確か僕の愛用品と同じ型だったよね?」

「そのう、は、はいっ」

 例のピンクの銃剣を取り出したエミリオちゃんに、ジャンは薄く微笑み――――

「これ、借りるよ」

「へっ?」

 瞬く間にそれを自分の手に収めていた。
 速っ……速すぎてよくわからなかった。

 今まで一年もの間顔を合わせてきたけど、ジャンが銃剣を抱える姿は初めてだ。
 色はともかく、その槍のような無骨なフォルムを肩に担ぐように収める所作は堂に入っている。

 世界屈指の銃剣の使い手。
 その肩書きはまだ錆びていない。
 でも――――

「お前……戦える身体じゃないって前に言ってたろ?」

「僕の事情に同情してくれる亜獣だったらいいけどね」

 そんな冗談めかした事を笑顔で返し、ジャンは俺達に背を向けた。

「君達はここにいて、もし他の客が混乱したり騒いだりしたら鎮めて欲しい」

「あ、おい!」

 背中越しの指示への返事を待たず、駆け出す。

 あのバカ……まさか亜獣と戦う気か?
 銃剣ってくらいだから、遠距離からリスクの少ない銃撃戦を仕掛ける事は出来るだろうけど、それにしたって冒険者を引退して長い今のジャンがそう都合よく倒せるとは限らない。

 それにさっき、翼がどうこう言ってた気がする。
 飛ぶタイプの亜獣だとしたら、遠距離でも安全とは言えない。

 それでもジャンは迷ってなかった。
 例え命を賭けてでも、この街を守りたいのか?
 そんな価値があるのか?
 この街の人達はお前を嫌いまくってるんだぞ?

「あのう、ユーリ先生……わたし達どうしましょう……どうすれば……」

 エミリオちゃんが涙目でプルプルと震えている。
 俺はまだ亜獣の怖さを理屈でしか知らないから、何処か他人事のような感覚だけど、冒険者の彼女にとって亜獣は俺よりずっと近く、そしてずっと恐ろしいモノとして心に根付いているに違いない。

「どうするも何も、俺らがバタバタ動いても仕方ないよ。君は武器をジャンに預けたんだし、俺は一介のイラストレーター。何かしなくちゃ、なんて軽率な衝動で動いても迷惑かけるのがオチだ」

「ここでじっとしているしかないのですか? わたし、冒険者なのに……」

「君が戦うのは時期尚早、って事だよ。だからジャンは君から武器を取りあげた。ジャンに憧れてるのなら、その判断を信じようよ」

 多少詭弁っぽい言い回しだけど、間違ってはいない筈。
 エミリオちゃんは暫く叱られた子供のように口を尖らせ俯いていたものの、やがて納得したのかコクリと頷いた。

 心配なのは俺も同じだ。
 ジャンいわく『亜獣慣れしていない傭兵たち』。
 新米騎士のリエルさん。
 そしてもう戦える身体じゃないジャン。
 そんなメンツで、果たして街の危機を救えるのか?

 亜獣が現れたと叫んだ人も、それを聞いた店内の客や店員も酷い狼狽えようだった。
 俺が想像しているより、亜獣の脅威は凄まじいのかもしれない。
 この、元いた世界ほどの文明の進化はなく、かといってファンタジー世界のようなドカンと一発で相手を倒すような魔法もない、リコリス・ラジアータの上っ面の平和しか知らない俺には想像すら出来ない。

 本当に大丈夫なのか――――?

「あ〜っ、ぼうけんちゃのエミリオたん〜」

 いつの間にか無意識に目を伏せていた俺は、その声に思わず身体をビクッと震わせた。
 余りに場違いな、朗らかで幼い声だった事も驚いた要因だった。

「あのね、レナね、エミリオたんしゅき〜」

 声の主は女の子だった。
 恐らく三歳か四歳くらい。
 亜獣の脅威なんて俺以上に理解していないらしく、無邪気な笑顔でエミリオちゃんの脚に抱きついてきた。

「ひああ……」

 レナちゃんと名乗った幼女にピトッとくっつかれ、エミリオちゃんフリーズ。
 まあ、幼女に抱きつかれたら男女問わずそうなるわな。
 なんなんだろう、子犬とか子猫とか幼女のこのあり得ないかわゆさは。
 デフォルメの原点を見た気がする。

「す、すいません……」

 その様子を遠巻きに見ていた母親と思しき女性が申し訳なさそうにエミリオちゃんに頭を下げてきた。
 かなり若いお母さんで、年齢的には俺とそんな変わらなさそう。
 幼妻……か。

「あのう、ユーリ先生……この非常時にお顔がへにゃってしてますっ」

「そういうエミリオちゃんこそ」

 いかん、もっと緊張感を持たないと……
 ジャンやリエルさんは今頃決死の覚悟で亜獣に挑んでいるかもしれないのに。

「ユーリ……先生……?」

 そう自戒する俺の傍で、レナちゃんのお母さんが驚いた様子で目を見開く。
 ユーリってやっぱり珍しい名前なんだろうか――――

「もしかして、《絵だけで描いてみた冒険者ギルドの報告書》の作者のユーリ先生でいらっしゃいますか?」

 ――――という俺の懸念とは裏腹に、全く違う部分で幼妻さんは驚いていたらしい。
 こっちもビックリだ。 
 元いた世界では一度として経験しなかった、絶対言われたい言葉の第3位『もしかしてイラストレーターのユーリさんですか?』をこんな状況で聞くとは……!

「え? ユーリ先生?」

「《絵だけで描いてみた冒険者ギルドの報告書》って……最近えらい騒ぎになってるあの画集か?」 

「そういえば、作者はルピナスに住んでるって聞いた気が……」

 なんかレストラン内が亜獣じゃなく俺の事でザワザワし始めた。
 うわ、複雑だ!
 嬉しいのに、とっても嬉しいのにこの状況だと喜ぶのは不謹慎だもの!

「あ、あの! 私アドニス出身で……《絵だけで描いてみた冒険者ギルドの報告書》、買いました! 今も持ってます! とても素晴らしい絵で……感動しました! 特にエミリオさんの絵は可愛くて健気で……ステキでした!」

 さっき声を掛けてきた幼妻の人にスゴい勢いで迫られる。
 な、何もこんな時に……
 普段の生活の中でこんな事態になったら有頂天になれるくらい夢のシチュエーションなのに……!

「その……こんな時になんですけど、よろしければサインなど……」

 サイン会でもないのにサインを求められた!
 これも初めての経験。
 っていうか、リコリス・ラジアータにも有名人にサインを求める習慣があったのか。

 それはともかく――――どうしろと。
 恩人が命懸けで戦いに挑む真っ直中に幼妻にサインを求められた俺にどうしろと!?

「そのう……書いてもいいと思います。わたし、不謹慎なんて思いません」

「エミリオちゃん……」

 幼女を抱きかかえ、そう進言してくれたエミリオちゃんの顔は、俺の心境と全く同じと容易に想像出来るほど複雑な表情だった。

 彼女としても、今この時が夢のシチュエーションなんだろう。
 冒険者にとって、子供から懐かれるのは一つの目標であり到達点だ。
 ジャンが彼女に憧れを抱かれたように。

 そうだ……俺はフリーランスのイラストレーター。
 いつ如何なる時もサービス精神を発揮するのも、大事な仕事。

「わかりました。サインは買って頂いた《絵ギルド》にいいですか?」

「はい!」

 いい返事の幼妻に笑顔を返し、俺は彼女が購入した《絵ギルド》を受け取った。
 微妙に緊張しつつ、サイン出来そうなページを探す。
 元いた世界の文庫本と違って、この《絵ギルド》の表紙は木製。
 今しがたレストランの店員から借りたこのペンだと、そこには上手く描けない。

「……ん?」

 パラパラ捲っていた俺の手が止まる。
 目に留まったのは、とある一ページ。
 ここに描いたのは『街の木こりが山から拾ってきた小さな亜獣の調査依頼』の報告書を絵だった。

 この時、初めて亜獣を見たんだよな。
 っていうか、唯一見た亜獣がコレ。
 小さい鳥型の亜獣だ。

 種類自体は以前からいる亜獣で、その子供って結論が出たんだよな。 
 陽性亜獣じゃないし凶暴性もなさそうだったから、発見した木こりがペットにするとか言ってそのまま持ち帰ったんだけど――――

「……?」

 その依頼を思い出しながら、俺は何か引っかかるモノを感じていた。
 さっきも抱いた疑問。
 人を襲わない陽性亜獣しかいない筈の今、どうしてルピナスに亜獣が現れたのか――――なんとなくだけど、そこに繋がる気がする。

 あらためて、亜獣が出現した理由を考えてみよう。
 ジャンの話では、陽性亜獣ってのは食糧を奪う為に街を襲っていたらしい。
 仮に陽性亜獣が生き残っていたとして、翼を持つ亜獣がわざわざ食糧確保のために人里に飛んでくるだろうか?
 気候的にも、山や海の方が豊富に食糧がありそうなものだけど……

 いや、待て。
 俺は無意識に、亜獣を元いた世界の猛獣、例えば野生のクマあたりに置き換えていた。
 そうじゃない。
 ファンタジーが得意なイラストレーターの俺に出来る他の発想で考えてみる。

 置き換えるべきは――――そうだ、ゲームの中に出てくるモンスターなんてどうだ?
 偶にモンスターをピックアップしたエピソードがあったりするし。
 その場合、モンスターはどんな理由で人里に現れるだろうか。

 例えば、仲良くなった人間と会う為。
 他には――――

「……そうか」

 真相が見えた気がした。
 本来、ルピナスを襲う理由がない筈の亜獣が突然現れた理由。
 きっと、明確な理由が存在する。

「ここを出よう! 行かなきゃいけない場所があるんだ!」

「へ……?」

「俺らに出来る事があるんだよ!」

 俺はレナちゃんに頬ずりするエミリオちゃんの襟首を掴み、半ば強引に引き剥がして――――

「あ、サインは後で必ず書きます! 明日、冒険者ギルド〈ハイドランジア〉に来て下さい!」

 そう幼妻のお母さんに叫び、レストランから飛び出した。








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