《絵だけで描いてみた冒険者ギルドの報告書》。
通称――――《絵ギルド》。
カメリア王国のウィステリア市でかつて栄華を極めた冒険者ギルド〈ハイドランジア〉の存続の為に俺達が作ったその本は、瞬く間にウィステリアで話題騒然となり、注文数は僅か一ヶ月で五〇〇〇冊を突破した。
一日平均の注文数が三〇〇冊を越え、一日に製本可能な限界値を上回った為、注文しても暫く商品を届けるまで待って貰わなければならない。
それでも注文は日に日に増え続けている。
正直、予想を遥かに上回るスタートダッシュだ。
でも、だからといって左うちわって訳にはいかない。
俺達の目的はあくまでもハイドランジアを閉鎖するという国策に待ったをかける事。
その為には、ウィステリア全土、出来ればカメリア王国全土にまで届くくらいの広い範囲で評判になって貰う必要がある。
「そろそろ、次の手を打たないといけない時期かもしれないね」
ハイドランジアの近くにあるレストラン〈ペレグリナ〉でアムンに挟んだ正体不明の獣肉を頬張っていた俺に、ジャンがフォークを掲げながらそう宣言した。
「あ、あのう……まさか冒険者を新しく雇うのでしょうか?」
「まさか……印刷所を変更するつもり……? あたしを裏切るのね……? そうなのね……どうせそうだろうと思っていたけどね……だって人間って嘘と呼吸で生命活動を維持している生き物だもの……そうだもの」
ジャンの両隣に座っているルカとエミリオちゃんがそれぞれのオーダーした飲み物をテーブルに置き、そう問い詰める。
見捨てられ不安が妙に強い二人の視線に、ジャンは思わず苦笑した。
「いや、そういう訳じゃないよ。今の体制で依頼は捌けてるし、印刷に関しても新しい印刷機を導入すれば事足りるからね」
その回答に、両者同時に胸を撫で下ろす。
上手くいった直後にスタッフが変更される――――なんてのはどの分野にでも起こり得る事。
二人の不安はよくわかる。
「ただ、今みたいに行商人任せだと、普及までに時間がかかりすぎると思うんだ。販売委託を申し出てきた業者も、残念だけどみんな胡散臭い集団だったから断わったし」
「まあ……あのジャンが……騙されに騙され生きていたあのジャンが立派になって……」
かつてビジネスパートナーに騙されボロボロにされたジャンの成長に、ルカが感動の余りホロホロと泣いていた。
多分、どっちかっていうと印刷所変更がなかった事への安堵の涙だと思うけど。
「そうですね。総合ギルドが完成するまでが勝負だとすると、期限は一年を切っています。それまでにハイドランジアを残すだけの価値があるギルドにしないといけませんね」
――――と、ジャンに同意を示したのは、俺の右隣に座るリエル=ジェンティーレさん。
この王国の騎士という偉い立場でありながら、もう二週間もギルドで手伝いをしてくれている。
その中には森林内の開発区域や鉱山などに出現した亜獣の討伐も幾つか含まれており、同行したエミリオちゃんにとってはいい経験となったみたいだ。
既に彼女が騎士である事は多くの市民の知るところとなっている為、ハイドランジアは今『《絵ギルド》を作っているギルド』『騎士様が詰めているギルド』という二つのステータスがある状態。
だから依頼の数も自然と増え、現体制では割といっぱいいっぱいになってきている。
ジャンはエミリオちゃんを安心させる為に否定したんだろうけど、増員は考えないといけない時期だ。
俺としても、《絵ギルド》の二巻を描く上で冒険者が多いに越した事はない。
登場人物が多い方が、読む方も描く方もモチベーションが上がるしな。
なんとかリエルさんにもモデルになって欲しいんだけど、中々難しそうだし……
とはいえ、今はそれより――――
「それで、ジャン。次の一手ってのは具体的に何をするんだ?」
「ああ。実は、図書館への寄贈を考えてるんだ」
「ムムッ」
その案に、思わず唸り声が出てしまった。
この世界の図書館は、元いた世界よりもかなり利用者が多いという。
何せ本屋がないから、市民が本を探す施設となるとココが第一候補になる。
しかも無料だから、子供だろうと経済的に厳しい市民だろうと問題なく読める。
認知度が大幅に上がるのは間違いない。
ただ、問題が一つ。
「寄贈するのはいいけど、そっちを利用する人が増えて売れなくなったりしないか?」
ハイドランジアの存続には、運営の安定が必須。
運営費を《絵ギルド》の売り上げで賄う予定だから、それが著しく減るのは本末転倒だ。
「そのリスクはあるね。販売を開始して一ヶ月半、まだ潜在的な購買層は少なからずいるだろうし」
ジャンの発言は、インターネット通販も本屋もないこの世界では妥当な内容だ。
これが元いた世界なら、一ヶ月半ってのは購入層に大抵行き渡ったと判断出来る期間なんだけど。
基本、マンガやラノベといった商品は、最初の数日が総売上のかなりの割合を占める。
特にラノベはその傾向が強くて、口コミでジワジワ売れ出すというパターンも稀になっているらしく、アニメ化で知名度が飛躍的に上がったばかりのケースを除くと、販売前の各店舗の注文状況と販売直後数日の動きでほぼ売れ線か否かを判断される。
だから、予約開始及び店頭販売開始直後に最も目を惹く表紙にはかなり力を入れる必要があるとの事で、担当編集の方からの表紙への注文はより具体的、より濃密なものになる。
特に一巻の表紙は作品の命運を左右するとさえ言われていて、イラストレーターの重圧は相当大きい。
当初、俺は『一巻の表紙なんだから、作品のエッセンスを凝縮したものにしよう』とか『主人公と登場ヒロインを全員描いて、この作品の紹介する絵にしよう』とか思っていたけど、どうもそれじゃダメらしい。
情報量は少なく、それでいてパッと見で読者層の気を惹く絵――――それが求められる。
風景までしっかり描いた表紙が比較的少ないのも、ヒロイン一人だけを描いている表紙が多いのも、その所為だ。
これもある種の簡易化、デフォルメと言えるのかもしれない。
「でも、そのリスクを上回るメリットがあると思うんだ。図書館に置けば、経済的理由で買いたくても買えない人にも読んで貰えるし、利用者の多さを考慮すれば大きな宣伝効果も期待出来る」
「確かに」
一人でも多くの人に読んで貰えるのなら、反対する理由は何もない。
「それなら……寄贈して直ぐに新作を出すべき……」
「そのう、わたしもルカさんに賛成ですっ。その方が注目を集めますしっ」
「貴女は……自分が注目を集めたいだけじゃないの……?」
「ひああ! そ、そんな訳ないじゃないですかーっ! もーっ!」
クスクス、というよりヒヒヒと嗤うルカをエミリオちゃんがぽかぽか叩く。
何となく恋のライバルのような関係かと思いきや、意外と仲良くやっている様子。
ま……俺の恋愛に関する憶測なんて、付き合いの浅い編集の『何かあったら連絡するよ』くらいアテにならないけどね。
「新作を出すのは私も賛成です。ユーリ先生はどうお考えなんですか?」
上品にナイフとフォークを使って野菜のソテーを食べていたリエルさんが、俺を覗き見るかのような視線を向けてくる。
実のところ、二巻の制作にはまだ二の足を踏んでいる状態だ。
そもそも、まだ二巻が描けるほど依頼報告書が溜まってないってのが一つ。
そして最大の障害が、コケる恐怖だ。
これだけ成功した本の新作を安易に出して、もしそれがコケたらどうなる?
好調な一冊目にまでケチが付きかねない。
そうなったら大惨事だ。
正直、目新しさで成功している感は否めない。
その新鮮さがなくなれば、この勢いは止まる可能性が高いだろう。
新刊を出すならば、別の切り口が必要だ。
「別の切り口ですか……難しいですね」
俺の説明を受けたリエルさんをはじめ、他の面々も思案顔で押し黙る。
俺だって何かアイディアがある訳じゃない。
何しろ、俺が知識として持っている元いた世界の商業的戦略がこっちで何処まで実現可能かわからないからな。
《絵ギルド》がマンガやラノベなら、ここまで迷う必要はない。
ストーリーの続きが読みたい、という理由で受け入れて貰えるからだ。
でも、《絵ギルド》は短編集であり画集。
絵の要素が強いだけに、ストーリーへの興味をどの程度持って貰っているのかは未知数だ。
「あのう、例えばですけどっ、一冊目の依頼の続編エピソードを入れるというのは?」
「エミリオの……私生活を描く……とか」
エミリオちゃんとルカの提案は、多少あざとい気がするけど両方有効だ。
けど、まだ足りない。
もっと普遍的で、もっと《絵ギルド》に求心力をもたらす何かを――――
「では、女性に手をとって貰う要素を入れるというのは?」
いつの間にか野菜のソテーを食べ終えたリエルさんが、爽やかに訴える。
「有効……有効……女性は男性よりも噂話が好き……口コミで広がる可能性大……」
「今のところ《絵ギルド》は男性の注文者が多いから、いいかもしれないね」
ルカとジャンのフォローに、リエルさんはウンウンと頷いた。
一冊目の《絵ギルド》はエミリオちゃんをフィーチャーした為か、俺の絵が男向けだからなのか、今のところ男性の支持が厚い。
女性へのアピールが必要なのは異論なし、だ。
「でも、女性に受ける要素って何だろう」
「そのう、心当たりがあります」
「あたしも……女性全般に支持される要素といえば……コレ」
エミリオちゃんとルカが顔を見合わせ、頷き合う。
そして同時に――――
「恋の話」
とてもシンプルな答えを口にした。
恋……恋だと?
「あれ、ユーリ。様子が変だけど……何か問題が?」
「問題以外の何物でもない! なんて事を言い出すんだコンチクショウ!」
ガタッとテーブルを叩き席を立った俺に、全員の視線が集まる。
「いいか。ファンタジー……心で描く部類のイラストレーターに安易に恋愛モノを求めるなんて、最低の行為だ! 下劣だ!」
「げ、下劣なんですか?」
「下劣です! 思いやりの心がまるでない!」
騎士という、元いた世界でいうと政治家レベルの立場にいるリエルさんに俺は思いっきり叫び倒す。
魂が勝手に吠えるんだから仕方がない。
「恋愛ってのは、現実そのもの……現実のクソ甘い面もドロドロした面も両方内包した、リアリズムの極地だ! そんなのを求められても困る!」
「そ、そのう、そんなことありませんよ」
「恋愛だって……夢や希望……満載」
「ないね! 一切ないね! とにかく《絵ギルド》に恋愛要素は不要! あんなのはドラマや映画に任せておけばいい!」
この世界にドラマや映画なんてないから、実際には演劇という意味のカメリア語を使っているが、魂的には『ドラマや映画』が正解だ。
「きょ、極論すぎるような……」
「聞こえないね! 何にも聞こえないね!」
俺はジャンの言葉に耳を塞ぎ、魂の赴くままに言いたい事を言い切った。
「……ユーリ先生、もしかして恋愛経験がないのですか?」
核心を突いたリエルさんの発言に、気の所為か周囲の喧噪もピタリと止む。
必要以上に他人からの注目を集めているみたいだけど、まあいい。
実際、その通りだしな!
何しろ、男子校出身イラストレーターからのニート予備軍へのジョブチェンジという華麗なる経歴の持ち主。
女が付け入る隙なんて何処にもない人生だった。
……いや、全くない訳じゃなかったんだけど。
プロのイラストレーターになって、千載一遇のチャンスとばかりにオフ会に参加して自己アピールしてみたけど、結果的に自慢ばっかりするスゲー嫌なヤツみたいな空気になってしまって、見事に爆死。
その時の女性イラストレーターやコスプレイヤーの若干引いた顔が今も忘れられない。
――――なんて事を一から説明するのは無理があるんで、適当に茶を濁すとしよう。
「リエルさん。恋愛は一生に一度でいいんですよ」
「え……?」
「生涯で一人、命を寄り添える相手との大恋愛。それでいいんです。俺はそれでいい。だから、その相手とまだ巡り逢っていないってだけなんですよ」
そう言い捨てた俺は、静かに着席した。
「あのう、恋愛経験がない事は否定しませんでしたね」
「っていうか……リアリズムとか言ってた割に……自分が一番クサい事言ってる……」
周囲がザワザワ喧しいけど、言いたい事は言ったしこれで満足。
食事の続きをするとしよう。
「恋愛は一生に一度……」
ポツリと、俺の言葉をリエルさんが反芻する。
何か思うところがあったのかもしれないけど、まさか騎士の恋バナを掘り下げる訳にもいかないんで、敢えて触れずに自分のミルクルをコクコクと飲み干した。
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