……それから二日後。
大陸鉄道ってのを利用し、俺は王女およびその従者、そしてリエルさんと共にカメリア王国の王都、城郭都市アルストロメリアへと足を踏み入れた。
ちなみに、王族は本来鉄道なんて使わないらしいが、今回は視察の為に利用しているという。
そんなどうでもいい補足はともかく……アルストロメリアというこの都市は、久々に自分が異世界にいると実感出来る、そんな所だった。
城郭都市ってのは簡単に言えば壁に囲まれた都市のことで、イラストレーターの立場で言えば『こんなの見れて最高!』とさえ思える夢のような空間だ。
出来れば上空写真が欲しいところだけど、生憎リコリス・ラジアータにはまだ写真そのものが発明されていないらしい。
写真に限った事じゃないが――――もし俺が元いた世界の様々な技術をこのリコリス・ラジアータに伝える事が出来れば、文明の発達を促進し、稀代の発明家として名を残す事が出来るかもしれない。
でも、俺は別に発明家を目指している訳じゃないし、今は『カメリア王国の面汚し』として教科書に載りそうなほど悲観的な立場で王城へと連行された身。
顔も心もゲッソリしたまま、王城へと入る。
本来ならテンション上がりまくりの圧倒的重厚感溢れる城の外観も、門番として立っている兵士達の敬礼も、殆ど頭に入ってこない。
完全に罪人のような心境で、王女の背中だけを見て、城内の廊下を歩き、歩き、歩き……一つの部屋へと辿り着いた。
「ここが、これからあんたが暮らす部屋よ。鍵は姫だけが持ってるから、外出を許可出来るのは姫だけ。あんたの自由は姫が握ってるの」
クルクルと指で扉の鍵を回しながら、王女がそんな脅し文句を並べてくる。
けど……なんか妙だ。
まず、俺の監禁場所となったこの部屋。
監禁ってくらいだから地下牢を想像してたんだけど、実際にはやたら広く、そして高級そうな外観の部屋だった。
ってか、ハイドランジアのホールより広いぞ…五〇畳くらいありそうだ。
次に、現在の状況。
この部屋にいるのは、俺と王女の二人だけ。
監禁するのにわざわざ王女が部屋に案内するのも妙な話だし、何より俺みたいな素性が怪しい外国人(実際は異世界人)と二人きりになるなんて、変だ。
極めつけは、鍵の管理を自分がするとか言い出した事。
いや、どう考えてもそれは危険だろう……?
俺がここから逃げ出すにはその鍵を奪うしかない訳で、つまり王女を襲う可能性がグッと高まる。
平和大国日本出身の俺ですら、幾らなんでも無防備だろと思わざるを得ない。
「さて……ようやく準備が整ったわ」
鍵を手に収め、ゆっくりとこっちを振り向く王女の琥珀色の目が不気味に光った……ように見えた。
もしかして、アレか?
この王女……サドっ気があるのか?
積極的に拷問したがるタイプなのか?
異世界で出会ったドS王女に拉致監禁されたイラストレーターな俺。
……ラノベというよりジュブジュブなナイルリバーでポルっちゃってるタイトルですよ?
って、この状況で考える事かよ!
無意識の内に現実逃避しようと脳が暴走してるのか?
「カメリア王国第二王女の名において命じます」
そんな狼狽する俺に、王女はツカツカと歩み寄り――――
「姫をあんたの弟子になさい!」
拷問を……
ん?
「あ、あの……自分、まだカメリア語完全に理解出来てないかもしれないんで、もう少しゆっくりお願い出来ますか?」
「仕方ないわね。この姫を、あんたの、弟子にしなさい。あんたの絵を、姫に、教えるの。これでわかったでしょ?」
確かにわかった。
わかったけど……わからない。
何を言っているのかサッパリわからない。
いや待て、もしかしたら俺の文法理解が間違ってて、実際には姫の弟子になれと言ってるのかも――――
「ああ……本当に長かったわ。リエルの部屋に置いてあった、あんたの《絵だけで描いてみた冒険者ギルドの報告書》を初めて見てから一〇日間……本当に長かった。ようやく姫はあんたの弟子になれるのね」
――――どうやら違うみたいだ。
本当に、俺に弟子入りするつもりだ。
って事は何か?
これまで俺の絵を散々コキ下ろしたのは……
「大変だったのよ。心ない言葉であんたの絵を非難するのは、本当に心苦しかったの」
「な、何でまたそんな……」
「仕方がないじゃない。王族には王族の体裁ってモノがあるのよ。民衆の見ている前で先鋭的な絵をベタ褒めしたんじゃ、新しいモノ好きのミーハーって思われちゃって、重みがなくなるでしょ?」
口を尖らせながら、王女は糾弾の理由をペラペラと語ってきた。
要するに、だ。
最初から王女は《絵ギルド》に否定的じゃなかったらしい。
「……だと思っていました」
深い溜息と共に、リエルさんが扉を開けて入ってくる。
廊下で話を聞いていたらしい。
「リエル。外は……」
「心配は要りません。誰もいませんから」
「そ。ならいいわ。貴女にはバレてるって思ってたから」
「恐れながら、殿下の好みは把握していますので」
どうやらリエルさんは王女の擬態を見抜いていた様子。
というか、王女と騎士という主従関係にしては、割とフランクな会話だな。
「あら、姫とリエルの関係が気になる?」
顔に出てしまったのか、王女はいたずらっぽい笑みを浮かべて上目遣いでそう聞いてきた。
「リエルは姫が子供の頃からの付き合いで、友達なの。いっくら敬語で話すのは止めてって言っても、ちっとも聞いてくれないけど」
「立場上、それだけは聞けませんから」
そう苦笑しながら王女に向けるリエルさんの眼差しは、確かに敬意より友情が色濃いように見える。
……ヤバい。
この二人……絵になる!
インスピレーションを刺激しまくってきやがる!
描かないと!
一刻も早く、逃げてしまう前にこの絵を描かないと!
「失礼」
俺はそれだけをニヒルに告げ、自分の荷物をまとめた革製の鞄を開ける。
そして中からスケッチブック代わりの紙の束とペンを取り出し、床にしゃがみ込んで遮二無二にペンを走らせた。
「ゆ、ユーリ先生?」
「シッ……リエル、黙って。ここは彼の好きなようにやらせるの」
「は、はい」
二人が何か話している気がしたけど、直ぐに意識から消えていく。
今あるのは、頭の中に生まれたイメージの具現化、それだけだ。
そして――――
「……ふう」
完成。
題して《王城にそびえる姫百合の塔》。
二人が天に向かって腕を伸ばしながらその腕を絡め合う、そんなイラストだ。
もちろん、手は恋人繋ぎな。
《絵ギルド》を描き終えて以来、キッチリ絵を描く事がなかったから禁断症状が出てしまった。
「こ、これは……」
「ふふ……やっぱり姫の目に狂いはなかったのよ……彼こそ、姫の求めていた人材よ」
今し方完成した俺の絵を、二人は食い入るように見つめている。
どう思われているかはともかく、俺としては満足行く出来だ。
久々にイラストレーターとして充実した時間を過ごせた。
「ユーリ。どうして姫が、カメリア王国第二王女のこの姫があんたを拉致監禁してまで弟子入りしようとしているか、わかる?」
「いや、全然わかりませんけど」
「カメリア王国第二王女だからよ」
口癖のように何度も使っていたその言葉を噛み締めるように、王女はそう捲し立てた。
「現在、お父様……ヒューゴ陛下の統べるこのカメリア王国には、三人の後継者がいるの。一人は長女、メアリーお姉様。二女の姫、アルテ。そして、お父様の甥にあたるゴットフリート=カミーユ=サージェント。王位継承順で言えばメアリーお姉様が第一位なんだけど、女王陛下を望まない一部の貴族勢力がゴットフリートを擁立しようとしてるのよね」
な、なんか急にキナ臭いというか、別世界の話になってきたぞ?
なんで一介のイラストレーターが王国の世継ぎ問題についての説明を受けてるんだ?
まさか俺、これから王位継承問題の渦中に……
「あ、心配は無用よ。別に王位継承で揉めてる訳じゃないの」
……あっそ。
国家レベルの大問題に巻き込まれちゃったよ、困って困って仕方がないよ、ってな自分に酔いたかったのに。
「メアリーお姉様は女王の座に乗り気じゃないし、姫も同じ。ゴットフリートがやってくれるならどうぞどうぞ、って感じ。大体、女王になんてなっちゃったら遊べないでしょ?」
「殿下……誤解を招く発言は控えて下さい。公務は山のように積まれています」
リエルさん、呆れ気味に嘆息。
なんとなく、二人の関係性が見えてきた気がする。
「第二王女って、よっぽどの事がないと女王にはなれないし、でもそれなりに偉い立場で好き勝手出来るから、結構気に入ってるのよね。だから……自分のやりたい事をトコトンやってみたいと思うワケよ。わかる?」
わかるような、わからないような。
要するにこのお姫様、現状に納得しているらしい。
その上で、自分の進みたい道を進もうと。
例えるなら、会社の社長令嬢として生まれた女の子が、その資産や人脈をフルに活用しつつ、自分の趣味を仕事にして一生楽しく暮らす――――そんな感じか。
思わずヘドを吐きかけたくなるような狂おしく妬ましい人生だけど、まあ今はそれはいい。
取り敢えず、俺の身の安全は保証されたと見て良さそうだ。
となると、俄然この状況を活かしたくなってくる。
何しろ王都、そして王宮。
この世界で生きていくと決めたものの、それでも一生に一度来れるかどうかって場所だ。
隅々まで見学してその景色を頭の中に収めたい。
あと、《絵ギルド》の充実にも利用してみたいところだ。
王宮の様子なんて、一般庶民はまず目にした事がないだろうから
この華やかで煌びやかな世界を描けば、それは売りになる。
番外編的な位置づけで、ストーリー抜きのイラストとして描けば……
……って、待てよ。
それはそれで有効かもしれないけど、それ以上に有効な活用方法があるじゃないか。
このアルテ姫のお墨付きを貰うだけで、これ以上ない宣伝効果が得られる。
王族、しかもお姫様が推薦する商品となれば、バカ売れ必至!
先行投資で印刷機を大量購入しても、十分にリターンが計算出来るぞ。
いやちょっと待て、冷静になれ俺。
それ以前に、ギルドの存続を直接お願いするのが一番手っ取り早いぞ。
成功すれば、その時点で目標達成。
この上ないヌルゲーだ。
でも、幾らお姫様でも政策にまで口出し出来るとは限らないか……
「それで、ユーリ。どうなの? 姫を弟子にするの? しないと一度突っぱねて大物ぶったあげくするの? どっち?」
思案の最中、アルテ姫から王族的身勝手な選択肢の提示があった。
まあ実際、拒否の選択はないけどさ。
そんな事をすればどうなるか、この国に来てまだ日の浅い俺でも容易に想像出来る。
「無論、謹んでお受けします。光栄の至りです」
なんとなく騎士っぽいイメージで膝を折り、最敬礼で受理。
当然ですわね、的な答えが返ってくるだろうと待ち構えていると――――
「……本当に? 本当に姫に絵を教えてくれるの?」
俺の手を恐る恐るギュッと握り、アルテ姫はおずおずと聞いてきた。
なんだこれは。
サドッ気のあるワガママお姫様じゃなかったのか?
もしかしたら、彼女のこれまでの強気な姿勢は全部"姫としての自分"を精一杯演じていたのかもしれない。
自分を姫と呼ぶのも、一種の自己暗示。
なんとなく、俺の境遇に似てる気がした。
となれば遠慮は不要。
こっちも"期待の新鋭画家"を演じてやろう。
俺は決して、デキの良い絵描きじゃない。
イラストレーターとして突出した技術も個性もないし、含蓄も実績も大してない。
でも、この世界で生きている俺は、少なくとも周囲から"強烈な個性を持った絵描き"と思われているし、そう期待されている部分もある。
なら、それを演じきろう。
さっきとは違い不安げな眼差しでこっちの返事を待つアルテ姫を見ていると、そうするのが俺の務めのような気がしてきた。
「御意。自分の持っている全ての技術を捧げます」
俺はそう答え、クールに微笑む。
「ただし条件があります。冒険者ギルド〈ハイドランジア〉を閉鎖しないよう、陛下に掛け合って貰えませんか? まずは謁見をお願いしたいんですが……」
そして、取り敢えずダメ元でそう聞いてみた。
今の俺の勢いというか、ご都合主義フル稼働状態ならいけるかもしれない。
そう睨んだからだ。
アルテ姫の反応は――――
「そ、それは無理よ! 姫、お父様の決めた政策には口出ししない主義だから。それにお父様は病み上がりだから、謁見は許可してないの」
驚いた表情で首を真横に振りつつの門前払いだった。
仕方がない、ここで食い下がっても心証を悪くするだけだ。
今は一先ず引いて、地道に《絵ギルド》でハイドランジアの存在意義を示していこう。
その為にも、一刻も早くアルテ姫に絵を教えてしまい、自由の身にならねば。
しかも、キチンとアルテ姫にマンガ絵をマスターして貰う必要がある。
いずれ国王に陳情する際『娘に絵を教えていた人物がハイドランジアにいる』って事実があれば、かなり有利に働く事が期待出来るからな。
「わかりました。では、条件を変えます」
俺は強気の姿勢を崩さず、アルテ姫に再度自分の希望を訴えた。
「仕事、食事、就寝、その他生活に必要な活動を除いた残り全ての時間を俺との絵のお勉強に費やして下さい」
「……え?」
「いいですね?」
一国の姫に対し、不躾極まりない要求。
リエルさんも不安そうに俺とアルテ姫を交互に見やっている。
アルテ姫の返答は――――
「……そうね。それくらい根を詰めた方が上達も早いだろうし、そうしましょうか」
幸いにも、好意的なものだった。
斯くして、俺は異世界リコリス・ラジアータの小国、カメリア王国のお姫様の師匠となった。
これまで散々、現実感の希薄なご都合主義的な展開で乗り切ってきたけれど、今回は多少色合いが異なる。
こっちの望んだ展開とは言い難いしな。
ま、教えるだけなら危険度はそう高くないし、なんとかなるだろ――――
「……」
そう気楽に考えている俺と、やる気を漲らせるアルテ姫の傍で、リエルさんは何処か複雑な表情を浮かべていた。
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