それから――――
「だから鼻はそんな克明に描いちゃダメなんですってば! ああっ、人中の溝は絶対に描かないで下さい! 台無し!」
アルテ姫の強い気持ちに応えるべく、俺は来る日も来る日もの彼女の部屋で指南に明け暮れ――――
「違う違う全然違う! 唇は百歩譲って下唇のラインを軽く入れるだけ! 厚みを出すと一気に別モノになっちゃうから極限まで薄く!」
指導する姿勢も次第に熱を帯びるようになり――――
「重要なのは、特徴をしっかり表す事! デフォルメは一歩間違えば髪型以外全部同じ絵になりかねないの! モチーフがあるならそのモチーフの特徴を捉える、ないなら自分で作る! 目の大きさを変えるだけでも印象変わるから!」
いつの間にやら、王女と一般人という立場の差を忘れ――――
「デフォルメってのはバランスが大事だっつってるだろーが! そんなリアルな輪郭じゃ逆にバラバラになんの! もっと思い切れ! 既存の概念を捨てろ! 人間を描くつもりで描くな! 人間じゃない、全く違う生物を描くような感覚で、でも人間を描いている事を常に頭に入れてから描け! 描け! いいから描けーーーーーーーーーーっ!」
俺はひたすら一国の王女に向かって叫び、わめき、がなり続けた。
一応、アルテ姫の名誉の為に言っておくけど、彼女は決して物覚えの悪い人間じゃないし、センスがない訳でもない。
けど、マンガ絵の存在しないこの世界で、マンガ絵、デフォルメの絵っていうのは本当に荒唐無稽、常識を無視した絵らしく、どれだけ教えても中々写実的な描写を捨てきれないらしい。
幻想派の絵に慣れていて、かつもっと非現実的な表現を求めていたアルテ姫ですら、一ヶ月経っても二ヶ月経っても中々標準的なマンガ絵には辿り着けないほどの異端。
あらためて、俺はマンガ絵の歪さ、そしてスゴさを学んだ気がした。
そして――――半年が経過。
俺は今し方姫が描いた、半年前と同じくリエルさんをモチーフにした騎士の絵をテーブルの上に置き、長時間じっと眺めていた。
隣には以前の絵が置かれている。
「ど、どう?」
「……」
この半年間、庶民の俺に散々言いたい放題言われ、涙目になり、時に弱音を吐き、たまに家出したりしながらも、彼女は頑張り抜いた。
自分の理想が俺の絵の中にある――――そう口にした通り、アルテ姫の姿勢からは俺の絵を自分のモノにしたいという強い気持ち、上手くなりたいという向上心がこれでもかってくらいに見えていた。
立派だ。
人間的に尊敬できる王女だと思う。
そこは素晴らしいんだけど――――
「まだまだかな……」
――――と、思わず漏れそうな本音をどうにか胸の辺りで堰き止め、俺は口元を大げさに緩める。
「……半年という短期間にしては、かなりの上達ぶりだと思います」
「本当!? やっと称賛してくれたわねユーリ。長かったわ……」
称賛って程じゃないけど……ともあれ、どうやら俺が初めて褒めた事に相当気を良くしているみたいだ。
実際には、現状の彼女の腕はまだとても褒められたものじゃない。
彼女なりに精一杯デフォルメしてみたんだろうけど、まだまだリアルな方向にかなり引っ張られている為、中途半端な印象は拭えない。
これで確かな画力……というより描写力があれば、それなりの形にはなるんだけど、そこもまだまだだから、結果として『年輩の方が孫の好きなプリキュアを描いてみた絵』みたいになってしまっている。
ま、それでもこの世界の中では『独特な絵』にはなってるし、俺としても教える事は教え尽くした。
あとは彼女が自分の努力で腕を磨いていくしかない。
っていうか、二ヶ月目の時点で今くらいの絵は描けてたような気がする。
半年もかけて教える必要はなかったな……
「にひひー……やったやった」
とはいえ、この半年でこのアルテ姫やリエルさん、その他王宮で暮らす人達と親しくなれた事を考えると、無駄な時間だったとは思わない。
打算抜きに、こういう縁は宝だと思うしな。
「よーし、今日は祝杯よ! 白の騎士会総出で免許皆伝のお祝いをするわ!」
「……は?」
「は? じゃないでしょ? こんなおめでたい日に何もしない訳にはいかないじゃない。もしかして白の騎士会を知らない? リエルも所属してる、女騎士の女子会みたいなものよ。ちなみに会長は姫。姫の心が真っ白なところからとった名前ね」
取り敢えず名前の由来は無視するとして。
女子会――――いや、そんな言葉はカメリア王国にはないんだろうけど、他に適切な日本語が見つからなかった。
なんにしても、白の騎士会についてはここへ来る前に聞いている。
リエルさん以外の会員には会った事ないけど。
「っていうか、そもそもそれ以前に免許皆伝って何ですか? ちょこっと褒めたくらいでもう教わる事は何もないなんて思ってるとしたら、それは大きな誤解ってもんですよ? ハッキリ言って、アルテ姫の絵はまだまだ……」
「あーもーうっさいうっさい! 褒めたんだから今日はもうダメ出し禁止! とにかく、祝杯をあげるの! お祝いをするの! パーティーを開くの!」
アルテ姫はご乱心一歩手前の強引さで、免許皆伝祝賀パーティーの決行を宣言した。
弟子とはいえ一応王族なので、彼女がこう言ったら従わざるを得ない。
まして、参加者となる予定の白の騎士会の人達は、一日の仕事で疲れ切ったところにこんな召集をかけられるんだから、たまったもんじゃない。
普段はそうでもないんだけど、俺を強引にここへ連れてきた時といい、ここぞという時のワガママぶりはいかにも"姫"って感じだ。
「今夜決行だから空けときなさいよ! 姫はこれからリエルに話をつけておくから!」
「はいはい」
「よろしい。あ、その前にお父様に絵を見せにいかないと」
機嫌よくニマッと笑い、姫はそそくさと自室から出て行った。
アルテ姫はいつも、自分の納得行く絵が描けると真っ先に父親に見せに行っている。
もしかしたら彼女は、単に自分の野望だけじゃなく、親に褒められたくて俺の絵に目を付けたのかもしれない。
話を聞く限り、国王は現実離れした絵が好みみたいだし。
もしそうだとしたら、親孝行な娘さんだ。
……親、か。
元いた世界を離れて一年半。
もし、時間の流れがここと向こうで同じなら、俺は一年半もの間行方不明って事になる。
その間、ずっと音信不通にしている息子を、あの人達はどう思うんだろうか。
そもそも、俺がいなくなったと気付いているんだろうか。
中学に入るくらいまでは、両親との仲は良くも悪くもなかった。
サラリーマンと専業主婦、ごく普通の家庭で普通に育った子供だったと思う。
ただ、二人ともいわゆるオタク産業とは全く縁のない人だったから、俺はマンガ家を目指した事、イラストレーターになった事を打ち明ける事が出来なかった。
その所為で、どうしても両親と腹を割って話す事が出来なくなり、結果疎遠になった。
向こうも俺のそんな態度を気にしてか、干渉する事は殆どしなくなり、一人暮らしを始めてからも連絡を取り合う事はなかった。
生活費は一応、自分の稼ぎでどうにかなってたから、仕送りもなし。
親子の絆とか、愛情とか、そういうのを実感した記憶はない。
お互いに関心が薄かったのは間違いないだろう。
それでも一年半は長い。
流石に、未だ俺の失踪を気付いていない……なんて事はないだろう。
捜索願くらいは出してるとは思うけど、一年半となるともうとっくに諦めてるだろうな。
だから、もういい。
もういいんだ。
元いた世界に未練はない。
俺はここで、このリコリス・ラジアータで生きていく。
そう決めたんだから――――
その日の夜、予定通り祝賀会が開催された。
会場となったのは王城の一室で、かつては憩いの場として使われていたが、現在では空き部屋となっているらしい。
そこで数名の使用人が掃除、運搬、配膳の仕事を行い、あっという間にコンパクトなパーティー会場が完成。
ちなみに使用人の人達はメイドの格好はしていなかった。
元いた世界ではメイドブームが下火になってしまったものの、もし見れるものなら見てみたかったな……コスプレ以外のメイド服。
さて……それはともかく。
急遽、というか思いつきで決めた事もあり、出席者は身内のみ。
俺を除く全員が、白の騎士会のメンバーらしい。
「会員番号〇〇三、クレハ=メイリスだ。キミの事はリエルから聞いている。よろしくな」
「おなじく〇〇四、ピュッピ=アムノアでーっっす! 趣味はリボンとぬいぐるみ集めっっ! 好きな飲み物はキキリア産のミルクルでーっっす!!」
――――以上、自己紹介終了。
なんでも、白の騎士会が全員集合したらしい。
……アルテ姫を含めても全部で四人しかいないのか、白の騎士会。
会員番号を三桁に設定してる意味、全然ねーじゃん。
ちなみにクレハさんは、ショートだけどサイドだけ伸ばした髪型が印象的な凛とした長身の女性。
ピュッピさんはぬいぐるみ抱いて寝る姿が似合いそうな童顔と、頭に四つくらい付いてる色とりどりのリボンがチャームポイントの女の子。
ちなみに年齢は一八歳と二十二歳。
順番通りクレハさんが一八だ。
ま、見た目や口調と年齢があべこべなのはお約束と言えばお約束……
「殿下。この度は免許皆伝、おめでとうございます。最近はお茶会も控えてまでユーリ先生の絵の習得にご尽力なされていたとか。とても偉いのでヨシヨシしてあげます」
「にひひー」
……なんだけど、どうやら性格まで外見からのイメージとは乖離しているらしく、ちゃんとした人だと思っていたクレハさんが真顔でアルテ姫をナデナデし始めた。
王族相手にそれは……どうなんだ?
「もうっっ! クレハちゃん、そんな事したらメっっていっっつも言ってるでしょっっ! 立場をちゃんとわきまえないとメっっ!」
一方、幼い口調の割にピュッピさんは至って常識人だった。
な、なんかスッキリしないな……
「いつもあんな感じなんですか?」
「え、ええまあ……すいません」
瞑目しつつ赤面するリエルさんは外見、内面のバランスが非常に良い。
収まりが良いというか、絵になるというか。
もしこの集いを絵にするなら、彼女を中心に据えたい。
「さ、それじゃ宴を始めるわよ! 各自グラスを持って!」
アルテ姫に従い、俺は目の前にある参加者五名にしてはやたらと仰々しく並べられたワイングラスの一つに手を伸ばす。
正式にはワインという名前ではないんだろうけど、この世界にも葡萄酒はあるらしく、匂いは赤ワインと全く変わらない。
殆ど飲んだ事はないけど……ま、こういう席だし、偶にはいいか。
「あ……」
そんな事を考えていた俺は、自分の伸ばした手がグラスではないものに触れた事を知覚するのに、しばらくの時間を要した。
触れたのは――――リエルさんの手だった。
「わっ、わああっ! す、すいません!」
「い、いえ」
反射的に引っ込めた手で思わず自分の顔を殴打しそうになる。
何せ、生まれてこの方、身内以外の女性の身体に触れた経験なんてない。
男子校にラッキースケベなんて起こりようがないし、電車内は冤罪対策で常に他人に手が触れないよう気を配っていたからな。
そんな俺が初めて触れた女性の手。
握ったり押しつけたりした訳じゃないから感触はわからなかったけど、俺より少し熱を帯びているリエルさんの体温は感じられた。
「何事? まさかユーリ、リエルにエッチな事をしたんじゃないでしょうね。もしそうならここは今から処刑場に早変わりよ」
「ここにきての冤罪!?」
しかも王女が相手となると裁判で勝てる気がしない!
あれだけ注意していた数年間は何だったんだ。
「殿下がそういう事を言うと冗談では済まないので……」
「ダメよリエル、泣き寝入りは。あんたがセクハラを受けたら姫は黙ってはいないわ。例え国際問題だろうと毅然とした態度で立ち向かうのよ。ユーリがどこの出身かは知らないけど……どこ?」
うわっ、一難去らない内にまた一難!
出身に関しては決して触れられないように気を配ってきたのに!
当然、正直に『異世界から来たんだぜ』と言える筈もないし、適当な国をでっち挙げてもボロが出るのは目に見えてる。
彼女は一国の王女。
国名、人種、その国の一般常識等、他国の事は一通り頭に入っている筈。
もしここで俺が妙な回答をしてしまえば、一瞬で不審人物に早変わり。
他国のスパイとか、更にシャレにならない嫌疑をかけられるぞ。
どうしよう、どうすれば――――
「お待ちなさい!」
おおっ、絶体絶命のピンチに突然救世主が登場!
「リエルはわたくしが守りますの! アルテ、あなたでは役者が不足していますわ!」
……見覚えある縦ロール。
間違いなくメアリー姫だった。
このお暇様、神出鬼没すぎやしないか?
「お姉様!? 何故ここに……?」
「決まっていますわ! あなたのお祝いに駆けつけたの。だからあなたはすっこんでなさい!」
「随分と意味不明じゃない……いい機会だわ。お姉様、リエルはこの姫の従騎士なのよ。お姉様こそ出る幕がないんじゃないの?」
「お黙りなさい。元々リエルはこのわたくしの親友、いやそれ以上の絆で結ばれた運命の娘ですわ。それを……わたくしが忙しくしている間に勝手に従騎士に……この泥棒猫!」
「な、何ーっ!? 幾らお姉様でも許せないわ! 決闘よ!」
「ふふ、いいですわよ。あなたに負ける事など、何一つありませんもの……この場で誰が年長者であるか、わからせて差し上げますわ!」
「あ、あ、あの……け、ケンカは……」
リエルさん、王女二人に挟まれ完全に困惑中。
無理もない。
好意を寄せられている相手が二人とも王女とか、どういう世界観かと。
クソッ……ムズムズしやがる。
あの三人を描きたくて右手が疼きやがる!
「な、なあピュッピ……彼、興奮してるみたいだけど……変態なのかな」
「違いますよっっ。あれはリビドーとは違う種類の衝動ですよっっ。だって男性器が全く変貌を遂げていませんものっっ」
……聞こえてるんですが。
っていうか、カメリア語で男性器を意味する言葉を知っている事が一番変態っぽい気がしないでもない。
「心配いりませんわ、リエル。わたくしたちはこれでも淑女、取っ組み合いのケンカはしませんの」
メアリー姫は頬の前で人差し指を立て、怪しげに微笑む。
そして――――奇妙な事を言い出した。
「決着の方法は、あなたも知っての通り。絵よ」
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