「……絵?」

 他の面々が納得した顔をする中、部外者たる俺だけは眉間にシワを刻んで説明を求める。
 すると、それにいち早く反応したのはアルテ姫。
 どうやら既に、勝負する気マンマンらしい。

「姫たちヌードストローム家に代々伝わる決闘方法よ。お題を一つ提案して、お互いが納得したらそれを絵にする。その絵の内どちらが優れているかを第三者に判定して貰う。そして選ばれた方が勝ち。シンプルでしょ?」

 確かに、この上なくシンプルだった。

「健全な勝負だからどうとは言わないですけど……祝賀会はいいんですか?」

「当然、祝うわよ。この勝負に勝って、自分自身をお祝いするの。お洒落でしょ?」

 洒落ているかどうかはともかく、主催者が納得してるのなら止める理由もない。
 俺には関係のない話だし、一歩引いて見学といこう。
 どうやらリエルさん以外の騎士二名も同じスタンスらしく、俺が王女たちから離れた場所にある椅子に腰かけると、その両隣に黙って座った。

「それで、お姉様。お題はどうするの?」

「そうね……ユーリ、あなたが決めて」

 突然の御指名。
 お題……モチーフか。
 ならこれしかない。

「リエルさんを描いてみては? お二人の愛情がどれだけ絵に出るか、見てみたい気もしますし」

「え、ええええ!? ユーリ先生、それは……!」

 こんな提案をしたのは、焦るリエルさんを見たかったから……かもしれない。
 真面目な彼女が慌てる様を見ると、心が踊る。
 何だろう、この好きな子をいじめる小学生みたいな感情は。

「素晴らしいお題ですわね。アルテ、異論は?」

「当然ないわ。リエル、姫がどれだけあんたを愛しているか、この絵で思い知りなさい!」

「え、ええと」

「アルテの表層だけの愛に惑わされてはいけませんわ。わたくしの真実の愛、その目でしかと見届けなさいな」

「そ、その……」

 リエルさん、半泣き。
 流石にちょっと気の毒になってきた……悪い事したかな。
 彼女には散々世話になってきたのに、恩を仇で返すのはよくないな。

「提案を追加します。お二人の絵は俺が審査しますので、完成したら俺に見せて下さい」

 挙手しつつ、矢継ぎ早にそう告げる。
 こうすれば、リエルさんがどちらかを選ばなければならないという責任から解放される。
 その分、俺にそれがのし掛かる訳だけど……ま、仕方がない。
 一応プロの絵描きを名乗ってるんだし、それくらいは背負おう。

「確かに、リエル本人に審査させるのは酷ですわね。それでいいですわよ」

「異論はないわ」

 割と物わかりのいい王女二人が納得したところで、絵による決闘がスタート。
 時間を測るのは――――

「アーニュル、お願いしますわ」

「よるれりほー。それじゃスタート」

 ……いたのか、アーニュル=チュルリューニュ。
 できれば関わり合いになりたくないんで、俺は騎士二人と会話する事にした。
 アルテ姫をマンツーマンで指導して半年、多少は女性への緊張も緩和されてきたしな。

 クレハさんが言うには、このバトルの正式名称は『一筆打ち』との事。
 その一筆打ち、制限時間があるらしく、なんと僅か一〇分。
 速筆のスキルが求められる決闘らしい。

 にしても、一〇分ってのは中途半端だ。
 構図の思案込みで五分ならネーム絵か雑なラフ画しか選択肢がないけど、一〇分だともうちょい描けるだけに選択肢が広がってしまう。

 下書き、ペン入れでギリ行けるか?
 色は不要、顔だけならなんとかいけるかも。
 恐らくその辺の判断力も問われるって意味での一〇分という制限時間なんだろう。

「どうやら、早くも免許皆伝の成果が見られそうだな」

 クレハさんが俺の隣で冷静に、でも何処か楽しそうに俺を見ながら呟く。
 確かにこの対決、アルテ姫が俺から得た技術を披露する上では最適だ。

 そう考えると、メアリー姫がここへ現れて勝負を挑んだのは台本通りだったのかもしれない。
 つまり、アルテ姫に技術を披露させる為に最初から――――という事だ。
 俺は妹へ花を持たせる気満々の姿を想像し、メアリー姫へと視線を向けた。

「うふふふふふふ。うふふふふふふ。うふふふふふふ。うふふふふふふ」

 ……前言撤回。
 いや、心の中でしか言ってないけど、それでも撤回せざるを得ない入れ込みっぷりだった。
 花を持たせる気が一切ないぞ、あれ。

「そういえば、メアリー姫も御自分で絵を描くんですね。上手いんですか?」

 もしそうならアルテ姫同様、親の気を惹く為に絵に興味を持ったのかもしれない。
 しかし――――クレハさんとピュッピさんは揃って首を横に振った。

「決して才能がない訳ではないのだが、ハッキリ言って上手くはない」

「でもヘタっっピでもないよねっっ。とっっても微妙。お二人とも良い勝負なんですっっ」

 つまり、審査が難航しそうって訳か。
 となると勝負の決め手になるのは、アルテ姫がどれだけ上手にデフォルメできるか。

「修行の成果、今こそ見せてやるわ! うりゃりゃりゃりゃりゃりゃ!」

 なんか声だけ聞いてると、武術の大会にでも参加してるかのようだけど……不安だ。

「あと一分で一〇分にゅる」

「どわっ!」

 いつの間にか、アーニュルが傍まで近寄っていた。

「まだ言ってなかったにゅるん」

 そしてこっちには目も合わせずに全身をにゅるにゅるさせて話しかけてくる。
 なんだろう、この知り合いになりたくない感は……

「ボクチンにとって、オタクの絵が売れるのはヒジョーに困るにゅ」

「……な、なんで?」

「ボクチンの絵はオタクのとはタイショー的にゅる。そっちが流行ったらこっちは大打撃にゅるん」

 そういえば……この変なにゅるにゅる具合のせいでつい忘れてたけど、この男は写実派の有望株だったな。
 メアリー姫のお供として来たんだろう。

 あのアニュアス宮殿で見た彼の絵は、この上なく精密だった。
 確かにマンガ絵とは対照的かもしれない。
 だとしたら、こいつも俺を――――

「でもそれはそれとして、オタクの絵は中々オモシロいにゅ。ああいう絵が流行るの、わかる気がするにゅる」

「……え?」

 まさかこいつからお褒めの言葉を貰えるとは。
 単ににゅるにゅるしてるだけで、性格は良い人なのかもしれない。

「いや、俺の絵が流行ったところでそっちの絵の価値は下がらないでしょ。正直貴方のような絵を描けないから、俺は今の絵に逃げてるようなものだし……」

 半分本音、半分お礼のつもりで返した俺の言葉に対し、アーニュルは――――

「あ、時間にゅるん。やめー」

 聞こえていなかったらしく、こっちに何のリアクションもせず右手をにゅるにゅると挙げて王女二人を止めに向かった。
 ……やっぱり苦手だ、あの人。

「できましたわ。我ながら傑作ですわね」

「フフ、完璧。さあユーリ、審査なさい。そして賛美なさい。自分の弟子がここまで成長したと、感動に打ち震えなさい!」

 各々が自信に満ちた顔で、俺に絵を見せる為に絵を掲げてくる。
 さて、どんな仕上がりになったのか――――

「……う!」

 両者の絵を同時に見比べた俺は、思わず口の中に虫が入ったようなリアクションをしてしまった。
 実際、その感覚に近い狼狽ぶりだ、我ながら。
 これは……マズい。

 変だ!
 予想を上回るおかしさだ!

 メアリー姫の絵……彼女は確か写実派を後押ししてる筈だけど、単に写実的な絵柄であるというだけで、実際にはリエルさんをありのままに描写してない。

 いや、誤解を恐れず言えば、写実的な絵は何も題材をそのまま描写する必要は無くて、補正をかけても一向に構わない。
 似顔絵なら寧ろ、そうすべきだ。
 それこそが絵の醍醐味とも言える。
 でも、メアリー姫の描いたリエルさんはそういう次元の問題じゃない。

 これ……男性の絵じゃん!

 元いた世界でも『萌え擬人化』はブームはあったけど、彼女の絵はそれとは真逆。
 リエルさんを男性化している。

 しかも微妙にヘタ。
 顔だけの絵なんだけど、眉、目、鼻、口の位置関係がかなりアバウトだ。
 絵になってないくらいの落書きならまだしも、絵としての体裁が整っていて『男性の絵』とわかるだけに、余計気持ちが悪い。

 俺は顔をしかめつつ、審査を終える。
 そして、勝者の名を――――

「引き分けです……」

 ――――口にできなかった事に、この上ない虚無感に襲われた。
 この絵に勝てないアルテ姫。
 俺の半年間の指導は一体なんだったんだ……

「なっ、ちょっとユーリ!? どうして姫の勝ちじゃないの――――」

「やかましい! ちっとも俺の教えた事が絵に出てないじゃねーか! 特徴捉らえろっつっただろ! なんだこの今にも地面を這いそうな謎の生物は! リエルさんを描いたと知ってても誰なのか全然わからねーぞ!」

「う、うたた寝するリエルよ! ちゃんと見なさいよ! それに人間を人間っぽく描かないのがユーリの絵なんじゃ……」

「人間っぽく描かないけど人間とわかる絵だ! これも口を酸っぱくして何度も何度も言っただろうが! これじゃデフォルメじゃなくてメタモルフォーゼだ!」

「ううう……」

 あ、言い過ぎた。
 リエルさんはともかく、他の二人の騎士やメアリー姫は俺のアルテ姫に対する指導風景なんて見た事ないだろうから、ドン引きしてるかも……
 っていうか、身分をわきまえない無礼者だよな、これだと。

「……ま、制限時間ありで描くとプロでも焦って変な絵になるからその点は仕方がないです。いつもはもっといい絵が描けるの知ってますから」

 取り敢えずフォロー。
 果たして周囲は――――

「厳しさの中に愛を感じますわ。アルテ、いい師匠を持ちましたわね」

 ナイスだ、メアリー姫!
 それを待ってた!
 俺のご都合主義体質、未だ健在!

「でも、言い過ぎでは……殿下を相手に、余りにも厳しいかと」

「クレハ、わたくしたちは甘やかされる事を望んではいませんのよ。王族は国民からの期待と責任を背負う立場。このような厳しい指導も時に必要としますの。強い自己主張をぶつけ合い、そうやって成長するのですわ」

 いや、この絵で自信満々に勝負した時点で、どっちも甘やかされて育てられた感アリアリなんですけど。
 とはいえ助けられた手前、黙っていよう。

「だからこそ、敢えて言いますけれど……やはり審査には納得できませんわ。何故わたくしの絵がアルテと同レベルなのかしら? 細部に至るまで説明を求めますわよ」

「むっ、それはこっちのセリフよ! お姉様の絵はリエルどころか男性じゃないの! しかも具合の悪い初老のジジイみたいな絵だし、これなら本調子じゃないとはいえ姫の絵が勝っているわ!」

「だ、誰が具合の悪いジジイを描いたですって!? アルテ、身内とはいえ言って良いことと悪いことがありますのよ!? そもそも貴女の絵はユーリの劣化版ですことよ! 真似した上に劣化した絵なんてゴミですわ! 敢えて厳しく言いますけれど地を這うゴミですわ!」

「なな、なんですってー!? 姫の絵がゴミならお姉様の絵はグロいゴミよ!」

「売り言葉に買い言葉ですわ! 許せませんわ!」

 黙っていた結果、姉妹ゲンカに発展してしまった。
 ってかグロいゴミって……微妙に納得出来るだけに恐ろしい。

「ふ、二人とも! ケンカはダメですよ! 王族たる者、どんな時でも冷静に……」

 賞品となっていた為ずっと黙っていたリエルさんが思わず仲裁に入るも、ヒートアップした二人の耳には届いていない。
 今にもキャットファイトが始まりそうな空気だ。

「心配するな。最終的にはリエルが涙目で怒鳴り、お二人が反省して手打ちだ」

「いっっつもそうなんだよねっっ」

 白の騎士会に所属する二人にとっては日常茶飯事なのか、
 クレハさんとピュッピさんは静観の構え。
 とはいえ、俺の場合は審査員を務めた手前、怒りの矛先が向く可能性が高い。

「あれっっ? ユーリちゃんどっっこ行くの?」

「トイレです。すぐ戻ります」

 適当に言い訳し、そそくさと部屋を出る。
 脱出成功。
 できればこのまま無関係を装い、何も見なかったことにして自室に戻って眠ってしまいたいけど……そうもいかないよな。
 適当に時間を潰して、王女二人の罵詈雑言が聞こえなくなった頃合いに戻る事にしよう。

 にしても、広い廊下だよ。
 元いた世界の三車線道路並だ。
 居心地が悪いったらない。

 よし、こういう時はアニュアス宮殿だ。
 まだ見てない絵も結構あるし、時間潰しには丁度良い。

 思い立ったが何とやら。
 早速一階まで下り、無数の絵画を展示した絵画専門の宮殿まで移動した。

「……?」

 入った瞬間、先客がいる事に気付き、思わず身構える。
 一瞬、あのベンヴェヌートかもと思い顔をしかめたが、どうやら違うらしい。
 この王城に来て半年の間、一度も見た事ない人物だった。








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