イラストレーターとしてやっていこうと決めた場合、直ぐに重要な問題に直面しなければならない。
 己の主戦場とする題材の選択だ。

 何を描くか。
 これによって、イラストレーターの方向性が決まるのだから当然の事だ。

 この問題、最初に二択を迫られる。

 描きたいモノだけを描く。
 描きたいモノ以外も描く。

 商業絵師としてやっていくなら、後者以外の選択はないと考えるべきだ。
 でも、中には前者で成功しているプロのイラストレーターもいる。
 自身の才能を何処まで信じられるかが選択の決め手となるだろう。

 次もまた選択だ。
 自分の描きたい絵と、ニーズに応える絵。
 これを完全に切り離すのか、それともミックスするのか。

 例えば重火器を描きたいとする。
 前者の場合、重火器を描く仕事と、そうでない仕事とを完全に分ける。
 後者の場合、重火器を持った可憐な少女や線の細いイケメンを描く。

 どちらを選ぶかはその人次第だけれど、自分の描きたい絵がニーズからかけ離れている場合は前者でやっていくのは難しく、後者を選択せざるを得ない。

 仮に後者を選んだとしたら、次はミックスの割合を決めなければならない。
 重火器をメインにするのか。
 少女やイケメンをメインにするのか。
 同じくらいの存在感にするのか。

 それによって自分の納得感も絵師としての需要も変動する。
 そしてその二つのバランスもまた、調整が必要だ。

 こうして、自分の欲求とニーズとの折り合いを付けていく作業こそが商業イラストレーターの出発点だ。
 そして出発点の最後には、とても重要で、とても難しい分かれ道が待っている。

 ――――エロOKか、エロNGか。

 断言しよう。
 この選択肢は、確実に人生を左右する。

 元いた世界では、エロに対するニーズは常に高く、しかし偏見もまた強い環境にあった。
 一般社会からは児童ポルノという名目で叩かれる一方、業界内ではエロが描けるイラストレーターは潰しが利き、様々な所から声がかかり、重宝される。
 近年ではエロマンガ家の人が少年誌で連載を持つ事もある。
 大抵は筆名を変えて描くんだけど、インターネット上で直ぐに特定されてしまう。
 尤も、今のところそれが問題視された事はない。 

 元いた世界において、二次元は色んな形でエロへのニーズに応えていた。
 例えば同人誌。
 作者本人が同人でいわゆる『エロバージョン』を出す事もあるがそれは例外的で、大抵の場合は金目当てで人気マンガのエロ本を描いた作者以外のアマチュアのマンガ家が、コミケやとらのあな等でそれを売る。

 エロゲーにも近いケースがある。
 例えば、一般ゲームで出した作品をその後、エロシーンを追加し18禁ゲームとして出す。
 一粒で二度美味しい、けれど顰蹙も買う売り方だ。

 だが、そんな不義理な商法が成り立つくらいエロの需要が高いのも事実。
 無名のマンガ家やイラストレーターが金を生み出すのに最も適した方法でもある。
 あの王城のアニュアス宮殿でも、裸婦の肖像画はかなり多く見受けられた。
 エロ需要はこのリコリス・ラジアータにおいても高いらしい。

 ――――結論。
 必要とされている物を描く、それは創作者として正しい道だ。

「だから君のした事は間違っていない。気にしなくていいんだ」

「ううう……すいません……"だから"の意味はわからないけど本当にすいません……」

 俺は脳内で展開していた持論に終止符を打ち、《絵ギルド》のエロ同人誌を描いた画家の青年ロッソ氏と堅い堅い握手を交わした。

 開き直られたら厄介だったが、やっぱり罪悪感はあったんだろう。
 他人のデザインを真似、構成を真似、商品を真似ているという後ろめたさ。
 エロい本で金を稼ごうという邪な心。
 それらが爆発したのか、俺が自分の正体を明かすと、ロッソ氏は一瞬で土下座し泣きわめきだした。

「い、妹が……年の離れた妹が病気で……まとまった金を稼がないと妹の命が……」

「そういうのはいいから、とにかく五割。三十日に一回、ランタナ印刷工房にその分のお金を渡す事。いいね?」

「は、はい。確かに約束します。契約書にもサインします」

「それと、この件は他言無用。俺は君の本を許可した訳じゃないし、君の本が《絵ギルド》と関連しているのを認めた訳でもない。ただし、それはそれとして、どんどん描いてくれ。いいね?」

「わっ、わかりました! どんどん描きます!」

 無事に交渉は成立した。
 一仕事終えた後の溜息は清々しい。
 深呼吸じゃなく溜息なのは致し方ないところだが。

 ただしこれで終わりじゃない。
 今後、彼の成功に触発された第二、第三の同人誌が出てこないと、まとまった金は入って来ない。
 それらの原作使用料に、《絵ギルド》による新たな利益を足せば、そう遠くない未来に相当な額が得られる筈だ。

 ――――と、そんな算段をした数日後、早くも第二の同人誌が登場。

「これは……中々……中々……」

「ひあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 ランタナ印刷工房の屋内でそれを読んだエミリオちゃんは、悲鳴と共にブッ倒れた。
 最初の同人誌より更に過激だ。
 流石に行為にまでは及んでいないものの、これは結構エグい。

「よし、これをボーダーラインにしよう」

「せ、セーフなんですか!? これがセーフなんですかっ!?」

「いいじゃない……一度脱げば何度脱ごうと同じ事……」

「そ、そういう問題じゃないですよおうっ!」

 泣きわめくエミリオちゃんを無視し、ルカはグイグイと顔を原稿に寄せ同人誌に魅入っている。

「いたいけな少女がこんなポーズを……こんな……こんな……これは売れる……売れない筈がない……」

「だだだだダメです! 卑猥です! こんな卑猥な本を売ってはダメですダメダメ! わたし街を歩けなくなりますよーっ!」

「大丈夫……この本の少女は貴女であって貴女じゃないから……」

「で、でも、読む人はそう思ってくれませんよーーーーーーーーーーーっ!」

 そんなエミリオちゃんの悲鳴じみた声があがる間にも、印刷はどんどん進んでいく。
《絵ギルド》を題材とした同人誌はその後も続々と生み出され、主に軟文学のカテゴリーで、決して子供や婦女子の目に触れない所にて売りさばかれた。

 更に、二ヶ月後――――

「ひっ、ひあああああああああああああああああ」

「これは……まさかこんな……世も末……末……でも悔しい……魅入る……魅入る……」

 新たな同人誌として届いたその原稿に、エミリオちゃんは凍り付き、ルカは興奮気味に食いついていた。

《絵ギルド》の主要登場人物はエミリオちゃんだが、ハイドランジアの報告書が原作なので、以前ハイドランジアに勤めていた男の冒険者も数人登場している。
 名前は、ええと……そうそう、ヴァンディ、エリオット、ダエンとかいう三人だ。

 今回の原稿には、その三人の裸体がガッツリ描かれていた。
 しかも、その三人の恋愛模様がメインストーリー。

 完全にBLやんけ!
 BLの概念って異世界にも普通に存在してたのか……

「ひああ、きんにく、ひああ」

 そんなエミリオちゃんの反応に妙な既視感を覚えた俺は、過去の記憶を模索しつつ、その作者に会いに家まで押しかけてみた。
 すると――――

「……あれ?」

 表札を見て思わずビックリ。
 そこには〈デンドロン〉との表記が。
 間違いない。 
《絵ギルド》を売り出した当初に幽霊騒動で一悶着あった、あのロード=デンドロンさんの屋敷だ。

 まあ、実際には誤解だったし、俺はその件に関与してないから面識もないんだけど。
 それに、まさかあの絵をロード氏本人が描いたとは思えないし。
 確か娘さんが同居してるって言ってたし、その人だろう。

「その節はお騒がせしたッス。っていうか、またお騒がせして申し訳ないッス」

 案の定、その娘さんの仕業だった。
 フリーダさんという、ボーイッシュな感じの女性だ。
 以前、ジャンやエミリオちゃんが気付けにと見せられた絵は、彼女が描いたBLの絵だったんだろう。
 二人が心にダメージを負うのも無理のない話だ。

「先生、お願いだから見逃してくれッス。アチキがこの本を描いてる事、黙ってて貰えないッスか? アチキ、なんでもするッス。アチキの身体を好きにし」
「そういうのはいいんで、五割ね」

 エロルートのフラグをベキッと下りつつ、新たに収入源を確保。
 なお、一人称がアチキなのも語尾が〜ッスなのも俺の主観だ。

 それはともかく――――この件が俺たちに与えた影響は殊の外大きかった。

「例の男根同人誌……とてつもない売り上げみたいね……刷っても刷っても品切れ」

「男根同人誌は止めてくれ。いや、俺の訳しかたが悪いのかもしれないけど」

「妙齢の女性を中心に大人気……《絵ギルド》の売り上げ……抜くかも……」

 なっ、何!?
 本家を同人誌が凌駕するなんて、そんな事あんのか!?

 お、恐るべしBL需要……
 思った以上に倫理観がガバガバな国だな、カメリア王国。
 こうなったら俺も《絵ギルド》とは関係のない新刊を、百合モノで描いてみるか?

「大丈夫……あくまでも《絵ギルド》の最初の一ヶ月との比較……累計では比較にならない……」

「そ、そっか。何かホッとした」

 別に同性モノに偏見はないけど、本家として負ける訳にはいかないしな。

「というか……《絵ギルド》の売り上げも伸びてる……貴方の言う"同人誌"が起爆剤になったのかもしれない……増刷……増刷……」

 確かに、同人誌に先に触れて、そこからオリジナルに興味を持つという本来の流れとは逆のパターンもある事はあるらしい。
 ちなみに、俺が最初にイラストを務め、アニメ化まで果たしたラノベは同人界隈では全然食指が動かなかったらしく、俺のデザインしたキャラが同人誌で酷い目に遭った事はない。
 なので、日に日にやつれていくエミリオちゃんには気の毒には思いつつも、的確なアドバイスは出来ず、耐えてくれる事を願うしかなかった。

 そのエミリオちゃん、今は除霊のお仕事で隣街のアドニスに行っている。
 なんでも、この世界の幽霊は日中にも普通に出るらしい。
 そもそも夜に頻出するって時点でなんか作為的だし、これが当然なのかもしれない。

 今頃、除霊が済んでレナちゃんの家に遊びに行っている頃だろう。
 幼女パワーでリフレッシュしてきてくれ、エミリオちゃん。
 ルピナスに戻って来たら、また息を荒げる男性から嘗め回すように見られる日々が続くんだから。

「ところでユーリ……凶報発令……凶報発令……」

「え、何? まさかランタナ印刷工房に脱税の疑いが?」

「違う……風紀を乱す悪魔の書が出回っているという噂が流れ始めている……間違いなく《絵ギルド》の同人誌……」

 う……流石にそろそろヤバいと思ってたけど、ついにきたか。
 幾ら倫理観ガバガバとはいっても、いつまでも放置される筈がない。
 そろそろ潮時か。

「それじゃ、原作使用料を払ってる同人画家二十四名にこの件を通達しておこう。辞めるなら今の内、って」

「いいの……? 収入ペースが落ちるんじゃない……?」

「同人誌へのバッシングが《絵ギルド》に悪影響を及ぼすのは回避したいからな」

 ……それに、万が一《絵ギルド》の売り上げを同人誌に抜かれたら凹むし。

 とにかく、俺は一件一件回り、同人画家たちに『悪書狩りの予兆アリ』の一報を届けた。
 その結果、ロッソ氏を含む二十三名の画家はその場で廃刊にすると宣言してくれたが、BL画家の女性フリーダさんだけは例え捕まってでも廃刊にはしないと言い出した。

「アチキの腐った趣味がこんなに多くの人から支持されるなんて、夢にも思わなかったッス。アチキはこの本を生涯最後の作品として残したいッス。悪書狩り上等ッス! それがアチキの生きる道ッス!」

 ――――との弁。

《絵ギルド》の同人にそこまで入れ込んでくれている熱意は嬉しいけど、二次創作を生きた証とか言い切られても困るし、こっちの事情もある。
 幾ら同人売り上げナンバーワンでも、彼女にだけ特例を認める訳にはいかない。
 抜かれたら凹むし!

「ここだけの話なんですけど、近い内に猥褻物頒布等罪ってのが出来て、エロい本を売ってる人は捕まるらしいんです。他の同人誌作家はみんな、それで描くのを止めたんですよ」

 という訳で、恐らくこの国にはないであろう法律をでっち上げ。
 悪く思うなフリーダさん、貴女の覚悟につき合う訳にはいかないんだ。

「でも、アチキの他に卑猥な模造絵を描いてる人、まだいるみたいッスよ?」

「……何?」

 そのフリーダさんの発言が、更なる騒動の火種となる事は容易に想像出来た。








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