俺たちが把握していた物以外にも、《絵ギルド》の同人誌が存在している――――
 そんな厄介な情報が事実だと確定するのに、然程時間はかからなかった。 
 どうして把握出来ていなかったのかというと、ランタナ印刷工房を使っておらず、しかも財界でしか出回っていない"幻の本"だったからだ。

「作者名は……ジョージ?」

 その実物が今、フリーダさんによってランタナ印刷工房の作業場に持ち込まれている。
 ウィステリア一の事業者かつ珍品コレクターである彼女の父、ロード=デンドロン氏のコレクションからこっそり持ち出して貰った。

「エロ用のペンネームだと思うッス。実際に描いた人物は、こんな名前じゃないッス」

「模造なんてどうせ無名の画家の仕業……廃刊……さっさと廃刊……」

「ルカさんの言う通りですよう! 悪い芽は全部摘むべきです! 廃刊です!」

 自分の印刷所が関わっていないルカと、自分のエロ絵を撲滅したいエミリオちゃんの思惑が一致し、廃刊の大合唱。
 俺も異論はない。

 ただ気になるのは、フリーダさんの顔色が良くない点。
 勝手に父親のコレクションを持ち出した罪の意識とも思ったが、どうも違うらしい。
 なんとなく、作者の名前を言う事に躊躇している感じがする。

「それでフリーダさん。作者の本当の名前は?」

 意を決して問いかけた俺に、フリーダさんは小さく頷き、そしてその名を告げた。

「古典派の巨匠、ジャック=ジェラールッス」

 その瞬間、ルカがズシャッと崩れ落ちる。
 いや、俺も似たような心境だ。

 その名前、王城で聞いた事がある。
 俺の記憶違いじゃなけりゃ、王城のアニュアス宮殿で俺の絵をコキ下ろした、あの宮廷絵師ベンヴェヌートの師匠だ。
 あの野郎とは二度と関わり合いになりたくなかったんだが、まさかこんな所で接点が生まれるとは。 

「……あの〈聖なる画家ジャック〉が……世も末……末……」

「聖なる画家?」

「ええ……彼の描く聖母は重厚で荘厳……特に最高傑作の〈大聖堂と原始の聖母〉は国宝級……カメリア王国を代表する画家……」

 心底呆れた様子で力なく立ち上がりながら、ルカは律儀に詳しく説明してくれた。
 要するに、とんでもないビッグネームだ。

「でも、最近は目立った活躍がないッス。古典派の絵は年輩の人には一定の需要があるッスけど、若い連中には不評なんッスよ。全盛期を過ぎた感があるッス」

 フリーダさんの補足に、ルカはカクカクと頷いていた。
 王城でも、古典派が時代に取り残されつつあるってのは何度か聞いていた。
 巨匠と言えど、その波には逆らえないんだろう。

 とはいえ――――

「幾らピークを過ぎたって言っても、巨匠だろ? なんでまた、そんな偉い画家がエロ同人なんて……」

 例えるなら、かつて数千万部の売り上げを誇った大ヒットマンガを生み出した超有名マンガ家が、年齢を重ねて次第に表舞台に出て来なくなり、突然流行りのマンガのエロい同人誌を作ったようなもの。
 もし出来心で描いたのなら、巨匠としてのキャリアどころか古典派そのものにダメージを与えるような"ご乱心"だけど……

「何か……裏があるかも……裏……裏……」

「微妙にイヤな言い回しだけど、俺もそう思う」

 ルカに同意しつつ、俺は今後この件をどう扱うか熟考していた。

 この世界は画家の地位が高い。
 巨匠となると、かなり偉いだろう。

「はいッス、それはもうヘタな貴族よりも偉いッス!」

 フリーダさんに聞いてみた結果、案の定だった。
 そんな人に、同人誌描くの止めろと言えるだろうか。
 ……っていうか、言ったら殺されるんじゃないか?
 巨匠って、マフィア的な連中と繋がりを持ってそうだし(偏見)。

 でも、フリーダさん達に止めるよう言った手前、放置も出来ないよな。
 巨匠だろうとBL作家だろうと、等しく勧告すべきだ。

「一応聞いておくけど、フリーダさんのお父上にお願いする訳には……」

「ダメッス。この人、親父のお得意様中のお得意様なんッス。機嫌を損ねるような事は一切NGッス」

「ですよね」

 仕方ない。
 少し怖いけど直接乗り込むしかなさそうだ。
 平等に――――巨匠からも原作料をせしめないといけないしな。

「エミリオちゃん、護衛お願い」

「わ、わかりました! これ以上エッチなわたしが世の中に出回らないよう頑張ります!」

 幸い、エミリオちゃんは自己保身に燃えている。
 万が一、巨匠がヤクザな連中を連れていたとしても、彼女が銃剣でなんとかしてくれるだろう。
 ……多分。

「行くのね……巨匠の所へ……」

 そう呟き、ルカが立ち上がる。

「ん? もしかしてルカも付いて来てくてるの?」

「仕事があるから無理……その代わり、これを……」

 そして、俺に向かって一枚の小さなカードを差し出してくる。
 そこにはランタナ印刷工房の文字と住所が印刷されていた。

「名刺かよ! 売り込みかよ!」

「落ちぶれたとはいえ……巨匠は巨匠……くれぐれもよろしく言っておいて……」

 なんて抜け目ないヤツ……
 足りない所を補うって意味では、ジャンの嫁にはエミリオちゃんよりこっちの方が合ってそうだ。

「ジャック=ジェラール氏のお屋敷は郊外にあるッス。住所を教えるのでメモして下さいッス」

「わかった。色々とありがとう、フリーダさん」

「どうって事ないッス。その代わり、ユーリ先生の新作が出たらまた同人誌を描かせて欲しいッス! 今度は売らずに自分だけで楽しむッスから!」

 うわ、スッゲーキラキラした目で言われた!
 女って、みんな抜け目ないんだな……エミリオちゃんもそうだし。

「?」

 俺はどうして自分が見られているのか不思議そうにしている彼女を連れ、ジャック=ジェラール氏の住む屋敷へと向かう事にした。

 


 イラストレーターと違って、画家という職業なんとなく職人気質というか、気難しい、人間嫌い、カタブツな人が多いって先入観がある。
 実際にそうなのかどうかは知らないけど――――

「HAHAHA! スマンかったスマンかった! アレは確かにミーが描いたのだ! 許してたもーれユーリ! Woo! HAHAHAHAHA!」

 少なくとも、ジャック=ジェラール氏はそんなタイプの画家ではなかったらしい。
 郊外にあった彼の屋敷を訪ね、自ら門の前まで出て来た陽気な彼を目の当たりにするその前から、そうじゃないかと薄々感じてはいた。

 なんといっても、屋敷の外観がとんでもない。
 球体だ。
 ドーム状じゃなく、完全な球体。
 ドでかい鉄球が塀に囲まれている。
 一体どういう頭してたら、こんな建物を建てようと思うのか……

「あのう……なんか今にも転がって来そうで怖いです」

 エミリオちゃんの恐怖はもっともだ。
 この妙に威圧感のある球体もそうだけど、巨匠本人の外見もちょっと恐い。

 完全に老人なんだけど、ボディビルダー並に筋肉がある。
 元々なのか日焼けしているのか、肌は小麦色。
 頭頂部は禿げ上がっているのに、後ろ髪の白髪がやたら長い。
 まるで老いたロックシンガー。

 ……なんでこれが画家の巨匠の外見なんだ。
 俺も出来れば今すぐ逃げ出したい。

「さ、ここで立ち話もなんだ、あがってくれ! 何、遠慮はいらんよ! HAHAHA!」

 しかし巨匠はこっちがどんな目的でやって来たのか理解してるのかいないのか、引き気味な俺らの退路を塞ぐように回り込み、球体の中へと押し込んで行った。

「実は先客がいてね。応接間は一つしかないから、同席で構わないよ。WWWWAO!」

 俺のカメリア語翻訳が間違えてる訳じゃない……と思う。
 巨匠は本来こっちが言うべきセリフを言って、感情を弾けさせていた。
 気難しいどころか、ここまでは陽気な外国人って印象しかない。
 実際に外国人なのはこっちだけど。

「それじゃ……お邪魔します」

「そのう、中に入ったらゴロゴロ何処かへ転がって行かないでしょうか。心配です」

 そんなエミリオちゃんの心配とは裏腹に――――中は至って普通の屋敷だった。
 どうやら屋敷そのものが球体だった訳じゃなく、巨大な球体のオブジェの内部に普通の建物があるらしい。
 意外にも、絵画は飾られていない。

「ここだ。さあ入ってくれ。ユーとはずっと話をしたかったのだ」

「……は、はあ」 

「ではでは、お邪魔します」

 俺とエミリオちゃんは、取って食われないかとビクビクしながら応接室へと入った。

 案の定、中は広い。
 いかにも高そうな壺や長細い矛、上半身だけの女性の彫刻、能面っぽいお面など、置いてある物はいかにも独特なセンスの芸術家が用意したって感じだ。

 そんな異国情緒豊かな置物に囲まれ、部屋の中央部にテーブルとソファーがあった。
 先客がいるという巨匠の言葉通り、そこに一人の男性が腰かけている。

「ひっ、ひああ……あの方は」

 エミリオちゃんが、その姿に怯える。
 無理もない。
 今や彼は、エミリオちゃんの人生を直接左右する立場の人物だ。

 ジャンのかつての仲間で、現総合ギルド代表――――パオロ=シュナーベル。

 こいつはラッキー。
 多額の寄付をしてムリヤリ面会の機会を作るつもりだったけど、まさかこのタイミングで会う事が出来るとは。
 彼にジャンと会わせて貰えないか頼む絶好のチャンス到来だ。

「Hey、パオロ! 待たせてすまなかったね」

「いえ……それよりも、彼は先生がお招きした客ですか?」

 パオロが視線を合わる事なく言った"彼"とは、当然俺の事。
 前にレストランで見かけた時と比べて威厳があるように見える。
 今回は仕事モードなんだろう。

「NO! これが偶然なんだよ! ビックリだね! ビッグサプライズ! WWWWAO! WWWWWWWAO!」

 巨匠が何故かテンションマックスで叫び倒している。

 ……巨匠って、なんなんだろう。
 思わず定義について疑いたくなってきた。

「そうですか」

 対照的に、パオロはとことん冷静に、そして淡泊にそう答え、ソファーから立ち上がり俺の方へと歩み寄ってくる。
 相変わらず大きなその身体から発せられる威圧感は、思わず息を呑むほど。

「ひっく」

 エミリオちゃんに到っては、緊張のあまりシャックリをし出した。
 護衛の為に連れてきたんだけどなあ……

「こうして相対するのは三度目だが、自己紹介がまだだったな。パオロ=シュナーベルだ」

 口調はやや穏やかだけど、決して友好的な雰囲気はない。
 差し出してくる手もない。
 でも、不思議とさっきまでの威圧感が幾分か和らいだ気がした。

「ユーリと言います。その節はどうも」

「ひっく、あ、あのう、エミリオ=ステラとひっく、言います。趣味はひっく、銃剣のお手入れひっく、特技は除霊でひっく」

 随分個性的な挨拶だな、エミリオちゃん。
 でもパオロは一切興味を示さず、また再度ソファーに座る事もせず、鋭い眼光をそのままに仁王立ち。
 もしかしたら良い人なのかもと思ってたけど……どうなんだろう。

「中々COOLな自己紹介だな、お嬢ちゃん。ミーはユーが気に入ったよ。だからユーを蝋人形にしてやる!」

「ひええ」

 一方、巨匠は脈絡のない脅迫でエミリオちゃんを弄っていた。
 なんだろう、一見セクハラっぽい絵面なのに、そんないかがわしさを微塵も感じない。
 巨匠のキャラが濃過ぎる所為か。

「君の事はジャンからよく聞かされている」

 そんな二人のやり取りを目で追っていた俺の耳に、パオロの低音ならぬ低温の声が迫ってくる。
 思わず身構えたくなるような声だ。

「特段、他人を褒める事に抵抗のない男ではあるが……君への賛辞が譫言のように繰り返されていてね。少々辟易している」

「す、すいません」

「謝られても困るが。とにかく、そういう訳だから君の作品についてもある程度の事は知っている。模造品が数多く作られている事も。君がここへ来たのは、その件で話をする為か?」

 突然、核心を突くような言葉が槍のように飛んで来た。
 実際に身構えてもよかったのかもしれない。

「え、ええ。そうですけど……」

「なら話は早い。オレもその用件でここへ来た。真偽を確かめる為に」

 俺に対しそこまで話したところで、パオロの目がエミリオちゃんを壁まで追い詰めていた巨匠へと向いた。










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