亜獣再来――――昨日その事実を知った時、俺はまたあのフクロウ亜獣が街中に着陸したのではと思ったが、実際にはそうじゃなかった。
「昨日より、ウィステリア上空を有翼種亜獣と見られる二体の亜獣が飛翔している件ですが……」
着陸じゃなく飛翔だったらしい。
亜獣そのものは、あのフクロウ亜獣で間違いないみたいだ。
ただ、今回は二匹いる事、そして地上の様子を確認するかのように飛び回っているという点で、前回とは異なる。
そんな不気味な事態が判明した直後、リエルさんは直ぐにメアリー姫をルピナスから脱出させ、王都へ帰るようにと促した。
護衛としては当然の意見だろう。
だが――――
「……あの、やっぱり王都へお帰りになられた方が……」
「リエル、最終的な判断はこのわたくしがします。いいから続けなさい」
「は、はい」
メアリー姫は毅然とした態度で、宿内の自室にてリエルさんに命じた。
彼女は来年〈亜獣被害対策検討委員会〉の委員長になる身。
亜獣が現れて危険だから逃げる、なんて姿勢じゃ到底務まらないのも確かだ。
命と、責任。
当然どちらも冠に"王女の"が付く。
優先すべきなのは一体どっちなのか……庶民以前に王制に馴染みのない俺には皆目見当がつかない。
「有翼種亜獣が上空を飛び回る姿が確認されたのは昨日の夕方、今日の早朝の二回です。どちらも三〇分ほど、二体で飛翔していました。個体差は殆どなく、どちらも大人と思われます」
「以前、貴女がこの街で目撃した亜獣と同じ型ですわね?」
「そうです。ユーリ先生もそう証言してくれました」
ここで頷く為に、俺はメアリー姫の部屋に呼ばれたんだろう。
王族が泊まるとあって、同じ宿でも俺の部屋とは内装がまるで違う。
絨毯とか真っ赤だし。
それに今は亜獣が空を飛んでるとあって、窓に厳重な防護柵が設置されている。
内装の華やかさと監獄のような窓というコントラストがシュールだが、流石に笑えない。
「それで、今のところ街を襲う気配はない。これで間違いないですわね」
「はい」
リエルさんは『でも危ない事に変わりはありません』と言いたそうな表情だったけど、またメアリー姫に怒られるのは目に見えてる為か、最小限の返事に留めていた。
「幾ら被害が出ていないとはいえ、いつ襲撃があるかわかりませんわ。まして二体もの巨大亜獣が何度も上空を舞えば、街の人々は不安に駆られるでしょう。でも、この時点で下手に刺激を与えるのも得策とは言えませんわね」
「攻撃を仕掛けて怒らせるのは避けたいところですもんね」
俺の同意に、メアリー姫は満足げに頷いた。
「総合的に判断し、経過観察が妥当ですわ。ただし、このルピナスという街に万が一の事態が起こった場合、果たして対処出来る人材がいるかどうか……」
それは暗に、総合ギルドが役立たずだと言っているようなものだった。
無理もない。
本来なら、真っ先にあそこが対処すべきなのに、とんと音沙汰なしだし。
ハイドランジアを吸収したと言っても、戦力の上積みはエミリオちゃんくらい。
以前、あのフクロウ亜獣来襲時の無力ぶりを見る限り、彼らには何も期待出来ない。
その内情をメアリー姫もよく把握してるみたいだ。
「それなら、我々に任せて欲しいですね。メアリー殿下」
不意に――――部屋の入り口から、そんなネットリした声が聞こえてくる。
俺は思わず鳥肌が立った自分の身体を掻き毟りたい衝動に駆られた。
アレルギーだ、アレルギー。
「許可も得ずに入室するなんて、無礼ですよ!」
そう叫びながら、リエルさんが一早く対応を見せる。
その鋭い視線の先には――――本来ウィステリアにはいない筈の人物がいた。
宮廷絵師ベンヴェヌート=ヴァスィリキーウシクィイ。
この長ったらしい名前を正確に覚えているのは、それだけ憎々しい存在だからだ。
「そう怒らないで下さい、リエル殿。折角の美しい顔が台無しだ」
「なっ……!」
珍しく、というか俺が見た事ない顔で憤慨するリエルさん。
無理もない。
突然の無断入室からの、このわざとらしいおべっか。
挑発行為以外の何者でもない。
「ベンヴェヌート……貴方がここにいる理由は一先ず置いておきましょう。まずは、わたくしの可愛いお友達をからかうのを止めて貰えるかしら?」
「仮にも次期国王候補のお一人が、若輩騎士を捕まえてお友達ごっことは……いや、いいでしょう。仰せのままに」
その発言は、明らかに一国の王女に向けてのものとは思えない。
元々高飛車な雰囲気はあったけど……ここまで露骨じゃなかったぞ。
まるで宣戦布告でもしに来たかのようだ。
一体、こいつは何を企んでいるんだ……?
「では、先程の話の続きですが……経過観察などという愚にも付かない判断を下すのでしたら、我々に任せて頂けませんか? 殿下」
「今日はまたいつにも増して偉そうですわね。いいでしょう。まず貴方の方針を聞くとしますわ」
それに対し、メアリー姫は努めて冷静に対処しようとしている。
でも彼女自身、苛立ち以上に不安を抱いているのが俺にもわかる。
幾らなんでも、このベンヴェヌートの態度はおかしい。
違法薬物でも摂取してるんじゃないかと疑いたくなるくらい。
若しくは――――本当にケンカを売りにきたか。
「御意。ただし、これから話すのは私個人の意見ではありません。ゴットフリート"国王"をはじめとした、カメリア王国最大派閥の古典派の総意とお考え下さい」
「……なんですって?」
メアリー姫の顔から血の気が引いていく。
俺も思わず自分の耳を疑った。
同時に、男性ホルモンが多めなあの濃い顔を思い出す。
あの人が――――国王?
「元国王の精神的不調を長らくお隠しになっていた貴女やアルテ殿下の罪は決して軽くはありませんが……今は不問としておきましょう。ともあれ、そういう事です」
「お父様をどうしましたの!?」
あの常に飄々としていたメアリー姫が、今にも胸ぐらを掴みかかろうとする勢いでベンヴェヌートに詰め寄る。
だが、その怒りの矛先たる本人は涼しい顔のまま。
つまり、こういう事か?
メアリー姫やアルテ姫のお父さんである国王が失脚し……ゴットフリート氏が新たな国王になった、と。
そしてその交代劇の理由は、亜獣に魅入られている国王の現状。
それを理由にクーデターが起こった……?
「ご心配なさらないで下さい。元国王はアルテ殿下ともども"身分相応の"の住居に引っ越され、そこで静養中にございます。全ての引き継ぎは平和的に、そして穏便に行われました」
「な、何が……!」
騎士であるリエルさんと宮廷絵師のベンヴェヌート、そのどちらが立場上偉いのか俺にはわからない。
でも、リエルさんの憤りが今のこの男に何の脅威も与えられないのは火を見るよりも明らかだ。
「何か反論でもあるのですかね? 事もあろうに、人類の大敵たる亜獣に魅入られ、亜獣の絵ばかりを所望する人物が国のトップに君臨している……そんな由々しき事態であるからこそ、いつまで経っても亜獣対策が進まない。現に今も、経過観察などという温い対策で茶を濁そうとしている。如何にも四角四面な、写実派らしい対応とも言えますが……」
「ベンヴェヌート殿! それ以上の国王陛下と殿下への侮辱は許しません!」
ついに、リエルさんが腰に下げている剣の柄に手を掛ける。
しかし、それでも尚ベンヴェヌートの顔色は変わらない。
「身の程を弁えるんですね、リエル殿。今やこの国の実権は古典派に移ったのです。当然、古典派のホープたる私は、国の宝とさえ言える存在。その私に手を掛ければメアリー殿下のお立場がどうなるか、わからない貴女ではないでしょう」
「く……!」
どうやら自分が斬られないと確信していたらしい。
リエルさんも柄にかけた手を震えさせながら、思い留まっている。
イヤなヤツなのは知っていた。
でもここまでとは思わなかった。
道理で師匠である筈の巨匠が毛嫌いしていた筈だ。
性根が腐ってやがる……!
「貴女がたに任せていては、この街もカメリア王国も滅びかねませんね。これからは私が亜獣対策の総指揮を執ります。既にウィステリア市長と総合ギルドにも通達済みです。無論、異を唱える者はいません。そうだな。リチャード」
唐突に呼ばれたその名の主が、部屋の入り口から現れる。
ジャンとの過去でフリーダさんにつつかれていた時とはまるで違い、完全に自信を取り戻したかのようなドヤ顔をひっさげて。
「その通りでございます、ベンヴェヌート様。我がウィステリア市は現国王ゴットフリート=カミーユ=サージェント陛下への絶対服従と未来永劫の忠誠を誓っております」
見事なまでの腰巾着ぶり。
やけに活き活きして見えるのは、収まるべきポジションに収まったからなのか。
何にせよ、リチャードが古典派と繋がっているという疑惑はここに来て証明された訳だ。
由々しき事態なのか、寧ろわかりやすくなってOKと言うべきか……
「そういう訳です、メアリー殿下……いや、メアリー女史。後の事は私に任せ、貴女は暫くこの地で大人しくしている方がいいでしょう。王都に帰っても最早貴女の居場所はないに等しいのですからね」
「ベンヴェヌート……!」
「そうそう。最後にもう一つだけ」
メアリー姫の神経を敢えて逆撫でするかのように、ベンヴェヌートは大げさに指を一本立て、不敵に笑む。
「貴女が企画したという〈カメリア王国杯〉……その狙いは想像に難くありませんが、試み自体は中々興味深いものがあります。国王陛下に最も支持される絵を決めるコンテスト、これは素晴らしい催しです。なのでこの私も僭越ながら参加をする事にしました」
「……!」
「我々古典派を蔑ろにした罪、とくと味わうがいい」
その呪詛にも似た言葉を最後に、ベンヴェヌートは背を向けた。
メアリー姫もリエルさんも、突然過ぎるショッキングな告知に動揺して何も言い返せない。
このままだと、連中の思い通りに事が運んでしまう。
それは避けないといけない。
何かないか?
こいつらを一刺し出来る何かが。
小さな弱味でもなんでもいい、何か――――
「……お師匠様は元気にしてますか?」
半ば見切り発車的に出してみた俺のその言葉に、ベンヴェヌートが動きを止める。
よし、取り敢えず足止めは出来た。
「先日、お屋敷に招かれまして。その節はどうもありがとうございましたとお伝え下さい」
「……フン。せめてもの一太刀、という訳か」
こちらの思惑はお見通しと言わんばかりに、ベンヴェヌートは振り向きもせずそう呟く。
ほくそ笑みを浮かべていそうな声で。
「君の作品を師匠が模倣したのは聞き及んでいる。実際、どういう事だと直接問い詰めに来たのが、この地に私がいる理由だと言っておこう。残念な事に、納得のいく返答は得られず、尋問の途中で亜獣が現れたと聞き、ここへ駆けつけたのだがね」
「そうだったんですか」
「どうやら師匠……いや、ジャック=ジェラール氏は極度のスランプと自身の衰えから、時代の流れに迎合すべく愚行に走ったようだ。弟子として君には誠意を見せねばなるまい。謝意代わりに、言いたい事があるなら私が聞こう」
いかにもナルシストらしい、大物ぶった物言い。
きっとプライドも相当高いに違いない。
見栄っ張りで、自分を大きく見せたがるタイプ。
ここまで露骨な性格の人間には会った事ないけど、この手のキャラはこれまで何度も描いて来た。
デフォルメってのは、何も絵だけに限ったものじゃない。
物語に登場するキャラの性格も大抵、現実の人間のデフォルメと言える。
ツンデレやヤンデレなんてその典型。
キャッチーな部分を誇張しているだけの事。
マンガやアニメやラノベのキャラをそのまま現実に当てはめるのはナンセンスだけど、現実をモチーフにしている以上、そこには共通の傾向がある。
それを利用しない手はない!
「なら遠慮なく質問します。俺の《絵ギルド》の販売を妨害したのは、貴方の仕業ですね?」
全力で声が震えないよう自分の喉を制御しつつ、言い淀みなく問う。
ベンヴェヌートの様子に変化はない。
が――――
「貴方がそこのリチャードに指示してやらせた。違いますか?」
明らかにリチャードは顔色を変え、ベンヴェヌートの方に視線を送っていた。
確信はある。
この男は《絵ギルド》への嫌悪を一切隠していないし、巨匠のエロ同人問題や古典派と幻想派の関係からも、《絵ギルド》の販路拡大が不都合なのは明らか。
リチャードが自分の仕業だって自白したのは、忠誠心を見せる為の自己犠牲だったと解釈出来る。
本当に《絵ギルド》の普及を嫌がっているのは、リチャードじゃなくベンヴェヌートだ。
もしここで否定すれば『敵対する勢力への妨害工作を部下に押しつけたセコい男』の出来上がり。
ナルシスト気質のこの男が、部下からそんな目で見られるのを我慢出来るとは思えない。
「その通りだ。あのような悪書をこれ以上広めない為、私がやらせた」
案の定、認めやがった。
俺はこみ上げてくる笑気をなんとか押さえ込むべく、口元を握り拳で隠す。
「全ては美術大国であり絵画の聖地たるカメリア王国の為。何か問題でもあるかい?」
「いえ。別に何も。貴方がそれをしたと、確認したかっただけですよ」
そう意味深に答え、今度はこっちが背を向ける。
さあ、気にしろ気にしろ。
俺が何か切り札を隠し持っていると疑ってくれ。
「待て。本当に確認だけか?」
……よし、食いついてきた!
自分を大きく見せようとするヤツほど小心者。
昔の俺もそういうトコあったし。
「だから、特に何もありませんよ。ただ……」
「ただ、何だ。言ってみろ!」
ついに語気を荒げたベンヴェヌートに、俺はとっておきの返事をすべく口を覆ってた手をどけ――――
「歪な絵を描く人間の性なのかもしれませんね。歪な行為にどうしても目が行くというか、嗅ぎつけてしまうんですよ。例えば……偽造、とか」
そう告げる。
するとベンヴェヌートとリチャードの二人は、一瞬『偽造』という言葉に明らかな反応を示した。
「だから貴方の師匠の模造作品にもいち早く気付いた、という話です。それだけですよ」
最後は素っ気なくまとめ、完全に二人から背を向ける。
これまでずっと俺の話に介入せずにいたメアリー姫とリエルさんの視線が一体何の話だと問いかけていたが、俺は敢えてそれを無視した。
「……そうか。なら話はここまでだ。リチャード!」
「は、はい!」
ベンヴェヌートはあからさまに不機嫌そうな声で会話を打ち切り、スマートさのカケラもない退場劇によって部屋を後にした。
その後ろ姿が完全に見えなくなった一〇秒後、俺は思いっきり息を吐いて赤絨毯の床にへたり込む。
取り敢えず――――今やれる事はやった。
「あ、あの……ユーリ先生?」
「多分、これで少し時間を稼げるんじゃないかと」
「どういう事なのか、説明して頂けると助かりますわ」
どうやら平常心を取り戻したらしいメアリー姫に対し、俺は一連の会話劇に隠されていた真相について語った。
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