「えっ!? そうなんですか!?」
「そ、そんなに驚きますか……でも、本当に一時だけです。私の母親が絵描きをしていた影響で」
まさかリエルさんに絵心があったとは。
そんな素振りは全く見せてなかったのに。
「でも、父は一人っ子だった私をどうしても騎士にしたかったみたいで……父はカメリア王国でも最大規模の騎士会"赤の騎士団"の中心的存在で、騎士道を貫くような真面目で頑固な人だったので」
「英才教育を受けた、と」
前に『生前からあった遊歩道を――――』とか言ってたしな。
案の定、リエルさんは俺の確信通り、コクリと頷いた。
「画家に興味を持ったのは、そんな父への反抗心もあったと思います。自分の生きる道を自分で見つけたいと、その一心で。でも、そんな理由で長続きする筈もありませんでした。才能もありませんでしたし……母のような技術も、ユーリ先生のような発想力も望むべくもなかったです」
自嘲しながらも、リエルさんは何処か懐かしそうに微笑んでいた。
「だから、ユーリ先生のように画家として成功を収めた人は心底凄いと思いますし、尊敬の念を禁じ得ません」
それは嬉しい。
嬉しいけど……俺に対して好意的な意見を沢山くれる理由がそれだとしたら、ちょっと悲しい。
なんというか……フラグが折れたというか。
いや、立ってた訳でもないけどさ。
俺、この人のこと好きなのかな?
いや、自分のことなんだけど、二一歳にして恋愛経験が皆無なもんで、これが恋心なのかどうかイマイチわからない。
絶対に嫌われたくない、とは断言出来るんだけど。
「……どうしました?」
「いえ。なんでもないです、なんでも」
「?」
リエルさんのことを好きかどうか考えていました、とは言えんわな。
というか、もし彼女のことを好きだとしても、告白とか無理過ぎる。
女性への苦手意識はかなり薄れてきているけど……根治は難しい。
きっとこの気持ちは一生胸の中にしまい込んでおくんだろう。
「そ、それよりも今はリエルさんの話ですよ。本当に才能ないんですか? リエルさん、自分を過小評価してる節があるからイマイチ信じられないんですよね」
「そんなことは……」
「もしよかったら、一度何か描いてみて――――」
俺のリクエストは、言葉の途中でかき消された。
リエルさんの朗らかな笑顔の後ろから発せられている『嫌です』オーラによって。
マズい、嫌われる!
「――――という安易な頼まれ方が一番嫌がられるのを俺は知っている」
「え?」
「イラストレーターはよく頼まれるんですよ。『なんか描いて』って。それって頼まれる方は困るんですよね。何を描けば喜んで貰えるかわからないし。うん、実に良くないオーダーです。そんなの頼むべきじゃない」
「そ、そうですよね。私も気を付けます」
あんまり誤魔化しきれていない気もするけど、まあいい。
さっさと話題を変えよう。
「その、画家への未練はないんですか?」
「はい。今は騎士としての自分を誇りに思っています。アルテ殿下やメアリー殿下とは子供の頃から親しくさせて頂いた縁もあって、未熟ながらお二人のお世話や護衛という身分不相応な仕事に就かせて頂いていますし」
それは確かに伝わってくる。
だからこそ、過去の事を笑って話せるってのもあるだろうし。
「でも……不安はいつもあります。騎士というお仕事を、私は自分で掴んだ訳じゃありません。好きで始めた訳でもありません。両殿下を守りたいとか、責任を果たしたいとか、そういう意思は強く持っているつもりですけど……」
それでも、リエルさんは心細さを口にする。
まだ若いのに、二人の王女からの寵愛を受け、順風満帆のように見える彼女でもそこから解放される事はないのか。
「私はどうすれば、ユーリ先生みたいに何事にも動じず、信念を曲げずにいられるんでしょう。心の強い人間になりたいです」
彼女の性格上、悪気なんて一切ない、本心の吐露なのは疑いようがない。
ないけど――――
「リエルさん」
「は、はい」
俺にはどうしても、彼女の誤解を解かなければならなかった。
「精神の安定したイラストレーターなんて、ごくごく一部なんですよ」
「え?」
「何事にも動じない、信念を曲げない、心の強い……そんなイラストレーターなんて、ほんの一握りの人達だけなんです!」
そう吠える俺に、リエルさんの丸くなった視線が固定される。
「あくまでも持論であって一般論じゃないですけど、多分大きくは間違ってないと思います。この国の殆どの画家もそうでしょう。みんな、不安と隣り合わせなんです」
「で、でも、特別な才能を持った人達ですよ?」
「才能なんて、そんな目に見えないモノを拠り所になんて出来ませんよ!」
まして、俺は一度落ちぶれた身。
才能なんてあったら、そんな思いしなくて済んだだろう。
元いた世界にとっての当たり前が、この世界では新鮮で斬新で独創的――――そういう夢のような幸運があったからこそ、今の俺はリエルさんの目に強く映っているのかもしれない。
でも――――
「一度称賛や喝采を受けたからといって、それが続くとは限らない。次の日には酷評されているかもしれない。仮に高評価を受け続けても、突然絵が描けなくなるかもしれない。現に、古典派の巨匠も今はパッとしないって言われてます。毎日、目の前に落とし穴があるかもしれないって思ってますよ。心を強く持つなんて無理です。ビビリながら生きるしかないんです!」
「え、えっと……」
「力のない絵描きは称賛より罵声の方が多いから、打たれ強くはなるでしょう。でも結局、成功体験が少ないから自信が持てません。何かしら、みんな弱い部分を持って生きていくしかないんです。俺なんて劣等感だらけですよ。技術はないし、風景も下手だし……」
そう力説しつつ、俺は自分の中にあった不安の種から次々と芽が出てくるのを自覚した。
《絵ギルド》の成功で、精神的にこれ以上ないくらい高揚していた時にはすっかり陰をひそめていたコンプレックスが、これを好機に牙を剥いてくる。
「俺もリエルさんと同じで、イラストレーターになりたくてなった訳じゃないんです」
「……そ、そうなんですか?」
その中でも、最も獰猛なヤツが蛇のように俺の身体へと巻き付き、締め付けてくる。
そいつの正体は――――マンガ家を目指し、挫折した過去の記憶。
当時を思い出すと、窒息しそうなほど息苦しくなる。
苦しみ身悶える俺を、リエルさんはどう思うだろう?
引かれるかもしれない。
失望されるかもしれない。
でも――――この人には、素の自分を見て貰いたいという願望もある。
リエルさんが見ている俺は、彼女が理想化した俺。
それはずっと感じていた。
そうじゃない、本当の俺はこうだよと、ずっと言いたかった。
「俺も……なりたいモノになれなくて、妥協してイラストレーターになったんです。それが俺の出発点。だから、リエルさんの気持ちはわかります。でも俺は、リエルさんみたいに今の自分の仕事を誇りには思えないですけど」
所詮は元いた世界のスタンダードをこの世界でやっているだけ。
成功していても、そこが根底にある以上は心の底から喜べない自分もいる。
《絵ギルド》が沢山売れたと初めて聞いた時、俺は泣いて喜んだ。
あの時の気持ちに嘘はない。
本当に、人生で一番の歓喜だった。
でも、時間が経てばその記憶と感情は薄れて行き、『でも結局俺の力じゃないよな』という難癖が自分の頭の中に響いてくる。
《絵ギルド》が持て囃されるほど、その声は大きくなる。
これまでは耳を塞いでいたから、最小限に抑えられていた。
今はついに種から芽を出し、俺に襲いかかっている。
俺は――――
「……けど、そんな俺を必要としてくれる人がいるんですから、やるしかないですよね」
決して自力ではなく他力本願に限りなく近い形で、その獰猛なヤツをねじ伏せた。
強さじゃない、奸智だ。
でも、本音でもある。
ジャンは俺を頼ってくれた。
アルテ姫も。
そしてメアリー姫もだ。
俺の画力や技術なんて、別にどうでもいい。
身につけられるのならそれに越したことはないけど、それより大事なのはイラストレーターの俺を必要としてくれる人達に何が出来るか、だ。
「きっと、多くのイラストレーターがそうだと思います。自分の絵を理解してくれる人、好意的に見てくれる人……それもありがたいですけど、一番心の支えになるのは必要としてくれる人の存在です。仕事をくれる人と言い換えてもいい。俺らに社会の中で居場所をくれるのは、そういう人達であり、オーダーなんです」
心の強さ弱さは関係ない。
俺が大事にしなきゃいけないのは、そういうものだ。
「俺や世の中の画家の人達が強く見えるのは、そういう人達がいてくれるからだと思います。でもそれは心の強さとは違うんです。リエルさんにもそういう人達がいるじゃないですか。だったら弱くても、きっとやっていけますって」
ここまで熱弁をふるった俺は、リエルさんが最初に言っていた『狙われると知っても動じないのがスゴい』に対して何の答えにもなっていない事に気づき、かなり的外れな上に若干上から目線で締め括った自分が恥ずかしくなって、どんどん体温が下がっていくのを感じていた。
……またやっちまったよ!
この感じ、元いた世界でイラストレーター同士のオフ会で自分語りをしてドン引きされた時にそっくりだ。
ぜ、全然学んでねえ……
「ユーリ先生……」
リエルさんが久々に口を開く。
沈黙が長かったって事は、呆れていたのか、ドン引きしていたのか。
うわ、聞きたくない!
続き聞きたくない!
「あ! もうこんな時間だ! 仕事を再開しないと!」
「え?」
「すいませんリエルさん、そんな訳なんで、今日はこの辺で!」
「え、えっと……わかりました。お邪魔してしまってすいませんでした」
最終的に、かなり強引にリエルさんを退出させる事で俺は自分の心を守った。
……こんな俺の心が強い?
笑い話にもならない。
ともあれ――――
「……仕事しよ」
色々と棚上げしつつ、俺はすっかりリフレッシュとは真逆の方向で煮詰まっている頭をかき回す心持ちで机へと向かった。
その直後。
「大変だーーーーーっ! 亜獣が、亜獣がまた出たぞーーーーーーっ!」
窓の外から、そんな切羽詰まった声が聞こえてきた。
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