……ま、よくよく考えたら男との再会に劇的なドラマやカタルシスなんか要らんか。

「ってか、なんでお前がここにいるんだよ。副支配人なんだろ?」

「いやいや、切り替え早いよユーリ……こっちはまだ混乱中だから。イヴ、君が連れてきたのかい?」

「ええ。彼、思いの外真相に近付いているようだから。それなら早い内に対応しておいた方が良策」

「いや、例えそうでも古典派の動きが……とにかくリチャードにバレないよう、受付の口止めをしておかないと」

 俺を放置し、ジャンとイヴさんは真剣な顔で討論を始めた。
 この二人がハイドランジア四英雄なのは知ってるし、となると顔見知りなのも当然だ。
 だけどこの感じだと、なんか単に元同僚ってだけじゃなさそうだ。

「何にしても、ユーリ。久々だね。元気してた?」

「……元気してた、だと?」

 ああ、久々だ。
 この飄々とした感じ。
 今ようやくジャンと再会した実感が湧いた。
 湧いたら湧いたで、今度は別の感情が湧いてきたけど。

「お前な! こっちがどれだけ苦労したと思ってんだ! 王都から帰ってきたらハイドランジアは乗っ取られてるし、お前は敵陣営に取り込まれてしょっぱい対応しやがるし! こっちはお前と会うだけの為に寄付金まで稼いでたんだぞ!」

「寄付金……? そうか、総合ギルドに寄付すれば僕がギルドを代表して感謝の意を伝えに来れると思ったんだね。流石はユーリ、発想が豊かだ」

「……」

 頭の中でピキッと何かにヒビが入った音が聞こえた気がした。
 理性の決壊、その音だ。

「……そういえば、前に約束したっけな。ハイドランジアを守れなかったら利き手で殴る、って」

「あ、やっぱり覚えてた?」

「今思い出したんだ。こいつ殴りてーって思ったからかな」 

 細い俺の右腕に込められる力なんてタカが知れている。
 それでも俺は、感情にまかせて握り拳を作った。

 すると――――

「待って」

 その俺の右手を冷たい手が唐突に包み込む。
 イヴさんの手だ。
 まるで血が通っていないような、ゾッとする冷たさだった。
 俺の頭に上った血まで下げてしまうほど。

「イヴ、君が止めるのは筋違いだ。これは僕とユーリの問題……」

「これを」

 真剣な顔で非難するジャンを無視し、イヴさんが俺の右手に手渡してきたそれは――――コルク状に巻かれた包帯だった。

「そこの男を殴るのに、貴方の利き腕を痛めるのは不釣り合い」

「成程、バンテージですか。これはいい」

「あ、止めるんじゃないんだね……」

 ジャンの顔が引きつる中、俺はイヴさんから受け取った包帯を拳に適当に巻きつけ、そしてジャンの脳天に鉄槌を下した。

「よし、これで一区切りだ。んで一体、これはどういう事なんだ? ちゃんと説明してくれよ」

「痛つつ……思いっきり殴っておいて進行が早いよユーリ……」

 暫く頭を抑えて蹲っていたジャンだったが、やがてヨロヨロと立ち上がる。
 そして大きく溜息を吐き、微かに微笑んだ。

「そうだね……何から話そうか。やっぱり僕の事を最初に話しておく方がいいかな」

「その方がバンテージを巻き直す手間が省けていいな」

「それは勘弁して貰いたいね。まだ頭がズキズキするし……君やルカ達との接触を断ったのも、それなりに理由があるんだ」

 ジャンの物言いは、単にパオロやリチャードから隔離されていた訳じゃなく、自分の意思で俺達を避けていた事を意味していた。
 更に――――

「けど……僕は君に謝らなくちゃいけない事がある。僕は君を欺いていたんだ」

 欺いていた、と来たか。
 まさか、ハイドランジアを売ったのもこいつ自身の……

「あ、最初に言っておくけど、ハイドランジアの吸収合併は僕の本意じゃないよ。君の国に『寝耳に水』って表現があるらしいけど、それ」

「相変わらず、いつ教えたのか覚えてないような諺を器用に使いこなしやがって」

 そうボヤきつつも、俺は心底安堵していた。
 共に過去の自分へ報復を誓った仲間。
 それが根底から覆されるとなると、ちょっとショックが大き過ぎる。

「ユーリを欺いていたのは、僕の"もう一つの顔"について。僕はハイドランジアの受付をしながら、別の仕事もしていたんだ」

「もう一つの顔……?」

「そう、もう一つの顔。それは……」

 それは――――

「亜獣を監視し、被害が出ないように食い止める為の"狙撃手"としての顔さ」

「へえ」

「……なんか全然驚いてないね」

 むしろ、打ち明けてきた際のドヤ顔へ苛立つ気持ちの方が強かった。
 だってなあ……以前の亜獣騒動の時に裏でコソコソ動いてたのバレバレだったし。

「で、でもホラ、僕って落ちこぼれで街の人から煙たがられていたよね? そんな僕が裏ではウィステリアの為に暗躍していたって判明したらさ、普通はグッと来ない?」

「来ない」

「……来ないか」

 ジャン、ガチで落胆。
 ちょっと可哀想になってきたけど、いい薬だ。
 こっちだって本気で心配してたってのに、こいつは……

「……」

 なお、イヴさんは俺とジャンのやり取りに背を向けていた。
 肩が震えている辺り、もしかしたら笑いを堪えているのかも知れない。

「でも、落ちこぼれってのが嘘だったんなら、ちょっとアレだな。散々『僕達は落ちこぼれ同士、仲間だね!』って言ってたのにはハラワタ煮えくり返るな。お前、さては心の中で『仲間じゃねーよバーカ』とか思ってたんじゃないだろな?」

「それは誤解だよ。僕が別の仕事を請け負ったのは、パオロが総合ギルドの代表に就任してからの話さ。それまでの僕は完全に"堕ちた元英雄"だった。君と似た境遇のね」

 眉尻を下げ、苦笑交じりにジャンはそう漏らした。

「そして、僕をその境遇に貶めた人物だけど……もしかしたら、ユーリも王城で会っているかもしれない」

「え……? それって、お前の元ビジネスパートナーの事か?」

「そう。僕の名を騙り、裏の仕事を請け負って僕を失墜させた人物。その名前は……」

 なんとなく、俺は答えを聞く前から思っていた。
 ああ、こう繋がるのか、と。

「ベンヴェヌート=ヴァスィリキーウシクィイ」

「やっぱりか」

 もう驚きもしない。
 如何にも、あの野郎がやりそうな事だし。
 それに確か自伝好きだったよな、あいつ。
 ジャンのエセ自伝を書かせたのも、あの野郎の画策だったって訳か。

「どうやら面識があったみたいだね」

「ああ……お城でちょっとな。それについさっき再会したばかりだ」

 嘆息交じりに吐き捨てた俺の言葉を裏付けるように、イヴさんが一つ頷く。

「……俺の部屋の会話、盗み聞きしてました?」

「偶然借りていた部屋の隣で話し声が聞こえてきただけ」

「いやいや、そんな偶然はあり得ないでしょ」

 白い目をしてやった結果、イヴさんは暫く抵抗を見せていたが、やがて諦めたように小さく息を吐き――――

「……数多ある目的の一つに、貴方の動向を探る上で都合の良い部屋割という意識があったのは認める」

 気怠そうにそう白状した。

「イヴは一人の画家としても、君をかなり意識してるみたいだね。君がどんな創作活動をしているか気になっていたみたい――――」

「余計な事を言わないで欲しい」

 ジャンの言葉は途中でイヴさんに止められたものの、どうやらストーキングというよりはライバルのチェックというニュアンスみたいだ。
 それなら光栄な話。
 まだ若干の苦手意識は残るけど……

「でも、目的が複数あったのは事実なんだ。イヴ、ベンヴェヌートがユーリと接触したって話は本当なんだね?」

「ええ。ただし接触を試みたのは彼にではなく、彼と共にいたメアリー=ヌードストローム王女」

「!」

 メアリー姫の名前が出た瞬間、ジャンの顔色が変わった。

「彼女がこの街に……だとしたら、想定以上の速度で最悪のシナリオが進んでるみたいだね」

「最悪のシナリオ?」

「古典派がこのカメリア王国を乗っ取る、そんなシナリオだよ」

 それはまさに、さっき俺がメアリー姫達と一緒にベンヴェヌートから聞かされていた話と一致していた。
 って事は、あの野郎の話はハッタリじゃなく真実?
 もし国王交代劇が事実なら、アルテ姫やメアリー姫、それにリエルさんは一体どうなるんだ……?

「厳密には、まだそうとは確定していない」

 血の気が引いて倒れそうになった俺を支えるかのように、イヴさんが口を開いた。

「古典派がクーデターを企んでいるのは事実。近日中に実行する可能性が高いのも事実。でも今それをしても、年輩層以外の国民からの支持は得られない。あの男は、クーデターを確実に成功させる最後の一ピースを求めてここへ来たと考えるべき」

 最後の一ピースを求めて……国民からの支持を得る為……
 ふと、あの男がやたら自分で今回の亜獣騒動を解決したがっていたのを思い出す。
 亜獣からウィステリア市民を救い、逆に亜獣に魅入られている現国王を非難すれば、それは大きなアピールになるよな。

「亜獣絡みですか?」

 そう口にした刹那、俺は全く同じ文言をついさっき口にしたのを思い出した。
 もしや、イヴさんが俺をここに連れて来たのは、俺がこの事実に気付いていると誤解して……?

「……今気付いたような言動だけれど」

「気の所為です、気の所為。あーそうか。亜獣か。やっぱり亜獣だよなあ」

 終始棒読みの対応になってしまったのはともかくとして――――あの野郎の目的がようやく判明した。 
 でも、だとしたらあいつ、亜獣の出現情報を逐一チェックしてたのか。
 その執念、画家より政治家の方が似合いそうだな。 

「にしても、あのナルシストが随分と危ない橋を渡るんだな。亜獣の出現した街に自ら乗り込むなんて。顔に傷でも付けられたら発狂しそうな性格なのに」

 ほぼ皮肉のつもりで吐いたその一言。

「貴方は亜獣を誤解している」

 それが――――予想外にイヴさんを刺激した。
 ズイッと顔を寄せてきて、戸惑う俺にお構いなしに話を続けてくる。

「いえ、貴方だけじゃない。この国の殆どの人間、王族さえも、亜獣について大きな誤解をしている」

「ご、誤解……ですか?」

「亜獣は決して危険な生き物じゃない。他の動物と同じ生き物。少なくとも人間を襲うような真似はしない。先に襲われない限りは」

「あ、ああ。確か陽性亜獣以外の亜獣はそうだって話でしたね。でも……」

「陽性亜獣など存在していない。今も、昔も」

 昔……も?

「それについては、僕に大きな罪過がある。僕の責任だ」

「いや、まだ全然整理出来てないのに罪悪感を語られても困るんだが……」

「イヴの言う通り、陽性亜獣なんて最初からいなかったんだ」

 ……はあ?
 陽性亜獣という人を襲う亜獣がいて、国民を恐怖のどん底に突き落としたんじゃなかったのか?

「人を襲う怖い亜獣はいないと国民に信じて貰うには、普通の亜獣とは違う別の攻撃的な亜獣がいて、それが絶滅したと伝えるのが一番効果的だ。そういう思惑もあって、陽性亜獣の提唱は黙認された」

「なんだよ、その回りくどいやり方。だったら最初から亜獣は安全な生き物ですって言えば……」

「それが無理だったんだ」

 ジャンは俯き、拳を一瞬グッと握って、溜息を吐くかのようにポツリと漏らす。

「亜獣による被害は実際に深刻だったから。僕の故郷の〈ユーフォルビア〉も、亜獣によって滅ぼされた」

 それは、ルカから以前聞いていた内容と一致していた。
 俺がジャンに同情して、見捨てないように仕向ける為のルカの嘘――――なんて疑いは持っていなかったけど、これで裏付けもされた格好だ。
 
「その様子だと、知ってたみたいだね。ルカから聞いていたのかい?」

「ああ。その……苦労したんだな、お前」

「君ほどじゃないよ。一応、地続きの場所で再出発出来たからね」

 妙な謙遜をしつつ、ジャンは肩を竦める。
 そうは言っても、俺が故郷と袂を分かったのはもう大人と言える年齢。
 一〇歳で自分の力だけで生きて行く事になったジャンとは比べものにならない。

 一体何を原動力にすれば、そんな過酷な環境に耐えられるのか。
 何がジャンを強くしたのか。

 何が――――
 
「なあジャン。お前、亜獣を恨んでるのか?」

 思わず、そんな間抜けな質問をしてしまった。
 恨んでない訳がない。
 でも、もしこいつが亜獣への憎しみを原動力にここまで来たのだとしたら、そのジャンが口にする"報復"ってのは、俺とは違うものになる。
 ジャン、お前は一体何を思って、俺と――――

「いや、恨んではいないよ」

 そんな懸念を一笑するかのように、ジャンは飄々と言ってのけた。
 ……何だこいつは。
 本当に何なんだこいつのお人好しっぷりは!

「お前な! 自分の故郷が滅ぼされたってのに……!」

「この件については、僕も散々悩んだよ。正確には『もう恨んではいない』。少なくとも、その理由がなくなったからね」

 理由がなくなった……?
 俺は妙に怒りっぽくなってる自分を自覚しつつ、頭を掻き毟ってどの怒気を抑え、ジャンの話の続きに耳を傾けた。

「さっきも言ったけど、陽性亜獣は存在しなかったんだ。亜獣は決して、人間を能動的に襲ったりはいない。ただ、先に手を出されれば当然反撃をする、自分や家族の身を守る為にね」

「そりゃそうだろうけど……」  

 って事は、ジャンの故郷の村人が先に亜獣を襲ったってのか?
 俺はあのフクロウみたいな亜獣しか知らないけど、あんなデカいのを率先して襲うなんてちょっと考えられないぞ。

 いや……待て。
 前にこの街にあのフクロウ亜獣が来た時の事を思い出せ。
 あの時は、街の人間が亜獣の子供を連れてきたのが原因だった。

 まさか――――

「君の想像通りだよ」

 生意気にも、ジャンは俺の頭の中をわかり切っているように頷きやがった。

「子供の亜獣を村の狩人が捕まえたんだ。白い身体で目の赤い、よく跳ねる耳長種亜獣だった」

 それ、完全にウサギだ。
 王城のアニュアス宮殿に飾ってあったイヴさんの絵のモチーフになってた亜獣か。
 実物を想像すると一瞬和むけど、あの人間の何倍ものサイズで跳ね回るとか……恐ろし過ぎるぞ。

「きっと亜獣は単に子供を取り返しに来たんだろう。あの時の有翼種亜獣は一所に留まっていたから被害は最小限で済んだけど……」

 ジャンの故郷の村は甚大な被害を受け、壊滅した。
 そしてジャンの母親は絶望し、ジャンを親戚に預け蒸発した。
 ……なんともやりきれない話だ。

「当時、僕は亜獣の悪意で村が滅びたと聞かされていたし、亜獣を恨んでもいた。陽性亜獣の存在も信じて疑わなかった。冒険者ギルドに陽性亜獣討伐の話が来た時は率先して受けたよ」

「でも真相は違っていた……そうなのか?」 

「うん。亜獣が人里を襲った例は幾つもある。でもそれは全て、先に人間側が亜獣を刺激した結果なんだ。僕がそれを知ったのは、陽性亜獣に指定された亜獣を殲滅した後だった……」

 そう述懐するジャンの顔は、苦痛に歪んでいる。
 無理もない。
 復讐のつもりで挑んだ戦いが、実はなんの罪もない生き物を殺していただけだった――――なんて、余りにも後味が悪すぎる。
 でも故郷が滅ぼされた事実は変わらない。
 怒りのやり場が何処にもないのは、辛過ぎる。

「そもそも、陽性亜獣ってのは誰がでっち上げたんだ? この件まであのナルシスト野郎じゃないだろな」

「いや……違うよ」

 俺の懸念を否定したジャンの顔は、これまでの苦痛とは違うニュアンスの表情だった。
 何か歯切れが悪いというか、迷ってるというか……

「今更隠すのは止めてくれよな。ここまで話したんだから、全部話せよ」

「ジャンは貴方が戸惑うと思っている」

 会話相手がイヴさんに交代するも、俺は今一つその理由にピンと来ていなかった。

「戸惑う? 俺が陽性亜獣をでっち上げた奴の正体を知ったら?」

「恐らく」

 って事は、俺の知ってる人、それもある程度は親しい人って事か。
 ……ええい、だからどうした!
 ここまで来て『それじゃ止めとくわ』なんて言えるか!

「いいよ。聞かせてくれ」

「そう。なら遠慮せずに言うけど」

 イヴさんはジャンの方を一瞥した後――――

「陽性亜獣の最初の提唱者は、メアリー=ヌードストローム王女」

 いともあっさりと、そう答えた。









   a ruined illustrator's records of right requital in a parallel universe

                         chapter 3




                -the disappearance of ruled lines-







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