翌日――――

「……ダメだ。なーんにも浮かばない」

 朝から宿の自室で机に向かっていた俺は、コンテスト用の絵を描く予定の白紙から逃げるように天井を仰いだ。

 突然のベンヴェヌートの乱入、イヴさんによる強制連行、そしてジャンとの再会。
 そんなイベントてんこ盛りの一日が過ぎても事態の進展はなく、相変わらずフクロウ亜獣は朝夕の二回、ウィステリアの上空を飛び交っている。
 その所為もあって、俺は明らかに集中力を欠いていた。

 そんなモヤモヤした気分の時には、仕事もまず上手くいかない。
 こういう時は気分転換に限る。

「外出ですか? お気を付けて行ってらっしゃいませ」

 フロントに鍵を預けて、ルピナスの街を少し歩く事にした。
 今は昼前だから一応、安全な筈だ。

 いや……今に限らず、もしかしたら常に安全なのかもしれない。
 少なくともジャン達はそう確信している。
 あいつらの主張通りなら、亜獣は安全な生き物で、刺激しない限り決して人を襲わないらしいから。

「……」

 俺は昨日の総合ギルド内でのジャン達とのやり取りを思い出し、青空と雲の断片しかない真上を眺めていた。

 


「……メアリー姫が? 嘘でしょ?」

 陽性亜獣という存在を捏造したのが、あの親思いで誠実なメアリー姫――――
 イヴさんからその話を聞いた俺は、信じられないという思いと同時に、ある種の納得も覚えていた。

 陽性亜獣の存在が認定されたのが、確か今から五年ほど前の事。
 実際には人間が先に仕掛けたのが原因とはいえ、亜獣による被害はかなり出ていたのも事実であり、王宮の中で亜獣への敵対心が増幅していたのは想像に難くない。
 しかも、当時既に国王は亜獣に魅入られていた。 
 その頃はまだ子供と思われるメアリー姫が、国民と父親を愛するあの人が、亜獣に対して強い怨みを抱いてしまうのは仕方なかったんだろう。

「紛れもなく事実。ただし、メアリー王女は陽性亜獣という概念を提唱したに過ぎない。要は『通常の亜獣とは違う、率先して人を襲う亜獣がいるのでは』と思いついただけの事。実際に陽性亜獣の存在を吹聴し、討伐の必要性を説いた人物は他にいる」

 少なからずショックを受けていた俺をフォローするかのように、イヴさんは話を続けていた。

 そうだよ。
 幾ら王女でも、当時まだ子供のメアリー姫がそこまで強い指導力を発揮出来るとは思えない。
 本当の意味での黒幕は他にいる。
 その人物の名は――――

「ゴットフリート=カミーユ=サージェント」

 イヴさんでもジャンでもなく、別の人物によって語られた。

「随分とカッコいいタイミングでの登場だね。狙ってたのかい?」

「一応、名目上はオレの部屋だ。盗み聞きしたとしても問題はないだろう」

 そう――――この総支配人室の主パオロ=シュナーベルだ。
 パオロは真顔のままジャンに軽口を返し、俺の方に相変わらず厳しい目付きの視線を向けてきた。

「巨匠宅以来だな。忠告の意味を多少は理解出来たか?」

「……おかげさまで」

「古典派は歴史ある由緒正しき分野だが、その絵を描く連中は歴史の重みほど堂々とはしていない。クセのある連中ばかりだ。ゴットフリートも例外ではない」

 俺はそのゴットフリート殿下と一度、王城で会っている。
 確かにクセのある人物だったけど、何かよからぬ事を企みそうな人には見えなかった。
 あの人が、亜獣は人間を襲うという間違った認識を広めた張本人だってのか?

「サージェント家は何代も前から古典派を支援し続けてきた。だからこそ、ゴットフリートはわかっていたのだろう。古典派の絵が今後廃れる事はないにしろ、支持層は減少の一途を辿ると。手立てが必要だったのだ。自分の立場が安泰のまま、国の頂点に立つ為にはな」

 パオロの説明は、確かに筋が通ってはいた。

 古典派が若者の支持を得られていない現状は、これまでも何度か耳にしてきた。
 そしてこのカメリア王国が芸術、特に絵画に関してとてつもなく注力しているのも知っている。
 俺の感覚では、芸術分野の盛衰が政治経済の分野にまで多大に影響するなんて到底思えないけど、この国ではそれが常識なんだ。

「その手立てっていうのが、陽性亜獣だった……?」

「そういう事だ。奴はわかりやすい"国民の敵"を作り、その敵を倒す事で国民からの支持を集めようとした。その敵に設定したのが、歴史上真新しい存在の亜獣。そこに新たな分野たる幻想派を重ねているのだろう」

「新勢力=幻想派=国民の敵、旧勢力=古典派=国民の味方、って意識を国民に擦り込ませようとした、って事だね」

 ジャンの補足もあって、パオロの説明はほぼ理解出来た。
 そして、そんなゴットフリートの意向を汲み、古典派の新鋭画家として売り出し中のベンヴェヌートが張り切って動いている。
 成程、わかりやすい構図だ。

「つまり、僕達はゴットフリート殿下の野望に体よく利用された可能性があるんだ。四英雄の仲間としてね」

「……ん? 仲間?」

 その表現に違和感を覚え、俺はジャンに解説を求める目を向けた。
 だが、返ってきたのは女性の声。

「ここにいる三人と、ゴットフリート=カミーユ=サージェント。それがハイドランジア四英雄の内訳」

 そんなイヴさんの、心底嫌そうな声だった。

「……マジで? だってあの人、王様の親戚でしょ?」

「そうだ。本来ならば国の軍隊を率いる立場だが、亜獣討伐の為には冒険者ギルドの経験が頼りだと、自らギルドへ入隊してきた」

 な、なんだそりゃ。
 ゲームやラノベなら主人公張れるレベルの経歴じゃねーか。
 その正体が悪役だったら、ちょっとヤだな。

「利用されたと感じたオレ達は当然、奴に詰め寄ったが……適当にはぐらかされ、それどころかオレとジャンは地方に飛ばされた。しかもジャンに関しては、御丁寧に土産まで受け取ったようだ」

「ジャンが落ちぶれた原因か」

 そしてそれをベンヴェヌートに指示したのも、ゴットフリート殿下――――パオロはそう目しているらしい。
 ジャンも歯切れは悪いけど、その意見に同調しているように感じる。
 個人的には、あの人にそんな悪印象はないんだけど、仲間として共に戦った二人の見解を翻すだけの材料は俺にはない。

「過去の話は大体わかったよ。で、アンタ達は今、何をしてるんだ? ジャンが俺達を避けてた理由もそこにあるんだろ?」

 ハイドランジア四英雄の内の三人が、総合ギルド〈ハイドランジア〉に集結している。
 何もない訳がない。

 一体、どんな企みを――――

 


「あのう! ユーリ先生! ユーリ先生!」

 ……っと、なんだなんだ?
 気付けば俺の身体は何者かによってユサユサと揺さぶられていた。

「そのう、無視は酷いと思います。イジメはカッコ悪いですよう。あんまりですよう」

「あ」

 いつの間にか、エミリオちゃんが俺の隣にいて涙目になっていた。
 心ならずも無視した格好になっていたらしい。

 何しろ、このルピナス……というよりリコリス・ラジアータには自動車も信号機もない。
 馬車はあるけど通る頻度は少ないから、考え事しながら歩きやすい環境なんだよな。

「悪い悪い、ちょっとボーッとしてたんだ。エミリオちゃんは仕事?」

「あのう、はい。この辺りで怪しげな人物がいるとの情報があったので、調査に」

「……それって冒険者の仕事なの?」

 警察……この世界では憲兵とか自警団とか言うんだっけ、とにかくその手の職種の仕事じゃないのか?

「一応、幽霊の可能性もあるので、私に白羽の矢が立ちました」

 そういえば、エミリオちゃんって除霊が出来るんだったな。
 すっかり忘れてたけど。

 ついでに思い出した事が一つ。

「エミリオちゃん、国王様のサイン入り立ち退き状の証拠集め、進んでる?」

「ひええ」

 この様子だと進んでないな。
 ま、既にメアリー姫から裏取ってるし、問題はないけど……

「あのう、そのう、あのう」

「ん? どうしたの」

「実は……調査中に黒い服を着た怖い人に『余計な事に首を突っ込んだらその首取れちまうぜ』とか言われまして……とほー」

「あー、脅されたかー」

 なんというか、露骨だな。
 状況証拠なんて幾らでもくれてやるって姿勢、ある意味潔し。

「お仕事も少ないし、肝心のジャン様とも会えないし……わたし、どうしたらいいものか」

「じゃ……んぐっ」

「そのう、どうされました?」

「いや、なんでも」

 思わず、ジャンとは昨日会ったよって言いそうになった。
 いや、本当なら言ってあげたいんだけど……口止めされてるんだよな。

 ハイドランジア四英雄の三人が集まって、何をしているのか――――その中心にはやっぱり"亜獣"の存在があった。

 ジャン達は今、国内全土に自分達の同士を派遣し、亜獣の動向に目を光らせている。
 現状では殆ど機能していない亜獣被害対策検討委員会の代わりを務めているらしい。
 それは亜獣から人間を守る為というよりは、亜獣をこれ以上人間の敵にしたくないという思いから、とパオロは言っていた。
 ジャンだけでなく、彼もまた罪悪感に耐え続けている一人なんだろう。

「あのう、実は転職も考えてるんです。冒険者のお仕事だけでは食べていけそうになくて」

「耐えるのは辛いよな」

「そうなんです。ひもじいのに耐えるのは辛いんです」

 で、将来的にはハイドランジアのあるここルピナスに亜獣対策の拠点を設ける予定らしい。
 その拠点の受け皿となるのが総合ギルド。
 パオロが代表に就任したのも、その為の第一歩だ。
 ただしこの配置は、単に亜獣対策の為だけじゃない。

 ジャン達が亜獣対策と並行して行っている――――古典派への牽制と抑制の為だ。

 亜獣を国民の敵に仕立てた古典派は、ジャン達にとって敵対すべき相手。
 特にイヴさんは幻想派とあって、色んな意味で対立しているみたいだ。
 その古典派が実質支配していた総合ギルドを正常化させるのは、最優先課題の一つだったそうな。

 リチャードに取り入る形でパオロが総合ギルドの代表となり、ハイドランジアのジャンと連携をとりつつ古典派の増長を防ぎ、なおかつ亜獣対策を進める――――そんな計画だった。

「そのう、わたしが転職するとしたら、どんなお仕事がいいと思いますか?」

「幾ら事前に計画を立てても、中々上手くはいかないんだよな」

「ひああ、そうなんです。わたし、いつも計画倒れで……」

 パオロの誤算は、ジャンが落ちぶれていた事と、そのジャンが市長の息子リチャードにやたら嫌われていた事。
 連携が困難と知ったパオロは、リチャードに『奴を俺の下で働かせれば、これ以上ない屈辱を与えられる』と吹き込み、ジャンを総合ギルドへと招き入れる事に成功した。

 でも、誤算は他にもあった。
 古典派が予想以上にウィステリア、そしてルピナスを注視していた為、とても動き辛い状況になってしまっていた。

 その元凶は――――《絵ギルド》。

 どうもアルテ姫が《絵ギルド》の絵を模倣している事も古典派は把握しているらしく、連中の中では《絵ギルド》が幻想派の切り札的存在って位置付けになっているらしい。
 なので、かなり早い段階で《絵ギルド》の関係者、及びその発信の地となったルピナスをマークしていたそうな。
 
 ジャンが俺達を避けていたのは、その監視の目を逃れる為。
 パオロとジャンは、古典派の言いなりである市長とその息子リチャードの下で働いている形で総合ギルドの要職に就いている。
 なのに《絵ギルド》の関係者と密会でもしてる所を古典派に見つかれば、計画は水の泡だ。

 ……まさか俺の作品がこんな物騒な争いに影響を与えていたとは。

「いっそのこと、今もお手伝いをしているルカさんの印刷所でお世話になろうかと……でも、なんというか、軍門に降った的な感じがして……」

「幾らなんでも大事にし過ぎた」

「そ、そうでしょうか。考え過ぎでしょうか。うーんうーん」

 そんな唸りたくなるような悪条件が重なって、一回目のフクロウ亜獣騒動の時にはお粗末な対応になってしまったという。
 そして今回、二回目の騒動が起きてしまった。
 ただ、今回の騒動は一回目とは質が違うかもしれないとジャン達は見ている。

 ジャン曰く――――

『今回の有翼種亜獣の出現と、ベンヴェヌートの来訪のタイミングが合致し過ぎているんだ』

 確かに、余りにも都合の良いタイミングでの登場だった。
 しかも、フクロウ亜獣がウィステリア上空を飛び交っている理由も謎のまま。

 もしかしたら、古典派の連中がなんらかの方法で有翼種亜獣を刺激したのかもしれない――――ジャン達はそう睨んでいるようだ。
 要は、陽性亜獣をでっち上げたのと同じマッチポンプだな。
 現在はその調査を進めつつ、ベンヴェヌート達が亜獣を刺激しないように裏でコソコソと動いているらしい。

 そんな訳で、情報漏洩の観点からジャン達の行動や方針は口外しないようにと頼まれている。
 その上で、俺自身にも下手に動くなと釘を刺されてしまった。 
 イヴさんが俺をジャンと引き合わせたのも、俺がある程度核心に迫っていると誤解し、変にかき回されるのを嫌ったからみたいだ。
 一回目のフクロウ亜獣騒動の前科があるだけに、反論も出来ない。

 今のモヤモヤした気分の主な原因は、ここにある。
 ジャンの事をルカやエミリオちゃんに言えないだけじゃなく、亜獣に関する一連の情報をメアリー姫とリエルさんに話せない。
 なんか妙なところで板挟みになっちまった。

「あれ? あそこ、挟まってる人がいます」

 そうなんだよ、挟まって抜け出せそうにない……

「……ん?」

 エミリオちゃんが指摘したのは、俺の抱える歯痒い事情――――である筈もなく、それは文字通り物理的に挟まっている人物を指し示す言葉だった。
 表通りの反対側に面したパン屋と、その隣の建物を囲む壁との間。
 遠くだからハッキリとは見えないけど、人間が通れそうにないくらいの狭いその間に、人影らしきものが見える。

「あのう、あれってもしかして……」

「見るからに不審者だね。少なくとも幽霊じゃなさそうだ」

 壁に挟まる幽霊なんていたら、幽霊のアイデンティティが崩壊しちまう。
 パンを盗もうとした泥棒かもしれない。
 何にしても、エミリオちゃんが調査していた怪しげな人物の可能性は高そうだ。

「もしやこれは大捕物でしょうか! 大手柄の予感がします!」

「いや、それはまだわからないけど……とにかく行ってみよう」

「はい! 除霊以外でお仕事が上手くいくのは三ヶ月ぶりです! わーい!」

 成功に飢えているらしく、エミリオちゃんは喜び勇んで不審者らしき人影の方へ走っていった。
 仕事が上手くいかない時期の辛さは俺も散々体験してるんで、気持ちはわかる。
 取り敢えず、俺も行ってみよう。

「そのう、この辺りを怪しい人がウロウロしているという通報がありました。あなたがそうですね? 大人しく捕まって下さい」

 既にエミリオちゃんは人影の前に立ち、説得を始めていた。

「誰が怪しい人よ! ひ……わたくしはただ、あっちの窓から良い匂いがしたから入っていったら挟まって出れなくなっただけよ!」

「あのう、続きはギルドの取調室で聞きます。言い訳せずに早く出て来て下さい」

「だから出られないのよーーーーっ! もーーーーっ!」

 ……何処かで聞いた声なんだが。
 咄嗟に言い換えてたけど、一人称が「ひ」で始まる人物に心当たりは一人しかいない。

「どうしても出て来ないのなら、無理矢理引っ張りますよ? えーいえーい」

「ちょっと、止めてよ! 腕が抜けるから! 腕が抜けるからーーーーーっ!」

「……なんで貴女がここにいるんですか、アルテ姫」

 騒々しいやり取りが、俺の一声で急に鎮まる。

「へ? 姫?」

「そ、その声はもしかして……ユーリ?」

 硬直するエミリオちゃんを素通りし、変装用と思しき白粉が涙でえらい事になってるアルテ姫の前に立ち――――俺は深々と溜息を吐いた。









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