ホテルの宴会場と思しき広々とした空間に幾つもの巨大なテーブルが並ぶ中、その一角に盛りつけされた料理はというと、俺達の期待を上回るくらい豪華絢爛だった。
牛フィレ肉のポワレ……っぽい肉料理。
旬の魚の網焼き……らしき魚料理。
帆立貝のムニエル……と良く似た貝料理。
キノコのポタージュ……のようなスープ。
フルーツの盛り合わせ……そのまんまフルーツの盛り合わせ。
とにかく、元いた世界で高級料理という印象が強いフルコースがそのまま並んでる感じだ。
カメリア王国の主食アムンも、かなり厳選された食材で作られていて、普段食べているアムンとは歯ごたえもコクも違う。
加えて、元いた世界にはない食材や料理も半数以上並んでいる。
金平糖をデカくしたような透明感とツブツブのある球体。
巨大魚の目をくり貫いたかのような、デロンとした球体。
ドラクエのスライムみたいな形のぽっちゃりした雫型の物体。
円形のボコボコした生地に銀色の粉が振りかけられた謎の物体。
円や球の登場確率がやけに高い。
よく見るとアムンも円形だ。
「カメリア王国の古い慣習で、お祝い事に円形、球形の食べ物を出すんだよ」
唯一、俺が別の世界から来たと知っているジャンがこっそり耳打ちしてくれた。
一応外国人って設定だから、別にコソコソ話さなくてもいいんだろうけど。
「では、乾杯をしましょう。わたくしが音頭を」
かなり慣れている感のあるメアリー姫の進行に従い、各々がグラスを手にし、掲げる。
「本日ははるばる遠方より……以下略ですわ。乾杯!」
「乾杯!」
流石メアリー姫、見事なテンポだ。
そんな訳で、俺は疲労も吹き飛ぶほどの料理群に手を付けるべく、皿を手に品定めを始める。
「あのう、ジャン様。何が食べたいですか? わたし取り分けます」
「ジャンは……魚料理がダメ……骨を取るのが苦手な子供……子供……」
テーブルの向こう側では、ジャンの両隣でエミリオちゃんとルカがバトルを繰り広げている。
何もこんな場所で張り合わなくても……と呆れつつもその様子をじっと見ていた俺に――――
「ユーリ先生。あらためて、おめでとうございます」
両殿下の料理を取り分け終えたリエルさんが、笑顔で祝福の声を掛けてくれた。
俺は喜びを噛み締めつつ、似合わないとわかってたものの軽くはにかむ。
「でも、まだ勝負の舞台に立っただけですよ。それに、まだ本当の目的も達成してませんし」
「それでも、スゴい事だと思います。本当に……」
うう、照れるな。
リエルさんは俺がベンヴェヌートに宣戦布告した所を見た唯一の人だから、余計に。
この女性はいつも、俺を褒めてくれる。
期待してくれる。
それが例え画家全般への尊敬から来るものだとしても、嬉しい。
俺は――――
「良い雰囲気のところ、申し訳ありませんけど」
突然視界が塞がれ、慌てて顔を引くとメアリー姫の左手がアップで映った。
くっそー、珍しく勇気を出してカッコつけようと思ったのに!
「余り良くない報せがありますわ。夕食の味が落ちる可能性もありますけれど……構いません事?」
ただ、そんな俺の憤りはメアリー姫の真剣な表情で一瞬にして霧散した。
どうやら真面目な話らしい。
「聞かせて下さい」
「よろしくてよ。報せの内容は、カメリア国王杯の審査員の件ですわ」
不意に――――俺だけでなく、その場全員の動きが止まる。
「最終選考作品の審査をする審査員は総勢七名。その内、四人が古典派および古典派の息がかかった人物となりました。わたくしの……力不足ですわ」
全員の注目が集まる中、メアリー姫は険しい顔で瞑目し――――項垂れた。
その様子を見かねてか、リエルさんが慌ててフォローを入れる。
「メアリー殿下は最後まで抵抗されたんです。審査員は公平を期す為に、古典派、写実派、幻想派からそれぞれ二名ずつ、残る一人を中立的な立場の人物にすべきだと」
「ですが、実際に決定したメンバーの内、幻想派の一人と中立派の計二名が古典派と何らかの形で関わっている人物になってしまいましたの」
歯痒そうにそう説明するメアリー姫。
国王の気を惹く為には、カメリア国王杯大賞受賞作品という肩書きが欲しかった――――だけには見えない。
俺が正しい評価をして貰えるよう尽力し、上手くいかなかった事に悔しがってくれている。
こんなにありがたい事、他にあるだろうか。
アルテ姫も、俺を頼ってルピナスまで来てくれた。
リエルさんもそう。
王女とか騎士とか、男とか女とかの問題じゃない。
自分がここまで他人に力を尽くして貰ったり、必要とされたりする事なんて、絶対にないと思ってた。
「そんな不利な条件にも拘わらず、ユーリ先生の作品は最終選考まで残ったんです。立派だと思います」
リエルさんは事情を知っていたからこそ、褒めてくれたんだろう。
同時に、次は極めて厳しいという事も暗に、そして優しく仄めかしてくれた。
「過去最大規模のコンテストでありながら、結局は派閥の力関係と戦略で大賞作品が決まる……それがこの美術大国の現状ですわ」
「お姉様は勇敢に戦ったわ。ユーリ、それはわかってあげて」
本気で悔しがっているメアリー姫と、彼女を庇うアルテ姫。
二人を見ていると、どうにかして彼女達に最高の結果を……と思う。
心から。
その為には、俺がベンヴェヌートに勝って、国王も亜獣の呪縛から解放され元に戻る――――そんなハッピーエンドが必要だ。
そして、俺はこの世界で何度もご都合主義な展開に助けられてきた。
ここで力強く『俺に任せろ!』と宣言すれば、また今回も奇跡的にそういう結果になるかもしれない。
でも、それはきっと偶然の延長線上にある奇跡。
稀有な偶然を奇跡と呼んでありがたがっても仕方がないんだ。
俺は現実を見なきゃいけない。
「ありがとうございます。その気持ちだけで最高に幸せです、俺」
メアリー王女に頭を下げ、本心からのお礼を言った後、俺は一つの決意と共に顔を上げた。
「二兎を追う者は一兎をも得ず。俺の国にはそんな諺があります」
「……ユーリ?」
「目的を一つに絞ります。貴女がたの父親、ヒューゴ=ヌードストローム国王陛下を元に戻す方に集中しましょう」
そしてキッパリとそう宣言する。
それは決して、突発的な思いつきじゃない。
以前から計画していた事だった。
「国王陛下を……元に……戻す……?」
「そのう、一体どういう事でしょうか」
事情を知らないルカ、エミリオちゃんが首を捻っていたんで、メアリー姫に許可を得た後サクッと説明。
驚いた様子の二人を尻目に、俺はあらためて両王女と向き合う。
「授賞式を辞退します」
そして、キッパリと言い切った。
二人のリアクションは――――
「な、なんでよ! ここまで来て自分から降りてどうするのよ!?」
「……」
アルテ姫は憤慨、メアリー姫は沈黙のまま思案。
二人とも性格そのままの反応だ。
で、多分メアリー姫は直ぐに俺の意図するところに気付くだろう。
「大賞落選という負のステータスを絵に背負わせない為、ですわね?」
やっぱり。
俺は二つの意味で彼女の発言に頷いた。
「これが大賞作品ですよ、って嘘を吐いて国王様にお見せする訳にもいかないですし、大賞受賞の可能性は限りなく低い。なら落選する前に降りて、最終選考作品として国王様に献上します。大賞作品ほどの求心力はありませんけど、背に腹はかえられません」
それが、俺の出した結論。
敵前逃亡だ。
「……ユーリは、それでいいの?」
最初にそう聞いてきたのは、ジャン。
珍しく、眉間に皺が寄っている。
「授賞式を前に辞退すれば、ベンヴェヌートが何を言ってくるか。その内容次第じゃ、君の今後の画家人生に致命傷を負いかねない」
「あの野郎に何を言われても、大したダメージにはならないって」
「いや、彼はあれで宮廷絵師だ。その発言は十分な影響力を持つ。メアリー殿下、授賞式にはかなりの数の国民が観客として参加する予定でしたよね」
ジャンの確認に、メアリー姫は小さく頷いた。
「王都ではまだ君の名前はそれほど知れ渡っていない。その段階で、宮廷絵師に誹謗中傷の限りを尽くされれば、どうなるか……想像出来ない君じゃないだろう」
ああ、容易に想像出来るさ。
最悪のマイナスイメージが先入観として根付くだろう。
《絵ギルド》を広めるのも間違いなく困難になる。
ジャンの言うように、致命傷となるかもしれない。
でも――――
「俺はイラストレーターだ。マイナスのイメージは絵で払拭出来る。それくらい、やれるさ」
勿論、やれる自信なんてない。
だけどやれないと決まった訳じゃない。
なら、優先すべきは国王覚醒の可能性を一%でも引き上げる事。
《親子の再会》を落選作品にしない事だ。
「そんな訳で、メアリー姫。早速辞退の手続きを……」
「ダメーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
耳を劈くアルテ姫の咆哮!
俺の言葉は音量というより空気の揺れによってかき消された。
「ユーリは姫の師匠なんだから! 師匠は逃げちゃダメ!」
「いや、こういう場合は逃げるが勝ちですよ」
「ダメったらダメ! ユーリがあのクソバカベンヴェヌートにボロクソ言われるの、見たくない!」
涙目でアルテ姫が感情論を叩き付けてくる。
そりゃ、俺だって見たくないよ。
でも今は、何より優先すべきは貴女がたのお父様――――
「ユーリ。辞退は却下ですわ」
「メアリー姫まで! あのですね、俺は別にあの野郎に何言われても……」
「宣戦布告したのでしょう? あの男に直接」
それは、リエルさんを横目で見ながらの発言だった。
市庁舎でのベンヴェヌートとのやり取りを彼女から聞いたんだろう。
なら、誤魔化しても仕方がない。
「ならば、貴方に恥をかかせる訳にはいきませんわ。貴方は今や、幻想派を代表する画家の一人。貴方が逃げればお父様の名に傷が付きましてよ?」
「大げさですよ。そもそも俺、別に幻想派って訳じゃないですし」
「貴方自身がそう思っていても、周りの見る目は違いますの。わたくしも、アルテも、リエルも、恐らくそっちのお三方もそうでしょう」
メアリー姫は、ジャンとその両隣のルカとエミリオちゃんに視線をぶつける。
代表するかのように、ジャンが大きく頷いた。
「ユーリ。僕達は誰も、君に逃げて欲しくないんだよ」
そして、そう告げてくる。
「君が臆病風に吹かれて逃げようとしている訳じゃないのは知ってる。両殿下の為に泥を被ろうとしているのもわかってる。でも、それは誰も望んでいない。僕達が君に望むのは一つ」
「貴方の……ご都合主義的な運の良さで……何もかもが上手く行く事……」
「あ、あのう、わたしも賛成です。ユーリ先生なら逃げなくても、きっと神様が味方してくれます」
こ、こいつら……俺の絵じゃなくて運をアテにしてやがるのか!
そりゃ、ご都合主義体質なのは認めるけども!
「ま……冗談……半分だけど……」
「半分も本気なのかよ!」
「あたしも……ジャンも……エミリオも……貴方の絵に惹かれてここにいるのを……忘れないで……」
あんまりだなお前ら、と叫ぼうとした矢先、ルカは突然そんな事を言ってきた。
戸惑う俺に、アルテ姫が何故かドヤ顔で胸を張る。
「当然、姫とリエルもよ。お姉様だけは、写実派だから仲間ハズレだけど」
「いいえ。ユーリの絵を見込んでコンテスト応募を要請したのは他ならぬわたくしですわ。つまり全員、ユーリ……貴方の絵に惹かれてこの場におりますの」
メアリー姫まで……
ダメだよ、冷静にならないと。
俺の絵を好きだと言ってくれるのはそりゃ嬉しい。
泣きたくなるくらい嬉しい。
でも、それとこれとは話が別だ。
大賞受賞確率は限りなく低い。
なら辞退して傷を負わないようにすべきだ。
俺自身は幾ら傷付いてもいい。
だけど国王に献上する《親子の再会》は……
「ユーリ先生。貴方の描いた《親子の再会》は、落選したからといって輝きを失う絵じゃありません。私はそう信じます」
……リエルさんのその言葉に、他の面々も一様に頷く。
なんなんだよ、全く。
そりゃ、一枚岩になるよう訴えたのは他ならぬ俺だよ。
《親子の再会》の中に、そんなメッセージも込めたさ。
でも、それは……あーっ! もう!
「……いいんですね? 知りませんよ。最悪の事態になっても」
俺は腹を括った。
括らざるを得ないさ、ここまで言われりゃ。
文化水準も言語も、何もかも違う異世界に来て、こんな人達と知り合って……これこそ究極のご都合主義だ。
落ちぶれイラストレーターが、こんな仲間を得られるなんて。
気持ちを強く持たなきゃ、感情の波が顔全体に押し寄せそうだ。
「姫とお姉様は、お父様の娘よ。責任は姫達が取るわ」
「と、いう訳ですわ。ユーリ、堂々と授賞式に出席して、スピーチをなさい」
両王女に対して、俺は大きく頷く。
もう逃げ道はない。
授賞式でやれるすべての事をやって、国王を救う準備を整えよう。
「栄養補給します。明日の為に」
俺は目の前の料理をフォークで突き刺し、誓いを立てた。
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