突然だが、俺は今――――殺されかけている。
 病気や事故で死にかけてる訳じゃない。明確に第三者から殺されようとしている。一介の高校生にあるまじき事態だろう。とは言え、現実は現実。受け止めなくちゃならない。
 俺の喉には、ナイフが突き付けられているのだから。
 見た所、キッチンナイフや図工用ナイフじゃない。ゴツゴツした登山用のナイフでもない。折り畳み式になっているようで、袖の中に畳んで隠せるくらいの大きさと視認出来る。そして、特徴的なのが刃。薄暗い中なんでハッキリは見えないけど、銀色じゃなくて白だ。一見、チャチな玩具に見えるけど、その認識は俺にはない。そのナイフを取り出し、俺の喉元に突き付ける所作が、玩具で脅すと言う行動とはかけ離れた、異様な鋭さを有していたからだ。勿論、フツーの高校生であるところの俺に、その動作の採点は出来ないけど、護身用にナイフを持ち歩くファンキーな若者が同じ速度で動けるかと言うと、絶対無理と断言できる。
 斯くして、俺はそんなヤバイ奴に命を掌握されていた。
 ちなみに、ここは学校。俺が平日いつも通っている、県立三園高校だ。その教室――――自分が毎日過ごしている空間で、俺はナイフを突き付けられていた。当然、対峙している形だから、相手の顔はわかっている。
 クラスメート。
 俺は特に親しくないクラスメートの女子に、完全に殺されかけている。理由はわからない。募る焦燥。もし近くに、他人の危機的状況を持ち前の危機管理能力と主人公的勘で察知出来る優秀な人材がいるならば、是非ご一報を。と言うか……誰か助けて! お願い!
「……都築柘榴」
 が、呼びかけて来たのは――――俺を殺そうとしている、目の前の女子だった。ナイフを付き立てたまま、光なき眼で俺を睨んでいる。さながら、ヤンデレの如く。
「貴方に恨みはないけど、これも仕事なんです。悪く思わないで下さい」
 言葉遣いの丁寧さが、更にヤンデレっぽい。とは言え、彼女と俺は親しい間柄ではないんで、デレなど存在しない。しかもコイツ、今『仕事』とかヌかしやがった。つまり、殺し屋って事になる。高校生の、スクールブレザー姿の殺し屋。二十年前なら、或いは斬新とでも言われたかもしれないけど、今なら寧ろインパクト不足と指摘されそうな、なんともクダらねぇ存在だ。
 ただ、これは想像上の創作物じゃなく、現実。
 ……余計に胡散臭い存在だった。
 そんな奴に殺されたとあっちゃ、十六年も生きて来た甲斐がない。一生における幸せの絶対量は皆同じ、人類皆平等……だとは微塵も思わないけど、悪い事ばっかじゃないって言う希望は、常に持ってる。まだ『ちゅー』も、『ちゅー』もした事ないのに、こんなトコロで死ねるか! ちゅーもしてないのに!
 と、言う訳で。
「その割には、やけに時間かけるな、初心な殺し屋さん。耳が赤くなってるぞ。緊張してるのかな?」
 ハッタリかます事にしました。
 状況は余り飲み込めてない。でも、やるべき事はわかってる。身体能力に任せて、どうこう出来る感じじゃない。
 男と女。普通なら、腕力勝負では分がある筈の対戦カードなんだけど、なにせ向こうの動きが尋常じゃない。力任せはムリ。そして、外部からの助けもない。どうやら、この辺りに何らかの物語の主人公はいないらしい。なら――――言葉で切り抜けるしかない。
「……!」
 幸い、殺し屋さんはアッサリ俺の言葉を信じ、本当に耳を赤くした。勿論、この隙にナイフを蹴り上げて――――なんてスキルは持ってない。だから言葉で連続攻撃。
「あんた等の仕事はさ、ナメられたら終わりなんだよ。いかに『自分達に狙われたらおしまいだ』って言う凄味をアピールするかが大事。その凄味で、依頼主は依頼する組織を決めるんだからな。あんたは今、自分の組織に泥を塗ったんだよ」
 口からデマカセ。チョーテキトー。
 俺は殺し屋の世界の事なんて知らないし、そもそも組織なんてものがあるかどうかも疑わしい。ただ、仮にここで『何言ってんの?』となっても、それはそれで構わない。そこに更なる油断が生まれる。欲しいのは、時間と弛緩だ。少しでも長く、少しでも緩く。そうする事が、この妙な危機を脱する可能性を上げる事に繋がる……筈。
「……そ、そんなの、貴方を殺してしまえば関係ない筈です! 私が恐々お仕事をしたなんて事、貴方しか知らないんですから!」
 でも、意外な事に――――効果覿面だった。この好機を逃す手はない!
「甘いなあ。あんた等の依頼人は、そこまであんた等を信用してない」
 可能な限り落ち着いた声で、告げる。そして、視線だけを動かし、まるで誰かがそこにいるかのように、窓の方を向いて少し驚く演技をしてみる。ここが一階だったのは幸いかもしれない。
「え? 何? ま、まさか……見張られてる!?」
 何となく、早合点な性格だと思い、目でフェイクを入れてみたトコロ、アッサリと引っかかってくれた。
この状況でこんな事を思うのは、お門違いかもしれないけど……なんか、アレだな。
 可愛いなコイツ。
 とは言え、情けは無用。可愛い子だから下手に出よう、なんて発想はない。当たり前だ。自分を殺そうとしてる相手に、そんな感情が抱く訳がない。
「このまま、慌てて俺を殺しても、もう手遅れだ。レポートでは『施行時間長過ぎ。使えねぇ』って提出されて、ブラック入り間違いなしだろな」
「そ、そんな! ブラックはダメです! 干されちゃいます!」
「だったら、手は一つ。俺を見逃す事だな」
「はい? それはどう言う……」 
 混乱する殺し屋さんに視線を戻し、俺は携帯を取り出した。そして、反射的にナイフに力を篭めた殺し屋さんに首を横へと振ってみせ、携帯のメモ帳機能を使っての筆談を敢行する。いもしない、見張りの存在を意識させる為に。

『標的を殺す上での不備が生
 じた。それは、見張りの人
 間の存在がバレた事。その
 事実を標的は録音によって
 記録しており、それを携帯
 を使ってデータ送信した。
 だから殺さなかった。殺せ
 ば当然、依頼主である貴方
 達に疑いが掛かる。

 そう弁解するしかない』 
 
 俺が突き出した携帯のモニターを凝視していた殺し屋さんは、目を丸くしつつ、感心したように何度か頷いていた。
 もう緊張感や緊迫感は微塵もない。
 ここで突然俺に切りかかれるようなら、大したものだけど――――

『わかりました。ではお言葉
 に甘えて、貴方の支持に従
 います。色々お気違い頂き
 ありがとうございました』
 
 おもむろにピンク色の携帯を取り出し、筆談で返答して来た。
 二箇所ほど誤字があるが、まあ良い。
 後半の方は看過し難い間違いだけど、ここで余計な時間は取りたくない。

『それじゃ、まずは驚いた顔
 をしろ。そして次にもう一
 度さっきの見張りがいる方
 向を見て、その後俺を汚い
 言葉で罵れ。そして俺が笑
 うから、悔しそうにして教
 室を出て行け。いいな?』

『わかりました』

 デジタル筆談終了。と言う訳で、次は作戦実行。殺し屋さんは、暫くじーっと俺の方を眺め、そしていきなり目をクワッと見開き、窓の方を二度見した。三文芝居も甚だしいが、何も言うまい。
「こ、この卑怯者! 反則魔! ズル! ズル! ズル!」
 そして、語彙も絶望的に少なかった。
「相手が悪かったな。さあ、どうする? 依頼人にリスクを背負わせるか?」
 苦笑しそうなのを堪えて、俺は高笑いをする。それを暫く『ぐぬーっ』と言う顔で眺めた後、殺し屋さんは去って行った。
 去り際、『ありがとう』と言ったような気もしたが、流石にそれは気の所為だろう。
 ……ともあれ。
 俺はこの日もまた、危機を乗り越える事が出来たらしい。
「……」
 今度は、窓の方で溜息が漏れる音が聞こえた気がしたが――――


 それもきっと、気の所為だろう。





 殺されるよりも愛されたいマジで




 同級生に殺されかけると言う、相当な衝撃を覚えた出来事を経ても、目覚めた朝は割と快適。寝て起きれば、昨日の厄介事によって生じた精神的損傷は、かなり癒えていたりする。そんな俺の視界には、自室のふにゃふにゃした天井が映っていた。
 さて。昨日のトラブルを思い返す前に、まずこれまでの生い立ちを振り返ろう。何故かと言うと、その原因は恐らくそこにあるからだ。
 トラブルメーカーと呼ばれる人種の中に、他ならぬ自分自身が含まれていると知ったのは――――割と子供の頃だった。その際に起こった、今も記憶に残る忌まわしい事件がある。それは……誘拐。ただ、攫われたのは俺じゃなくて、同じ学校に通ってた、三人の他人。これだけなら、稀有な出来事とは言え、特に俺の問題って訳じゃないんだけど……実はその誘拐、本来対象になる筈だったのは、何を隠そうこの俺だった。要は、俺を誘拐しようとした三つの組織が、いずれも誤って別の子供を誘拐してしまった――――と言う、コントのネタとしても微妙な出来事が、実際に起こっちまったんだ。
 何故、俺がそんな複数の組織に狙われたかと言うと――――その原因は俺じゃなく、俺の親にある。具体的に言うと、親父が宝くじで一億円を当てた事に起因する。一夜にして億万長者と言う、奇跡のようなホントの話。で、普通はそんな高額当選しちまった場合、まず銀行へ行って、そこで奥の応接間に通されて、くじ券に疑義がないかを確認した上で、支払い方法を決めたり、手引きを渡されたり――――ってな具合に、決して当選した事が周囲にバレないように、全て秘密裏で手続きを行うものなんだけど、ウチのバカ親は当選と同時に近所に言いふらしやがった。そんな、サバンナを生肉巻いて歩くような愚行の結果、俺は『泡銭一億円の家族』として、多数の誘拐犯に狙われる事となった。
 が、当時の俺は無個性な子供だったし、苗字が『都築』って言う、発音上『鈴木』と非常に間違われやすいものだった、なーんて事もあって、見事に鈴木君が三人誘拐されちゃった。多分これ、漫才コンクールやコメディの脚本として提出したら、一瞬で原稿破かれるような話だよな。でも、現実は現実。周りに三人も鈴木がいたって言う、奇妙に思える偶然も、元々鈴木姓は日本第二位の数を誇る上、俺の住む場所が【静岡県浜松市】と言う、鈴木姓が圧倒的に多い土地柄って事を考えると、不思議じゃなかったみたいだ。
 ちなみに、三人の鈴木君は全員無事だった訳だけど、それ以降、俺は何かと周囲に悪影響を与えてしまうトラブルメーカーとして、同級生、学校関係者諸々から認知される事になり、家庭の方もバカ親が地方の偉い人たちにチヤホヤされて調子に乗って、『地元出身の演歌歌手をプロデュースする芸能事務所を設立!』なんていう無謀な行為に勤しんだ結果、当然倒産。借金4999万円をこしらえ、個人再生を敢行すると言う、悲惨な状況になっちまった。
 幸い、個人再生は自己破産と違って、住宅を差し押さえられなくても良いって言う温情処置がある為、借金支払い能力が著しく低下した状況であっても、宝くじの賞金で買ったこの家は、どうにか担保に出されずにいるんだが、再設定された借金を返すべく、我が家庭は潰れかけのスーパーの特売日よろしく、毎日が倹約日になってるんで、小遣いはないに等しい。俺もそうだけど、年頃の姉貴は更に不憫だ。
「お早う、柘榴」
 その姉貴が早速、扉越しに挨拶して来た。
 今年受験を向かえる高三の女子高生で、俺と同じ高校に通っているこの姉貴、なんとその高校で三人もの教師に告白されたと言う、ぶっ飛んだ過去を持つ。生徒じゃなくて教師、と言う点がポイント。いずれも明るみに出て、告白した教師は漏れなく全員が島流しの刑に処せられた。そこまで美人とも思わないんだが……
「今日はお母さん、気が乗らないから、朝ごはん作らないって」
「またかよ……」
 そして、ウチの母であるトコロの都築苺さん。名前もかなりガキっぽい、と言うか軽く卑猥ですらある彼女、兎に角とんでもない気分屋。調子の良い時は、地中海料理に挑戦する等、家庭料理の範疇を余裕で逸脱する一方、やる気がないと全くホントに何にもしない。困った母親だ。
「うわはははははは! 柘榴ぉ! 今日もお前はイイ男だなぁ! カッコいいぞ、カッコいいぞぉ!」
 そんな情緒不安定な母に頭を抱えながら、部屋を出て洗面所に向かう途中――――今度はバカ父と遭遇してしまった。
 コレが俺の親父。名前は棗。大人しそうな名前の癖に、やたらテンションが高いのは、仕様だ。そして完全なる親バカ。親バカで、そしてバカ親。いや、クズ親。要は人間として正真正銘、まごう事なくクズって事だ。折角、一生分の幸運を凝縮させた宝くじの当選によって、人も羨む億万長者になったって言うのに、この不景気にも拘らず株やFXに手を出し、しかも八年前のネット記事を鵜呑みにした結果、アホみたいに投資を失敗して、マヌケ極まりない借金を背負う事になった。にも拘らず、その明るい性格には一点の曇りも見られない。俺が時々、人が死なずに永久に苦しむ方法を調べようとしちゃうのは、コイツの責任だ。
 さて、そんな俺の家族構成は良いとして――――問題は昨日の出来事だ。殺されかけたと言う事実は、俺の数多あるトラブル経験の中でも、割りかしヤバめだった。流石に、その理由は知っておきたい。何故、俺は命を狙われたのか。殺し屋の女子は、何処か抜けてはいたが、俺を殺すと断言していた。それが可能な凶器も持っていた。立派な殺人未遂だ。殺人未遂罪は、無傷でも成立する。ただ、それを証明する手立ては、今のところない。そもそも証明するつもりもないけど、また狙われるのは避けたいから、取り敢えず一度あの女子とはじっくり話し合う必要があるだろう。
 何かの勘違いなのか。俺の過去の出来事に由来するのか。親が原因なのか。
 多分、最後のだとは思うけど。
「そうそう、柘榴。お前最近命狙われなかったか? 何かさー、借金減らされた債権者の一人がブチ切れてて、俺の家族狙ってるって言う情報が二週間前に入って来たんだー」
「やっぱりテメーの所為だったのかよっ!」
 俺は全身の筋肉を隆起させて、親父の顔面を蹴った。まあ、一介の高校生に過ぎない俺の蹴りなんて、大した威力はない。せいぜい昏倒させる程度だ。
「うう……すまない息子。すっかり忘れてたんだヨ」
 しかも、今日はメシ食ってないから威力不足。これをDVとは言うなかれ。どう考えたってコイツが悪い。
「いや、流石にな……この平和な日本で、高校生を本気で狙うなんて事があるとは思わなかったもんでな。今朝のローカルニュースで『高校生刺殺! 犯人は交際相手か』って言ってたの聞いて、何となく思い出したんだ」
「あーそうかい。なら、明日のニュースのトップは『納得の凶行! ボンクラ父、息子に顔面を潰されて整形美人の成れの果てのような鼻に!』だな」
「鼻をペチャンコに潰されて納得の凶行とは……随分酷い事したんだネ、その親」
「勿論テメーの事だウスラボケがああああっ!」
 そして、凶行。具体的に言うと、マウントポジションからの左右のフック。週一で見られる光景なんで、姉貴も一切止めには入らない。大した威力もないしな。
 こうして今日も、しょーもない一日の幕開けとなった訳だが――――
「それじゃ行ってくる。ちゃんとお母さんを仕事に行かせるんだぞ」
 ズタボロの父が出て行く時は、俺と姉貴でしっかり見送る。変な家庭だとは思うが、これがウチの自然な流れだ。その後は、腐葉土の下で蠢くカブトムシの幼虫みたいな母を、震度6クラスの振動で揺らして起こし、登校。姉貴と仲良く――――と言うのはちょっと恥かしいんで、俺が先に向かう事になっている。姉貴曰く『柘榴は気にし過ぎ』だそうだが、思春期の男ってのはそんなもんだ。
 さて、ここで俺の学校までの道のりを紹介しよう。家を出ると直ぐに大通りに出るから、そこを真っ直ぐ、ひたすら真っ直ぐ歩く。暫くすると駅があるんだけど、まあ多くの市がそうであるように、この浜松市の駅前も、郊外のショッピングセンターの煽りを受けて、寂れ気味。時代の流れと言うか、街づくりの不備と言うか、色々あるんだろう。
 そんな活気のないエリアを抜け、北へと向かう。電車に乗る必要はない。学校は浜松駅から北に一キロメートルの所にある。登校時間、30分。自転車を使うまでもない。それに、裏路地を使えば五分短縮出来る。治安は余り宜しくないんで、女子は通っていないけど、男子なら特に問題なし。そして、登校時間、下校時間に金を巻き上げに来るようなチンピラはいない――――
「ストップ。動かないでね」
 ……筈なんだけどな。
 日が悪かったのか、運が悪かったのか。俺の右こめかみに、冷たく硬い『ナニカ』が当てられた。それが何なのかは、視界の外にある為、わからない。そして、それを当てている人物の姿も。ただ――――冗談や悪ふざけの類じゃない事は、瞬時に理解出来た。
 脳裏に浮かぶのは、昨日の殺し屋。でも、声が違う。くぐもった感じでもないし、口調も違う。別人と断定して差し支えない状況だ。
「今から私の言う事を良く聞いて貰うけど、異論はない? ま、異論する立場じゃない事は、直ぐにわかるだろうけどね」
 声は女性のそれだった。そして、まるで保険医が体育で怪我した学生に呆れつつ手当をする時のように、気だるげに、そして何処か他人事のように告げた。
「アンタ、今から死ぬし」
 それは――――死刑宣告。
 でも、何処か冷静でいられたのは、昨日の出来事があったから……じゃない。要は昨日と同じ。トラブルメーカーとしてのキャリアが、こう言う時に萎縮、混乱する事を回避するようにと、俺の思考回路を作り変えてるんだ。我を忘れなきゃ、少なくともこの状況で『直ぐに殺される』事はない、って事は簡単に理解出来る。殺すだけが目的なら、何も宣告しないで撃てばいい。そうしなかったのは、殺すより優先してすべき事があるからだ。つまり、それまでは俺の命の保証はされている。
「聞こう」
 取り敢えず、相手の出方を窺う余裕はあると言う事だ。
「……」
 俺の不敵な態度に、真横にいると思われるその女性の雰囲気が何となく、変わったような気がした。と言うか、期待した。そうじゃないと、この危機を脱する可能性が増えない。
「随分と冷静じゃない。もしかしてリークがあった? 私、ハメられたって訳?」
 あ、思った以上に食いついてくれた。コレは嬉しい誤算。たったこれだけのやり取りで全て判断する事は出来ないけど、多分この女性は思い込みが激しいと言うか、いらん事まで洞察しちゃうタイプ。それなら、その洞察によって分析した答えを過信する悪癖があると見た。となれば、話は早い。
「さあな。だったら、そもそもここを通らないんじゃないか?」
 出来るだけ余裕こいて、ぶっきらぼうに話す。この状況で声が震えないのは、結構な衝撃を相手に与えるだろう。
「……アンタ、今の状況わかってるの? 私が引鉄引けば、誰がこの近くにいようが、どんな作戦立ててようが、死ぬのよ?」
 あ、こめかみのコレ、やっぱり銃だったんだ。何となく予感はあったけど。
 ……流石に銃を突きつけられたのは初めてだな。聞きたくなかった事実だけど、聞いておかなきゃならない事実でもあった。確か拳銃は、弾装と撃鉄を押さえりゃ撃てなくなる……とか、何かで見たな。でも、それを実践するには、銃の構造を知っておかないといけないし、そもそも全ての拳銃に適用される方法とも限らない。それより、この女性に銃を撃たせない方法を考えた方がいい。ガソリンの気化したものを吹きつけられればベストだけど、そんな物はない。ライターもない。小麦粉で粉塵爆発……ってのも、小麦粉ないし無理。そう見せかける為の小道具も、持ち物の中にはない。つまり、これ等のハッタリは使えないって事だ。となれば――――
「撃たれれば、な。でもそのハードルは高いぞ? 何しろ直ぐ近くに警察が沢山いるからな」
 別のハッタリを使うまで。そんな俺の言葉に対し、殺し屋は――――
「は、ははっ! はははっ!」
 まるで安堵したかのように、反射的な笑い声を上げる。これもラッキーだった。実は殺し屋の方が焦っていた事がわかる反応だったからだ。
「何言い出すのかと思えば……ここの一帯に警察署や交番なんてないのよ。この状況でハッタリを言う度胸は立派だけど、こう言うのを『墓穴を掘った』って言うの。覚えておきなさい」
 案の定、得意げに殺し屋は謳う。わざわざ勝ち誇る辺り、さっき動揺した事を心の何処かで恥じていたんだろうな、と思うと――――何となく微笑ましい心持ちになる。
 でも、それもここまで。
「臨時交番、って知ってるか? イベントの時や、凶悪な事件が頻発して、治安が著しく悪くなった時、臨時で設置する交番の事」
「……」
 俺の言葉に、答えは返って来ない。
「臨時交番はしっかりとした交番を建てる事もあるけど、緊急性を要する時にはプレハブ小屋を持ってきて、そこを交番にする事もある。もっと緊急の場合は、テントみたいな物を使う事だってある」
 これは、ハッタリじゃなく事実だった。ハッタリはここからだ。
「今日、高校生が刺殺される事件がこの市内であった。それで、遅くとも昼までにその臨時交番を設置しなきゃならないってんで、今警察が集まって――――」
 全部言い終わる前に。
 俺の右こめかみから、冷たい感触が消えていた。
 どうやら今回も、どうにか乗り切れたらしい。正直、今日はかなり緊張した。表に出なかったのは、相手が俺以上に動揺してくれたからだ。運が良かった。
 ……にしても、また殺し屋か。姿を見せなかっただけ、昨日の女子よりは優秀だったのかもしれないけど……ま、こんなペーペーの高校生に欺かれるくらいだ。大した殺し屋じゃないだろう。
 昨日の殺し屋さんを殺し屋A、今日のを殺し屋Bとすると、恐らくはこの殺し屋Aと殺し屋Bは違う組織の人間だ。襲撃方法、武器、時間帯、全部違う訳だからな。
 何にしても――――
「まずい、遅刻だ!」
 今回は実害を被った分、昨日よりは面白くない襲撃だった。


 遅刻と言う不名誉な称号を胸に、俺は息を切らしながら教室へ入った。
 二年三組。それが俺の属しているクラスだ。昔は八組九組が当たり前だったこの学校も、少子化の流れには勝てないらしく、今は四組までしかない。その中の三組。特に深い意味はない。ただ――――そんな四分の一の確率でクラスメートになった連中の中に、事もあろうに殺し屋さんがいた事には、運命、と言うより不運を感じずにはいられない。尤も、本日その女子を探したトコロ、不在だったんだけど。どうやら、休んだらしい。俺はこの日の放課後、他の生徒全員が教室を出て行くまでずっと、その女子の事を考えていた。
 名前は――――緑川日向。やたら爽やかな名前だった。殺し屋の癖に。
「あ、あの……」
 そう、声もこんな感じで何気に可愛い……
「うわっ! 出たっ!」
「す、すいません」
 教室を出ようと扉を開けた瞬間、話しかけられた相手は――――その緑川だった。
「な、何だ!? 昨日の続きか! うおのれ、休んだのは油断させる為だったか! 中々の策士じゃないかコンチクショー!」
「そそそ、そんなつもりじゃありません!」
 昨日同様、誰もいない放課後の教室。内心パニックで頭を抱えていた俺の目の前で、緑川は何故か俺以上オーバーなリアクションで頭を抱えていた。
「う、うーあー」
 と言うか、完全に混乱していた。
「……おい」
「ご、ごめんなさい〜」
 白い目で睨むと、だーっと涙を流し始める。えらく情緒不安定だった。
「殺そうとしてる方がパニクった挙句、泣いてどうすんだ」
「そ、そうですね。すいません、こう言うこと初めてなんで、緊張して……」
 良くわからないが……初めて、と言う事は、昨日の続きじゃないって事か? と言っても、殺し屋が殺し以外のどんな目的で俺に近付くってんだ。
「昨日の事なんですけど……」
「やっぱりかっ! 油断させといてホッとした所をナイフでザクリたぁ、随分と鋭利な食虫植物だな!」
「ちっ、違います! 今日は殺しに来た訳じゃないんです!」
 え、違うの?
 そんな意外な科白を受け、俺は思案した。殺しに来たんじゃないとなると……あ、そうか。昨日、俺はこの緑川を助けた事になっている。勿論、実際には、自分が助かる為の嘘っぱち発言大連発だったんだけど、コイツにとっては話は別。組織に打撃を与える最悪の結末をどうにか回避出来た――――そんな思い込みを抱いてる筈だ。
「昨日は、ありがとうございました! 私の浅はかな行動で、組織の信用を落とすところでしたけど、お陰様でブラック入りも無事回避出来ました」
 ビンゴ。
 いや、良かった良かった。これなら、少なくともこの場で殺される事はなさそうだ。
「それで、その……」
 緑川はモジモジしながら、俺の方に視線を送っている。改めてみると、かなり小柄な女子だ。その割に目はパッチリしている。線はかなり細い。昨日は薄暗かったからわかり難かったけど、とても殺し屋には見えない。
 そんな緑川が、突然袖口から何かを取り出した!
「しまった!」
 思わず声が出てしまう。
 油断。
 ナイフを取り出して、やっぱり俺を殺す気だ! だって殺し屋なんだもの。よく考えたら、殺し屋の『殺しに来た訳じゃない』って、借金取りが扉の前で言う『今日はお金を回収しに来た訳じゃないんですよ、都築さん』くらい信用出来ねーじゃん! この手で親父は見事に騙されそうになったけど、俺が慌てて扉を閉め、どうにか危機を乗り越えたんだ。その時に指を挟んで、債権者の人、入院したらしいけど、それは今はどうでも良い。
 まずい、まずいぞ。何か対抗すべき手段は……
「こ、これ……読んで下さい!」
 だが、俺の予想と反し、緑川が取り出したのはナイフじゃなく、二つ折りの紙だった。
「それじゃ、失礼しますっ!」
 そして、何か目をパチパチさせて、ひらりと身を翻し、窓から飛び降りる。
 まあ、一階だから別に大丈夫だろうけど……
 ちなみに、普通二年生の教室って普通二階にあるんだけど、ウチの学校は少子化の影響もあって、一年に空き教室が沢山出来た為、数年前に改築し、一&二年の教室を一階に、三年を二階と三階の二フロアに分けて配置している。受験で何かと神経質な三年に配慮しての事だ。
 まあ、そんな補足説明はどうでも良いとして……貰った紙を開けてみるとしよう。
 開いたその紙には――――アドレスが書いてあった。メアドらしい。
 ……どう言う事?
 意図が全く読めない。芸能人にファンが手渡しする、あのノリな訳ないしな。
 待てよ……これは罠か。このアドレスにメールを送ると、スパムメールが凄い勢いで届くようになるとか。若しくはフィッシング詐欺かも。一度個人再生なんてすると、この手の話題に敏感になりすぎて困る。まあ、申請したのは親父なんだけど。
「都築。反省文書いたか?」
 そんな事を考えていた最中、担任がユラユラと現れてくる。そう言や、遅刻した理由を反省文にまとめろ、とか言われてたんだっけ。
「まだです。つーか、それどころじゃないんで、代わりに書いといて下さい」
「はい!? おい都築! 何処の世界に教師に反省文の代筆頼むヤツがいるんだ!? おい都築! 都築ーーーーっ!」
 いや、ホントそれどころじゃないんで。
 激昂する担任に背を向け、俺は屋上へと向かった。あそこなら邪魔される事もない。立ち入りを禁止してる割に、結構簡単に立ち入り出来るのは、この手の学校ではお約束。鍵の代わりにアイスの棒を突っ込み、鍵を開ける。
 扉を開くと――――眩いばかりの光など一切差し込まず、どんよりした空が何処までも広がっていた。絵にならない光景だけど、これはこれで嫌いじゃない。
 さて、そんな景色はさておき。問題はこのメアドだ。パソコンのメールじゃない。某有名携帯キャリアのメアドだ。ここにメールを送ったら、果たしてどうなるのか。
 ま、殺し屋から貰った時点で、そこに大きなリスクがある事は想像に難くない。
「……焼くか」
 それが一番良いと、直感的に思った。ただ、焼く為の道具は持ってない。ライターもチャッカマンもない。実験室に行けば、アルコールランプがあるかもしれないけど、放課後は鍵がかかってる。一端家に帰ってから焼くしか――――
「あれ?」
 何となくポケットに手を突っ込んだ瞬間、そこに覚えのない感触が出現する。首を捻りつつ、それを取り出すと――――薄っぺらいパッケージのマッチが出て来た。パッケージには、どこぞのホテルの名前が記されている。高校生の俺でもピンと来る、あのお城っぽい建築物のそれだ。
 ……親父。
 あの野郎、朝にコッソリ入れやがったな。大方、自分のポケットに入れてたのを発見して、処分方法に困った挙句、俺にハグするフリして挿し込んだんだろう。ったく、何処までロクデナシなんだ、あのバカ親は。つーか、借金してる身で浮気たぁ、どう言う了見だ?今日は修羅場だな。どう始末付けてくれよう。まあ、それはおいおい考えるとして――――このマッチは有効に使わせて貰うか。やっぱり屋上に来て正解だったな。こんなマッチ、人に会う可能性のある場所ではとても使えない。
「……喫煙か?」
 会っちゃったよ! 最悪なタイミングで!
「ここは立ち入り禁止だぞ。進入禁止区域への無断侵入と喫煙……重罪だな」
「いや、それならそっちだって……」
 嘆息しながら振り向くと、そこには――――ブレザー姿の女子がいた。
「生憎、私は許可を得ている。見回りするには、入る必要があるからな」
 落ち着いた口調で答えるその女子に、俺は見覚えがあった。って言うか、生徒会の副会長様だった。名前は――――知らない。それでも、何度か体育館の壇上で見かけた事があるから、顔は知ってる。黒髪を肩まで伸ばした、凛とした顔立ちの女性。まあ、いかにも生徒会役員と言う風貌だ。
「では、釈明を聞くとしよう。何もないのであれば、即座に連行する」
「いや釈明も何も、まず喫煙ってのは完全に冤罪だから。タバコなんて持っちゃいない」
 とは言え、無断侵入に関しては100%クロだ。さてどうしたものか。怖い人に追われて仕方なくここに逃げ込んだ――――よし、これで行こう。実際、罪なきいたいけな生徒に反省文なんて書かせようとする教師に追われて逃げた訳だし、あながち間違いでもない。
「む、そうか。私とした事が……早とちりして済まなかった」
 が、副会長様は先に謝罪をして来た。いや、まずタバコの所持を確認してからだろ、謝るのは。クロの場合だって、素直には申告しないぞ普通。
「立場上、どうしても猜疑心を持って臨まなくてはいけない。気を悪くしただろう。生徒会副会長として、正式に謝罪する」
 そんな俺の呆れ気味の心情など何処吹く風、副会長様は深々とお辞儀し、内省を滲ませていた。そして、おもむろに何かを取り出す。今日はよく目の前で何かを取り出される日だな。
「お詫びのしるしに、これをやろう。受け取ってくれ」
 それは――――
「……何ですかコレ」
 年上の女性に敬語で問う。それは……飴だった。わかってるのなら聞く必要はないんだけど、一つ引っかかる所があったんで。と言うのも、どうもコレ、市販の商品じゃない。短めにカットしたサランラップで包んでいる。飴の形も歪だ。色も、赤なのか、オレンジなのか、判断に迷う。あからさまに怪しかった。
「飴だ。美味いぞ」
 それはわかってるんだけど――――どうしたものか。まあ、受け取らない訳にはいかないだろう。って言うか、大阪のオバちゃんかアンタは。
「あ、ありがとう……ございます」
 小首を傾げたい心境で、それを受け取る。そして、ポケットにしまった。
「……」
 ジーっと見られてるんですけど……
「えっと、タバコの件は気にしないで下さい。誤解されるような物持ってたこっちにも……」
 依然、ジーっと見られる。
「あの、ここに来た理由なんですが、実は不審者に追われて……」
 延々と、ジーっと見られている。流石にいたたまれない。見られて喜ぶM体質じゃないんで。
「な、何か?」
「食べないのか?」
 即答だった。仕舞った飴を出して食べろ――――と言う事らしい。あからさまに怪しかった。一応、希望的観測を篭めた推測をするなら、『手作りで作った飴の味見をして欲しい』と言うアプローチなのでは……と言う解釈が成り立つ状況ではある。だが、それならそうと言えば良い。外見で手作りっぽい事はバレバレなんだ。隠す必要はない筈だ。と、なると――――
「……わかりました。頂きます」
 俺は一度仕舞った飴を再び取り出し、両端を捻って、巻かれたラップを解く。
「あの……飴にラップフィルムの切れ端がくっ付いて離れないんですが」
「大丈夫だ。ラップは消化されずに排出される。身体には残らない」
 そう言う事じゃないんだけど……
「さあ、早く。とっても美味いぞ。とろけるような美味さだ。早く食べてみてくれ」
 それは飴と言うより、美味い肉や刺身の表現だろう。飴がとろけちゃダメな気がする。
「早く」
 やたらと急かされる中、俺は嘆息しつつ、飴玉を口に含んだ――――フリをした。
 実際に入れたのは、丸めたラップ。解いたラップと飴玉を一度掌で覆い、ラップだけ口に含んで、飴はラップを仕舞うフリをしてポケットに入れた。
 そして、暫く舐めて――――
「……あ、あれ……身体が……」
 俺は足元をフラ付かせ、よろけるようにたたらを踏み、そして倒れた。
 本来上がる筈の、心配の声や悲鳴は一切聞こえない。それどころか――――
「私の配合した毒ならば、苦しまずに逝ける。その身体も今日中に運び屋が丁寧に運送して、埋葬してくれるだろう。悪く思わないでくれ。これも君の為だ」
 そんな声が聞こえて来た。その後、足音がどんどん遠ざかって行く。そして、扉の閉まる音が聞こえ、三分経過した後――――俺はゆっくり立ち上がった。
 二度ある事は三度ある。数ある諺の中でも、俺が一番信用している言葉だ。どうやら、判断は正しかったらしい。
 飴は毒だった……みたいだ。
 そして、事もあろうに――――副会長もまた、殺し屋だったようだ。こんな事、昨日と今朝の出来事がなけりゃ絶対読めない。そう言う意味では、運が良かったと言えるのかもしれないけど――――まさか二日で三度も命を狙われるとは、流石の俺も予想だにしなかった。副会長の声と、今朝の殺し屋Bの声は一致しない。つまり、副会長は殺し屋Cって事になる。三度狙われた、ってだけじゃなく、俺は二日で三人に殺されそうになった、って事だ。
 俺の人生って一体……
「……帰るか」
 黄昏れていても仕方ないんで、暫く屋上で時間を潰し、その後死ぬほど手を洗い、帰宅の途についた。
 そして、夜。
「この浮気者ぉぉ! 殺す! 八つ裂きにして塩コショウして、近所に配り歩いてやるぅぅ!」
「ヒィーーーーーッ! かーちゃん勘弁ーーーっ!」
 うるっさいので、家の中から一時退却。
 家の明かりで照らされた庭に、例の飴を置いて暫く眺めていると、それを見つけた蟻がどんどん列を成して行き、どんどん死んで行った。
 惨烈だった。
 思わず具合が悪くなって、身を屈める。明日の天気予報は晴れ。が、心は晴れない。俺は焚き木のように地面で例の紙を燃やしつつ、暫く庭で風と火に当たっていた。
 翌日から、これまでの学校生活が一変してしまう事を、何となく予感しつつ。


 で、その翌日。
 登校は、自転車を使用する事にした。親父の車で送って貰うと言う案もあったが、自動車に何か仕掛けられてたら、ちょっと回避しようがない。タクシーは金が勿体無いから却下。命の危険に晒されていながら、700円程度を惜しむのはどうかと一瞬思ったりしたけど、それを毎日続ける訳にも行かない。それなら、待ち伏せしている殺し屋を振り切れる自転車の方が良い。勿論、それ以外にも対策は考えているけど、まあ一介の高校生に出来るのは、せいぜいこの程度のものだ。と言う訳で、自転車登校開始。勿論、裏路地は使わない。人通りの多い通学路を利用する。普段と違う登校の景色は、まるで初めて自転車に乗った日のような新鮮さが、ちょっとだけあった。
 そして――――無事登校。何事もなく教室へと到着した。
「あ……」
 そんな俺を、緑川が迎える。当然こっちは身構えるが、緑川には動きはない。まあ、こんな大勢の人間のいる前で不審な行動をとる事は出来ないだろうけど。
「あの……いえ、何でもありません」
 そして、緑川は――――何処か無念さのようなものを携えた目をして、フラフラと自席へ戻っていった。
「とほー」
 露骨に溜息なんて吐いている。まあ、知ったこっちゃないけど……気になると言えば気になる。そもそも、俺はアイツと一度話をしないといけない。俺を襲った動機は――――親父が言っていた『かつての債権者の暴威』の可能性が高いけど、なにせその後二人も別の殺し屋が現れた訳で。こうなると、その債権者とやらの依頼だけじゃない可能性が高い。別の理由があるってんなら、それはそれで把握しておかないとマズい。現時点で警察に駆け込んでも、相手にされないのは目に見えてる。怠慢じゃなく、人員不足。割ける人数に限界がある以上、具体性のない事件では、中々動いてくれない。自分で解決しなきゃならないんだ。と言う訳で、俺は一度鞄を置き、緑川の席へ向かった。
「……おい」
「!」
 机に突っ伏していた緑川が、俺の声に反応し、ピョコっと顔を上げる。小動物のような所作に、思わずグッと来た。ちっ、いちいち人のツボを刺激しやがる。
「なな、何でしょうか」
「話がある。放課後、残ってろ」
「はいっ」
 これで、とりあえず舞台は整えられた。後は――――あ、担任に自転車通学届け出さないと。
「よし。確かに受理した。にしても、何故今頃?」
「いやー、色々ありまして」
 当然、本当の理由なんぞ言える筈もなく、適当に茶を濁し、一礼。引きつりそうな笑みを押し殺し、職員室を出る。職員室前の廊下は、他のエリアと違って、喧騒が少ない。
「……放課後、体育館裏に来て」
 そんな閑散とした場所で。
 俺の後ろを素通りした女子生徒がすれ違いざま、さりげなく言葉を発した。慌ててその方に視線を送る。ごく普通の女子生徒。後姿しかわからないが、髪形はボブ。キッチリまとめてる訳じゃなく、ふんわりさせてる感じだ。昨日の副会長じゃない。当然、緑川でもない。となると――――殺し屋Bか? まあ、全くの別件って可能性もゼロじゃないけど、他に女子からお誘いを受ける心当たりはない。悲しいけどな。
 で、それは兎も角として。
 放課後に予想外のバッティングが発生しちまったな。まあ、緑川の方は待たせておけばいいか。普通なら、女子を待たせるなんていうのは、紳士であるトコロの俺には到底出来ない所業だけど、アレは俺を殺そうとしてる不届き者だ。情けをかける必要は欠片もない。まあ、優先しようとしてる相手も(多分)同じ穴の貉なんだけど。
 そんな事を考えながら歩いていると、昼休み終了を告げるチャイムが鳴った。


 で、放課後。
『生徒のお呼び出しを申し上げます。都築柘榴君、校内におられましたら至急生徒会室へ来て下さい。一人で来て下さい。必ず一人です』
 ぴんぽんぱんぽーん、と言う気の抜けそうなチャイムの後、そんな御指名が校内の全教室に響き渡った。生徒会室――――当然、首謀者は副会長と言う事になる。
 しかし、参った。当然、今日にでも何らかのアクションを起こしてくるとは思ってたけど、まさか生徒会室に直接呼び出すとは。生徒会全部、殺し屋の集団……なんて事になってるんじゃないだろな。
「あ、あの……」
 そんな俺の懸念が、ノイズのように入り込んできた女声によって乱される。緑川だ。
 男子に女子が話しかける光景――――それも普段見慣れていない組み合わせの場合、それは高校生にとって結構なイベントらしく、周囲に軽薄な色の喧騒が生じている。
「あ、あうーあうー」
 そんな周囲の好奇心旺盛な視線を受け、緑川は固まっていた。殺し屋……大丈夫かこんなんで。いや、寧ろ人の視線が苦手だから、あんな仕事してんのか?
「こここ、こっちへ」
 耐え切れなくなったのか、緑川は俺の手を引っ張り、教室を脱出。引きずられるように廊下へ、そして特別教室へと舞台を変える。
「すいません……ああ言うの初めてなもので」
 扉を閉めつつ、緑川は心底すまなそうに謝罪した。こうしてみると、普通の女子。いや、寧ろかなりシャイで気弱。風貌も相成り、殺し屋どころか、生まれてから一度も虫さえ殺した事ない、清い心の持ち主に見える。だが、実際にはれっきとしたヒットウーマンだ。こんな言葉があるかどうかは知らないし、どっちかって言うとダサいけど。
「あの……さっき、副会長に呼ばれていましたよね」
「そうだけど。あ、放課後の事か。ああ、そう言う訳だから、ちょっと時間を……」
「行ってはいけません!」
 都合よく向こうから聞いて来た――――と思ったのも束の間。いきなり命令口調でノーを突き付けられた。
「いや、確かに先に約束したのはそっちとだけどさ。そう頭ごなしに言われると」
「す、すいません。でもダメなんです。行っては」
 緑川は倒置法で強調してまで、行動の制限を促してくる。まさか……いや、間違いない。こいつ、副会長の正体を知っているな。
「何で行っちゃダメなんだ?」
 それを踏まえた上で、俺はそう聞いた。この時点で、その答えについては九割がた予想出来ている。きっと、競合ってヤツだ。こいつは俺を殺したい。だけど、もし俺がこれからノコノコと生徒会室へ行けば、そこで待っているであろう副会長、若しくは生徒会の面々に殺されてしまう。そうなれば、お仕事は失敗。緑川が俺を止めるのは必然だった。
 ただ、それを聞く事が質問の主旨じゃあない。この回答を提示されたら、次に『どう言う事だ? 何で俺が複数の人間に命を狙われなきゃならないんだ?』と聞く。それが狙いだ。上手く行けば、緑川の組織だけじゃなく、副会長が俺の命を狙う理由も明らかになる。この好機を逃す気はない。ここで一気に情報を貰う!
「ダメったら、ダメなんです!」
 しかし緑川は空気を読まず、単純否定を繰り返してきた。おのれ役立たずめ。
「理由を言え。それによっては善処する」
「う……言わなきゃダメ、ですか?」
「当たり前だろ。早く言え。殺すぞ」
「はうっ!? わ、わかりました! 言います! だから殺さないで下さい!」
 冗談で言ったつもりが、本気で取られてしまった。いや、殺し屋を殺すって脅すの、結構面白いと思うんだ。しかしウケるどころか怯えさせてしまった。ショックだ。つーかな、殺し屋が素人に『殺すぞ』言われてビビるってどうよ?
「あのですね……実は、都築さんは……」
 そんな俺の呆れっぷりにまでビクビクしつつ、緑川は胸を押さえながら言葉をゆっくり編む。
「命を狙われているんです!」
「知ってる。お前にな」
「ちち、違います! いや、違わないんですけど……違うんです!」
 おーおー、慌てとる慌てとる。
「言い難い事なんですけど、実は私だけじゃなくて、他にも貴方を狙っている人がいるみたいなんです。どうか気を落ち着けて、驚かないで聞いて下さい。私は昨日聞いて心臓が飛び出しそうになってしみゃったんですけど、どどどか落ち着ちて聞きてくだらい」
 後半噛み倒しだった。 
「実は……副会長さんは、私と同じように貴方を狙ってるんです!」
「知ってる」
「はうーっ!? 何故既にーっ!?」
 被せ気味で答えると、物凄く良いリアクションを貰った。ウケ狙いの時にスカされていただけに、微妙な気分だ。
「昨日殺されかけたんだよ。その副会長様に」
 ついでに言うと、他にもあと一人、襲撃者がいたんだが……こっちはまあ、黙っておこう。って言うか、そいつにも呼び出されてるんだよなあ。
「そ、そうなんですか……思ったより行動早かったんですね。でもでも、それならあのメールがお役に立てたんですよね。良かったです」
「メール? 何が?」
「……え?」
 俺の答えに対し、緑川は目を点にする。
「あのっ。私が昨日お渡しした紙なんですけど……見ましたよね?」
「ああ。メアドだろ? 見たけど」
「メールか何か送りました……よね?」
「いんや。って言うか、燃やしちゃった」
「燃やしーっ!?」
 素直に首を横に振ると、緑川の黒目が消える。少女マンガに良く、ありがちな驚きの顔だ。なにやら凄い衝撃を受けているらしい。バックに雷も見える。
「な、何故そのようなーっ!?」
「いや、殺し屋から受け取った紙なんて、燃やすだろ」
「うう……確かに一理あります」
 あるのか。
 まあそれは兎も角、緑川の様子が明らかにおかしい。
「あのメアドに何か秘密でもあったのか?」
「じ、実は……」
 それから暫く、緑川はあの時の行動の裏側を語った。
 俺を殺し損ねたものの、俺の言いつけを守った結果、組織の人達にそれほど責められずに済んだ翌日早朝の事。その組織とやらは、自分達以外に何者かが俺を狙っていると言う情報をキャッチしたらしい。当然、先を越されては敵わない。しかし、それを俺に直接伝えるのは難しい。なにしろ、一度襲撃した殺し屋。信用なんてある筈ない。だから、意味深にメアドを渡し、俺がそのアドレスにメールを送るように仕向けたらしい。そして、そのアドレスにメールを送ると、自動返信で危機を呼びかけるメッセージが送られてくるようになっていた、との事。
「って言うか、確かにメアドは渡されたけど……そこにメール送るように仕向けられた覚えはこれっぽっちもないぞ」
「はう〜……お色気不足……」
 なにやらブツブツと意味不明な事を呟き、何故か緑川は落胆した。向こうに何か落ち度があったのかもしれない。例えば、本来は俺をたぶらかし、気のあるような素振りを見せて、俺の方からメールを送ってくるように仕向けたけど、不発だった、とか。まあ、実際にはそんな素振りすら見えなかったから、違うに決まってるけど。
「でもでも、それで助かったのは凄いです。都築さんは、殺し屋から身を守る能力に秀でていらっしゃるんですね」
「そんな特殊技能、生まれてこの方自覚した事なかったんだけどな」
 もし、自分が何かの拍子でレベルアップして、その機会に数ある特殊能力から好きな物を選べるとしたら、確実にそれは最後に回す能力だろう。
「それに引き換え、私はダメダメです。このお仕事を果たさないと、家族と親戚とそのペットに命の危険が迫ると言うのに」
 いきなりへヴィな話題だなおい! 流石に今のはサラッと流せないぞ。
「お前、一体どう言う人生送ってんだ? 女子高生が殺し屋って……おかしいだろ」
 既に複数の女子高生アサシンを知ってるとは言え、普通に考えたらあり得ない事だ。そんなコイツの人生に興味が湧いた――――なんて事はない。改めて、俺がコイツの組織に狙われてる理由を聞く為の誘導尋問だ。
「……私の父は、厳格な人でした。ある会社の副社長で、とっても真面目で堅物なお人だったんです」
 結果、いきなり親父の事を語り出した。
 長くなると困るんだよなあ……後つかえてるし。
「ところがある日、ライバル会社のハニートラップに引っかかって、一気にだらしなくなって……横領とかして……裁判……借金……」
 後半、声が詰まってしまって聞き取り難くなった。まあ要は、親父が転落人生を歩んで、親の借金のカタに風俗か殺し屋か選べ、と半ば冗談で言われた挙句、本気にして後者を選んだ結果こうなった、と言う事らしい。なんと言うか……悲惨な人生だな。俺にそう言われるって、相当だと思う。
「それで、初仕事と言う事で、貴方を狙いましたところ、失敗してしまいました」
「まあ、それは何となく想像は出来たけど」
 幾ら所作が鋭くても、それ以外はおよそ殺し屋とは言い難い行動に終始してたしな。初心者、と言うか初仕事だと言う空気はビシビシ発していた。こいつは多分、人は殺せないだろう。そう言うタイプの人間とは、どうしても思えない。
「ですから、あの……貴方の命は私が貰い受けないと、ダメなんです。他の人に殺されないようにお願いします」
「随分ムチャクチャな要求だなオイ!」
「す、すすすすいませんーっ!」
 ちょっと怒鳴ったら凄い勢いで謝られた。困った殺し屋だ。これじゃ、例えこいつがナイフを所持した状況で通報したとしても、絶対俺が嘘吐いてると思われるぞ。そう言う意味でも、困った殺し屋だ。
「で、お前が俺を狙ってる理由はわかったけど、お前の組織は何で俺を狙うの」
 色々と面倒になったんで、もう直接聞く事にした。コイツには駆け引きは無駄だ。全然汲み取ってくれないし。
「で、でも、それを言うと私の立場が……」
「そうか。やっぱり親父絡みか」
「へ? それはどう言う事でしょうか?」
 この反応を見るに、どうやら違うみたいだ。演技にしてはすっ呆けが足りない。そもそも、コイツには演技なんて器用な真似、絶対無理だろう。カマかけは反射的な反応を見られるから、結構精度が高い情報を得られる。そして、どっちに転んでも得る情報がある。そう言う点では有効な手法だ。ただ、親父絡みじゃないとなると、ちょっと厄介だな。他にどんな理由で俺が殺されなきゃならないってんだ――――
「あ、危ないっ!」
 一瞬。思案に耽った刹那、俺の身体は宙を舞っていた。反応もクソもない。まるで突然雨が降ってきたかのように、景色が一変する。俺はそれを、ただ傍観するしかなかった。投げ出された身体が、無数の机と椅子を薙ぎ倒し、着地するまでは。
「……痛ぇ」
 身体のアチコチをぶつけた痛みが、体調の異変を訴える。俺を吹き飛ばしたのは――――緑川だった。突き倒されたのか、蹴り飛ばされたのかもわからない。ただ、それが俺を殺す為じゃないと言うのは、直ぐに理解した。そしてその理解の後、窓に穴が開いている事に気付く。ヒビに覆われた、直径約九ミリの穴。それが何なのかは、直ぐ理解出来た。
「伏せて下さい!」
 言われるがままに、身体を限界まで伏せる。その瞬間、穴の開いた窓ガラスが派手に割れ――――制服姿の女子が、腕をクロスさせながらこの教室に飛び込んで来た!
「遅ーーーーーーーーーーーい!」
 そして、修羅の如き咆哮。初めてみる顔だったが、直ぐにその髪型――――ふんわりボブでピンと来る。
「お前は、殺し屋B!」
「誰が殺し屋Bよ! 私には有沢かりんって言う名前があるの!」
 その髪を振り乱し、殺し屋Bこと有沢は吼えた。
「一体いつまで待たせる気よ! ブッ殺されたいの!?」
「いや、殺されたくはないけど……殺す気満々なんだろ、アンタ」
 殺し屋の『ブッ殺す』程、怖い言葉はない筈なのに、何か軽い。一応、場面としては人生最大の危機の筈なんだが。なにしろ、拳銃を持った殺し屋に襲撃受けてるんだし。
「私はね、待たされるのが死ぬほどキライなの! 昨日だってイライライライラしながらアンタを待ってたんだから! しかもよーやく現れたと思ったら、何かやけに冷静で! 挙句の果てにハッタリに引っかかって撤退しちゃったし! あーハラ立つ!」
 有沢は地団太を踏んでストレスを発散させていた。
「昨日はホント、良くやってくれたもんよね。今日だって、自分に拳銃向けた相手の呼び出しを無視するんだもの。アンタのその度胸だけは尊敬する。ホントに」
「そいつはどーも」
「その態度よ! 殺されそうになってんのにナニそれ!? アンタ、何か人間味がないって言うか、嘘臭いのよ存在が!」
 うわ、凄く酷い事を言われた! よりによって……殺し屋に『人間味がない』とか。制服着た女子高生の殺し屋に『存在が嘘臭い』とか!
「どの口でンな惨い事言いやがるテメーーーッ! ブッ殺すぞコラ!」
「え……な、何よ。そ、そんなに怒らなくても良いじゃない」
 俺の沸点を読み違えたのか、有沢はたじろいでいた。それが隙となったのか――――
「そこまでです!」
 一瞬。
 緑川の身体が野生動物のようなしなやかさで床を蹴り――――有沢の目の前まで接近する!
「なっ……誰よアンタ!?」
「都築さんは殺させません! 殺すのは私です!」
「ハァ!? まさか……同業者!?」
 なんか、殺し屋同士で戦闘をおっ始めた。
 緑川の身体が、しなやかに無数の机の上を滑走し、有沢へ接近する。
「くっ、この子……速い!」
 有沢の声は、焦燥感を帯びていた。殺し屋としての技量は兎も角、緑川の身体能力は同業者すら唸らせるほどに高いみたいだ。
「やっ!」
 そんな緑川拳が、有沢の顔面を襲う。ただ、有沢も流石に無抵抗とは行かず、銃を持った右手と左手をクロスさせ、辛うじて防いでいた――――が、完全に衝撃を吸収出来なかったのか、その標準体型の身体をヨロつかせ、バランスを崩す。
「……っ! やってくれるじゃない! こうなったら徹底抗戦よ!」
 今度は、有沢が仕掛ける。踏ん張った足をそのまま屈め、低い体勢でタックル。が――――あっさりと緑川にかわされていた。
「ぎにゃーっ!」
 そして、そのまま机をなぎ倒しつつ、床へとダイブ。物凄い音が室内に響く。
「ふ、ふふ……やるじゃない」
 今度は完全に泣きながら、それでも直ぐに起き上がってきた。
 熱を帯びる、二人の戦い。
 よし、好都合だ。逃げよう。
 俺は睨み合う二人を尻目に、特別教室をスッと出て行った。


 校内の一室で大騒動が起こっている最中、それでも生徒会室はやたら静かだ。防音設備が整っているのかもしれない。窓を締め切っただけでは、こうも行かないだろう。
「随分と遅かったじゃないか。もう一度呼びかけようとしたところだった」
 そんな、学校から隔離されているかのような空間で待っていたのは、副会長一人だった。本来なら、こんな場所に来たくはないんだけど……シカトしたところで、さっきの有沢みたいに襲撃されちゃ敵わん。まして、このヒトの場合、襲撃ってよりこっそりと毒を盛られる可能性が高い訳で、余計タチが悪い。
「まあ、かけたまえ。紅茶でも出そう」
「いや、絶対飲みませんけど」
「そうか。この葉はとても美味しいんだが」
 副会長様はシュンとした。何故か軽い罪悪感。いや、昨日毒入りの飴を渡されたばかりなんだから、俺の行動は100%常識的なものなんだけど。
「おっと」
 そんな思考に囚われていた俺の前で、副会長様は注射器をゴトリと落としていた。紫色の液体が見える。
 ――――沈黙。
 やっぱり判断は圧倒的に正しかった。
「仕方ない。余り時間を取らせても悪いから、こちらの用件を簡潔に述べよう」
「そう何事もなかったかのように話を進められると……」
「君に死んで貰いたい」
 こっちの言葉も聞かず、大胆にまあ。とは言え、やっぱり……としか言いようがない。
「一応、理由を聞いておきます」
「うむ。それは当然の権利だろう。誰だって、理由もわからず死にたくはない」
 いや、理由わかってても死にたい奴はまずいない。
「実はだな。君の命を狙う組織が三つばかりある」
「はあ」
 普通なら、現実感のなさに生返事してしまうところだが、俺は思いっきり実感を篭めた上で、生返事した。
「一つ目は、まあ言ってみれば零細経営の組織だ。金がないから、優秀な人材を集める事も出来ない。借金のカタに適当な人間を集め、殺しのレクチャーをし、殺し屋として派遣すると言う、やる気のなさにかけては定評のある連中だな」
「やる気がないなら、殺し屋なんて派遣しないで欲しいもんだ」
「二つ目は、真っ当な組織だな。本部はアメリカのペンシルベニア州にある。日本支部はこの静岡県と滋賀県、あと三重県にある」
「いや、場所が割れてる時点でへっぽこな組織と言わざるを得ないんですが」
「情報化社会だからな。仕方ない」
 寧ろ時代に乗り遅れているような……プロテクトしろよ、ちゃんと。
「加えて、近年は殺し屋を目指す若人がいない、学力と身体能力の全体的な低下、そしてモチベーションの低さと言う問題が山積している為、急激な人材不足に陥っている」
 学力との因果関係は不明だが、それ以外はまあ、納得。殆ど接した時間はないが、あの有沢とか言う女も大した殺し屋とは思えない。
「そして三つ目だが……」
「それがアンタんとこ、って事でしょ」
「いや、違う。私は殺し屋ではない。殺し屋が標的にした人間を事前に殺す……そんな誇りある仕事をしている」
 ……絶句。
 そんな職業あるのか。って言うか、誰にメリットがあって、何処に利益が生まれるんだ、そんな仕事。
「フフ、そんな目で見ないでくれ。照れてしまう」
 思いっきり蔑んだ目で見たつもりだったんだけど……
「殺し屋と言う連中はな、基本的に依頼主に発注を受けてから殺しを行う。まあ、成功報酬が一般的だな。昔は、前払いとの二分割が一般的だったが、足が付くのを恐れて前払いをしたがらない依頼主が増えた」
「はあ。それが何か」
「で、だ。成功報酬オンリーと言う事は、依頼を達成するまで依頼主は一銭も支払っていない状態だ。そこに、『もっと安く殺せるぞ』と言う売込みがあれば、当然依頼主は揺らぐ」
 なんとなく、話が見えてきた。つまり、殺し屋の競合と言う事らしい。一つの組織が最初に依頼を受けた後、その依頼主に別の組織がより安い価格でサービス(ここでは殺し)を提供しますよ、と言う売り込みをかけ、ライバル組織の仕事を奪う、と言うわけだ。
「いや、だったらよりタチの悪い殺し屋って事になりますが」
「そんな事はない。依頼主にとっては安価で済むし、私は苦しまずに人を殺す術を知っている。その後の処理もカンペキだ。そして私は苦労せずに仕事を得られる。どうだ、誰一人損をしない最高のシステムだろう?」
 副会長は腰に手を当て、高笑いを始めた。成程。ここまで俺は三人の殺し屋に会ってきたが、こいつが一番ブッ飛んでいる。これは関わり合いになる訳には行かないぞ……
「と言う訳で、君に死んで貰う事が出来れば、誰もが幸せになれるんだが」
「いや、俺は確実に不幸だと思うんですけど」
「そんな事はない。君は複数の殺し屋に狙われている。助かる訳がない。必ず殺される。だが、今時の殺し屋はポリシーもなければ技術も経験もない。きっと、想像を絶する下手な殺し方をするだろう。君は苦痛と絶望で苦しみ、長時間のた打ち回る事になる。だが、私なら楽にあの世へ行かせる事が出来る」
 キッパリ、そう断言してきた。本気だ。温和な笑みを浮かべているし、目も笑ってる。でも、確実に本気だった。この人はアレだ。根っこから腐ってるタイプの人間だ。自分が悪い事をしていると本気で気付かないタイプ。これは困った……一番苦手な性質だ。
「ただ、君には毒を見破られてしまったからな。フフ、まさか死んだフリとは。本来なら、あの場面では心音や脈を確認すべきだったんだが、私も気が焦っていた。失敗だったな。てへっ」
 いや、今更そんな可愛いトコをアピールされても一切萌えねえぞ。
「だから、新たな方法を考えなくてはならない。どうしたものか」
「って言うか、楽に死ねる方法なんてないと思いますよ。きっと、時間にして一瞬だったとしても、殺される側にはスローモーションに感じるんじゃないですかね。走馬灯とか、実際そんな感じだって言いますし」
 俺は取り敢えず、テキトー極まりない事を述べてみた。意外と副会長の食い付きは良く、感心したように小刻みに首肯している。
「苦痛は単純な経過時間とは比例しない、と言う事か。確かに一理あるな。うーむ、これは私の自論を根本から覆す事になりそうだ。弱った、弱ったぞ」
 そして、勝手に悩み出した。こんなんで価値観揺らぐ人間が殺しとかしないで欲しい。迷惑極まりない。
「うーん。うーん」
 副会長は延々と唸り続ける。所在無い。
「……何も思いつかないなら、俺はこれで失礼しますけど」
「わかった。わざわざ済まなかったな」
 労われてしまった。ちっとも喜ばしくないが。
 さて――――これからどうしようか。一階の騒ぎはもう沈静化してるだろう。流石に、教師に見つかって警察に通報される、なんてしょーもない展開にはなってないだろうが。とは言え、覗きに行くほど俺の危機管理能力は低くない。このまま家に帰るのがベストだろう。家が安全って言う保障もないけど、まあ殺し屋犇くこの学校よりはマシだ。
「あ、都築」
 廊下に出てしばらく思案していた俺に、副会長が後ろから声をかけてくる。マズいな、何かソフトな感じの殺し方でも思いついたのか?
「これを持って行くと良い。高性能の防犯ブザーだ。殺し屋の得物だけに使われている金属に反応して、音が鳴る」
 しかし、想像とは異なり、そんな物を持たされた。
 爆弾……?
「爆弾じゃないぞ。私は殺し方にポリシーを持っている。周囲の人間に不快な思いをさせるような殺し方は絶対にしない」
 先読みされた。まあ、説得力がないとは言わないけど……
「うーむ、その目は疑いの眼差しだな。誰か身近に殺し屋がいれば良いんだが」
 このヒト、俺の目を悉く間違えてるな。大丈夫か、こんなんが副会長で、ウチの学校。いや、それ以前の問題ってのは良くわかってるけど――――とか思っていた、その時。
「……!?」
 突然の轟音。しかも電子音だから、不快指数も相当高い。爪でガラスを引っかく音を、劇場版でお送りしている感じ。いや、それ以上の音量だ。
「どうだ? 本当に防犯ブザーだっただろう」
 そして、副会長は得意げに笑っていた。廊下に倒れながら。
「ふ、副会長が倒れてるぞ!」
「この絶望の音色と関係が!? 副会長、しっかりして下さい副会長!」
 なんか大騒動に発展。俺も余りの音に気を失いそうだ。そんな中、ブザーの音に驚いて倒れている人間が――――他にも二人。
 まあ、言わずもがなの二人だった。 


『取り敢えず』――――これはとても便利な言葉。魔法の言葉と言っても良い。それまでの様々な過程であったり、積み重ねてきた展開であったりと言うのを一瞬で置き去りに出来るんだから。そして俺は、取り敢えず家に帰っていた。
「お、お邪魔します……」
「失礼します」
「うむ、良い家だ。流石、36,000,000円を費やしただけの事はある」
 取り敢えず状況の改善を望むべく、三人の殺し屋を連れて。
「……」
 先に帰っていた姉貴は絶句していた。当然、姉貴は彼女達が殺し屋だとは知らない。標的は俺に集中してたらしい。それは幸いだったけど、姉貴の目にはこの状況が『これまで一度たりとも女の子と接しているのを見た事がない弟が、いきなり三人も一度に連れてきた。三股だ。修羅場だ』と映っているのは明らか。後でどう釈明しよう……
「取り敢えず、俺の部屋に」
 そんな過酷な状況も、俺は魔法の言葉を用いて進展を優先させた。そして、飾り気のない部屋に三人の女子がそれぞれ腰を下ろす。
 殺し屋A、緑川日向。副会長曰く――――零細経営の組織に拾われた、初心者殺し屋。
 殺し屋B、有沢かりん。副会長曰く――――割と普通な組織に属する、へっぽこ殺し屋。
 そしてもう一人が、殺し屋Cの生徒会副会長、村崎伊吹。名前はさっき聞いた。他の殺し屋に依頼が舞い込んだ際、それを横取りするコバンザメ商法を行っている、最悪の殺し屋だ。しかし、副会長としての人気は絶大で、誰も彼女を非人道的な人間とは思っていない。表と裏を上手く使い分けている――――と言うよりは、常識もあり、成績も優秀と言う中で、選んだ仕事だけ最低最悪と言う事のようだ。
 そんな三人が一堂に会したのは、何も俺の提案って訳じゃない。副会長である村崎先輩の意向だ。
「さて、まずはお茶でも飲んで落ち着くとしよう。私が……」
「止めて下さい。姉が今用意してます」
 その村崎先輩はとても不服そうに、俺の枕をギュッと抱きしめていた。あれも、もう使えそうにないな……怖くて。
「紅茶なんてどうでも良いのよ。それより何で私が標的の家に招かれなきゃならないの? って言うか、招く普通?」
「うるさい。常識人っぽい事言うな殺し屋B」
「誰がBよ! せめてAにしなさいよ!」
 有沢はご立腹の方向を明らかに間違えていた。
「あああの、余り大声を出すとご近所迷惑に」
「うるっさい! って言うかアンタ強過ぎ! 何でそんな小動物系の顔して、私が手も足も出ないのよ! 納得いかない事ばっかよ!」
 そして、そう叫ぶ有沢の体は、至る所が傷だらけになっている。一方の緑川は完全無傷。どうやら、小競り合いは緑川が圧倒的に優勢だったらしい。って言うか、拳銃持ってナイフが武器の相手に惨敗って……
「お前、弱いな」
「……う、うるさいなあっ!」
 自覚しているのか、有沢は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「さて。私が君達を集めたのは他でもない」
「集まってるのは俺の家だし、緑川のナイフに反応したブザー音で気絶したお前ら全員を保健室に運んだのは生徒会役員だけどな」
「他でもない。私達が今置かれている状況を再認識して、それぞれに有益な状態を作る為だ」
 俺の言葉を無視し、先輩は淡々となのか揚々となのか判断に迷う語調で、話を勝手に進め出した。
「現在、私達は拮抗状態にある。一人の標的を巡って、複数の殺し屋が競合している状態。これは決して有意義とは言えまい。例えば今日のように、自分の利の為に殺し屋同士が敵対すると言うのは、業界全体の事を考えてもプラスにはならないだろう」
 そして、そんな先輩の言葉を、他の二人はシュンとしながら聞いている。つーか先輩、完全に殺し屋視点で語ってるんだけど。私は殺し屋ではない、とか言ってたクセに。
「ちなみに、私はあくまでも『人の命を左右する仕事』全般を指して業界と言っているのであって、殺し屋と言う狭く醜く破綻寸前の職業を指している訳ではない」
 俺の考えが読めるのか、話の腰を折ってまで否定してきた。この先輩、すごく苦手……
「殺し屋の皆さんを悪く言わないで下さい。親が失墜して、他に生きる道を失った私に、とっても良くしてくれる人達なんです」
「そうよ! 私はこの仕事に誇り持ってるんだから!」
 ブーイングが発生するが、先輩は特に気にするでもなく、続きを述べ始めた。
「まあ、いずれにせよ、だ。君達とて、今のままではお互いを牽制せざるを得ず、思うように仕事が出来まい。この業界は信用が命。そしてその信用は、確実性のみならず、施行するスピードによっても決まる。余り手を拱いている訳にも行くまい」
「う……」
 案の定、先輩の意見に二人は反論出来ない。口の上手さでは、この人が群を抜いている。
「そこでだ。この際だから、恨みっこなしでジャンケンなど……」
「アホかっ!」
 俺は近くにあった掃除クリーナー、通称『コロコロ』で村崎先輩の頭を思いっきりドツいた。余り殺傷力も自重もないが。
「痛い。何をする」
「ジャンケンで殺される相手を決められてたまりますか! いや、どんな方法でも決められたくはないですけど!」
 不服そうに頭を押さえる先輩は、妙に子供っぽかった。おのれ、ちょっと可愛いじゃないか。絶対ホレないけどな!
「だったら、どうやって決めれば良いのよ。言っとくけど、私は絶対に譲る気ないからね。最初の仕事でコケたら、もう次はないって業界だし」
「最初の仕事……ね」
「な、何よ! 悪いっての!?」
 訳のわからない事を言いながら、有沢はビギナーである自分を恥じているのか、また紅潮していた。
「別に。誰だって最初はそうだろ。それを恥じて何になるってんだ」
「そ、そうよ。当然よ」
 そう強がりつつも、何処か有沢は安心したように口元を綻ばせている。頼むから、標的に慰められるな。
「あの、初めてなんですか?」
 そんな有沢に、緑川が話しかけている。
「私も初めてなんです! 良かったらお友達になって下さい!」
「誰がなるかーっ! 私をズタボロにしたクセにーっ!」
「はうっ、すいません〜」
 ……何なのコイツラ。頼むから神様、どうせ殺し屋に狙われるなら、もっとニヒルなのとか、ハードボイルドなのにして下さい。緊迫感が全然なくて、凄く滑稽です。
「不満を述べるのであれば、それ相応の代案を語って貰いたい。何か妙案があるのか?」
 そして先輩はまだ不満なのか、少し拗ねながら詰め寄ってきた。
「不満って言うなら、この状況の一片たりとも不満のない要素はないんですけどね。そもそも何で俺が殺されなきゃならないんですか。悪い事何もしてないのに!」
 俺の魂の叫びに、有沢が反応を示す。
「……ま、その点は気の毒だけど。これも仕事だから」
「私も……出来れば、違う形でお会いしたかったです」
 下っ端二名は、罪悪感に苛まれているのか、或いは初めて他者の命を奪う事を実感したのか、いたたまれないと言った表情で俯いていた。殺し屋と言っても、所詮は縦社会。こいつ等に拒否権はない。俺に悪意を向けているのは、あくまでも依頼主だ。
「君が狙われる理由は、実は三つもある」
 そんな中――――先輩はそんな問題発言をいきなり提唱して来た。三つ? 俺、そんな業深い人間だったのか?
「一つは、まあ父上の借金整理だな。それで債権者となった会社が一つ潰れた。その逆恨みで、息子の君が狙われている」
 それは、既に想定内のものだった。これ以外にも二つあるってのか?
「二つ目は……君の幼少期に由来する。君の父上が当てた一億円の宝くじを巡って、三人もの子供が君と間違われて誘拐されたと言う事件だ」
「いいいい、一億円!?」
「誘拐!?」
 緑川と有沢は、それぞれとっても良いリアクションをくれた。確かに、俺はそう言うハタ迷惑な事態を引き起こした過去を持っている。
 ってか、良く知ってるなそんな事。さっき何気にこの家の価格も呟いてたし……色々調べてるんだな。
「その時に誘拐された一人が、そのトラウマで学校に行けなくなり、現在登校拒否になった挙句、親に暴力を振るっているらしい。それで、その原因となる君を殺して、トラウマを断ち切ろうとしているようだ」
「随分とまあ逆恨み甚だしいな!」
 そりゃ、向こうにしたらとんだトバッチリで人生変わったのかもしれないけどさ。それで狙われるのが俺っておかしいだろ。誘拐犯か、100歩譲って宝くじ当てたクソ親父を狙えよな。
「誘拐……まさか、でもそんな……」
 呆れる俺を尻目に、有沢が一人ショックを受けていた。妙に『誘拐』って言葉を反芻してる。何か、気になる事でもあるんだろうか。
「そして、もう一つ。君の姉にフラれた教師が、その後島流しにあって、転勤先でも上手く溶け込めず、結局は辞職。転落人生に突入して、その腹いせに君を」
「だから当事者を狙えよ!」
 するってーと何か? 俺は全部身内の巻き添えで、つーか身内の代わりに三組織から狙われてるってのか。
 これまでのトラブルメーカー人生の中でも、もう一位と言っていいだろう。今回のこの事件の悪質さは。理不尽にも程がある。
「……お茶、遅いですね」
「心待ちにしてんなよ、この状況で」
「はう、すいません。喉が渇いて」
 俺の睨みに、緑川は恐縮して身を縮める。でも、確かに遅い。たかが四人分のお茶、とっくに沸いてるだろうに。
「……ところで、先輩」
 そして、その疑念と同時に、俺はもう一つ抱いていた疑念を口にする事にした。
「先輩は、コバンザメ商法で俺を殺そうとしてるんだよな」
「その名称には全力で異を唱えたいが、まあそうだ」
「だったら、計算合わなくないか?」
 俺を狙う動機は三つ。殺し屋も三人。一見、問題なさそうに思えるが――――先輩がこの中に含まれないのなら、一つ動機が余る。
 それって、つまり――――
「遅れて御免なさい。お茶が……」
 ノック音。それに全員が耳を傾け、視線を扉に送った刹那――――
「危ない!」
 窓が割れる。扉と反対方向の空間に、キラキラとガラスの破片が舞い――――俺は、先程と同じように、宙を舞っていた。そして同時に、それがやっぱり同じように緑川によるものだと気付く。今回は、しっかり見えた。白。緑川って苗字だけど、白。つまり、蹴りだったって事だ。俺はそんな、呑気な事を考えながら、この瞬間をじっと傍観していた。そうせざるを得ない。なにしろ、吹き飛ぶ間にもう事が終わっていたのだから。二階の窓から侵入してきたのは、男だった。手にはナイフ。しかし、そのナイフがきらめきを残す事はなかった。
 次の瞬間。男の鼻先には、銃が。そしてこめかみには注射針が突きつけられていた。この襲撃者は多分、第四の殺し屋。ただ、殺し屋Dとしてこの三人と同列に語るには、真っ当過ぎた。真っ当に俺を殺しに来た結果――――三人の同業者によって、その仕事を阻止された。
「コイツを殺すのは私なの。邪魔しないでくれる?」
「そのナイフで都築柘榴を刺すつもりだったのだろうが……実に不親切な殺し方だ。焼けるような痛みを与える上に、床に血が飛び散る。片付ける者の事を少しは考えろ」
 そして、説教まで受けていた。こんな気の毒な殺し屋は他にいないだろう。
「大丈夫ですか?」
 何故か自分を殺そうとした相手を同情していた俺に、緑川が顔を近付けて来る。助けられた、と言うのだろうか、この場合。命を狙われ、そして救われ。奇妙な事だと言わざるを得ない。一体俺は、この子に、そして他の二人に、どんな感情を持てば良いものやら。
「貴方は私が殺しますから、それまでは誰にも殺させません。私が護ります」
 取り敢えず――――満面の笑みでそう宣言した緑川を、俺は全力ではたいた。


 人間、誰しも冗談を言う。俺だって沢山言って来た。その中には、偶にとは言え、『殺すぞ』とか、『死ね』とか、そう言う言葉もあった。
「柘榴ーーーっ! 今日も男前だなーーっ! 俺はうれしいぞ、お前みたいな息子を作れて! どうか老後を支えてくれよなーーーっ!」
 でも、その殆どは本心じゃない。
「うるさい! 死ねボケ親父! 老人ホームで虐待されて笑われながら死ね!」
 それは、俺の人生の大半で足を引っ張っているこの親父に対しての言葉であっても、例外じゃない。言動に重さ、軽さと言うのは、本来あるべきものではないと思う。そこにあるのは、本当と嘘。真実と虚実。それだけだ。実しやかに語られる嘘も、誰でもそうだと見抜ける嘘も、結局は同じもの。そして、嘘みたいな真実も、当たり前の真実も、やっぱり同じ種類のものだ。だから、今日と言う日に何があっても、それは昨日や一昨日、そのずっと前のとある一日となんら変わる事のない、そう言う日でなくちゃならない。
「じゃ、お先に」
「うん。夜に昨日の御片付けしようね」
 姉貴より先に家を出た俺は、そんな事を何となく考えながら、今日も優雅に通学路を闊歩する。自転車には乗らない。暫くは、乗る必要がないからだ。なんでも昨日、この街の警戒が更に強化されたらしく、パトロールに出かける警察官やパトカーの姿を何度も目にする。治安大国日本、ここに復活。いや、実際には逆なんだけど、そう言う気分だった。
 真実と虚実。それは全く違うもの。でも、時としてそれは、同じ人間の中であっても入れ替わったりする。
 妙な事に。
 でも、それもまた、真実だ。昨日不幸だと思っていた事が、今日は幸福だと思う事だってある。実際、俺はそれを噛み締めていた。
 そして、不幸や幸福ってのは、得てして連鎖するもの。
「あ……おおお、おはようございます」
 最初は、緑川。
「……おはよ」
 次に、有沢。
「今日も良い天気だな。こう言う日には、良い毒が練れそうだ」
 そして、村崎先輩。
 俺を狙う殺し屋三人は、今日も俺の周りに自然と集っていた。当然、昨日となんら変わりなく、俺を殺す事を目的とした三人。でも、それ故に、三人はそれぞれに牽制し合い、そして昨日のような第三者の介入で俺が殺される事を警戒し、こうして共に登校している。俺が稀代のトラブルメーカーだと言う事を、村崎先輩は知っていた。調べたんだろう。それを聞いた他の二人は、昨日のような事がまた起こると思ったに違いない。その結果、俺の周りには強力なトライアングルゾーンが形成される事になった。周囲の俺を見る目も、相当変化する事だろう。それは、まあどうでも良い。差し当たっての問題は、人間関係。なにせ、男と女だ。どうなるかわかったもんじゃない。まあ、殺そうとしている相手を好きになるとか、自分を殺そうと狙っている女にホレるとか、そう言う事は多分ないと思うけど……なにせ、これまで余り女に縁のない人生を送ってきた手前、ちょっと意識してしまいそうで怖い。
「あああの、都築さん」
 そんな余計な事を考えていた俺に、右隣の緑川がどもりながら話しかけてくる。
「これ……えへへ」
 そして、そっと二つ折りの紙を渡して来た。
「……?」
 それとほぼ同時に、左手に何かが当たる感触。それもやっぱり紙だった。強引に俺の手の中にそれを入れたのは、左隣に陣取り、そっぽを向いている――――有沢。
「ところで都築。君に私のメアドを教えておく。殺されたくなったら、何時でも連絡してくれ」
「なるか!」
 余りにアホ臭い動機だったが、頭に乗せられたそのメアド入りの紙を落とし、両手でキャッチする。その手の中に、紙は三つ。全部、メアド入りだった。
「……」
「……」
 両隣の空気が妙におかしい。
 俺はこれまで、沢山のトラブルに巻き込まれてきた。だからわかる。これは、とてつもないトラブルの火種だと。そして、トラブルもまた、連鎖する。その連鎖の終わりが幸福なのか、不幸なのかはわからないけど。
 取り敢えず、目下のトラブルの度合いは――――どの連絡先に最初にメールを送るか、で決まりそうだ。








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