「よう。テメーか。都築柘榴って」
見た事も会った事もない、原宿あたりを歩いている軽薄な風俗スカウト的容姿の茶髪男に、突然話しかけられる。俺の人生において、そんな不幸の呼び水とも言えそうな事は、今までに何度もあった。そして、その度に同じ対応をするよう心がけている。
「いえ。違います。じゃ」
「おいおい、待てよ。最近のガキは礼儀も知らねーのか? 初対面の相手に対して、そんな態度はねーだろ」
しかし、そのまま見逃す人間も少なくない中で、この男は足早に去ろうとする俺の前に陣取り、仁王立ちをして来た。勿論、ここで怯んでてはいけない。重要なのはここから。考える。洞察する。それが、リスクマネージメントの骨子。俺を呼び止めたって事は、当然ながら俺を拘束する理由があるって事。俺の名前を知っているって事は、身元を調べているか、若しくはこいつ自身が俺と何かしらの接点があるか。或いは、両方かもしれない。前者に関しては、この場所――――俺の通学路で待ち伏せしてた時点で、ほぼ間違いなく実行していると判断して良いだろう。重要なのは、後者も重複しているケース。親戚一同にこんなヤンキーみたいな男はいないと思いたいが、全ての親戚を把握する程、親戚付き合いが良い訳でもないんで、その可能性を消す事は出来ない。ただ、親戚なら別にそれで構わない。身構える必要もない。その必要があるのは――――
「礼儀を示す必要はないですね。殺し屋の関係者なんかに」
そう。
俺は――――なんとも下らない理由で、ここ最近、殺し屋に命を狙われたりしている。それも、三人。それも、女の子ばっか。その経緯諸々については、ここでは割愛する。取り敢えず、俺自身の経歴や行動には一切起因しない、とだけは言っておこう。そんな訳で、様々なトラブルが飛び込んでくる俺の人生の中にあっても、残念ながら今はこの件が絡んでる可能性が極めて高い。男の不遜な態度も、それを飛躍的に上昇させていた。
「お、なんだ。俺の事知ってたのか」
「いんや。顔も名前も姿格好も知らん」
「あん? その割に、決め付けたような言い方だったじゃねーか」
それは、お前さんを動揺させる為だよ。
誰でも、自分の思い通りに事が運ばなければ、動揺する。その大小は個人差あっても。男は平静を崩さず、ポーカーフェイスだった。でも、必ず思考には波を打っている。俺はそこに、何度でも石を投げる。これも、リスクマネージメントの一つだ。
「……変な奴だな。ま、いいか。確かに俺は、そっち関係の人間だ。ただ、誤解のないように言っとくとな、俺は殺し屋じゃねーし、テメーを狙ってる殺し屋の知り合いでもねー」
男は、軽薄な口調で情報を提示してくれた。こんな嘘に意味はない。どうせ警戒されるに決まってるんだから。恐らくは本当の事なんだろう。
さて……殺し屋関連である事を肯定しながら『殺し屋の知り合いではない』と言ってたな。よって、殺し屋が所属してる組織の人間、と言う訳でもなさそうだ。依頼人である可能性もない。それなら、殺し屋関係と自称しない。
「第三者の立場、って事か。なら……殺し屋の見張り、ってトコか?」
これは、外れてもなんら問題ないブラフ。リスクはない。外れても、相手に優越感や『真実を述べたい欲求』を与える事になり、正解を提示して貰える可能性は高い。尤も、向こうからコンタクトしてきた以上、元々自分から身分を名乗る可能性はとても高いんだけどな。でも、それを相手からすんなり聞くのと、幾つかのやり取りを経て、引き出した格好で聞くのとでは、与える印象が違う。見知らぬ相手との会話で重要なのは、イニシアチブ。主導権だ。これを握られちゃいけない。その為には、ファーストコンタクトの時に、如何に相手の感情や思考に波を立てるか――――それが重要になってくる。俺は、その為に敢えて何度も石を放っていた。
「……テメー、やっぱり知ってやがったのか。俺の顔、何処で見た? 誰から聞いた? おい、聞いてんだぞ、答えろよ」
あれ? なんか、ブラフが大当たりしちゃった? 結構あるんだよなー、こう言う事。まあ、悪い展開じゃないんだから別に良いけど。
「回答するメリットは、俺にはないな」
「テメー……上等じゃねーか。ククク、楽しいねー。どうやって口を割らそうか」
男は、俺より一回り体が大きい。半袖のシャツから覗く腕の筋肉は、プロレスラーやボディービルダーみたいな太さじゃないけど、凡庸な高校生を蹂躙するには十分なボリューム。腕には自信あり。そう物語っていた。パワープレイに来られると、ちょっと厳しい。俺は、なるべく不自然にならないよう、学生服のズボンのポケットに手を入れ、携帯を軽く弄った。
「……録音か? そんなの別に意味ねーぞ。俺が暴力を振るったなんて証拠にはならねーからな」
「そうでもないですよ? 無断録音の証拠能力は、立場に依存しますから。高圧的な言動で、身体の大きい貴方が暴力を示唆した言動は、証拠能力としては結構高いんじゃないでしょうか」
ぶっちゃけ、正解かどうかは不明の適当な発言だった。ま、俺にとっちゃ、こう言う発言は珍しくもない。嘘八百。それが、自分を守る為に必要な手段である事が、最近やたら多い。嘘なんて、別に吐きたくないのに。
「……だっはっはっは! OKOK! 俺の負けだ、ガキ!」
そして。俺の発言に対し、男は急に笑い始めた。
「テメーは合格だ。いやー、ま、テメーの現状を考えれば、フツーのガキって可能性はないって思ってたけど、予想以上に妙なガキだったな」
「そうですか。じゃ」
相手に敵意がなくなったところで、俺は踵を返した。
「おいおいおいおいおい。そりゃねーよ。去っちゃダメだろ。ここから話は始まんだよ」
「……」
「心底面倒臭そうな目で見るなって。テメーの悪いようにゃしねーよ。俺はな、ビジネスのお話をしにテメーに会いに来たんだ。どうだ? その辺のファミレスで俺の話を聞かねーか?」
「聞かねー」
俺は再度踵を返した。
「だーっ、話が進まねーな! わかったよ! 先に身分を明かせば、少しは話を聞く気になるだろうよ! オラ、名刺だ!」
背を向けていた俺には、その名刺は見えなかったが――――
「暗殺評価機構、代表の由良直哉だ」
口で、そんな事を説明して来た。
「暗殺……評価機構?」
「話を聞く気になっただろ?」
勝ち誇ったように胸を張る、由良と名乗った男に対し。俺はこれまでの人生で体験した事のない、最大級の胡散臭さを感じずにはいられなかった。
「おはようございます! 今日も良いお天気ですね!」
とある、なんて事のない平日の事。登校している俺の右隣には、いつの間にか同学年の女子が並んでいた。
緑川日向。やたら朗らかな名前のこのクラスメートは、顔も口調も朗らかで、今の時代には失われた清潔感を保持している、珍しい女子。そんなこの女が、どうして殺し屋になったのか――――その理由に関しては、詳細を聞いた訳じゃないが、大体の経緯は知っている。まあ、不幸な身の上ではあるな、とは思う。とは言え、この女が暗殺稼業最初の標的として狙っているのは、何を隠そうこの俺だ。そんな女に同情する余地はない。
「全く……朝からいつも声が大きいのよ、アンタは」
そして、左隣には同じように、いつの間にやら同学年の女子が並行している。
有沢かりん。酸味溢れたスカッと爽やか柑橘系、って感じの名前だが、実際の性格は人の悪口ばっかり言う、性根の腐った殺し屋だ。まあ、偶に見せる純粋な顔は、可愛いと言えなくもない。暗殺者としては三流、いや四流。もう、ホントどうしようもない。ビギナーアサシンの緑川にすらボッコボコにやられるほど、その戦闘能力は低い。ダメ殺し屋の典型だ。こいつも人殺しの経験はゼロ。で、こいつの最初の標的もまた、俺。
「フッフッフ、甘いな有沢は。大きな音は、人間が感知する物の中でも、特にその有害性を認められている。暗殺者にとって、声の大きさは一つの武器だ」
そして、俺の背後から不気味かつ健康的に笑っているのが、先輩に該当する村崎伊吹。
学校内では非常に優秀な生徒として認知されていて、生徒会副会長なんてやってやがる。しかして、その正体は――――やっぱり暗殺者。主に毒を使って人を殺める女。 毒女だ。こいつの場合は、他の二人とは性質が違っていて、非常に悪質。ただ、人を殺した経験があるかどうかは不明だ。それでいて、困った事に人当たりはやけに良い。面倒見も良い。凛然とした姿と細身の身体は、どこか中性的な雰囲気を感じさせるが、顔は歴然とした女性。しっかりと美人顔だ。
いずれも、違う形であっていれば、恋の予感を検討したくなるような姿形。しかしながら、実態はいずれも俺を殺す為に集まった禍々しい面々。しかも全員、違う組織の人間と来た。おい、神様よ。お前がいるなんてこれっぽっちも思っちゃいねーが、この有様は一体どう言う事だ? 殺し屋のトリプルブッキングなんて、聞いた事ねえぞ!
「どうした、都築。朝から機嫌が悪いな。男にも私達女の二日目に相当する重い日があるのか?」
「ありません。そもそも一日目もありません。つーか、これ朝から話題にするコトか?」
「全く、不公平な話だ。どうして男女でここまで違いがあるものなのか……」
村崎先輩は、俺の背中越しに溜息を吐いていた。その息すら、毒息なんじゃないかと疑ってしまう。殺し屋に命を狙われるってのは、そう言う事だ。一向に気が休まらない。
「あの、都築君……もしかして、具合が悪いんでしょうか?」
そんな俺の気苦労を一切察そうとせず、その原因の一人の緑川が下から覗き込んでくる。歩きながら……器用な奴だ。
「お前らが俺の周りをチョロチョロし始めてから、体調が良い日なんて一日もない」
「はうっ。辛辣〜」
緑川はその態勢のまま、だーっと涙を流していた。泣き虫、意気地なし。しかしながら弱虫ではないと言うのが、厄介なところだ。
「はっ。自分の体調管理の稚拙さを私達の所為にするなんて、随分と器量の狭い事。その程度の男よね、アンタって」
左隣の有沢が無理やり攻撃的な嫌味を吐いて来たが、無視。
「な、何無視してんのよ! もーっ!」
無視されて傷付く位なら、普通のコミュニケーションを心がけろよ……
「それはそうと、都築。今日は良い天気だから、そろそろ私が開発しているベロ毒素入りの新毒薬が完成しそうなんだが、今日の放課後は暇か?」
「毒の完成と天気の因果関係も気になりますが、それより何より毒殺しようとしてる相手をデートに誘うノリで誘うな!」
「私としては、似たようなものだ。行き先が遊園地のジェットコースターか天国かなんて些細な問題だろう。無論、私はジェットコースターは苦手だ」
俺だけ天国に行け、と。
「当然だが、暇でも放課後会う気はない」
「フラれた……」
また背中に溜息。嘆息したいのは俺の方だ。
「むむむ、村崎先輩。抜け駆けはダメです。都築君を殺すのは、私です」
「そうよ! このバカを殺すのは私なんだから、放課後に呼び出すなんて古典的な方法で殺そうとしないでよ!」
古典的じゃねえよ。有沢、お前は殺人と告白をごっちゃにしてる。
「む。確かに抜け駆けは良くないと私自身が言った言葉だったか。質の良い毒が出来上がりそうで、つい舞い上がってしまった。ちなみにベロ毒素と言うのはな、大腸菌の一種が分泌する毒素だ。あの一世を風靡したO‐157を引き起こした毒素としても有名だから、説明するまでもなく全員知っているだろうが。爪の先ほどあれば、致死量に達する毒だ」
「知りませんよ、そんな気色悪い名前の毒。後、絶対飲みませんよ」
「残念だ……」
三度目の溜息が背中に生暖かく当たる、その時。
「……」
俺達の眼前にある電信柱の影に、女が隠れている――――そんな光景が目に入った。
「第五の殺し屋!?」
「ンな訳あるか。どんだけ暗殺者に好かれてるんだ、俺」
「はぶっ!」
過剰反応してナイフを取り出す緑川を、鞄を振って制する。
「か、かお……いたい……」
「電信柱なんぞ隠所でも何でもないだろ。早とちりするな」
「はい〜」
泣き虫緑川は、また泣いていた。
「情けない殺し屋だ」
「アンタバカなの!? 女の子の顔に躊躇なく鞄をぶつける奴があるかあっ! ちょっと日向、大丈夫?」
「ふえーん、大丈夫じゃありません〜」
赤くなった緑川の顔を、有沢は甲斐甲斐しくも撫でている。いつの間に仲良くなったんだコイツ等。名前で呼ぶと言うのは、結構な友情を育まないとあり得ない行為だろうに。まあ、殺し屋同士だし、俺の知らない所で色々話をする機会もあるんだろうけど。
「かりんちゃん、優しい……でも、都築君殺しは譲りませんよっ」
「フフ、上等じゃない。でも、最後に殺すのはこの私なんだから」
美しい友情。『でも、』の後の言葉以外は。
「はぁ……転校でもしようかな」
本気でそう考えている今日この頃だったが――――実は、暫くはそうする事が出来ない理由が一つあった。
「……」
俺の視線に気付いたのか、電信柱にひっついている女がコクリと頷く。あれ、隠れてるつもりだったんだろうな……多分。その女の名前は、光海梢。なんで俺がこの女性の名前を知っているかと言うと、それは――――少し時間を遡ればわかる。
と言う訳で、回想開始。
「単刀直入に言う。テメーに、今自分が狙われてる暗殺者の評価をして欲しい」
近所のファミレス『アイルビー』で、『鶏ときのこの和風スパゲティを』食していた俺の耳に、由良って野郎のふざけた言葉が届く。取り敢えず無視し、すする方に尽力した。
「おい、聞いてっか? テメーが評価するんだよ。テメーの周りにいる殺し屋の」
「……聞いてはいる。だが、理解は出来ない。お前は何を言っているんだ」
醤油ベースの和風スパゲティのあっさり味には満足してたけど、由良の意味不明な要求に関しては、あっさり聞き流せそうになかった。
評価? 俺が、あの連中を? って言うか、自分を殺そうとしてる暗殺者の暗殺技能を、俺が評価する? 驚きの余り敬語止めちまったよ。
「俺は何もムズい事は言っちゃいねーぜ。テメーなら、この合理性は理解出来るだろ。テメーは最高なんだよ、俺達評価機構の人間にしてみれば、な。間違いなく、前代未聞、空前絶後の存在だ。考えてみろよ。三人の殺し屋に同時に狙われる人間なんて、普通に考えりゃあり得ねー。でもそりゃ同時に、三人の殺し屋とその組織を一度に評価できる、って訳だ。な、スゲー事だろ?」
「ああ、スゲー不幸だ。流石の俺もここまでの経験は記憶にない」
「だろうよ。現代にはまずいねーよ。それこそ、歴史上の偉人とか有名な軍人レベルでやっとこさ、ってとこだろ」
由良は、俺の対面に座り、タバコを燻らせている。ファミレスの喫煙席に座ったこと自体、初めての事。そんな十六歳の俺に、コイツは何を期待してるって言うんだ。
「アンタ等、評価機構って言うくらいだから、調査を専門にしてる連中なんだろ? なんで専門家が素人に依頼すんだよ。自分等でやりゃ良いだろ」
「その通りだ。でもな、テメーは暗殺者を評価するってのがどれだけ厄介か知らないから、そんな事を言えるんだ」
いや、それを十分に考慮してるから言ってるんだけど。
「評価機構なんて存在は、どんな分野にでもある。警察で言えば公安、病院で言えば病院評価機構。その他、技術が必要な分野には殆どが審査機関の存在を有している。金融業にもな」
由良は煙を吐き出して、一呼吸置いた。
「だが、他の分野と違って、暗殺者の技能を評価するのは極めて難しい。理由は言うまでもないだろうが、組織自体が秘密裏の存在だ。それを調査するのは一筋縄では行かねー。何が言いたいかって言うと、そんなトコで代表やってる俺って超スゲーってこった。もっと敬えよ」
「スパゲティは美味しかったです。じゃ、サヨナラ」
何処でそんな流れにしようと思ったのかは知らんが、最終的に自慢話をされた。無論、これ以上話を聞く気にはなれないんで、帰宅準備。
「あ、テメー食い逃げすんじゃねえよ! 話は最後まで聞け!」
「食い逃げ?」
由良の心無い言葉に、店員の一人が鬼の形相を作る。このままじゃ無銭飲食の犯人にされかねないんで、仕方なく再着席。
「……で、その超スゲーあんたが、俺になんで評価を頼む?」
「要するに、この超スゲー俺でもだ、暗殺の評価は困難ってこった。それは連中が姿を現さないからだ。だが、テメーのケースは違う。テメー、殺し屋と何度も遭遇してるだろ?」
ま、同じ学校だからな。
「しかも、命を狙われている。つまり、連中の組織を見つける可能性も、暗殺技能をその目で見る可能性も、極めて高いって事になる。そりゃ依頼したくもなるってもんだろ。つーか、スルーするなんてあり得ねー」
少し興奮したのか、若干口調が早くなっていた。この由良と言う男、結構しっかりしてる半面、何処か拭いきれない荒さがある。でも、その点も含めて、厄介なタイプの人間だ。出来る限りは関わり合いになりたくない。いや、殺し屋関連全員に対して言える事ではあるけど。
「改めて、問うぞ。俺に協力しろ、都築柘榴」
「まあ、断る」
「『まあ』!? 『まあ』って何だよ『まあ』って!」
何故か俺の『まあ』に由良は激昂した。沸点がわからん。
「今の『まあ』は、簡単に言えば『そうするのが妥当だバカ』って言うニュアンスを二語で示したものだ。他意はない」
「全部他意じゃねーか! チッ、調査のハードル上げた俺も良くなかったケドよ」
舌打ちしつつ、由良は自分にも非があると言う大人の物言いで、断られた事を正当化していた。
「でもな、良く聞け。俺だって社会人だ」
「暗殺者を評価する奴なんて、どう考えても非社会人だろ」
「そこに茶々入れるんじゃねーよ! 社会人なんだよ。だから、社会のシステムに則って、テメーが仕事を請ければ報酬を出す」
報酬――――その言葉は確かに魅力的ではあった。お金は大事だよ。それで身を滅ぼす人間も腐るほどいるけどね。ウチの父親とか。いずれにせよ、その借金の余波で貧乏な俺にとって、報酬は欲しい。
「時給700円出そう」
「俺は記憶喪失者だ。今日あった事は全部忘れた」
「待てよ! つーかそんなセルフ記憶喪失ねーよ! 待てって!」
本意気で店を出ようとしたが、由良のバカ力によって三度着席を余儀なくされる。
「ナメてるのか? 時給700円って最低賃金以下だろ」
ちなみに、ここ静岡県の最低賃金は現時点で713円だ。そりゃ、中にはそれ以下の条件で働く人もいるだろう。外国人労働者なんて特にそうだ。けど、俺はまだ労働に身を削る年齢でもないし、外国人でもない。まして、殺し屋の査定。こんな条件で命張れるか!
「聞け。この業界はな、致命的に金がねーんだ」
そんな俺のジト目睨みに対し、由良はタバコを燻らしつつ、切ない事を言い始めた。
「暗殺なんて、実際はもう過去の技能なんだよ。そりゃ、世界的なテロ組織じゃ今でも現役バリバリで腕を磨いてるだろうし、そいつ等と関わり合う連中も金回りは良いだろう。だがな、ここは平和の国、日本だ。暗殺者なんて数えるほどしかいねーし、依頼する奴に到っちゃミクロの世界だ。そんな需要じゃ、維持するだけで精一杯なんだよ! テメー、俺がどれだけ日頃節制してっか知ってんのか!? ああ!? 400円もするスパゲティ簡単に食いやがって! つーかなんだよこの値段は! イタリア被れ麺のクセによー!」
由良は途中からヒートアップし出し、最終的に自分で奢ると言ったスパゲティにキレ始めた。いや、アイルビーの名誉の為に言っとくけど、かなり安いぞこのメニュー。
「俺等にとっちゃ、時給700円ってのは破格なんだよ。テメーはVIP待遇なんだよ。それでも受けないってのか? こんな俺等を見捨てるってのか?」
「そうです! こんな貧乏な光海達を見捨てるとゆうのですか!?」
「そんなん知ったこっちゃねえよ! つーか誰だよお前!」
突然、席の真横からにゅっと伸びて来た顔に、取り敢えず怒鳴る。光海とか言う一人称を使ったそいつは、女だった。やたら多いポニーテールが印象的。三つくらいある。そして、そのポニーテールがなんとなくシークレットブーツと同じ意味のものなんだな、と理解するような体型の、要するにチビっ子の女だった。
「光海は光海です。それ以前でもそれ以後でもありません」
「……誰なんだよ」
かつてないコミュニティの危機を感じ、当人じゃなく由良に問う。
「俺の部下だ。ちなみに唯一の、と言っておこう」
「寧ろ言わないで欲しかった」
この男、確か代表だったよな。つまり、従業員二名……零細なんてレベルじゃねえ。
糸だ。糸企業だ。
「光海は光海梢って言うです。宜しくお願うです」
「こいつは偶に日本語が不自由になるが、生粋の日本人だ」
「まあ、意図さえわかれば言葉なんてどうでも良いけど」
問題はそこじゃない。この女が何者か、だ。
「ま、助手だ。俺は常識人だからな。テメー1人で暗殺を評価する、なんてのが難しい事くらいはわかってる。そいつに色々教えて貰え。これも将来、俺の右腕になる為の勉強だ」
「引き受ける気は一切ないのに、なんで幹部候補にまでなっちゃってんだよ!」
「大丈夫だって。テメーならやれる。俺の目に狂いはねえ。口は悪いしクソ生意気なガキだが、性根も腐ってんだ。間違いねーよ」
「何一つポジティブな評価がない!」
慄然とした。このままじゃ俺、殺し屋の審査員って言う、社会の最底辺の金魚のフン的な仕事に将来就く事になっちまう!
「クク、嫌がってるな。それが嫌なら受けな」
「自分の右腕ポストを『人質が殺されてもいいのか?』と同等のネガティブな取引事由にすんなよ……」
なんなの、この状況。そりゃ、俺はトラブルメーカーだ。その自覚はあるさ。でも、これはもうトラブルって言う次元じゃない。運命の悪ふざけだ。
「えっと、幹部候補さん。そんなに気を落とさないでも、この仕事は意外と遣り甲斐がありますよ。一週間の内一週間は暇です」
「前半と後半に一切の繋がりがねえよ!」
本当に日本語が不自由なんだな、こいつ……
ダメだ。こんなダメな連中と絡んでると、俺までダメになっちまう。
「まー、冗談はここまでだ。時給700円払う余裕もないしな、実際」
「本当にダメだな、暗殺評価機構……」
と言うか、どう考えても企業の域に達してねえ……
「俺がテメーに出す条件は一つ。テメーがこの話を受ければ、俺等が暗殺連中に圧力をかけて、命を狙われねーよーにしてやる」
「……何?」
突然、まともな条件が降って来た。
ようやく。ようやく、俺のなけなしの頭の中が仕事を出来る時間がやって来た。
「圧力……か。アンタ等にそれが出来るのか?」
「ガキ、良い事を教えてやる。どんな分野においてもな、評価機構と評価対象は蜜月関係にあんだよ。評価機構は評価対象と一定の距離を置かねーと正しい評価が出来ねー、なんてのは失笑モンの建前だ。どの組織だって、良い評価が欲しい。評価する方だって、連中にチヤホヤされて金や権力やらが欲しい。利害は一致してんだ。それが何を意味するか、次期幹部のテメーならわかるだろ」
「次期幹部は冗談の範疇じゃなかったのかよ……」
頭を抱えつつ、思慮。コイツの言ってる事は、尤もだ。そして、暗殺評価機構なんて言う、暗殺を審査するような機関は、日本では間違いなくコイツ等しかいないだろう。なら、その言葉にも最低限の説得力はある。それなら――――悪くない。
「わかった。ただし、条件が二つある。まず、一筆だ。必ず圧力をかける、かけなきゃ俺の知り合いの暗殺者にお前らを始末させる、って言う契約書を用意しろ」
「しゃ、社長!? この人、自分を狙ってる暗殺者を使って光海達を脅してますよ!?」
「頼もしいじゃねーか。それくらいじゃねーと、次期社長は勤まらねー」
幹部どころかトップ候補になっていた。負債とか背負わせそうな気満々だな、おい。
「まー、当然それくらいは問題ない。で、もう一つは?」
「官庁と『関わってない事』だ」
「当然だろ。関わってる訳ねー。そんな国だったら俺も見捨ててら」
了解。それだけわかれば良い。
と、言う訳で――――俺は、自分を狙っている暗殺者三人を評価する事になった。
「光海、この人怖いです……痛くされないか心配です」
日本語が不自由な生粋の日本人女性、光海梢と一緒に。
――――回想終了!
あの女は要するに、俺のパートナーだ。とは言っても、別にそれをコイツ等暗殺者軍団に教える理由はない。接触させる必要もない。呼んで直ぐ来れる距離にいて貰えれば、それで良い。そう伝えた結果の行動が、この状況だ。
「電信柱は隠れる場所じゃない……メモメモ」
俺の言葉が聞こえたらしく、光海はメモを取っていた。これ以上ないくらい、どうでも良い情報だ。それをジト横目で眺めてると、その視線の横から別の熱視線が割り込んで来た。緑川だ。
「あ、あの。都築君。この前のお話なんだけど」
「ん?」
「ほら、あの、ご近所のとってもお安くしてくれるお米屋さんを、教えてくれるって言う」
「ああ、それか」
俺の家の近所には、自分のところで米を作ってる、権田さんって人がいる。味はイマイチだけど、兎に角熱意は凄くて、一人でも多くの人に食べさせたいってんで、10キロ1780円で売ってる。この値段がどれくらい安いか、普段お米を買わない人にはわからんだろう。破格だ。当然、家もこの権田さんトコの米を使ってる。米の味なんて、慣れてしまえば、そして拘りさえしなければ、別にそれほど明瞭な差はない。まあ、それだけの熱意があるんだから、もっと味の改善を……と思わなくもないけど。で、先日その米の話を登校中にしたところ、緑川が異様に食い付いて来た。その米の売ってるトコを教えろ、と。殺し屋に安い米を売ってる所を教える事になるなんて、恐らく史上初の出来事。何事も史上初、パイオニアは素晴らしいもの――――なんて言う考えがあるとしたら、俺はそれに対して毅然とNOを突きつけよう。
「わかったよ。じゃ、今日の放課後にでも一緒に行こう」
「抜け駆け禁止っ!」
俺の言葉に対し、有沢が毅然とNOを突きつけてきた。
「そうやって二人きりになって、どうするつもりなの!?」
「え? ど、どうって……そんな……私の口からはとても……」
緑川はモジモジしながら赤面している。
「あーっ! やっぱり絞め殺す気ね!? こう、キュッって!」
「やーん、恥ずかしいです!」
ガールズトークならぬ、アサシントークに花を咲かす二人。実に……イラっとする。
「って言うか、お前……人の好意を絞殺で返そうって腹づもりだったのか……」
よって、キリキリと拳でこめかみを締め付けるの刑。
「あーあーあー! 冗談! 冗談ですー! ごーめーんーなーさーいー!」
「ちょっ、やり過ぎ! 日向の頭がファンタのペットボトルみたいになってるから!」
ったく……こんな毎日から一刻も早く開放されないと、身が持たない。疲労の度合いが半端じゃない。早く平穏を取り戻さないと、ストレスで胃が蜂の巣になるぞ。
「うわわわわ! 日向が、日向がぐてーって! 本気でマズいってば! 聞いてんの!?」
「あ」
流石に、こんな陽のあたる場所で殺し屋を殺しちゃマズいな。開放。
「はーうーうー」
緑川は両手でこめかみを押さえながら、号泣していた。
「都築柘榴、暗殺者を圧死寸前に追い込みながら余裕綽々の表情……メモメモ」
なんか後方から変な声が聞こえてきたが、無視。それでも、その声より近い位置で村崎先輩がツンツンと俺の背中を突いて来るから、一向に気は休まらない。
「都築。私の誘いを蹴って、緑川とデートする気だったのか」
「そりゃ、毒を飲まされるよりは米屋教える方がマシでしょう」
「ショックだ。私はこれでも、男性にフラれた事はないと言うのに」
四度目の息が背中に掛かる。まあ、確かにその言には説得力がある。器量は学校随一。加えて、優等生を絵に描いたような高校生。副会長。完璧すぎて逆に声を掛けようと言う気にもなれない男が大半だろう。
「それはお気の毒に」
「ああ。私のお気に入りはいつでも毒だ。君は私を良く理解している」
俺の皮肉は心からの歓喜で返された。不本意だ。どうも、この人への苦手意識は消えそうにない。
「あ、あの……都築君、お米屋さん……」
まだ泣いている緑川が、助けを請うように呟いて来る。捨てられた仔犬のような目。と言うか、捨てられた仔犬が必死に餌をくれる相手に媚びる目――――のように見えるのは、俺の先入観の所為か? ま、いずれにしても、答えは一つだ。
「わかってるよ。放課後、一緒に行こう」
輝くような笑顔で、そう答える。
「つ、都築君……あんな冗談言った後なのに、優しい……」
「これくらい当たり前の事だろ? 何かの縁でクラスメートになったんだ。お互い持ちつ持たれつ、協力出来る事は協力して行こう」
「うん! 都築君、ありがとうございます!」
緑川はコロコロ表情を変え、最終的には笑顔で何度もお辞儀をしていた。とても爽やかな光景。清き高校生活の一ページだ。と言う訳で、最初の調査対象決定。
「都築柘榴、笑顔で罠を張って女子高生にストーキングを施行……メモメモ」
「有沢。足元に空き缶が落ちてるぞ。危ないから気をつけろ」
「へ? あ、ああ……ありがと」
道端に落ちていたコーヒーのスチール缶を拾い、背後に放る。
「痛っ!? 光海の頭上から空き缶が振ってきました!? カラスの仕業!?」
取り敢えず、今朝の目標は無事達成されたんで、俺は安堵感と満足感を胸に、学校への道のりを歩く事にした。
で、放課後。
「♪〜」
予定の価格から、更に『お嬢ちゃん可愛いね』補正によって百円値引きされ、1680円で十キロの米を得た緑川は、終始ご機嫌だった。
それは、良い事。誰だって、機嫌が良い方が口は軽くなるからな。
以前――――俺は緑川が暗殺者となった経緯を、ざっとだが聞いている。父親が堕落して、二進も三進も行かなくなったところで、拾われたとか。
「都築君、ありがとうございました。これで今月のお食事はどうにかなりそうです」
「それは良いけど。お前って、今は一人暮らしなのか?」
だから、その辺の事は端折りつつ、まずは現在の家族構成について問う。
「はい。両親は離婚して、弟は母に連れられて行きましたけど、私は借金の件もありましたので、今の組織にお世話になる事になりました。寮があればよかったんですけど……」
殺し屋の組織に寮。
殺し屋の管理人に、殺し屋の世話好きおばちゃんに、殺し屋のお色気振り撒くねーちゃんに、殺し屋の変人。そして、殺し屋の犬。
そんな、殺し屋ばかりの寮。
……想像したくもない。って言うか、無理がありすぎる。。
「それでも、組織の事務所の直ぐ近くに家賃一万円のアパートがあって、助かりました」
「家賃一万円……ちゃんとトイレと風呂はあんのか?」
そう聞きつつ、既に情報一つゲットした事に手応えを感じる。こいつ等の事務所は、こいつの家の近く。家がわかれば、尾行もしやすい。事務所の場所も直ぐにわかるだろう。
……メモする声が聞こえてこない。まさか今の情報をスルーしてんじゃないだろな……
「はい、あります。ユニットですけど洋式ですし、四畳半ですけど収納もあります。キッチンもちゃんとあるんですよ!」
随分フツーの部屋だな。それで一万円? そりゃ、静岡の物件は都市部と比べりゃ安いだろうけど、ここまで安い物件なんてあるもんなのか? ヘボ親父の借金の件で、一人暮らしを本気で考えて色々見て回ったけど、そんな異様な料金設定の物件は紹介して貰わなかった。ま、暗殺組織ともなると、それなりに不動産屋とのコネがあるんだろうな。
「この一年で自殺した方が三人出たお部屋なんですけど、それも気になりませんし」
「気にしろよ! それは!」
全部納得だ。家賃が安いのも、殺し屋とコネがあるのも。
「でも、幾ら家賃がお安くても、電気代と水道代とガス代と電話代で一万円くらい掛かりますし、お食事代を切り詰めないと苦しいんですよねー」
「一万円……凄いな」
「えへへ。都築君に褒められちゃった」
何故か緑川は身体をクネクネさせて喜んでいた。にしても、本当に凄い。家賃一万。光熱費も一万程度。食費は下手したらそれ以下だ。
……消費少なすぎ!
「お前、もうちょっとバランスを考えた方が良いんじゃないか? 余計なお世話かもしれないし、借金を早めに返したい気持ちも良くわかるけど、もう少し生活費に割り当てる金額を増やした方が……」
「そ、そうですか? でも、確かにそうかもしれません。月に一万円のお支払いは多過ぎるかも……」
なんですと。一万っつったか今。
「私、月の所得が三万五千円しかなくて」
てへっ、と笑いつつ、緑川はかなり突っ込んだ個人情報をくれた。調査云々以前に衝撃が大き過ぎる。
「暗殺稼業で稼げる金は、コンビニのバイト代以下なのか……」
週四回、三時間シフトに入ればもう越えるぞ、その額。暗殺者の経済力って、やる気のないフリーター以下なんだな……なんか切ない。
「あ、でもでも、不満があるって言う訳じゃないんですよ。組織の皆さんはとっても優しいですし、とっても親切ですし、とっても暖かいんです」
「殺し屋の組織に対する評としては前代未聞だよな、それ」
「そうでしょうか? 私は他の組織に属した事がないので、他所の事はわかりませんけど……何処も同じなんじゃないでしょうか」
緑川はのほほんと、世間知らずな事を述べた。って言うか、世間と言うより殺し屋知らずだな。こいつは、殺人って言うのが如何に恐ろしくて非社会的な事か、全くわかってない。いや、わかってたら最初からそんなところに組する訳がないんだけど。
「お前のところは特別だろう。つーか、そんなに良い人ばっかりなのか? 明らかに変だろ。殺し屋だぞ?」
取り敢えず、丁寧に聞く。評価する為には、色々な事を知らないといけない。評価と調査は同じ事だ。
「そうでしょうか……でも、確かに皆さん……あ、ここが私のアパートです」
知らない間に、随分と歩いていたみたいだ。気付けば、緑川の住むアパートに辿り着いていた。って言うか、殺し屋が自分の家をそんなにアッサリ教えるなよ。しかも標的に。
「都築君、今日は本当にありがとうございました。このご恩は必ずお返しします」
「だったら殺すのを止めろ、今すぐ」
「明日も良いお天気だと良いですね!」
グッ、と、米を抱えた腕に力を込める。人の話、聞いちゃいねえ。そうやって、都合の悪い事を聞き入れてこなかったから、殺し屋なんて仕事を選んじゃったんだろうな、と不憫にさえ思う。殺そうとしている相手に不憫に思われるなんて、多分この世にある全ての事象で最大の屈辱だと思うんだ。
「それでは都築君、お帰りはお気をつけて。私以外の方に殺されないように注意して下さいね」
「やかましい! とっとと部屋に行け!」
最早定着しつつある挨拶を残し、緑川は階段を上がって行った。三階の一番奥。部屋に入る直前、俺の方を見て、米を抱えつつ手を振った。その後、一回扉を開けて、もう一度こっちを見て、また小さく手を振って来た。一度部屋に入って、米を置いてまた戻ってきて、今度は大きく手を振っていた。
……なんと言うか。今時珍しいくらい、純粋な女子じゃないか? 殺し屋、って点を除けば。まあ、除く訳には行かないんだけどさ。標的が俺である以上は。つっても、仮に標的が俺じゃなくて、それであいつが言ってた『違う形での出会い』で出会っていたとしても――――殺し屋と友達に、ましてもっと深い仲になる気は、これっぽっちもないんだけど。でも、可愛くて明るくて良い子なんだよな。ドジッ子だし。俺のなけなしの攻撃的性質を程よく刺激して、満たしてくれる。
……勿体ない。
「都築柘榴はドジッ子を苛めて充足感を得るドS……メモメモ」
俺の隣には、いつの間にか光海が陣取っていた。
「おい。呼び捨てにするな」
「えっ、そこですか……光海、てっきりメモした内容にクレームをつけられるとばっかリ思っていました。って言うか、私の方が年上ですよ? 光海、高校は去年卒業しましたから」
「……」
「は、鼻で笑いましたか!? 今光海を鼻で笑いました! ショックです! お気に入りの番組を録画してワクワク再生したら、津波警報で台無しになってた時くらい、ショック強です!」
訳のわからない例えをする光海から、メモ帳を取り上げる。
「ああっ、光海のメモ帳を勝手に見ないで下さい! 乙女の秘密に土足で踏み入るなんて柘榴ちゃんは紳士のわきまえを知らない人ですか」
ちゃん付けで呼ばれた事には全力で嫌悪感を示したかったが、今はメモ帳の確認が先だ。
16時15分 お米屋さんに到着。都築柘榴は常連の空気を出して偉そう。
16時16分 お米屋さんでお買い物。都築柘榴は恩着せがましい歪んだ笑顔。
16時18分 都築柘榴が通り掛った猫にガンを飛ばす。性格悪し。
17時04分 とうちゃく
17時05分 都築柘榴はドジッ子を苛めて充足感を得るドS
「……おい」
「はい、なんでしょう。光海は助手ですので、何でも仰って下さい」
「俺の事しか書いてないとか、俺の悪口しか書いてないとか、その点に関しては別に良い。後で報告書の備考の欄に山ほど書いてやる」
「え、えええええ!? それだと光海、減給処分になるじゃないですか! 止めて下さいませ、お願うです!」
「それくらい大層な事だって自覚してんなら最初から書くな! それより、明らかに途中抜けてんじゃねーか! しかも到着って平仮名で慌てて書きやがって。お前……サボってたろ」
「な、何の事です? 光海はちゃんとお仕事していました。お仕事大好きですから。愛していますから」
明らかに動揺した面持ちで、光海は俺から視線を逸らした。しかし、後ろに隠しているその手には、明らかに猫じゃらしに使用したと思われる木の棒が握られている。
……あの猫について行ったな。
「ま、いい。必要な情報は俺の頭の中に全部入ってる」
「おおおっ! 凄いです、柘榴ちゃん! 光海初めて柘榴ちゃんを見直しました!」
「やかましいわっ! お前に見直される言われもなけりゃ、柘榴ちゃん呼ばわりされる筋合いもない! 帰れ! 小学校へ帰れ!」
「のなっ!? 光海は小学生じゃありません! 去年中学を卒業しました! こんな時にそんな些細な間違いをしないで下さい!」
「皮肉だボケ! そしてお前は自分の経歴間違ってんじゃねええええ!」
蹴る。女子を蹴ったのは多分初めてだ。流石に、顔面やお腹を蹴るのは人道的にどうかと思うんで、脛を。
「わーきゃー! わーきゃー!」
光海は道路にゴロゴロ転がりながら痛がっていた。実際に『わーきゃー』って言って騒ぐ奴、初めて見た。そして、確信。こいつは使えん。アホだ。どうして殺し屋に関わる奴等はアホばっかりなんだ!
いや、待て。良く考えたら、今の日本で殺し屋になろうとか、そんな殺し屋を評価しようとか、そう言う発想をし、実現するような奴に、まともな思考回路を望む方がおかしいのか。
「光海。俺が悪かったよ。お前は今のままでいいんだ」
「光海、地面に這い蹲ったままで良いって言われました!?」
解釈を誤っているみたいだが、まあ良い。夕日が綺麗だし。
明日は緑川の組織の事務所に潜入しよう。場所は、緑川を尾行すれば直ぐにわかる。殺し屋が出勤するかどうかは知らんけど、あいつの性格上、顔くらいは出すだろう。緑川に盗聴器でもつけておこうかと思ったけど、流石にそれは犯罪臭いからNG。お金もかかるし。必要経費も落ちそうにないし。
……適当な理由を考えて潜入調査するか。
「じゃ、そう言う事で今日はお疲れ。ちゃんと携帯電話は充電しておけよ」
「うう……光海、やっぱり痛くされました」
かなり遺憾な科白を吐かれたが、気に留めず。
本日はこれで解散となった。
と、言う訳で、翌日。
緑川を尾行した結果、その所属する暗殺組織のアジトをあっさりと発見出来た。
「随分と古いビルなのですねー。築50年くらいでしょうか?」
隣で、携帯の中に映像データを取り込む光海と一緒に、細く茶色いビルを眺める。四階建てのそのビル、元々の色は不明だが、茶色でなかった事は確か。明らかに腐敗が進んでいた。入り口の扉は、ビルというより場末の喫茶点のような、アンティークなポップさがある。無論、セキュリティなんて皆無。道路側、つまりこっち側に面している二階の窓ガラスが見事に割れている。普通なら、誰もが空きビルと信じて疑わないこの建築物こそ、間違いなく殺し屋の本拠地だ。ちなみに、緑川はつい先程出て行った。こっちとしては、その方がありがたい。潜入捜査にあたって、変装はするつもりだけど、何度も実物を見てる奴がいれば、流石に怪しまれかねないからな。
「あの、本当に本当に、ここが組織の拠点なんですか? 光海は信用出来ません。とゆうか、この廃墟に人がいるなんて、俄かに信じられません」
「だから怪しいんだろ。殺し屋のアジトなんだから、普通に人が住んでそうな場所の方がよっぽど不自然だ」
「ああ、なるほど! 光海、感心しきりです! 柘榴ちゃん、意外とちゃんと考えてるんですね、感心感心」
……褒められて、ここまで腹が立つ事があるだろうか? とは言え、無闇に女子を殴る蹴るしてたら、各方面からクレームが来そうなんで、ここはぐっと我慢。
「……取り敢えず……中に入ろう」
「あの、声が低くて怖いんですけど……光海もしかして、この人気のない建物の中で強く姦しくされるんでしょうか」
「金積まれてもお断りだ」
「ショック! 光海ショックです! レディのフライドがズタズタです!」
揚げてどーする。
まあ、それは兎も角――――ビルへ入る。案の定、入り口の付近には余り埃が溜まっていなかった。代わりに、土埃が散見される。人の出入りがある証拠だ。
「柘榴ちゃん、光海、外に残っていいですか。こんな幽霊屋敷で二人きりなんて、惚れてまうやろ」
「お前は何を言っているんだ」
「光海、ここここ怖いの苦手なんです。ここここ混乱中です」
俺の後ろの助手は、カタカタ歯を鳴らしながら泣きべそをかいている。まあ、混乱中なのはいつもの事だからどうでもいい。と言う訳で、四階の部屋の前に到着。案の定、人の気配がある。ここで間違いないだろう。ちなみに、細い上に奥行きもあまりないビルで、ひとつのフロアに部屋はひとつしかない。しかも、相当狭そうだ。まあ、暗殺者の拠点なんて、広くなくても問題はない筈。
「それじゃ、変装だ。用意した物は持ってきたか?」
「はい。ところで光海はどこで着替えれば良いんでしょう? 殿方の前で裸体を晒すほど、芸能界で落ちぶれた覚えはありませんよ?」
それ以前に、芸能界がお前を相手にしない。
「二階には人がいないから、そこで着替えて来い。逃げたら昨日買った玩具のナイフで、何度も何度も頬を張るぞ」
「は、はい。そんな逃げるなんてそんな、はいわかりました」
明らかに動揺しながら、光海は階段を下りていった。俺も一度三階まで降りて、着替え開始。持ってきたのは、灰色の作業服だ。帽子を目深に被って、準備完了。ダブダブの作業着に身を包んだ光海と合流し、四階の扉をノックする。
「はいはい。少しまってらんさい」
かなり年配の人の声が聞こえてきた。程なくして、扉が開く。
「はて、どなた様かの?」
見た目もかなりの年配者だった。60代後半から70歳くらいだ。
「あ、あのあのあのあのあの、えとえとえとえとえと」
「干支? 戌年じゃがそれがなんじゃい」
その爺さんよりこっちの十代の女の方がボケていた!
「ええい、引っ込んでろお前は。すいません、我々は先日この近くにサービスエリアを拡大したばかりの『はままつビル清掃センター』です。それで、このビルを少し調査しに来たんですけど……少しだけ、あがらせて貰って宜しいでしょうか?」
これでも、一応緊張はしていた。幾ら緑川の証言がああでも、ここが殺しを生業とする連中の拠点って事には変わりない。もしかしたら、この中には生粋の暗殺者ってのがいるかもしれない訳で。その可能性を考えれば、一介の高校生に過ぎない俺がビビるのは仕方ない事だ。
「はうわわわわわわわわ。はうわわわわわわわわわ。光海、光海、廃墟恐怖症だけでなく高所恐怖症の閉所恐怖症なんです。今思い出しました」
まあ、後ろのアホがけたたましいくらいテンパってるから、その分冷静ではいられてるけど。
「ああ、そうですか、そうですか。それならどうぞ、おあがりになられませい」
良くわからない言葉遣いではあるが、対応に出てきたお年寄りは非常に社交的だった。取り敢えず一安心。一礼して、中へ入る。
アジトは――――予想通り狭かった。と言うか、暗殺者の拠点って言うより、殆ど用務員室って感じだ。机は普通の、何処にでもある事務室の机。壁にはシミやらヒビやらがあって、それを隠すように『冷やし中華終わりました』のポスターが張られているが、綺麗には覆えていない。と言うか、メニューが終わる告知なんて文字で十分だろ。無駄に美味そうな写真には、哀愁すら感じるぞ。あと、一目で遥か昔の型だってわかる、所々ゴツいデザインの扇風機も、何か物悲しい。良いんだろうか、これで。暗殺者のアジトって、もうちょっとこう、シュッとした感じのものを予想してたんだけど。伝わってくるのは冷徹さとか陰惨さとは無縁の、納涼と回顧の精神だけだ。駄菓子屋じゃねーんだからさ……
「まあまあ、そちらに掛けて。麦茶を持ってくるから、待っときなさい」
「いえ、あの、我々は調査をしに……」
こちらが言い終わる前に、爺さんは奥に引っ込んで行った。別室って訳じゃなく、あのプライバシーの保護に使用するような『すりガラス』で、事務所とキッチンを仕切ってる。
「なんか、これからお年寄りの長話に付き合わないといけないって空気が充満してるな」
「光海、高齢者の無駄にテンポの遅いお話や歌い方は好みではないのです。嫌な展開です」
何気に毒を吐く光海は、促された通りにソファに腰掛けた。そのソファも相当痛んでいる。ハッキリ言って、ここまで殺し屋の要素ゼロ。それどころか、建築物の外見に見事に染まっている。
「……本当にここなのか、自信なくなってきた」
「安心してください。光海は最初から柘榴ちゃんを信用していません……痛い痛い痛い! 頭グリグリ痛い痛い痛いにゃーーーーーっ!」
取り敢えず、部屋を見回してみる。殺し屋のアジトなら、監視カメラくらいはあるだろう。この日和見な部屋自体が擬態って可能性もある。となると、パッと見ではわからない所に……うげ、ごくフツーに天井に仕掛けてやがる。
「お待たせしたのぉ。さあ、飲みなせ飲みなせ」
動揺する俺を尻目に、爺さんは温和な様子で、お盆に乗せた麦茶入りのコップを持ってきた。勿論飲まない。村崎先輩の例もあるしな。
「いっただっきまーす!」
二人分の笑顔でゴクゴク飲む光海のお陰で、俺が手をつけないでも然程不審には思われそうにないし。いや、思いの他役に立ったな、こいつ。
「で、調査と言うのは、具体的にどんな事しなさっとね」
爺さん、さっきから方言の地方が一切統一されてない。とは言え、そこにいちいちツッコむ気にはなれないので、取り敢えず普通に対応する事にした。
「簡単に申しますと、我が社の提供している『真夏の大感謝祭クリーンアップ大作戦』と言うサービスを提供頂ける条件の物件を探していまして。従業員数や室内の衛生状況などを調査しています。もし条件に当て嵌まれば、一回目の清掃は無料で行わせて頂くのですが、ご協力頂けますでしょうか」
ビルの清掃は、内外共に行う場合、相当な額が掛かる――――と思う。まあ、広さとか絨毯の有無とかで値段設定は変わるんだろうけど、こんな狭いビルでもこれだけ汚れてれば、かなりの金額になる事は間違いないだろう。それが無料になるんだから、相当美味しい話。乗ってくる筈……!
「ほうほう……ところで、あんた方はおい等の仕事を知ってんのかえ?」
ところが。そんな言葉と同時に、老人の顔にこれまでにない険が!
わー、失敗だー。殺し屋甘く見てた。あの三バカ殺しっ子の所為だ!
「のう、そっちのお嬢ちゃん。どうなんかえ?」
「は、はうわわわわわわわわわ。はうわわわわわわわわわ」
その殺気に気付いたのか、ブルンブルンと光海は首を横に振る。そのビビリっぷりに満足したのか、老人は俺の方に視線を戻した。
「ボウヤはどうなんかえ?」
つまり、矛先は俺に向けられた訳だ。とは言え、ここで取り乱しても仕方ない。考えろ。勿論、本当の事なんて言えない。言えば即始末される。
「いえ、存じておりません。申し訳ありません。不勉強でした」
俺は全身にかいた冷や汗が、エアコンのないこの部屋の暑さの所為で生じた只の汗と混じってくれている事に幸運を感じつつ、どうにか体裁を整えた。
結果――――
「ふっほっほ。そうかいそうかい。それならええ。世の中知らんでええ事ばっかよ」
一命は取り留めた。
「ウチにも一人、何も知らない純粋な従業員がおってのぉ。親がロクデナシなんで、ここに預けられる事になったんが、まあ可愛ゆうて可愛ゆうて。ああ言うのはあれや、『ますこっと』言うんかの」
……なんと。これは緑川の事に違いない。命の危機が一転して好機。逃す手はない。
「その代わり、仕事の方は余り出来ない、って事なんですか?」
俺のそんな問いに――――老人は笑う。
「させられんよ、あんな子にはのぉ。ウチの仕事はちょい過激やけんね。まあ、今一人任せとるけど、上手くいっとらんね。いかんでええんけど」
「そうですか」
笑顔で話を聞きつつ、俺は目の前のボロい机を蹴り飛ばしたい衝動を必死で抑えていた。
その任せた標的が俺だよ、爺さん。
「は、はうわわわわわ。怖い、光海何もかもが怖い……」
そんな俺の葛藤や、殺気の余韻を残す老人に囲まれ、後ろで光海がカタカタ震えているが、気にかける余裕はない。
「まあ、あの子はな……不憫なんよ。おい等なんぞに関わっちまって……出来るだけ可愛がるようゆうとるし、皆仕事ぶりを暖かく見守っとるけんど、それを純粋に受け止めてなあ……」
その後、老人は緑川の純真さを延々と語った。そして、暫くすると他の暗殺スタッフも加わり、総勢四名が緑川の魅力を切々と語っていた。それが、緑川を除くこの組織の人員だそうで。その結果、全五名の顔と呼び名を情報としてゲットする事に成功してしまった。
――――で。
「皆さん、お仕事がんばってください。光海は陰ながら応援していますー!」
「おう、また来いよ、お嬢ちゃん。そっちの少年もの」
最終的に仲良くなってしまい、アジトを出る頃には、日が傾いていた。
「……なんでこうなるんだ」
交遊録に暗殺者四名が追加。ちなみに、最初に対応した老人以外も、中年、初老の男ばっか。クールでスタイリッシュな暗殺者のイメージにフィットするような人間は、誰一人としていなかった。
……シルバー人材センターか!
「皆さん、良い人でしたねー。光海、最初は怖がって悪い女でした」
「いや、俺は六時間前のお前の方が好きだった」
「こっ、告白!? 突然の告白!? 光海はもしか、もしか魔性の女だったんですね!?」
いや、そういうこっちゃない。言動は悲惨だが常識はあったお前が恋しいって意味だ。
「で、でももも、このドキドキは……ひょっとして恋? 光海、ここに来て柘榴ちゃんをこよなく愛してしまいました」
「錯覚だ。目を覚ませ」
はたく。
「はぐっ!? あうううう、痛いめです。最終的に痛い事されるのが馴染んできたこの感じも、恋?」
偶に日本語が不自由になる女は放置し、俺は最初の評価をまとめる事にした。
●緑川日向
身体能力 A
暗殺技能 D
実績 E
知能 C
●所属組織
立地条件 B
情報管理 E
人員数
D
資本力
E
こんなところか。
マジでこの業界、人材不足なんだな……完全に零細企業だ、アレ。もっとスタッフが若かったら、IT産業に興味持って資本百万で取り敢えず会社作ってみました、って感じの事務所だぞ。まあ、こっちの暗殺者集団の方が、遥かに悪質なんだけど。そんなところに乗り込んで、最終的に饅頭を土産に貰ってきた俺って一体……ったく、溜息しか出ない。ったく、もしこんな事実が学校関係者の耳に触れようもんなら、内申はどうなっちまうんだ。一刻も早く圧力を掛けてもらわないと。
「待って下さい、柘榴ちゃん。恋人の光海を置いていくなんて、もう、うっかりやさん」
「やかましいわ! そこで寝てろ!」
蹴る。脛を。
「わーきゃー! わーきゃー!」
取り敢えず、この仕事を一刻も早く終わらせる。それしか俺に出来る事はない。
沈む夕日に、それを誓った。
「わーきゃーーーーーーーーー!」
やけに騒々しい中で。
翌日。ポストの中に、一通の手紙が届いていた。
部屋に戻り、眺める。
『からだの下のほうがいたいので今日はお休みの日です あなたの光海より』
……誰があなたの、だ。つーか普通に脚って書けよ! 変な女に懐かれてしまった……って言うか、アレが俺より年上なんて絶対ない。年齢詐称だ。って言うか、脚が痛いくらいで休んでいいのか、暗殺評価機構。こいつらの組織こそ評価してやりたい。
確実に全部Eランクだ!
そう心の中で叫んだ刹那――――窓ガラスが派手に割れる。
「動かないで下さい。今日は貴方を殺しに来ました!」
そして、その穴から殺し屋が登場。
何処かで見た光景だったが、今度は見知った顔だった。
「早朝を狙うなんて、中々考えてるな」
そんな俺の緊張感を欠く言葉に、襲撃者――――緑川は素直に頷く。
「はい。都築君の頭がまだボーっとしてる間に狙いを定めました」
褒められた事が嬉しかったのか、何処か声を弾ませていた。
「でも、よく考えてみろ緑川。窓ガラスを割って入ってきたら、その音で嫌でも家の連中に侵入者の存在がバレる。こう言う時はな、音が鳴らないように窓の錠付近をライターで熱して、変色したらちょっと突く。それで音もせずにガラスが割れるから、こっそり鍵を開けて入るんだよ」
「そ、そうなんですか……! それは知りませんでした」
ショックを受けたのか、緑川はその場にへたり込んだ。
「いったーい!?」
当然、ガラスの破片が部屋には散らばっている訳で、悲鳴が上がる。その様子を見ながら、俺は嘆息を禁じえない。ちなみに、さっき教えたのは空き巣の手口だ。殺し屋がそんなチマチマ作業してたら、ただの間抜け。実際には、窓ガラス破壊用のハンマーってのがあって、それを使うのがベスト。軽く叩くだけでも簡単にガラスが割れる。音を出さずに襲撃するなら、これが最良だ。でも、当然それは教えない。暫く緑川には、間抜けな進入方法を実践して貰おう。それが俺の身の安全の為だ。にしても、どうやって二階に上ってきたんだろう。こいつの身体能力には本当に驚かされる。
「評価を修正しよう。身体能力A+、知能はC−」
「評価?」
「なんでもない、こっちの話だ」
泣きながら破片で傷ついた手を舐める緑川は、少し可愛かった。
「ざ、柘榴! 何か凄い音がしたぞ! 借金取りか!? 復讐に取り憑かれた借金取りが二階の窓から進入してきたんだな!? それなら父さんはいないと言っておいてくれ!」
ドア越しに、そんな声が聞こえてくる。
……何で俺はこんなアホの息子なんだろう。泣けてくる。
「都築君のお父さん、借金を背負っているんですか?」
自身にも馴染み深いキーワードに、緑川が反応する。って言うか、殺しにやってきた人間相手に友達感覚で話しかけないで貰いたい。
「個人再生って知ってるか? あれでかなり減額出来て、一応全部返したけど、代わりに恨みを買ってんだよ」
まあ、答える俺も俺だけど……
「そうでしたか……私、都築君に親近感が湧いてきました」
「それって、同情じゃないだろな」
こいつに同情されたら、本気で泣くぞ俺。
「いえそんな。ただ、その……似てるなあ、って」
緑川は何故か赤面しながら俯いている。今の言葉に恥じる箇所なんてないぞ。
「あ、あの。今日は失敗しましたけど、都築君は必ず私が殺しますから。ですから、それまでは他の人に……」
「おい、勝手に〆の言葉を吐いて帰ろうとするな。ガラス代を弁償しろ」
「はうっ!?」
俺の当然の指摘に対し、緑川は口を四角にして固まった。
……やっぱり踏み倒す気だったのか。
「べ、弁償……? ちなみに、お幾らくらい……」
「前に直した時は一万くらい取られてたみたいだな」
「……」
緑川がまた固まった。
って言うか、気絶してる!
まあ……こいつにしてみりゃ一万は大金だ。それを支払えば、飯が食えなくなるのは間違いない。同情する必要なんて、これっぽっちもないんだろうが……
「じゃ、今日一日俺に付き合え。それでチャラにしてやる」
「つ、付き合う!? 私と都築君がチャラチャラ付き合う!?」
「誰がそんな事言った! 用事があるから手伝えっつってんだ!」
「はうっ、そ、そうでしたか。すいません、動揺しちゃって……わかりました。付き合います。付き合います」
取り敢えず、この場は丸く収まった。なんで最後二度言ったのかは知らんが。
「じゃ、まずは片付けだ。破片一つ残すなよ。もし残して俺の足に刺さったら、頭を圧縮するからな」
「は、はい。とほー……」
怯えつつ、殺し屋の緑川は自分で割った窓ガラスを掃除し始めた。
と言うわけで、今日は緑川に助手を頼もう。あの由良の言う通り、一人じゃなにかと面倒だし。
「……」
ふと、緑川の手が止まる。
「あなたの光海……?」
そして、呟く。あ、光海の手紙を拾って読んだのか。
「ああ、それは……」
「都築君、光海って誰ですか」
あれ、殺気? すごい殺気だ! ついさっき殺しに来た時には全然感じなかったのに!?
「誰なんでしょうか」
ゆらりと、緑川の身体が揺れる。その動きは、まるで人間を超越したかのような、あり得ないしなやかさだった。
「ど、どうした緑川。なんでそんなに怒ってるんだ」
「怒っていません。ただ、聞いてるだけです」
怖い。声が怖い。それ以上に、雰囲気が、空気が怖い。何がどうしたって言うんだ。急に殺し屋のスイッチが入ったのか? でもなんでこのタイミングで!?
「光海……誰……」
まずい。何か知らないが、今までで一番殺されそうな危機を感じる。
あ、そうか! こいつ、光海を新手の殺し屋だって思ってやがる! これ以上競合する相手が増えれば、そりゃ機嫌も悪くなるか。
「あのな、光海ってのは、つい一昨日知り合ったばかりのチビっ子だ。お前が思ってるような、そう言う立場じゃない!」
「チビっ子……子供……」
ふしゅるー、と。空気が抜けていくかのように、緑川はおとなしくなった。
「そ、そうでしたか。すいません、何か私、ちょっと取り乱しちゃったみたいです」
「いいけど、出来れば自分の感情は自分でコントロールしような。もう十六歳なんだから」
取り敢えず、どうにかこの場は収まった。
「ざ、柘榴〜。さっきお前の部屋で強烈な敵意を感じたんだけど、俺がいるって言ったんじゃないだろうなあ〜」
「ああ言った。今そっちに透明になって向かってる」
「そ、そんなステルススキルをいつの間に!? いいい行って来ます〜!」
面倒なんで適当に答えると、ロクデナシの父は会社へ逃げた。窓の穴から見えるその様子が滑稽で仕方ない。
「父親で無駄に苦労するって点では、確かに俺たちは似てるのかもしれない」
「あは、あはは……」
嘆息する俺に、緑川は困ったように笑っていた。
と言う訳で――――放課後。
「あ、あの……これって、尾行ですよね」
私服姿の有沢の十五メートル後方で、新聞紙を広げながら歩く緑川に対し、俺はゆっくりと頷いて見せた。
先日の反省を踏まえ、今回はボディーガードを採用。これなら、他の殺し屋にバレても多少は身の安全を期待出来る。
「ど、どうしてそんな事を?」
「気にするな。男にはな、いつか尾行しなくちゃならない時が来るんだ」
「意味がわかりません……あ、かりんちゃん、路地に入っていきました」
緑川の発言の通り、有沢は大通りから裏路地へとルートを変更した。そして、そのまま直進。暫く歩くと――――やけに艶やかな場所に出た。歓楽街。って言うか、風営法対象業種満載の地帯。
「か、か、か、かりんちゃん……まさかそんなまさか」
緑川があうあうと言葉を失う中、俺は努めてクールに尾行を続けた。ま、あいつがそう言うお店で働いてましたー、なんてオチが待ってるなんて、考えるだけ無駄だよな。あの性格を考えりゃ、そんな事出来るとも思えないし。案の定、有沢はその一角をアッサリと通り抜けた。
「あうう……一瞬でもお友達を疑った私は悪い女……」
「自己嫌悪に浸る前に、ちょっとこの辺りで気配を探ってくれ、緑川」
まだ陽の沈む前の歓楽街。ここに有沢が来た理由なんて、一つしかない。組織のアジトはかなり近い筈だ。
「で、もし周囲に殺気立った連中や、周囲を見張ってる連中がいたら教えてくれ」
「わかりました」
緑川はコクリと頷き――――表情をなくした。
一瞬。
本当に、コマ送りにしても気付かないかもしれない、そんな刹那の中で、緑川は暗殺者の顔になった。
まともだ! 俺を殺すと息巻いて対峙してる時より、よっぽど殺し屋っぽい!
「お前、なんでそれを俺の時に出来ないんだよ。暗殺技能の評価、Cに上げるからな」
「?」
有沢の調査をしてるのに、緑川の評価ばっかり固まっていくな。まあそれは良いけど。
「取り敢えず、現状を教えてくれ」
「この近くに不審な人物はいません。私達を見張っている人もいません」
「了解。じゃ、尾行再開」
そして、程なく有沢は一つの建築物の前で立ち止まった。正確には、ビル。
……またビルかよ。
「あそこが、かりんちゃんの職場なんですね」
「だろうな。ところで、アイツがこの後、あの建物のどの部屋に行った……とか、察知出来るか?」
「それは無理です。人の気配は建物の中だと、かなりわかり辛くなるので」
良くわからないが、そう言う事らしい。とは言え、これから直ぐにビルの中に入れば、有沢に気付かれる。仕方ない……建物がわかっただけでも十分な収穫だ。調査の続きは後日、有沢がいない時間帯に――――
「あ。かりんちゃん、誰かに話しかけられてます。女性です」
思考を吹き飛ばし、視界を現実に戻す。確かに、有沢は女性と話をしていた。若いかどうかは判断出来ないが、少なくとも老人や子供じゃない。妙齢の女性、と言ったところか。
「依頼主……じゃないな」
「はい。依頼主とアジトの前で会う暗殺者はいません。きっと、お仲間さんです」
そう言う事になるだろう。あの女性が殺し屋かどうかはわからないが、恐らくは身内。ただ――――その女性と話す有沢の表情には、知り合いと接している割に、緊張感、或いは焦燥にも似た色が滲んでいた。上司の可能性が高い。緑川の組織とは違って、縦の関係がしっかりしてるみたいだ。まあ、その方が組織としての評価は明らかに上だな。
「あ、別れました。わわ、こっちに来ます!」
その表情のまま、有沢はビルの中へは入らず、身体をこっちに向けた。
マズい! こんな人気のないアジト周辺に二人でいる所がバレたら、尾行してた事が筒抜けだ。何処かに隠れないと……
「緑川、こっちだ! 急げ!」
「え? え? そ、そこって……わわわ!」
最寄の建築物にイン。幸い、自動ドアだったから、すんなり入れた。有沢は俺らに気付く事なく、そのドアの向こうを通り過ぎて行く。
――――目を擦りながら。
「かりんちゃん……怒られたんでしょうか」
「かもな。俺を殺す事が有沢の仕事だから、今のアイツは仕事をこなしてないって事になる」
上司から叱咤され、家に帰されたんだろう。ま、同情は出来ないけど。
「さて、有沢もいなくなった事だし、潜入しに――――」
「いらっしゃいませ。お二人様ですか?」
行こう、と言う言葉が、甘ったるい声でかき消される。この建築物の店員だろう。何の店かは知らないけど、まあ訳を言えば問題なく出られる筈。
「すいません。実はちょっと凶暴な殺人鬼に追われてて……」
「そうでしたか。でも、それは良くある事ですよね」
「……ん?」
明らかにおかしい言動だったが、それより声が気になった。思わず振り返る。第一声の甘い声とは極端に異なる、ちょっとハスキーな声。同一人物とは思えない変わりよう。問題は――――今の声に聞き覚えがある、ってトコロだ。
「お二人様、こちらへどうぞ」
そして、そう続けたその店員は――――村崎先輩だった。しかも、時代劇に出てくる『くのいち』みたいな格好をしていた。
取り敢えず、唖然。
「どうかなされましたか、お客様。鳩が豆鉄砲を乱射されたような顔をしていますが」
「……口調が違うのは店員仕様って事で納得できるけど、それ以外は何も納得出来ない」
頭を抱えざるを得なかった。何故ここに先輩が? そもそも、その格好は何だ? 落ち着け。冷静になれ。ここで取り乱したら、運命の思うツボだ。俺はこんなフザけた運命の悪ふざけには絶対に屈しない!
って訳で、考える。先輩がここにいる理由――――それはアルバイト以外ないだろう。働いてる訳だし。問題は、その格好だが――――
「ここはコスプレ喫茶か何かですか?」
「近いが、少々違います。ここは『くのいちカフェ
みずの』です」
くのいちカフェ……初耳過ぎる。そして、そんな奇妙な店舗の中で、緑川は絶句し続けていた。未知の世界とかそう言う以前に、想像だにしない世界だったんだろう。俺だって、そんな店が現存する事に驚愕を禁じえない。つーか、どんな層を狙ったらそんなカフェが出来上がるんだ。
「どうぞこちらへ。禁煙席となっております」
先輩に促されるまま、俺と緑川は一番奥の席に案内されていく。意外と客は入っていた。全員男だ。
「ご注文が決まりましたら、こちらの紐を引いてください」
天井からぶらーんと垂れ下がった紐を、普段一切見せた事のない極上の笑顔で案内し、村崎先輩は奥に引っ込んで行った。改めて店内を見渡すと――――『くのいちカフェ』ってだけあって、そこかしこに忍者要素が見え隠れしてる。ただ、明らかな間違いも散見された。向こうの店員は赤いアイマスクをしてるが、どう見てもSM嬢にしか見えない。コースターも手裏剣型になってるが、あれじゃあんまりコースターとしての役割を果たせない気がする。そのくせ、メニューは巻物じゃなく、ごく普通のカフェの物と同じタイプ。まあ、開き難いって苦情が来たんだろうけど。
「あ、あの、都築君。どうして私達は、昼下がりのカフェでお食事をしようとしてるんでしょうか?」
対面の席に座る緑川の言う事は、尤もだ。俺は有沢の組織を評価しに来た筈だ。なんでこんなカラクリ屋敷みたいなカフェで午後ティーをしようとしてるんだ。
「で、でもでも、これって何か……デ、デデデデデデ」
「デデキントの切断?」
「ち、違います! って言うか、その技の名前一体なんですか」
「いや、技じゃなくて数学の論法だけど」
緑川は熱中症にでもなりそうな顔で、何かを言おうとしている。まあ、言いたい事はわかってるけど。それを口にするのは、何となく躊躇われた。この純粋な女子のはじめてのデートは、ちゃんと好きな奴と体験して貰おう。
「注文が遅い」
「うわっ!」
突如、ニュッと村崎先輩が顔を出す。
……テーブルから。
「な、な、な、生首……ふぅ」
緑川が気絶した! つーか暗殺者が生首で気絶するなよ!
「ふっふっふ。これが『くのいちカフェ
みずの』名物、サプライズ生首だ。原理はだな、厨房とここが地下で……」
「それは良いんで、注文します。俺は水。あとこいつに一番安いパフェ持ってきて」
原理なんて誰でもわかる。それしかないし。
「そうか。まあ、パフェは女子なら誰でも好きだからな。ではオーダーを繰り返そう。コーヒーとイチゴパフェ、以上で宜しいか?」
村崎先輩は店員なのに、人の話をまるで聞いていなかった。って言うか、言葉遣いが普通に戻ってる。
「何故、ここで私が働いているとわかったのかは知らないが、折角訪ねて来てくれたんだ。コーヒーくらいは奢ってやろう」
「いや、毒を混ぜてもバレないよう、色の濃い飲み物にしただけでしょ」
先輩の首はシュッと引っ込んだ。くのいちカフェって言うか、幽霊屋敷じゃねーか。
「う、うーん……あれ、さっき店員さんの首がここにあったような……」
「夢だ。お前の潜在意識が生首を欲してるんだ。暗殺者なだけに」
「ひぐっ!? そ、そんな事ありません! 私はその、もっと……もっと身体に優しい殺し方を心がけてますっ」
実績ゼロのクセに。そもそも、もっと命に優しい人生を送って欲しいんだけどな、こっちとしては。
さて、これからどうしようか。一息吐いてから、有沢のアジトのあるビルへ乗り込むか。それとも、もう今日はここでお開きにするか。こう言うのって、一旦緊張感が途切れると、集中力を立て直すのが結構大変なんだよな。とは言え、早めに消化しておかないと、村崎先輩の評価も残ってるからな……ってか、あの人の調査なんて無理な気がする。掴みどころないんだもん。飄々としてるし。アジトすら掴めそうにない……
ん、待てよ?
アジト、ここなんじゃないか?
学校通って、アルバイトして……その後にアジトに行く、なんてスケジュールだと色々無理がある。逆にここがアジトなら、わかりやすい。村崎先輩の組織は、緑川や有沢とは性質が違う。殺し屋組織に寄生した組織。殺し屋組織が受注した仕事を横取りするのが、彼女達の受注方法だ。となると、有沢の組織の傍にあるココは、何気に立地条件としては良い。
……ココっぽいな。
となると、予定変更。先にココを調べてみよう。
「都築君?」
まずは、村崎先輩が通ってきたと思われる通路。この床が、厨房に繋がってるらしい。流石にパフェを運んでここを通ってくる事は考えられないから、ここから向こうへ行く場合、鉢合わせになる可能性は低い。絶好のルートだ。
「あの、都築君。さっきから下を覗き込んで何を……ま、まさか、私のスカートを……もう、ダメですよ、そんな小学生みたいなイタズラ」
「誰がこんな公共の場でセクハラするか! ダアホ!」
「はうっ」
人をエロ魔人呼ばわりする緑川には、後で報復するとして……今はそれどころじゃない。
「俺はちょっと席を外すから、パフェ食ってろ。あと、俺に運ばれてきたコーヒーは絶対飲むなよ」
「の、飲まないですよ! もう、人を意地汚い子みたいに……」
プンプン、と後ろに文字を入れたくなるような顔で、緑川は憤慨していた。そう言う意味で言った訳じゃないけど、まあ良い。ちょっと可愛かったし。
さて、床を外す方法は……ん、溝があるな。
「ちょっとナイフ貸して」
「あ、はい」
手を広げて腕を伸ばすと、そこにナイフの取っ手部分が置かれる。以前、俺に対して向けられた白い刃のナイフ。自分で要求しておいてなんだが……殺し屋が自分の武器をこうもあっさり人に手渡すって、どうなんだろう。多分、ちゃんとした暗殺者なら『殺しに使う武器は命も同然!』とか言う拘り、持ってそうだよな……
「ま、暗殺者にちゃんとしたもクソもないか」
「へ?」
「いや。じゃ、ちょっと使わせて貰う」
取り敢えず礼を言って、ナイフの刃を溝に入れ込み、てこの原理でフタと思われる部分を浮かび上がらせる。
余り普段掛けない負荷の所為か、かなり撓りながらも――――どうにか開いた。
一息吐きつつ、そのナイフをスッと仕舞う。
「サンキュ。良いナイフだな」
「えへへ。自慢の一品なんです。まだ付き合いは短いですけど」
緑川はやけに嬉しそうに、返却されたナイフを抱くように胸元に引き寄せる。不覚にも、その姿にちょっと胸が弾んだ。外見が良いって、色々反則だ。当人にそんな意識がなくても、ちょっとしたポーズが武器に変わる。いかんいかん、自分を殺そうとしてる奴にときめいてどうする。
「村崎先輩が来たら、トイレに行ってるとでも言っておいてくれ」
「あ、はい。あの……あれ? 床が開いて……あれ? 都築君? 都築君!? 都築君がモグラみたいに潜って!?」
誰がモグラだ。
さて、中はどうなってるのか。ん――――普通の通路だな。人が一人通れる程度の幅しかない。フタを閉めると、何も見えなくなった。なんか……マジックショーで瞬間移動を披露してる最中の舞台裏みたいだ。少しワクワクする自分が情けない。頭をぶつけないよう、左腕を定期的に前へ伸ばしつつ、匍匐前進を続ける事――――二分。その左手に、硬い物が当たった。出口、だろう。ここが開かなかったら開かなかったで、ここから厨房の会話が聞こえるだけでも十分に情報収集出来そうではあるけど――――お、簡単に開いた。ゆっくりと持ち上げ、微かに入り込む光を覗き込むように、外部の景色を探る。
そこは――――やはり厨房だった。ごくフツーの。ファミレスとかの裏に良くある光景。直ぐ傍に、デカイ冷蔵庫や食材の入ってそうな棚がある。
そして、目の前には――――お尻。
お尻?
うわ、村崎先輩の下半身だ! まあ、お尻っつっても、当然服は着てる。とは言え、あの変なくのいち衣装、スリットが入ってて結構アレなんだよなあ。まずい、ドキドキして来た。
「伊吹ちゃん。パフェとコーヒーはあがった?」
おっと、いかん。店員らしき女性の声に、俺は半ば強引に頭を引っ込めた。蓋を閉めた状態でも、声は聞こえる。ここは会話を盗み聞きして、情報を得るとしよう。
「いや、パフェは出来たがコーヒーはあと少しかかる。もうちょっと待っていてくれ」
「はーい。にしても、ここにカップルが来るって珍しいよねー。知らないで入ってきたのかな?」
「そうかもしれないが、そうではないかもしれない」
村崎先輩の言葉の後、暫し沈黙が生まれる。
「あの女子は、吉田さんのところの暗殺者だ」
「え? 嘘!?」
吉田さんのところの暗殺者――――緑川の事か。あの組織の代表者が吉田って言うんだろう。。確か、俺と光海を出迎えた爺さんがそう呼ばれてたっけ。
「へえ……あそこって、お爺ちゃんとか中年オヤジばっかりって思ってたけど」
「最近入った新人らしい。まだ初心な子だから、ちょっかいは出さないようにな」
「失礼ね。そんな事しないってば」
軽口を叩き合っている辺り、村崎先輩と話してる店員は、同世代なのかもしれない。そして、この話しぶりからもわかる通り、この店の従業員でありながら、同時に暗殺者としての村崎先輩と会話している。やっぱり、ここがアジトで間違いなさそうだ。
『くのいちカフェ』は隠れ蓑か。
「そして、もう一人の男子は、私の標的だ」
「……え?」
「ついでに言うと、吉田さんトコの暗殺者の標的でもあるらしい」
「えええ!?」
店員さんのリアクションが、ちょっと嬉しい。もっと驚いてやってくれ。本来、俺の今の境遇って、それくらい稀有な筈なんだから。
「待って。伊吹ちゃんの標的ってことは、アムロの標的でもあるのよね。つまり、三人から狙われてるの? その男。うわ……かわいそ」
同情までされてしまった。ああ、なんか新鮮。って言うか、アムロって何。俺、ファーストガンダムからも狙われてんの?
「いや。正確には四つの組織だ。後一つ、どこだったか……名前が出てこないけど、そこにも狙われている」
……同業者から名前を忘れられる暗殺組織って一体……この前、俺の部屋に飛び込んできて、先輩達にあっさり捕まった男のトコだろな。
「世の中には悲惨な人っているけど、別格って感じね……死神が四匹ついてるって事でしょ?」
そういう表現されると、本当に悲惨だな俺。実際、今の状態って死神同士で椅子取りゲームやって、グダグダになってるみたいなもんだしな。
「で、その標的が吉田さんトコの暗殺者と結託して、ここを調べて乗り込んできたって訳? 度胸あるよね。どうするの?」
「別にどうもしない。普通にコーヒーを出して、寛いで貰う」
「え? 毒は? 伊吹ちゃんが毒を盛らないなんて、どういう風の吹き回し? 一般客にも偶に盛るのに」
盛るのかよ。なんで営業停止にならないんだ、ここ。
「看破されてしまったからな。それに、あの子が見張っている以上は、余り大きな動きは出来ないだろう」
意外にも、緑川に対しての村崎先輩の評価は高かった。まあ、戦闘能力に関しては一流だろうしな……
「よし、出来たぞ。持っていってくれ」
「了解ー」
ガチャガチャと音を立て、店員が俺のいない客席に向かっていく。取り敢えず、幾つかの情報は得た。ここがアジトってわかったのは大きな収穫。さて、戻るか。
「で――――結局、ここに来たのは偶然なのか? それとも誰かに聞いたのか?」
げ。
「……バレてました?」
「これでも、一応くのいちの端くれだ。気配くらいはわかる」
「殺し屋じゃなくて、くのいちだったのかよ!」
まあ、バレてたんなら隠れてても仕方ない。蓋を開け、厨房へ出る。
「ここに駆け込んだのは偶然ですよ」
「そうか。と言う事は、アムロの事を調べてたのか?」
「いえ、特にファーストガンダムに思い入れがある世代じゃないんで」
「……君は何を言っているんだ」
あ、決め科白取られた。
「この直ぐ傍に、有沢の組織のアジトがあるだろう。そこを嗅ぎ回ってたんじゃないのか?」
え。つまり……組織の名前がアムロって事?
「American
Murder License
Organization。略してアムロ。まあ、外資系の組織には良くある感じの名前だ」
酷いセンスだな――――と言おうとした俺は、思わず口をつぐんだ。
A.M.L.O.
アムロ。
そう言う偶然もあるのか。
「正確には、日本支部だから『アムロジャパン』だな」
「監督がアムロのサッカーチームみたいですね」
「君はさっきから何を言っているんだ」
呆れられてしまった。ちょっとショックだ。
「まあ、名前は知りませんでしたけど、有沢についてちょっと調べてたのは事実です。そこで尾行がバレそうになったんで、慌てて駆け込んだのがココ」
この先輩には、嘘を吐くと逆に知られたくない事まで知られそうだ。取り敢えず、自分に動揺が生じないよう、正直に話す。とは言え、全部は話せない。アンタ等を評価してます、とは言えないからなあ……どう誤魔化したものやら。
「緑川と一緒と言う事は、つまり、アレか。三角関係がこじれたので話し合いをしようと」
「してません。って言うか、それは当事者の一人のアンタが一番わかってるだろ!」
「良かった。仲間外れにされたのかと思って泣きそうだったぞ」
妙な誤解があったようだけど、取り敢えず納得はして貰えたみたいだ。それに、これは良い機会だ。こっちの事を話した以上、こっちにも村崎先輩に色々聞ける空気が出来ている。
「にしても、ここは変なカフェですよね。殺し屋のアジトの隠れ蓑がこんなに目立ってて良いんですか?」
人に何かを質問する場合。核心をいきなりビシッと聞くのも、一つの手法。でも、それは先輩みたいなタイプには通用しない。それより、こちらが結構色々知ってるよ、ってのをアピールしつつ、それを追随して貰う形で情報寄与してもらうのを狙うのが好ましい。つまり、直接的に尋ねるんじゃなく、こっちの聞きたい事を向こうが自発的に話すような流れに誘導する、って事。先輩が相手じゃ、緑川のようにはいかないだろうけど、駆け引きは相手が強いほど燃える。
「甘いな、都築。一つ良い事を教えてやろう。この店は隠れ蓑じゃない。こっちが本職だ!」
でも、先輩の回答はそれ以前の問題だった。
……マジですか。
決めポーズ付きで宣言した先輩が、酷く色モノに見えてならない。
「そんなバカな。はっはっは、村崎先輩は冗談が好きですねえ」
取り敢えず、否定。情報を引き出すには、一度否定して反骨心を誘い、相手に喋らせるのが一番良い。その昔、俺はクルクルパーな親父の債権者と幾度となくこんな問答をしたもんだった。その時に得た技術。それが役立つ日が来るとは……
「むっ。冗談ではないぞ。この店は私達の重要な収入源、と言うか資本そのものだ。ここなくして、暗殺活動は成り立たない」
「……自転車操業ならぬ、盲導犬操業だな」
何かに寄り添わないと生きていけない。ある意味、寄生組織にはピッタリな状況ではあった。そして、この組織の経済状況が把握出来た。この場合、どう評価すればいいのかは判断に迷うが。
「仕方ないんだ。今の時代、暗殺なんて日本でそう需要があるものじゃない。別の事で資金を調達するしかない。これは、私たちに限った事でもない。実際、アムロジャパン……有沢の所も、別の場所でペットショップを営んでいる」
「なんか暗殺とは対極にある商売ですね」
「いや、同時にペットの葬儀屋も営んでいるそうだ」
ナルホド。最近多いらしいからなー、ペットの葬式する飼い主。
「でも、そこまでして続ける事にどれほどの意味があるんですかね、暗殺稼業に」
「それは、人それぞれ、組織それぞれ、だ」
「じゃ、先輩は?」
自然な流れで聞けただろうか――――そんな一抹の不安が過ぎる。だけど、幸いな事に、村崎先輩はごく自然に会話を継続した。
「私の場合は、簡単に言えば血だ。言っておくが、血が見たいと言う訳ではない。寧ろ、血は見たくない。私は一定量の血を見ると貧血を起こすんだ」
難儀な体質だな。
「一応、私の組織は私の家が代々束ねている。私の何代も前からな。ただ、このご時勢とあって、兄の代になった辺りから、殺し屋として稼動しているのは兄だけになった」
技術者一名かよ。緑川の所より全然酷いな。この店がなかったら、完全に廃業してるレベルじゃん。
「だが、その兄が先日行方不明になってな……それで、私が受け継ぐ事になった」
「え? 先日って、割と最近?」
「君と会う一月ほど前だ。そして君が私の最初の標的でもある」
なんと。村崎先輩も初心者だったのか。道理で生き残れるわけだ、俺。
「だから、失敗は許されない。競争率の激しさに挫けてしまいそうな日もあるが、私は必ず君を奪ってみせる」
なんか、少女マンガに登場する二番手の男みたいな事言い出したな。とは言え、これで村崎先輩及びその組織の評価も問題なく出来そうだ。これはラッキー。上手く行けば、今日中に終われる。
「……何かリアクションが薄い気がする。私は君に余り興味を持たれていないのだろうか。兄がいた事とか、もう少し食いついて貰えると思ったんだが」
「いや、どっちかってーとそこは一番興味が薄いトコロです」
「ショックだ。兄は素晴らしい殺し屋だったと言うのに」
村崎先輩は心底悲しそうな顔をしていたけど、そんな顔されても自分を殺そうとしてる人間の兄、しかも殺し屋に対して言う事は一つしかない。お前の代で終わってれば俺の苦労は半減したんだよ! と。
「……まあ、敢えて気になる所を挙げるとすれば、どんな方法でクライアントを横取りするか、ですね。これって、『他所の組織が誰から依頼を受けたか』をかなり早めにわからないと、出来ない事ですよね。諜報員でも雇ってるんですか?」
「はっはっは。そんな予算はない」
本当、何処も彼処も貧乏だな。
「ってなると、残りは情報屋がいるか、盗聴器でも仕掛けてるか……」
「はっはっはっは。そんな訳がないだろう。全く君は、君は全く」
珍しく、って言うか初めてかもしれない。村崎先輩がダラダラ汗を流し、動揺を顕にしている。後者だ。間違いない。これでブラフだったら、この人は舞台役者の大器だ。
「まあ、暗殺稼業してる人々が盗聴してるくらいで驚きはしませんが」
「……そんな風に言わないでくれ。好きでやってる訳じゃない。ここらはとても感度がいいんだ。仕方ないんだ」
「せめてそこは良心の呵責に苛まれろよ!」
やっぱり困った先輩だった。ここまで飄々と生きられれば、人生楽しくて仕方ないんじゃないか。
「都築。この事は有沢には秘密にしておいてくれ。君がそう言う告げ口をする人間ではない事は知っているが、私としても死活問題なんだ」
ちっ、男気を人質にしてきやがった。この人のこう言う抜け目ない所は嫌いになれんな。
「ま、良いですけど。その代わり、その盗聴マイクを聞かせて下さい」
こっちとしては、これで十分すぎる見返り。上手く行けば、わざわざ侵入するまでもなく、有沢のトコの情報が得られる。なんつーか、俺ってトラブルメーカーだけど、不幸体質じゃないのかもしれない。何となく、ご都合主義体質って気もしてきた。
「言っておくが、いやらしい事をしそうな場所には仕掛けていないぞ」
「それを期待してたら、もっとオブラートに包んでお願いする」
不毛なやり取りの果てに――――先輩は首肯し、控え室へと案内してくれた。そこには、最近流行のミニタイプのパソコンが置いてある。村崎先輩はそのパソコンをおもむろに立ち上げ、幾つか並んでいるショートカットの一つにカーソルを合わせて、トトン、と指を叩いた。
「声はそっちのイヤホンで聴けるハズだ」
そんな先輩の声を同時に、パソコン画面上にウインドウが出てくる。うわー。盗聴じゃなくて盗撮だコレ。
「言っておくが、私は画面は見ないぞ。あくまでも声だけ拾っている。あと、いつもはテープで録音しておいて、夜にまとめて聞く。関係ないと思われる部分は早送りするしな」
「その拘りって、多分あらゆる事象の中で一番『自己満足』って言葉が似合いますよ」
まあ、先輩の性格を知る一エピソードとして、胸にはしまっておこう。さて――――気は引けるけど、画面をチェック。なんか、フツーの会社って感じだな。数人の女性が机に腰掛けて、キーを叩いている。ドラマで見かける風景そのまんまだ。でも、女性ばっか。同じビルでも、緑川の所とは全然違うな。
「む、何か話しているな。こっちの女性は代表だ。こっちはその秘書だな」
村崎先輩が丁寧に教えてくれたその女性二人の内、秘書と呼ばれた女性は、さっき有沢と話してた人だった。秘書に追い出されたのか、有沢は。あんまり良い境遇じゃなさそうだな。
「お、声が聞こえて来た。やっぱり感度がいいな、この辺りは」
「あんま感度感度言わないで下さい」
嘆息しつつ、イヤホンを耳に当てる。ノイズは余りなく、喧騒も少なく、女性二人の話し声が割とクリアに聞こえて来た。
『――――まり可愛そうな事を言ってやるな。本人の能力以上の事を要求しても仕方がない。無能な奴は何をやっても出来ないんだ』
直ぐに、ピンと来る。有沢の事を話しているな、これは。
『しかし、社長。あんなのでも一応、我が組織の社員です。余りにも役立たずでは、アムロジャパンの顔に泥を塗ります』
『大丈夫だ。どうせあの無能に殺しは出来ないだろう。現実を教え込めば、二度と自分も殺し屋として働きたい、なんて言わんだろうさ。後はコピーなりお茶くみなり、雑務をやらせておけばいい』
『飼い殺し、ですか?』
『殺し屋だけにか。うまい事を言うな』
荒んだ笑い声が、イヤホン越しに聞こえてくる。
『先程、今日中に依頼を達成しないと解雇だ、と告げてきました。明日までには結論が出るかと』
『どうせ、泣いて帰ってくるだろう。いつもの事だ。「すいません社長、期待に添えなくて申し訳ありません……」なんて、な。フフフ、ハハハ! 誰もお前に期待などしていないと言うのがわからないのか』
『わからないんでしょうね、頭も悪いですから。実際には、本社の設けている社員数制限に引っかからない為の頭数ってだけなのに、それすらわからない無能ですから』
また笑い声。
……ここまで、だな。
これ以上は聞く気になれない。聞くに堪えない。
「私の『拘り』を理解して貰えたか?」
「ええ。俺が悪かったです。すいませんでした」
心から謝る。こんなもん、いちいち聞いてたら精神的にもたん。ったく、胸糞悪い。有沢は確かに無能だが、それを上司が本人のいない所で笑い者にするかね。
「彼女の暗殺者としての技能は、お世辞にも高いとは言えない……が、こんな環境に身を置き続けている事には、尊敬すら覚えるよ」
先輩の言葉は、ある意味かなり重いものだった。アイツは――――もしかしたら『前者』だったのかもしれない。現実の殺し屋に憧れていたのかもしれない。偶像崇拝にしては、この環境は余りに毒だ。普通は耐えられない。社会人なら、歯を食いしばればどうにかなる。でも、アイツはまだ高校生なんだ。
「それで、どうする気だ? 話を聞く限り、有沢が今日君を襲いに行くようだが」
そう言えば、そう言う話をしてたな。今日中に、俺を殺さないとクビ。まあ、社員数制限の為の頭数らしいから、失敗しても何だかんだ理由つけて残す可能性が高いけど、今以上に肩身が狭くなる事は間違いないだろう。
……って、なんで俺が有沢の、俺を今日殺そうとしてる殺し屋の心配しなきゃならないんだ。
「私としては、君が彼女に、と言うか私以外の誰かに殺されるのは阻止しなくてはならないから、今夜は君の護衛に当たろうと思うが」
「……なんか、えらく不毛ですよね」
って言うか、今二人っきりだから、本来なら絶好の殺害チャンス。でもこの先輩は、毒で俺を殺す事に拘ってる。つーか、血が見たくないんだろうな、この人の場合。
「取り敢えず、家に。母と姉には親戚の家に泊まりにでも行って貰います。あのバカ親父がまた浮気したってガセネタ流せば、修羅場になって暫く家を出るでしょう」
「……なんと言うか、色々な意味で私は君を甘く見ていたかもしれない」
俺は俺で、村崎先輩から批評をされていたようだ。まあ、評価が上がっても一切嬉しくはないが。
……ゴメン、本当はちょっと嬉しい。
「では、緑川にも来て貰うとしよう。彼女は戦力になる」
と言う訳で。パフェを食べて大満足の緑川と合流し、俺達は我が家に向かう。そして、その途中――――携帯が震えた。
予想通り、有沢からの通信だった。
夕方――――メールでの予告通り、有沢は俺の家を訪ねてきた。切羽詰った表情。或いは俺の先入観の所為かもしれないが、明るく振舞うその顔には、何処か思い詰めたものが含まれているように感じた。来た理由は、『宿題が間に合わないから手伝って』と言うもの。こいつにしては、まあ良く考えた方だと思う。少なくとも、変に俺に媚びるような理由よりは余程リアリティがある。その後の『緑川に頼めば良かったのに』と言う、合いの手のような俺の問いに対しても、ちゃんと『あの子の世話にはならない』と答えていた。普段から見せているライバル心を顕にする事で、俺に対して僅かな猜疑心も与えない、現実的な回答。もし裏を知らなければ、疑う事すらしなかっただろう。正直、俺の暗殺者・有沢への評価は最悪に近いものだった。今もそれは変わらない。ただ、今日の対応に関しては、それより一つ上の評価を与えるに値するものだと素直に思った。
そして。今――――
「……悪く思わないでね。アンタを殺さないと、私の人生が終わるの」
俺は、自分の部屋で銃口を向けられていた。
でも、その手は――――有沢の銃把を握る手は、震えていた。腕に篭る力が目視できる。やろうと思えば、一瞬でカタが付く距離。恐らく、俺に銃声は聞こえない。それが鼓膜まで届く前に、絶命するだろう。
でも、大丈夫。何となく、そんな気がしていた。死への実感――――それが希薄なのもあるが、理由はそれだけじゃない。有沢が、僅かに目を逸らしていたからだ。
「そこまで殺し屋に拘る必要あるのか?」
「あるのよ。私には。私が殺し屋でないといけない理由が!」
その理由には、心当たりがある。恐らくだけど――――殺し屋に属する者は、一度組した集団を抜ける事は、絶対に許されない。全てが秘密裏の存在。その中の核心部ではないにしろ、例えばアジトの場所とか、上司の名前とか、そんな重要事項を知っている人間に対し、一般人に戻りなさい、なんて送り出してくれるような世界じゃない筈。抜け忍が認められなかった、昔の忍者みたいなもの。有沢が今後生き続けるには、殺し屋であり続ける必要がある。つまり、標的である俺を殺す必要がある。そう言う事なんだろう。でも、俺に有沢の人生の糧となる意思なんぞ、欠片もない。黙って殺される程、自分の命を安く見積もる気はサラサラないんでね。
まずは牽制を入れて、様子を見る。
「でもな。お前、ここで俺を殺したら、もう本当に抜け出せないんだぞ? わかってんのか? もうお前は殺人者になるんだ。仕事とは言ってもだ。戦争で人を殺した人間は、或いは社会的なお咎めを受けないかもしれない。けど、一生その時の事を背負いながら生きていく事は、生き地獄らしいぞ。まして、殺し屋なんて、多分一生安眠すら出来ないんじゃないか?」
さて、この程度の理屈で、果たして有沢の意思をぐらつかせる事が出来るか――――
「う、うう……安眠が出来ないのヤダな……」
あっさりぐらついていた。
もうグラグラ。
って訳で、シリアスシーン、終了〜。
早えよ!
なんか、俺の人生をマジメに語るのが馬鹿らしいって言われてるみたいでハラ立つな。
とは言え、好機である事に変わりはない。心で泣きつつ、畳み掛ける事にした。
「それにだ。お前、こんな住宅の密接した地域で拳銃なんて使ってみろ。サイレンサーが付いてるのかどうかは知らんけど、俺が断末魔の悲鳴を上げれば、直ぐ近所にわかるぞ。ここの近くのオバちゃん達、野次馬根性ハンパないからな。あっと言う間に駆けつけて来る。多分、十秒くらいで」
「十秒!? マニュアルでも一分以内に現場から退散出来ればOKって書いてるのに!?」
マニュアルなんてあんのかよ。寧ろ読んでみたいわ。
「そもそも、こんな二階の一室から逃亡するなんて、嫌でも時間かかるっつーの。どうにかして一階に呼び出すのがセオリーなんじゃねえの? 知らねえけど」
「うっ」
「つーか、この至近距離で拳銃使ったら、返り血浴びるぞ? お前の銃口、俺の顔狙ってるじゃねーか。少しぶれて頭や頚動脈に当たったらバカみてーに血が出るってのに。それでどうやって帰る気だったんだ? まだ深夜でもないから、結構人通りあるぞ?」
「ううっ」
「あと、ここの問三。帰納的定義なのに帰納してねえ。初期値書き忘れてるじゃねーか。しっかりしろ」
「うううっ」
色々指摘され、有沢はアッサリと沈んだ。殺し屋を問い詰めてるのに、なんでトドメが数列の間違いの指摘になったのかは知らんが。
「わ、私……私、どうしてこんなにダメなんだろう……」
「ダメじゃないです、かりんちゃんは!」
派手な音と共に、クローゼットに隠れていた緑川が現れる。まあ、一応保険として二人には潜んで貰っていた。勿論、至近距離で拳銃をぶっ放されたら、そんな所にこいつ等がいてもどうしようもないのはわかってる。でも、有沢は引き金を引けない――――そんな気はしていた。
「有沢を信頼しているのだな」
先刻、そう村崎先輩に言われた時、俺は力強く頷いていた。
そう。信頼している。こいつに――――そんな度胸はないと。
だって、ヘタレだもの!
「かりんちゃんは優し過ぎるんです。だから、都築君を殺すのはとっても難しい事なんですよ。優しい人が人殺しなんて、そう簡単に出来る事じゃないです!」
「日向……」
「だから、思い詰めて抜け駆けしちゃダメです。殺しにいく時は、一声かける。私でも激励くらいなら出来ます」
「うう……ゴメンなさい」
そんな俺の確信を他所に、有沢は緑川の胸で泣いた。
美しい友情……等と思う筈もなく。
「俺の目の前で俺殺しの激励を宣言するたぁ、良い度胸だなコラ」
「痛い痛い痛い痛い! いーたーいー!」
緑川の頭を全力でグリグリした。ま、一種の精神衛生剤。
白状すると――――実はそれなりに緊張はしていた。
万が一、引き金を引かれてたら、俺の人生は終わっていた訳だし。まあ、それでも――――ピストルって、結構非日常って言うか、なんかあり得ないシロモノって感じで、実は銃口を向けられてもあんまりピンと来ない。ナイフを突きつけられた方が怖いかもしれない。だから、適度な緊張。それを解きほぐす意味もあって、緑川へ感情を発散していた。
「はうう……頭の形変わっちゃいますよ」
「ああっ、私の所為で日向が酷い目に……ちょっと都築! なんで日向を苛めるのよ!」
「俺を殺そうとしてるからだよ」
この時の俺の回答は、誰もが納得する説得力を含有していたと思う。
ま、取り敢えず。所要時間の割にスゴく疲れたけど、丸く収まってくれて助かった。有沢がダメな暗殺者でよかったよ、ホント。家の中で暗殺者同士に暴れられたら、損害額えらい事になるし。それに、これで三人及びその組織の評価も固まった。めでたしめでたし。
「ところで、有沢」
押入れから村崎先輩が出てくる。遅い。寝てたんじゃないだろな。なんか目擦ってるし。
「今日のスタンドプレー、お前なりに覚悟を持っての行動だと推考するが、これからどうするつもりだ?」
「……」
有沢は、その問いに答えられずにいた。もう、この場で俺を殺す事は不可能だろう。つまり、襲撃は失敗。今日中に……って言う、社長秘書の要求は果たせない。それでクビにはならない、と言う事は、俺も村崎先輩も知っている。でも同時に、飼い殺しになる事も知っている。それを言う気か……?
「もしお前さえ良ければ、私達の組織に来ないか。給料は今のままを保証するぞ」
ヘッドハンティングだった! つーか、殺し屋のヘッドハンティングなんてのがあるのかよ。
「え……こんな私を雇ってくれるって言うの?」
「うむ。出来ればウエイトレスがベストだが、レジさえ打てればどうとでもなる。後は掃除、食器洗い……仕事は幾らでもあるからな」
「? ……? !? !?」
有沢は混乱していた!
そりゃそうだ。仕事って、暗殺じゃなくて、くのいちカフェの方かよ……でも、フツーに似合いそうなのが泣けてくる。って言うか、もうそこで働くのが最高の選択肢とすら思えてくるな。
と、俺が色々考えている間、村崎先輩は兼業でカフェを営んでいると言う事を説明していた。そっちが本業の癖に。
「あ、ありがたいお誘いだけど……私は暗殺者じゃないとダメなの」
「ほう。何故そこに拘る?」
「私を……助けてくれた人がいて。その人が、暗殺者だったのよ」
有沢は遠い目をして、切々と語り出した。
「子供の頃、私は誘拐された事があるの」
そして、いきなり驚きのカミングアウト。以前、俺と間違われて誘拐された三人の話を村崎先輩がした際に過剰反応していたのは、その所為だったのか。でも、俺と間違われたのは三人の鈴木サン。有沢とは無関係の筈……
「ちなみに、その時私は鈴木って苗字だったんだけどね」
「な、何だってー」
とは微塵も思わなかった。静岡県なんてそう広くはない。そんな中で、同時期に誘拐事件が勃発していて、それが別個の事件なんて可能性は決して高くない。それよりは、両親の離婚等で苗字が変わった――――って確率の方が遥かに高い。関連性を疑って然るべきだ。つまり、俺と間違われて誘拐された鈴木サンの中の一人は、元鈴木姓の有沢だった、って訳だ。
「……何その棒読み。そんなに私の過去に関心ないの?」
「気にするな。続けて続けて」
俺の淡白な態度が気に入らなかったらしく、有沢は得意のジト目を俺に向けたが、嘆息で区切りをつけ、説明を続けた。誘拐された少女時代の有沢は、偶々その誘拐を行った組織を標的にした殺し屋の手によって、無事救い出されたそうな。子供の前で、血で血を洗う大惨状……って事もなく、素手で全員殴り倒したらしい。テレビ画面や誌上じゃなく、目の前で見るヒーロー。憧れを持つのは、まあわかる。
「それ以来、私の所に殺し屋さんから家のパソコンにメールが届くようになって、文通が始まったの」
殺し屋とメールする少女……映画化出来そうな話だな。
「そして、一月ほど前に、『君と話すのはこれで最後だ。自分は暫く身を隠す事になった。アディオス、アミーゴ』って言うメールが来て……だから、私が暗殺者にならないと、もう繋がりが切れちゃうって思って」
何故スペイン語なのかはさて置き。
有沢が殺し屋になったのは、殺し屋の恩人と再会する為ってか。なんともまあ、いじらしい話だ。とは言え、それ以上に気になる点が一つある。誘拐もだが、一ヶ月前に身を隠した殺し屋ってのも、どこかで聞いた事のある話だった。案の定、村崎先輩はそっちの方で有沢を問い詰め出した。
「有沢。今の話、もう少し詳しく聞かせてくれ。何なら自白剤を注入してもいいが」
「え? え? え?」
「さあ、話せ。お前が文通していたという殺し屋についてさあ話せ。さあ、さあ」
「お、落ち着け村崎先輩。目が真っ黒になってるぞ」
ある意味、今が一番殺し屋っぽくなっていた。
まあ、つまり。有沢が助けて貰った殺し屋。それは――――村崎先輩の兄、かもしれないって話だ。失踪した時期が一致する時点で、かなり可能盛大。なにしろ、殺し屋の数自体少ないしな。有沢はメールのやり取りの内容を思い出しながら、拙い言葉で殺し屋の事を語っていく。勿論、名前やコードネーム、或いはパーソナルデータに関しての記述は何一つなかったらしく、決定的証拠はなかった。なにより、失踪した原因に関しては、一方的な報告のみらしく、手掛かりはなし。
「そうか。だが、自分の意思で失踪したと言う事がわかっただけでも十分な収穫だ。ありがとう、有沢」
それでも、村崎先輩は少しホッとしたように、そう確信して礼を告げていた。
「かりんちゃん、その殺し屋さんの事がお好きなんですね」
そして、今までじっと話を聞いていた緑川が、目をウルウルさせてそんな事を言い出す。暗殺者がコイバナ好きの女子高生って、なんか変な感じ。
「ううん、全然? 恩義と恋愛は全くの別物だから。年上は好みじゃないし。なんか無駄に緊張するしね」
けれど、有沢はキッパリ否定。照れ隠しの要素も何処にもない。そして、緑川はやたらガッカリしていた。
「はうう。じゃ、どんな男の人が好みなんですかー?」
「な、なんでそんな話になるのよ。私の好みなんてどーだっていいでしょ!?」
「聞きたいです。聞きたいです。こう言う普通のやり取りに憧れてたんです!」
「だー! もうくっつくなーっ!」
人の部屋でドタバタすんなよな。
つーか、何一つとして問題が解決してないのに、どうしてそんなに吹っ切れた感じなんだ、有沢。
「困ったな。有沢は銃を使うから、私の暗殺ポリシーに反するし、ウエイトレス専属はイヤだと言うし。うーん、困った、困ったぞ」
その分、村崎先輩が頭を抱えて困窮の意思を連呼していた。面倒見の良い人だな。
ま、俺としては、どうでも良い事だ。もう評価も固まったし、後はそれをレポートにして由良に提出して、コイツ等の組織に圧力かけて貰えば、今後一切殺し屋と関わり合いにならずに済む訳だし。
済む筈。
そうなんだけど。わかっちゃいるんだけど。
どうも、やっぱりアホな連中に毒されたみたいで。
俺は、じゃれ合う二人と悩む先輩を見ながら、明日の事を色々と考えていた。
そして、その明日。数日前のファミレスの全く同じ席で、俺はスパゲティをもごもごと食していた。目の前には、暗殺評価機構の二人。由良は昨日俺がざっと仕上げた報告書を読みながら、なんか鼻を膨らませてる。
「……見やすい。そして読みやすい。光海の夏休みの読書感想文みたいなレポートとは全然違げーぞ。まるで、会社の書類みてーじゃねーか」
いや、そんな大層なモンじゃないぞ。割と適当だし。
ちなみに、最終評価は以下の通り。
●緑川日向
身体能力 A+
暗殺技能 C
実績 E
知能 C−
●所属組織「吉田さんトコ」
立地条件 B
情報管理 E
人員数
D
資本力
E
●有沢かりん
身体能力 D
暗殺技能 D−
実績 E
知能 D
●所属組織「アムロジャパン」
立地条件 C
情報管理 E−
人員数
B
資本力
C
●村崎伊吹
身体能力 C
暗殺技能 C+
実績 E
知能 A
●所属組織「くのいちカフェ
みずの」
立地条件 A
情報管理 B
人員数 C
資本力
D
後は、これにチョコチョコと、コメントなり分析なりを加えただけのもの。そんなモノを評価されても、寧ろ気恥ずかしい。
「光海も光海も見たいです。光海にも見せてください。もー! もーっ!」
由良の隣で、光海はまるで小学生低学年が兄や姉の私物を欲しがるかのようなリアクションでジタバタしており、その後店員に凄い勢いで怒られていた。
「ま、何はともあれご苦労さん。特に手直しの必要もねーし、これで契約満了だ。リクエスト通り、三社には連絡入れておくぜ」
「その件なんだけど、ちょっと変更しても良いか?」
「あ? まさかテメー、ここに来て金で寄越せなんて言うんじゃねーだろーな! ねーぞ金は! そのスパゲティもテメーが払え!」
やっぱりこの評価機構はダメだ。400円すらケチる気か。
「そうじゃねーよ。ちょっと圧力のかけ方を変えて欲しいだけだ。金もかからないし、労力は寧ろ減る」
「お、そうか。それなら問題ねーぜ。で、どうすんだよ」
俺は、バカだ。バカになった。これから言う事は、俺にとっては確実にマイナス。
でも、言うのを躊躇わない。なんでこんな事を思いついたのか。全く……しょーもない。
「まず、通達先を変更。三社じゃなくて、アムロ一社に。後、日本支社じゃなくてアメリカの本社にだ」
「何? おいおい、冗談きちーぞ。アメリカの本社になんて電話しても、ハローの次何て言っていいか全然わかんねーよ」
「光海も英語は喋れません、しね」
「テメーは日本語も不自由じゃねーか! つーか今俺に死ねっつったろ! ドサクサに紛れて死ねっつったろ!?」
上司に叱られた光海は、全く堪える様子もなく、メロンクリームソーダのアイスクリームをサクッとすくって、ご満悦な顔を見せていた。嘗められてんなあ……
取り敢えず、詳細を説明。
「別に電話とは言ってねーよ。メールでいい。文章は俺が用意するし。その代わり、レポートを添付しろ」
「あ? どう言う事だよ。この評価は定期更新日に各位関係者に発信すんだぞ。あんで、わざわざ事前に一社にだけ発信する必要があんだよ!」
「発信、って形じゃない。漏洩って体でだ」
「ますますワケわかんねーな」
まあ、わからんだろな。俺も自分で、なんでこんな事を言う必要があるのか、訳わかんねー。ただ、非論理的って訳じゃない。これから、その証明をする。
「手順としては、まずこの評価レポートを、差出人不明の形でアムロ本社に送る。ま、『ありゃりゃ、評価機構のデータが漏洩しましたぜ』って感じだ。愉快犯のリークって体が一番良いかな。暴露サイトへのリリースはちょっとリスクが大きいし」
「だから、それにどう言う意味があんだよ」
「アムロの連中にとっちゃ、評価機構のデータをいち早く入手できるわけだから、最初はウイルスを気にしつつも『ラッキー』って感じで閲覧するだろ。すると、そこに『情報管理 E−』って評価があるのに気付く。次はレポートを英訳して読むだろう。そこに『盗聴されている可能性アリ』の文を見つける。日本支社の本社からの評価はガタ落ちだ」
「だろーよ。で、それが何だ」
「決まってんだろ。本社が調査に乗り出す。なにせ盗聴されてんだ。いつ本社の情報まで漏れるかわかったもんじゃない。業務停止命令を出して、日本支社を洗いざらい調べ尽くして盗聴器を探すさ。実際に盗聴されてれば、責任者に責任を取って貰うだろうな。そこまでゴタゴタすれば、俺を殺すなんて事も言ってられなくなる」
殺し屋みたいな秘密裏の組織にとって、盗聴されていると言う事実は、間違いなく最悪の状態。それを本社が知れば、当然責任を取る事になるだろう。最高責任者の社長が。普通、会社の社長なんて、株主に袋叩きにされて社員に不信任案出されて派閥の連中を軒並み買収でもされない限り、クビにはならない。が、外資系の雇われ社長なら話は別。簡単にハジかれる可能性が高い。
「成程な。ま、他の組織に明るみに出る前に手を打てれば、流石に日本市場から撤退するなんて事にはならんだろうし、それなら俺等にデメリットはねーな。寧ろ、漏洩問題で話題になれば、プラスになるかもしれねー」
そう。この提案は、コイツ等評価機構にもメリットはある。だからこそ、通す自信はあった。
「でも、それだとアムロジャパン以外の二社はノータッチだぜ? いいのか?」
ちなみに、報告書に『盗聴しているのは村崎先輩』とは記載してない。ま、約束だしな。でも、『何者かが盗聴している』と言う事をアムロ本社が知った、と言う事を先輩が知れば、暫くは大人しくせざるを得ないだろう。そんな状況で俺を殺せば、標的を横取りしたと露骨にわかるし、そうなれば、盗聴の件まで追究されるのは目に見えてる。この二社に対しては、これでOKだ。
でも、緑川の組織に対しては、圧力をかける事もできないし、動きを牽制する事も出来ない。それは、俺にとって大きなマイナス。だから、バカな変更なんだ。それをわかっててまで、この案を出した理由は、一つ。我ながら、下らない理由だ。
自分を狙う暗殺者の境遇改善――――なんてな。
「構わない。コイツ等が一番厄介なんだ。バックが強いからな。この機会に大打撃を与えたい」
心にもない嘘だが、説得力はあるだろう。俺は一介の高校生。これくらい薄い思慮の意見もサマになる。
「ま、そこまで言うんなら、構いやしねーけどな」
由良は特にそれ以上追究する事なく、了承の意を示した。
「ああ。宜しく頼む」
って訳で、取引終了。もうここに用はない。スパゲティも食べ終わったし。
「あ、お仕事のお話終わりましたか? それじゃ柘榴ちゃん、次どこ行く? 光海は、くのいちカフェってトコに行ってみたいですのです」
「……クリームソーダ飲んだ直後にカフェに行って何すんだよ」
「デザートは別腹!」
いや、デザート枠はもう埋まってるだろ。
「早く行きましょう、柘榴ちゃん。光海、このヤクザみたいな人と一緒にいたくありません。この人、光海に厳しいから嫌いなんです。お肌も汚らしいです。大嫌いなんです。上司じゃなかったらハエ叩きを縦にして脳天直下なのですのに」
「ほーう、上司の目の前でその上司をハエ扱いたぁ、相変わらず度胸の据わったアホだな」
「ああっ!? つい毎日思ってた事を口に出しちゃいました!?」
「毎日かよ! 死ねこの役立たず!」
光海の脳天に、血管の浮き出た拳が振り下ろされる。
「わーきゃー! わーきゃー! 光海の頭が縮みーーー!?」
「お客様。いい加減にしろ」
「わーきゃーーーーーーー!」
店員にも同じ場所をトレイで殴られていた。いや、流石にそれはやっちゃダメだ、店員。アイルビーの名誉の為に行っておくけど、この店員の所作は極めて特殊な個人の判断に基づくものであり、実際にこんな事したら即日クビだから、真似はしないように。
「あうう、柘榴ちゃん。光海を、光海を見捨てないでください。置いて行かないでください〜」
「……程ほどにしてやれよ、いい大人がよってたかって暴力に訴えるのは見るに忍びない」
「わあ! 柘榴ちゃんはやっぱり光海に甘いです! 子供は何人欲しいですか」
……甘やかされて育ったんだな。
「それより、給料をカットしたり、威力業務妨害で訴えて慰謝料ゲットしたりした方が効果的だ」
おお、と由良及び店員は納得顔になっていた。
「は、はうわ……光海、心臓がキリキリ痛むです。これも恋なのですね。切ない恋に乙女のハートは燃ゆるです……」
いや、痛んでるのは多分胃だ。暫く療養しろ。
さて、果たしてどうなる事やら。上手く行くと良いけど。
――――なんて思ってた数日後。
割とあっさり、進展はあった。
やっぱり俺は、トラブルメーカー兼、ご都合主義体質らしい。
狙い通り、アムロジャパンの社長は懲戒解雇。体制が変われば、今の有沢の待遇も変わるだろう。ま、ここからは本人次第だろうが。そして、こちらも狙い通り、村崎先輩は暫く暗殺業は活動停止にすると俺に告げてきた。
『君はやはり侮れないな。同時に甘くもあるようだが……』
そんな事を言う当たり、先輩も甘い。すっ呆けておけばいいものを。わざわざ、俺の思惑を読み切ったのを宣言する事に、メリットはない筈なのに。まあ、カッコ付けたかっただけ、かもしれないけど。この人の場合。
と言う訳で。
当面は俺を狙うのは緑川だけになった。ま、とは言っても……
「おはようございます! 今日も良い天気ですよ、都築く……わわわっ」
「あ、ゴメンねー、日向。石に躓いちゃった」
緑川が俺に近付こうとすると、休業中で暇な有沢や村崎先輩がその都度邪魔をするから、殆ど安全。抜け駆けも難しくなったらしく、もう部屋を襲撃して来る事もなくなった。
「ううう。かりんちゃん、意地悪〜」
「何が意地悪よ。私の立場なら当然の事でしょ?」
「そんなに私が都築君の傍にいる事が不服ですか!」
「ななななな、なな何言ってんのよ! そう言う問題じゃないでしょ!? 私はただ自分の標的を掻っ攫われるのがイヤなだけ! 勘違いしないでよね!」
「ふむ。有沢、実に綺麗なツンデレだ。いや、殺そうとしてデレる子だから この場合は殺デレか? サツデレ、コロデレ……うーむ、どっちが良いものか」
「違ーーーーーーう!」
今日も騒がしい登校だった。この日常に染まる事のないよう、連中を撒く為に走る。
「あ、逃げたぞ」
「何勝手に走ってんのよ! 待てコラっ!」
「都築君、勝手な行動はダメです! 誰か別の人に狙撃されますよ! 都築君を殺すのは――――」
その先は、風の音に隠れて聞こえなかったけど。残念な事に、俺の脳はご丁寧に過去の経験則からそれを再生した。
「「「私!」」」
同時に、三つの声を。
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