俺くらいの年頃の男は、晴れと曇りと雨、どの天気が好きかと問われれば、意外と曇りが好きだったりするんじゃないだろうか。晴れは、なんか色々眩しいし、暑い。雨は、濡れるし鬱陶しい。それに引き換え、曇りは丁度良い。夏は涼しいし、冬は冬で雪を待つ心境になれる。だから、何気に俺は曇りが好きだった。
「今日も良い天気ですねー!」
 でも。この緑川と知り合いになった日からずっと、静岡県の天気は晴ればっかりだ。
 コイツ、晴れ女なのか?
「朝から元気よね、アンタはいつも」
 低血圧そうな有沢は、眠そうに目を擦りながら、その隣を気だるげに歩いている。コイツが晴れ女、って事はなさそうだ。
「全くだ。私など、トリカブトが全て枯れたショックから、未だ立ち直れないというのに」
 そして、俺の後ろでは、村崎先輩が重い足取りでユラユラと揺れながらついてくる。この人に到っては、雨女の方が似合いそうだ。
 やっぱり、こう天気が良いのは緑川の所為なんじゃないかと思う。
「痛い!? 痛い! 痛い! 痛い! はううううーっ!?」
「ちょっ、何やってんのよ! ヒナ!? ヒナーっ!?」
 腹いせに、ちょっと頭を絞ってみた。つーか有沢、ついに緑川を愛称で呼ぶようになったのかよ。俺の知らないトコでどんだけ友情育んでんだ。
「ううう……都築君、心なしかあの日以降、ずっと私に厳しい」 
「当然だ。俺はお前の試験官だからな」
 あの後。
 俺は単身、緑川の属する組織のあるビルへ再度、訪れていた。その理由は一つ。口裏を合わせる為だ。
 そこんトコ踏まえた上で、回想。

「なるほどのぅ。それなら、日向に人殺しさせずとも、おい等のトコロへおけるけんのぉ」
「ええ。間違いなく」
 俺は確信を持って、しっかりと頷いて見せる。
 緑川に対し、とっさに出た嘘が、見事に誠となった。つまり――――俺は正式に、『緑川の暗殺技能をテストする試験官』となった訳だ。『そうすれば、俺が合格を出さない限りは、緑川は誰も殺さないし、ずっと暗殺者としてここにいますよ』と進言した結果だ。
 これは、俺の身の安全の為にも都合が良い。我ながら、よく思いついたなと感心したくらいだ。ま、それも……この人が一足早く襲撃してきたお陰、かもしれない。あの日窓ガラスを突き破り、一瞬で鈴木に伸された爺さんは、吉田さんだった。顔のグルグル包帯で巻いているんで、今やその人相もわからんけど。
「にしても、ようそんなコト思いついたものよのぉ」
「いえいえ。もっと褒めて貰って大丈夫ですよ。褒められて伸びる子なんで、俺。それなのに、ご都合主義だの口だけ男だの、不本意な詰り方ばっかりされてて辟易してるんです」
「正直やなぁ。気に入った。よし。おんし、日向の事を頼まれてくれんか?」
「ええ。そりゃもう、試験官として……」
 そこまで口にし、気付く。
 俺、いつまでその『テスト』ってのをやってりゃ良いんだ? 卒業するまでか? それは……長過ぎる気が。
「あれにはな、一生、殺しはさせとうない。おんしが永遠に合格を出さないでおけんば、日向も永遠に『殺しをしない殺し屋』として生きていけそうだんべ」
「……はい?」
「おんしの事を気に入っとるようだし、よろしゅう頼む。おいが一生懸命育てた子だ。器量も良いし、我ながら良い子に育ったと思っとる」
「はい!?」
「どうか、泣かせないでやってくんろ。ってか……泣かしたらおいが貴様を殺すけんのぉ」
「はーーーーーーーーーーーーい!?」

 ……と、そう言う訳で。
 俺は色んなモノを犠牲にし、身の安全の確保に成功した。これで、緑川、有沢、村崎先輩の三名いずれも、現在俺を殺す事は出来なくなっている。相変わらず、達成感はない。それでも、一介の高校生がこれだけの状況を作り出した事を、誰かしら褒めてくれる事を、俺は決して諦めてはいない。何処かにいる筈だ、こんな俺を見守っている誰かが。
「じーっ」
 天を仰ぐ心境の俺を、緑川が眺めている。
「……何だ?」
「い、いえ。何でもないです」
 ヘンな奴。どうにか合格出来るよう、俺の弱点でも探してるんだろうか。たまーに、抜け目ないトコ見せるからな、コイツ。普段はボケボケなのに。仲間外れにされたくらいでスネやがるし。別に嫌がらせで『席を立て』っつった訳じゃないのに。
「全く……鈍い奴だな」
 そんな俺に、村崎先輩が苦笑しながら突然そんな事を言ってきた。いや、何となく言いたい事はわかる。もし緑川が、殺し屋じゃなく普通の女子で、同じような態度を俺に見せたならば、『もしやコイツ、俺に気があるから、そんな熱視線を送ってるのか?』なんて思うかもしれない。
 でも、だ。こいつは俺を殺そうとしている女。標的を相手に、そんな心情になるなんぞ、一〇〇%あり得ない。そんなの世界規模のパラドックスだ。心理学をはじめ、各学会からブーイングが出るぞ。だから、村崎先輩の言葉には、もっと深い、俺の気付かないような複雑な意味が込められてるんだろう。この人は、そう言う事をサラッとやる人だ。
 例えば、昨日明らかになった、鈴木一途のトンデモ転職。これにも、この女が一枚噛んでいる。アゴでこき使っていた暗殺評価機構に、知り合いを一人ねじ込むくらいは訳なかったみたいだ。
 ただ、この転職は単に女子一名の人生を変えただけじゃない。それまで、大手暗殺組織のエースとして働いていた人間が、今度はその暗殺組織を評価する側へ回った訳だから、その組織、つまり【タナトス】にとっては堪ったもんじゃない。なにしろ、情報入手経路から顧客名簿まで、あらゆる情報を握られているかもしれない人間が、その情報を何処へ流すかわかったもんじゃないスチャラカな組織に入った訳で。相当な危機感を抱いている事だろう。
 しかし、実際には――――そんな懸念とは全く逆の事が、鈴木一途の転職によって行われている。俺はあの女に、【タナトス】を潰すと断言した。外資系暗殺組織【アムロ】に、風評を流すとして。鈴木は、それを阻止する為に、暗殺評価機構に加入したんだ。俺と暗殺評価機構との関係は、自分で調べたか、村崎先輩から聞いたかのいずれかだろう。当然、暗殺評価機構経由で情報が流れると言うのは容易に推測できる。だが、自分がいれば、それを阻止出来る。全ては、古巣を思いやるが為。だが、そんな優しさが【タナトス】に伝わる事はない。所詮は派遣会社。幾ら従業員が愛情と誠意を見せても、そんなもの知ったこっちゃないってスタイルなんだろう。世の中、そう言うものだ。
 そして、村崎先輩は、そう言う事情を全て知った上で、鈴木一途を暗殺評価機構に紹介したと思われる。評価する側に入れば、少なくとも【タナトス】は鈴木を始末出来なくなる。この状況で鈴木が死ねば、誰もが古巣の口封じと確信するだろう評価機構からの心象が最悪になる。まして、鈴木はエース。その実力を知る組織が、そんなリスクを犯してまで刺客を仕向けようとはしない。
 そこまで読んで、村崎先輩は動いた。そんなところだろう。
「確かに、先輩ほどは鋭くはないですね。そこまで行くと、ちょっと気疲れしそうだし」
「私は、一般的な男子を比較対象にしているのだが……まあ良い」
 先輩は何処か不満げに、でも楽しそうに苦笑していた。
「と、ところで都築!」
 もう直ぐ学校が見えると言うところで、突然有沢が大声を出してくる。
「何だよ」
「アンタ、今日、今日、今日、今日、今日」
「傷の付いたCDのマネか?」
「ちちち違うのよ。ききき今日生まれたのよね!」
 いきなり何を言ってんだコイツは。生まれた? どう言う……ああ、誕生日の事か。ん、俺の誕生日、今日だったっけ。ここんトコ忙しすぎて、全く頭になかった。いつもなら、親と姉にプレゼントの第三希望まで印刷した希望届を提出してるのに。こうやって、人は記念日を忘れていくものなのか。俺を年を取ったもんだ。
「どうなの!?」
「いや、そうだけど」
「そうよね! だってその筈だもん! ちゃんと調べ……調べを奏でてるもの、あの小さいスズメだって! 生きてるってステキよね!」
 どうして鳥の鳴き声の生命の尊さが突然出てくる。
「と、兎に角! えっと、コレ」
 なんか渡された。小さい箱。丁寧に包装されてる。まさか……
「……プレゼント?」
「べ、別にそんなんじゃないけど、一応その、トイレの天井壊したお詫び? とかもあるし……」
「いや。それは確実に別個で全額請求するから、有耶無耶にしようとはするなよ。でもま、ありがとう。嬉しい」
「そ、そう? 嬉しいんだ。そっかー……」
 中身は見てないけど、こう言うのはホント、気持ちだしな。
「全く、有沢は抜け駆けが好きだな……と言う訳で、私からもだ。本来はトリカブトを送ろうと思ってたんだが、枯れて残念無念」
「……受け取ると、もれなく前科が付くようなモノじゃないでしょうね」
 村崎先輩は、口の端だけで笑みを表現していた。
「ん? 緑川は用意してないのか?」
 そして、その口をへの字に戻して、前にいる緑川にそう問う。
「そりゃ、そうでしょ。なんでアンタ等が俺の誕生日なんてマイナーな情報知ってるのか知らんけど、普通は知り合って一月にも満たない人間の誕生日なんて……」
 知る善しもない筈、と言おうとした俺の目の前で――――緑川は少し腰を屈め、小さく首を傾けた。
「えへへー。実はもう、渡してたりして」
「あん? いつだよ」
「内緒です!」
 明るい、そして眩しい笑顔。こう言う表情を見ると、いつも思う。コイツがもし、殺し屋なんかじゃなくて、普通の女の子だったら――――と。まあ、その場合は特に接点もなく、クラスメートとしての記録だけが二人を結び付けるだけの間柄だったんだろうけど。有沢にしても、村崎先輩にしても、そう。殺し屋だからこそ、知り合えた。全く感謝出来ない偶然だけどな!
 そんな三人を眺めてると、思わずにはいられない事がある。この、綱渡りのような奇妙な日常は、今後もずっと、当たり前のように続いて行くんじゃないかと。終わりなんてなく、盛り上がる事もなく。まるで何かが拮抗しているかのように、絶妙なバランスで、適度に賑やかな日々が続いていく……そんな、嫌な予感がするんだ。
「……ん?」
 時間を見る為に携帯を覘くと、メールが届いている事に気付く。
 緑川からだ。何だろう。
 さっき送ったのか?
 まあ良い。
 取り敢えず見てみよう――――そう思った刹那。
「……っ!?」
 突然の衝撃が、頭を襲う。
 俺は抵抗も出来ず、そのまま地に伏した。
 身体が動かない。
 遠くに、三人の声が聞こえる。
 俺を心配し、俺の名前を呼ぶ声だった。
 それに――――俺は安堵を覚えていた。
 俺をこうしたのは、この三人じゃないらしい。
 きっと、第六の刺客か何かの仕業だ。
 それなら、良い。
 それなら――――きっと、上手くやってくれる。
 コイツ等が、他の殺し屋に俺を殺させる訳がない。
 信頼はしてないけど、そう思える。
 だから、俺はそれを待っていよう。
 目を開けたら、保健室か病院のベッドの上。
 きっと、そう言うシナリオだ。
 ご都合主義体質だからな、俺は。

 だから。そう信じて。
 俺はゆっくりと――――目を閉じた。




 



     ...Have you ever thought that you want to be loved even if killed?







 前へ                                                       もどる