倉田千里香は他人を利用して生きてきたが、他人を操縦する快感に溺れていた訳ではなかった。
ただ、そういう生き方が性に合ってはいたし、楽しくはないけれど便利だとは思っていた。
最初にそうしようと思ったのは、小学校中学年の時。
動物が好きではない千里香は、係を決める日に欠席したばっかりに強制的に飼育係をやらされる事になった。
ダルい。
面倒。
臭い。
そんな感情が渦巻く一方、それをストレートに表面化させるリスクはまだ少ない経験則と拙い処世術が打ち鳴らす警鐘に耳を傾け、なんとなくではあるが理解していた。
既にこの頃、自分が余り性格の良い人間じゃないという自覚はあった。
だから、寧ろ他人に良く思われたいという欲求が強かった。
可愛い動物を可愛がる女子が、クラスの男子からの評判を良くするのは明白だったけれど、それを実行するのは中途半端に年の離れた親戚と長々話をするくらいメンドい。
誰かに代わって欲しい。
出来れば担任を介さず、波風の立たない方法で。
千里香が目を付けたのは、普段から全く目立っていないクラスメートの女子だった。
他の女子から相手にされず、かといって誰とも話さないというほどコミュニケーション能力に問題を抱えている訳でもない、言うなれば"普通の子"。
ちょっとだけ暗くて、要領の悪い女の子。
千里香は彼女にさりげなく近付き、余り人気のない所で話しかけ、話を弾ませて"共感"を得た。
好きなアイドル。
好きな雑誌。
嫌いな食べ物。
嫌いな先生。
会話において重要なのは共感出来る話題だと、既に千里香は理解していた。
その女子と盛り上がったのは『雨』の話題だった。
雨が好き。
雨が降る日は心が落ち着く。
そこから話題は雨の日に着る服へと移行し、雨に似合う色の服で盛り上がった。
はっきり顔が紅潮しているのがわかるほど、嬉しそうだった。
親しく思われている事を確信するのに、三日と掛からなかった。
後は簡単。
会話の中でさりげなく『飼育係をするのが家庭の事情で難しい』という虚実を呟き、『代わってもいいよ』と言ってくれるよう誘導する。
実は動物が怖い、という正当な理由も忘れない。
より正確には怖いというより苦手なだけだが、正直に話す理由は何もない。
案の定、その女子は身を乗り出すように『代わるよ。私が先生に言うよ』と言ってきた。
話しかけてくれて、仲良くしてくれて、色々教えてくれる千里香ちゃんに何か自分もしてあげたい――――
そういう気持ちにさせる事に成功した。
翌日から少しずつ千里香は彼女と距離を置き始めた。
いきなり無視は周囲への印象も悪い。
少しずつ段階を踏み、気まずさすら感じさせない周到さで離れ、そして一ヶ月後には話もしなくなった。
地味で暗いと周囲から思われている彼女と友達なのは、自分にとってマイナスにはなってもプラスにはならない。
千里香はそれだけの理由で、けれど彼女にとっては重要な理由で、その女子を切り捨てた。
罪悪感は――――実のところ――――あった。
あったからこそ、中途半端に知り合いのままではいられないし、いたくないという思いもあった。
けれども、離れてしまえばなんて事はない。
他人を利用する事が、自分を楽にしてくれる。
そんな安易な気持ちから、千里香の処世術は大胆にモデルチェンジを果たした。
――――クラスで一番可愛い子は誰?
小学生ならではの残酷なアンケートが、男子の間で密かに行われているのを知った時、千里香は机を叩き、涙目で訴えた。
『こんな事決めてどうするの!? 私、順番なんて決められたくない!』
放置しておけば上位に入る自信はあったが、それよりも女子をまず味方に付けておきたかった。
クラスで上位の女の子というステータスは、他の機会でも得られる自信があった。
案の定、この件で千里香はクラス内の女子の中で一目置かれる存在になった。
共感を得たからだ。
大半の女子は順位付けを嫌がっていた。
千里香ちゃんでもそう思うんだ――――そう思わせた彼女の勝ちだった。
中学に上がると、小学生時代に作った取り巻きの存在が千里香を目立たせた。
出る杭は打たれる。
女子の中には、"千里香の悪口"というトピックで楽しい時間を過ごすグループも生まれていた。
千里香は実のところ、それを待っていた。
自分への中傷を聞くのは当然、気持ちの良いものじゃなかったが、こういう時に役立つのがインターネット。
千里香は小学生時代から、積極的にネット上への書き込みを行っていた。
ある程度攻撃的で、極論に走った内容を心掛けた。
そうすれば、結構な頻度で反論、更には中傷がレスとして書かれる。
頭に血が上る事もあったが、次第に慣れていった。
『どうせこういう非難が来るだろう』――――そう思えるようになって来た。
そうなると、予想通りの非難なら一切傷付かないし、予想外の中傷なら的外れだと心の中で嘲笑える。
稀に唖然とするほど鮮やかで隙のない反論をされると、寧ろ感心するくらいになった頃――――千里香はどうやって自分の悪口で同情を誘えるか考えるのが楽しくなっていた。
そしていよいよ、現実の世界で経験を活かす時が来た。
よく悪口を言われていると噂されていた現場――――女子トイレへ、取り巻き"ではない"クラスメートの子と二人で赴き、偶然入り口から漏れ聞こえる声を聞く。
現実とネット上での書き込みとはやはり同じではなく、生の声として発せられる自分への中傷は、それなりに殺傷力を有していた。
だが、耐えるのは然程難しくはなく、直ぐに鼻で笑った。
あくまで心の中で。
表面上は、自分への中傷に傷付いたフリをし、一緒に中傷を聞いた女子に『自分の悪口を言われている事は、他の人には言わないで』と念を押し、気丈に振る舞った。
そして翌日から二日ほど学校を休んでみた。
千里香がこの件で行った行動はそれのみ。
それだけで、事態は一変した。
一緒に目撃したクラスメートは、千里香の交友関係とは違う人間関係を構築しており、他のクラスの女子との繋がりが多い女子。
彼女の情報伝達能力は優秀で、『千里香が悪口を言われ学校を休んだ』という噂はあっという間に学年全体に広まった。
噂は広まれば広まるほど尾ひれも付く。
尾ひれの付いた話は多くの生徒の関心を引きつけた。
悪口を言っていたグループの特定もあっという間だった。
まるで、蟻にが固形物の殺虫剤を持ち運ばせ、巣全体の蟻が滅ぼすように、千里香は自身事を悪く言う勢力を絶滅させた。
勝因は、千里香と共に悪口を聞いたクラスメートの友達と、悪口を言っていたグループの女子の一人が同じ男子を好きだった事。
そこの人間関係もあって、千里香とは関係のない所で凄まじいバトルが繰り広げられていたらしい。
勿論、千里香の計算通りだった。
結果的に取り巻きの誰も動かさずに勝利した千里香は、水面下でそんな仕込みをしていたと誰にも気付かれる事なく、自分を良く思わない連中の完全排除に成功しただけでなく、多くの同情を買った。
更には『自分達をグループ同士のいざこざに巻き込ませない為に沈黙していた』と取り巻きに解釈され、校内における彼女の存在感は、卒業まで輝きを失う事はなかった。
充実した中学校生活を終え、高校生になった千里香は、やはり同じ処世術を駆使し、スクールカースト最上位のポジションを常にキープしていた。
成績も上位、容姿も上位、性格も表面上は素晴らしいとなれば、当然の事。
そして、そのポジションにいる女子は当然、恋愛面においても優良男子を狙える。
中学時代は、敢えて恋愛は封印していた。
『中学で付き合った男子はゼロ』
そのステータスは、一生使えるという判断からだった。
勿論、それは『勉強が忙しかった』『女の子同士で遊ぶのが楽しかった』といった正当な理由があってこそのステータスであり、その点抜かりはない。
ついでに『片想いはしていたけど、告白出来なかった』という嘘情報も仕込んでいた。
流石に中学生にもなって、片想いすらないとなると、引かれる割合が増すという判断だ。
自分に相応しい男、自分の格を保てる相手を見つけた時にきっとこの仕込みは役に立つ。
けれど、結果的に千里香の目論見は実を結ばなかった。
彼女が恋愛をする事は、一生なかったからだ。
――――自身の死によって。
- Episode
of the rainy day -
「残念ですが、あなたはお亡くなりになりました」
強くも弱くもなく、心地よさが染み入るように降り注ぐ雨の日のこと。
メノウはこの日も、空中に漂う死者の魂へ心を込めて、その宣告を行った。
何度か同じような科白を言っているが、その度にもう少し声を抑えればよかった、もっとさりげなく言えればよかった、と後悔の念に苛まれる。
相手が喜ぶ筈もない宣告なのだから、余計に。
「……」
けれどもこの日は、特に後悔が大きな日となった。
理由は三つ。
相手が十代女子という死を受け入れるのが最も難しい年代だった事。
その相手がまるで無反応だった事。
そして、この日が――――
「ぁ……あう」
後輩の研修日だった事。
エマと名乗った彼女は、大人しく内気なメノウを凌ぐ内気ちゃんだった。
彼女が死神として立派にやっていけるかどうかは、自分の指導にかかっている。
そのような事をスタッフに言われてしまった為、更に重圧は増していた。
格好悪い所は見せられない――――そんな邪念も、少しはあったのかもしれない。
「う、受け入れるのは難しいと思いますけど、その……あなたは死んでしまいました」
より直接的な表現を使い自覚を促すも、相手の女子は固まったまま動かない。
死した魂が死を受け入れられず彷徨っているのだから、頑なに聞き入れない事はこれまでにもあったが、ここまでの無反応はメノウの記憶にはなかった。
こういう時はどうすればいいのか。
後輩が見ている。
しっかり見本を示さねば――――
「あなたはくたばってしまいました」
その思いを乗せ、よりわかりやすい表現で訴えかけてみた。
「…………うるさい。知ってるっての」
結果、死神が死者に憎しみを込めた目で睨まれる事案が発生した。
相変わらず穏やかな雨音が街全体を包込む中、決して大きくないその声は壁を貫通するレーザーのようにメノウの鼓膜へ一直線。
その余りの剣幕に、今度はメノウが固まる。
エマに至っては震え始めてしまった。
「そ、その……すいません。怒らせてしまいましたか」
「別にアンタのせいじゃないけど」
「そ、そうですか。でもすいません。何か本当にすいません」
平謝りする死神と、やさぐれふんぞり返る死者の魂。
生きている人間が想像する死後の世界以上に不条理な空間がそこにはあった。
「そうやって、悪くないのに謝られるのもなんかムカ付く……あーもう! なんで私、死んでんのよ!」
「あの、交通事故による轢死です。死因としてはありふれたものです」
「そういう事を言ってんじゃねーよ! つーかその生々しい轢死ってのも"ありふれた"ってのもイラッってするんだけど!」
「ご、ごめんなさい。本当にごめんなさい」
平謝りしながら、メノウは半泣き状態。
後輩への示しなど、これでは微塵もつかない。
その後輩のエマは、恐怖の余りメノウの背中に顔をくっつけて何も見えないようにしていた。
「……あーもう。なんで死んでまでこんな感じになんなきゃなんないの。で、何? くたばった後って何すればいいの?」
「さばけていますね。ご立派です」
「あーっもう褒められてもムカつく! 何!? 死神ってみんなそうなの!?」
「申し訳ありません本当申し訳ありませんっ。もうどうしていいかわからなくて……」
これまでの死者とは全くタイプが異なる相手に、メノウは完全に混乱していた。
年齢的に言えば近いし、一見相手の気持ちがわかりやすい相手。
けれど、だからこそ、自分と全くタイプが違う場合、お互いに順応性がない。
メノウにとって、今回の死者は未知の生物だった。
「ま、もういーよ。要領得ないの苦手だけど、もう死んじゃってるんだしね。私、死んだんだよね。それは絶対、間違いないんだよね。夢とかそういうのじゃないんだよね?」
「あ、はい。それは間違いありません。倉田千里香さん、本日死亡です」
突然聞かれた事で、却って死神らしい宣告になったらしく――――
千里香は今までよりかはずっと自然なその声に、大きく溜息を吐き出しながら現実を呑み込んだ。
「……うん。ま、わかった。それで、死んだらこういうふうにみんな、『お前は死んだ』ってダメ押しされんの? 本当に死体蹴りってあったんだ」
「いえ、それは違います。自分の死を受け入れられない方だけを、わたし達は案内しています」
「……え?」
初めて、千里香の顔に狼狽の色が浮かぶ。
「でも私、普通に受け入れてんじゃん。死んだんだよね? 交通事故。ハッキリは覚えてないけど……確かに車に轢かれたっぽい。ホラ、受け入れてるでしょ?」
言葉ではそう言っている。
実際、拒絶している様子はない。
彼女は魂なのだから、表面的に繕ったところで、本質的な部分では常に己を曝け出している。
ならば何故、このような事が起こるのか。
「手違いなんじゃないの? ちょっとー、しっかりしてよね。死んでまで面倒事に関わりたくないんだからさ。やっと、楽になれるんでしょ?」
「ぇ……メノウさん……」
千里香に凄まれ、縮こまっていたエマが更に怯える。
メノウはその後輩の姿を背に、目の前の女子について深く、なるべく深く見つめていた。
魂とはいえ、外見は生前の姿。
彼女の場合、死ぬ直前と変わりない姿なのは一目でわかる。
当然だろう。
現在が一番――――そんな年代なのだから。
そして。
「……えっと、多分ですけど、手違いではないと思います」
「だったらどうして? なんで私、アンタ達の世話になってんの?」
「それは……倉田さんが恐らく、受け入れていないからだと思います」
「はァ? だから受け入れてるって……」
「倉田さんが、自分の言葉を受け入れていないからだと思います」
「!」
メノウの指摘は、メノウ自身にも心当たりがあった。
だからわかった。
彼女は、千里香は死を受け入れていると言っている。
そう声に出している。
けれど、本当はそうは思っていない。
言葉と心を分離させている。
そういう性格、性質、性分――――性根。
メノウも少し、近いものを感じていた。
「な……なんでそんな事がアンタにわかんのよ。死神って、そういう事までわかるワケ?」
「いえ。わからないですし、わたしが言った事が正しいかどうかもわかりません」
「何ソレ。だったらどうしてそんな事が言えんのよ! 私がどんな人間か知ってんの!? 私がどんな生き方してきたか、どんな思いして生きてきたか、知ってて言ってんの!?」
「ひぅ……」
いよいよエマが本格的に怯え、泣き出しそうになった事に、千里香は気付いた。
姿はメノウに隠れて見えない。
声、それも小さな呻き声だけが、千里香の激高を抑える効果をもたらした。
それは別に、エマの機転でもなければ才能でもない。
千里香が汲み取っただけった。
「……あー、そーよ。私、自分の言ってる事に全っ然心こもってないよ。だって仕方ないじゃん。そうしないと……そうしないと、言えないじゃん。嫌な事とか、言えないじゃん」
「嫌な事、ですか?」
「そうよ! 別に私は誰かを騙して楽しんでるワケじゃないし、自分より下に見てるワケじゃないけど、楽に生きるには自分に嘘吐かなきゃいけない時もあったの! 誰だって、他人を利用するでしょ!? その為にちょっとだけ騙したり、装ったり、作り笑いしたりするでしょ!? ムカつく事言われてもケンカにならないように取り繕ったり、ちょっと思ってもない事言って機嫌取ったりするでしょ!? 私は、それを要領よくやってるだけ! 上手くやってるから性格悪そうに思われてるだけ! 上手くなかったら、不器用だったら、稚拙だったら、そういうのだって可愛く見えるんでしょ!?」
――――まるでそれは、床に落ちて転がったコーラの缶が開いたかのような突然の暴発。
けれども、メノウは千里香の殴りつけてくるかのような言葉の羅列に、それほど怖さを感じなかった。
エマも、先程よりは幾分か怯えを弱めている。
言っている事の殆どが、よくわからない内容だったのもある。
それ以上に――――千里香の言葉に心が在ったからだ。
いつの間にか雨脚が弱まり、霧雨となって無数の屋根を洗い流していた。
「私、自分が悪いなんて思ってない。そういう生き方で良いって今も思ってる。だからこれは、罰とか報いじゃない。他人を利用したから死んだんじゃない。私が死んだのは……運が悪かっただけ」
断片的ではあったが、千里香の言葉からメノウは、彼女の葛藤と強い拒絶の背景を読み解いた。
それが、死神の仕事だ。
「……絶対、私は間違って、ない」
千里香は今、死を受け入れられないでいる。
でもそれは、自分が死んだ事そのものじゃなく、自分が死んだ理由や運命への反発だ。
彼女がどういう人生を歩んできたか、メノウに知る術はない。
本当に間違っていなかったのか、正しかったのかは判断する立場にもない。
無責任に『そうですね。間違っていません』と言える筈もない。
だからメノウは、いつものように霊魂用のカードの束とペンを差し出す。
「倉田さんが今、大切に思っている事をカードに書いて下さい。カードの数が許す限り、幾つ書いても構いません」
そして、いつもの説明をする。
死者に、死んだ事を自覚して貰うための儀式。
死神の儀式ではなく――――メノウの儀式。
「……何それ。それ書けば天国にでも行けるの?」
千里香は泣いていなかった。
あれだけ叫んで、あれだけ心の内をかなぐり捨てるように言い放っても。
それは短い人生ながら、彼女が自分の生き方に信念を持っていた証だった。
「それは、わかりません。決めるのはわたしじゃありませんので……でも、決める方の所に行けるようにはなると思います」
「……」
天国に行きたいかどうかを、千里香の表情から判断する事は出来なかった。
ただ彼女は、黙ってメノウの差し出したペンとカードを取った。
「大切って……何?」
そのカードと向き合い、千里香は問う。
メノウへではなく、恐らくは自分自身に。
だからメノウは何も答えなかった。
「……」
やがて、ペンを走らせる音が宙に舞う。
メノウの背中に隠れていたエマも、ようやくそこから離れ、カードに記載する千里香の姿をじっと眺めていた。
「三つ書いた。これでいいの?」
「はい。ではその中から一番大切なものを書いたカードを選んでください」
「一番、ね……」
千里香はじっと、その三つのカードを眺めていた。
無表情だったが、真剣さは滲み出ていた。
彼女は今、自分の人生を向き合っている。
自分の人生だった過去と、向き合っている。
メノウとエマはその様子を、倉田千里香の選択を、静かに見守った。
「……これ」
やがて、一枚のカードを掲げる。
メノウは一つ頷き、そのカードに向けて自分の掌を差し出した。
「そのカードを、わたしに下さい」
千里香の目を見て、ハッキリそう告げる。
これまでの少ないやり取りから、彼女の察しの良さには感づいていた。
なら、きっと伝わる。
この儀式の意味が伝わる。
説明するのは難しい、けれども大事なこの儀式の――――
「いいよ。自分で持ってく」
案の定、千里香はそう答えた。
それはそれで、一つのゴールだった。
「わかりました。そうして下さい」
メノウはそう告げ、最後に彼女が行くべき道、本来の死者が向かうべき方向を示す。
地面。
天とは真逆の方向だ。
「私、地獄行き?」
「いえ。こちらの方向へ行けば、倉田さんの死は正しく受理されます」
死神として伝えるべき事は、これで全て伝えた。
「やっぱり、地獄よね。天に召されるじゃなくて、その逆なんて」
だから、そう彼女が解釈しても無理に反論する義務はない。
地面へ潜れば、どうせわかる事。
「私、子供の頃からね、嫌な事を上手に他人に押しつけたり、チヤホヤされる為に周りの人を利用したり、格が下がるって思われないように地味な知り合いを切り捨てたり……そういう事してきたからさ。多分、恨んでる人いっぱいいるんだよね」
どれだけ誤解していようと、辿り着く場所は同じだ。
例え魂が何を思おうと、傷付こうと変動はない。
「だから、地獄なのかな」
そう呟きながら、問いかけて来るかのように目線を向ける千里香に対し、メノウは――――
「倉田さんは、自分の言葉を信じられないように、わたしの言葉も信じられませんか?」
攻めるイントネーションを完全排除した優しい声で、そう短く諭した。
彼女はまだ、受け入れ切れていない。
自分を、受け入れ切れていない。
だからメノウは、表情に頼らず言葉で伝えた。
伝えようと伝えまいと、地面へ潜ってしまえば正しい場所へ行けるのだが、それでも。
「わたしはそのカードを持っていくと決めた倉田さんを信じます」
「な、何それ……何言ってんのよ。これ、わかるの? 見てないのに何書いてるのか」
「死神にそういう力がある訳ではありません。でも、わかるんです。そのカードを持つ手が――――」
実際、中身はわからない。
わかるのは、そのカードを持つ手の意味だ。
「震えているから、です」
死神はただの水先案内人。
事実を述べるのみ。
気付くのは、死者の役目だ。
「……そんなの……」
きっと気付ける。
きっと自分を受け入れられる。
「大丈夫ですよ。誰だって、きっとそうです」
メノウは眼差しを細めず、やはり言葉だけで、言葉の中の自分だけで伝えた。
「……っ」
伝わったのか。
届いたのか。
正しく届いたのか。
「…………ごめん……なさい…………ごめ……っ」
カードへ向けて謝る千里香は、ようやく――――自分の言葉を信じる事が出来た。
大切に思っていることを、大切に思っていた人へ向けて、涙と、そして雨と一緒に吐き出した。
メノウは、隣にいるエマが自分の手を握っていた事に、その時気が付いた。
「ぅ……」
「大丈夫です。きっと、これで」
死神は、死者の魂を案内する仕事。
メノウは今回、少しだけその意味をわかった気がした。
同じように、後輩にも伝われば嬉しい。
泣き止んだ千里香が地面へと消えゆく中、最後に掌を天へ向けながら発した一言がもう一度、そう思わせた。
『せめて、一回くらい本当に好きになれてよかった』
――――雨は今も、上がる事なく地面を濡らし続けている。
お見送りはいつも切ない。
慣れる事は今後もない。
けれども。
それが、彼女たち死神のおつとめ。
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