死神にも規定がある。
【108人分の魂】を霊界へと導く事で、本来行くべき霊界へと向かえるようになるのも、その一つ。
そしてそれ以外にも、様々な規定によって行動が制限されている。
例えば――――
「先週の各死神の"導果"を発表します」
週に一度、人間世界の時間で言うところの月曜早朝に朝礼が上空にて開かれ、それに参加する事。
朝礼は県毎に行われ、毎回各都道府県に赴任している死神が集い、死した人間を正しく霊界へ導いた件数の多かった死神が褒賞を与えられる。
尤も、人間世界と物理的な接点を失った『浮遊霊』であるところの死神に、生前ありがたく使用していた『お金』『商品券』『お米券』といった物は意味を成さない。
食事も出来ない為、食品も無意味。
そもそも、現世に触れる事が出来ない為、五感の内『触覚』と『味覚』を刺激する娯楽は封じられている。
ただしそれ以外の三つ、『視覚』『嗅覚』『聴覚』については、生前と同等の機能が霊魂にも備わっている。
それは別に魂がそういう神経を有しているという訳ではなく、死神としての職務を果たす為に必要な感覚機能だから、閻魔大王が許可を出しているだけの事。
裏を返せば、霊であっても人間と変わらない機能を持てる証でもあり、それは『死後の世界』を考察する上で非常に重要な情報だが、それについて深く考えようとする死神はいない。
誰も彼も、自分が置かれている立場を呑み込むだけで精一杯だ。
「先週、最も多くの"導霊"を果たしたのは、ミサノ地区の白石さんです。褒賞品として、B2タペストリーを進呈します」
白石というOL風の女性が、霊界から派遣されたスタッフから褒賞品を受け取る。
壁掛けのようだが、それがどのような価値を持つものなのか、空を背負いつつ遠巻きに眺めるメノウには理解出来なかった。
そのメノウ、これまで一度も褒賞を与えられた事はない。
死した人間の霊魂を、正しく霊界に導く『導霊』に成功したのは、これまでに5回。
この5回、すなわち死神としての成果――――導果を一週間で達成して、ようやく褒賞品が貰えるかどうかのボーダー。
ここまで三ヶ月かかったメノウにチャンスが来る筈もない。
褒賞品は、希望の品を貰えるという。
だがメノウには今のところ、欲しい物は思い浮かばない。
生前好きだったのは『綿菓子』と『緑亀』だが、どちらも今受け取っても仕方がないモノ。
その為、メノウは特に急ぐ気もなく、残り103人の霊魂を霊界へ導く事だけを目標にしている。
――――目標は、もう一つ。
「……」
他の死神と、話をする。
実は死神歴三ヶ月のメノウだったが、まだ知り合いの死神はいない。
会話すらした事がない。
理由は――――年代のズレ。
死神となっている人間の多くは、成年と思しき外見だ。
メノウのような少女の死神はこのミサノ地区には他にいないし、スタッフの話では地区外にも稀だという。
積極的に他者へ話せる性格ではない上、他の死神もかなり特異な存在のメノウに声を掛けるのは難しいらしく、結果的にメノウはこのミサノ地区で誰より浮いた存在になっていた。
「それでは、今週の朝会は終了します。各自、お務めを果たして下さい」
スーツ姿の女性スタッフが数回手を叩くと、死神達はそれぞれ自由を得る。
知り合いの死神同士で会話する集団もいれば、一目散に飛び去っていく者もいる。
澄み切った青天に溶け込むでもなく、メノウは一人、ポツンとその場に残っていた。
「メノウさん」
そのメノウを呼ぶ声が空に咲く。
だがその声が他の死神ではない事を知っていたメノウは、冷静に振り返った。
先程まで場を取り仕切っていた女性スタッフだ。
「どうですか。慣れましたか」
「いえ。慣れなくちゃいけないと思ってはいますけど……難しいです」
「導く側が暗い顔をしていたら、上手くいくものも上手くいきません。早急な改善を」
「は、はい」
厳しい物言いで淡々と告げるその表情に、喜怒哀楽は見えない。
ショートヘアで凛々しい顔立ちの女性スタッフに、メノウは気圧されていた。
「では、本日もよろしくお願いします」
最後にもう一圧し。
瞑目し、頭を下げるその所作にすら、恐怖心を芽生えさせる迫力がある。
とはいえ――――決して高圧的ではないし、何より彼女はメノウ以外のどの死神とも個別に話はしない。
それもまた、一つの真実。
メノウは複雑な心境を、既に存在しない筈の心音に置き換えて、未だ不安定ながら宙を舞った。
それから十一時間が経過し、夕暮れ時に差し掛かったその日――――八咫烏の鳴き声が聞こえた。
近くにいた死神はメノウだけ。
両手を握り締め決意を固め、その声のする方へ向かう。
そこで――――
「……あ」
メノウは、迷える魂と遭遇した。
本来ならば、気を引き締めつつお仕事の準備を始めなければならない場面。
だが、メノウは暫し、行き場を失い宙に漂っている霊魂の姿を呆然と眺めていた。
知り合いだった。
尤も、幸か不幸か親しい間柄ではなかった。
小学校時代の同級生。
友達ではなかったが、話す機会は何度かあった。
修学旅行で同じ班だった事もあり、メノウの中では印象深いクラスメートの一人でもあった。
その彼女が――――亡くなった。
霊魂としての姿は、小学生時代よりは成長しているが、面影を崩すには至らない。
少なくとも、一目で間違いないと判断出来る程には。
「川嶋さん」
声を掛けるまで、かなりの時間を逡巡に費やした。
自分が導いていいものかどうか。
導けるのかどうか。
死神としての自分の実績と能力を冷静に判断して――――等という判断が出来る筈もなく、ほぼ全て私的な困惑と苦悩と戦いながらも、メノウは決断をした。
「残念ですが、あなたは今お亡くなりになりました」
彼女への死の宣告を、自分が請け負う事を。
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「よかったら、わたし達の班に入らない? 一人足りなくて困ってるんだ」
修学旅行の班決めは、時に残酷だ。
その被害者となりつつあったメノウにとって、川嶋美咲の誘いは文字通り"救い"だった。
二つ返事で頷くと、はにかんだような笑顔が返ってくる。
その笑顔で、ある程度の事を察するのは小学生であっても十分に可能だったが、メノウにとってそれは然したる問題ではなかった。
勿論それは、旅立ってしまえば後はどうにでもなる、旅先で仲良くなればいい――――といった楽観視に基づいたものではない。
ないが、暴風雨の夜に屋根のある建物があるかないか、それくらいの差はある。
雨露さえ凌げればいい。
何より、声を掛けて貰えた事への感謝が全てにおいて勝る。
修学旅行本番、楽しい時間は一秒もなかったとしても――――メノウは心底感謝していた。
「……わたし、死んじゃったんだ。そっか」
川嶋美咲が聡明な女子である事を、メノウは小学生時代から察していた。
それはテストの成績や授業中の発表内容とは別の、洞察や場の雰囲気を汲み取る力。
いわゆる『空気を読める子供』だった。
だからなのか、或いは他に理由があるのかは定かではなかったが、美咲は自分の死をすんなりと受け入れていた。
「それで、死んじゃったらどうなるの? 『あの世』って所に行くの?」
「はい。正確には霊界と言います。霊界は地下に存在しますので、地面を潜って行けば辿り付けます」
「地面? お空じゃなくって?」
「はい。よく間違われますけど、上じゃなくて下なんです」
そのメノウの説明を聞きながら、美咲の表情が徐々に強張っていく。
慣習と異なるその事実に、ようやく実感が湧いてきた――――そういう顔ではない。
何故ならその強張りが、そしてやや角度を変えた瞳は、メノウに向けられていたからだ。
「もしかして、わたしに嘘を教えてない?」
「……え?」
「わたしを、地獄に突き落とそうとしてるんじゃない?」
青天の霹靂――――と言うには少々低すぎるトーンで美咲が吐き捨てた言葉に対し、メノウは思わず生唾を呑み込んでしまった。
そう。
それは死神が最も受けやすい誤解。
天国と地獄があるとすれば、天国は天、地獄は地にあると考えるのは余りに自然。
実は地獄へ案内されている、と考える霊魂となった人々は少なくないと言われている。
だからこそ、死神という存在が必要とされ、死神自体も導く為の能力が必要に迫られる。
その能力とは、説得力をもって説明する力、信じて貰う力。
もし死神の鎌があるとすれば、それは先入観を切り裂く為の道具だろう。
メノウはまだ、それを持たない。
仮に持っていたとしても、鋭くもなければ大きくもない、草も刈れないような鎌に過ぎない。
加えて――――
「修学旅行の時の事、恨んでるでしょ?」
他の誰が死神であっても生じる事のなかった、特別な先入観を美咲は有していた。
メノウが美咲を陥れる理由があるとすれば、それはあの時の出来事。
「そうだよ。わたしが虐められない為に、他に虐められてくれそうな人を班に誘った。それが、あなただった」
鮮明に蘇る――――修学旅行本番。
三泊四日の旅行中、メノウは一度も他の班員と言葉を交わさなかった。
他の誰よりも早く就寝したその後の部屋で、自分が何を言われていたか――――想像に難くない。
要は、メノウは的だった訳だ。
誰か一人、的になる人物がいれば、その的に集中砲火されている間は安全圏にいる事が出来るのだから。
それは働き蟻の2:6:2の法則と同じ。
集団内では自然と役割が生まれ、人が入れ替わっても、その役割が増減したりはしない。
だからこそ、社会には、人間には規定が必要となる。
「だから、今度はわたしを――――」
「感謝してます」
感情の爆発はなく、あくまで冷淡な物言いを続ける美咲に対し、メノウは強引に言葉を被せる。
強い言葉ではない筈だが、それでも美咲の吐露は止まった。
「もしあの時、川嶋さんが誘ってくれなかったら、私はもっと酷い目に遭っていました。私から班に入れて、とは言えませんでしたから」
気の弱い少女だった。
他者に声を掛けるなんて、どれだけの勇気があれば可能なんだろうと思う、そんな女の子だった。
自分から輪の中に飛び込んで行ける性格ではなかった。
「もし、私一人が最後まで残ってしまったら、どこかの班に無理矢理入るよう迫られたかもしれません。最悪の場合、私一人の為に再編成する班が出たかもしれません。それに比べれば、大した問題じゃありません」
強がりでも配慮でもない、メノウの偽らざる本心だった。
「だから信じて下さい。私は川嶋さんを地獄へ案内したりはしません」
「……」
それは――――紛れもなく睨み合いだった。
生前、一度も経験した事などないが、それでもメノウは躊躇なく実行した。
目を逸らす訳にはいかなかった。
「暗い顔」
先に目を背けたのは、美咲だった。
だが口にした言葉には、メノウに対する殺傷力を有していた為、痛み分け。
スタッフに指示された事を守れていなかったメノウは、自己嫌悪に陥り更に表情を暗くし、俯いてしまった。
「……ふふ」
不意に、場にそぐわない笑い声が漏れる。
押し殺そうとしていたが適わず、つい吹き出してしまった――――そんな美咲の声だった。
「もう……死んだのはこっちなんだから、そんな顔しないでよね」
「す、すいません」
「変わってないね。冗談が通じないところとか、真面目なトコとか。死神だったのはビックリだけど」
よほど可笑しかったのか、それとも懐かしかったのか。
美咲の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「あの、死神だった訳じゃないんです。私も死んで、死んでから死神になったんです。あ、死んだ人がみんな死神になる訳じゃなくて」
「なら、わたしは違うって事か。死神、ちょっと憧れてたんだけどな」
「憧れる対象とは違う気がします……」
メノウにとって、それは精一杯の返し。
美咲はそれを酌み、少し引きつりながらも破顔していた。
「……ごめんね」
やがて笑顔は消え、謝罪の言葉を口にする。
「怖かったんだ。あの班だったら多分、わたしが一番そういうのをされる立場だったから。でも、最低だよね。本当……馬鹿」
例えば。
幼き日々の中で、道端に落ちていた100円玉を自分の物にしたり、蜘蛛の巣に捕まえた蝶々を引っかけてみたりする事は、果たしてどれほどの罪深い行為なのだろう。
悪意と我欲、悪意と好奇心の境界線が何処に引かれているかなど、誰にもわからない。
メノウはそんな思いを胸に、美咲の話を聞いていた。
「ね。どうして聞かないの?」
「え?」
「死因。わたしがどうして死んだのか。死神って、そういうの聞かなくてもわかってる?」
当然と言えば当然の疑問に対し、メノウは静かに首を横へ振る。
「知る必要はありませんから」
「……そっか。察してたんだ。やっぱり」
その美咲の応えが、死神の性質を指したものではない事も、メノウは理解していた。
「あの。代わりと言ってはなんですけど、これを」
既に彼女は、自分の死を理解し、受け入れている。
だから本来なら必要ないかもしれないと思いながらも、メノウは霊魂用のカードの束とペンを差し出す。
「何か書くの?」
「はい。川嶋さんが今大切に思っている事を一つ一つ、カードに書いて下さい。カードの数が許す限り、幾つ書いても構いません」
「大切なモノなんて、そんなにいっぱいないよ」
自虐的な笑みと共に筆記用具を浮けとった美咲は、直ぐにペンを走らせる。
ただし、一枚のみ。
大切なものは一つだけという明瞭な意思表示だった。
「で、これをどうするの? 渡せばいいの?」
本来なら、複数書かれたカードの中から、一番大切なものを書いたカードを選ばせるのが、この儀式の目的。
一枚しかないのなら、選択肢はない。
メノウは――――
「決めて下さい。私に渡すか、自分で持っているか」
その選択を迫った。
彼女が大切にしているものが何か、メノウに知る術はない。
カードを見るのは簡単だが、実際に書かれているものが本当にそうなのかどうかは美咲本人にしかわからないのだから。
だからこそ、メノウは選択を迫る。
選ぶ事にこそ意義がある。
「はい。あげる」
美咲に迷いはなかった。
差し出されたカードを、メノウは沈痛な面持ちで受け取る。
暗い顔をするな――――その命はやはり、守れなかった。
「地面。潜ればいいんだよね?」
「はい。そうすれば、川嶋さんの死は正しく受理されます」
「そっか。受理されなかったから、死神になっちゃったのかな?」
最後まで、川嶋美咲は聡明だった。
まだ十代半ばの、前途洋々な人生が待っている筈だった少女。
「ありがと。最後に話が出来て嬉しかった。嬉しかったよ。バイバイ」
その後ろ姿を――――制服姿の後ろ姿を、メノウは目に焼き付ける。
そう、"制服姿"だった。
であっても、様々な可能性が考えられる為、メノウはそこで全てを止めた。
それ以上の追求は、少なくとも美咲にとって何の利益にもならないのだから。
すべき事は、正しく霊界へ導くのみ。
唯一の、恩人への報いだ。
それでも気を抜くと、頭の中には幾つもの言葉が浮かんでくる。
夢はあったのだろうか。
夢を見つけるだけの時間が、彼女に与えられていたのだろうか。
楽しい時間はあったのだろうか。
短すぎる生涯の中に、幸せはあったのだろうか――――
「ぁ……あの」
不意にかけられた声に、メノウは驚きの余り全身を大きく震わせ、反射的に振り向く。
見知らぬ女の子だった。
年代は――――自分と同じか、それ以上に幼い。
一瞬、また霊魂かと思いながらも、メノウは即座にそうではない事を悟った。
八咫烏が何処にもいない。
つまり、彼女は――――
「ぃ……ミサノ地区に新しく赴任したエマと言います。ぅ……スタッフの方に、ぇ……メノウさんに色々教えてもらえって」
メノウにとって、初めて会話を交わした死神。
「ぅ……すっ、すいません! ぁ……馴れ馴れしくお名前を勝手に……」
「大丈夫ですよ。私は大丈夫です」
まるで三ヶ月前の自分を見ているような、エマと名乗った死神の怯え振りに、メノウは何度も頷いてみせる。
大丈夫。
何も間違っていない。
きっと、そうだ。
「色々教えられるほどの知識も経験もありませんけど、基本的な事なら。エマさん、一緒に頑張りましょう」
「ぁ……はいっ!」
――――死神にも規定がある。
生きていても死んでいても、縛られる事を必定とするのが運命。
けれどもそれは、不自由なだけとも限らない。
縛られるというのはすなわち、何かと繋がっているという事なのだから。
「ではまず、死神の決まり事について……」
夢でもない。
希望でもない。
けれど、終着点は確かに存在する。
死神達は今日も光を目指し、一つまたひとつ、近付いていく。
その繋がりが、いつか報われると信じて。
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