今回の奇妙な体験は、僕にちょっとした贈り物をくれた。
  卓越した身体能力と戦闘能力に関しては、特に保つ気もないので
 受験に専念している間に失われていくだろう。
  酒井さんへの思慕も、確かに僕にとっては貴重な思い出ではあるが、
 どちらかと言うと苦い方だ。
  贈り物と言う訳でもない。
  僕が受け取ったもの。
  それは――――
「よう、来たぞ」
「来るなよ」
  今日は休日。受験生にとっては掻き入れ時とも言えるが、たまには骨休みも必要だろう。
  最近こんな事ばっか頭の中で言ってる気もするが、気にしない気にしない。
「んな邪険に扱うなよな。これでも親友だぞ」
「ったく……ま、良いけどな。新メニューに挑戦したんだけど、食ってくか?」
「おう。じゃあ遠慮なく……っておい、何だ? これ」
「味噌フォンデュだ」
「…………は?」
「味噌フォンデュだ」
「…………」
「味噌フォンデュ」
「いや、わかったから……つーか何で味噌なんだよ? 普通はチーズだろ?」
  まあ確かにフォンドゥと言えば普通はチーズフォンデュの事を指すんだが、
 そんな概念などどうでも良い。
「あいにくチーズは家にないしな」
「ならせめてカレーとか」
「カレーフォンデュだと実際あるし、味も想像できるからつまらんだろ」
「にしてもだな……味噌はないだろ、味噌は」
「そうか? 日本のチーズっつったら味噌だろ?」
「あのな……まあ良いか。で、これはどうやって食すんだ?」
「うむ。用意致しますは具の面々」
  そう言って僕はあらかじめ下ごしらえしといた具をキッチンに取りに行く。
  準備している具は茄子、キャベツの芯、ピーマン、ニンジン、アスパラ、ブロッコリー、
 大根、豚肉、白身の魚をそれぞれ軽く茹でた物。
「これを……このグツグツ言ってる味噌につけて?」
「その通り」
「…………」
「それじゃ早速」
  僕は茄子を箸にとって味噌の入った鍋に入れる。
「うっ……」
  茄子にドロリと味噌がついたのを見て一哉が怪訝そうな顔をする。失礼なヤツだ。
「いただきまあす」
  パクリ。
「……ど、どうだ?」
「……」
「や、やっぱり……」
「うむ。美味いぞ」
「え。マジか?」
「ああ。食わねーなら僕が全部食うぞ」
「ま、待て。どれどれ……」
  一哉は豚肉を味噌につけて、一瞬躊躇しながらも口に入れた。
「おお! 美味いじゃねーか!」
「だからそう言っただろが」
「味噌ってもっと濃いー味を想像してたんだがな」
「ふっふっふ。数種類の味噌をブレンドして作った僕オリジナルの味噌なのだよ」
「……お前、マジで大学行かないで料理人目指した方がいいんじゃねーか?」
「これくらいは良い男の身だしなみだ」
「ああちくしょう、お前が女だったらなぁ……料理の上手い女の幼なじみ。くぅ〜っ」
  一哉は何かよくわからん表情で悶えている。
  この姿を写真にとって取り巻きの女に見せたら面白いことになりそうだが、
 後が怖いので想像だけで留めておく事にした。
  まして、酒井さんにはとても見せられないしな。
「気持ち悪い事言ってないでとっとと食え。アホ」
「そだな」
  一哉が本格的に食し出した所で、僕も食事の準備を整える。
「あれ? お前アイスコーヒー止めたのか?」
「あー。だってこっちのが断然、断っ然美味しいからね」
  自作のクリーム色が目に眩しい珠玉の飲料水をテーブルに並べる。
  ああ、見てるだけで涎が出る。
  この為に生きてるね、今日も。
「……」
「何だよ?」
「いや、なんかさ、お前もちっとは大人らしくなったかな、と」
「……ミルクセーキ作って並べてる人間に言うセリフか?」
「そうなんだけどな。なんとなく、だよ」
「まあ、お前がそう言うのなら、そうなのかもな」
  こう思えるようになるまで、結構な年月を要した。
「やー、お兄さんは嬉しいね。昔のお前は反抗期まっ盛りっつーか、
 俺を刃物みたいな目で見てたからな。その癖ミルクセーキとか意味わかんねーし」
「悪かったよ。あの頃は荒れてたんだ」
「俺もだけどな」
「……」
  一哉の家は、ウチ以上に酷かった。
  母親は一哉の為に父親が必要だと思い再婚したのだろうが、一哉は納得できなかった。
  こいつは、表面上はヘラヘラ軽い感じで生きていても、中身はとてつもない粘着質だ。
 一度思った事を覆すにのに何十年必要なんだ、ってくらいに。
  そんな訳で、父親を裏切ったと言う一哉の母親に対する猜疑心は、
 母親の苦労を理解できるようになった今も尚生き続けている。
  これでも大分マシにはなって来てるんだが……
「なあ、一哉」
  少し突いてやるか。
  それは酒井さんの為でもある。そして、引いては僕自身の為。
「もう僕らもいい歳なんだから、父親がいないなんて別に大した事じゃないだろ?」
「……」
  普段は余計な事ばかり喋る一哉だが、こう言う時に限って無口になる。
  それは、こいつが大人だからなのかもしれない。
  いや……違うか。
  こう言うのに、大人も子供もないんだ。
「いい加減、昔の事にこだわるの、止めね?」
「うるせーよ。俺には俺の考えがあんだ」
  味噌フォンデュを頬張りながら、頑なに拒否する。
  ミッション失敗。ゴメン酒井さん。こいつはまだ女嫌いのままだ。
  今更、こいつの性格が急に変わるとも思えない。
  その頑固さがいつか身を滅ぼさないよう、僕が監視しなければならないのだ。
  それが、こいつを友達にしてしまった僕の役目なんだろう。
  ……メンド。
  近い内に酒井さんにバトンタッチしたい所だ。
  今まで何人もの一哉LOVERを見てきたけど、彼女はちょっと毛色が違う。
  色眼鏡も多分に含んではいるが、彼女なら、この天然頑固野郎を
 軟化させられるかもしれない。
「……んだよ」
「いや、酒井さんとその後どうなのかなー、とか思ってさ」
「どうもなんねーよ。俺が女と付き合うと思うか?」
  そうだな。お前はいつもそう言うんだ。
  それも、一哉が成長していないんじゃなく、一哉だから、なんだろう。
「つーかだな、お前自分の惚れた相手と俺がくっ付くの見たいのか?」
「僕は天使の心を持ってるからな。好きだった人が
 幸せになるのは歓迎だね」
「かーっ。変な成長の仕方しやがって。大人だねえ」
「違うよ」
  大人なんて、そんなものじゃない。
  それに、僕はこう思ってる。
  立派な大人になれなくてもいい。
  かっこいい男と呼ばれなくてもいい。
  でっかい夢を抱けなくてもいい。
  それでも、好きなものを好きと、胸を張って言える人間でありたい。
  なんとなくじゃなく、はっきりとそう思った。
  ――――それが、僕が受け取った贈り物なんだ。
「で、俺の事はともかく、お前はどうなの」
「僕?」
「聞いたよボクちゃん。ミルクセーキにまつわる思い出とか」
「ぶっ!」
  ヤブヘビ。
  つい口に含んだミルクセーキを吐き出してしまう。
  ああっ、もったいない。
「あのバカ母……余計な事を」
「良く母親経由ってわかったな」
「水崎はそんな事バラさないからな」
  布巾でテーブルを拭く僕に、一哉がヤな感じの含み笑いを投げ付けて来た。
「かーっ、まいったね。何その信頼関係。で、式はいつ挙げんの?」
「うるさい天然。お前はいつか絶対天然パーマになるから覚悟しとけよ」
「なるか! 見ろよこのサラサラヘアーを! 誰が鳥の巣だコラ!」
「大声出すなよ。恥ずかしいだろ」
「く……」
  こいつとはもう十年来の付き合いになるが、最近ようやく口で勝てるようになった。
  これもまあ、あのヘンテコな試験のくれた贈り物と言えば、そうなのかもしれない。
  ありがたく受け取っておこう。
  お礼なら、今から幾らでもできるしな。
「ま、とにかく、もう少し年相応の落ち着きを身に着けろよな。
 来年は運が良けりゃ大学生なんだから、そろそろちゃんとした大人の自覚持たないと」
  そんな軽口を叩きつつ、僕は席を立つ。
「何だよ。もう出るのか?」
  その問いには答えず、僕はゆっくりと視界をずらした。
「これからデートなのだよ」
  その向こうに、あの日の影が伸びる。
  僕はそれを懐かしむように、静かに目を細めた。
「お邪魔します」
「ああ」
  約束通り、水崎がやって来た。
  そして、無言のままテーブルに着く。
  勝手知ったる……と言う訳ではないのだが、どこかそんな空気を携えて。
「つーか、邪魔なのは俺じゃね?」
「邪魔だ」
  僕の断言に対し、一哉は全く動じない。と言うか楽しがっていた。
「じゃ、後は若いもんどうしでごゆっくり〜」
  余計なセリフを吐き、退場。
  本当に最後まで生意気な奴だ。
「……何か誤解されているような」
「気にするな。天然なんだ」
  僕の適当な答えを無視し、水崎はテーブル上の容器を凝視していた。
「えっと……これは何でしょうか」
「味噌フォンデュだ」
「……」
「味噌フォンデュだ」
「……はあ」
「味噌フォンデュ」
「それ、言いたいだけですよね?」
  図星だ畜生。
「あの、私は味噌フォンデュを好きになった覚えはないのですが」
「これはただの昼食。本命はこっちだ」
  並べておいた『それ』を水崎の目の前に置いてやる。
「あ……」
  それは――――そう、ミルクセーキだ。
  僕は昔、一人の女の子と良く遊んでいた。
  近所の家に住んでいる、大人しい子。
  いつも僕の後ろについて来てた。
  彼女の家は広くて、たまに遊びに行った事もあった。
  その時に出して貰ったのが、ミルクセーキだった。
  それ以来、僕は虜となってしまったんだ。
  今日は、再会の日。
  あの日のミルクセーキと。
  そして――――
「同じですね。私のお母さんのミルクセーキと」
「まあな。卵の量が少し独特だから、再現には結構苦労したけど」
  あの日の、僕達と。
「さ、飲みねい」
「では遠慮なく」
  本当に何の遠慮もなく、水崎はストローに口を付けた。
  こいつもミルクセーキには目がないんだ。
  昔はこうやって、良く向かい合ってミルクセーキを飲んでたな。
  そして……
「……ん?」
「何ですか」
「いや、今チラって思い出したんだが……僕ら昔、家まるごと使って
 ママゴトとかしてなかった?」
「してません」
「確か、役柄はふう……」
「してません!」
 急に声を荒げて水崎が否定してきた。
「春日さんはもう少し大人のマナーを身に付けるべきです」
「ついさっき大人っぽくなったと一哉に言われたんだが」
「気のせいです」
「そんなバカな」
「なら、気の迷いです」
「いやいや」
「或いは、気の毒です」
「ああ、それは正解。あいつはこれを子供っぽいっつって飲まないからな」
  水崎は小さい笑みを見せ、再びストローに口を付ける。
  その顔は、僕にとって誇らしかった。
  良くわからないけど、何かを成した気がしたから。
「……美味しいです」
「そりゃ、長年僕達が愛した味だから」
「ですね」
  二人してミルクセーキを飲み込む。
  それは、僕らだから味わえる、至福の一時。
「ま、何はともあれ」
  僕は自然と漏れる笑みを隠さず、まだミルクセーキの残るコップを手に取った。
「また会えた事に乾杯」
「……」
  水崎は一瞬キョトンとしたが、直ぐにコップを手に取る。
「はい」

  ちょっと甘ったるくて、それでいて爽やかな時間の中で、僕は確かに受け取った。

  記憶の中から消えていた、幼き日の彼女。

  生活の中から消えていた、大好きなもの。

 

  二つが重なる小さな音を――――
 

  ……………………

  …………

  ……


「……え?」
  意味もわからず、コップを合わせた『僕』は、目の前の女の子をじっと眺めていた。
 『僕』らは、おままごとをして遊んでいる。
  役柄は、いつも決まっていた。
 『僕』がお父さん。そして、『女の子』がお母さんだ。
「これはね、『かんぱい』っていうんだって。おしゃれでしょ?」
「わかんないよ」
「ふふ。わたしも」
  女の子はくすくすと笑って、『僕』のコップから自分のコップを放した。
  少しだけ、名残惜しい。
「でも、おとなになればわかるんだって」
「ふーん」
  今はよくわからない。
  でも、いつかは――――
「じゃ、おとなになってからもっかいしよっか」
「え……」
  きっと、わかる。

  だから、約束しよう。

 『僕』の提案に、女の子はちょっとびっくりしていたけど、すぐに笑顔になった。

  そして。
  
「はい!」

  ミルクセーキのように、甘く笑った。






                                          Milkshake & Icecoffee                                   
                                                     〜 Fin 〜









  前へ                                                      もどる