「……とまあ、試験が終わったので、彼女も契約満了と言う事で
 ご挨拶に伺わせた訳ですが」
  混乱する場を楽しむかのように、カーンがゆるゆると説明に興じている。
  学校が休みなので時間は幾らでもあるのだが、何かムカつく。
「テメー、絶対狙ってたろ。僕に卑猥な台詞を言わせる為に誘導しただろ」
「めっそうもない」
  深刻な顔で否定。明らかに演技だったが面倒なので放置しておく。
  何しろ、今はそれどころじゃない。
  僕は一度心を落ち着け、水崎の方に顔を向けた。
「えっと、こんな事言うのはどうかと思うけど」
  そして、本心を告げる。
「……何で生きてんの?」
「生きてるからです」
 まあ、ご尤も。
「いや、だってどっちかってーと死んでる流れでしょ。
 或いは、僕が思い出すと消えるとか、そんな感じの存在みたいな。
 そうか、幽霊とか残留思念とか、そんなんだろ?」
「失礼です、春日さんは」
  正座したままプイ、とそっぽを向く。
  まあ、正座してる時点で幽霊もクソもないんだが。
「で、結局何がどうなってるのかわかりやすく説明しろ。概念とかいらんから」
「はあ。では、結論だけを言いますと」
  カーンは一つ咳払いをして、真実の扉を開いた。
「貴方は、大人になれない人間だったんです」
  中傷だった。
「……そりゃ、否定はできないけど」
「いえ、人間の作った定義とは違う意味で」
「?」
「貴方は、幼い頃の記憶を割とごっそり失っていたんです」
  思わず生唾を飲み込んでしまった。
  心当たりは……ある。
「それが結構な量でして。大人になるために必要な記憶量に
 満たなくなっていたんですよ」
「ちょっと待て。何で大人になるのに記憶が必要なんだ」
  訳のわからない説明に非難の声を上げたが、カーンの表情は変わらない。
  しかし、隣の水崎は少し顔をしかめていた。
「人が大人になるには、一定量の記憶を積み重ねなければなりません」
  その顔に視線を向けていた僕を無理やり振り向かせるかのように、
 カーンが声に力を込める。
「生まれた瞬間から、人間はその五感によって刷り込まれた情報を脳に
 インプットします。想起できるレベル、できないレベルに関係なくです。
 その積み重ねがある水準を超えて、人は初めて大人になれるんです」
「……何だそのトンデモ理論」
「まあ解釈はお任せしますよ。信じる信じないも。そんな訳で、記憶を失った貴方は
 大人になれないと言う状態になってしまったのです」
  記憶を失ったから大人になれない?
  そりゃ、記憶喪失の人間が幼児化するってのはたまに聞く話だ。
  でも、それは生活習慣や人格すらも忘却してしまうほどの重度な病気だからであって、
 部分的な記憶を失ったからと言って、大人になれないってのは無理がある。
  とは言え、ここで否定しまくっても話が進まない。
  正否は後々判断するとして、取り敢えず話を聞く事にしよう。
「そこで、貴方の無くした記憶をどうにか補完しようと
 私ども椛蜷l検定委員会事務所が参上した次第なのです、ハイ」
「つまり、ジグソーパズルの何ピースかを取られて完成させる事が
 できなくなったので、残ったピースを手掛かりにして、抜けた部分の
 絵を描くそのお手伝いをしました、と言う訳です」
  水崎がフォローを入れてくる。上司よりも気の利いた説明だった。
「多少は理解できたが、そんなんで良いのか?」
「さあ。私も普通の人間なのでよくわかりません」
  無責任な発言を無表情で言い放つ。
  記憶の中にいる彼女はもう少し愛想が良かったような……
「良いんですよ。ファンタジーなんだから」
「適当だなオイ」
「ファンタジーに無理して理論を付けようとすると、大抵ロクな事にはなりませんから」
  最低な言葉を口にした。
「ま、そんな訳でしたが、見事貴方は記憶の補完に成功し、大人になれたんです。
 やあメデタシメデタシ」
「これっぽっちも嬉しくないんだが」
「私は嬉しいです」
  本当にそうなの疑いたくなるような表情で水崎が呟く。
 仕様なので気にもならないが。
「ようやく、思い出して貰えた様なので」
「あ、ああ……ゴメンな、忘れてて」
「仕方ないです。自己防衛本能ですから」
「貴方の糞味噌は、ずーっと自分を守る為に頑張って忘れてたんですよ」
「糞味噌とはどう言う事だコラ」
「ひっ、ひぃぃっ! 冗談です! 脳です! Nooooooo!」
  一通り〆た。
「で、何で僕は水崎の事を忘れてたのか、それもわかってるのか?」
「原因は先程言った通り、自己防衛です」
  エビス顔を微妙に引きつらせつつ、カーンが説明モードに入る。
「自分の極めて近しい人間が交通事故に会い、重傷を負った。まあ、命に別状は
 なかったのですが、結果として貴方の責任となってしまい、親も水崎家の両親から
 しこたま怒られた。ソレが原因で離婚となり、母親一人子一人の母子家庭を誕生させた。
 彼女も暫く街を離れる事になった……
 と、そう言う嫌な記憶で押し潰されてしまわないように、忘れたんです。
 貴方のく……脳ミソは」
  つまりは、トラウマの影響で記憶を失っていたらしい。
「ありがちと言えばありがちだけどさ……自分が当事者だと何か凹むな。
 精神的に弱過ぎると言うか」
「『大切な人』を自分の所為で傷付けたと言う事実は、どんな人間でも重いものです。
 それも親と友達が同時に、ですから」
「……」
  気のせいか、水崎の顔が若干赤い。
  まあ、僕も似たようなものだ。
  それは子供の頃の認識。今とは違う。
  でも、それでも……ね。
「はっはっは。甘酸っぱいですねえ」
「やかましい!」
  照れ隠しに引っ叩く。
「おぶっ!? ぶぷぷぅ……」
  KOしてしまった。
  まずいな。何か自分で自分の肉体がコントロールできてない。
  まさか自分が筋肉バカに限りなく近い存在になってしまうとは……
「残念ですね。受験生なのに」
「ああ、また心が一つ盗まれて行く……」
「その表現、嫌です」
  嫌われた。
「ところで水崎。一つ聞きたい事があるんだが」
「何ですか?」
「例の試験、察するに僕が消した記憶の中の印象的な場面を抽象的且つ擬似的に
 具現化して、僕の中での記憶の想起を促していたと思うんだが」
  僕の台詞に水崎の顔が凍る。
  この人、段々感情表現が豊かになってませんか?
「……ンだよ。これでも受験生だぞ? 多少は頭くらい使うわ」
「おかしいです。私の記憶にいる春日さんはそんな人ではありません」
「そりゃ、子供の頃とは違うさ」
「いえ、ごく最近のです」
「……」
  どうしてくれよう。
  まあ、後でおいおい考えるとして、話を進めよう。
「で、大抵の事は思い出したけど、一つわからないのがある」
「何ですか?」
「あの夫婦ごっこ。どうしてもあれに近いシチュの記憶がない」
「……」
  水崎の顔が、先程以上に赤くなっていった。
「そっちに心当た」
「ありません」
  即答の域を超えていた。
「いや、もう少し考えてみてくれよ」
「ありません。ないんです。未来永劫ありません」
 未来をも否定された。
「いや、だからな」
「しつこい男性は好まれませんよ」
  ついには女難の相すら出された!
  ってか、こいつ絶対心当たりあるよな。
  ……そんなに問題のある内容なのかな? 
「……もう」
  水崎は膨れていた。
  それは異様なくらい新鮮で、恐ろしい程に懐かしかった。

 ★       ☆     ★    ★        

  で。
「はへ、わはひはほへへほいほはひはふ」
「おう、二度と来るなよ」
「ふひはほひー」
  通常時の三倍くらいになっている唇で良くわからない言葉を発し、
 カーンは何処かへと帰って行った。
  これで試験とやらは完全に終了。
  僕は普通の生活に戻るのだ。
「あー、やっと終わったな。長かった。これで受験に専念できるってなもんだ」
「そうですね。でも、次のお休みは私に付き合って下さい」
「あ?」
  水崎が急に破顔する。
  懐かしい笑顔。それでいて気分は高揚する。奇妙な感覚だ。
  ああ、そう言えば。
  昔、僕はこの子とよく遊んでたなあ。
  虫取りに行った事もあった。
  遅くまで公園で遊んでた所為で、二人して倉庫の中に入れられた事もあった。
  あの頃は楽しかった。
  彼女がいなくなってからだ。
  僕が反抗期になったのは。
  辛かったんだ。
  自分の所為で彼女が酷い目にあった事が。
  その所為で親が離れ離れになった事が。
  だから僕は、それまでの自分を全否定していたんだ。
  あの頃は、全てが暗闇だった。
  或いは、僕が暗がりを嫌うのは、そんな自分自身が何よりも
  嫌いだからかもしれない。
  そして、それを認識できるくらい、僕は変われたのかも知れない。
  目の前にある、水崎の姿。
  僕の記憶にある、彼女の姿。
  そして、それを見る僕自身。
  何もかもが違う。
  皆みんな、変わってしまった。
  けど――――
「あれ、作って下さい。今度は私にも」
  そう。一つだけ、昔と変わらないものがある。 
  それは――――

  二人の共通の好物だった。








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