【GAME OVER】
  蛍光体に触れた電子が白い文字を綴り、それを囲む黒の空間と共に終幕を告げている。
 その文字も次第に薄れ、黒一色となったテレビ画面は、それを凝視しながら座っている
 男の顔をぼんやりと映していた。
  男は学生服を着ていた。高校の夏服として最もポピュラーな半袖の白いシャツと黒いズボン。
 シャツの呼称は地方によってカッターシャツだったりYシャツだったりと変化するのだが、
 ここではカッターシャツと呼ばれている。そのカッターシャツの語源は、とある企業の創業者が
『勝った』と言う言葉から作った造語に由来すると言う事なので、このシャツには勝者の紋章が
 縫い付けられているに等しい――――と言っても過言ではない。
 しかしながら、その学生服を着た高校生は、今しがた敗北を喫していた。
(バ、バカな……この俺が……俺が手塩にかけて育て上げ、Lvもとうに40を越えている
 勇者リオグランデと愉快な仲間達が、こんなにも無残に散るなんて……)
  それは耐え難い屈辱だった。まるで自分の人生を、とまでは言わないが、自分のこれまで
 育成にかけて来た36時間が完全否定されたかのような、厳しい現実だった。
 そもそも、セーブはこまめにしている。全滅したからと言ってそれ程の痛手はない。
 が!
(全滅したと言う事実が何よりも許せん! これは恥だ! 人生における最大の恥辱だ!)
  頭を抱えテレビの前で転がり悶える男の名前は、睦月冬(むつき ふゆ)。
 私立夕凪高校に通う一年生だ。
  中肉中背の身体に中の中の顔、坊主でも長髪でもない中途半端な長さの髪――――と、
 ここまではどこにでも存在る平凡な学生に他ならないのだが、彼は困った問題を二つほど抱えている。
  一つは、友がいない事だ。
  彼女じゃなくて、友。親友でもなくて、友。
  人類の殆どが持っている友達と言うかけがえのない身近な宝物を、冬は唯の一人も持っていない。
 友達いない暦15年11ヶ月だ。
 長期入院をしていたとか転校族だとか心に病を持っているとか、そう言う止むを得ない事情もなく、
 ただ単に友達がいない。人としてヤバい状況である。
  そしてもう一つは、趣味に没頭するあまり殆ど外を出歩かない事だ。
 登校は毎日怠っていないので引き篭もりではないのだが、それ以外は外出どころか
 部屋を出る事すら滅多にない。一応食事はダイニングルームで取るものの、その滞在時間は
 食事を取る時間とイコールで繋がる。そして、その間に発する言葉は何もない。
 食事の前後に発するよう幼少時に教わった挨拶も、家族とのコミュニケーションも、一切ナシ。
 後はトイレと風呂だけだ。
  その余りにも狭い行動範囲の中でも、冬の脳内には趣味の事しか浮かんでいない。
 夕食を取っている時も、シャワーを浴びている時も、冬の頭は趣味の世界で埋め尽くされている。

  その趣味とは――――ゲーム。

 家庭用ゲーム機で一人静かに遊ぶ事。特に冬はロールプレイングゲーム(RPG)を好んでいる。
 RPGとは、コンピューターによって設定されたキャラクターを操作し、そのゲーム内における世界で
 様々な出来事を体験し、時には試練を乗り越え、目的の達成すると言うゲームだ。
 主にファンタジーの世界において物語の登場人物のように活躍できる事が特徴として挙げられる。
 家庭用ゲームの中でも非常に人気の高いジャンルで、幾つかの著名なタイトルは一つの作品で
 数百万の売上を記録し社会現象を巻き起こすだけの巨大な需要を生み出している。
  人間は誰しも空想する。その空想の中には、現実には決して起こり得ない世界も山ほどあり、
 現実では味わえない悦楽も星の数ほど存在する。太古の時代から人々はそれを欲し、
 自分独自の世界を構築し、書物や絵画、演劇と言った文化に昇華して来た。
 その文化に触れる事で、人は他人の世界を知り、広げ、大きくして来た。
 RPGもまた、その流れの中で生まれた遊戯と言えるだろう。
 例え高尚な物だと言う認知がされていなくても。
「はあ……」
  タイトル画面に戻り、聞き慣れたBGMが流れる中、冬は小さく息を落としてゲーム機の電源を切った。
 リプレイする気力がない訳ではないが、もう時間がない。
(……そろそろ、か)
  ベッドの上にある目覚まし時計で時間を確認する。午前7時40分。
 ちなみに今日は平日。善良な学生であれば登校する時間だ。
  そう――――冬は平日の朝っぱらからRPGをやっていた!
  これは非常に奇特な行為だ。そもそも、高校生の身分で朝からテレビゲームなど基本的には
 愚行と見なされるだろうし、何より時間制限のある中でRPGをするなど持っての外だ。
 最近は何時何処ででも記録を保存(セーブ)できるゲームが増えたものの、特定の場所でないと
 セーブできないタイプのゲームも多い。今しがた冬がやっていたのもその類で、戦闘中は勿論、
 フィールド上でもセーブは不可。一定の場所のみで行える。
 勿論、わざわざセーブしなくてもコントローラーのボタンを押さなければ進行はそこで止まり、
 電源さえ切らなければ保存しなくても続きは行える。
 昔ならいざ知らず、現在の家庭用ゲーム機はちょっとのショックで異常を来たすような事はない。
 しかし停電などのアクシデント、親やペットなどの接触によって一度リセットされてしまうと、
 それまでの苦労は泡と消える。そのようなリスキーな行為は普通しない。
 しかし冬は毎日やる。理由は単純明快――――
(楽しい時間は長い程良いからな)
  リスクは承知。それでも、例え朝の貴重な数十分が徒労に終わっても、全くもって悔いはない。
 それが、睦月冬の信念である。
「……」
  ダイニングのテーブルに置いてある食パンを手に取り、口に頬張る。
 テーブルには誰もいない。一人静かに三分間の食事を行う。
 睦月家の家族構成は四人から成り、父・母の他に、冬の妹に当たる人間が存在する。
 しかし冬と彼女が言葉を交わす事はない。
 朝のこの時間には既に登校しているのでまず会わないし、一日で唯一の接点である夕食時にも
 目すら合わせない。
 4年前からずっと、そう言う関係が続いている。
  父親もこの時間には既に出勤しており、帰るのは大抵冬が部屋で寝る準備を始める頃だ。
 毎晩部下を引き連れて飲み歩いているので、必然的に帰りは遅くなる。よって殆ど顔を合わす事はない。
「早く食べて」
「……ん」
  唯一人、母親だけは毎朝顔を合わせる。しかし交わす言葉には棘ばかり。
  母はいつも機嫌が悪い。
 そんな母の言葉に従い、冬はさっさと食事を済ませ、洗面所に向かった。
  この一家は、外からは特に変わった所のない、敢えて言えばやや口数の少なめな家族に見える。
  しかし――――その実、中身は崩壊している。 
『行って来ます』
『行ってらっしゃい』
『ただいま』
『おかえり』
『いただきます』
『ごちそうさま』
『おはよう』
『おやすみ』
  これらの挨拶が全く聞こえない。
  それが、睦月家の現状を全て表していた。
「……」
  そして今日も、無言の登校を果たす。


  私立夕凪学園――――冬の通う高校は、特に有名私立と言う訳でもないし、
 名前さえ書いていれば受かると言う特殊な難易度の高校でもない。
 極めて平凡な、何処にでもある学校だ。
 カリキュラムや外観にも特色はなく、パンフレットすら『駅から10分!』などと言う
 マンションの売り文句のような表現が空白を埋める為の言葉として使われている。
 ちなみに、この駅から〜分と言う表記、歩く早さには個人差があるだろーが! とツッコミを
 入れたがる者が多いと言う。
 実はこれ、時速4.8km/hで換算すると言う決まりのようなものがあるらしい。
 つまり、駅から徒歩10分と言うのは、4.8km×10/60=0.8kmと言うことだ。
 実にどうでも良い豆知識である。
  それはともかく――――
「起立! 気を付け! 礼!」
  そんな学校だから、生徒も教師も授業もHRも掃除も朝礼も至ってフツーだ。
 仮にこの学校の一日を紹介するとして、少なくともこの辺のくだりを全て省略したとしても、
 誰一人クレームは付けないだろう。
(さー、やっとこの日が来た……どれだけ待った事か)
  早送りのような半日を終え、放課後の喧騒が教室を彩る中、冬は待望の瞬間に内心震えていた。
 尚、声にしないのはそれを伝える友人がいないからだ。
 非常に寂しい現実だが、今の冬に寂寞感など微塵もない。
 何故なら――――今日は人気RPG『ラストストーリー』の新作が発売する日だからだ。
 幼稚園児が遠足の日を心待ちにするように。
 小学生が修学旅行前日にワクワクするように。
 中学生が初デートを前にして落ち着きをなくすように。
 高校生が初めて突撃一番を買う時に気分が高揚するように。
 冬も心待ちにしていたタイトルの発売日になるといつも心が躍る。
 それは十六年近く生きた今も変わらない。
 情報化社会の弊害で、以前のように何も知らない状態での購入と言う最強のスパイスこそ
 なくなったが、それでもこの昂ぶりが潰える事はない。
 冬の足は自然と先を急ぎ、普段より十分も早いタイムで目的地であるゲームショップに到着した。
【芸夢触富 遊凪】
  妙に怪しい名前のこの店は外装も相当に怪しく、ぼったくりメイド喫茶とぼったくり中華料理店に
 挟まれて立地するそのビルは、耐震強度に疑問を抱かずにはいられないほど細い。
 そして不自然に黒い。
 そして店主もまた怪しく、ゲームを売る人間なのに何故かB系のラッパーみたいなファッションで、
 それなのに無口と言う意味のわからない存在だったりする。
  しかしながら、この怪しさ全開のゲームショップ、知る人ぞ知る名店として
 この界隈のゲーム好きの間では敬意を持って受け入れられている。
 その決して広くはない展示スペースには、わかる人だけわかる宝がこれでもかと言わんばかりに
 並べられているのだ。この店は中古も新品も扱う近年のゲームショップとしては
  最もポピュラーな販売形態を取っているのだが、明らかに異質な点が二つある。
  一つはその在庫の豊富さ。普通の店では絶対にお目にかかれないレア物から品薄で騒がれている
 最新の人気作まで、極めて広範囲の需要をフォローできるだけの品揃えを誇っている。
  そしてもう一つは、そう言った希少価値の高い物(特に近年流行の限定物)に
 一切のプレミアを付けず、定価ないし中古相場の価格で販売していると言う点だ。
 普通ならば他では手に入らないような10年以上前の限定生産の商品などは数万〜数十万で
 取引されるのだが、ここではそう言う大きな金額の品物は一切置いていない。
 市場でそれだけの価値を認められていても、だ。
 限定物に一切の興味がない冬にとって、現在の限定至上主義の市場にケンカを売ってるかのような
 この店のスタイルは、密かに憧れでもあった。
 それ故に、ゲームソフトの購入は殆どこの店で行っている。
 今時自動ドアじゃない所をはじめ、全体に漂うレトロな雰囲気もお気に入りの理由の一つだった。
  そして何より、この店は冬が生まれて初めて連れて行って貰ったゲームショップだった。
(さあ……もう直ぐだ。もう直ぐで俺の幸せがこの手に!)
  冬が鼻息荒く入り口の引き戸に手を添えようとした瞬間――――別の力によってドアが開いた。
「……!?」
  ドアはガラス張りなのだが、ソフトの広告やポップなどで視界は塞がれている。
 その所為で、ドアを挟んだ向かいに人がいるという事を『お互いに』確認できなかった。
「あたっ!」
「きゃっ!」
  慌てるようにドアを開けて外に出て来た人物を避ける事もできず――――正面衝突。
 全く予期していなかった事もあり、お互いその場に尻餅を付いてしまった。
「……ん?」
  倒れ込んだ冬の腰の辺りに青いビニール袋が落ちている。
 中身は確認できないが、掌を思いっきり伸ばしたくらいのサイズの物体のようだ。
「っ!」
  どうやら冬にぶつかった人物の所持品だったらしく、そのブツがすさまじいスピードで回収される。
 その様子は不自然な程慌てふためいていた。
「ごっ、すいませんでした!」
  何故かゴメンナサイを言いかけスイマセンの方をセレクトしたその人物は、女性だった。
(……んん?)
  と言うか、冬と同じ学校の制服を着ていた。
(……んんん?)
  と言うか、クラスメートだった。
「あの、どこか痛……っっっ!」
  向こうもそれに気が付いたのか、あからさまに驚愕の表情を浮かべる。
 そして肩まで伸びた茶色の長い髪が逆立ちそうな程の勢いで立ち上がると、
 そのまま陸上選手のようなフォームで逃走した。
(……何なんだ一体)
  冬はクラスメートの女が小さくなって行く様を低い体制のまま眺めていた。
 これが人生初の俗に言う『ボーイミーツガール』の瞬間であると彼が知るのは――――

 もうちょっと先の話。

 



 

                                             R.P.G. 〜あいにーちゅー〜

                                   第一章 ”ニート予備軍と茶髪の女子高生”




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