その帰り道――――
冬は最近聞いたアドレスに一通のメールを送信した。
『印税でなんか奢れ』
一応自分なりに何度も添削した結果の文章に対する返答は――――
『甘納豆で良いか? 良いって言ってくれ そして俺を慰めてくれ 褒めてくれ ちぎってくれ』
最後の行が気持ち悪かったので返信はしなかった。
日が暮れて行く光景を視界に納めつつ、幾つもの駅を通り過ぎ、睦月家のある街に戻る。
そして――――家に入った所で知り合いに遭遇した。
「秋葉と……神楽?」
「お邪魔してまーす」
居間に2人が座っている。
その足元には『りお』が転がっていた。
冬は記憶の糸を手繰り寄せ、一つの箱を見つけ出す。
その中には、『今日は秋葉が「りお」を引き取りに来る日』と書いた紙が入っていた。
紙を脳内でクシャクシャにして、秋葉の足元にあるキャリーボックスを眺める。
そんなものまで用意している事に感心すると同時に、割と早く訪れた別れの時を自覚した。
「それじゃ、引継ぎ宜しく」
少しばかりの寂寞間を拭い、冬は秋葉に微笑みかける。
秋葉はしっかりと頷き、いとおしげに『りお』を抱いて、キャリーボックスの中に入れた。
自分が割と大金を出してまで守った猫。
だが、それを支払って尚余りある対価を得た。
冬は別れの際、そう思った。
「では、私はこれで」
そんな冬の顔をチラリと眺めた秋葉が、早々に玄関へと向かう。
その後ろ姿を追うように、神楽も席を立った。
「あれ? もう行くの?」
「お邪魔虫は嫌いなので。どうぞごゆっくり」
そう言って――――秋葉はにっこり微笑んだ。
冬の記憶にはない顔だった。
「……何なのよ、もう」
全身を紅く染める神楽が所在なさげに呟く中、冬はその姿に何となく自分の感情を確信した。
――――自分は、変わってしまったのだと。
「……遊凪、潰れたね」
唐突に、神楽が呟く。話題を変えたかったのかもしれない。
「ん」
「やっぱ、寂しい?」
冬は居間の椅子に座り、暫し思い悩む。冬の中にある感情はとうに答えを知っているが、
どう伝えるか迷った。
「わからない。寂しいって思うのが自然な筈なのに、そう思えない自分がいる」
「そう。複雑だね」
本音を投げ掛ける事に、全く抵抗がなかった。
「友達がいるって、楽しいな」
「何? いきなり」
今度は神楽が先刻の冬と同じ顔をしていた。
「今まで知らなかったから。こう言う感じなんだな。ちょっと吃驚した」
「変なの」
だから、そのまま続ける。嘘偽りなき、睦月冬の本音。
それは――――懸念。
「……もし、俺がゲーム嫌いになったら、俺等はもう友達じゃなくなるのかな?」
ゲームを純粋に楽しめない今の冬にとって、最も重要な問題がそれだった。
神楽は最初驚いた顔をしたが、直ぐに笑顔に戻る。
冗談だと思ったのか、それとも別の理由か――――冬にはわからない。
「あり得ないから。あんたがRPGを嫌いになるなんて」
「そっかな」
「そうよ」
断言した神楽の顔は真剣だった。
「だって、ラストリVとかの話する時、凄く良い顔してるもん」
「……」
窓の外では、夕陽が徐々に沈んで行く。
鮮やかに彩られた空は、徐々にその刹那さを削ぎ落として行った。
「ま、私はお母さんとか目上の人と話してる時の顔の方が好きだけど……」
「え?」
「何でもない。じゃ、もう夕食の時間だから」
空の色の名残を残した神楽の顔が、冬の視界から外れる。それでも足は動かない。
もう少しだけ――――言葉はなくとも、お互いのそんな気持ちが何となく通じ合う。
一日の中に潜む刹那の時間に、二人はもう一度だけ顔を合わせた。
「お母さんとは上手く行ってる?」
「うん。まだたまーにお互い遠慮とかするけど、もう大丈夫」
「そっか」
「そっちは?」
「気持ち悪いくらい普通になった」
「はは。そう」
ふと――――電源が落ちたかのように、窓から見える微かな世界に闇が落ちる。
それは、魔法の溶ける瞬間と少し似ていた。
「……じゃ、またね」
「ん」
悲しみの欠片もない別れの挨拶を済ませ、神楽は玄関を出て行った。
それと入れ替わるように、妹の千恵が入って来る。
「ただいまー。何、また彼女連れ込んでたの? ただれてんねー」
「お前のウエストほどじゃないけど」
「なっ! た、ただれてないし! ホラ、見てよこの引き締まった腹!」
「見せるなよ……」
もう無言で家に入る者はいない。
冬も当然のように家族と夕食を取り、暫し歓談し、部屋に入る。
それが当たり前となっていた。
ベッドに腰掛け、何も映っていないテレビに目をやる。
その下には、国内で最も普及している家庭用ゲーム機【ユートピア】が置かれてある。
これまでは――――それがこの部屋の全てであり、冬の生活の大半を担っていた。
その電源ボタンを押せば、楽しい時間はいつだってその扉を開いてくれる。
現実の誰よりもわかりあえるキャラ達が待ってくれている。
間違いなく、そうだった。
「……」
冬は腰を上げ、ゆっくりとテレビに近付いた。
そして、心中で問い掛ける。
(もう、良いのかな……?)
真っ暗の画面に、友達のいない人間のしみったれた顔が浮かぶ。
一人だった。
家族すら拒絶していた。
空虚な心の余白には、いつだって彼らがいた。
しかし、今はもう、冬の心にその空間はない。
ゲームは虚構の世界だ。現実ではない。
虚構は現実には勝てない。原則であり、法則でもある。
では、ゲームは現実の代替品に過ぎないのか?
他に満たすものがあるならば、必要のない娯楽なのか?
しばしば逃避の矛先となり得るゲームと言う媒体は、人の心を弱くし、
腐らせてしまうだけの存在なのか――――?
(そう……なのかな)
冬にとって、ゲームは全てだった。自分自身の象徴ですらあった。
しかし、友達が出来て、家族とも和解し、心が満たされた今、
その定義は確実に滅んでしまった。
今の冬には、以前程ゲームが魅力的には映らない。
夕凪が潰れたと知って以降、ゲームショップに足を運ぶ回数も極端に減っている。
つまりは――――
(そう言う事、か)
一瞬、喉に違和感のような感触が生まれる。それを生唾と一緒に飲み込み、冬は目を閉じた。
そして、開く。
変わらない視界の中で、一つだけ色褪せた物がある。
冬は手を伸ばし――――
それに、触れた。
4th
chapter ”Role-Playing Game &
I ”
fin.