RPGの見せ場は、実は意外とラスト近辺よりその前にある事が多い。
特に大作と呼ばれるRPGにおいてはその傾向が顕著だ。
何故なら、間口の広さ故にどうしてもお約束やそれに準ずる展開にならざるを得ないラストより、
途中のシナリオの方が融通が利くからだ。
「……」
現在、冬のラストリVの進行状況は、神楽に見られた時のデータから殆ど変わっていない。
ラスボスも倒していないし、レベルも同じ。ただボーっと画面を眺めているだけで
セーブすると言う日々が続き、プレイ時間だけが一日二時間ペースで加算されていた。
では、ラストリVの終盤が詰まらないのかと言うと――――そう言う事は一切ない。
寧ろ、ここに来てゲーム内の盛り上がりは最高潮に達している。
間違いなく冬好みの展開で、序盤から張られていた伏線が徐々に回収されて行く様は
様式美すら感じさせる。しかし、冬のコントローラーを握る指は今日も緩慢な動作を
繰り返していた。
余りに思い入れのあるゲームの場合、いつまでもその世界に浸っていたいという思いから、
故意にクリアを引き伸ばす事はある。
しかし、最近のRPGはラスボス討伐後の隠しイベントも充実しており、
クリアしたからと言って即フィナーレと言うゲームは少ない。
ラストリシリーズも、そう言った予定調和のアンコールのようなクリア後のお楽しみは
しっかり標準装備している。よって、それがクリア寸前で二の足を踏む理由にはならない。
冬は――――RPGへの情熱を失いかけていた。
確実に面白い筈のラストリVの終盤が、まるで楽しめない。やっていて面白くない。充実感がない。
その理由は――――以前と同じように、本人の心の中にあった。
しかし、今回は沈んでいる訳ではない。
家庭が少しずつ修復し、友達との仲も順調。生まれて初めて行ったアルバイトも楽しかったし、
たまに誘われて行くカラオケや、宿題の消化の為の勉強会も笑顔ばかりが溢れていた。
そして、この日も神楽の家に皆で集まる事になっている。
母親が体調を理由に定期的な休みを入れる事にしたらしく、
快気祝いを兼ねて彼女の家にて勉強会を開くと言う事らしい。
今、冬にとって一番楽しいのは、RPGをプレイしている時間ではない。
友達と遊んでいる時だった。
神楽未羽と一緒にいる瞬間だった。
(俺は……どうなるんだろ)
冬は自分の中の劇的な変化に戸惑っていた。
自分にとって絶対だったゲームと言う存在が、娯楽としての機能すら果たしていない。
一日の中に、ゲームが殆ど必要ない――――そんな日常が訪れた事に、そしてそんな日常を
違和感なく楽しんでいる自分に、冬は恐怖のような感情を抱いた。
しかし――――それも直ぐに消える。
楽しい時間がやって来たからだ。
「はーい、今日は私の自信作持って来ましたー!」
初めて家族以外の女性の家に入った冬が緊張を隠せずにいる中、佐藤が手作りのお菓子を
誇らしげに掲げている。
割と家賃の高そうな、セキュリティの行き届いたマンションの四階に神楽家はあった。
「あらー! もういっつもいっつもありがとうね夏莉ちゃん。ウチの未羽も
これくらい作れたらねえ」
「プロ目指してる人と比べられてもね」
広々とした今の中央にあるテーブルに並べられた洋菓子の数々に、神楽親子だけでなく
男性陣も感嘆の声を上げた。
「……愛は不滅です」
秋葉に至っては涙すら浮かべていた。
「すげ……でも俺甘いのあんま食べらんねーのよな。虫歯あっから」
「あんたの分最初からないし」
「マジかよ! 意味わかんねー! つーか芸能人イジめるって何だよ!
もっとチヤホヤしやがれ!」
「って言うか、仕事もなくこんなトコにノコノコやって来る芸能人なんて
芸能人って名乗って良いワケ?」
余りに核心を突いた佐藤の言葉に如月が失意に暮れる中、冬の横にツーっと
神楽母が寄って来る。
「……で、その後未羽とどうなの? キスしようとして平手打ち食らったってのは
そちらのお母さんから聞いてるんだけど」
「ガセネタです! って言うか、いつ俺の母と連絡取ったんですか!?」
「そりゃ、息子さんに命救われたんだから親御さんにもお礼くらい言うでしょ。
そしたら何か話が合っちゃって。家庭が上手く行ってない時期が長かった者同士、
話題に尽きないのよね」
道理で最近長電話しているのを良く見かける筈だと納得している冬の後ろで、
佐藤が珍しく取り乱していた。
「え? キス? あんたらが? マジかよ……」
「ち、違うってば! 全っ然違うんだから!」
「そこまで否定すると言う事は、近からずとも遠からずと」
「違うって言ってるのにーっ!」
秋葉も交えて女三人が和気藹々と歓談する様子を見ながら、
冬はむず痒い中にも居心地の良さを感じていた。
「……何か良いよな、こう言うの」
思わずそんな言葉が零れてしまう。
「ねー。いいよねー」
「ま、な」
神楽母と如月も同意を示してくれた。
夏休みは続く――――
八月に入って直ぐ、高校生のスポーツの祭典である高校総体が開催された。
その中には夕凪学園サッカー部の名前もあり、冬は県外での開催にも拘らず応援に向かった。
その会場には、如月のマネージャーである来生の姿もあった。
「睦月様。甥を応援に来てくれたのですか?」
「はい」
芸能人のマネージャーともなると、二十四時間体制のタイトなスケジュールの中で
常にスーツを着て生活していると言うイメージが冬の中にはあったが、目の前の紳士は
夕凪高校サッカー部のユニフォームを着ていた。
「完全にサポーターですね」
「お恥ずかしい」
羞恥心の欠片もない顔で答える来生に苦笑しつつ、試合観戦。
夕凪高校は前半から押され、相手高校の右サイドに突破を許す場面が何度も見られた。
ハーフタイム突入の時点でスコアは0−2。苦しい展開だ。
「厳しいですね」
「全国レベルともなると、動かない選手が一人いると言うのは致命的ですから」
落胆の中、後半が始まる。
その直後に柊にボールが渡る。すると――――フィールド中央から右足で放たれた
シュート性のグラウンダーのパスが、相手ディフェンダーの隙間を縫うように
ゴール前まで一気に通り、一瞬でシュートチャンスを演出した。
「わ、凄い!」
「ほう……」
しかし、パスを受けた味方のシュートはポストを掠めてゴールの向こうへと飛んで行く。
「あああっ! 惜しい!」
「つくづく、惜しい才能です」
興奮する冬を尻目に、来生は冷静に、しかし熱く語る。
「長距離のパスを効果的に出せる能力と言うのは、単に技術が優れているだけでは
身に付きません。空間認識能力と想像力、そして味方との信頼関係が絶対に必要です。
彼はその全てを手にしていた。そのような選手、世界的に見ても決して多くはないのですが……」
「怪我がなかったら、プロになれたんですかね」
「『たられば』は禁句の世界ですが、私はそう思います」
結局――――試合は前半のままのスコアで終わった。
高校サッカーは夏が終わっても冬がある。しかし、柊の高校サッカーはここで終わる事になる。
チームメイト全員がフル出場を果たした柊の元に駆け寄り、顔をクシャクシャにして
握手を求めていた。
「……終わりましたね」
「はい。良く頑張りました。貴方からも一声掛けてあげて下さい」
甥の晴れ舞台に目を細める来生と、涙と笑顔で健闘を称え合うフィールド上の選手達を
交互に見やる。そして――――
「いえ。水を差したくないですから」
そう判断し、フィールドに背を向ける。
「あ、そうそう。如月のシングル、どうだったんですか?」
「ウィークリーランキング、初登場11位でした」
「……」
非常にコメントに困る順位だった。
「ゲーム会社からしらけムードのお祝いFAXを頂きました。一応、初の右ページランクインなので」
「は、はあ」
「現実はこう言うものだとあのスカが学んでくれれば、それが何よりの収穫です」
来生は親のような顔でそう話し、冬よりも早く競技場を後にした。