――――夏。

 灼熱の季節に最も似合う日本の風物詩といえば、やはり甲子園だ。
 全国の都道府県を代表し、高校球児達が健全な精神をもって競い合う
 その清々しさに、多くの視聴者と観客が引き込まれる。
「始まりますよ所長。このサイレンの音ってなんかカラスの悲鳴みたいですよね」
 今年、俺は女子高生助手・胡桃沢君と共にその一員となっていた。
「確かこの熊実高校っていう方の監督さんが、所長に相談してきたんですよね?」
「そうだけど、何その地元の高校に対する無関心な感じ」
「だって、野球よく知らないですもん。あの棒持ってる人にボールぶつけたら勝ちなんですか?」
「……兎に角、黙って見てようか」
 胡桃沢君は基本まともな人間だけども、隠し味程度に危険思想を持ち合わせた女の子。
 キャラが薄いのを気にし、頭にはケモノ耳を模したカチューシャを日替わりで付けている。
 今日はカラカルというオシャレな耳を持つネコのケモノ耳だ。
「ところで所長。報告書は読んだんですけど、イマイチ所長の意図がわからなかったんですよね。
『オレが悪い』を連呼しとけとアドバイスしたそうですけど、それって本当に大丈夫なんですか?」
「多分ね」
 そう答えた直後、テレビでは熊実高校野球部の紹介VTRが流れ始めた。
 通常は今日の試合のスタメンおよびベンチメンバーの表記、予選の結果と決勝のスコア、
 そして小芝居込みの高校紹介映像が流れるんだけど、熊実高校の場合はやっぱり
 あの代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打がメインで紹介され、そのホームランの
 映像まで流れていた。
 インタビューも代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打に対するものが殆ど。
 選手、コーチ、マネージャー……と続き、最後に監督だ。
『アレはね、私が悪いんですよ。参りましたね』
 インタビュー用のコメントとあって一人称が変わっていたものの、概ね俺の指示通りの
 受け答えだった。
 それを受け、実況と解説がVTRに対する感想を述べる。
『監督はああ言ってましたけど、これはどういう事なんでしょうか? 解説の鬼怒川さん』
『んー、そうですね、きっとアレじゃないですか? シビれる場面で監督も
 緊張していて、サインを上手く出せなかったんじゃないでしょうかね』
『そう言えば、スクイズのサインが出ていたとも言われているようですね。
 その辺り、現場はかなり混乱していたと』
『甲子園出場が決まるかどうかの瀬戸際ですから。その中であの劇的なホームランを打った
 北川君ですか。彼の出番にも注目したい試合ですね』
 実況・解説は終始フランクな口調でマイルドな方向に解釈しつつ、そう締め括った。
 オレが悪い――――それは魔法の言葉であり魔性の言葉。
 それ以上の追求を防ぐ事が出来る上に、なんとなく謙虚に聞こえて悪い印象を余り与えない。
 そしてここが最大のポイントなんだが、聞いた相手が『良い方向に想像してくれる』。
 これが重要だ。
 自分が悪いと認めている。
 なんて謙虚なんだ。
 こんな潔い人が行った事なら、きっと何かやむを得ない事情があったに違いない。
 ――――というのは大げさだけど、それに近いニュアンスを無意識に抱いてくれる。
 実際には全く中身のない言葉なんだけど、好意的解釈を誘発する効果がある。
 例えば、当事者の北川君。
 彼の立場で、監督から『オレが悪い』と言われたらどう思うだろう?
『でしょ?』と素直に受け取るだろうか?
 受け取るかもしれない。
 受け取らないかもしれない。
 この場合、どっちでも良い。
 前者なら『お前を見くびっていた。打たせるべきだった』とも『あんな重圧掛かる場面で
 難易度の高いスクイズをやらせようとして悪かった』とも解釈出来る。
 それも、どっちでも良いんだ。
 何故なら、北川君はどの道、レギュラーにはなれないから。
 サイン無視した実力不足の選手をレギュラーで使える訳がない。
 代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打を打とうとも。
 当然、甲子園でもベンチだ。
 なので、もし北川君が『お前を見くびっていた』と解釈していても、自分が控えのままだと
 判明した時点で、それは間違いだと気付く。
 なら自然と、別の選択肢の『スクイズをやらせようとして悪かった』、若しくは
 他の意味があっての『オレが悪かった』だったのか、と思うだろう。
 その時点で、北川君はモヤモヤする。
 結果良ければ全て良しではないのか?
 やっぱりサイン無視は駄目な行為だったのか?
 でも監督は自分が悪いと言っていた。
 きっと何か事情があったに違いない。
 なら一体――――
 そのモヤモヤが、彼の増長を防ぐ事に繋がる。
 人間、迷いがあればいい気にはなれないものだ。
 一方、チームの雰囲気はどうなるか。
 監督の『オレが悪い』という言葉を、各選手がどう解釈するか。
 北川君のサイン無視に不満を持っていない者からすれば、北川君に打たせるべきだったと
 監督は思っている――――そう解釈するだろう。
 逆に、サイン無視に不満を持っている者からすれば『え? サイン無視を怒らないの?』
 とはなるだろう。
 けれど結局北川君がベンチのままとなれば、『ああ、やっぱりサイン無視に切れてたんだ。
 あの「オレが悪い」は皮肉だったのか』と解釈するのが自然な流れだ。
 そして、関係者にも『オレが悪い』と伝えておけば、万が一今回の件がマスコミその他に
 バレても、世間は『監督が非を認めてるから別に良いじゃん』となり、
 北川君が叩かれる事はない。
 論点は監督の非が戦略的なミスか、それ以外の理由かといった方向へ向かい、
 盛り上がり、やがて玉虫色のまま風化していくだろう。
 最終的にチームの和は乱れないし、盛り上がりにも水を差さない。
 何より北川君の将来に悪影響を及ぼさない。
 唯一、『オレが悪い』と認める監督だけがちょっとだけ泥を被る程度だ。
 監督には少し気の毒だけど、それで丸く収まるんなら、最善だと納得して貰えるだろう。
「……本当にそう上手くいきます?」
 俺の解説を聞いていた胡桃沢君が懐疑的な視線を向けてくる。
「チームメイトや周りの人達はともかく、北川君本人は不満なんじゃないですか?
 せっかくスゴい事したのに、監督に認めて貰ってないって。補欠のままだし」
「かもね。でも、そこで捻くれないように別口で策を講じてある」
「策、ですか?」
 テレビ画面では今、ベンチ入りしている熊実高校の女子マネージャーをアップで映している。
 黒髪で純朴な雰囲気の女の子で、かなりの巨乳だ。
 そこから少し距離を置いたところに、北川君が座っている。
 カメラで抜かれているのがわかっていないらしく、終始マネージャーに熱い視線を送っていた。
「『北川君、甲子園に連れて行ってくれてありがとう』って上目遣いで言うよう
 あのマネージャーに依頼しといた」
「……うわ所長。やりやがりましたね」
 助手に白い目で見られたものの、間違った事はしちゃいない。
 幾ら監督から無碍にされようと、可愛い女子マネにそう言われれば高校球児は大満足。
 そんなもんだ。
 もし野球部に女子マネがいなかった場合は、同じ高校の可愛い女子に依頼するところだった。
 ちなみにあの女子マネは地元のチャラい大学生と付き合ってるらしいけど、
 今回の件とは無関係なんでどうでもいい。
 重要なのは、監督・選手共に万全の体制で試合に臨める事なんだから。
 はざま探偵事務所は例えどんな分野でも、常に全力で依頼人をサポートします。
 何かお困りなら、早期にご連絡を。
 なお、試合は2対5で熊実高校が敗れた。








  前へ                                                      もどる