「悪いね。昨日の今日で呼びつけたりして」
 ソファーに腰掛けた彼女へ向けて、まずはジャブ代わりのブラフ。
 彼女がこの事務所に来たのは五日前の事。
 昨日来たのは三和の方だ。
「昨日は来てないにょん。誰かと間違えてるにょん」
「ん、そうだったっけ」
 今の物言いだと、三和とのコミュニケーションは取れていないみたいだ。
 なら話は早い。
 とっとと本題に入るとしよう。
「事件ってほど大事にはならなかったけど、一応今回の件は報告書にまとめようかと思って。
 ちょっとだけ手伝って貰えるか? トラブルの経緯について、俺がわからない部分を
 補完して貰えるとありがたい」
「わかったにょん。何でも聞くにょーん」
 快活で脳天気な返答。
 ここまでの彼女には何一つ違和感がない。
 さて……
「まず、君の家にエンヌ・チー・チーを装った人物から電話があって、君が対応した。
 間違いない?」
「そうにょん。今使ってるネットの回線使用料が安くなるから、プラン変更の
 手続きをするように言われたにょん」
「身分を偽っていた……と。間違いないんだよね?」
「後でエンヌ・チー・チーに問い合わせたら、そんな電話掛けてないって言われたにょん。
 間違いないにょん」
「代理って可能性は?」
「代理店……もないと思うにょん。消費生活センターの人も、一回目の電話と二回目の電話は
 多分同じ会社の奴だって言ってたにょん」
 それに関しては、俺も同意見。
 質問の目的は、その答えを聞く事じゃない。
 "装った"
 "身分を偽っていた"
 "代理"
 このキーワードに、彼女がどんな反応を示すかを見たかった。
 今のところ、動揺した様子はない。
 ただ――――次はどうだ?
「俺もそう思う。代理店だったら、"パソコンを立ち上げて待ってろ"なんて言わないからな」
「だにょん。今思えば怪しさ全開だったにょん。言われた通りにしたのは失敗だったにょん……」
「言われた通り、パソコンを立ち上げて待ってたんだな?」
「そうにょん。軽率だったって反省してるにょん」
「そのパソコン、いつ買ったんだ?」
 彼女―――白鳥和音と初めて会ったのは、彼女の部屋だった。 
 その際、部屋にパソコンはなかった。
 当然、モデムや無線LANルーターも見当たらなかった。
 わざわざ一式全て押し入れ等に隠すとも考えられないから、あの時点では
 持っていなかったと考えるべきだ。
 あれから新たに購入した?
 いや……その可能性は低いだろう。
 彼女は高校生だ。
 あの時点で持っていなかったパソコンを、敢えて購入する必要性を感じられない。
 ネットに使いたいのなら、スマホで十分に事足りる。
 それ以前に――――ネットが使える環境なら、わざわざ俺に相談するまでもなく
 光回線サービスのトラブルなんて調べれば幾らでも似た案件が見つかるし
 その解決法もわかる。
 幾ら知り合いで相談しやすいとは言っても、一応俺は探偵。
 もし相談料を請求されたら……という事を懸念するのが普通だし、まずは地力で
 どうにかしようとするだろう。
 そんな様子は全く見受けられなかった。
「俺が君の家に行ったのは、いつだったか……三ヶ月くらい前だったか?
 その時にはパソコンはなかったけど」
「つい最近買ったにょん。ネットも繋いだばっかりだから、知識がなくて
 上手に対応出来なかったにょん」
「なら、詐欺の電話が掛かってくるとは思えないんだよな。ああいうのは
 何処かから電話番号が漏れて、それがリストに書き込まれたものが業者に出回って、
 それから初めて掛かってくる。契約直後の家にいきなりプラン変更の
 勧誘の電話が掛かってくるとは思えない」
 実際にどうなのかは知らん。
 ただ、大きく外れてはいない筈だ。
「だから俺はこう思ってる。君は今もパソコンを持っていない。そして……」
 この矛盾と不自然さを、俺の眼前にいる彼女はどう説明するのか。
「"君は本当に白鳥和音なのか?"ってね」
 和音――――ではない彼女は。
「……素晴らしい推理だ。流石は探偵さん」
 不意に声色が変わる。
 語尾も消えた。
 どうやら俺の推察は的を射ていたらしい。
 ずっと疑っていた。
 俺に相談を持ちかけた五日前の和音は、和音ではなく別人格ではないかと。
 和音が三和に暗号で示した『第三の人格』が、和音の口調を真似て演じているんじゃないかと。
「私が和音ではないと、どこで気付いた? パソコンの件だけで特定は出来なかったろう」
「それに答える前に、まず名前を教えてくれないか? 和音や三和と区別する為にも」
「ふむ、確かに名乗りもせず会話するのは失礼極まりないか。申し訳なかった。
 私は和奏(ワカナ)という。名付け親は当然、和音だ」
 和奏と名乗った彼女は、和音とも三和とも雰囲気が違う。
 他の二人と比べて、随分と落ち着いた印象だ。
 口調もやや緩やかで、高校生にもかかわらず大人の余裕さえ感じさせる。
 そんな彼女が五日前に、和音を偽り俺に接触してきた。
 当然、明確な意図をもって。
「では、あらためて問おう。どこで私を見抜いた?」
「最初に不自然だと思ったのは、胡桃沢君が今回の件について事前に話を
 聞いていたような素振りを見せなかった事だ」
 つまり、ほぼ最初から妙だとは思っていた。
 和音と胡桃沢君は友達であり、少なくとも俺よりは接点も多い。
 ならまずは彼女に相談して、解決の糸口が見つからないようなら、
 そこで俺に話を持っていくのが自然だ。
 その過程をすっ飛ばして俺にいきなり相談するのは、和音の行動としては
 不自然に感じる。
「君は主人格についてそれほど詳しくないんじゃないか?
 交友関係にしろ性格にしろ、しっかり把握出来てるとは思えない」
「ご明察、といったところだ。私は……余り他の人格と面識がない。
 かといって、和音の家族や友人と接する事も全くと言っていいほどない。
 私が生まれたのは二度目の虐待期の頃。つい最近だったからな」
 和音への両親からの虐待は一旦収まったが、両親が更年期障害に差し掛かった
 つい最近、再び行われるようになっていた。
 この時に記憶喪失を偽る事で難を逃れたらしいが、それでも相当な
 苦痛とストレスが和音を襲っていた事は疑いようがない。
 その際に現れた新たな人格って事か。
「今回のトラブルについても、当初私が把握していた事実は『和音に詐欺まがいの
 電話が掛かってきた』という事くらいだ。探偵さん、貴方の言うように
 和音はパソコンを保持していない。だから一度目の電話の時点で彼女は困惑した。
 何故、パソコンのない自分に『パソコンがある事を前提とした電話』が掛かってきたのか」
「恐らく、御両親が電話番号を怪しげな業者に教えちゃったんだろう。
 それ自体は珍しい事じゃない」
 その名簿には家族構成くらいは書かれているかもしれないけど、『自宅にパソコンあり』とは
 記されていないだろう。
 でも、顧客とはなり得ない家に勧誘の電話が掛かってくるなんて事はままある。
「その事が気になり不安に思った和音は、三和に筆談でその事を伝えようとした」
「でも現れた人格は三和じゃなく君だった、か」
 和奏は薄らと微笑みながら、小さく頷く。
 困惑と不安の中で書かれた和音の文章は、まとまりに欠けていたんだろう。
 だから和奏に中途半端な形で伝わってしまった。
「記憶は別人格同士、共有しないのか? 全部が全部じゃなく、断片的にでも」
「人が人として生活する為の記憶は共有している。今自分が学校に通っているとか、
 歯の磨き方や靴の履き方などがそうだ。だが、エピソード記憶は残念ながらない」
 つまり、三和と同じ条件か。
 解離性同一性障害の性質を考えれば妥当だ。
 苦痛を伴わない記憶まで忘れる必要はないからな。
「ただ、探偵さんの存在は知っていたよ。和音から聞いた訳じゃなく、両親から仕入れた情報だ。
 直接会話はしないけれど、残念ながら怒鳴り声を遮断できる都合の良い耳を
 持っていないものでね」
 恐らく、先の件で俺に依頼したのを悔やんで、責任のなすりつけ合いでも
 してたんだろう。
 狭間某という探偵が和音の知り合いにいる。
 なら彼に和音を救って貰おう――――そんなところか。
「でも、どうして脚色なんてしたんだ? 2回目の電話のくだりは……」
「事件性をアピールしたかったんだよ。ただ単に『詐欺紛いの電話が掛かってきた。
 かけ直すと言われたが、その電話には出なかった』というだけでは、まともに
 取り合っては貰えないと思ったのさ。脚色したストーリーは近所のネカフェに行って、
 ネットで調べた良くある詐欺の手口を参考にさせて貰ったよ」
「ネットを使えたのなら、そこで解決策も調べられただろ?」
「私は行政を信用していない。恐らく和音も」
 ……そうか。
 今回の件で唯一、俺がわからなかったのはそこだ。
 彼女達は、虐待に遭っていた。
 その事は、特に白鳥家と関係のないウチの大家さんが知るほど広まっていた。
 でも――――行政は動かなかった。
 和音には、根深い行政への不信感があるんだ。
 それが和奏という人格にも反映されている。
 彼女の苦しみの本質が、ようやく理解出来た。
 そしてそれは、三和が『和音(実際には和奏)が嘘を吐いた理由』を問い質そうと
 しなかった理由にも繋がってくる。
 パソコンを持っていない時点で、和音が詐欺に遭うリスクはゼロだった。
 彼女の不安の源泉は、電話番号が漏洩していたという事実へのもの。

 ――――自分の情報が漏れる恐怖

 以前、暗号を使って第三の人格の出現を三和に伝えようとしたのも、
 その恐怖が原因だったのかもしれない。
「和音は今、怖がっている。真実を、自分のありのままを伝える事に怯えている。
 そこから自分の過去が暴かれるかも知れない、と恐れているんだ」
 俺の見解と、和奏の意見が一致した。
 和音は――――
「両親が断罪されるのを恐れている。あんな目に遭っても、親が社会的制裁を受けて
 欲しくないと思っているんだ」 
 ……言葉もない。
 それは長い年月を掛け刷り込まれた恐怖なのか?
 子は何があっても心の底から親を憎む事が出来ないのか?
 違う。
 和音が、そういう奴なんだ。
 だから苦しみを自分の中に溜め込み、自分だけでは抱えきれず、
 人格を分裂させてしまった。
「どうして、君の親は……」
 他人の家庭の事情に口を挟むのは流儀じゃない。
 それでも言いたくなってしまう。
 そんな良い子を、健気な子を、傷付け苦しめるのが楽しいのか、それで満足なのかと。
「残念だが、私には親の心情も生い立ちも、そこに至るまでに何があってそうなったのかも
 全くわからない。生まれたてなのでね」
「……ああ。そうだな」
 和奏に当たっても仕方がない。
 そして今の俺と同じ憤りを、同じやるせなさを三和も感じていたんだろう。
 だから、和音が真実を告げなかった事に対し、追求も深入りも出来なかった。
 だから――――自らの消滅を承知の上で、彼女が救われて欲しいと願った。
 俺に託された依頼は余りに重く、そして……切ない。
「結局、消費生活センターには電話してないんだな?」
「ああ。その理由はないし、和音自身が行政とは距離を置いているからね。
 公的機関から『電話番号が悪徳業者に漏れていても実害はほぼない。
 セールスや勧誘が増える程度の事だ』と言って貰えれば、多少の安心は得られるだろうが……
 本質的な部分における彼女の不安は消せないかもしれない」
 その不安が消えなければ、解離性同一性障害の完治はない――――か。
「和奏さん」
「呼び捨てで構わないよ。君の方が年上だし、他の二人にもそうしているんだろう?」
「なら和奏。君はどう思ってるんだ? 自分が消えても構わないとは……」
「そこまで達観は出来ていないさ。私はまだ何もしていない、楽しい事も
 嬉しい事も、何一つ味わっていないのだから」
 当然だ。
 客観的に見れば和奏も三和も紛れもなく和音本人であり、その事実は動かしようがない。
 けど、それでも――――彼女達自身にとってはそうじゃないんだ。
 人格の消滅は、俺達にとっての死と何ら変わりない。
「それを味わえば、私がこの身体を乗っ取ってやろうとか、和音という人格に消えて貰って
 私が主人格に成り代わろう……などという気持ちが芽生えるかもしれないね」
 小悪魔っぽい表情でそう告げた和奏は、その言葉とは裏腹に、
 やがて来る自分の運命を受け入れているようにも見えた。
 同時に、主人格への敬意と思いやる心も。
 三和は彼女の存在を懸念していた。
 でも、大丈夫だ。
 良い奴から生まれる人格は、基本良い奴なんだろう。
「察するに、三和から私の事を探るように頼まれていたのだろう? 私は極めて危険な
 思想の持ち主だと伝えておいてくれ。その方が色々と楽しめそうだ。 
 趣味は爆薬に何かを混ぜてみる事、特技はアヘ顔ダブルピースとでも言って貰えると尚嬉しい」
 ……そして、変な奴から生まれる人格もまた同様、って事か。
「それは適当に伝えるとして……三和とはコミュニケーションは取ってないって話だったけど、
 意思の疎通を図る意思はあるかい?」
「折を見て、私の方から筆談を持ちかけてみるさ。今のままだと一方的に
 嫌われるかもしれないしね」
「勝手に主人格を演じて嘘まで吐いたんじゃ、心証最悪だしな」
 破顔、というほどでもないけど、お互い小さく笑い合う。

 こうして。
 本来報告書に記すまでもなかった本事件は、特別な色の付箋と共に
 はざま探偵事務所のファイルに掲載された――――

 


「……そんな事があったんですか」
 その翌日。
 胡桃沢君に事のあらましを伝え、報告書を纏め終えたところで、
 俺は仄かに湯気が立っているホットココアを口に含んだ。
 正直、精神的に結構キツい案件だった。
 甘くて温かい飲み物で落ち着きを取り戻したい気分だ。
「私、もっと和音ちゃんと仲良くします。それが和音ちゃんにとって、少しでも
 心の癒やしになれば良いですけど」
「そうしてあげて。今後、胡桃沢君には是非『白鳥和音の親友ポジション』を確立して貰いたい」
「そ、それは望むところですけど……更に影が薄くなりそうな予感が」
「クレジット的には六番目くらいのポジションだけど、それはそれでおいしいから良いじゃない」
「おいしくないです! もう、所長のいじわる!」
 拗ねてしまった。
 でもいいよ、ちょっと可愛いよ。
 その積み重ねが、キャラ作りに役立っていくに違いない――――
《ジリリリリリリリリリリリリリリリリ》
 お、電話だ。
 結局三和の依頼も半分だけしか達成していないって理由で報酬は保留のままだし、
 今度こそ実入りのある依頼を……
「アッーもしもしィー。わたくしエンヌ・チー・チーのスズキと申しますッー。
 いつもわたくし共のサービスを御利用頂きありがとうございますッー。
 この度月々のお支払い額が値下げされる事になりましたのでご連絡を差し上げ――――」
「テメェこの野郎! よりにもよって
 探偵に詐欺の電話寄越すたぁ何事だ!?
 そんなダニクソみたいな手口に引っかかるって
 本気で思ったんかコラ!
 テメェらみてぇなチンピラ崩れの人生ハゲ上がり太郎 
 に騙されるヘボ探偵だって言いたいのかアァ!?
 八つ裂きだ!
 八つ裂きにしてやるから事務所来いや!」

「しょ、所長!? 所長が急に反社会勢力の口調に!?」

 ――――空は青けれど、青に染まることなかれ。
 常識に染まることなかれ。
 はざま探偵事務所は常にその姿勢で、詐欺・勧誘以外の電話をお待ちしております。







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