「……植松コウ。……中学三年生。……"創作物"などではなく"真実"の"死神"を探している者」

 予定通りの時刻に事務所を訪れた相談者は、俺の淡い期待を第一声で粉砕してくれた。
 とはいえ、これが場末探偵の現実。
 勘や推理なんてそうそう当たらないし、金になる仕事が簡単に舞い込んでくるような都合の良い展開など滅多にない。

 大事なのは、ここからだ。
 この依頼を金に換えられるかどうかは、今後の話の持って行き方次第。

 相手が中学生だろうと、例え小学生だろうと、俺はやる。
 そうしないと餓死するからね、仕方ないね。
 
「植松さん、今日はわざわざお越し頂きありがとうございます。死神が必要とのことですが……」

 どうすれば死神と出会えますか――――そんな奇っ怪な相談をして来た彼の外見は、思いの外ノーマルだった。
 染めるでも遊ぶでもなく、やや短めに揃えた髪。
 手入れしていない眉はやや太く、服も取り立てて特徴のないシャツとロングパンツに身を包んだ純朴な少年だ。

「……」

 その植松君は額に微かな汗を滲ませ、やや落ち着かない様子ながらも、俺の視線から逃げずにいる。

 ちなみに汗の原因は冷房を一切効かせていないこの事務所にある。
 空前の常温ブームにあやかって、室内も常温を保つという俺の粋な計らいだ。

「お茶をどうぞー」

「……どうも」

 お客様用の少し高い麦茶を運んできた胡桃沢君に、植松君は年齢相応の照れを見せながら受け取っていた。
 尚、氷なんて無粋な物は入れていない。
 そりゃ常温ブームなんだもの、必然だ。

「具体的には、どんな死神が必要なのですか?」

 その麦茶を飲み干した頃合いを見計らって、俺は敢えてそう問いかけた。
 死神を欲している理由は聞かない。
 これもまた、探偵としては必然だ。

 日本には子供が大人に相談できる機関が山ほどある。
 その多くは無料で、しかも真摯になって対応してくれる所が殆ど。
 今も昔も政治不信は相変わらずだけど、行政サービスについては世界有数だと勝手に思っている。

 そんな環境にありながら探偵をチョイスした時点で、訳アリなのは間違いない。
 理由を聞くなんてのは野暮であり愚行。
 彼を一切傷付けず、望みだけを具体的に聞き、それを可能な限り叶えてあげるのが、選ばれた者の宿命――――そして報酬を得る唯一の方法だ。

「……欲しいのは。……この僕に。……"死の意味"を教えてくれる。……そんな"死神"」

 けれど正直、苦労しそうな予感はしている。

 この独特な間。
 そして、話す度にいちいち口を手で覆う仕草。
『割れ物注意』の透明なラベルが貼られてある相談者なのは間違いない。

「……"死の意味"を。……知りたい。……"死"とは何か。……"死"を"司る""存在"ならば。……或いは」

「うわぁ」

「胡桃沢君!」

 思わず声を出してしまった迂闊な助手を威嚇で黙らせつつ、植松君と改めて向き合う。

 眼球の動きにこれといった特異点はなし。
 リストバンドの装着もなく、両手首には傷一つ見当たらない。
 首から肩にかけての筋肉にも、強張りは確認されない。

 そういった所を一通り観察し終えた俺は、心の内で小さく息を落とした。

「それなら、死神じゃなくても構わないですか? 死の意味を教えてくれる存在なら」

「……例えば?」

「今、貴方の目の前にいる人間。死を司ってはいないけど、死を語る事は出来るかもしれません」

 彼の好みそうな言葉をチョイスしてみたつもりだった。
 幸い、好感触。
 案の定、植松君はコクリと頷き、俺の話に耳を傾ける意思を示した。

「……探偵さん。……貴方にとって。……"死"とは。……何ですか?」 

「私にとっては不可侵領域を意味します。恐らく、多くの人にとってもそうだと思います」

「……"不可侵"。……"領域"」

 少年の顔が真剣味を帯びる。
 どうやらお気に召したらしいので、話を続けよう。

「死を語るには、生を語る必要があります。何故なら、死と生は同質のものだからです」

「……"反目"ではなく?」

「はい。死と生は同一線上にあるものです」

「……"同一線上"。……続きを」

 意識的なのか無意識なのか、植松君はいつの間にか身を乗り出している。
 それをどう解釈すべきか頭の中で咀嚼しつつ、俺はこのノープランの会話劇を何処へ落とし込むか懸命に考えていた。

「生を授かった人間には、その命を全うする責務があり、その有限たる過程で幸福や安寧を追求する権利を持ちます。誰もが呼吸するのと同じように、無自覚であっても実践する人生の歩み方です。けれども、例えば大病を患って永遠には生き続けられないと悟った時――――果たして同じような生活が出来るでしょうか?」

 終活。
 クオリティ・オブ・ライフ。
 死への準備教育。

 折節に誕生するこれらの言葉が、実際には困難である事の証明でもある。

 自分がもうすぐ死ぬ。
 この世から消えてなくなる。
 今、当たり前に映っている目の前の景色が消失し、思い描いている頭の中の何もかもが無に帰す。

 理屈でこれらの事柄を理解するのは容易だし、就寝時や気絶体験を重ね合わせ、漠然と死の感触を想像している者も少なからずいる。
 けれど本質とは程遠く、死はそれらの体験とは別のフェイズにあると考えなければならない。

「出来ませんよね。なら、そこには確実に死の意味が存在する。よって、それを知るにはまず生の終着点を知る事。そこが始まりです」

「……"生の終着点"。……僕にわかるでしょうか」

「わかります。誰もが一度は覗く深淵です」

「……"深淵"もまた。……等しく見返すのですね」

 最近やたら色んな所で睨めっこするようになった深淵は兎も角として、人間の死にまつわる探求は古今東西を問わず、様々な分野で行われている。
 それは科学的アプローチだけではなく、宗教や精神論、果てはオカルトに至るまで、その成果と称する教訓に関しても枚挙に暇はない。

「人間は見えないものに惹かれます。その好奇心が『死後の世界』と称した、ある種のファンタジーを求める。万国共通の、人間ならではの気の利いた逃避です」

 善行を積めば天国へ行って幸せに暮らせる。
 無念が残っていると魂が成仏出来ず見えざる姿でこの世を彷徨う。

 これらは全て、死を体験していない未経験者達が理想や願いを込めて信じる架空のストーリーであって、正しいか否かの直接的な判定は不可能。
 死が生命兆候の停止である事に異論の余地はないが、死後については誰であろうと立証出来ないのだから、せめてそこには現実ではなく理想や願いを反映させても良いのではないか、といった『夢』に近い思想だ。

「だから、死の本質や本来の意味を知るには、生の終着点を自覚する必要があります。自分がいつ死ぬか、どんな原因で死ぬのかを理解し、そこで初めてファンタジーから解放され、正しく死を捉える事が出来るのです」

「……ならば。……"死の意味"とは」

「不可侵領域です。私はまだ、自分が死ぬ理由を知らないので」

 もし知れば、違う答えになるだろうけど、現時点ではそこまでしか言えない。
 果たして納得して貰えただろうか。
 そんな俺の不安を、植松君の揺るぎなき瞳は映し出して――――いなかった。

「……"死"を"司る""死神"なら。……僕に"死の意味"を教えてくれる。……そう思ってました。……それがわかるのなら。……"デスサイズ"で"魂"を刈り取られても構わない。……と」

 耳を傾けては貰えたが、納得しては貰えなかったらしい。
 彼の表情には依然として覇気がない。
 依頼人にこんな顔をさせるようじゃ探偵失格だ。

「植松さん。貴方は死神の姿を目で捉える事が出来ると思いますか?」

 その失望から逃れるように、少し野暮な、でも必要な質問を依頼人に投げかけてみる。
 答えは――――

「……視えます。……僕なら、視える。……この"眼"はその為にある」。
 
 多少癖のある物言いだけど、要は自分だけが見えると言わんばかりの内容。
 だったらどうして俺に……どうして探偵なんかに見つけて欲しいと請う?
 彼は一体――――俺に何を欲しているんだ?

「……探偵さん。……最後に一つ質問良いですか?」

「はい。承ります」

「……"死神"は。……どんな姿をしていると思いますか?」

 それを俺に問うか――――?
 
「……………………ふふっ」 

 胡桃沢君が口元を手で覆い、必死に笑いを堪えている様子が視界の隅に映った。
 彼女はあとでお仕置き決定。
 助手としての自覚のなさに嘆きつつ、その一方で答えを模索した。

「きっと、人の形をしていると思いますよ」

「……そうですか。……ありがとうございます」

 特に感情を動かすことなく、反応は淡々とした礼のみ。
 これもまた、彼の心を掴む返答とはいかなかった。
 ……強敵だ。

「……今日はこれで失礼します」

「もう宜しいのですか?」

「……はい。……探偵さん」

 植松君の顔に、納得感や満足感は微塵もない。
 ただ空虚なだけの表情をそのままに、彼は落ち着いた口調で今日最後の声を俺に届けた。

「……真剣に受け止めてくれて感謝します」

 


 その後、『死神を見つけ出して欲しい』といった訴えすらしないまま、植松君は事務所をあとにした。

 もしかしたら……失望させてしまったのかもしれない。

 彼が何処に住んでいるのかは、まだ正式に依頼を受けていない相談の段階とあって、敢えて聞いていない。
 だから彼がここへ来るのにどれだけのコストを支払っているのかはわからないけど、少なくともそのコストに見合うだけの収穫は得たかった筈。
 それなのに、何も依頼しないまま帰ってしまったのは、俺から得られるものはないという結論に至ったから……という線が濃厚だ。

 仮にそうなら、正直ショックだ。
 一応連絡先だけは控えておいたけど、果たして再会する日が訪れるのか……

「結局、中二的な会話がしたかっただけ……なんでしょうか? 私の悪い予感が当たらなかったのは良かったですけど」

 そんな相談者の残像を眺めていた俺を尻目に、桃沢君は涙目で込み上げてくる笑いを噛み殺していた。
 実際、彼女がそう解釈するのも無理のない話。
 でも俺の心証は違う。

「そういうお年頃っていうか、やっぱり男の子って『死神』とか『世界樹《ユグドラシル》』とか『ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の背負いし業)』みたいなのに憧れる時期ってあるんですね」

「かもね。探偵もある意味、中二病を具現化したような存在として描かれる事あるし、他人事じゃないな」

 そう適当に答えながら、俺はというと自分のパソコンと睨めっこなどしていた。
 回線は光でも、三世代ほど前のパソコンで、しかも当時の標準より遥かに下回る安物の場合、どうしても表示速度は遅くなる。
 ま、それでもスマホの小さい画面よりは見やすいけど。

「所長? さっきから何探してるんですか?」

「決まってるでしょ。依頼人の彼に満足して貰える方法だよ。このままじゃ探偵の名折れだ」

「って事は、死神を探してるんですか? 良い感じにダークなイラストとか」

 いや……俺が探しているのは死神であって死神じゃない。
 死神を特定する為の下準備。
 それを出来る環境だ。

「投稿への返答でも書いたけど、彼の言う死神と、俺達の思う死神が同じとは限らないんだよね。その溝をなんとか埋められないかと思って……」

 そう解説しながら検索を進めていると、とある一つのサイトが目に付いた。
 これはいい。
 よし、決定。
 
「胡桃沢君。俺、今日から一泊二日で出張ね。明日は事務所来なくて良いよ」

「出張……!? 出張なのにどうして私が一緒に行かないんですか!?」

「いや、理由とか目的とか行き先とか、他に幾らでも聞く事あるでしょ。敢えて言えば、そういう君だからお留守番なの」

「酷い! 所長と初めての旅行だってドキドキワクワクしてたのに!」

 絶対嘘だろ。
 どこにそんな感情を抱く暇があったんだ。

「生憎、ウチは融資とか全然受けられない類の事務所だから、二人分の出張費なんてないの。俺でさえ今後の食費を削る覚悟なんだから」

「これ以上どう削るんですか……? 所長のここ一週間の食費、300円くらいですよね。トータル」

「300円あれば素麺が二パック買える。それを渋々一つにするのさ」

 こうなったら、ゆで汁をメニューに加えるしかあるまい。
 そんなフレキシブルな対応も、探偵には時に必要だ。

「……所長ってたまに素麺万能説唱えますけど、炭水化物と脂質とタンパク質しかないですよ、あの乾き食材」

「素麺を馬鹿にするなよ!? ビタミンとミネラルもほんのちょっぴりあるんだからな!」

「うわぁ」

 女子高生にドン引きされる案件が発生したものの、持論を変える気はない。
 素麺は万能だ!

「それはいいとして、結局どこに行くんですか?」

 帰り支度を始めながら、『お土産買って来て下さいね』という言葉を暗に潜ませたような微かに甘いイントネーションで問いかけてくる助手に対し、俺は暫く返答に迷った挙げ句――――

「多分、天国か地獄」

 最も適切な言葉に辿り着いた。








  前へ                                                      次へ