「――――それでは皆さん、これからこのバスは天国へ向けて出発致します。どうか素敵な旅となりますよう」

 スレンダー体型のツアーコンダクターの女性が発した言葉を合図に、バスが緩やかな速度で走り出す。
 俺はというと、そのバスの中で一人窓の外を眺めながらも、頭の中には別の景色を広げていた。

【最期の旅】

 そんな名前の、合宿型のツアーが存在する。
 マイナーではあるものの、20年以上の歴史を持つ国内旅行プランだ。

 名前は物騒だけど、別に自殺志願者を集っている訳でも、怪しげな宗教団体が母体って訳でもなく、大手旅行会社が企画した真っ当なツアー。
 参加者は『大病を患い余命幾ばくもない』という設定で、人生最後の一人旅を体験する……といった主旨で行われている。

 俺は今、その『最期の旅』に参加している最中だ。

 このツアーに参加した人には最初に、一冊のノートが配られる。
 今流行のエンディングノートじゃなく、『ディアノート』と言うらしい。

 そのノートは何も記されておらず、全ページが白紙の状態。
 参加者はここに『自分の人生を形成する大事なもの』を全て書き込むように言われる。

 親、子、兄弟、伴侶、友人、仲間、好きな物、熱中してきた事、集めているコレクション、過去の栄光、仕事での実績、学生時代の思い出……形の在るものも無いものも、思い付く限り洗い浚い書く。
 移動中にも、思い付いたら次々に書き足していく。
 もうすぐ死を迎える際の、自分の人生を振り返るという行為を疑似体験する為のものだ。

 俺には、大事なものはそれほど多くはない。
 今の事務所、助手の胡桃沢君、世話になっている町長とその娘、探偵を生業とする中で世話になった数名、子供の頃に飼っていた犬のキャウ……このくらいだ。
 俺の人生は、たったの一ページで構成されている訳だ。

「まずこれから向かいますのは、終末医療を行っているホスピスと呼ばれる施設です。そこには皆さんと同じように、余命宣告をされた方も大勢いらっしゃいます。そんな方々と触れあって、思いを共有してみて下さい」

 ツアーコンダクターから逐一説明があるけど、既にこの後の段取りについては一通り把握済みだ。

 ホスピスの次は墓の下見。
 その後は提携している寺に行って坊さんの話を聞き、見晴らしの良い場所で昼食をとり、午後からは自由行動。
 スマホは極力使わずに過ごすようにとの事だ。

 そして翌日の朝、自由参加のミーティングを実施。
 ディアノートを見せ合ったり、自分がもうすぐ死ぬという仮想現実の中で過ごした一日について他の参加者に話したりして、お互いが感じた事を共有する。
 それでこのツアーは終了だ。

 俺以外の参加者は三名。
 中年女性が一人、高齢の男性が一人、そして若い女性が一人。
 若いといっても俺よりは大分年上で、恐らく20代後半と思われる。 

 中年女性は恐らく、看護士か介護福祉士。
 動けない患者を世話する人の特徴である、二の腕の太さが推理の決め手だ。

 高齢の男性は血色も良く、肉付きも良い。
 病気持ちではないようだ。
 腕時計をしているあたり、教師の可能性が高いと見た。

 若い女性は……これといった決め手が何もない。
 ほんの少し茶色がかった長い髪は艶やかで、死を意識しているような人生観は外見からはうかがえない。
 所帯じみた様子もなく、結婚指輪はしていないから、独身だとは思うけど……ま、こんな推理をしたところで何の意味もないか。

 さて。
 俺がこの少々特殊なツアーに参加したのは、植松君の相談を契機に死について本気出して考えてみたから……じゃない。

 彼の真意を暴く為だ。

 探偵は、依頼人の願いを叶えるのが仕事。
 依頼人が死神を所望しているというのなら、例えそれが架空の存在だとしても、依頼人が『これは確かに死神だ』と納得する何かを見つけてきて会わせる。
 それが正しい探偵の姿――――現代の探偵の成すべき事なんだろう。

 探偵がそうであるように、死神もまた、一つのパブリックイメージに支配されている存在だ。
 大きな鎌を持ち、黒装束に身を包んだ髑髏。
 最近は二次元分野での登場が多く、その場合は美しい女性や禍々しい顔のバケモノである事が多いようだ。

 植松君がどんな死神を希望しているのか、彼との会話から推し量る事は難しい。
 何故なら、彼は俺に死神の姿を問いかけて来たから。
 彼の中に確固たる死神像が存在しない証と言える。

 だとしたら、俺の方で彼の思う死神を見つけなくちゃならない。
 そう思い至り目を付けたのが、この『最期の旅』だ。

 死神の定義についてはよくわからないけど、植松君は執拗に死の意味を知りたがっていた。
 だとしたら、それを教えてくれるのが、彼にとっての死神。
 ならばその死神は、人の生死を誰より理解している存在……って事になる。

 ――――死を目前に控えた者達による最後の旅行。
 そこにはきっと、現代の死神がいる。

 そんな思いで参加してみた……ものの……

「へぇ、アンタまぁ、そんな血色良い顔して糖尿病! そりゃまた難儀だねぇ」

「そちらさんは女性なのにロッククライマーかい。まあ死と隣り合わせだからなあ。こういうツアーに来たくなる気持ちわかるわ」

「っていうか、いつ死んでもいいように心掛けしとこうって思ってなぁ」

「考える事は一緒だなあ」

 中年女性と高齢男性の会話が、俺の心を早くもアイスピックのような鋭さで抉ってきた。

 だから推理は嫌いなんだ!
 現実はいつも探偵を裏切る。
 推理した事がビシバシ当たるなんて、夢物語か幻想に過ぎないのよ、いやホントに。 
 
 それは兎も角、あの二人は死について他人に教示するようなタイプじゃなさそうだ。
 だとしたら、早くも死神候補は一人に絞られてしまった。
 もし、あの若い女性が『良くわからないけどノリで参加してみました〜』って感じの人だったら、開始三分で徒労と無駄遣いが確定してしまう。

 ……よし!
 もう少ししてから話しかけよう。

 大枚はたいて参加したツアーが一瞬で無駄骨になってしまうのは、正直気が引けるよね。
 人間ってそんなに強く出来てないからね。

 そんな後ろ向きな決断を下し、頭を切り換える目的でディアノートと改めて向き合った。

 ……もし。
 もしも今、ここでバスが事故でも起こして死ぬ事になったら、俺はここに書いてある大事な存在を全て一瞬で失うのだろう。

 それはいい。
 死ぬってのはそういう事だし、誰もがその宿命からは逃れられないと納得出来るから。

 けど、もしここに書いてある人達全員に、何らかの迷惑を掛けてしまう状況になってしまうとなると……ちょっと心苦しい。
 例えば香典を包むだけでもかなりの出費だし、根無し草である俺の葬式は喪主を決めるのさえ一苦労しそうだ。
 特に、胡桃沢君には相当な負担を強いてしまうだろう。

 俺の死後、はざま探偵事務所を胡桃沢君が継ぐというのは考え難いし、そんな話は当然した事もない。
 だけど、万が一彼女がそんな愚かな選択をしてしまったらどうする?

 探偵なんて、進んでなるような職業じゃない。
 人生を捨てるようなものだ。
 俺みたいな捻くれた人生を歩む捻くれ者じゃないと……

 ……ああ、成程。
 死について考えるってのは、こういう事か。
 だとしたら、一応金額分の成果は既に得ているのかもしれない。

 俺はそう自分を納得させ、再び自分の死後についての考察を始めた――――

 


 翌日。
 死についてアレコレと考える一日を過ごした影響か、妙に疲労感漂う気怠い朝をビジネスホテルの一室で迎え、あらためて非日常を実感。
 欠伸を噛み殺しながら、スマホの電源を入れる。

 気疲れはしたものの、昨日はそれなりに充実した一日だった。

 ホスピスでは余命僅かという患者の皆さんと会話し、彼等の強さと命の儚さを知った。
 墓場では自分の好みの墓石を探し、終の棲家についても考えさせられた。
 寺の坊さんは死生観についてユーモア混じりに語っていて、楽しく学ばせて貰った。
 
 そして極めつけは、その後の自由時間。
 旅行なんだから、本来は知らない街を好奇心旺盛モードで歩いてみたりするものだけど、とてもそんな気分にはなれず、重苦しい空気を引きずるようにしてこの部屋で過ごしていた。

 ビジネスホテルらしく、薄暗い照明の室内は必要最低限の物しかない為、却って考え事には最適な環境。
 結局一度も部屋を出る事なく、スマホの電源を切り、夕食さえも取らず、一人静かに死と向き合っていた。

「……ん?」

 そのスマホじゃなく、部屋の電話からけたたましい着信音が鳴り響く。
 モーニングコールを頼んだ覚えはないけど……

「はい」

「おはようございます、フロントです。朝食は如何なさいますか?」

 ああ、そう言えば朝食付きだったっけ。
 昨日の昼以降何も食べてないから、かなり腹ペコだ。

「頂きます。時間は今からでも大丈夫ですか?」

「はい。併設レストランでご提供致しておりますので、どうぞ御利用下さいませ。時間は10時までとなっております」

 丁寧な応答に感謝しつつ、電話を切る
 きっと他の参加者も集まって、そこでミーティングの打ち合わせでもするんだろう。
 久々にまともな食事にありつける喜びもあって、俺は胸躍らせながらレストランへと向かった――――

「……解散?」

 ――――その矢先、耳を疑うような言葉がツアーコンダクターの女性から語られた。

「はい。ここにおられないお二方は、自由行動の途中で現地解散するとのことです」

 俺以外にレストランを訪れていたのは、若い女性の参加者のみ。
 ロッククライマーの女性と糖尿病の男性の姿はない。
 つまり、彼等が現地解散を希望したって事になる。

「それって……アリなんですか?」

「その後連絡が途絶えましたので、こちらとしても対処のしようが無いというか……する気にならないというか」

 ツアーコンダクターの女性は何故かキレ気味だった。
 何か不快な事でも言われたんだろうか。

「お二人でホテル街に消えたとの目撃情報がありまして」

 えぇぇー……

「申し訳ございません。朝っぱらから初老と中年の穢れた意気投合の話なんて聞きたくもなかったですよね。私もです」

 真面目な主旨のツアーだけに、コンダクターの複雑な心境は推して知るべし。
 最初から異性との出会いが目的だったとしか思えない。
 いい歳してよくやるよ。

「そういう訳なので、明日の早朝ミーティングは狭間様と早川様のみとなります。もしどちらかが参加を辞退なさる場合、自動的にミーティングは中止となります」

 早川という性だと判明した参加者の女性は、サラダメインの朝食に殆ど手を付けないまま、じっと俯いたまま動かずにいる。
 彼女は昨日から終始こんな雰囲気だ。
 声を掛けようと努力してみたけど、対人バリアの分厚さに阻まれ、結局声さえ聞いていない。

「早川様、如何なさいますか?」

「辞退で」

 そんな相手にいきなりフラれたみたくなってしまった!

 ……いやね、わかるよ。
 素性も知らない遥か年下の男とディスカッションとかしたくないのはわかるよ。
 でもぜめて、少しくらい逡巡するとか、こっちの意見を聞くとかして欲しかった。

「承りました。では狭間様、そういう事で」

「……はあ」

「落ち込まないで。ふぁいと」

 だからフラれたみたいにするな!

 久々の小旅行で得た物はそれなりに大きかったけど、なんか地味に嫌な思い出になってしまった――――

 


「あの、さっきはごめんなさい。勝手に断っちゃって」


 ――――と、帰りの長距離バスの中で本ツアーを締め括っている最中。
 意外にも、早川さんがわざわざ俺の方に近付いて来て、謝罪をしてきた。

「いえいえ。気にしていませんから。大丈夫ですよ」

「ならよかった。ね、少し話さない?」

 更に意外なことに、お誘いを受けてしまった。
 職業柄、年上の女性と話す機会はかなり多いんだけど、こんなフレンドリーに接触を試みて来られたのは史上初だ。
 そしてやっぱり職業柄、素直には喜べず、何か裏があると真っ先に勘繰る自分がいる。

 何らかの宗教の勧誘?
 それとも骨壺の押し売りとか?
 最近はお墓の天災保険なんてのもあるらしいけど、まさかそれか……?

 ……ま、ないか。
 それだったら初日からもっとグイグイ来ていただろうし。

「いいですよ。俺で宜しければ」

「それじゃ、そこ座っていい? お邪魔しまーす」

 こっちの返事を聞く前に、早川さんは対面座席に腰を下ろし、穏やかに微笑んだ。

 さっきまでの印象とはかなり違って、妙に気さくで明るい。
 でも顔はやつれ、目の下には濃いクマが見える。

「ミーティング、した方がよかった?」

 空元気なのは火を見るより明らか。
 でもそれを指摘するのはマナー違反だろう。

「いえ、それが主目的じゃなかったので問題ないですよ」

「よかった。なんかスゴくショック受けてるみたいだったから」

 それは主にツアコンの所為です。

「ディアノートだっけ、あれ見せるの抵抗あったんだー。でもこういうツアーに参加して、自分なりに色々と考えたのに、それを自分の中でだけで終わらせるの、やっぱりなんだかなーって。ホラ、あの二人がいなくなってバスの中が静かになったでしょ? なんか色々考えちゃうんだよね」

 ……えらくまた饒舌になったもんだ。
 というより、こっちが彼女の本質なんだろうけど。

「なら、今からここでプチミーティングでもします? ノートは見せずに、軽く会話する感じで」

「うん、迷惑じゃなければ」

「とんでもない。それじゃ、コンダクターの人に確認を……おい」 

 ツアーコンダクターは、寝ていた。
 それはもう、心の底から幸せそうな寝顔だった。

「なんとなくそんな雰囲気あったけど、あの人もしかして社会的にダメな人なんじゃ……」

 早川さんも俺と同じ感想を早々に抱いていた様子。
 ま、コンダクターの了承は別になくてもいいだろう。
 これはあくまで単なるバス内の雑談だ。

「それじゃ勝手に始めよっか。狭間君、君はどうしてこのツアーに参加したの?」

 俺の苗字を覚えてくれていたらしい。
 こういうの、地味に嬉しいよね。

 胡桃沢君、聞こえてるか。
 こういう事だよ、胡桃沢君。
 ハリボテの人工個性とかじゃなくて、存在価値ってこういう事だよ。

 ……それはさておき。

「俺が参加した理由は、『死神を探す為』です」

 ここは敢えて隠さず、ありのままを話す事にした。
 その方が収穫を得られるという判断だ。

「……え? あれ? もしかして君ってヤバい人……」

「じゃないですよ。正確には『死神に会いたがってる依頼人の願いを叶える為』です。そういう仕事をしているもので」

「ど、どんなご職業なの? っていうか、学生さんじゃなかったの?」

「探偵です。こういうのも探偵の仕事なんですよ」

「……へぇー。そうなんだー」

 半信半疑……いや、ほぼ信じていない顔だ。
 それでもいい、寧ろその方がいい。
『探偵ならなんか推理してー』とか言われるよりずっとマシだ。

「死神と言っても、実在する訳じゃないので、当然その代替案を模索する必要があります。そこで、死について俺よりも遥かに叡智に富む人物を探す為に参加しました」

「あ、そういう事。じゃあ死神についてのお話を聞く為に参加したの?」

「そんなところです」

 実際には違うけど、敢えてそこまで正直に語る必要はないだろう。

 植松君の願いを叶える為には、彼の思う死神の正体だけじゃなく、彼がどういう理由で死神を欲しているか、死の意味を知りたがっているか――――それを正しく把握する必要がある。
 彼の言動から推察する事は出来るだろう。
 でもそんな材料の少ない推察じゃ、高い確度で答えを導き出すのは無理だし、あれこれ詮索されるのは本意じゃないだろう。

 推理は金にならない。
 金になるのは――――依頼人に満足して貰えるのは、情報を積み上げて行う洞察だ。

「早川さん、でしたよね。早川さんはどうしてこのツアーに?」

「……」

 一通り答えたところで、今度はこっちが聞き手に回る番と思い投げかけた質問に対し、彼女の返答はない。
 でも、聞かれたくなかったらそもそも俺に話しかけては来ないだろう。
 ここは彼女の気持ちの整理がつくまで待ちの一手だ。

 バスは忙しなく揺れながら、俺達の住む街まで無表情で進んでいる。
 そう言えば、このバスは天国行きだったな。
 ならこのツアーの最終的な目的は、死について考え、考え、考え抜いた参加者が日常へ戻る時の開放感や安堵感にあるのかもしれない――――

「男にフラれたから」

 そんな事を考えていた俺の耳に届けられたのは、思いの外俗っぽい内容だった。

「結婚一週間前に」

 ……訂正。
 思いの外ヘビーな内容だった。







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