"アマルティア"と呼ばれる、元花葬計画の研究者達は、社会的には既に立ち直り難い人々だった。
花葬計画の凍結に伴い、彼等は全てを取り上げられただけでなく、決して口外してはならない国家機密を所有した厄介者だったからだ。
計画の中核を担う生物兵器の研究は、全て資料として纏められている――――とは限らない。
だから彼等を口止めと称し全滅させるのは、国家にとって痛手になりかねない。
万が一、メトロ・ノームの外にアマルティアが他国へ流れ、エチェベリア国が水面下で禁忌の実験を推奨・斡旋していると知られたら、極めて厄介な事になるだろう。
そして、アマルティアの方も自分達が国家にとってどのような存在なのかは十分に把握していた。
だからメトロ・ノームで暮らす決意を下した。
荒野の牢獄と称されるように、この地下は牢獄の中のように不自由ではあるが、同時に牢獄の中のように安全でもあるからだ。
出入り口さえ封鎖してしまえば、外部からの侵入は困難。
封術士はこの世界には極めて少なく、仮に封術を解く解術の使い手を用意したとしても、待ち伏せされて殺されでもしたら大損失となる。
そのリスクもある為、おいそれとメトロ・ノームには手を付けられない状態になると、アマルティア達は読み切っていた。
だが、彼等は深刻な問題を抱えていた。
食料の調達だ。
メトロ・ノームには豊潤な大地も日光も存在しない。
家畜を飼える筈もなく、自給自足は絶望的な環境。
地上の支援者は必須だったが、自分達で探すのは困難を極める。
彼等に選択肢はなかった。
申し出をしてきた人物に縋るしかなかった。
アマルティアには交渉のカードが幾つかあった。
例えば、勇者計画と花葬計画の全容。
これもまた国家の恥部であり、少なくとも他国にとっては美味しいネタとなり得る。
ただ、機密を流出させてしまえば、流石にリスク云々を理由に自分達を放置したままにする訳にはいかなくなる。
国家機密レベルの情報の漏洩は避けなければならない。
幾ら弱みを握っているといっても、国家が本気になれば数百の民など瞬時に壊滅させられるのだから。
「故に、彼等は制限付きのカードを何枚も持っている状態だったのです。それは交渉の際に見せつける事は出来ても、実際に切る事は出来ない。となれば、使い道もないように思われますが……実は案外そうも言い切れないものです」
クラウ=ソラスの呼吸は徐々に整いつつある。
彼が息を乱している理由は――――階段を降りたから。
ただそれだけだ。
クラウの心肺機能は絶望的に低下していた。
「交渉というものは、一つ突破口があれば、それ以外のカードは全て表にする必要はないのです。『こういう事も出来る』『それも知っている』と思わせるだけで、成立のメリットと思わせる事が可能。『これを知っているのならあれも知っているだろう』といった具合に、相手の思考を連鎖させるのがコツですな」
「なら、此方の知り合い"だった"人達は、何を突破口にしたのかな」
アルマは他人事のように問う。
実際、彼女には何ら実感がない。
アマルティアと呼ばれていた人々との接点も、そのぬくもりも、自分が『星を読む少女』と呼ばれ、希望の光とされていた事も。
何ひとつとして、アルマは覚えていない。
「無論、我々がこれから向かおうとしている場所、ですな」
「地下の地下って所に何があるんだろうね」
「恐らく何もありませんな。ですが、その場所には重要な意味があり、そこにアルマ様が行く事で意味が具現化されるのです」
クラウは、院内の地下通路にメトロ・ノームの更に地下にあるエリアへと通じる階段があるのを知っていた。
彼はヴァレロン新市街地については知り尽くしている。
それだけの時を生きてきたからだ。
「どうしてそれを、貴方が知っているのかな」
素朴な疑問だった。
アルマは何も知らない。
少なくとも、今自分が何をさせられようとしているのかも、全く知らない。
それでも彼女は、反抗する事なくクラウについて行っている。
不思議な感覚がアルマの中にあった。
元々、他者を積極的に疑う習慣はないが、心を開く事も滅多にない。
クラウに対しても例外ではなかったが、彼が自分に敬意を示し続けている事に、違和感や嫌悪感は懐かなかった。
「私にとっては"彼の地"は親のようなもの、です故に」
「……親って、人間を指すものだと思うんだけどね」
「そうでない者もいるのです。出自は様々、そして生きる道も人それぞれ。そこに宿命があるとして、それをなぞるのも一興。背くのも一興。だからこそ世界は素晴らしい」
「よくわからないよ」
「ふむ。色んな人間がいて、色んな考えがあるからこそ、他人に興味を持ち、時に感化され、刺激を受け、好意を抱く……そういった話ですな」
「それならわかる……かな。なんとなくだけどね」
印象論で煙に巻かれたような感覚は、相互にあった。
尤もクラウにとっては、それはそれで構わなかった。
彼は今、アルマと会話する事――――そこに価値を抱いている。
「アルマ様は、心を動かされた人物はいますかな?」
不思議な問いだった。
果たして今、この状況に相応しい質問かといえば、とてもそうは思い難い。
ただ、アルマはそうは思っていなかった。
「……どうしてだろうね」
彼女もまた、その事を頭に浮かべていたからだ。
最初に感情を強く揺さぶられた相手は、女性だった。
その人物は、『この地下に夜が欲しい』と言ってきた。
アルマは自分の力の範囲内でそれが可能かどうか模索し、空間管理の魔術を応用し、空間と永陽苔との干渉を封じる事で、その依頼に応えた。
女性は、成果をあげたアルマに最大限の賛辞を与えた。
そして同時に、アルマに生活を与えた。
衣食住、何も困らずにメトロ・ノームで生き続けられたのは、彼女の支援があってこそだった。
――――支援?
それはいつ、誰に行われたのか?
『必ずそのコは貴方がたの希望になるから』
これは……誰に言った言葉だった?
「顔色が優れませんな。今の事は一旦忘れるのをお薦めします」
クラウの言葉は温かかったが、従うつもりはなかった。
アルマは一つ深呼吸し、再度記憶に潜ろうとする。
だが、余りに断片的に浮かんでいるそれらの欠片は、手がかりにさえならない。
幼い頃の記憶など、それくらい曖昧なのが常。
アルマもそれは理解している。
だが――――
「もう少し階段を下れば、自ずと答えは出るでしょう。だが一度に"戻れば"混乱は必定。少しずつ慣らしていきましょう。今度はもう少し安心出来る記憶を辿っては如何ですかな」
安心。
すなわち信頼。
その言葉に、アルマはもう一人の心を動かされた人物を思い浮かべていた。