瀕死の状態でも尚、アルベロア王子は気を失う最後の瞬間まで、フェイルに訴え続けていた。
自分を刺したファオの事にも、自分を裏切ったに等しいスティレットやビューグラスの事にも一切触れず、ただそれだけを。
国の為、王族である自らの責務の為、永遠に居座ろうとする怠惰の王を滅ぼしたい。
そういう使命感もあっただろう。
だがそれ以上に、子としての意地と反骨心が彼を突き動かしていたのだろうと、フェイルは感じ取っていた。
親子の情はこの世の何よりも確かなもの――――そういう無神経な風潮は、親から愛情を貰っていない子にとっては重荷でしかない。
フェイルも、アルベロア王子も、長きにわたって苦しめられてきた。
だからわかる。
わかってしまう。
彼が自分に託してきた事の重みと無念が。
こうなりたくてなった訳じゃない。
愛せるものなら愛したかったし、愛されたかった。
愛されなかったのは、自分に原因があるのではないか。
そんな自問自答の日々すらも、足枷となり続けていた。
「僕が、やらなくちゃいけない事なんだ」
誰の足枷でもない。
自分の足枷を砕く為、フェイルはもう決断を下していた。
――――国王の暗殺を。
「そんな事ありません! フェイルさんには関係ないじゃないですか!」
いつになく、誰よりも感情的になっているファルシオンが、必死の形相でフェイルに詰め寄る。
先程までファルシオンと言い合っていたアニスでさえ、その姿には驚愕と戸惑いを覚えるほど。
「貴方は少しの間だけ王宮にいた、それだけの人です。王族との関係なんてないに等しいじゃないですか。貴方は思い上がってます。目を覚まして下さい。貴方は特別じゃありません。大それた事をする人ではないんです。もっと……穏やかな一生を送るべき人です」
「いや、そんな決め付けられても」
「そうなんです! だって貴方は……」
更に距離が近付く。
息が届くほどの距離。
「戦いに勝っても、喜んだりしないじゃないですか」
思わず後退りながら、フェイルは痛い所を突かれたという心持ちと同時に、ファルシオンの観察眼に思わず唸った。
本当によく見ていると心から感心した。
「フェイルさんの幸せは、戦いや殺し合いの中にはない筈です。幸せの為に生きないのなら、何の為の人生ですか? 自分を犠牲にする事を美徳としないで下さい。そんなのは欺瞞です。貴方自身も、貴方を大切に想う人にも、苦痛しか与えません」
詰め寄りながら、ファルシオンは悲痛な顔でフェイルを表の世界に留まらせようとしている。
事情を知らないアニスも、彼女の必死さから感じ取るものがあったらしく、黙って事の成り行きを見守っていた。
「わかりますか? 貴方が今しようとしている事は、アニスさんを必ず傷付けるんです。彼女だけじゃありません。貴方がこれまで携わって、今も貴方との関係を大事にしている人みんなを傷付けます」
「それは……」
「私もです」
反論する間も与えない。
なりふり構わず、ファルシオンはフェイルの衣服を掴み、涙の滲む目でその顔を睨み付け、言った。
「好きなんです。私の前からいなくなるなんて、そんなの許しません」
まるで――――親の敵に宣戦布告するような告白だった。
「……何か言ってください」
ファルシオンの手が震えている。
けれど、気遣う余裕はフェイルにはなかった。
助けを求めるようにフランベルジュに視線を送るが、威嚇するような顔で拒絶された。
自分の言葉で答えなさい。
もしはぐらかすような真似をしたら、この場で斬り伏せるから。
そんな無言の圧力に、思わず背筋が凍る。
アニスですら、口を挟まずフランベルジュと似たような表情をしていた。
「あー……うん」
人前で告白など、ファルシオンの性格上、決して本意でない事くらいフェイルもわかっていた。
彼女がどんな思いで、言うと決意したのか。
それを思うと、余りにも複雑に気持ちが絡まって身動きできなくなる。
それでも、最終的に勝った感情は――――
「嬉しいよ。凄く嬉しい」
上手には笑えなくとも、紛れもなく本音だった。
「……本当ですか? アルマさんにそう言われた方が嬉しかったんじゃないですか?」
「それはないよ」
ようやく何の迷いもなく答えられる質問が来た事で、フェイルは微かに心を落ち着かせた。
とはいえ、心臓は未だ言う事を聞いてはくれない。
独特の緊張感に襲われたままだ。
過去に人を好きになった事は――――ある。
だがその人は、手紙だけ残し去ってしまった。
会いに行くという選択肢もあった。
探そうと思えば探せた筈だった。
でもそれに時間を割くより、ヴァレロンに戻ってアニスの様子を窺う事、そして治す方法を模索する事を選んだ。
その時からフェイルは、女性を好きになる事が、自分の中で最上位にはないと断定していた。
だから率先して女性を口説いた事など一切ないし、恋愛感情に関して深掘りする気もなかった。
ファルシオンに対しては、ずっと気の合う仲間だと思ってきた。
驚くほど波長が合い、会話は常に流れるような心地よさがあった。
それは、友人のハルや他の親しい人間とは明らかに一線を画した感情だった。
そういう意味では、アルマもまた特別な存在だった。
彼女の為に何かしてあげたいと思う気持ちは、他の人に対するものとは明らかに違っていた。
それがアルマの境遇に対する同情なのか否か。
結局、フェイルはそこもまた深掘りしなかった。
していれば、違う感情が芽生えたのかもしれないが。
「巡り合わせみたいなのは、あるのかもしれないけど……もし僕が誰かと恋仲になって、手を取り合って生きていくとするのなら、その……ファルが良いな、って思ってた」
「……!」
フランベルジュとアニスが目を見開き、顔を見合わせているその前で――――ファルシオンは顔を曇らせていた。
「まるで、その仮定は実現しない、と言いたげですね」
「……夢、だよ」
これから業を背負う。
その覚悟が、フェイルにはもう根付いてしまっていた。
「僕は、リオをあんなふうに扱った元凶をどうしても許せない。放置したまま幸せになんてなれない」
「!」
稲妻が落ちたように、ファルシオンは顔をしかめ目を瞑る。
だが決して目を逸らしていた事ではない。
フェイルより付き合いの長い彼女達が、リオグランテの悲劇を忘れる筈もないのだから。
「リオだけじゃない。国王の私利私欲の為に何人も犠牲になった。何人も人生を狂わされた。国の為じゃなく、下らない強欲の所為で……納得なんて出来ないよ」
そして、このままあの王を放置し続ければ、半永久的に同じ思いをする国民が増え続けるだろう。
けれどフェイルはその大義に甘んじる気はなかった。
自分の為に手を汚す。
自分の業は自分で背負う。
それが最もスッキリする結論だった。
「どうせ僕は今後、一所にはいられないだろうし。適任なんだよ」
「捨て鉢にならないでください!」
「大丈夫、なってないよ」
フェイルは、今にも泣き出しそうなファルシオンの肩に手を置き――――顔を寄せた。
「……え」
ただし、正確には彼女の耳に。
それでも、ファルシオンの顔は真っ赤になっていた。
「次期国王がそう望んでいる以上、王殺しと言っても大罪に問われる事はない。身内って理由でアニスが罪に問われる事もない。それに、どうせ逃亡生活を送るのなら強い味方がいた方が良い。国王暗殺っていう割には、そこまでの大事じゃないよ」
勿論、ファルシオンを納得させる為の方便。
幾ら嫌われている王でも、王宮には穏健派も少なくないし、万が一暗殺がバレたら大変な事になるのは間違いない。
ただ、アニスがビューグラスの元にいる限りは、彼女の安全は保証される。
ビューグラスは花葬計画の首謀者の一人であり、瀕死のアルベロア王子を手当てし治療に向かわせた功労者。
どちらが王の未来でも、アニスに危険が及ぶ事はない。
「それに、アルマさんを人の姿に戻す為には……」
そこまで小声で囁いたところで、廊下から足音が聞こえて来た。
患部の氷を溶かし終えて手術室から出て来たヴァールだ。
「出血量が多い。助かる見込みは薄い」
淡々と、自国の王子の危機を伝える。
そして――――
「もし奴が死んだら、私達は四面楚歌だ。フェイル=ノート、この国を捨てて私と来い。悪いようにはしない」
火に油を注ぎ始めた。