当初から、オートルーリングを巡り険悪な仲だった二人。
その後、何度かの共闘を経て少しは通じ合うものがあったようにフェイルには見えていたが――――
「貴女は……何なんですか?」
そんな積み重ねを一瞬で崩壊させるような勢いで、ファルシオンはかつてない形相でヴァールへと詰め寄っていた。
「わざとですか? 私を苛立たせる為にそんな事を言っているんですか?」
「相変わらず不可解な事を言う女だ。今の何処に貴様を苛立たせる要素があった? 私はただフェイル=ノートを誘っただけだ」
「それが不愉快だと言っているんです!」
最早、最初に出会った頃の面影など微塵もなく、目を吊り上げファルシオンは怒鳴りつけている。
その様子に、一番付き合いの長いフランベルジュさえ驚きを隠せずにいた。
「……あんなファルが見られるなんてね。リオも天国でギョッとしてるんじゃない?」
「そうかも……」
思わずフェイルも納得するほど、その迫力は別人のようだった。
「でも、案外喜んでるかも。リオ、ファルの無表情に少し思うところがあったみたいだから」
「そうなの?」
「私は気にしてなかったけど、やっぱりまだ子供だし、女からムスっとされてるのは嫌だったのかもね。結構私に愚痴ってたのよ。どうすればファルが笑ってくれるかって」
それは愚痴とは言わないだろうと口にしようとしたフェイルは、その言葉を喉元で飲み込んだ。
愚痴と表現したフランベルジュの方が正しいのだろうと思い直して。
「ま、あの子はあの子で余裕がなかっただけなのよね。私達に隠し事したまま旅してたから、気を緩める訳にはいかなかったんでしょ。今にして思えばだけど」
「だろうね。意外と素は喜怒哀楽がハッキリしてるタイプかも」
「そりゃそうでしょー。さっきのあの子の顔見た? アンタに告白した後とか、脈アリっぽい事言われた時とか。アンタ運が良かったんじゃない? あの子が最初からあんなだったら、絶対ここに来る前に大勢の男から言い寄られてたでしょ」
フランベルジュのその冗談で、フェイルは長らく続いていた戦いの日々が終わりを告げ日常が戻ったのを実感した。
内容はあまり同意したくないものだったが。
「で、どうなの。まさかウチの子の一世一代の大告白を断るつもりじゃないでしょうね?」
未だにヴァールと大声で言い合っているファルシオンを横目で眺めながら、フェイルは頬に冷や汗を滲ませていた。
フランベルジュの目は、『もし断るなんて言ったら叩き斬る』と雄弁に語っている。
その隣ではアニスが複雑過ぎる表情で、食い入るように聞き入っている。
迂闊な発言は、積み上げてきた信頼を一瞬で崩しかねない状況だった。
「……無理だよ。巻き込めない」
それでも、フェイルはそう答えるしかなかった。
「全てが上手くいって幸運にも恵まれれば、その……一緒にいられるかもしれない。でもそんな楽観的になれるほど、僕も若くはないんだ」
「貴方、20歳にもなってないでしょ? 何言ってんの?」
「その場の勢いや衝動で好きだから恋人になろう、なんて言えるのは10代半ばまでだよ」
実際には数年前ですらそんな事は一切言えなかったが、フェイルはその言い訳で押し通すつもりでいた。
生まれからずっと、夢を叶えられない人生だった。
弓職人と穏やかに暮らす事も、弓矢の必要性を新たな世界に知らしめる事も、アニスを自分の手で助ける事も、デュランダルの期待に応える事も、何一つとして出来なかった。
だからフェイルは慣れていた。
自分の願いが消えてしまう事に。
消えずに残っていても、見えないフリをする事に。
「はぁ……」
そんなフェイルの何もかもを見透かすように、フランベルジュはこれ見よがしに溜息をついた。
「私だって、見た目はこんなに美人で華やかだけど、恋愛にはあんまり縁がないから偉そうな事は言えないけどさ」
「……そんなふうに自分を思ってたんだ。まあ別に間違ってはいないけど」
「余計な事言わなくて良いから、大事なことだけ言いなさいよ。どれくらいあの子の事好きなの?」
フェイルの顔が思わず引きつる。
まさかフランベルジュ相手に、恋の話をする日が来るなど夢にも思ってはいなかった。
もっとも、その手の相談が出来る相手はこの街には誰一人いなかったが。
「どうなの? フェイル。答えなさいよ」
先程までの表情から一転、アニスまで目を潤ませて食いついてきた。
妹として純粋に兄の恋路を気にしているというより、年頃の女の子特有の好奇心が勝っている様子。
フェイルは、そのアニスを見てようやく彼女の言っていた事――――生物兵器による血を求める衝動が本当に消えたのだと確信した。
今の彼女は紛れもなく、ごく普通の女の子だ。
「……」
だからといって、素直に答えるのは中々難しい質問なのが実状。
思わず口を噤み、自分の感情を整理する。
「っていうか、僕がファルを好きなのは確定なの?」
「さっき完全にそれと同じ意味の事言ってたじゃない。あれで好きじゃないとかあり得ないでしょ? もしそんな事言ったら粉になるまで切り刻むけど?」
「言動がいちいち猟奇的なんだよな……」
「フェイル、はぐらかさないで。ちゃんと答えて」
ここに来て、アニスが更に身を乗り出してきた。
そしてフランベルジュにそっと耳打ちする。
「フランベルジュさん。フェイルはね、まだ私の事を妹って知らなかった子供の頃は、私に夢中だったの。その時の私よりファルシオンさんが好きなのかどうか聞いて。きっとその方がフェイルも答えやすいと思うの」
普段からコソコソ話をするような相手がいない為、声の加減がわかっていないらしく、フェイルには丸聞こえだった。
「あー……フェイル、アニスの全盛期とファル、どっちが好き?」
「全盛期って言わないでよ! ピーク過ぎちゃったみたいじゃない!」
不満顔のアニスがとても楽しそうだったのを見て、フェイルは思わず本音を漏らそうとする。
だがそれは、未だに言い合いをしている二人の方から聞こえて来た声によって強引に止められた。
「お前に、あの男の女が務まるとは思えないな」
――――空気が凍った。
「……今、なんて言いました?」
「戦闘疲れで耳まで遠くなったか、それとも理解力が著しく低下しているのか知らないが、ならもっとわかりやすく言ってやろう。オートルーリングなどという向上心の欠片もない技術に飛びつくようなお前では、あの男にはついて行けない。奴の才能を腐らせるだけだ。大人しく憧れのオートルーリング開発者を追いかけていれば良い」
その発言には、様々な種類の攻撃性が含まれていた。
ある意味では名文とさえ言えるほどに。
「な……なんで貴女にそんな事を言われなくちゃならないんですか。アウロス=エルガーデンを尊敬はしていますけど、彼はあくまで歴史上の偉人です。フェイルさんと並べて語る存在じゃありません」
「向こうが格上と言いたいのか」
「そういう意味じゃないのわかって言ってますよね! 貴女は本当に最悪の女です! もうここから消えてください!」
顔を真っ赤にしながら叫ぶファルシオンは、その一方でフェイルの方を焦るような表情で何度も見ていた。
アウロス=エルガーデンの偉大さを、フェイル相手に何度も熱心に語ったのを思い出しているのは明白。
それを蒸し返されたような状況とあって、完全に平常心を失っていた。
「フェイル=ノート。この女はこう見えて気が多い。悪い事は言わないからやめておけ。それより私の研究を手伝え。そのつもりはなかったが、状況が大きく変わった。お前とは色々あったが、今は認めている。お前は私の相棒に相応しい」
「な……!」
まるで遠慮しない物言いと、大胆な勧誘。
ファルシオンが絶句する中、ヴァールの説得は尚続いた。
「アルマ=ローランを元に戻す最短の道は、お前が私を手伝う事だ。パートナーになれ」
「いや、でも……男女で相棒っていうのも、ちょっと」
「何も問題ない。私は異性としてもお前を気に入っている。私の願いを聞き入れてくれた事に、感謝と敬愛を抱いている」
「え……?」
凍っていた空気が割れ、何かの音が聞こえたような気がして、フェイルは思わずファルシオンの方を見た。
「……」
俯きながら、彼女は禍々しい気を放ちつつ震えていた。
「もう……我慢できない……敬愛とか……何を今更……」
「ファル……?」
「貴女とはここで最後の決着を――――!!!」
取り乱し激昂するファルシオンを、フェイルとフランベルジュが全力で止めようとしたその時――――
「……一体何の騒ぎだ? ファオを逃がしたのを責めてるんじゃねーだろな。そういうの良くないと思うぞ」
疲れた表情のハルが、全く的外れな事を言いながら輪の中に加わった。