くたびれた顔で待合室の椅子に腰掛け項垂れたハルは、切々とガラディーンの容体と、彼のしてきた事について語った。
ガラディーンがこのヴァレロンに赴いたのは国王の命令で勇者計画に参加し、世代交代を大衆に印象付ける事。
そして花葬計画に関して障害となる人物を排除する事。
指定有害人種を殲滅させる役目を負ったデュランダルとは雲泥の差だ。
尤も、裏方に徹する事をガラディーンは気にも留めていなかった。
ただし彼には、壮大な目論見があった。
デュランダルとの真剣勝負だ。
幸い、自身は生物兵器を投与しており、指定有害人種と同等の身体を持っている。
完全に制御出来ている為、厳密には異なるが、デュランダルと敵対する口実にはなる。
自分達はおよそ関与していない、派閥争いに関しても、勝負の為に利用していたという。
斯くして、戦いは実現した。
結果――――デュランダルの勝利。
敗北したガラディーンは右手の指四本を切断された。
「縫合手術自体は成功したみたいだが、動くかどうかは別問題。形を整えただけってのが妥当だな。元々剣聖の称号は返上する予定だったから、構いはしないんだろうが……」
ハルは明らかにショックを受けていた。
父親が敗れた事や、もう聞き手で剣を握れない事が、ではない。
「本人に話を聞いた今でも信じられねえよ。あの堅物が、王様の命令を利用してまで部下を倒そうとしたなんてな。そんなに嫉妬心の塊だったなんて……な」
ハルだけではない。
フェイルもまた、信じ難い気持ちだった。
「デュランダル=カレイラを殺そうとした事を、王様に話すつもりらしい。反逆罪で死刑になるぞっつったんだが……一人の男として考えを変えるつもりはない、だと。なあ、俺はどうすりゃいい?」
縋るような目で、ハルはフェイルを見上げた。
「俺にとって、あいつの存在は身近じゃねーし、母親も俺も放置して仕事に明け暮れてたようなダメ親父だ。結局、母親は隣の国で死んだ。見捨てられたも同然にな。だから別に、あいつが死のうが構わねーんだけどよ。なんつーか……そういう死に方かよ、ってのはあんだよ。オフクロを見殺しにしたテメエが、そこまでして国に仕えてきたテメエが、国に唾吐いた罪で死ぬのかよ。そんなんじゃ、オフクロも浮かばれねーよ……ってな」
「ハル……」
「いっその事、俺が引導を渡す方が良いんじゃねーか……って、思ったんだよ。さっきのお前を見てな」
それが、書なき書庫でデュランダルに止めを刺したフェイルの姿を指しているのは明らか。
ハルの目には、ずっとそう映っていた。
「理由は陳腐だけどよ、『お前がいればオフクロは死ななくて済んだ』みたいなのでも良いと思うんだよ。それで、親父が王様に報告する前に俺が殺しちまえば、誇りくらいは守られるんじゃねえか……って。もう生きる意思のねえ奴に『馬鹿な事すんじゃねえ』っつっても、どうせ聞きやしないんだ」
子供の頃のハルが、父親のガラディーンに何を思っていたか、それは想像に難くない。
そして彼の言葉が、願いが聞き入れられなかったのも。
だからハルは、自分の思いが父親には決して届かないと思い込んでいる。
フェイルには、ハルの述懐が悲鳴のように聞こえた。
「僕が説得してみるよ」
「……お前が?」
「勿論、ハルより僕の言う事を聞いてくれるなんて思ってないよ。でも、師匠を殺した僕だから言える事はある」
既に覚悟は決まっていた。
そこに一つ、新しい理由が加わった。
国王を暗殺する理由が。
「フェイルさん!」
それをいち早く察し、ファルシオンが切なる思いで叫ぶ。
先程までこの場にいなかったハルは、その理由がわからず驚いた様子だったが、既にこの場にいた面々は理解していた。
二人の距離が、みるみる離れていっているのを。
「諦めろ、ファルシオン=レブロフ」
見るに見かねて――――そんなタイミングで、ヴァールが間に立つ。
その漆黒の目は、潤んだ瞳のファルシオンとは余りに対照的だった。
「たまたま陽の当たる場所にいただけで、その男は元々私達寄りの人間だ」
「私だって汚い人間です! 住む世界が違う訳じゃありません!」
「所詮、勇者御一行様だ。貴様の汚れなどせいぜい泥遊び。血が染み付いた痕とは違う」
二人のやり取りを、フェイルは不思議な感覚で聞いていた。
フェイルには、ヴァールがファルシオンを諭しているようにしか思えなかった。
裏側へ来るな、正しく生きろと――――そう言っているようにしか聞こえなかった。
「僕だって、汚れ役を背負うつもりなんかないよ」
だから、思わず口元が綻んでしまう。
自分の感情が弛んでいるのを自覚し、フェイルはゆっくりとファルシオンに近付き――――
「僕も好きだよ、ファル」
「……え?」
目を見て、その場の誰もが聞こえる声で、そう告白した。
「だからファルには、僕に出来なかった事をして欲しい。母親を大切にして欲しいんだ」
「あ……」
絡まって解けなくなっていたファルシオンの感情を、丁寧に一つ一つ解していくように話す。
そして右手を取り、代わりに指を絡めた。
「僕は、育ての親を助ける事も、彼の名誉と生きた証を守る事も出来なかった。だから。頼むよ」
「それ……は……」
ファルシオンにとって、母はこの世の何よりも大切な存在。
フェイルも、ファルシオン本人から話を聞いた事でそう理解していた。
彼女には決して、踏み越えてはいけない線がある。
母親と笑い合っていたいなら。
フェイルは、そんなファルシオンを優しく突き放した。
「大丈夫。僕だってやりたい事をやるんだ。嫌々、仕方なく、なんかじゃない。夢は叶えられなかったけど、叶えられなかったからこそ、巡り会った事だってあるんだよ」
リオグランテの名誉を守る。
デュランダルの生きた証を守る。
アルマとの約束を果たす。
その為に人を殺して良い筈がない。
暴君だろうと人間の屑だろうと、人は人。
人命は尊重する、それが人の生きる道だ。
「だから僕は、僕の信じる人生を全うする」
「……私は、フラれたんですか?」
「勘弁してよ」
笑うしかないフェイルを、悲しませない為にはどうするべきか――――ファルシオンは知っていた。
だから、そうした。
それでも、顔は上げられなかったが。
「……な、なあ、フランベルジュさんよ。俺もしかして、余計な事言っちまったかな」
「別にアンタの所為じゃないけど、タイミングは最悪だったかも」
「マジか……俺、そういうトコあんだよな……フェイル、なんか済まねえ」
ハルが特に悪い訳ではないので、フェイルも苦笑いを返すしかなかった。
「後は、王子次第か。せめてあのナンバー11の医者が生きていればな」
ヴァールが溜息交じりに呟いたように、カラドボルグの腕であれば、瀕死のアルベロア王子を救える可能性はあった。
その意味で、ファオ=リレーは狡猾だった。
ヴァールの追跡も逃れ、今も彼女は逃げ続けているだろう。
彷徨える亡霊のように。
彼女を突き動かしているのは、果たして何の、誰の怨念なのか――――
「フェイル」
物思いに耽っていたフェイルに、フランベルジュが歩み寄る。
その顔は、澄んだ湖のように穏やかだった。
「ありがとう。ファルを大事にしてくれて」
「……そうなのかな?」
「まあ、アンタがあの子の事を何とも思ってなくて、体の良い理由並べてフッたんだったら許さないけど」
半眼で拳を突き出し、それを――――
「そうじゃない事くらい、私もわかってるつもりだから。今までのアンタ達を一番長く見て来たのは私だから」
フェイルの左胸に当てる。
ポス、と小さな音がして、フェイルは思わず後ろ重心になった。
「私は弟子をやめるつもりないから、アンタもそのつもりでいなさいよ。アンタがこれから何をしようともね」
「……ま、フランなら気も病まないか」
「この」
最後にもう一度胸を小突き、フランベルジュは腕を自分の懐に戻した。
「これからどうなるのかしらね。この国は」
「どうだろうね。都合の良い話だけど……もし彼が生きていたら、希望はあると思う。それなりの筋書きも立てられる」
「どんな筋書き、ですか?」
その二人の間に、ファルシオンが割り込んでくる。
目は真っ赤だったが、もう涙は流れていない。
その瞳は、まだフェイルの姿をそこに留めている。
「……例えば、だけど」
だからフェイルも語る。
夢物語のような未来を。
この恥と悪意と欺瞞に満ちた世界には、絶望的に似合わないとしても。