――――仕事の交渉というのは基本、業種によって大きく異なる。
例えばパン職人はどうだろう。
自分で作ったパンを売るこの職業は、まず材料の仕入れを行うことから始まる。
パンを作る材料は、どんなパンを作る時でもそれほど大きな変化はない。
小麦やライ麦、隠し味の葡萄酒などを大量に安く提供してくれる仕入れ先を探すことが全てだ。
仕入れ先が見つかったら、いよいよ交渉だ。
通常より安価で仕入れることができれば最高だが、付き合いのない相手にそこまでしてくれる農家や問屋は少ない。
それでも、人情に訴えたり、夢を熱く語ったり、自分が成功する秘訣を合理的に説明したりすれば、交渉の余地は十分にあるだろう。
実際に作ったパンを売る段階でも、ある意味交渉が必要となってくる。
まず値段を決める時点で、それは無形の客相手の交渉だ。
この値段ならこれくらいの人数が買ってくれるだろう、という周囲の経済状況との交渉。
この価格であれば他の店と比較し立地条件で勝るこの店の方に客が流れてくれるだろう、という他店との交渉。
実際に顔を合わせて話し合うだけが交渉ではない。
客や商売敵など、その場にはいないながらも確実に接点を持つ相手とは、店を開く時点で既に交渉しているようなものだ。
交渉とは即ち勝負。
店を開くまでに、勝負の大半は決しているとさえいえる。
その後の客との値引き交渉など、交渉であって交渉ではない。
武器屋はどうか。
武器屋の場合は、より交渉色の強い職業といえる。
武器屋がまずすべきなのは、方向性を決めること。
パン屋にもそれがない訳ではないが、庶民が作れるパンの種類というのはそれほど豊富ではない。
作り手と売り手が一致している点も、計画の余地が少ない理由となるだろう。
一方、武器は剣をはじめ、槍、斧、弓矢、こん棒など、多種多様な上にその大きさや材質によっても威力、用途が異なってくる。
これらを全て売り物として展示するなど不可能であり、必然的に取捨選択を強いられる訳だが、その選択こそが店の方向性そのものとなる。
例えば、剣専門店にするとしよう。
剣は広く使用されている一般的な武器であり、種類も豊富だが、置いてある店も多い。
当然、他の店にはない何かが求められる。
その場合、売れ線の剣を安く売る、余り出回っていない珍しい剣を売る、質にこだわった良品を売る……といったところがセオリーとなるだろう。
他にも集客方法として、極めて強力かつ高価な武器を借り入れ展示する、店内を明るくして入りやすい雰囲気にして本来の客層以外の層を取り込む、などが挙げられる。
どのような方向性にするかを決めたら、次は仕入れだ。
武器の仕入れは鍛冶師に直接依頼する方法と、問屋や武器商人から仕入れる方法と、既に使用された中古品を買い取る、若しくはバザー等で売りに出された武器を購入する方法とがある。
当然、これらの方法を全て行ってもいいし、幾つか組み合わせてもいい。
質の良い武器を売るのなら、腕利きの鍛冶師と契約する方が望ましいだろうし、安い武器を売りたいなら格安で卸してくれる問屋を見つけるべきだ。
商品が決まったら、次は客との交渉。
勿論、一対一の値引き交渉などはこれに含まない。
ここで必要なのは、定期的に購入してくれる組織との交渉だ。
武器という売り物は、一般人はまず手を出さない。
客層はかなり限られている。
その中で店を構え、長期的に商売をしていくには、まとまった量を定期的に買ってくれる上客が必須だ。
候補となるのは傭兵ギルド、自警団、盗賊組織、憲兵、騎士団など。
騎士団に武器を納品することができれば世界的な武器屋と言っていいだろうが、店を開いて間もない武器屋には縁のない話だ。
とはいえ、傭兵ギルドや自警団と交渉し、現在彼らが購入している金額よりほんの少し安く提供する、という方法も難しい。
そんなことをすれば、契約中の武器屋に睨まれ、商売がし難くなるのは必至。
どの世界にでも縄張り争いは存在するものだ。
ではどうするか。
ここでも交渉が必要となる。
他の武器屋との交渉だ。
また例を挙げよう。
近所の傭兵ギルドとの交渉の末、現在の契約が今年で切れるというので、来年から自分の店の武器を一括購入するという約束を勝ち取ったとする。
ここで『お見事、一件落着』と……はならない、
契約更新に失敗した武器屋は当然、面白くないだろう。
言いがかりくらいならまだいいが、よからぬ噂を流したり嫌がらせをしてきたりするかもしれない。
そうなると今後の活動に影響が出る。
防止策が必要だ。
そこで交渉の出番となる。
例えば、その武器屋に『ではギルドの仕入れ数の半分を、貴方がたの武器屋から我々が買い取ります。ただし、我々がギルドに提供する値段で』と持ちかける。
当然収入は少なくなるし、本来ギルドに納品するはずだった半分の武器が在庫に残ることになる。
だがその分、問題の火種は消えることになるだろう。
寧ろ恩義を感じてくれるかもしれないし、そうなれば新たな繋がりが生まれる。
長い目で見れば、こういった交渉は必ず後々生きてくる。
――――というように、交渉と一言でいっても、職種によって内容は大きく異なる。
では、自称"国際護衛協会"などという特殊な職種の場合はどうか。
当然、交渉も特殊なものが多くなってくるが――――
「傭兵ギルド【フライハイト】は確かに素晴らしい人材を揃えています。傭兵ギルドの多い侵略国家エッフェンベルグの中でも優秀な部類でしょう。しかしこのようなデータもあります。傭兵ギルド【フライハイト】のここ三年間の受注依頼内容と数の推移ですが、護衛という仕事に絞れば年々減少傾向にあります。これは客観的に見て需要の低下ではないでしょう。【フライハイト】の知名度および実績はここ三年で決して落ちていませんので。では何故このような傾向が生まれているのか。答えは簡単です。ギルド自体が護衛業を縮小させようと方向転換を図っているからに他なりません」
国際護衛協会『アクシス・ムンディ』の交渉士ユグドは、そんな異端とも言える仕事をとても活き活きとこなしていた。
「護衛というのは人数、そしてモチベーションが非常に重要です。集中力を欠いた人間が護衛をすればどうなるか、想像するのは簡単ですよね。この集中力の源となるのは、自分達がギルドの屋台骨だという強い矜持であり、即ちやり甲斐。現在の【フライハイト】にはそれが欠乏していると考えていいと僕は思います。このギルドは非常に優れたギルドですが、護衛という一点に関して言うならば、我々の方が優れていると断言できます。知名度で劣る分は料金に反映できますし、実績に関しては先日行われた『武器万国博覧会』におきまして海賊を退けた点を僭越ながら挙げさせて頂きます。当然、取引先の国……ベルカンプの言葉を理解できる者を派遣します」
ユグドは交渉の際、相手を見て語調や話す早さ、内容を決める。
今回の交渉相手は侵略国家エッフェンベルグの行商人。
商人相手の場合は早口かつ慇懃無礼にならない程度に遜った言葉遣いをする。
商人は何度となく交渉を行っている、いわば交渉の専門家。
そんな相手に対し、柔らかい口調でゆったり喋っていては、たちまち主導権を奪われる。
交渉で重要なのは、例え下手に出ても下に見られないようにすること。
相手が格上だろうと富豪だろうと、この基本姿勢は変わらない。
「……わかりました。では一度この条件を持ち帰って検討します。明日、同じ時間にここで返事を致しますので、それでよろしいでしょうか?」
「承りました。明日この時間、お待ちしております」
交渉の席となっていた酒場から、行商人の男が出て行く。
手応えは――――十分にあった。
ユグドは知っている。
あの行商人が、他国へ商売に向かう際に雇う護衛を余り重要視していないことを。
できればコストを抑えたいと思っていることを。
この酒場で何度か愚痴っていたことを。
ユグドは知っている。
これまで護衛を依頼していた傭兵ギルド【フライハイト】は現在、別のより大きな行商団と契約を結んだばかりだということを。
ここ三年はたまたま依頼が減っていただけで、護衛自体には以前と変わらない力を注いでいることを。
しかしこの事実を歪曲したところで、先程の行商人が困る訳でもない。
そもそも【フライハイト】の一員でも関係者でもないユグドが内部事情など知る筈もないし、あの行商人とてそれくらいはわかっているだろう。
だが、例えわかっていても、ああ早口で断言されれば納得してしまう。
納得してないにしろ、可能性くらいは考慮する。
そして、『護衛を安く済ませたい』という願望を後押しする材料に転化するだろう。
そこまでの顛末を読み、ユグドは今回交渉の席に着いた。
まだまだ知名度不足の護衛集団を海外で売り込むには、調査費用を惜しんではならない。
時には赤字を出してでも、仕事を取って知名度を上げ、同時に隊員の経験とモチベーションを上げ続ける必要がある。
「……上手く行くといいけど」
そう心の中で独りごち、ユグドも席を立った。
幸いにも――――翌日、行商人から正式な依頼を貰うことが出来た為、契約成立。
アクシス・ムンディの次なる仕事は、エッフェンベルグの行商団を護衛し、その北にあるベルカンプという国の首都ホーフスタットへ送り届けるという内容に決まった。
決して特別ではない、護衛職としてはありふれた仕事。
しかしこの交渉成立が、今後のアクシス・ムンディに、そしてユグドの人生に大きな影響を及ぼす大事件への序章となることは――――
「でも……なんか、嫌な予感もするんだよな。なんとなく」
――――割と想定内だったりした。
【Noah=Arcadia ; CONCERTO】
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