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  4月27日(金) 14:18
 ――――――――――――

 温泉に浸かってると、上から女の子が降って来た――――

 そんな驚きの、そしてしょーもない展開から、早一週間が経過した。
 異能力者の存在に関しては、未だに受け入れられない部分もあるものの、
 僕の生活は徐々にこれまでの日常に回帰しつつある。
 特に、学校にいる間は、すっかり元の精神状態に戻っていた。 

「オラてめーら! ダラダラ走ってんじゃねーぞ! 俺の心のマシンガン
 ブッ放されてーのかこんチクショウが!」
 
 そんな体育教師の口の悪さにも、ボチボチ慣れてきた頃合い。
 と言っても、新しいクラスになって三週間足らずってコトで、
 まだ馴染んだと言う実感はない。
 こうして、体育の授業中のマラソンを併走してくれる相手もなく、
 一人寂しくストイックに下半身を虐めているって言うのが、僕の実状だ。

 友達がいないって言うのは、今に始まった事じゃない。
 自分の置かれてる環境を、今更嘆く気もない。
 ただ――――少しだけ、思うところはある。
 もし、僕がごく普通の家庭に育って、放課後の時間を奪われる事もなく、
 学校生活をフルに堪能できていたなら……どんな人生を送れていたのかな、と。
 僕の性格上、沢山の友達に囲まれて、なんて事は、どっちにしてもなかっただろう。
 女嫌いに関しても、家とは関係ないから、彼女がいるって事もなかっただろう。
 ただ……人並に、何人かの気の合う友人と、楽しく雑談しながら、
 情操を育んで行く事が出来たのかもしれない――――と、そう言う思いはある。
 それも、絵に描いた餅だけど。

「だから、言っただろ? アレ、マジだって」
「ホントかよ。信じられねーな。そんなコトあるか?」

 二人で半ば歩きながら、授業中だってのにくっちゃべってる男子二人を、
 僕はしれっと追い抜いて行く。
 優越感なんて一切無いけど、それでも、誰かを抜き去る感覚は気持ちが良い。
 でも――――楽しそうに話している彼等と、苦しそうに走ってる僕を
 第三者に見て貰い、『どっちが充実した人生を送っているのか』とジャッジを仰いだら、
 勝者になる自信は僕にはない。
 
 僕等の世代には、将来をしっかりと見据えて、夢や目標を定めてそこへ向けて
 ひた走る人と、今が楽しければ良い、楽しい今を大事にしたいと言う人が
 犇めき合っている。
 そんな中で、僕はと言えば、そのどちらに属する事もなく、手から離れた風船みたいに
 フワフワ、フワフワしている気がする。
 自立したい、一丁前になりたい、なんて言うのは、モヤっとした曖昧模糊な理想論。
 道を拓きたくても、その道を開拓する為の知識がない。
 そんな現実に、僕はずっと劣等感を抱いていた。
 コンプレックスを武器に変えて……なんて、良く聞くフレーズだけども、僕には
 まだ、その方法がわからない。
 だから、今はこうして、何の目標もなく、何の楽しみもなく、ただ走り続けるしかない――――

「でも何で、女がトラックの上で寝転がってんだ?」

 ……何か、後ろから変な言葉が聞こえて来たな。
 僕はスピードを落とし、一度は抜き去った男子二人組と距離を縮め、その声に耳を傾けた。

「知らねーよ。つーかアレ、寝てんの? 死んでんじゃね?」
「それはねーだろ……多分。死んでたら真っ青になるんじゃねえの? 死んだ俺のじいちゃん、
 顔チョー青くてビビッたぞ」
「死にたてホヤホヤとか」
「トラックの上で? どんな殺人事件だよ」

 随分、物騒だな。
 そもそも、トラックの上に乗っかる女性って時点で、相当に胡散臭い。

 でも――――僕は例の件以降、妙にその手の現実に対して耐性が出来ていた所為か、
 実際に信号待ち中のトラックの上に、寝転んでいる女の子の姿を見かけても、
 極度の驚きは生まれなかった。

 にしても……妙だな。
 何が妙って、トラックの上と言っても、荷台じゃなくて運転席の
 真上の屋根に、俯せになって寝てると言う事。
 確かに、これを見ると、死んでるって方が正しい見方に思える。

 と、なると――――探偵の出番!?
 街の探偵さんとついに対面できるかもしれない!
 さ、早速、はざま探偵事務所に……って、授業中だから携帯持ってねえ!
 いや、そもそも人が倒れてるんだから、救急車が先か。
 あれ、救急車って119だったっけ、199だったっけ。
 いかん、頭が混乱してる――――

「う、うう……んー」
「!?」

 思わず身をビクッとさせた僕は、その声の主に目を向ける。
 生きてたか……ま、良かった。
 その車上の女子はゆっくりと、眠たげな目で上体を起こした。

「わわ、わわわーっ!」

 そして、落ちた。
 自分のいる場所が良くわかってなかったらしい。

「ううう……いたいのじゃ……」

 しかし、特に怪我する事なく、ムクリと立ち上がってくる。
 随分、頑丈だな。
 そして、程なく信号が青になる。

「きゃーっ!? わきゃーっ!」

 車道にいる彼女は、前から後ろから忙しなく行き交う自動車に
 何度も何度もクラクションを鳴らされ、その場で頭を抱えていた。
 でも、特に事故に遭う事なく、車の流れは途切れる。
 なんて運の良い女子なんだ。
 あ、近付いて来た。
 身体は……僕と同じか、少し小さいくらい。
 彩莉よりは年上だろう。
 でも、顔を見る限りは、せいぜい中学生って感じの幼い子だった。
 頭上に天使の羽根みたいなリボンをしている事で、余計にそう見える。
 つーか、こんなリボン、良く見つけたよな……

「あの、付かぬ事をお伺いするが……ここ、何処なのじゃ?」

 呆れ気味の僕に、少女はオドオドしながら聞いてくる。
 身長160cmの僕は、基本的に女子から怖がられたり、敬遠されたりする事はない。
 だから、面識がなくても話しかけられ易い。
 あんまり、歓迎する事でもないけど。

「えっと……共命町ですけど」

 思わず敬語で喋ってしまうのは、職業病。
 明らかに僕の方が年上なんだけど。

「え……共命町?」
「そうですけど。何か問題が?」

 少女は小刻みにコクコクと頷き、両頬を手で覆った。
 大方、目的地を通り過ぎてしまった……そんなトコか。
 何で屋根の上に乗ってたのかは知らんが――――

「う、ううう……まさか、目的ドンピシャなんて〜」
「……はい? 目的地だったら、良いじゃないですか。何で嘆いてるんですか」
「良くないのじゃ! 最悪なのじゃ! うう、見るのが怖い……」

 意味不明な言動を繰り返し、少女はポケットから電卓らしき物を取り出した。
 そこで、幾つかのボタンをプッシュし、真顔で暫し待ち――――

「……うーん」

 そのまま気を失った。

「って、マジかよ! おい、ちょっと! って言うか、気ってそんな簡単に
 失うモノなの!?」

 既に体育の時間が終わっている事すら気付かず、僕は倒れた少女を
 介抱すると言う、非常に体裁の悪い午後を過ごした。




 ――――――――――――
  4月27日(金) 17:44
 ――――――――――――

「ふーう。良い湯だったのじゃ」

 あの、珍妙な出会いから3時間半。
 僕はと言うと、今も尚、その女子と向き合っていたりする。
 ただし、ここは公道の真上でもなければ、学校の保健室でもない。
 ズバリ、僕のウチ。
 スパリゾート施設【CSPA】の中だった。
 何故、僕がこの女の子をお持ち帰りしたかと言うと――――

「噂には聞いていたが、色んな温泉があって楽しかったのじゃ。
 極楽、極楽」
「喜んで頂けて何よりです」

 単純に、目的地がウチだったからだ。
 幸い、意識は直ぐに回復し、彼女は自分の目的地を僕に告げ、
 その驚異的な幸運に驚く――――事なく、割と淡々と着いてきた。

 そんなトラック女子は、一通り温泉を堪能した後、浴衣じゃなく自分の服に着替え、
 リラクゼーションルームのマッサージ機でウィンウィンと肩を揉みほぐされている。
 まさか、殺人事件の被害者と目していた人が、お客様になろうとは。
 世の中、わからないモンだ。
 ま、一応ここの従業員でもある僕としては、運が良かったと言う事になるんだろう。
 平日に訪れてくれるお客様は、ホント神様みたいな存在。
 喋り方がヘンなのは、この際気にしないでおこう。

「さ〜て。リフレッシュしたトコロで、聞きたい事があるのじゃ」
「はい、何なりとお申し付け下さい」
「ここに、有馬湯哉と言う人はおるかの?」

 突然の名指し。
 僕は思わず、一歩後退った。
 先日のホスト的接待の影響で、偶に僕を指名してくる女性のお客様が
 来たりする。
 当然、ここはホストクラブじゃなく、スパランド。
 指名制じゃない。
 高い酒を入れて貰う為に、時に馴れ馴れしく、時に母性を擽るような
 喋り方で接待するサービス業じゃない。 
 とは言え――――すっ惚ける訳にもいかないか。

「私が有馬ですが、何か御用でしょうか」
「そうだったのか。なら話は早いのじゃ」

 ニッコリと微笑んだその名前も知らない女の子は、マッサージ機から
 離れ、僕の方に近付き――――

「命が惜しければ、質問に正しく答えるのじゃ」

 急に声のトーンを落としたかと思うと、小さいパイナップルのようなモノを
 無造作に掲げて来た。
 って――――まさかコレ、手榴弾?
 こんなとある日に手榴弾が目の前に?
 何だコレ?

「異能力の除去方法について、知ってるコト全部吐くのじゃ。さあ! 早く!」
「い、異能力……?」

 って事は――――こいつも、城崎達と同じ、『ジェネド』とか言う異能力者なのか?
 つーか、それより手榴弾なんてどうやって入手したんだよ……
 こんなモン、自衛隊か米軍基地が外国マフィアにでもコネがないと
 手に入る訳ないだろ。
 ……あ、偽物か。
 そもそも、僕は手榴弾の本物なんて見た事ないんだから、区別なんて付く筈もない。
 完全に舞い上がってた。
 そうなれば、話は早い。

「どうしたのじゃ? コレが怖くないのか?」
「滅相もございません。非常に恐ろしい次第です。ですので、出来れば仕舞って
 頂けると助かるのですが。他のお客様の不安を煽ってしまいます」
 
 実際には、他の客なんていないんだけど――――

「な、何? 何処に香保の他に客がおるのじゃ?」

 幸いにも、女の子はあからさまに動揺し始めた。
 不敵なのか脆いのか、ハッキリして欲しい。
 ま……取り敢えず。

「ていっ」
「ああっ!?」

 没収。
 偽物だろうけど、こんな物騒なモンを持ち歩かれたら、
 ホントに他のお客様が来た時にシャレにならない事態になりかねない。

「か、返すのじゃ。それは香保のなのじゃ」
「お客様。手榴弾所持は立派な犯罪行為でございます」
「な、何でなのじゃ!? 香保は使ってもいないのじゃ。持ってただけなのじゃ」
「火薬類取締法違反で即、逮捕です」
「……そうなの?」

 キョトン、とした目で僕を見る、自分を『香保』と呼ぶその女子は、
 まるで小動物のような邪気のなさで、小首を傾げた。
 その刹那――――

「覚悟っ!」

 僕の背後に突然、何者かが現れる!
 ……って、こんな芸当が出来るのは、一人しかいないんだけど。

「甘い」
「あきゃっ!?」

 音も気配もなく、突如出現したその人物――――城崎水歌を、僕は
 躊躇なく裏拳で殴った。
 ゴッ、と言う鈍い音と共に、僕の拳に強い衝撃が加わる。
 それと同時に、城崎はそのまま真後ろへと倒れて行った。

「痛ぁ〜! うわ痛った! な、なんてコトすんのよ! か弱い女の子の
 額を裏拳で打ち貫く!? 普通!」
「やかましいっ! 毎日毎日、テレポートで不意打ちしやがって!
 流石に瞬発力と反射速度が鍛えられたわっ!」

 額から煙を出している城崎に、僕は中指を立てて遺憾の意を示した。
 彼女がここへ来て、従業員として働くようになって6日目。
 持ち前の明るさからか、妙にお客様受けが良い事もあって、 
 僕より遥かに人気者になっている。
 別に妬みはしないけど、なんとなく面白くないのは事実。
 なにしろ、新入りの癖に、報酬が発生してるって言うんだから。
 まあ、一日中働いても、3人の宿代で全部消えてるんだけど。

 で、そんな彼女がどうして、毎日奇襲を仕掛けてくるのかと言うと――――
 僕に、『異能力除去の方法を吐かせる為』だとか。
 僕を倒せば本当の事を知る事が出来る……と言う、意味不明な動機。
 ボスを倒したら先に進めるゲームじゃないっつーの。

「……う〜ん。痛いのじゃ〜」

 あれ?
 何でトラック娘まで倒れてるんだ。
 って、良く見ると、僕の足下で鈍器のようなモノが粉々になってるじゃんか。
 この女……これを僕に投げつけたのか。
 で、外れて、それがトラック娘に当たった、と。
 普通なら訴訟ものの大惨事だぞ。
 まあ、手榴弾の偽物で脅そうとして来た女がダメージ受けようと、
 知ったこっちゃ……

「って……あれ? 手榴弾……は?」

 僕の手に、さっきまであった筈のモノがない。
 って言うか、一部だけ残ってる。
 これって、安全ピンとか言うヤツ?
 まさか……本物?
 って事は……?
 
「う……うわああああああああああああああっ!?」

 僕のそんな叫び越えから遅れる事、約2秒後。
 それより遥かに凄まじい音量の爆発音が、【CSPA】内に響き渡った。

 


 ――――――――――――
  4月27日(金) 22:38
 ――――――――――――

「さて、次のニュースです。××市共命町の温泉施設【CSPA】で起こった
 爆発事故の続報が入りました。それでは、現場を呼んでみましょう。現場の国見さんー?」
「はい、こちら温泉施設【CSPA】前の現場です。本日18時頃に突然の爆発が
 あって以降、周囲はずっと騒然としていましたが、ようやく落ち着きを取り戻した
 ようで、現在は静まり返っています。閑散とした温泉施設に突如として
 起こった大惨事。その原因は、なんと……手榴弾でした」

 ようやく警察の事情聴取が終わり、帰宅した僕の目に飛び込んできたのは、
 案の定、そんな報道番組の一シーンだった。
 まさか、自分の住処がゴールデンのニュース番組で延々と映される事に
 なるとは、夢にも思わず。
 って言うか……命がある事自体、信じられないくらいだ。
 不幸中の幸い。
 手榴弾は、城崎に裏拳をかました拍子に後方へひゅーんと投げ出され、
 リラクゼーションルームの窓を突き破り、そこで爆発したらしい。
 それでも、通常の手榴弾なら、僕等も巻き込まれて一巻の終わりって言う
 くらいの範囲。
 ただ、あの娘の持ってた手榴弾は、通常の半分以下の威力しかなかったそうだ。
 それでも、リラクゼーションルームはほぼ全壊。
 爆発事故を起こした【CSPA】は、原因がハッキリするまで業務停止と言う
 事態になってしまった。
 って言うか、普通に存続不可能な状況だ。
 爆発が起こった温泉なんて、誰が行きたがるよ。
 ましてウチは、あの惨状を元通りに出来るだけの資金があるかどうかさえ
 怪しい経済状況。
 終わった。
 完全に終わった。
 スパリゾート施設【CSPA】は、この日をもって死んでしまった。
 まだ警察署から戻れない両親の心境は如何ばかりか。
 斯く言う僕も、明日の生活すら見通しが立たなくなってしまった。
 僕が、あのトラック娘を連れてきたばっかりに……

「何で……何でこんな事に……」

 顔を覆う気力もなく、僕は自室で絶望に浸っていた。
 浸りたくもなるさ。
 そりゃ、あんまりやる気はなかった仕事だけど、一応は家業。
 そして何より、それなりに想い出や歴史のあった場所。
 一日で、全てを失ってしまった。
 誰がこんな事を想像出来るだろうか?
 
「あ、あの〜……」

 ノックする音もなく、扉の向こうから声が聞こえてきた。
 あのトラック娘だ。
 普通ならば、とっくに逮捕されている筈の彼女が何故、ここにいるかと言うと――――
 
「この度は、申し訳なかったのじゃ。それと、チクらないでいてくれて
 ありがとうなのじゃ。本当にすまなかったのじゃ」

 こんな少女が、手榴弾を所持していた――――なんて事、
 僕か城崎が証言しなきゃ、まず発想として出てこない。
 城崎も、事情をよく飲み込めてないんで、結果として僕さえ黙っていれば
 彼女に疑いの目が向く事はない。

「やはり犯人は、地元の暴力団関係者と言う線が濃厚のようですね」
「成程、わかりました。共命町の住民は恐怖で眠れない夜を迎えそうです。
 では、次のニュース……」

 と言う訳で、今の報道通り、僕は『何もわからない。リラクゼーションルームに
 いたら、突然爆発が起こった』と警察に証言した。
 偽証罪を問われるリスクはないにしても、何故こんな嘘を吐いたのか――――
 それは、決して『こんないたいけな少女を警察に突き出すなんて出来ない!』
 とか言う、エセヒューマニズムによるモノじゃない。
 僕も犯罪の片棒を担がされた状態だし……な。
 でも、それだけでもない。

「ようやく、周りも落ち着いて来たみたいですね」

 キュルキュル、と言う馴染みの薄い音と共に、僕の部屋の前まで
 電動車椅子でやって来たこの女子、鳴子璃栖の進言によるモノだ。
 彼女曰く『理由は後で話す。兎に角、彼女を警察に突き出すのは止めて』との事。
 それが後々、僕や家族の為だ、と言われれば、従わざるを得ない。
 突き出したトコロで、こっちにメリットはないし。
 ちなみに、車椅子はレンタル。
 介護保険には加入してないらしく、全額負担なんで、一月20,000円も
 取られるらしい。
 その分は、経理の手伝いや宣伝素材の作成など、金額分を働いて貰って
 代わりにウチが持つ事になっている。
 まあ、幾ら流行ってないスパでも、2万くらいは工面できる。
 ……昨日までならな。

「で、そろそろ説明してくれるんだろな。何で、僕に嘘まで吐かせてこの子を
 守ろうとしたのか」
「理由は単純です。この子が、私達と同じ『ジェネド』だからです」
「……は?」
 
 いや、それは予想してた事だけど。
 じゃなきゃ、僕を脅した動機が説明できないし。
 でも、それが理由だとしたら、到底納得できるモノじゃ……

「もし彼女が警察に捕まれば、手榴弾の破片の分析の結果も相成って、
 私達がいた研究所が暴かれるかもしれない。彼等は、存在を知られる事を
 何より恐れていますから、かなり困った事になるでしょう。でも、それを回避すれば、
 貴方は研究所に借りを一つ作る事になります。交渉次第では、全額弁償して
 貰えるかもしれません」
「それは……無理だろ? 僕がその研究所とやらに昔いたってのも眉唾モノだし、
 所在地も知らない。そもそも、弱味を握って脅迫するならまだしも、
 借りを作ってそれの見返りを求めるって、交渉として成立してないだろ」
「弱味ならありますよ。ここにいる全員がそうです」

 そう告げた鳴子さんの後ろから、神妙な顔の城崎と、眠たげな湯布院さんが
 にょろっと出て来る。
 あの爆発騒動の最中でも、湯布院さんは眠ったままだったらしい。
 現に恐ろしきは副作用、か。

「私達が、こうしてここに4人も集まっている事で、貴方は研究所の
 一部を掌握している状態です。私達は全員、研究所の所在地を知っているんですから」

 成程。
 仮に、彼女達がそれを僕に教えれば、それが弱味になる。
 そして僕には、それを教えて貰える切り札がある――――と、彼女達は思っている。
 僕が、異能力の除去方法を教える代わりに、その提示を求めれば、答える。
 だから、教えろ。
 鳴子さんはそう言ってる訳だ。

「そんな事言われてもな……本当に何にも知らないし」
「この状況でもそう言えるって事は、やっぱり本当に知らないんじゃないかしら?
 やっぱり一回、残像思念を全部探らせて欲しいんだけど……」
 
 まだ眠いのか、ゆらゆら覚束ない足取りで、湯布院さんが僕を抱きしめようと
 したところで――――回避。

「あんっ。もう、そんなに照れなくてもいいのに……」
「いや、ボディコンタクトも恥ずかしいですけど、それ以前に記憶を見られるのが
 ものすごくイヤなんで」

 誰だって、自分の過去を全部見られるのは抵抗あるだろう。
 隠れた性癖まで見られたら、生きて行けないぞ。

「なんにしても……忘れている可能性はありますね。或いは、記憶を消された」
「記憶をぉ? 生憎、そんな記憶はないぞ」
「本当に消されてるんなら、なくて当然です」

 それもそうだけど……じゃ、誰がそんな事を出来るってんだ。
 僕の周りに、記憶を操作できるような人材、いないぞ。
 みんな普通に生活してる一般人だ。

「ひとつ、確認なんだけど」

 思案顔で対峙している僕と鳴子さんの間に、小さく手を挙げて
 城崎が割り込んできた。

「なんかこのままだと、ここ、潰れちゃいそうだけど……あたし達、
 これからどうなるの?」
「潰れちゃいそうとか言うな! そもそも、お前が意味不明な奇襲かけて
 来なかったら、こんな事態にはなってねーよ! お前の所為でもあんだぞ!」
「だ、だって、テレポートで自白させる方法って他に思いつかないんだもん……」

 城崎はツインテールを垂れ下げ、泣きべそかいていた。
 泣きたいのはこっちだ。

「そうよね……実際問題として、湯哉君が生活能力を失うのは困るのよね。
 それに、この家に湯哉君の秘密が隠されてる可能性だってあるんだし、
 取り壊しになるのも困る。困ったものね……」

 一方、ずっと寝ぼけ気味だった湯布院さんは、ようやく冷静に状況を確認し始めた。
 って言うか、湯哉君って貴方に呼ばれてるんですか、僕。
 初めて知ったぞ。

「そもそも、貴方が考えなしにやって来なかったら、こんな困った事態には
 ならなかったのよね……」
「はうっ。か、勘弁なのじゃ。文奈先輩が怒ると怖いのじゃ」

 まるで鬼にでもなりそうな殺気を纏う湯布院さんに、トラック娘は
 本気で怯えていた。
 って言うか、未だにこの子の名前、聞いてないんだが……
 それよりも重要な事が一つある。

「ところで、この子の能力って何なんだ? 何かあるんだろ?」
「はい。彼女は『ハートラック』と言う異能力を持っています」
「ハー・トラック(彼女のトラック)? トラックって……もしかして、トラックを操るとか
 生み出すとか、そう言う能力?」

 実際、トラックに乗ってたしな。
 だとしたら、実に羨ましくない能力だ。

「違うのじゃ。あれは偶々、歩道橋から転落した時にあのトラックの上に
 落っこちて、一命をとりとめたのじゃ」

 トラック娘はそんな信じ難い説明をして来た。
 歩道橋から転落する理由も気になるところだけど……

「じゃあ、どんな能力なんだよ」
「ハート・ラック。ハートは心の方じゃなく、『hurt』、傷付けると言う
 意味の方のハートです。ラックは『luck』。運ですね」
「傷付ける運?」
「心外なのじゃが、その通りなのじゃ」
 
 少し表情に影を落とし、トラック娘は自身の能力を含む自己紹介を始めた。
 彼女の名は、伊香保 運命(いかほ さだめ)。
 自分を香保と呼んでいたのは、苗字の一部だったようだ。
 名前は気に入ってないらしい。

 それは兎も角。
 そんな彼女の能力は、『luck(運)』に集約される。
 彼女の運が、周囲に影響を与えるらしい。
 どう言う事かと言うと――――

「つまり、この子が幸運に恵まれると、代わりに周囲が不幸な目に遭う……と?」

 僕の要約に対し、伊香保と鳴子さんが同時に首肯した。
 そして、逆に伊香保に不運が訪れると、周囲には幸運が降り注ぐ……と言う。

「運というのは、絶対量が決まっているのじゃ。だから、誰かが幸運に
 恵まれれば、誰かが不幸になる。香保の能力は、それが決まった形で
 現れるのじゃ」
「能動的な能力ばかりではなく、こう言うタイプの異能力もある、と言う事なの。
 だから、この子は連れて来なかったのに……」

 湯布院さんは、嘆息混じりに告げた。
 成程、確かにこんな困った能力を持ったヤツがいたら、まともに
 身動きできんわな。
 コイツ等は、研究所の秘密を探って、逃げている最中。
 逃亡中に訪れるたった一つの不幸が、取り返しの付かない事態に発展する
 リスクを考えると、同行は難しい。

「でも、寂しかったのじゃ……ずっと一緒だったのに、突然いなくなって……」
「香保ちゃん……ごめんね。でも、仕方なかったの」

 お前と一緒にいると、上手く行くモンも上手く行かないんだよ――――
 と言いたげながら、流石にそれは自重しつつ、湯布院さんは彼女を抱きしめた。
 あ、これって。

「文奈先輩……暖かいのじゃ」
「ふふ、香保ちゃんったら……そう。研究所での私達の会話、盗み聞きしてたのね」

 サイコメトリング。
 抱きしめたり、握ったりして他人の身体を包み込む事で、
 その残像思念を読むと言う能力。
 伊香保の過去を読み取ったらしい。

「ち、違うのじゃ。あの時は偶々、トイレに行ってて……三人がコソコソ
 禁止区域に入っていったから、楽しそうって思ったのじゃ。盗み聞きなんて
 する気はなかったのじゃ」
「その割に、スタンドプレーに走ってたみたいだけど?」
「水歌先輩、告げ口は反則なのじゃ!」

 僕を脅そうとした、あの行為の事か。
 手榴弾は、研究室のモノを拝借したらしいが……あんなモノを置いてる
 研究室って、一体何なんだよ。
 軍事研究施設なのか?

「取り敢えず、運命の事はこの辺で置いといて、今後の事を考えましょう」
「置いていかれるのはもうイヤなのじゃーっ!」

 自分に幸運が訪れると、周囲は不幸になる――――そんなハタ迷惑な女の子、
 伊香保運命は、放置される事に心的外傷を抱いているようだ。
 ま、どーでもいー。
 確かに、今後の事の方が重要だ。

「で、具体的にはどうするつもりなんだ?」
「……」

 鳴子さんは、思案顔を作り、口元を手で隠しながら、黙り込んだ。
 幼い顔立ちながら、何処か鋭さも有している彼女のシンキングタイムは
 中々サマになっている。
 ……ただ、一向に回答が出てこないのは、どういう事だ。

「璃栖ちゃんのこの顔は、良いアイディアが浮んでない時の顔よね」
「カッコ付けたがりだからねー。割と簡単にテンパる癖に。
 お子様ランチ好きだし」
「お、お子様ランチは関係ないでしょう、今は」

 城崎の暴露がよほど恥ずかしかったのか、鳴子さんは赤面しながら
 恨めしそうな顔を浮かべていた。
 意外と……というか、外見通りというか、舌はお子ちゃまなんだな。

「……なんですか」
「いや、なんでもないけど……それより、アイディアが浮かばないんなら
 気分転換に温泉にでも浸かれば? お客様はいないし、自由に使って
 貰って構わないけど」

 こういう時って大抵、リラックスすれば何かしら浮かぶモンだ。
 そんな僕の配慮に対し、3人娘は全員揃ってジト目を向けてきた。

「……覗く気満々?」
「アホか! スパランドの店員がそんな事やってたら直ぐ捕まるだろーが!」
「ま、それもそーか。それじゃ遠慮なく♪」

 一番頭使いそうにない城崎が、真っ先に飛び出して行った。
 あの女とは、基本的な部分で合いそうにない。

「それじゃ、私もお言葉に甘えようかしら。璃栖ちゃんも入るでしょ?」
「わ、私は……」

 何で赤面すんだよ。

「……お願いします」
「ええ。じゃ、湯哉君、ゆっくりさせて貰いますね」

 湯布院さんはおっとりとした笑顔を、璃栖さんはムスッとした赤面を浮かべ、
 城崎の後を追った。
 電動車椅子はスピードこそ出ないけど、割とスタイリッシュなんで
 移動の際にそれほど不都合はないらしく、すんなり廊下を進んでいる。

 ……で。

「お前はどうすんだ?」

 一人残った伊香保に、僕は逆三角形の目を向ける。
 流石に、これだけの惨状を生み出した張本人相手に、温泉を無料提供する気は
 サラサラないが……

「香保はここで一人静かに反省するのじゃ。坐禅組むのじゃ」
「それ、タダの胡座だろ……」

 ま、こんなでも、一応反省の態度は示しているだけマシか……
 にしても、この女もジェネドとかいうヤツなのか。
 つーか、女ばっかなんだな、ジェネド。
 異能力って女限定なのか?

「ただいまー」

 お、彩莉が帰ってきた。
 って事は、両親も帰宅か。
 あんまり顔、見たくない気もするけど……取り敢えず、玄関へ行こう。

「……」
「……」

 案の定、幽霊が食あたり起こしてトイレから出てきた時のような顔色をしていた。
 母は兎も角、父までこんな顔になるとは……いや、当然なんだけど。
 彼等にしてみれば、生活の拠点であり、人生そのものとも言える場所を
 一日にしてボロボロにされたんだしな。

「あ、あの……」

 流石にそんな両親を見て、心が痛んだのか、伊香保は僕に対しての何倍も
 心苦しそうな顔で、謝罪を口にしようとした。

「コラ」
「むぐっ!?」

 当然、掌で阻止。
 彼女の所為、という事が口外されれば、僕に偽証罪の芽が出てしまう。
 この年で犯罪者なんて勘弁願いたい。

「むぐぐ……ぐぐ……」
「お、お兄さん! その女の人、顔が紫色です! ちあのーぜですっ!」
「難しい言葉知ってるな、彩莉。偉いぞ」
「そんなことゆってる場合じゃないですよーっ!」

 おっと、流石にこれ以上呼吸を食い止めると殺人罪だ。
 そっちはもっと勘弁。

「ふーっ、ふーっ……殺す気だったのじゃーっ!」
「勝手に殺人未遂を主張するな。そんな立場か?」
「ううっ……厄介なのじゃ……思ってたよりずっと偏屈な相手だったのじゃ……」

 不本意な評価を適当に聞き流しつつ、僕は彩莉に目を向けた。
 目に見えて弱っている両親と比べ、彩莉は落ち着いている。
 状況が把握できない程、この子は小さくはない。
 まして、年齢の割に聡明だ。
 空気を読んで、耐えてるんだろう。
 ええ子や。
 一生独身でいろ!
 
「……湯哉」

 一方、死神がリストラされた日の帰宅風景みたいな父が、
 ドロッとした目を僕に向けてくる。

「俺の人生は、終わった」
「そうだな。父にとってはこの家は人生だったからな。
 流石に爆発事故のあったスパランドなんて、誰も来ないだろうし」
「ああ。だから父さん、母さんと一緒に死のうと思う」
「……おい。何言い出しやがる」

 元々、色々極端な父ではあるが、いきなりブッ飛びすぎた。

「このスパランドはな……俺の人生全てを賭けた、夢そのものだったんだ。
 それが潰えた。ならば死のう、潔く。それが男の花道というモノだ」
「母は男じゃないだろーがっ! 母まで巻き込むな! 無理心中とか
 殺人と何も変わらんぞ!」
「だ、だって……一人で死ぬの怖い」
「ならそもそも死のうとするなーーーーーーーーー!」

 実際、この父は自殺を本気で考えられるほど、真摯な性格じゃない。
 だからそこまでは心配してないんだが、問題は……母だ。

「……」

 案の定、一言も発しない。
 母は真面目な性格だから、父のように上手く感情を発散できない。
 溜め込んでしまう。
 だから、偶に爆発すると、えらい事になってしまうんだけど、
 今回の件は先に家が爆発しちゃったモンだから、もうどうしようもない。
 
「あ、あわわ……香保、とんでもないことをしてしまったのじゃ……」

 当事者の伊香保が狼狽えるのも無理はない。
 僕だって心配だ。
 それくらい、母は一日にしてやつれきっていた。

「お兄さん……」

 それを既に感じ取っていたんだろう。
 彩莉が僕の服を掴み、不安げな瞳で見上げて来る。
 そんな顔をされると、こっちとしても困ってしまう。
 母の事は、僕が誰よりわかってるから。
 今の状態で何を言っても、どうなるものでもないって。

「取り敢えず、今日はゆっくり休めよ。事情聴取とかで疲れたろ。
 偶には夫婦水入らずで温泉にでも浸かったらどう?」
「そうか……済まんな。子に気を使わせて」

 覇気の無い父は、母の背中を押すように、ヨロヨロと奥へ向かって
 歩いて行った。
 さて……どうしたものか。
 一家の大黒柱がグラグラで、裏で支えていた支柱もボロボロ。
 僕がどうにかしないといけない……か。
 でも、現状では、この状況を打破する事は難しい。
 仮に、鳴子さんの言ってた『全額弁償』が成立して、この【CSPA】が
 元通りの外装に戻ったとしても、同じようにお客様が来てくれるかと
 いうと、厳しいと言わざるを得ない。

 なら――――考えよう。
 再建する方法を。
 いや。
 このピンチを、寧ろチャンスに変える方法を。
 どうせ、今はドン底だ。
 それなら、見栄張って大きく飛び上がったって、ここより沈む事はない。
 着地点なんて考えるな。
 一番高く飛び上がったところに何があるか。
 それだけを考えろ。
 僕には、連中がいうような異能力はない。
 あったとしても、今はもう消えているんだろう。
 なら、頼りになるのは、普通の、ありふれた人間の持つパーツ。
 頭、身体、そして心。
 考えて、動いて、そして信じる。
 まずは――――考えろ。

「彩莉。お前はもう寝ろ。夜更かしは禁止だったろ?」
「で、でも……はい、わかりました」
 良い子だ。
 僕の負担になる事を選択せず、彩莉は大人しく自室へと戻った。
 さて――――

「……伊香保」
「その苗字は嫌いなのじゃ。名前も嫌いなのじゃ。可愛く香保と呼んで欲しいのじゃ」
「じゃあ、イカ」
「イヤなのじゃーーーーっ! そればっかりはイヤなのじゃーーーーーーっ!」

 何かトラウマでもあるのか、イカは涙目で首をブルブル横に振っていた。
 無論、その主張を受理する謂われはない。

「それは良いとして……お前の能力、詳しく聞かせろ。もっと具体的に。効果範囲とか」
「効果範囲……というと、香保の運の反動が現れる範囲の事か?」
「ああ、そうだ。あと、お前の幸運やら不運やらは、どれくらいの頻度で発生するのか。
 そもそも、どうやってそれを見極めてるのか。その辺全部だ」

 僕の声は、若干掠れていた。
 それが迫力に繋がった……かどうかはわからないけど、イカは素直に説明を始めた。

 ハート・ラック(障る運命)。
 城崎のサーチ・テレポート(検索す瞬間移動)、湯布院さんのサイコメトリング(見透かす輪具)、
 そして鳴子さんのタイム・レーザー(流るる閃光)とは、根本的に異なる力。
 その出力範囲は、本人の半径5.3m以内。
 そこにいる人物に対してのみ、効果を発揮する。

 彼女に幸運が訪れた瞬間、その範囲にいた人物に『不幸フラグ』が発生。
 そのフラグが成立するのは、5.3時間以内だそうな。
 基本、運の絶対量は決まっているらしく、幸運の度合いと同じだけの不幸がこの世には存在する。
『運量保存の法則』とでも言おうか――――その法則の通り、イカの幸運はそれと同レベルの
 不幸を生み出す事になるらしい。

 逆に、イカが不幸な目に遭えば、周囲には幸運が舞い込む。
 そして、それは範囲内にいる人数が多いほど、分散する。
 例えば、彼女に『石ころに躓いて転ぶ』という不幸があったとする。
 その際、彼女の半径5.3m以内に誰か一人がいた場合、その一人に『躓いて転ぶ』のと
 同じ度合いの幸運が53時間以内に生じる、というワケだ。
 これが二人だった場合は、『躓いて転ぶ』の半分程度の幸運が、それぞれの対象者に起こる。
 せいぜい『お釣りを50円多く貰う』とか『たまたま空を見たら虹が見えた』程度の幸運だろう。

 一方、もしイカに幸運な何かがあった際、その範囲に誰もいなければ、本来生まれるべき不運は
 ストックされてしまう。
 そして、次にまた幸運が発生した際、その範囲内にいた人物に、ストック分が上乗せされる。
 また、連続して幸運が発生し、範囲内にずっと同じ人物がいた場合も、同様に積み重なっていく。

 今回の件で言えば、イカには『横断歩道から落ちたら、偶々トラックがいて助かった』
『気絶してたのに、偶然目的地に着いた』、『事故になりそうな場面で、無事に済んだ』
『偶然目的である僕と出会った』という四つの幸運が重なっていた。
 その中で、範囲の中にいたのは僕のみ。
 結果、これら全てが僕に積み重ねられ――――今回の惨状が生まれたという事になる。
 なんとも不幸な話だ。
 
 ただ、裏を返せば、このイカが不幸に見舞われれば、範囲内の人物に幸運が訪れる。
 それが、何を意味するか――――

「つまり、お前の近くに僕や両親がいる状態で、お前が死ぬほど不幸な目に遭いまくれば、
 強力な幸運が僕等に発生して、場合によってはこの状況を打破できる可能性もある……
 って事になるな」
「そ、それはそうなのじゃ。でも、不幸なんてそうは起こらないのじゃ。香保は運が良いのじゃ」

 ズイッと顔を寄せた僕に、イカは後退りしていた。
 女性が苦手な僕でも、これくらい小さい女なら、彩莉と同じカテゴリーに属する為、
 特に意識する事もない。
 主導権を握る事には成功していた。

 とは言え、そんな事は今はどうでも良い。
 この状況を打破する為には、彼女に猛烈なまでの不幸に遭って貰わないと。
 と言っても……運そのものはコントロールできない(当たり前だが)から、
 結局は待つしかない。
 そんなワケで――――僕はこれから、彼女と行動を共にする事にした。

「……あの。トイレなのじゃ」

 決めた途端に最難関!?

「いや、まあ生理現象だから、仕方ないっちゃー仕方ないんだけど」
「すまんのじゃ。緊張すると近くなるのじゃ」

 余計なカミングアウトで更に場を混乱させるイカに、僕は
 トイレの場所を教えてやった。
 当然、同行。
 5.3m以内なら、廊下側にいても十分範囲内だ。

「うう、なんかイヤなのじゃ……」
「我慢しろ。悪いのはお前だ」

 トイレまでの道を歩くイカは、小さい身体を更に小さくしていた。

「そう言えば……お前の副作用って何なんだ? 俺のトコに来たって事は
 異能力を消したいんだよな? って事は、副作用もキツいんだろ?」
「副作用は、運じゃ。さっきも言ったが、香保は運が良いのじゃ」
「……それの何が副作用なんだよ。寧ろ良い事じゃねーか」

 ジト目でそう呟いた僕に対し、イカはブルブルと首を横に振った。

「その結果、香保の周囲には不幸ばかりが起きるのじゃ。香保は
 呪われた娘、って言われて来たのじゃ。集団生活が出来ないのじゃ……」

 あ……そっか。
 彼女にとっては幸運でも、周囲にとっては不幸の連続。
 そうなれば、彼女には居場所がなくなってしまう。
 これも立派な『足枷』だ。

「ずっと、寂しい思いをしてきたのじゃ」

 そう語り出すイカは、彩莉とは違う意味で、少し大人びていた。

「だから、水歌ちゃんや文奈さん、璃栖ちゃんと一緒にいられたのは
 とても嬉しかったのじゃ。でも、捨てられたのじゃ」
「それは……」
「わかってるのじゃ。仕方ないのじゃ。香保はそういう能力を
 持っているのじゃ……」

 孤立する事を宿命付けられた少女。
 少し――――僕に似ていた。
 参ったな。
 同情すべき相手じゃないのに、少し感情が揺らいでしまいそうだ。
 でも、他に方法はないし……

「でも、さっきからあんまり幸運が訪れないのじゃ。妙なのじゃ」
「そんな頻繁に良いコトばっかあんのか? 宝くじ買ったら全部当たりとか?」
「そういう、期待した幸運はないのじゃ。香保が想像しないような
 良いコトはあるのじゃ」 

 狙って幸運をゲット、とはいかないのか。
 それなら簡単に金儲け出来そうだったのにな。
 何にしても、必要なのは幸運じゃなくて、不幸――――

「……ふと、思ったんだが」
「何なのじゃ?」
「あの手榴弾の爆発の中で、無傷でいられた事って、幸運なんじゃ……」
「そう言えば、そうなのじゃ」

 つまり。
 あの場面でコイツの傍にいた俺と城崎は、不幸が――――

「ぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

 悲鳴!?
 城崎か!
 案の定、あの女にとてつもない不幸が……!

「ま、待つのじゃ!」

 制止を振り切り、僕は露天風呂の方へと急いだ。
 この状況で、これ以上の被害者が出るのは、【CSPA】的にマズい。
 ホントに再起不能だ。
 無事でいてくれよ……!

「おい、城崎! 一体何が……!」

 脱衣所まで駆けつけた僕は、思わず身を竦めた。
 そこにあったのは――――全裸の父の後ろ姿。
 いや、確かに温泉に浸かれとは言ったが、ココは女風呂だぞ。

「な、何でここに父がいるんだよ。悲鳴聞いて駆けつけたのか?」
「いや……男湯と女湯、間違ってしまった」
「アンタが間違っちゃダメだろ! 誰の家だよココは!」
「気が沈んでたんだ。注意力がなかったんだ。仕方なかったんだ。
 本当にそれだけなんだ! だから許してくれ、花菜!」

 え、母もいるの?
 これ、最悪の状況なんじゃ……

「フフ……そんなワケないじゃない。落ち込んだからって、自分の家の
 男湯と女湯を間違えるなんて……フフ、イケない旦那様。殺らなきゃ」
「や、殺るってそんな、下品な……」
「温泉って、よく殺人事件が起こる場所よね。どうせ営業停止なら、
 最後にドラマにでもして貰おうかしら……フフフ」

 ゆらりと、メドゥーサのような外見で、母が女湯から出てきた。

「ひーっ! かあちゃんカンベン!」
「逃がさないのよ。私、逃がさない」

 こんな日だというのに、二人は追いかけっこを始めた。
 ったく……しょうもない。
 
「こ、怖かったあ……」

 一方、露天風呂の方から、青い顔をした城崎が上がってくる。
 ハダカで。
 コイツにとっての不幸は、母の魔性化を目撃する事。
 そして――――

「……きゃーーーーーーーーーーーーーーーっ!?」

 僕に裸体を見られる事。
 そして僕は、そんな城崎の張り手が『綺麗に顎を捉える』という不幸。
 割に合わねーっ、と言う間もなく、僕の意識はまどろみへと消えた。









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