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5月26日(土) 05:15
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それは――――全くの偶然だった。
やけに早く目が覚めたのも偶々だし、それを理由に店の前に足を運んだのも
気まぐれ以外のナニモノでもなかった。
この世の中には、そういう『意図しない』行動が生みだす縁を『運命』と呼ぶ人がいる。
僕はどちらかっていうと、運命は否定派だ。
奇跡についても同様。
どっちも、確率的に際立って低い偶然を、カッコつけてそう呼んでいるだけだと思っている。
だからって、全否定する気もないけど。
少なくとも、僕にとってはすごく珍しいこと、以上の意味はない。
だから、こんな早朝に【CSPA】の前に人影があったことも、偶然の出来事と思った。
この時間には店は開いていない。
偶々、早起きした観光客の人が、ここを通りすがったんだと。
「あ、あのー……」
でも、その可能性が低いことはすぐにわかった。
人影は、少年だった。
まだ小学生と思しき身長。
彩莉と同じくらいの背丈だ。
そして、やたら線の細い美少年。
5年後、アイドルとして世を席巻していても全く違和感ないくらいの。
「こ、コスパってお店、ここですか?」
「はい、そうです」
そして、小学生だろうとお客様の可能性がある方には敬語で接するのが、僕の方針。
これには賛否あるだろうけど、僕はそうすべきだと思っている。
「あ、そ、そうですか。え、えっと、その……」
でも、この場合はマイナスだったみたいで、少年は僕に威圧感を覚えているのか、
困ったという感情をグルグル頭の中で回転させているのがよくわかる表情で
次の言葉を見出せないでいる。
こういう場合は、臨機応変に。
「コスパに何か用かな? 僕に言ってくれれば、僕が中の人に君のことを話してみるよ」
小学生低学年なら、目線の高さまでしゃがむところだけど、彼は多分中学年か高学年。
そこまではせず、温和な顔を作る方に全神経を注ぐ。
「……あの、あの」
「うん。大丈夫。ゆっくりでいいよ」
「はいっ。えっと、その……芦原さんに、用事が」
「そうなんだ。彩莉のクラスメートかな?」
「そ、そうです。その、お兄さんは……」
「彩莉の兄です」
「ひっ」
自己紹介した結果、何故かビビられてしまった。
どうした?
僕、普通に返事しただけだよ?
「お兄さん……怖い……殺そうとしてるボクを」
「してないから、用件を言いなさい」
「ひっ」
また怯えられてしまった。
っていうか、随分な言いようだな。
どうして僕が、初対面の小学生を殺そうとする?
「隙ありーーーーーーーーーーーーーーっ!」
突然、背後から殺意の波動!?
「きゃああああああああああああああっ!?」
あ。
身体が勝手に反応して、背後に現れた人物にオーバーヘッドキックをかましてしまった。
って、どうせ城崎なんだけど。
立ち上がって見ると、案の定城崎が脳天を押えて蹲っていた。
「ううう……痛い……何処の世界に女の子にオーバーヘッドキックで攻撃する男がいんのよぅ……」
「お前が毎度毎度奇襲しかけてくるから、ついにはこんな変なカウンター覚えちまったんだよ。
全部お前のせいだろが」
そもそも、いい加減この奇襲が無意味なの、こいつもわかってると思うんだけどなあ……
「あー、痛かった……って、きゃああああああっ!? ごっ、ごめんなさい!?
もう二度と襲ったりしないから許して! 殺さないで!」
……なんで城崎まで怯えるんだ。
「お前のテレポート奇襲は面倒臭いけど、殺すわけないだろ。落ち着け」
「で、でも、なんか修羅みたいな顔……」
「そこまで怒ってないっての。それより、少年」
「はいっ!?」
「こんな早朝から彩莉に何の用なのかなあ。家まで押しかけて一体、何の用なのかなあ。
お兄さん、そこんトコが気になって仕方ないんで、詳しく教えてくれないかなあ」
「う、うわーん! お兄さん怖いよーーーっ!」
彩莉と同級生ってことは10歳か。
10歳がうわーんとか……なんて軟弱な。
彩莉はやれんな、こんな軟弱男に。
「こ、怖いよーーーーーーーーーーーーっ!」
「きゃーーーーっ! 殺さないで! その鬼みたいな顔やめてーーーーーっ!」
……なんか近所の人が集まってきたんで、僕は2人を強引に【CSPA】の中へ入れた。
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5月26日(土) 06:30
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「……話は大体わかりました」
城崎や鳴子さんの泊まる部屋に、僕、ベッドで寝ている湯布院さん、
そして本日訪れた少年――――草津大和(くさつやまと)君はの5人が集結。
進行役を買って出てくれた、寝起きの鳴子さんが、欠伸を噛み殺しながら
冷静に草津君の話を聞いていた。
「つまり、彩莉ちゃんに私的な用事があるので、会わせて欲しいと」
「そ、そうです」
「そのことを、彩莉ちゃんは知っているんですか?」
「いや……知らないです」
「何故、こんな早朝に、事前連絡もなく直接ここへ?」
鳴子さんは穏やかに、それでも矢継ぎ早に、理由を聞いていく。
実に心強い。
心強いんだけど――――
「……その前に、どうして僕はアンタ等に背を向けて、ドアにひっついてないとダメなんだ?」
「貴方の顔が怖いからです。自覚して下さい。本来は、部屋の外で待機して貰うべきなんですよ」
「くっ、理不尽な」
なんで今の僕は、ヨガでもやってるかのように、額をピタッと扉に当てて
突っ立っているという体勢だ。
「それで、草津君でしたか。理由を聞かせて貰ってもいいですか?」
「……それは……」
少年は言い淀む。
これは……やはり彩莉に告白するとか、デートに誘うとか、そういう魂胆か!
「有馬さん。扉をガンガン叩かないで下さい。小学生を怯えさせてどうするんですか」
更に行動を一つ制限されてしまった。
「あの怖いお兄さんは無視して、私に教えて下さい」
「……は、はい」
「璃栖、こういう進行役みたいなの、得意だよねー」
城崎同様、僕もそこには感心していた。
接客のプロである僕より上手い。
ちょっとジェラシー。
「じ、実は……」
それが功を奏し、苦悩する顔もサマになる美少年が口を開く。
さあて、どんな理由で彩莉に色目を……
「芦原さんに、ボクの恋人を返して欲しいんです!」
「……」
その瞬間――――時間が止まった。
いや、鳴子さんの能力とは関係なしに。
とにかく、空間が凍った。
「……有馬さん、こっち見ていいです。議論への参加を要請します」
「いや、要請されても……なんて言えば良いのか」
振り向いた瞬間、草津少年と城崎が一瞬ビクッとなったけど、
その後はやたら安心した様子で胸を撫で下ろしていた。
……僕の表情がやっと普通に戻ったと言わんばかりに。
「ま、まあ、とりあえず話を全部聞いてからにしたら? えっと、大和君だっけ。
それだけだと全然意味不明だから、ちゃんと説明して貰えるかな?」
城崎が珍しく建設的な意見を述べる。
っていうか、早く真意を知りたがってるみたいだ。
僕にしても同じ。
直に受け止めると、『彩莉がこの少年の恋人を盗った』ってことになる。
凄まじく意味不明だ。
まず、少年の恋人っていうことは、当然女子ってことになる。
女子が女子を盗る?
百合の世界か……?
いや待て。
前提が間違ってる可能性がある。
もし、この少年の恋人が少年だったら……
って、仮にそうでも彩莉が他人の恋人を奪うか!
全般的に意味不明すぎるぞ。
「わかりました。説明、します」
草津少年は、意を決したように毅然とした顔で話し始めた。
「僕には、2歳年上の恋人がいました。名前は理沙(りさ)って言います。
その子がいなくなったんです」
「……いなくなったって、家出とか、そういうこと?」
城崎の問いに、少年は首を横に振る。
「僕の前から、って意味です」
「別れを切り出された、ということですか?」
今度は鳴子さんの問い。
そして同じように、少年は首を横へと振る。
「それすらありませんでした。いきなり、僕の前からいなくなったんです」
「……それと彩莉とが、一体何の関係があるんだ?」
「ひっ! お兄さん怖い! お兄さんボクを殺そうとしてる!」
再び怯えられてしまった。
「有馬さん、イエローカードです」
しかも警告食らってしまった。
ホームなのに……
「形相はともかく、有馬さんの質問は尤もです。私の知る限り、彩莉ちゃんは
他人の恋人さんを盗るような性格の子ではありません。どういうことでしょう」
「……」
少年は押し黙る。
暫し、沈黙が空気を舞った。
そして――――
「ボクも、よくわからないんです」
ポツリと、草津少年はそう漏らした。
「だから、確かめようって思って。こんな朝早くなのは、ボクの都合っていうか……
ボク、土日はサッカーの朝練があるんで」
「自分勝手ねぇ」
城崎のジト目に、少年は自分を恥じ、頭を下げる。
発言は所々おかしいが、この草津君、常識はちゃんと持ってる。
いや。
常識があるからこそ、発言の奇妙さが際立っている。
だって、考えてもみてくれ。
2歳年上の恋人がいる。
これ自体は、小学生にしてはかなーり珍しいとは思うけど、少なくとも不自然じゃない。
問題は、その恋人が自分の元から去ったからといって、彩莉にその理由を求めることだ。
おかしいことは、まだある。
ここを訪れた事自体も変だ。
彩莉に学校で接触してこなかったのは、なんとなくわかる。
この年頃の少年が、学校で特定の女子に話しかけるのは、
それなりに勇気が要る。
いくら絵に描いたような美少年でも、冷やかしの対象になるリスクは避けたいだろう。
ただ、それなら電話でもいいはず。
早朝に直接出向くのは、かなり勇気……というより、無神経さがなければ無理だ。
この少年から受ける印象とは、合致しない。
そして、なにより変なのは――――
「結局、『去った』ってのはどういう意味なんだ?」
僕はそれを口にした。
普通に考えれば、『フラれた』と解釈すべきなんだろう。
なら、恋人と音信不通になって、どれくらいの期間が経てば、自分がフラれたと気付くのか。
これは個人差がある。
1週間で確信する人もいれば、1年でもまだ確証が持てないって人がいるかもしれない。
そして、その確信に至るプロセスには当然、『その人から決定的な何かが告げられる』という
儀式のような決定打があるはず。
それは『他に好きな人が出来た』なんていうわかりやすい答えかもしれないし、
余所余所しい態度になったとか、もっと言えば接触がなくなったとか。
そういう手掛かりがあって、状況証拠があって、フラれたと思うのが普通だ。
でも、彼の場合は違う。
『いきなり、僕の前からいなくなったんです』
あきらかにおかしい。
それだけでフラれたとは思わないだろう。
寧ろ、事件や事故、病気などの心配をするべきだ。
「えっと……僕から引き離された、って思って」
案の定、少年の答えは『フラれた』とは違う意味だった。
「なら何で、その恋人に『何も言われてない』のに、引き離されたって思うんだ?」
「それは……」
今度は言い淀む。
草津君自身、自分で自分の意見を上手くまとめきれていないみたいだ。
無理もない、小学生だ。
しかも、見知らぬ人たちに囲まれて、知らない場所でこんな弁論大会を開いていると
なれば、緊張だってするだろう。
「っていうか、アンタがさっきから怖い顔ばっかしてるから、怖がって
色々言い難いんだと思うケド?」
「……僕、そんな怖い顔してる?」
「偶に、人とは思えないような顔になります。目が特に怖いです」
鳴子さんは車椅子の上からキッと睨み付けてくる。
真似、ということかな?
その目だと、そんなに怖くないんだけど。
ってか、僕はそもそも怖い顔をしてるつもりなんて全くないんだけどなあ。
とはいえ、これ以上話が進展しないのも困る。
「それじゃ、僕は顔を隠してるから、話し続けて」
仕方なく、部屋に置いてあるおしぼりで顔を覆う。
「それ、もっと怖いんだけど……」
城崎の声は無視。
「え、えっと……ボクには、わかるんです。彼女がいなくなった、ってことが」
少年の答えは、さっきの発言『ボクも、よくわからないんです』と矛盾していた。
というか……正直、この一連の話そのものが怪しいと感じてしまう。
実は全部嘘。
本当は、彩莉の住んでいる場所になんとなく足を運んでみた。
早朝だから、人はいないだろうと。
そしたら、偶々僕がいた。
なので、「恋人がいます!」と主張し、無害だってことをアピール。
あわよくば彩莉に接触する事で、ここが本当に彩莉の家だと確信する。
……辻褄は合ってるけど、小学生の行動じゃないよなあ。
「どうします? 彩莉ちゃんを起こして……」
「それは却下だ。彼が100%安全、人畜無害だと確定してからじゃないと」
「……シスコンよねー」
鳴子さんの意見以上に、城崎の冷たい視線は無視。
彩莉に害をなす可能性がある輩は、僕が排除する。
当然だ。
呼吸をする時に肺を使うくらい、当然のことだ。
「では、気は進みませんが……文奈が起きるのを待ちましょう」
不意に、鳴子さんはそんなことを提言してきた。
ベッド上ですーすー寝ている彼女は、一日の内に4時間しか起きられない体質。
そして、その4時間は殆ど、午後に集中している。
ってことは……暫くこの少年は――――
「拘留、か」
「こうりゅう……って何ですか?」
小学生には難しい言葉だったみたいだ。
「監禁はわかるかな? 若しくは、牢屋行き」
「え……ええええ!?」
「いや、牢屋はないから」
ツインテールをブンブン揺らし、城崎が否定する中、僕は牢屋の
代わりになりそうな部屋をなんとなく頭の中で模索した。
ふと、浮かんだのはサウナ室……
「それでは、脱水症状になってしまいますよ」
「いや、冗談なんだけど……って、湯布院さん?」
いつのまにか、僕の右腕を湯布院さんが握っていた。
自分の親指と中指の先がくっつくくらいに、強く。
つまり――――サイコメトリングを使った、ってこと。
人の残留思念とは、すなわち記憶。
一秒前の記憶は、すなわちつい今し方考えたこと。
それを読まれた。
「……頭の中の冗談をツッコまれるってのは、どうにも気分が悪いんだけど」
「ふふ、すいません」
何処かお姉さんぶった笑い声と共に、湯布院さんは起き上がってくる。
こんな時間に彼女が起きるのは、ここに来て初めてじゃないか……?
「文奈、どうして……」
案の定、鳴子さんも城崎も驚いている。
「幾ら副作用持ちとはいっても、私だって普通の人間ですよ?
周りが騒がしかったら目が覚めます」
特に怒るでも非難するでもなく、湯布院さんは穏やかに告げる。
そして、僕の腕から手を放し、ゆっくりとベッドから出てきた。
「えっと、文奈さん……」
「事情はわかっています。草津君、でしたか。おはようございます。湯布院文奈と言います。
みっともない姿を見せてしまってすいません」
「あ、いや」
寝起きの姿でありながら、湯布院さんはしっかりした対応で少年の心を擽る。
その姿は、妖艶にすら見えた。
「少し、お話をさせて頂いてもいいかしら?」
「え、えっと……は、はい」
「ありがとうございます」
ゆっくりと、草津君に近づいていく湯布院さんの顔は、菩薩のように和やか。
ただ――――意図がなんとなくわかるこっちとしては、それが阿修羅の笑い顔に見えた。
「まずは握手をしましょう」
案の定、湯布院さんはこの前僕にしたように、両手で少年の手を握った。
サイコメトリング――――
僕はこの能力に関して、まだ詳しくは知らない。
残留思念、人の記憶を盗み見る能力というのはわかってるけど、
それが『自分の知りたい思念』なのか、それとも『相手が強く意識している思念』なのか、
あるいは他の何かなのかはわからない。
直近の思念かもしれない。
何にしても、彼女の能力で、この少年のどんな事実が暴露させるのかはわからない。
できれば、彩莉との関係に関するヒントが欲しいところだけど……
「……ありがとうございます。では、単刀直入……いえ、簡単な事を一つ聞きますね」
「は、はい」
美少年はすっかりお姉様の虜――――というわけじゃないにしろ、
あきらかに顔は赤い。
将来はかなりの女たっらしになりそうな素養のある顔立ちでも、今は小学生。
綺麗なお姉さんには勝てないみたいだ。
「君は、何か人と違う、不思議な力を持っていないかしら?」
その綺麗なお姉さんが、突拍子もない事を聞き出した。
いや、意図はわかる。
そして、意味もわかる。
ただ、やっぱり突拍子もない事だ。
少なくとも――――彼の思念の中に、『異能力者である事を疑う要素が含まれていた』、
という事を意味するんだから。
「え? そんな……事はないです」
これを言い淀みと判断すべきか、目の前のお姉さんに緊張していると見るべきか。
難しいところだ。
「そうですか。わかりました。ありがとうございます、教えてくれて」
「は、はあ……」
「それじゃ、彩莉ちゃんが起きてくるまで、ここに居て下さい。
有馬さん、彼は大丈夫です」
大丈夫――――つまり、彩莉にとって有害な人物ではない、という事を意味する。
ただし、その有害がどの範囲までなのかはわからない……
「全部、大丈夫です」
さすがは人を見透かすプロ。
こっちの考えている事はお見通し……か。
「わかりました。面会を許します。ただし5分。僕が同席します。
面会場所は応接室を指定します。防犯カメラが設置してあり、
場合によっては裁判の際に証拠提出する事もあるので、御了承下さい」
「え、あ、う?」
「子供に裁判とか言うなっ!」
城崎にスパーン! とスリッパで叩かれた。
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