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5月26日(土) 06:52
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「……結局、何だったんですか? あの子供」
まだヒリヒリする後頭部を抑えつつ、共に部屋を出た湯布院さんに問う。
害はない、と断言された以上、ガーガー言うこともできないけど、
これくらいは聞いても良いだろう。
「どうにも、妙な発言が耳についた……と、思ってますよね?」
湯布院さんは、勿体振った言い方で、僕の方を少し頭を傾けながら眺めてくる。
お姉さんぶってる――――のか?
「まあ、そうですけど。違うんですか?」
「はい。彼の発言は全て真実。全て正直に言っています。思念は嘘を吐きません。
彩莉ちゃんの事に関しても、です」
「へ? でも……」
「そこに問題があるんです。彼は、異能力者の可能性があります。
ただし、あったとしても、きっとその自覚はない。困った状態です」
それは、予想していた事だったけど――――やっぱり突拍子のない導入だった。
彼の発言と、異能力者。
何処に接点がある?
「有馬さん。貴方は異能力を持っていた記憶がないんですよね?」
「いや、だから僕は元々持ってないってば」
「話が進まないので、そういう事にして下さい。で、ここからが重要なんですけど……
異能力というのは、生まれた時からずっと持っているケースもあれば、
ある日突然目覚めるケースもあります。そして、突然というわけではなく、
ジワジワと目覚めていくというケースもあるんです」
蔑ろにされたのは不服だけど……湯布院さんの話の内容は、少し興味深いものだった。
異能力と一言でいっても、目覚め方は色々あるのか。
「そして、彼はもしかしたら、ジワジワ目覚めている段階、なのかもしれません」
「どうして、そう思ったんですか?」
「彼の言う『恋人』は、人間じゃないからです」
ゾワッ――――と。
背筋が一瞬、凍った。
人間じゃ……ない?
「ま、まさか……やっぱり想像上の?」
「そうです。よくわかりましたね」
やっぱりかーい!
寧ろ否定して欲しかった!
意外性がない上に、心が病んでるなんて、あんまりな展開だ!
あんなに美少年なのに……可愛……いや可哀想に……
「ただ、その『想像上の恋人の存在』が、異能力の前駆体である可能性があります」
前駆体……?
なんだそりゃ。
「前駆体というのは、異能力になる前の段階の、漠然とした存在です。
それが徐々に異能力として発現していきます。
例えば、『自分の身体を硬くする能力』があると考えて下さい。
その能力に目覚める前に、『自分の身体の皮膚がパリパリと張る感じになった』
という、一見すると病気のような状態になる、というケースがあるとします。
この場合、『皮膚がパリパリする』という症状は、『身体を硬くする能力』
の前駆体と言えます」
「つまり……予兆みたいなもの?」
「そうです。彼の身体の中に、不可思議な予兆が起こっている可能性があります。
例えば、自分の中に別の人格を生み出す能力、とか」
「でも、それって……」
異能力ってより、割とよく聞く話だ。
二重人格、もしくは多重人格。
あ、でも……
「解離性同一性障害とは考え難いです。自分の性別と異なる人格が現れる
ケースは希にありますが、それを恋人と認識する人は、いないと思いますよ?」
確かに……自分の中の人格を恋人、とは思わないよなあ。
でも、自分が多重人格者、っていう自覚があるものなのかな?
そういう症状になった人たちって。
「それに関しては、私もわかりません」
「いや、さっきから当たり前のように僕の思考とお喋りしてるんだけど……
能力、使ってないですよね?」
僕の身体に、湯布院さんは一切触れてない。
それでも、僕の考えている事が大体読めるらしい。
非常に困った人だ。
「ただ、『異能力の前駆体の可能性がある』という事は、頭に入れておく必要があります。
私が前に言った事、覚えていますか? 私達の中にスパイがいる、と言った事を」
当然、覚えてる。
まあ、僕にとって重要なことでもないんだけど。
「一応言っておきますけど……貴方にとっても重要な事ですよ?」
「え? 何で?」
「スパイという事は、この【CSPA】の状況を逐一、何処かへ報告しているという事です。
何故、そんなことをするのかというと、当然、私達の監視という意味もあるでしょうけど、
それ以上に、私達の目的、異能力の除去に関する情報を集めて、それを報告するという
意味があるんです。つまり……彩莉ちゃんの調査報告、という事なんですよ?」
「何ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」
彩莉を調査だと!?
そんな事、聞いてないぞ!
「だから、貴方には話しておいたんです」
「そ、そうでしたか……これから気を付けます。具体的にいうと、
貴女がたを一切、彩莉に近づけないように全力を尽くします」
「それは……意味がないと思いますよ? 彩莉ちゃん、私達に懐いてるみたいですし、
向こうから遊びに来てくれますから。それを貴方が阻止すれば、貴方が嫌われるかも」
「NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!」
絶対に、してはならない行いが、ここにある。
というわけで、僕はいつの間にか窮地に立たされてしまった。
彩莉の身を案じるならば、僕は彩莉に嫌われなくちゃならない。
無理だよ……死ぬか、それとも死ぬか、って意味不明な2択を迫られてるようなもんだ。
「なので、今回の件は警戒が必要です。もしかしたら、誰かがあの子を使って、
彩莉ちゃんを揺さぶっているかもしれません」
「誰かって……城崎と鳴子さんのどっちかが?」
「私も含めてです」
湯布院さんは――――そんな奇妙な事を言いだした。
「私自身がスパイの可能性も、否定出来ません。私は自分をスパイとは認識
していませんが、私には1日20時間、無意識の時間が存在します。
その時に、もしかしたらスパイ活動をしているかもしれません」
「それは……流石にないでしょ」
「その保証はありません。あの子達も、20時間ずっと私の傍にいるわけじゃないですから」
そう断言する湯布院さんの顔は、真剣そのものだった。
自分すらも疑う――――その姿勢は、寧ろ誠実だ。
でも、彼女の性格に関係なく、彼女がスパイという可能性はある、
と考えなくちゃならないって事だ。
なんて面倒な……
「……って、その前にちょっと待った。あの少年が異能力者の可能性アリで、
彩莉に揺さぶりを掛ける可能性があるんなら、全然『大丈夫』じゃないじゃんか!」
「ええ。あれは嘘なんです」
「そんなしれっと!?」
「ああ言わないと、面会の許可が下りませんから。そうしなければ、
真実には辿り着けません。私のサイコメトリングは、全ての思念を拾えるワケじゃないんです。
その時点で『最も強い思念』を拾い読みするんです。それは、新しい思念の事もあれば、
印象深い思念の事もあります。総合的に『強い』思念を読めるんです」
さっきの疑問が、ここで解けた。
なるほど……強い思念、か。
まあ、それはいいとして。
大問題が発覚した。
湯布院さんの策略で、彩莉が危険に晒されるかもしれない。
断固阻止しなければ!
「でも、面会を断れば、強硬手段に出てくる可能性もあります」
う……確かに。
だったら、僕が傍にいられる状況で面会を許して、何かヒントになりそうな
事を掴む方がマシだ。
危険だけど……仕方ないか。
「大丈夫です。彩莉ちゃんに危険が及ばないよう、全力を尽くします」
「いや、尽くすって言っても……湯布院さん、危機回避能力に特化してるとかじゃないし」
「ええ。でも、知恵を使えば、傷付く確率を最大限減らす事はできます」
ピン、と人差し指を立て、湯布院さんはニッコリ微笑んだ。
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5月26日(土) 07:38
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「おはようございます。彩莉に御用があると聞きました。何でしょうか」
相変わらず、礼儀正しく奥ゆかしい挨拶。
彩莉はどんな時でも彩莉だ。
うむ、彩莉だ。
「あの……どうして、『さうな』でお話を聞くんでしょうか?」
その疑問を直ぐに思い浮かべるのも、さすがは彩莉。
彩莉は賢いなあ。
「ちょっと」
「痛っ!?」
ニュッと伸びてきた手が、僕の耳を引っ張る。
城崎かっ!
くっ、彩莉のことに夢中になりすぎて、対応できなかった。
不覚!
「不覚! って顔されても困るのよ! なんであたし達までサウナに
閉じ込められなくちゃならないのよ!」
そう。
ここはサウナ室。
冗談からでたマコトだ。
ここに今、僕と彩莉、草津少年、そして城崎、湯布院さん、鳴子さんの6人がいる。
なお、全員水着姿だ。
普通なら、ここで常夏の役得ベイベーでも歌うところなんだろうけど、
そんな思考は今の僕にはない。
城崎の水着姿なんて、今はどうでもいい。
どうして、ここが面会場に選ばれたのか。
理由は単純。
全員の体力を奪う為だ。
もし、湯布院さんの言う通り、これが『誰か』の策略で、彩莉に危険が及ぶ
可能性があったとしても、体力を奪っておけば、捕らえられる可能性は高い。
しかも、サウナは密室にされると命の危険もある。
そういう恐怖心もあり、そうそう悪さはできない。
長時間だと問題があるけど、短い面会の間くらいは問題ない。
しかも僕の場合、スパ歴が長いこともあって、サウナ耐性はかなりある。
好条件揃いってワケだ。
暑くて思考回路鈍るけど。
「だから、何であたしまで水着まで着てここにいなきゃいけないのよ!」
「監視役は一人でも多い方が良い。万が一の時には、身を挺してでも彩莉を守ってくれ」
「……?」
城崎はキョトンとしていた。
まあ、実際には、彼女等は容疑者であって、それを目の届く所に置いておくって
だけの話なんだけど。
「それより、草津君。ご要望通り、彩莉に会わせたんだから、
早く聞きたい事聞け。制限時間は5分な」
「は、はい」
少年は、顔を真っ赤にして頷いた。
それがどっちの意味の赤面なのかは、この状況ではわからない。
もし、この場で告白とかでもしようものなら……どうしてくれよう。
ちゃぶ台持って来ればよかった。
「彩莉ちゃんの事を見る時、父親みたいな顔になりますね、有馬さんは」
不意に、そんな事を鳴子さんに言われてしまった。
父親……ねえ。
彩莉を父性的な視線で見てるつもりはないけど。
年齢的にも呼び方的にも、兄だし。
「えっと……草津くん。彩莉に御用とは、何でしょうか」
「あ、うん。えっと……ボクの恋人を、返して欲しいんだ」
意外とあっさりと、草津少年は僕達に言った事を彩莉にも繰り返した。
ここまでは、確かに湯布院さんの言う通り。
彼は嘘を言っていない。
だとしたら……ますます意味がわからない。
彩莉が、彼の恋人を盗った?
しかも、その恋人は、人間じゃなく想像の存在らしい。
想像上の恋人を、彩莉が盗ったって……どういう事だ?
「ねえねえ」
思い悩む僕の隣で、城崎がなんか楽しそうな顔でコショコショ話しかけてきた。
ちなみに、各自の水着の詳細を解説すると、この城崎は布地多めの白ビキニ、
鳴子さんは紺のワンピース、湯布院さんはノーマルな薄ピンクセパレート。
まあ、イメージ通りだ。
「あたし、考えたんだけど……あの男の子、彩莉ちゃんのことが好きなんじゃない?」
そして城崎の勿体振った意見は、僕達が遙か以前に通った場所だった。
いや……待てよ。
仮に、それが事実だとして。
もしかして――――彩莉が『想像上の恋人』を消したのは、あの少年が
彩莉を好きだから、なんじゃないか?
実際に好きな人物が出来たから、想像上の恋人が消えた。
辻褄は合う。
だとしたら……この状況は危険だ!
万が一、彩莉がその好意に答えると言ってみろ!
僕は死ぬ!
死んでまう!
彩莉が他の男と……
「キィーーーーーーーーーーーーィヤーーーーーーーーーーっ!?」
「ど、どうしたのよ急に!?」
「……いや、なんでもない。取り乱してしまってゴメンなさい」
落ち着け僕。
その可能性は、摘めば良い。
プレッシャーを与えれば良いんだ。
『ボクの中の恋人が消えたんだ。キミという本当の恋人候補が現れたからだよ。
責任を取って欲しいな。ボクの本当の恋人になってくれ!』
――――と、言わせなけりゃいい。
圧力で。
大人の男の絶対的パワーで。
「……」
いかん、力んだら意識が朦朧と……
ここはサウナ。
力むのは自殺行為だった……
「ボクの中の恋人が消えたんだ」
ああっ!?
クラクラしてる間に、草津少年が本当に告白しそうな気配!
くっ、身体が火照りすぎて動かない!
こ、これはマズい!
有馬湯哉、人生最大のピンチかも……!
「昨日、芦原さんと放課後に喋ったでしょ? 結構長く」
「はい。お喋りしました。プリントのことで」
う……この会話自体も結構ダメージ!
本格的にヤバイ。
僕の体力も、この状況もヤバイ……!
「あれから、ボクの恋人……理沙がいなくなったんだ。芦原さんが盗ったんじゃないの?」
「よくわかりませんけど、彩莉は何も盗ってないです」
彩莉は、当たり前の回答を当たり前に告げる。
でも、それは意味がない。
僕の推論通りなら、草津の野郎はここから口説きに……!
「えーっ、絶対盗ったよ。だって、ボクが理沙のことを盗った時と同じだもん」
……ん?
今の発言は何だ?
僕は慌てて湯布院さんに視線を向ける。
湯布院さんは――――多分、僕と同じ表情をしていた。
「えっと、どういう事、ですか?」
「ボクが理沙を盗った時、盗られた人は『俺の恋人を返せ!』って色んな人に
ワーワー言ってたもん。だから、ボクも盗られたって思った」
なんか……電波な臭いがするんですが。
いや、待て。
意味がわからない事を『電波』で片付けるのは、良くないことだ。
特に、彼みたいなまだ表現の技術が拙い小学生の場合は特にそう。
接客業の基本。
小学生以下の相手をする時は、どんな理解しがたい発言にも耳を傾け、
肯定を前提とした分析を試みるべし。
……よし、落ち着いた。
ならば次は、分析だ。
草津君は、『僕が理沙のことを盗った時と同じだもん』と言っていた。
そのまま解釈しよう。
想像上の恋人『理沙』を、彼は他人から盗んだ。
……普通にあり得ない。
仮に彼が、自分の中に『理沙』という人格を宿して、それを愛したとしても、
その人格は他から盗んだワケじゃないし、そんな発想が入り込む余地はないだろう。
でも、彼は嘘は吐いていない。
湯布院さんの能力を信じるなら。
だとすれば――――彼は本当に、『人格を盗んだ』事になる。
自発的な人格じゃなく、他人の人格を窃盗。
さっきの意見とおなじく、これは『あり得ない』。
そう、あり得ない。
そして僕はこれまで、何度も『あり得ない』事を経験している。
つまり。
「……人格を盗む異能力?」
僕がポツリと漏らした言葉に、全員が視線を向けた。
Imaginary Companion―――― " 想像上の友人 "
湯布院さん曰く、そんな言葉があるらしい。
幼児は、実際には存在しない架空の人物と話したり、遊んだりすることがある。
その『架空の人物』を、Imaginary Companion、ICって言うそうだ。
これは、一見病んでいるように思えるけど、健康な幼児であっても
普通にあり得る現象らしい。
ただし、成長していく中でもそのICがいなくならず、日常生活に支障を
来した場合は、何らかの病気を疑う必要がある……とのこと。
よくわからんけど、そういうものらしい。
で、彼――――草津少年の場合、このICを異能力によって『奪える』らしい。
どういう能力なのかはわからないし、なにより彼自身、それを『異能力』とは思ってない。
誰もが、当たり前に出来る事と思っていたそうだ。
だから、彼は湯布院さんの『何か人と違う、不思議な力を持っていないかしら?』
という質問に、違うと答えた。
でも、言い淀んだ。
異能力という認識はないけど、予感めいたものはあったのかもしれない。
何にしても、そんな背景があったことで、彩莉が疑われてしまった。
彩莉が、彼のIC(この場合はImaginary Girlfriend、IGとでも言うべきか)
を盗ったと。
勿論、彩莉にそんな能力はない。
でも、彼は盗られたと思った。
そこに大きな齟齬があった。
「……それじゃ、どうして理沙はいなくなったの? 誰か別の人が盗ったの?」
この純朴な少年に真実を突きつける訳には行かず、僕は『彩莉にはそういう事は
できないんだよ』とだけ教え、次の説明を模索中。
さて……どう言いくるめようか。
「誰も、盗ってなんかいないんですよ」
考えている隙に、湯布院さんが汗だくの顔で、それでも柔和に告げる。
いつも饒舌な鳴子さんも、今日は無口。
完全に彼女に主導権を預けている。
「その理沙ちゃんは、前にいた人の所に戻ったんです」
「え……? どうして?」
その答えが意外というより、不満そうな声で草津少年が目を泳がせる。
泳いでても、キラキラした目だ。
僕にはもうない輝き。
それがいずれ濁る日が来ると考えると、少し虚しい。
ただ――――今は、濁っていない事が逆に辛い。
例えどんな説得をしても、傷は目立ってしまうから。
「きっと、貴方と彩莉ちゃんに、嫉妬したんですよ」
「嫉妬……?」
「そうです。嫉妬したんです。『嫉妬』の意味がわからないなら、調べて下さい。
辞書でも、インターネットでも、何でもいいです。そうすれば、きっと貴方は
納得しますから」
それでも、湯布院さんの説得は、最大限傷つかないような配慮に溢れていた。
『知恵を使えば、傷付く確率を最大限減らす事はできます』
それは、彩莉に対してだけじゃなかったのか。
大した人だな、このお姉様は。
「……わかりました。調べてみます。芦原さん、疑ってごめんなさい」
「いえ。彩莉はよくわかりませんけど、解決してよかったです」
こうして、素直に謝罪したのは、湯布院さんの『自分で調べなさい』という
諭し方が、草津少年に一定の『納得』を与えたからだ。
頭ごなしに『こうですよ』と諭されれば、人間誰でも反抗する。
表立って言わなくても、心の中で無意識に反発するだろう。
でも、自分で調べさせる事を促した事で、彼女は彼に『自由』を与えた。
調べる自由。
信じる自由。
本当はそれは自由なんかじゃなく、与えられた『自由と言う名の檻』。
でも、結果として、その檻は彼を納得させた。
「……なんか、結局最後までよくわかんない事件だったんだけど」
「それに関しては、僕も否定できない」
「というか、私達は今回水着になっただけで、何もしていませんね」
城崎と僕が汗だくだくでジト目になる中、鳴子さんは更に深く瞼を落としている。
至って冷静に見えて、実はこの中で一番ウンザリしている様子だった。
何はともあれ――――土曜の朝に起こった、ちっちゃな事件は無事に解決(?)した。
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5月27日(日) 05:19
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「流石に……いないか」
翌日。
昨日の事もあったんで、今日は意図的に早起きして、スパ施設の前を確認したものの、
そこに人影はなかった。
さて、二度寝……は出来ないし、暫く身体でも動かして眠気を覚ますか。
「おはようございます」
「あ、おはようご……って、湯布院さん? こんな早起きしていいんですか?」
昨日、彼女は早朝の時点で2時間ほど起床期間を消費した。
なんで、以降はほぼ一日中寝入っていた。
なのに、今日もまた朝早くから……
「人間、生活のリズムが狂うと、修正が難しいんです」
「どっちかってーと、狂ったってよりこっちが健康的には正しいんだろうけど」
僕の意見は、彼女の笑顔を誘った。
「そうかもしれませんけど、やっぱり4時間しかありませんから、
どうしても……ね」
「それは確かに」
一日の稼働時間、4時間。
それは、普通の人間の4分の1以下だ。
もし彼女が一生このままなら、仮に80まで生きたとしても、他の人の
20歳分も生きられないようなもの。
余りに寂しい現実だ。
「想像上の友人……なんて、本当にいるんですかね」
そんな現実から目を逸らしたかったのかも知れない。
僕はポツリと、そんな事を呟く。
ICの解説は昨日、湯布院さんによって行われた。
僕にとっては、寝耳に水というか、ちょっと考えられない事だ。
健康な幼児であっても、想像上の『誰か』と会話をするなんて。
「いますよ。私もいましたから」
「……え?」
「だから知ってたんです。難しい理屈じゃないでしょう?」
確かに。
多重人格はともかく、想像上の友人なんて、普通は知る機会が無い。
「彼女がいたのは、小学生に上がって直ぐくらいまででした。
私と違って、とても快活で、ハキハキしてました」
「名前は?」
「秘密です。二人だけの」
それは、秘密にする意味があるかどうか、の問題じゃない。
彼女たちだけのルール。
僕はそれに従うしかなかった。
「私達は、ずっと一緒でした。当たり前ですけど。買い物をするのも、
勉強をするのも、テレビを見るのも。いつも、彼女が適切なアドバイスをくれました。
私に似合う服を、正しい計算方法を、クイズの答えを、彼女は教えてくれました」
「……それは、心強かったでしょうね」
「ええ。でも、彼女がいた事で、私は自分で考える事ができなくなってしまいました」
それは、哀しい弊害。
いや、本当はそうじゃないのかもしれない。
ICのアドバイスは全部、ICじゃなく、湯布院さん自身が自分に語り掛けているという
解釈もできるはずだから。
「だから、彼女は私との別れを提案しました」
「……それは、辛い選択ですね」
「そうですね。辛かったです」
湯布院さんは、沈んだ声でそう告げる。
もう何年も前の別れのはずなのに。
「私は、ずっと誰かと繋がっていたかったのかもしれません。
私は私だけじゃない、一人じゃない……って、そう思いたかったのかもしれません。
彼女は、そんな私を満たしてくれた。でも、それは私にとって、必ずしも
プラスになる事じゃなかった。それを察して、彼女は自ら消えました。
皮肉なのか、なるべくしてなったのか……私にあの能力が発現したのは、そのすぐ後です」
サイコメトリング。
それは、他人の思念を『盗む』能力ともいえる。
そういう意味では、人格を盗むという草津少年の能力に近い。
もし――――彼女の、湯布院さんの能力が、『誰かと繋がりたい』という
願望によって生まれたのだとしたら?
逆説的に言えば、草津少年は、同じような悩みを抱いている事になる。
今、彼は自宅で寝ているんだろう。
でも、そこに温かい布団があって、温かい家庭があるのかどうかは、
僕等にはわからない。
全ては、想像でしかないのだから。
「そろそろ、寝直します」
少しシニカルな物言いで、湯布院さんは僕から離れていく。
彼女は今も、繋がりを求めているのだろうか?
僕には余り関係のない事なのかも知れない。
でも――――
「……あ、ちょっと待った」
不意に、聞いておきたかった事を思い出す。
「実際問題、草津君の『想像上の恋人』は、どうしていなくなったと思いますか?」
湯布院さんが諭した理論は、草津少年を納得させはしたけど、
実際にはファンタジックなものであって、真実とは思いにくい。
そんな僕の疑問に、湯布院さんはわざわざ振り返り、律儀に答えてくれた。
きっと、『繋がり』を求めて。
彼女はいつも、そうしてるんだろう。
「私達は、彩莉ちゃんが『異能力を除去する力』を持っている、と思っています。
なので、今回の件はその力が発動した、と解釈するのが妥当です」
その物言いは、極めて事務的だった。
そして、何処か空虚だった。
「……本音は?」
だから、思わずそんな事を聞いてしまう。
僕には余り関係のない事なのかも知れない。
でも――――少し気になった。
人との繋がりを求めていながら、その時間を許されず、
そして仲間を『スパイかもしれない』と疑わなければならない彼女の気持ちが。
「私と同じであって欲しい……と、そう思います」
湯布院さんは寂しそうに笑う。
その笑顔の意味を僕が知る事はできない。
不意に、風が吹く。
初夏の風は、早朝であっても、もう冷たくも厳しくもない。
髪を揺らす空気の流れは、相応の温度で優しく彼女を包み込んだ。
僕はそれを、黙って見ていた。
まるで、目の中の輪に彼女を閉じ込めるかのように。
その中の彼女が、何色に映っているのかは、彼女にしかわからない。
――――きっと、これからも。
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